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83 身から出た監禁
しおりを挟む事の始まりから、今もなお続く我が家と王家との隔たりを聞き終えたものの、思わず頭を抱えて蹲りたい衝動に駆られる………。
王妃殿下も両親も、私の動向を固唾を飲んで見守っているのは判るのだけれど、自分の中で気持ちと情報処理が追いつかない。
……先ず一番気になっていることを聞いてみるかと顔を上げれば、真剣な眼差しの王妃殿下の目元が緩んだ。
「あの……一応確認なんですが、今まで“身代わり”だとお聞きしていた殿下の初恋相手は、私……という事でお間違いないですか…?」
「………はっ⁈………えっ、あの…今までの話を全部聞いていて、むしろ別人の可能性があると思うの⁈」
………ですよね?
やっぱり私で間違いないのかぁ…そう思うと安堵のような、空恐ろしいような不思議な感覚が胸に広がる。
ウーンと唸っている私にチラリと視線を合わせ、王妃殿下は恨めしそうに溜息を吐いた。
「……ティーセル男爵に貴女を連れ去られてからの一週間は正直、地獄の様だったわ。ディミトリが精神的に不安定になって睡眠も食事も受け付けずにやせ細っていってね、そのせいで発動したばかりの“精神領域干渉能力”が制御できず、周りにまで影響を及ぼし始めたから、最終的に記憶を封じ込めてルイ―セとの出会いを全て忘れさせたのよ。貴女も一度あの子が精神不安に陥ったのを見たと思うけれど、幼かった分、苛烈度合いは凄まじかったわぁ………」
今もその時の光景がありありと浮かぶのか、若干遠い目をしている。
勿論、そんな話を聞かされた両親も……そして私も同じ表情をしているのだろう。
………ディミトリ殿下の愛情が激重感情過ぎて受け止め切れない……
恐らく、王立学術院で初めての夏季休暇で“婚約者と会えないのが辛い‼”と、勝手に殿下が焦燥していた時の事を差しているのだと理解はできるけれど、それ以上に苛烈な状況となると、想像するのさえ恐ろしい……。
幼いが故に直ぐに感情と直結し、“精神領域干渉能力”が全く制御できなくなったのだとすれば、王家の一族以外は誰も傍に寄りつくことが出来ない事になる。
医師の看護も身の回りの世話さえも受け付けずに衰弱していく五歳児に、力を行使して記憶を封じたことは最早英断と言えるだろう。
「私の左胸の青痣……これがディミトリ殿下の刻んだ妃華であることは確実なのでしょうか?」
「ええ、そうね。誘拐の惨状に触発され、ディミトリが“精神領域干渉能力”を発現したのも事実だし、同時にルイ―セに“妃華”――伴侶の証を刻んだことも事実よ。まあ、当時五歳のディミトリが、本当に能力の真価を理解して、それを遂行したのかは判らないけれど」
「この青痣……“妃華”は見た目が変化することがありました。此処から魅了の力が勝手に発動しているというのも、事実ですか?」
「……ええ。“妃華”は伴侶からの想いが強い分だけ、より鮮やかに姿を変えるの。金色に変化するのは互いの能力が発動している時のみだけれど。それも全て、伴侶を国王の隣に並び立つ正妃に据えるために必要な力だからなの。魅了で有力な貴族からの絶大な支持を得るのは、その身を暗殺から守る為……と言えば判るかしら?……そのせいで、望まぬ求愛を受けてしまう事も多々あるけれど…」
国で高い権力を持つ貴族ほど、自家繁栄の為に己の娘を正妃に据えたいと望む。
その時邪魔になるのは国王自身が選んだ令嬢であり、命を奪ってでも排除しようとすることは世の常であろう。
“妃華”に魅了された者は、敵愾心を抱き続けることが難しくなり、次第に敬慕、そして情愛へと気持ちを変えていく。
敬愛する女性が正妃の座に就くため尽力する……それこそが伴侶の身を守る為に与えられた“妃華”の真価でもあった。
……そして、その能力は同時に“妃華”を持つが故に愛される――即ち、他者からの好意が本物か紛い物かを見抜くことが出来ないという“愛の呪い”でもある。
“妃華”を身に刻む女性は、伴侶からは受け止め切れぬ愛で縛り付けられ、他者からは溺れるほどの情愛を向けられる分、孤独を深めるという呪縛でもあった。
まだ善悪の判断すら覚束ない幼子が、誘拐という非日常の中で心を搔き乱され、傍に居た私の手を取り勢い込んで能力を発動してしまったとしたら………。
―――それが過ちであったと気づいた時にはやり直す術などどこにも無い。
