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■9.この青を襷くために

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 似内に快諾してもらい、川瀬と三人で参加した夏合宿は、本当に有意義なものだった。
 毎日、体力が底を尽きるまで走り込んだ体は日に日に黒くなり、精鋭なものに研ぎ澄まされていく。十日間の夏合宿が終わる頃には、康平の体は以前にも増して細く、しかし筋肉や持久力が格段に上乗せされ、いっそう引き締まったものに変わった。
 翔琉や川瀬の体つきもだいたい同じで、特に翔琉は全体的に体が絞られシャープな印象になり、長距離ランナーのそれにぐっと近づいた印象だ。川瀬もどこか不格好だったフォームが見事に改善され、無駄のない効率的な走りができるようになっていった。
 十日間、寝食を共にした他校の仲間と実りある交流ができたことも、康平たちにとって大きな収穫だった。自分に甘えが出てしまいそうなとき、周りを見ると〝こんなんじゃ勝てない〟と自然と自分に厳しくなれたし、ひとたびライバルの服を脱げば、みんな本当に気さくなやつらばかりで、親身になってアドバイスや助言をしてくれたりもした。
 お高く留まっているのかと思いきや、誰もが普通の男子高校生で。彼女が欲しいだの、アイドルでは誰が好きだのなんていうしょうもない話題から今後の目標まで、とにかく会話の幅が広いやつらばかりなのだ。目下の目標は今年の日報駅伝で区間記録を取ることだと言っても、誰も笑ったりバカにしたりするようなこともなく、ただスッと握った拳を突き出されて「じゃあ勝負だな」と。そうして熱く不敵に拳を突き合わせただけだった。
『おれと駅伝部作って大会出てくれない?』なんていう突飛なところから翔琉とふたりではじめたことが、四ヵ月後にはともに高みを目指す大勢の仲間たちとお互いを高め合えるようにまでなったことが。その環境の中にいられることが。ライバルだと認めてもらえたことが。熱く拳を突き合わせてくれたことが、康平はたまらなく嬉しかったのだった。
 吸収できるものはひとつ残らず吸収して。全部、自分の糧にして。そうして一回り成長した姿で聖櫻に帰ってこられたことに、康平は言い表しようのない充足感を感じる。

 *

「じゃあ、改めて紹介するな。左から千葉ちば滝田たきた葛川くずかわ。テニスとサッカーとバド部だ。中学の頃は地区の陸上大会なんかに召集されたくらい、もとから運動神経がいいやつらだから。陸上のこともそれなりにわかってるし、おれらの大きな力になってくれると思う」
 九月。
 川瀬から紹介された助っ人の三人を前に、康平と翔琉は「よろしくお願いします!」と声を揃えた。何度か顔は合わせていたが、こうして一緒に練習をするのは初めてだ。
 三人とも川瀬と仲のいい二年生だという。それぞれ出身中学も部活もバラバラだが、康平と南波の関係と同じように部の垣根を超えて仲が良く、川瀬が声をかけると二つ返事で了承してくれた、とても気前のいい人たちだと、以前、話に聞いていた。
「一学の人たちと夏合宿したんだって? 助っ人に入るからには、おれらもとことんやるからさ。その合宿で得たものをどんどんおれらにフィードバックしてくれよ」
 千葉の力強い声に、康平と翔琉の顔に笑みが広がる。たかが助っ人なんて思わずに、やるからには本気で走ってくれようとしている――その気持ちが、とても頼もしい。
「だな。川瀬が神妙な顔で『おまえらに頼みがある』って言ってきたときは何事かと思ったもんだけど、真っ先におれらに話をくれたことが純粋に嬉しかったし」
「そうそう。聞けば後輩に先を越されて悔しいって言うじゃん。本気になればなるだけ怖さも増すけど、それでも川瀬は焚きつけられたんだ。一肌脱ごうって思うだろ」
 そんな千葉に続いて滝田と葛川も康平たちに力強く笑ってみせる。
 隣では川瀬が「余計なことまで言うんじゃねーよ!」と顔を赤くしているが、助っ人を頼むくらいずいぶんと気心の知れた仲なのだろう。本気で気分を害したわけでもないようで、川瀬は「……ったくよー」と最後には諦めたように笑い、
「ま、これから日報駅伝までの三ヵ月弱、このメンツで頑張るべ」
 スッと引き締まった顔に力強い笑みを浮かべ、そう締めくくった。
 それからすぐに練習がはじまった。
「葛川先輩、腕の振りはもっと大きいほうがいいです。あんまり小さいと、かえってスピードが殺されてしまうんだそうです。あと、リズムも大事です。意識してみましょう」
 とは、康平のアドバイスだ。六人一塊となり、乾ききって砂埃が巻き上がるグラウンドを走りながら、合宿で受けた指導から気づいたことを、その都度声掛けで伝える。
「千葉、体がちょっと前傾になってる。それだと余計疲れるんだって教えてもらった。もう少し体を起こして走ってみてくれないか。上半身がずっと楽になると思う」
 川瀬は千葉と並走しながら。
「滝田先輩、いいストライドですね! あとはもうちょっと蹴り上げた足の踵がお尻のほうまで来ると、もっとスピードが出ると思います。体のバネを使うんです、バネを」
 滝田と並走している翔琉は、先にいいところを褒めてからアドバイスを加える。
 三者三様の走りをする彼らに、こちらも三者三様だった。
「すみません……。おれ、教えるの下手ですよね」
 いったん休憩を挟んだ際、康平はたまらず葛川のそばに駆け寄った。おれらにどんどんフィードバックしてくれと言われたものの、さっきのあの言い方ではまるでいいところがなかったような印象を与えてしまうかもしれないと危惧してのことだった。
 こういうところが翔琉には敵わないと思う部分でもある。
 翔琉は、ストイックに打ち込みながらも、けして周りに対しての柔らかさは忘れない。かたや康平は、目についたところをすぐにズバズバ言ってしまう。翔琉の気の回し方にはっとさせられたと同時に、言いたいことが上手く伝えられない自分に落ち込んだ。
「え、すごい的を得てたと思うけど」
 けれど葛川は、きょとんとした顔で康平を見た。思わず「……へ」と空気が抜けたような声を出しながら、「でもおれ、言いたいことばっか言っちゃって」と視線を落とす。後輩が先輩を相手にアドバイスを送るのだ。言葉は選んだほうが絶対にいい。
「それだけ駅伝に本気だってことでしょ。熱くてなんぼ。もっと言ってくれていいし」
 しかし葛川は、康平が言わんとすることを汲み取った上でそんなことを言う。再び間抜けな声を出して目をしばたたかせる康平の頭にぽんと手を置くと、
「なに、癪に障ると思った? おまえ、けっこう可愛いやつだな」
 その手で康平の頭をぐりぐり、ワシワシと力強く撫で回しながら鷹揚に笑った。
 それからふと後ろを振り返ると、苦笑混じりに言う。
「千葉なんか、休憩中なのに川瀬にまだなんか言われてんぞ。あれはあれで不憫なもんがあるよなあ。その点、戸塚は可愛げがあっていいよ。まあ、同級生だからあそこまで熱心に言えるんだろうけどさ。でも、おまえだって遠慮しなくていいんだからな」
「……! はい!」
 ぱっと表情を明るくさせる康平に、また鷹揚に笑った。

