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終章 魔国は踊る

閑話2 彼女の歩幅がまだ狭く、鱗も柔らかだった頃

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 それはかつての話。
 竜の姫君が「ちいちゃな白トカゲちゃん」と呼ばれて可愛がられていた頃の出来事だ。

 その日の朝、ダールはとっておきの練絹のドレスを着ても良いと伝えられたのでただはしゃいでいた。
 大事な人と会うのだと伝えられてはいたが、意味する所を察するにはまだ幼かった。

「その代わり、この格好してる間は間は木登り禁止よ。レスリングごっこも駄ぁ目。お約束できる?」

 母が屈みこんでこんこんと言い聞かせるので、ダールは勢い込んでうなずいた。そもそも、おめかしした日は暴れるのは控えようと、いつだって考えているのだから。……少なくともその日の、朝のうちまでは。

「よろしい。それじゃあ、特別にこれを着けてあげましょうね」

 そう告げて母、ムウラートが小箱から取り出したのは、黄金製の髪飾りであった。曲線で構成された幾何学模様の、花のようにも星のようにも見える可憐なデザインだ。下部にはフリンジのように涙型の真珠があしらわれている。
 本来ならば、娘が嫁入りする時に持たせるための装身具たちの一つである。山深いこの土地では海からもたらされるこの宝珠は殊更に貴重なものだったから、マウルートはこれらの一そろいを作るために小さな山をいくつか手放していた。

 マウルートにとって、それほどまでに待望の娘であったから当然の行いで、そのため娘のダール自身はどれほどの高価な品かは知らずにいた。ただ『ダールちゃんが独り立ちする日にあげるわね』と告げられて、見せてもらうだけはしていたから、特別扱いに心を浮き立たせていただけだ。

 普段はマウルートの髪結いをする小間使いがダールの髪をくしけずり、香油を染ませて編み下げる。仕上げに、マウルートが手ずから金の髪飾りを娘の髪に飾ってやった。

◇◇◇

だな、変だなって思ったらすぐ辞めちゃいなさい。あたくしに似て、ダールちゃんは勘が良いんだもの」

 ダールは母から厳しく教育され、その一方で、このようにも伝えられていた。

「いつでも、正しいと思うことを成しなさい。君は強い子だから力の使い道はよ~く考えてね」

 優しい父は彼女へ折に触れてこう教え諭していた。

 彼らはダールに惜しみなく愛情を注いでいたが、その愛の形には『正しい方へと導く』といった意図もうかがえるものだった。

 ゾルジードはどうだったのだろう? 今も昔もダールに知るすべは無かったが、少なくとも彼は自分こそが世界の中心であり、あらゆるものが彼のために奉仕するべきだという考えの持ち主だったのは確からしい。

 なにしろ幼い頃の彼は、許嫁が居ると知った時に『家来が出来た』と思ったのだから。

「お前は俺のメシツカイなんだからさぁ、これも俺のだ! いう事きけ!」

 ゾルジードはそう言って、彼女が髪に挿した髪飾りに無遠慮に手を伸ばした。ダールはすいとその手を避けて、腰に手を当てて負けじと声を張り上げる。

「家来は嫌だ! 友達ならいいよ」

「馬鹿な事を言ってらあ! やっぱりナンジャクな親父とあっぱらぱあの母ちゃんからじゃへんちくりんしか出来ねえや!」

 ダールは言葉の意味こそ取れなかったが、大好きな両親を馬鹿にされたのは口調から類推できたので、『ゾルくん』のベルトをつかんで、ぽんと投げ飛ばした。

 主に母のハーレムに侍っている『お兄さん』達を相手取った、いつものレスリングごっこに比べたら随分と手加減をしていたので、ゾルジードが宙を舞ったのも大人が両手を広げた程の距離だ。けれど、この総領息子はまだまだ荒っぽい扱いを受けたためしがなかったので、ドンと尻もちをついた途端に驚きと屈辱のあまり、いっぱいに開いた目からぼろぼろと涙をこぼしだした。

「ええっ!?」

 面食らったのはダールである。ここは草地だし、自分が住んでいる地竜の別邸がある周囲の、尖った石がそここに転がるガレ場のような場所に比べたら、お尻をぶつくらいどうってことないと思っていたからだ。

 未来の族長と、許嫁である魔王直系の姫君との初顔合せはこうして終わった。

「――手を出す前に、まず話し合いなさい!」

 父にこっぴどく叱られながらも、ダールから見ると彼が心底から怒っているわけでないのをすぐに察した。本当に洒落にならないことをしでかした時は、もっと泣きそうな顔と震え声で向き合うのだ、彼女の父は。

 それでも叔母さまの膝にすがってわんわんと泣くゾルジードの姿を思い返すとちょっと可哀想だったし、彼女自身やりすぎたなとも感じたので、ダールはこのお叱りの言葉を重く受け止めることにした。

 まず、話す。いきなり殴るのは駄目。

 あの日深く刻んだ約束ごとが、成竜となった後もダールの心根を背骨のように支えていた。

 守り切った嫁入り道具は、故郷を出奔する際に家に預けたきりとなってしまったが……。
 けれども旅支度を整えた娘と相対したムウラートは「まだ、出番がなくなったとは限らないわ」と告げて、意味深に微笑んでみせたのだった。
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