3 / 61
第一章 魔王城の秘密の関係
3.後朝の徹夜仕事
しおりを挟む
白亜の城内が淡い月明かりに照らし出されている。
昼間であれば開け放たれた窓から差し込む陽光が大理石の壁や柱に反射してきらめき、荘厳な印象を与えるであろうその光景も、今はただ静謐な夜の雰囲気を醸し出すのみだ。
長い直線の渡り廊下を歩む人影が一つ。
ばら色と深緑でモザイクを描く床を踏みしめ、こつこつと靴音が響かせている。
足音の主は一人の男であった。
長身痩躯。青白い肌に青黒い髪。勤めの間はかき上げて額を見せ、きちんと編み込まれている髪の毛も今は下ろされている。
その容姿は端正で、美しいという言葉が相応しいものだったが、同時にひどく生気の無い印象もあった。
一つには、ひどい隈が彼の両目を縁取るように取り巻いていたこともあるだろう。
玻璃のような薄青い瞳には薄っすらとした倦怠感が滲んでいる。
肌もまた死人のように血色が悪かった。
ダールの寝所である奥の院を通り抜け、壮麗な城内をいくつか経ると、次第に内装がいくらか地味なものになってゆく。
――ようやく着いた目的地の前で立ち止まると、彼は懐から鍵を取り出した。
純金のノッカーの付いた紫檀の扉を開錠し、音もなく開いた扉の向こう側へ足を踏み入れる。室内は暗い。
クェントは魔法点火式のランプへ手をかざし、明かりを灯した。
柔らかな橙色の光が広がる。しかし照らし出された室内は、寒々しいまでに整然としていた。
調度の類はほとんどない。
壁際にずらりと並んだ本棚、それに机が空間の大部分を占め、残りは簡素な寝具と衣装箪笥が置かれている程度。
部屋の主の性格を反映してか、実用第一の造りである。例えば住む者の心を和ませるような、余分なものは見当たらなかった。
部屋に入るとまず大きく伸びをして凝り固まった肩をほぐす。
次いで、部屋の中央に鎮座している執務机に歩み寄って行った。机の上には文書や書簡が山積みになっている。
整頓はされているが、いかんせん量が多すぎた。クェントは深いため息を漏らすと、その書類の束に目を通し始めた。
クェントは魔国の宰相として、日夜様々な業務に携わっている。
国全体の運営、各地を治める氏族たちとの折衝、軍備の管理・運用、交渉、人事管理等々。
ざっくりと言えば、国を動かす事業にまつわる事務作業の総元締めだ。
そのため一日の大半は執務室に籠りきりで、食事や入浴などの僅かな時間を除けばずっと働き詰めだった。
ダールが決して無能ではないことは、彼女と肩を並べて戦った時分に嫌というほど思い知っている。
だが、いくら優れたな指導者であっても、一人で何でも出来る筈が無い。
ダールがこの国をより良い形で治めていくためには、自分のような補佐役が必要なのだ。
クェントは自負と責任を感じながら、黙々と作業を続けて――ふと手を止めた。
気付けば窓の外はうっすらと明るくなり始めている。
クェントは軽く首を左右に振って、椅子の背もたれに体重を預けた。ぎし、という小さな軋みが静かな部屋に響いた。
思い浮かぶのは宵の口に触れあっていた彼女の身体のことばかりだ。あの時のダールの表情を思い出すたびに、クェントの心臓は激しく脈打った。
その鼓動を抑えるように、クェントは胸に手を当てて瞼を閉じる。
「……ダール様」
無意識のうちに、唇から声が漏れる。
(あの方は、本当にお優しい。私のような者にも心を割いてくださるのだから)
胸中に呟く声ですら沈んでいるように思える。それは彼自身が思い悩んでいるためなのだろう。
(しかし、他の男の有無を問うとは我ながら出過ぎた真似をしたものだ。それならそれで結構なことじゃないか。なあ? 海魔のクェントよ)
クェントは自嘲気味に笑うと、先程ダールと交わした会話を思い返した。……本来であれば、疑念を抱くことすら許されざる行為である。
彼女がそのように器用な立ち回りができる者でないのは誰よりも理解しているつもりだった。
にもかかわらず、一度湧いた疑惑を振り払うことが出来なかったのは、ひとえにクェントという一匹の雄がダールという一匹の雌に執心してしまっている為だ。
ダールと出会ったのは、彼女が魔王の座に就く以前、数十年前のことだ。即位してからは15年。……そして、肌を重ねるようになってそろそろ1年が経つ。