 そうして週に何度か、短いながらも六人で練習を重ねていくうち、秋はいよいよ本格的な深まりを見せるようになっていった。山から下りた紅葉が街の街路樹も赤や黄に染め上げる中、衣替えもとうに終わり、気づけばカレンダーは十一月に変わっていた。
 日報駅伝へのエントリーはすでに済んでいる。登録メンバーは言わずもがな約三ヵ月を共に練習してきた六人で、そこにもうひとり、給水係として南波の名前が登録された。
 なんでも南波は、夏休み中に康平や翔琉が県民大会に誘ってくれたことにひどく恩を感じていたらしい。十月の新人戦でも一勝の目標は遠かったそうで、直後はずいぶん落ち込んだ顔を見せてはいたが、康平や翔琉のためになにかしたいという気持ちは常に持ち合わせていたようで、「だったらおれが!」と給水係を買って出てくれたのだ。
 さらには、区間オーダーも決まった。一区から、康平、川瀬、千葉、葛川、滝田、東北銀行本店前に張られたゴールテープを切る最終六区の一番長い距離を翔琉が走る。
 最初、康平と翔琉は、一区か六区かでずいぶん悩んだ。助っ人の三人には、三区から五区の七キロ弱というできるだけ短い距離を走ってもらうにしても、八キロを超える一区、二区、それに十一キロの六区は、自動的に現役の陸上部員が担うことになる。川瀬が早々に「おれは二区を走りたい。千葉たちに発破をかけてやるには、おれの走りを見せたほうが手っ取り早いだろ」と立候補したので、残るは一区か六区の二択だった。
 しかしそこで「翔琉がゴールテープを切ったほうがいいって」「いや康平のほうがいいから」と、ふたりともアンカーを譲らなかったのだ。十一キロという区間距離の問題ではない。お互いにゴールテープを切るのは翔琉が相応しい、康平が相応しいと本心から思ってのことで、その点で区間オーダーはずいぶん思い悩むことになってしまったのだった。
「じゃあこうしよう。一区は戸塚。六区は福浦。はい決定!」
 最終的には、川瀬のこの発言でオーダーが決まった。
「戸塚が持った襷を、おれら四人が間に入って絶対に福浦に繋いでやる。そこで福浦は、例の〝隠し玉〟を発揮してくれ。だって、一区から出したんじゃつまんないだろ? どの順位で襷が渡るかはわかんないけど、おれだってそれ、見てみたいし」
 とのことで、五人で翔琉のゴールの瞬間を待ちわびることとなったのだった。
 そこにはもちろん、七月末で引退した三年生や、ほかの部員の姿もある。なにせ補欠もなく少数精鋭で臨むため、サポートや諸々の雑用も彼らに頼りきりになってしまうのだ。
 けれど、みんながみんな、康平たちを応援してくれている。
 本当の目的を隠して入部したり、東北大会の場で棄権したり、絡まれて言い返せないところを助けてもらったり。それでも、なにかとお騒がせな自分たちを応援してくれている――そのことが康平はなにより誇らしく、聖櫻陸上部の絆をひしひしと感じている。
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