そして、ルイ―セの身には永遠の孤独と共に“妃華”が呪縛となり残るのだ。
この世界が“金色のSALUS”というゲームの舞台だとマリアーナから話を聞いたことがあるけれど、彼女曰く攻略対象者であるディミトリ・アーデルハイド第一王子には聖女のヒロインと祝福されるべきシナリオ――未来が存在していた。
王宮舞踏会で初めての出会いをする二人が、王立学術院で再び邂逅するドラマチックな筋書きもあったわけだ。
そのルートだとエレノア・ルマール侯爵令嬢が悪役としてヒロインの前に立ちはだかり、紆余曲折する訳だが、恐らくヒロインと結ばれない場合は、殿下がエレノアと結ばれていたという事だろう。
ゲームが始まる前に“妃華”の能力を意図せず手にしてしまった私が、エレノアを殿下の婚約者に据える未来を潰し、その上社交デビュタントしたての彼女と踊り歓心まで買ってしまった。
……ここまで来ればまるで喜劇のようだとさえ思うが、恐らく“妃華”の魅了に中てられたせいでエレノアから妄執とも呼べる執着を受けたことは想像に難くない。
どう考えても“妃華”のせいで、私がゲーム世界を搔き乱すバグに成り下がった事は確定したけれど、そうなると今後も同じことがいくらでも起こり得るという事では無いか。
―――最早溜息しか出ない………。
ふと、消える直前に使い魔のエリクが言っていたことが思い起こされる。
『世界の管理者に君がバグだと認識され、乖離を元に戻すため君の存在をこの世から抹消しようとする“物語の強制力”が働く危険性がある』と……。
あの直後に起きたエビリズ国関連の縁談話や外交が、世界の管理者によって引き起こされたバグを排除する為の強制力だとすれば、ルイ―セが王立学術院に居る限り、何度でも繰り返される可能性が高い。
………それがじわりじわりとディミトリ殿下の心を侵食し心を疲弊させ続けるのだとしても。
考えろ 考えろ 考えろ
どうすれば物語の強制力から逃れることが出来る?
『ゲームが終了する王立学術院の卒業式典までがタイムリミットだ。そこさえ過ぎてしまえばシナリオの影響は無くなり、恐らく強制力も働かなくなる』
――たしか、エリクはそう言っていた。
ゲームの舞台“王立学術院”にシナリオを搔き乱すバグが存在しているから、それを排除すべく物語の強制力が働くのだとすれば、いっそのこと、バグが舞台から降板してしまえば解決するのではないだろうか?
解決はしないまでも、タイムリミットさえ超えることが出来れば、強制力は消え去り私はバグと認識されなくなる………。
自分一人では到底解決できそうにない問題と、だからこそ誰にも打ち明けられない悩みに悶々とするあまり、自分でも気づかぬうちに顔色を真っ青に変えていたらしい。
不意に体を抱きすくめられると、甘くやわらかな香りが鼻孔を擽った。
「何でルイ―セばかりがこんな目に……。大怪我をして辛いというのに、こんな話で混乱させて……不甲斐ない母様でごめんなさい……」
「お前が不幸になる婚姻なら断ろう。卒業後も、暫くは家族水入らずで暮らしてから、ゆっくりと将来を決めればいい。………もう離れ離れでいる必要は無いのだから……」
口々に慰めの言葉を呟き、私を守るように抱きしめてくれる両親の声は苦渋に満ちている。
その声に、両親も深い葛藤を抱いたまま長い年月を過ごしていた事を知ると、これ以上苦しむぐらいならティーセル領へ引き籠ってしまいたい衝動に駆られるぐらいに私は疲れていた。
「……一度に全てを知ったルイ―セが混乱する気持ちも分かるわ。それに今は大怪我を負った身ですもの……気持ちに整理がつかなくて当然よ。時間を掛けて飲み込んでいくしか、今の貴女に出来ることは無いの。だから無理やりルイ―セを邸宅に連れ帰るような真似は止めて頂戴ね」
王妃殿下から掛けられた言葉は、この場にそぐわない程に明るく、そして反論は許さないと言わんばかりの圧に満ちている。
口を開く暇さえ与えず「今回の事件の後始末が終わり、ルイ―セの怪我が完治するまでの間は王宮内で療養する事。理事としてこれに反論は認めないわ」とまで言われてしまえば、流石の両親も黙ることしか出来ない。
王立学術院に復学し、物語の強制力がどれだけの脅威となるのかを見定める前に英気を養わないと……。
私は来るべき時に備え、謹んでこの休学を受け入れた―――はずだったのだが。
(おかしい……どうしてこうなったのかしら………?)
思えば、若葉萌えいずる春の日にあの忌まわしい事件が起こった。
しかし、窓の外には強い日差しが照り付け、気が付けば初夏の訪れを感じる今日この頃……。
貴族達の社交シーズンも終わりを迎え、避暑の為にカントリーハウスへ一大移住が始まる季節。
(………おかしい……何で……?)
あまりの苛立ちに、手元にあったクッションを手あたり次第に放り投げてみたものの、当然それぐらいでは何の気晴らしにもならない。
「……何で……何でこんなに長い事休学させられなくちゃならないのぉ~~~⁈」
―――ブルーノの魔の手から逃れた日から早三か月が経った今も、私は何故か王宮内で療養という名の軟禁を受けていた………。
事の発端は、両親が邸宅へ帰ってから一週間後のお茶の時間に“そろそろ怪我の状態も良さそうね”…と、考えなしに私が口を開いたことから始まった。
「この一か月間、王宮で療養させていただいたご恩情に感謝申し上げます。おかげ様で怪我もほぼ完治した頃合いですし、そろそろ王立学術院への復学許可をお願いします」
その頃には、目に見える傷は殆ど無く、肋骨の痛みも感じられないまでには回復していた。
だから、当然のように復学許可が貰えるだろうと確信した私は、意気揚々と目の前でお茶を楽しむ王妃殿下に復学許可を申し出た訳だ。
現状、休学扱いで授業を免除して貰っているとはいえ、これ以上の遅れは卒業にも差し障る。
理由が無ければ帰宅が許されないはずの学術院から毎週末帰宮しては、何故か満面の笑みを浮かべて顔を見せてくれるディミトリ殿下が勉強を見てくれているとはいっても、これ以上休学が長引くのはどう考えても迷惑極まりないだろう。
とっとと日常生活に戻って、その上で王立学術院から逃げ出すのか否かを見極めたいと願った言葉は、予期せぬ方向から拒絶されることとなった。
「………駄目だ。ルウの復学は認められない」
王妃殿下より早く拒絶の言葉を口にしたのは、今日も今日とて部屋へ顔を出し私の真横にベッタリと寄り添うディミトリ殿下だった。
「怪我というのは見た目だけでは判らない。素人判断で後遺症を残すことが問題だと理解すべきだ」
「本人が外傷も身体の不調も無いと言っているのに? 王宮医師には聖女様から聖魔力の癒しを受けた私の体はかなり治癒力が高まり、内部の損傷は問題無いと聞いています。それの何処に問題が? 今日にも復学できそうなぐらい元気ですが」
「……それを素人判断と言うのだよ。王宮医師からは完治の話を聞いていない以上、復学させるつもりは無い」
「でも……」
「これ以上の議論の余地はない。ほら、ルウも早くお茶を飲んでしまわないと勉強の時間が足りなくなるだろう?」
………そこからは話し合いにもならず、どれだけ宥めすかしても頑として首を振られ続けた。
……解せぬ……。
頼みの綱の王妃殿下にチラリと助けを求めてみても「あー……まあ、王宮医師に判断を委ねましょうか」と苦笑いするのみ。
挙句の果て、それまで経過は良好だと笑みを見せていた王宮医師たちからまで「完治に至っていないお体で出歩くことは危険です」と、目を逸らされたのだから納得いかないにも程がある。
何で?ほぼ治癒したと言っていたはずでは…⁈と、焦りのあまり医師達に詰め寄ったのが気に入らなかったのか、殿下は胡散臭いキラキラした微笑みを浮かべると「無理をしては体に障るだろう。医師もこう言っているのだから、指示に従い大人しく療養しなさい」と、何故か部屋前に立つ警備兵まで増やされることになった。
「えっ⁈ ………何で警備まで増やすの……?」
「ルウが部屋で大人しくしていれば良いが、万が一王宮内をうろついて廊下で倒れたりしたら大変だからな。予防措置を取っただけで、何の問題も無いはずだが?」
「わ、私如きにそこまで厳重な警備は必要ないと思うのっ‼ ……そんな監視みたいな…」
「監視?……ルウは大げさだな。これはあくまでも予防措置だと言っただろう? ルウが脱走を目論まずに大人しく療養していれば、何も気にすることは無いだろう」
………やっぱり監禁目的じゃないか………。
警備を増やして、漸く安心したのかディミトリ殿下は王立学術院へと帰って行ったけれど、それ以来、私には常に二人の監視が付いて王宮内ですら満足に移動が許されなくなった。
…こうして、気が付けば私は王宮に監禁されたまま、長い療養期間を過ごす事となったのだった。
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