魔族の永い生にあっては、さしたる長さでもない。けれども瞬きほどの時しか過ぎていないその時間を、共に過ごせただけでも奇跡に等しいのは承知している。
ましてや男として愛されているなどと、クェントは微塵も思っていない。……だからこそ、彼女の口から他の男との交わりについて聞くことに耐えられなかったのだ。
クェントは改めて自分がダールに抱いている感情を自覚すると、再び深いため息をついた。
「……貴方の為なら性玩具の真似事くらいいくらでもして差し上げますよ、ダール様」
クェントはその言葉と共にがっくりと肩を落とす。だが、そんな言葉とは裏腹に、彼はダールと自分の間にある隔たりのことを思った。
それは彼が仕えているダールに対しての気持ちとは全く別のものである。
(私は――)
その先に続ける言葉を見失って、クェントはゆっくりとまぶたを開く。天井を見上げた、その瞳は虚ろだ。
「私の願いは、ただ一つだけですよ」
掠れた声で独り言つと、彼は再び手元にある紙束に視線を落とした。
けれどもクェントという一介の魔族がはたして当人が思うほど堪え性のある男であったかどうか。
この話のもっぱらは、その顛末について記したものである。
////////////////////////
魔族の寿命は大体800~900歳前後。種族によってはもっと長命なこともあるが、戦好きの彼らは早々に討ち死にすることも多い。
年齢感覚でいうと、人間の大体十倍ほどで精神年齢が釣り合う感じ。
ダールもクェントもアラウンド300歳です。
昼間であれば開け放たれた窓から差し込む陽光が大理石の壁や柱に反射してきらめき、荘厳な印象を与えるであろうその光景も、今はただ静謐な夜の雰囲気を醸し出すのみだ。
長い直線の渡り廊下を歩む人影が一つ。
ばら色と深緑でモザイクを描く床を踏みしめ、こつこつと靴音が響かせている。
足音の主は一人の男であった。
長身痩躯。青白い肌に青黒い髪。勤めの間はかき上げて額を見せ、きちんと編み込まれている髪の毛も今は下ろされている。
その容姿は端正で、美しいという言葉が相応しいものだったが、同時にひどく生気の無い印象もあった。
一つには、ひどい隈が彼の両目を縁取るように取り巻いていたこともあるだろう。
玻璃のような薄青い瞳には薄っすらとした倦怠感が滲んでいる。
肌もまた死人のように血色が悪かった。
ダールの寝所である奥の院を通り抜け、壮麗な城内をいくつか経ると、次第に内装がいくらか地味なものになってゆく。
――ようやく着いた目的地の前で立ち止まると、彼は懐から鍵を取り出した。
純金のノッカーの付いた紫檀の扉を開錠し、音もなく開いた扉の向こう側へ足を踏み入れる。室内は暗い。
クェントは魔法点火式のランプへ手をかざし、明かりを灯した。
柔らかな橙色の光が広がる。しかし照らし出された室内は、寒々しいまでに整然としていた。
調度の類はほとんどない。
壁際にずらりと並んだ本棚、それに机が空間の大部分を占め、残りは簡素な寝具と衣装箪笥が置かれている程度。
部屋の主の性格を反映してか、実用第一の造りである。例えば住む者の心を和ませるような、余分なものは見当たらなかった。
部屋に入るとまず大きく伸びをして凝り固まった肩をほぐす。
次いで、部屋の中央に鎮座している執務机に歩み寄って行った。机の上には文書や書簡が山積みになっている。
整頓はされているが、いかんせん量が多すぎた。クェントは深いため息を漏らすと、その書類の束に目を通し始めた。
クェントは魔国の宰相として、日夜様々な業務に携わっている。
国全体の運営、各地を治める氏族たちとの折衝、軍備の管理・運用、交渉、人事管理等々。
ざっくりと言えば、国を動かす事業にまつわる事務作業の総元締めだ。
そのため一日の大半は執務室に籠りきりで、食事や入浴などの僅かな時間を除けばずっと働き詰めだった。
ダールが決して無能ではないことは、彼女と肩を並べて戦った時分に嫌というほど思い知っている。
だが、いくら優れたな指導者であっても、一人で何でも出来る筈が無い。
ダールがこの国をより良い形で治めていくためには、自分のような補佐役が必要なのだ。
