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第一章 魔王城の秘密の関係

3.後朝の徹夜仕事

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 白亜の城内が淡い月明かりに照らし出されている。
 昼間であれば開け放たれた窓から差し込む陽光が大理石の壁や柱に反射してきらめき、荘厳な印象を与えるであろうその光景も、今はただ静謐な夜の雰囲気を醸し出すのみだ。

 長い直線の渡り廊下を歩む人影が一つ。
 ばら色と深緑でモザイクを描く床を踏みしめ、こつこつと靴音が響かせている。

 足音の主は一人の男であった。

 長身痩躯。青白い肌に青黒い髪。勤めの間はかき上げて額を見せ、きちんと編み込まれている髪の毛も今は下ろされている。
 その容姿は端正で、美しいという言葉が相応しいものだったが、同時にひどく生気の無い印象もあった。
 一つには、ひどい隈が彼の両目を縁取るように取り巻いていたこともあるだろう。
 玻璃のような薄青い瞳には薄っすらとした倦怠感が滲んでいる。
 肌もまた死人のように血色が悪かった。

 ダールの寝所である奥の院を通り抜け、壮麗な城内をいくつか経ると、次第に内装がいくらか地味なものになってゆく。

 ――ようやく着いた目的地の前で立ち止まると、彼は懐から鍵を取り出した。
 純金のノッカーの付いた紫檀の扉を開錠し、音もなく開いた扉の向こう側へ足を踏み入れる。室内は暗い。

 クェントは魔法点火式のランプへ手をかざし、明かりを灯した。
 柔らかな橙色の光が広がる。しかし照らし出された室内は、寒々しいまでに整然としていた。

 調度の類はほとんどない。
 壁際にずらりと並んだ本棚、それに机が空間の大部分を占め、残りは簡素な寝具と衣装箪笥が置かれている程度。
 部屋の主の性格を反映してか、実用第一の造りである。例えば住む者の心を和ませるような、余分なものは見当たらなかった。

 部屋に入るとまず大きく伸びをして凝り固まった肩をほぐす。
 次いで、部屋の中央に鎮座している執務机に歩み寄って行った。机の上には文書や書簡が山積みになっている。
 整頓はされているが、いかんせん量が多すぎた。クェントは深いため息を漏らすと、その書類の束に目を通し始めた。

 クェントは魔国の宰相として、日夜様々な業務に携わっている。
 国全体の運営、各地を治める氏族たちとの折衝、軍備の管理・運用、交渉、人事管理等々。
 ざっくりと言えば、国を動かす事業にまつわる事務作業の総元締めだ。
 そのため一日の大半は執務室に籠りきりで、食事や入浴などの僅かな時間を除けばずっと働き詰めだった。

 ダールが決して無能ではないことは、彼女と肩を並べて戦った時分に嫌というほど思い知っている。
 だが、いくら優れたな指導者であっても、一人で何でも出来る筈が無い。
 ダールがこの国をより良い形で治めていくためには、自分のような補佐役が必要なのだ。

 クェントは自負と責任を感じながら、黙々と作業を続けて――ふと手を止めた。
 気付けば窓の外はうっすらと明るくなり始めている。
 クェントは軽く首を左右に振って、椅子の背もたれに体重を預けた。ぎし、という小さな軋みが静かな部屋に響いた。

 思い浮かぶのは宵の口に触れあっていた彼女の身体のことばかりだ。あの時のダールの表情を思い出すたびに、クェントの心臓は激しく脈打った。
 その鼓動を抑えるように、クェントは胸に手を当てて瞼を閉じる。

「……ダール様」

 無意識のうちに、唇から声が漏れる。

(あの方は、本当にお優しい。私のような者にも心を割いてくださるのだから)

 胸中に呟く声ですら沈んでいるように思える。それは彼自身が思い悩んでいるためなのだろう。

(しかし、他の男の有無を問うとは我ながら出過ぎた真似をしたものだ。それならそれで結構なことじゃないか。なあ? 海魔のクェントよ)

 クェントは自嘲気味に笑うと、先程ダールと交わした会話を思い返した。……本来であれば、疑念を抱くことすら許されざる行為である。
 彼女がそのように器用な立ち回りができる者でないのは誰よりも理解しているつもりだった。
 にもかかわらず、一度湧いた疑惑を振り払うことが出来なかったのは、ひとえにクェントという一匹の雄がダールという一匹の雌に執心してしまっている為だ。

 ダールと出会ったのは、彼女が魔王の座に就く以前、数十年前のことだ。即位してからは15年。……そして、肌を重ねるようになってそろそろ1年が経つ。

 魔族の永い生にあっては、さしたる長さでもない。けれども瞬きほどの時しか過ぎていないその時間を、共に過ごせただけでも奇跡に等しいのは承知している。
 ましてや男として愛されているなどと、クェントは微塵も思っていない。……だからこそ、彼女の口から他の男との交わりについて聞くことに耐えられなかったのだ。

 クェントは改めて自分がダールに抱いている感情を自覚すると、再び深いため息をついた。

「……貴方の為なら性玩具の真似事くらいいくらでもして差し上げますよ、ダール様」

 クェントはその言葉と共にがっくりと肩を落とす。だが、そんな言葉とは裏腹に、彼はダールと自分の間にある隔たりのことを思った。
 それは彼が仕えているダールに対しての気持ちとは全く別のものである。

(私は――)

 その先に続ける言葉を見失って、クェントはゆっくりとまぶたを開く。天井を見上げた、その瞳は虚ろだ。

「私の願いは、ただ一つだけですよ」

 掠れた声で独り言つと、彼は再び手元にある紙束に視線を落とした。

 けれどもクェントという一介の魔族がはたして当人が思うほど堪え性のある男であったかどうか。
 この話のもっぱらは、その顛末について記したものである。


////////////////////////
魔族の寿命は大体800~900歳前後。種族によってはもっと長命なこともあるが、戦好きの彼らは早々に討ち死にすることも多い。

年齢感覚でいうと、人間の大体十倍ほどで精神年齢が釣り合う感じ。
ダールもクェントもアラウンド300歳です。
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