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81 私の知らなかった事 其の二
しおりを挟むディートハルトに連れて帰られた二人は、待機していた王宮医師の精密検査を受けたが、疲労困憊で眠り続けるルイ―セとは対照的に、ディミトリに目立った怪我が無い事で、漸く張りつめていた空気も和らぎを見せた。
現場で取り押さえられた誘拐犯の男らは最早、己が誰であるのかさえも語ることが出来る状態ではなく、いつ正気に戻るのか――或いは永遠に戻らないのかさえも現状では判らないままだ。
その上、ディミトリの誘拐を依頼したイレーネ・サフィークとその父親サフィーク伯爵は身柄を拘束したものの、警備の隙を突いて服毒自殺を図るという最悪の結末を迎えてしまう。
どうやら、伯爵がコッソリ持ち込んでいた劇薬だったらしく、その場には毒の入っていたと思しき小瓶だけがポツンと転がっていた。
さらに、サフィーク伯爵は身柄を取り押さえられる前に、人身売買や黒い噂に関する書類を全て破棄していたらしく、その屋敷には証拠と呼べる物は何一つ残されていなかった。
被疑者死亡により、これ以上の調査は断念せざるを得なくなったため、スッキリとはしないものの誘拐事件はこれで幕引き―――となるはずだったのだが……。
王家の秘匿能力“精神領域干渉能力”がディミトリに発現した事は報告を受けていたものの、同時に誘拐されていた少女の身にも、異変が生じていた事を知り、アーデルハイド両陛下は激しい衝撃を受ける事となった。
「……眠るルイ―セの左胸に、燦然と輝く碧薔薇の“妃華”を見つけた時は、その場に崩れ落ちるかと思ったわよ……」
【妃華】――別名を“共鳴紋”と呼ぶその紋章は、アーデルハイド王家の秘匿能力と密接な関りを持つ。
それは正当な王位継承者のみが持つ“精神領域干渉能力”を発現したと同時に、己の伴侶であると周りに知らしめ、その身を守る為に能力を分け与える――云わばマーキング行為に等しい。
自分の所有印を刻むことで、“精神領域干渉能力”の一端を分け与えることが出来るため、“妃華”を持つ女性には “精神領域干渉能力”が効かなくなる。
更には王位継承者の想いが強ければ強い程、“妃華”の効果で他者から無条件で愛されるという “魅了”の力を常時発動するような代物なのだ。
王位継承者から深い寵愛を受ける女性を正妃に据えるためには、身分だけではなく他者からの信望やカリスマ性が必要となる。
その時、“妃華”の魅了は最大限に力を発揮し、伴侶と決めた女性が他者から絶大な支持を受ける事に一役買う事となるわけだ。
今迄の王位継承者たちは、順当に第二次性徴期とも呼ばれる頃に能力を発現させることが常であったため、その後に開催される舞踏会で伴侶となる女性と出会う事が多く、殆どの場合において揉めることなく婚姻の運びとなっていた。
いくら緊急事態に触発されたとはいえ、齢五歳のディミトリが秘匿能力を発現させる事も、傍に居た少女を見初めて、その場で“妃華”を与える事も国王両陛下にとっては正に寝耳に水の入るごとしだったのだ。
一度与えた“妃華”は消すことは勿論、能力の繋がりを断つことは一生出来ない。
王家の秘匿能力をその身に受けた少女は、既にディミトリとの共鳴を果たしており、彼女に心身の危機が訪れた時に伴侶と通じ合う“共鳴紋”も今回の事件で同時に発動したことが確認された。
何れ、能力発現の兆しが見え始めた頃に、王家の秘匿能力について話をするつもりではいたが、まさかここまで性急に事が運んでしまうとは予想すら出来なかったのだから致し方ない。
そもそも、アーデルハイド王国の第一王子として誕生したディミトリは、元から人への関心が薄い子供であった。
聡明で眉目秀麗であったため、それを誉めそやし、媚を売る貴族が後を絶たなかったが、それに対して、眉ひとつ動かすことのない可愛げのない子供だったため、将来の伴侶探しも政略結婚を無表情で受け入れるのではないかと危惧していたぐらいだったが……。
――まさか、一目惚れした少女に執着するあまり能力を発現させ、その上“妃華”で囲い込もうとするとは、我が息子ながら信じられない行動力ではないか……。
誘拐事件の翌日、緊急処置室で目覚めたディミトリは、覚醒した瞬間キョロキョロと辺りを見回し「……ルウは?……僕のルウはどこ……?」とベッドから這い出ようとしたところを王宮医師に止められたらしい。
何とか隣のベッドに移動することで納得させると、少女を愛おし気に見つめた彼は、起き上がれるようになってからも、その傍から片時も離れようとはしなくなった。
昼夜を問わず少女の手を握りしめ、視界から外れるだけで精神不安を起こす執着ぶりに、微笑ましさは微塵もなく、周囲の大人たちも段々と焦りの色を濃くし始める事となる。
既に王家の秘匿能力が発現したディミトリは、この時点で正当な次代の王位継承者として立太子させる事が決定していた。
立太子の式典では正妃候補も同時に公表されるのが事例ではあったものの、これ程に幼い二人が将来を決定する事など前例はない。
ディミトリの執着ぶりを見るに、心変わりは有り得ないだろうが、如何せん少女の意思確認さえ出来ていない有様だ。
彼女にしてみれば誘拐事件に巻き込まれた上、貰い事故で自分の生涯設計までも勝手に決められてしまったようなもので、もし出方を間違えれば逃げ出される可能性すらある。
――その上、ルイ―セを正妃候補にするには、彼女の祖父ジョセフ・ティーセル男爵と王家との確執が最大の障壁となって立ちはだかっていた。
王妃殿下は此処まで語り終えると、一度大きく息を吐いてからルイ―セに視線を合わせた。
「貴女達の話をする前に聞いておきたいのだけれど、ルイ―セは、ティーセル領が国境に位置していることを知っているかしら。…隣国との国境を管理する為に必要な軍事力をティーセル家が有している事実も。その為に辺境伯を名乗り、私有の国土防衛騎士団を有しているティーセル家の権力は侯爵家に匹敵すると言っても過言では無いわ。……まあ、それも貴方の祖父ジョセフ・ティーセルの一度の過ちで全てを失うところだったのだけれど」
ティーセル領がアーデルハイド王国と隣国リバディー王国の国境に位置することは、当然判っているものの、我が家が辺境伯だの、国土防衛騎士団を有しているだのは初耳すぎて、全く理解が追いつかない。
それに王妃殿下が話題に上らせたジョセフ・ティーセル――ルイ―セの祖父は、一緒に領地で暮らしていた十年もの間、領主代行として領民に慕われる大らかな人柄の好々爺という印象しかないのだ。
ルイーセが十三歳になる頃亡くなった彼は、ティーセル領主代行として領地の経営管理に携わり、休日にも領民と狩猟や酒を酌み交わす気さくで人情に篤い人物であった。
そんな祖父が手酷い失態を犯したという事も納得できないが、そもそも男爵家の我が家が侯爵家に匹敵するほどの権力を持っているというのが解せない。
どうにも納得がいかず、チラリと両親の顔色を窺うと、両親もまた私の顔色を窺うようにチラチラと視線を寄越しては溜息を吐いている……。
(………二人の様子を見るに、王妃殿下の仰られることは真実みたいね……)
しかし、理解したからといって、納得できるのもではない。
「……たとえ過去に辺境伯としての栄華を誇ったのだとしても、今は只の貧乏男爵家でございます。私とディミトリ殿下が身分違いだから婚約が認められないというお話でしたら、態々言葉にされなくても重々承知いたしておりますが」
王妃殿下に向かって不敬だとは思うけれど、そんな事は聞くまでもない。
私の言葉に、王妃殿下は深々と溜息を吐くと「…本当に何も知らないのね…」と両親を軽く睨みつけた。
「過去の栄華ではなく、今現在の話をしているのよ。貴女の知るティーセル領の町は、丸ごと私有騎士団――国土防衛騎士団員としての責を担っているの。普段は農民や商人に擬態しているけれど、他国の軍事侵攻を抑える為に間諜の役割を担う守りの専門家と言えるわね。王宮騎士団が戦いのプロフェッショナルならば、国土防衛騎士団は守りのエキスパートだもの」
…はい………⁈
そうなると、私は騎士団に囲まれて十年もの間生活していたという事だろうか……?
王妃殿下の説明によると、王宮騎士団は国の旗を掲げる戦力の要として存在するのだから、ティーセル騎士団は国土防衛の礎として、守りに特化させる方針を固めたのも祖父だったらしい。
王家に対抗しうる戦力を持つことは、国を二分化させる危険を生む。
それを避け、他国の軍事侵攻を退ける事のみに重きを置く事が我らの存在意義である……これが祖父の口癖だったらしい。
決して驕らず、王家に忠誠を誓う働きぶりは、先代の国王陛下からの覚えもめでたく、ティーセル家は順風満帆であった――はずなのだが……。
「ところが今から二十年ぐらい前、ある国――名前を出すのは憚られるから某国とさせて貰うわね――の王位継承問題に巻き込まれた一人の男性がティーセル領に流れ着いて、亡命を願い出たことがあったの」
本人は権力に些かの興味もなく、穏やかに暮らしていたというのに、権力を欲した一部の貴族に担ぎ上げられたせいで、兄弟の争いは、遂に国が二分化する騒ぎにまで発展してしまった。
このまま祖国に居れば、命の危険があるからと、側近により命からがら逃がされた男性は、ボロボロの衣服を身に纏っただけで、ティーセル領に辿り着いた時には銅貨の一枚さえ持っていなかったそうだ。
「……本来であれば、他国からの亡命者は身分の上下に関わらず、全てを王宮へ報告する義務があるわ。それが国境を守る国土防衛騎士団の務めですからね」
――しかし、この事を王宮に報告すれば、亡命者の男性は王宮に身柄を移され、政治の駒となる道しか残されていない。
他国の王位継承問題に介入したと見なされれば、それを理由に戦争へと繋がりかねない以上、当然の措置であることは疑いようのない事実だ。
それにより、亡命者の男性の命が奪われることになったとしても……。
一晩悩みに悩んだ末、祖父が出した結論は「只の貧しい旅人に、ささやかな食事と宿を提供するだけだ。身分なんか私たちは何も知らないし、聞いていない」という、国にとって誠に如何ともし難いものであった。
「某国の王位継承者?そんな人物がこんな辺鄙な田舎町に来る訳が無かろう。此処にいるのは呑気で貧しい旅人だ。一緒に酒を酌み交わして何が悪い」
そう言って、渋る国土防衛騎士団の面々を説得し、カントリーハウスで継承問題が落ち着くまでの凡そ一年を、共に暮らしていたというのだから豪胆であり、大らかだ。
……まあ、それこそがルイ―セの知る祖父の人物像にしっくりくるけれど。
「結局、王宮に報告が無いまま、亡命者の男性は祖国へ戻ったわ。王家にティーセル家への篤いお礼状と滞在費用として多額の礼金が送られてきたことで事態が発覚したのだけれどね」
そのせいで報告義務を怠っていたことが発覚してしまった祖父は盛大に舌打ちをしていたらしい。
……まあ、気持ちは判るけれど。
王家に対する不遜な態度と、今回の報告義務違反を一部の貴族達が糾弾したことで、祖父は益々不機嫌になったそうだ。
「いくら同情したからといっても明らかな義務違反であり、一歩間違えれば戦争の引き金になった事は事実である以上、見過ごす訳にもいかず王宮議会の場へ召喚したのよ」
王宮議会の中では、王家の覚えが目出度いジョセフを、妬む声も少なからずあった。
だから、ここぞとばかりに糾弾し、罵倒する声が声高になった頃、事実だけを淡々と語り終えた祖父はケロリとした顔をして、首元の騎士団勲章を外して宰相へと手渡したそうだ。
「成程、皆様の仰る通り、私の行いは国に不利益を生じかねないものでした。その咎を受け入れ、貴族の爵位を返上いたします。ああ、国土防衛騎士団の連中には私から引退する旨と、新しい指揮官が来ることを伝えておきますのでご心配なく」
そのまま踵を返して王宮を後にしようとしたというのだから、流石に糾弾していた王宮議会の面々も顔色を変えて必死で引き留めたらしい。
国土防衛騎士団はティーセル家の当主に惚れ込んで入団した人物ばかりが集まっている。
その指揮者であり軍師のジョセフが平民に下れば、恐らく国土防衛騎士団員は挙ってジョセフの元へ集まり、騎士団は崩壊してしまうだろう。
アーデルハイドの国境を守る要が消えることは、国にとって大損害でしかない。
糾弾していたはずの面々が、手のひらを返したように辞任を引き留める姿は、随分と滑稽だった。
もう爵位は返上したのだから、平民には関係ないと駄々を捏ねるジョセフに、無理やり辺境伯の権利と、責任の一端として、降下させた“男爵家”の爵位を持たせたものの、その頃にはすっかりへそを曲げた祖父は「では、私はこの場で引退し息子に爵位を譲ります。二度と王宮の門を潜るつもりはありません」と告げると、サッサとその場を後にして、領地へと引き籠ってしまったそうだ。
これが、ジョセフ・ティーセルがアーデルハイド王家を完全に見切った瞬間だった。
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