クェントは自負と責任を感じながら、黙々と作業を続けて――ふと手を止めた。
気付けば窓の外はうっすらと明るくなり始めている。
クェントは軽く首を左右に振って、椅子の背もたれに体重を預けた。ぎし、という小さな軋みが静かな部屋に響いた。
思い浮かぶのは宵の口に触れあっていた彼女の身体のことばかりだ。あの時のダールの表情を思い出すたびに、クェントの心臓は激しく脈打った。
その鼓動を抑えるように、クェントは胸に手を当てて瞼を閉じる。
「……ダール様」
無意識のうちに、唇から声が漏れる。
(あの方は、本当にお優しい。私のような者にも心を割いてくださるのだから)
胸中に呟く声ですら沈んでいるように思える。それは彼自身が思い悩んでいるためなのだろう。
(しかし、他の男の有無を問うとは我ながら出過ぎた真似をしたものだ。それならそれで結構なことじゃないか。なあ? 海魔のクェントよ)
クェントは自嘲気味に笑うと、先程ダールと交わした会話を思い返した。……本来であれば、疑念を抱くことすら許されざる行為である。
彼女がそのように器用な立ち回りができる者でないのは誰よりも理解しているつもりだった。
にもかかわらず、一度湧いた疑惑を振り払うことが出来なかったのは、ひとえにクェントという一匹の雄がダールという一匹の雌に執心してしまっている為だ。
ダールと出会ったのは、彼女が魔王の座に就く以前、数十年前のことだ。即位してからは15年。……そして、肌を重ねるようになってそろそろ1年が経つ。
魔族の永い生にあっては、さしたる長さでもない。けれども瞬きほどの時しか過ぎていないその時間を、共に過ごせただけでも奇跡に等しいのは承知している。
ましてや男として愛されているなどと、クェントは微塵も思っていない。……だからこそ、彼女の口から他の男との交わりについて聞くことに耐えられなかったのだ。
クェントは改めて自分がダールに抱いている感情を自覚すると、再び深いため息をついた。
「……貴方の為なら性玩具の真似事くらいいくらでもして差し上げますよ、ダール様」
クェントはその言葉と共にがっくりと肩を落とす。だが、そんな言葉とは裏腹に、彼はダールと自分の間にある隔たりのことを思った。
それは彼が仕えているダールに対しての気持ちとは全く別のものである。
(私は――)
その先に続ける言葉を見失って、クェントはゆっくりとまぶたを開く。天井を見上げた、その瞳は虚ろだ。
「私の願いは、ただ一つだけですよ」
掠れた声で独り言つと、彼は再び手元にある紙束に視線を落とした。
けれどもクェントという一介の魔族がはたして当人が思うほど堪え性のある男であったかどうか。
この話のもっぱらは、その顛末について記したものである。
////////////////////////
魔族の寿命は大体800~900歳前後。種族によってはもっと長命なこともあるが、戦好きの彼らは早々に討ち死にすることも多い。
年齢感覚でいうと、人間の大体十倍ほどで精神年齢が釣り合う感じ。
ダールもクェントもアラウンド300歳です。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら
夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。
それは極度の面食いということ。
そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
腹黒王子は、食べ頃を待っている
月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
皇帝陛下は皇妃を可愛がる~俺の可愛いお嫁さん、今日もいっぱい乱れてね?~
一ノ瀬 彩音
恋愛
ある国の皇帝である主人公は、とある理由から妻となったヒロインに毎日のように夜伽を命じる。
だが、彼女は恥ずかしいのか、いつも顔を真っ赤にして拒むのだ。
そんなある日、彼女はついに自分から求めるようになるのだが……。
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる