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50 夏季休暇の過ごし方

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 親睦目的のお茶会が終了した翌日から、マリアーナとフランツは頻繁に我が家を訪れるようになっていた。
 …まあ、マリアーナは兄の恋人なのだから毎日でも会いたい気持ちは理解できる。
 互いの気持ちが通じ合った二人は離れがたいものだ――と、恋愛小説でも書いてあったから、きっとマリアーナ達もそうなのだろうし。

 いくら恋人同士であっても、貴族の場合は家の繋がりが重視される。
 正式に婚約者として両家から認められない限りは、未婚の男女が密室に籠るのは醜聞にしかならない。

「マリアーナが社交界の醜聞で穢されることが無いように、大切に付き合っていきたいんだ」

 そう宣言すると、ルイスは必ず執事や傍仕えの立会いの下でのみマリアーナと逢瀬を重ねるようになった。
 どう考えてもルイスの本気が過ぎる…。

 私だって、初めての貴族令嬢の友人なんだから、本当はマリアーナと遊びたい。折角の長期休暇なのだから、夜更かしして恋愛小説の感想を言い合ったり、王都の市井へ出て買い物を楽しんだりしたいのだが、それを言い出せる空気ではないようだ。

(うぐぐ…仕方ないわ。今は、恋人同士の二人にとって一番のお熱い時期ですもの。少し経てばマリアーナも私との時間を取ってくれるはずよ‼)

 悶々としつつも、そう自分を納得させてディンブラ茶を淹れる。――勿論二人前だ。

「おー‼今日のお茶もいい香りだな。お前の家に来ると色々な茶葉が味わえるのが楽しみでさぁ」

 …目の前の幼馴染は、あのお茶会以降、ほぼ毎日のように私の処へ遊びに来ているのだ。
 確かに『暇があれば遊びに来い』と誘ったのは私の方だが、ここまで四六時中だとフランツ以外の予定が立てにくいことに辟易する。

 おはようからおやすみまで、私の夏季休暇はフランツ色に染められたまま、終盤を迎えようとしている。
 ――おかげで私が計画していたリリーおススメの恋愛小説読破は半分も進んでいないのだから苛立つ気持ちも判って欲しい。

「フランツも忙しいんじゃないの?いくら今季はカントリーハウスへ向かわないとしても、留守を預かる以上は、代理で書類の決裁や屋敷の采配もあるでしょう?」

 テーブルに紅茶を置きながら、遠回しに “毎日来るな”と嫌味を言ったものの、彼には通じないのか、嬉しそうにお茶を口に運んでいる。

「ルイ―セが俺の体を心配してくれるのは嬉しいが、優秀な家令のおかげで俺も余裕があるんだ。“今年はカントリーハウスへ向かわないから”と両親に手紙を認めたら、『仕事の事は気にしないで良いから、強気で攻めろ』と助言までされたし」

 何故か照れ笑いしながら、フランツが差し出してきたのは小さな青い小箱だった。

「…これは?開けても良いの?」

 私の問いに頷くと、わざわざ真向いの席から、私の横に座りなおしてくる。

「今回、バッヘンベルグ領でだけ販売しているシンプルな宝飾品を両親から贈ってもらったんだ。本当はカントリーハウスへ一緒に行った時に手渡す予定だったんだけれど、今回は、それが叶わなかったからさ」

 その小箱には銀細工の髪飾りが納められていた。
 髪飾り全体にアラベスク文様が彫られた細工物で、中央には小さな“ブラウンキャシテライト”の宝石が嵌っている。

「ルイ―セが宝飾品に興味がない事は知ってる。でもこの髪飾りはお前の為に俺が考案した物だから、何時でも身に着けて欲しいんだ。…出来れば学術院に戻って、ディミトリ殿下のお傍にいる時も…」

 首元で簡素に纏めただけの私の髪からスルリとリボンを引き抜くと、サラサラと流れる髪を掬い上げて、その髪飾りを着けてくれる。
 付け終えて満足そうに頷くフランツの瞳が余りにも優しいから、私も思わず笑顔になってしまった。

「何でそんなに満足そうなのよ。そんな顔をしているって事は、髪飾りが似合っていると自惚れても良いのかしら?」
「ああ。流石は俺の見立てた髪飾りだと、自己満足に浸っていたところだ。この“ブラウンキャティシライト”は俺の瞳と同じ色だから、まるでルイ―セが…」
「…私が…何?」
「…いや、俺も揃いのクラヴァット止めが欲しくなって、同じデザインの物を誂えて貰ったんだ。もう今迄みたいに貴族の令嬢だけが宝飾品を身に着ける時代じゃないからな。男性や庶民であっても気軽に購入できて、見栄えも良い物を作ろうと試行錯誤している処なんだよ」

 フランツの夢は既に、実現できるところまで来ているのだろう。
 バッヘンベルグ子爵家の次期当主となるべく、彼は努力を続け、今では社交界でも一財産を築ける優良な婚約者候補として未婚の令嬢の間で噂の的だとお母様からも聞かされたことがある。

「本当に素敵だわ。毎日使わせて貰うわね…ありがとう」

 彼ならば、現バッヘンベルグ子爵家当主以上の業績を上げ、領地を栄えさせることが出来るだろう。婚姻するお相手如何によっては、家格さえ上がる可能性がある。

(そうなれば、こんな気安く行き来することも無くなるのね…)

 それを感傷と呼ぶのかもしれないが、大人になって行くのが少しだけ寂しい。

「ずっと…大切にするから」

 寂しいなんて告げる事は、大人になる事を否定する事と同意だろう。
 だから、この感情を飲み込んで、私はフランツに微笑みかけたのだった。



 夏季休暇終了を目前にして、私は山のような課題を前に机の前でうんうんと唸っていた。

 あれ…確か夏季休暇が始まった時もこんな感じだった気がする…。デジャブかな?
 それというのも「何故か休暇課題が半分以上残っている…課題が終わる前に休暇が終わるよ?」という状況だったからだ。

 帰る直前のフランツに課題の進捗状況を尋ねると「ああ、休暇課題なら全て片付けた。お前が困っているのなら次回写せるように持ってこようか?」と夢のような一言を告げてくれる慈愛に満ちた幼馴染の一言が…‼

「えっ⁈本当に?是非ともお願い…「ルイ―セ?ズルはいけないよ」

 …しかし、フランツの慈悲に縋ろうとした私を止めたのは兄の厳しい一言だった。

「最近のルイ―セは君と遊び過ぎたせいか、随分と成績が下がってきているんだよね。これ以上妹が馬鹿になるようなら、フランツは我が家に出入り禁止にするよ?」

 そう告げる兄の目は全く笑っていない。
 どうやら本気のようだと悟ったフランツは「あの…ごめんな。お前が一人でできるように祈っているから」と気まずげな顔をして帰って行った。

「もう夏季休暇が終わるまでは、フランツには邪魔をしないようにきつく叱っておいたからね。さっさと課題をやらないと休暇が終わるよ?」

 目の前で“領地経営学”の本を読みふける兄に、思わず「…自分だってマリアーナと毎日逢瀬していただけじゃない…」と小声で反論したのが不味かった。

「夏季休暇課題の事なら、私はとっくに終わらせているよ。勿論、マリアーナが我が家を訪問するたびに、手取り足取り教えたから彼女も終わっているはずだ。ただ怠けていただけのルイ―セとは一緒にされたくないね」

(ず、狡い…客間で一緒に勉強していたのなら、私もその勉強会に混ぜてくれれば良かったのに…)

 剥れながらルイスを睨むと「そんなに恋人同士の逢瀬に混じりたいなんて、ルイ―セは随分と欲求不満みたいだね」と意地悪な顔で微笑むのだから質が悪い。
 これ以上、口論を続けてもどうせ兄が意思を曲げることは無い。
 諦めてひたすらに課題に集中してみるが、自力ではどうしても解くことの出来ない箇所がいくつかある。
 …先ほどの喧嘩の手前、悔しいが兄に教えて貰えないかと恐る恐る課題を差し出した。

「あの…ルイス、どうしても判らない処があるんだけれど…ここを教えて…貰えない?」

 それをチラリと横目で眺めたルイスは「まったく…ルイ―セは困った子だよね」と読み止しの本を閉じてくれた。
 …これなら、教えてくれる流れだと思うだろう?だから、私も期待した訳で…。

「此処が判らなくてね…」
 
 先ほどより、機嫌の直ったらしきルイスに安堵しつつ、課題を差し出した私を見て、ルイスはニッコリと微笑んだ。

「明日、ディミトリ殿下の処へ顔を出しておいで」

 ――何で、課題を教えて貰う話が、王宮へ行くことに繋がるのか判らない私は馬鹿なのだろうか?

「えっ⁈…ディミトリ殿下に用事なんかないし、今は課題が終わらないから、それどころじゃないでしょう⁈夏季休暇が終わってしまうわっ⁈」

 “そんな事より早急に課題を”…と、必死に頁をめくる私の手をやんわり抑えると「もう連絡しておいたからね」と何故か有無を言わせぬ雰囲気で告げてくる兄の意図が読めない。

「ルイ―セ、は殿下からのカントリーハウスへの招待もお断りしておいて、王宮へもこの長期休暇の間、顔を出さない不義理者だと、ディミトリ殿下が随分と不服そうにしていたよ。私は注射剤接種の為に毎日王宮へ向かうのに、君はあれ以来、一度も顔を見せていないそうじゃないか」

 確かに王立学術院に入学以降は、王宮には一度も顔を出していない。
 でも体調不良を理由にして既にカントリーハウスへの誘いを断ったのだから、療養中の身としては行かないことに何の問題も無いはずだ。…別に会いたくないし。

「ディミトリ殿下から『カールの具合はどうなんだ?やはり見舞いに行った方が…』と毎日言われる方の身にもなって欲しいね。まさか“既にピンピンしていて、四六時中、フランツと我が家で逢瀬を楽しんでいます”なんて彼には言えないだろう?」

 ひ、人聞きの悪いことを…‼フランツがほぼ毎日遊びに来ていたのは事実だけれど、恋人関係でも無いのに、逢瀬を楽しんでいたというのは誤解が過ぎるだろう⁈

「…ディミトリ殿下には『カールは休暇課題が終わらず、泣きべそをかいています』と伝えたんだ。そうしたら『ならば、私が課題を教えてやろう。たまにはカールの顔も見たいしな』と、仰られた。ディミトリ殿下は学年主席だし、無下にお断りすることは出来ないだろう?お誘い頂いたんだから、王宮へ行って来なさい」
「ルイス兄様が今教えてくれれば…」
「私は『明日カールを向かわせます』とディミトリ殿下にお話ししたんだ。約束を違えるつもりは無いし、君がしっかり課題を終わらせなかったせいだから行って貰うよ?」

 有無を言わせぬその強い口調に、無言で頷くことしか出来ない。

 結局、私の知らないうちに交わされた約束に従って、明日は王宮へと向かう事になったのだった。
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