43 / 61
終章 魔国は踊る
閑話2 彼女の歩幅がまだ狭く、鱗も柔らかだった頃
しおりを挟む
それはかつての話。
竜の姫君が「ちいちゃな白トカゲちゃん」と呼ばれて可愛がられていた頃の出来事だ。
その日の朝、ダールはとっておきの練絹のドレスを着ても良いと伝えられたのでただはしゃいでいた。
大事な人と会うのだと伝えられてはいたが、意味する所を察するにはまだ幼かった。
「その代わり、この格好してる間は間は木登り禁止よ。レスリングごっこも駄ぁ目。お約束できる?」
母が屈みこんでこんこんと言い聞かせるので、ダールは勢い込んでうなずいた。そもそも、おめかしした日は暴れるのは控えようと、いつだって考えているのだから。……少なくともその日の、朝のうちまでは。
「よろしい。それじゃあ、特別にこれを着けてあげましょうね」
そう告げて母、ムウラートが小箱から取り出したのは、黄金製の髪飾りであった。曲線で構成された幾何学模様の、花のようにも星のようにも見える可憐なデザインだ。下部にはフリンジのように涙型の真珠があしらわれている。
本来ならば、娘が嫁入りする時に持たせるための装身具たちの一つである。山深いこの土地では海からもたらされるこの宝珠は殊更に貴重なものだったから、マウルートはこれらの一そろいを作るために小さな山をいくつか手放していた。
マウルートにとって、それほどまでに待望の娘であったから当然の行いで、そのため娘のダール自身はどれほどの高価な品かは知らずにいた。ただ『ダールちゃんが独り立ちする日にあげるわね』と告げられて、見せてもらうだけはしていたから、特別扱いに心を浮き立たせていただけだ。
普段はマウルートの髪結いをする小間使いがダールの髪をくしけずり、香油を染ませて編み下げる。仕上げに、マウルートが手ずから金の髪飾りを娘の髪に飾ってやった。
◇◇◇
「嫌だな、変だなって思ったらすぐ辞めちゃいなさい。あたくしに似て、ダールちゃんは勘が良いんだもの」
ダールは母から厳しく教育され、その一方で、このようにも伝えられていた。
「いつでも、正しいと思うことを成しなさい。君は強い子だから力の使い道はよ~く考えてね」
優しい父は彼女へ折に触れてこう教え諭していた。
彼らはダールに惜しみなく愛情を注いでいたが、その愛の形には『正しい方へと導く』といった意図もうかがえるものだった。
ゾルジードはどうだったのだろう? 今も昔もダールに知るすべは無かったが、少なくとも彼は自分こそが世界の中心であり、あらゆるものが彼のために奉仕するべきだという考えの持ち主だったのは確からしい。
なにしろ幼い頃の彼は、許嫁が居ると知った時に『家来が出来た』と思ったのだから。
「お前は俺のメシツカイなんだからさぁ、これも俺のだ! いう事きけ!」
ゾルジードはそう言って、彼女が髪に挿した髪飾りに無遠慮に手を伸ばした。ダールはすいとその手を避けて、腰に手を当てて負けじと声を張り上げる。
「家来は嫌だ! 友達ならいいよ」
「馬鹿な事を言ってらあ! やっぱりナンジャクな親父とあっぱらぱあの母ちゃんからじゃへんちくりんしか出来ねえや!」
ダールは言葉の意味こそ取れなかったが、大好きな両親を馬鹿にされたのは口調から類推できたので、『ゾルくん』のベルトをつかんで、ぽんと投げ飛ばした。
主に母のハーレムに侍っている『お兄さん』達を相手取った、いつものレスリングごっこに比べたら随分と手加減をしていたので、ゾルジードが宙を舞ったのも大人が両手を広げた程の距離だ。けれど、この総領息子はまだまだ荒っぽい扱いを受けたためしがなかったので、ドンと尻もちをついた途端に驚きと屈辱のあまり、いっぱいに開いた目からぼろぼろと涙をこぼしだした。
「ええっ!?」
面食らったのはダールである。ここは草地だし、自分が住んでいる地竜の別邸がある周囲の、尖った石がそここに転がるガレ場のような場所に比べたら、お尻をぶつくらいどうってことないと思っていたからだ。
未来の族長と、許嫁である魔王直系の姫君との初顔合せはこうして終わった。
「――手を出す前に、まず話し合いなさい!」
父にこっぴどく叱られながらも、ダールから見ると彼が心底から怒っているわけでないのをすぐに察した。本当に洒落にならないことをしでかした時は、もっと泣きそうな顔と震え声で向き合うのだ、彼女の父は。
それでも叔母さまの膝にすがってわんわんと泣くゾルジードの姿を思い返すとちょっと可哀想だったし、彼女自身やりすぎたなとも感じたので、ダールはこのお叱りの言葉を重く受け止めることにした。
まず、話す。いきなり殴るのは駄目。
あの日深く刻んだ約束ごとが、成竜となった後もダールの心根を背骨のように支えていた。
守り切った嫁入り道具は、故郷を出奔する際に家に預けたきりとなってしまったが……。
けれども旅支度を整えた娘と相対したムウラートは「まだ、出番がなくなったとは限らないわ」と告げて、意味深に微笑んでみせたのだった。
竜の姫君が「ちいちゃな白トカゲちゃん」と呼ばれて可愛がられていた頃の出来事だ。
その日の朝、ダールはとっておきの練絹のドレスを着ても良いと伝えられたのでただはしゃいでいた。
大事な人と会うのだと伝えられてはいたが、意味する所を察するにはまだ幼かった。
「その代わり、この格好してる間は間は木登り禁止よ。レスリングごっこも駄ぁ目。お約束できる?」
母が屈みこんでこんこんと言い聞かせるので、ダールは勢い込んでうなずいた。そもそも、おめかしした日は暴れるのは控えようと、いつだって考えているのだから。……少なくともその日の、朝のうちまでは。
「よろしい。それじゃあ、特別にこれを着けてあげましょうね」
そう告げて母、ムウラートが小箱から取り出したのは、黄金製の髪飾りであった。曲線で構成された幾何学模様の、花のようにも星のようにも見える可憐なデザインだ。下部にはフリンジのように涙型の真珠があしらわれている。
本来ならば、娘が嫁入りする時に持たせるための装身具たちの一つである。山深いこの土地では海からもたらされるこの宝珠は殊更に貴重なものだったから、マウルートはこれらの一そろいを作るために小さな山をいくつか手放していた。
マウルートにとって、それほどまでに待望の娘であったから当然の行いで、そのため娘のダール自身はどれほどの高価な品かは知らずにいた。ただ『ダールちゃんが独り立ちする日にあげるわね』と告げられて、見せてもらうだけはしていたから、特別扱いに心を浮き立たせていただけだ。
普段はマウルートの髪結いをする小間使いがダールの髪をくしけずり、香油を染ませて編み下げる。仕上げに、マウルートが手ずから金の髪飾りを娘の髪に飾ってやった。
◇◇◇
「嫌だな、変だなって思ったらすぐ辞めちゃいなさい。あたくしに似て、ダールちゃんは勘が良いんだもの」
ダールは母から厳しく教育され、その一方で、このようにも伝えられていた。
「いつでも、正しいと思うことを成しなさい。君は強い子だから力の使い道はよ~く考えてね」
優しい父は彼女へ折に触れてこう教え諭していた。
彼らはダールに惜しみなく愛情を注いでいたが、その愛の形には『正しい方へと導く』といった意図もうかがえるものだった。
ゾルジードはどうだったのだろう? 今も昔もダールに知るすべは無かったが、少なくとも彼は自分こそが世界の中心であり、あらゆるものが彼のために奉仕するべきだという考えの持ち主だったのは確からしい。
なにしろ幼い頃の彼は、許嫁が居ると知った時に『家来が出来た』と思ったのだから。
「お前は俺のメシツカイなんだからさぁ、これも俺のだ! いう事きけ!」
ゾルジードはそう言って、彼女が髪に挿した髪飾りに無遠慮に手を伸ばした。ダールはすいとその手を避けて、腰に手を当てて負けじと声を張り上げる。
「家来は嫌だ! 友達ならいいよ」
「馬鹿な事を言ってらあ! やっぱりナンジャクな親父とあっぱらぱあの母ちゃんからじゃへんちくりんしか出来ねえや!」
ダールは言葉の意味こそ取れなかったが、大好きな両親を馬鹿にされたのは口調から類推できたので、『ゾルくん』のベルトをつかんで、ぽんと投げ飛ばした。
主に母のハーレムに侍っている『お兄さん』達を相手取った、いつものレスリングごっこに比べたら随分と手加減をしていたので、ゾルジードが宙を舞ったのも大人が両手を広げた程の距離だ。けれど、この総領息子はまだまだ荒っぽい扱いを受けたためしがなかったので、ドンと尻もちをついた途端に驚きと屈辱のあまり、いっぱいに開いた目からぼろぼろと涙をこぼしだした。
「ええっ!?」
面食らったのはダールである。ここは草地だし、自分が住んでいる地竜の別邸がある周囲の、尖った石がそここに転がるガレ場のような場所に比べたら、お尻をぶつくらいどうってことないと思っていたからだ。
未来の族長と、許嫁である魔王直系の姫君との初顔合せはこうして終わった。
「――手を出す前に、まず話し合いなさい!」
父にこっぴどく叱られながらも、ダールから見ると彼が心底から怒っているわけでないのをすぐに察した。本当に洒落にならないことをしでかした時は、もっと泣きそうな顔と震え声で向き合うのだ、彼女の父は。
それでも叔母さまの膝にすがってわんわんと泣くゾルジードの姿を思い返すとちょっと可哀想だったし、彼女自身やりすぎたなとも感じたので、ダールはこのお叱りの言葉を重く受け止めることにした。
まず、話す。いきなり殴るのは駄目。
あの日深く刻んだ約束ごとが、成竜となった後もダールの心根を背骨のように支えていた。
守り切った嫁入り道具は、故郷を出奔する際に家に預けたきりとなってしまったが……。
けれども旅支度を整えた娘と相対したムウラートは「まだ、出番がなくなったとは限らないわ」と告げて、意味深に微笑んでみせたのだった。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら
夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。
それは極度の面食いということ。
そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
腹黒王子は、食べ頃を待っている
月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
皇帝陛下は皇妃を可愛がる~俺の可愛いお嫁さん、今日もいっぱい乱れてね?~
一ノ瀬 彩音
恋愛
ある国の皇帝である主人公は、とある理由から妻となったヒロインに毎日のように夜伽を命じる。
だが、彼女は恥ずかしいのか、いつも顔を真っ赤にして拒むのだ。
そんなある日、彼女はついに自分から求めるようになるのだが……。
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる