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27 シャルル・グロスターの災難

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 意図しない国王陛下との謁見を終え、悪酔いした私はフラフラと帰宅してしまった。
 ――正直、どうやって帰って来たのかも思い出せない…。

(あああ…王妃殿下にさえお目通りしなければ、まだ大丈夫だと思っていたのにーっ‼)

 ディミトリ殿下から側近として働くことを打診された時も“どうせこんな田舎男爵令息には直ぐに飽きるでしょう”と甘く見ていたツケが回ってきた…。

 王太子殿下のみならず、グロスター宰相閣下や、あまつさえ国王陛下にまでお目通りしてしまっては、もう王立学術院にシレッと女生徒として入学するのは無理だろう。
 どう考えても、不味い事態になっていると言わざるを得ないが、それでも王立学術院内は治外法権というか、王家の権力に左右されない場所なのがせめてもの救いだった。
 建前とはいえ、王家が表立って介入できないのだから三年間は誤魔化せると安易に考えていたのだ ――王妃殿下以外には。

 アーデルハイド王妃殿下は【王立学術院】の名誉理事であり、学院の全てを統治する方なのだ。当然、入学式にも参列されるだろう。
 そこに男爵令息として謁見したことのある私が、ルイ―セと名乗り女生徒の制服に身を包んで登場すれば、彼女は必ず諜報部の力で、私の秘密を暴きに来るに決まっている。
 その時、私は王家を謀った罪で投獄されるのか、はたまた国外追放か…それは神のみぞ知る…であろう。

 一縷の望みの入学免除試験にさえ合格できれば、王立学術院には通わずに済む。
 それが一番良い解決方法であることは間違いない。
 しかし如何然、免除試験の難度が途轍もなく高いのだ…。
 普段であれば、使用人に傅かれる立場の貴族である若人をあえて集団生活の中で学ばせ、精神的に向上させることを目的に創立されたというだけあって、かなり高度な学力を要求されるのだから、私程度の学力では合格は望み薄だろう。
 このままでは断罪まっしぐら、お先真っ暗な未来に進む道しか残されていないというのだから泣きたくもなる。

(本当、どうしてこうなったのか…いっそ入学前にアーデルハイド王国を脱出する方法を模索した方が良いかもしれないわ…)

 遠い目をしながらベッドへ入ると、ワインの香りのため息が出た。
 今日はこれ以上、何も考えないようそっと目を閉じたのだった。



 明くる朝、若干の二日酔いに痛む頭を誤魔化しながら、王宮へ到着した私を待っていたのはジアンではなくシャルル様だった。
 しかも非常に不機嫌な様子で腕を組みながらイライラと貧乏ゆすりをしている。

(…誰かを待っているのか?…それにしては随分と機嫌が悪そうな…)

 そこまで考えた時、思わず傍に止まっていた箱馬車の影に隠れてしまった。

『シャルル様、私なら大丈夫だから。グロスター宰相閣下は冷酷なお方には見えないし、私がしっかりと説明責任を果たせば、他国の間諜などという誤解は消えるはずだ。安心して帰りを待っていてくれ』

 昨日、私はディミトリ殿下の執務室でシャルル様にこう告げた。…そのくせ、そのことをすっかり忘れ果てて帰宅してしまったことを、今まさに思い出したからだ。

(不味い不味い…完全に忘れていた。あの様子だと相当怒っているみたいだし、今日のところは体調不良でも理由にして顔を合わせる前に帰った方が安全だわ…)

 数日もすれば、怒りも冷めるだろうと、そろそろと箱馬車の影から移動しようとした瞬間、左腕を掴まれた衝撃は計り知れない。
 ギ…ギ…ギ…とまるで油の切れたゼンマイ仕掛けの人形みたいに振り向く私の目の前に立つのは、引きつった微笑みを浮かべる氷の貴公子様こと、シャルル様であった。

「おはようございますカール。…今、私の顔を見て逃げようとしませんでしたか?」
「シャルル様…おはようございます。逃げたなんて…気のせいですよ…?」

 あまりの恐怖に目が併せられなくて、挙動不審になる私を誰が責められるというのか。

「それならば安心しました。てっきり、昨夜私を待たせておいて、さっさと帰宅した虫けらほどの小さな記憶力を嘆いて、逃げ出そうとしているのかと穿った見方をしてしまいましたよ」
「あ…はは…。昨夜は失礼いたしました。ちょっと気分が優れず、お先に失礼を…」
「ああ、ワインの飲み過ぎで二日酔いですか?顔色も優れませんし、一緒に医務室へ向かいましょうか」
「あの…お気遣いいただかなくても…」
「私たちの仲でしょう?遠慮なさらず、さあ行きましょう」

 笑顔で左腕を掴んで来るシャルルは絶対に逃がさないと言わんばかりの力で、私を引きずるように歩いていく。そんな彼に抵抗できるはずもなく…そのまま医務室ではなく、人気の無い客間へと連れて行かれた。

「…昨日は随分と舐めた真似をしてくれましたね。おかげで夜半過ぎまで貴方が戻るのを待っていた私が滑稽では無いですか」
「本当にごめんなさい。まさか国王陛下の執務室に連れて行かれるとは思わず、動揺していたもので…」
「貴方が国王陛下と謁見して何を話したというのです。まさか本気で他国の間諜などという与太話を、私の父が信じていたわけでも無いでしょう?」
「それについての誤解は解けたと思います。何故か、国王陛下と一緒に貴腐ワインを頂くことになって…グロスター宰相閣下とも少しだけお話しさせて頂いたく事になったんですよね…」

 何故だろうと首を捻る私に、シャルルは顔をしかめて「やっぱり貴方の差し金ですか」と大きなため息を吐いた。

「昨夜、貴方のせいで夜半過ぎに邸宅へ戻る羽目になった私に、いきなり父が書斎へ来るようにと声を掛けてきましてね、ここ何年も殆ど口をきかなかった私は一体何事かと余計な心配をしたのですよ」

 カールが何かをしでかして、父の不興を買ったのかと不安に思って向かった書斎では、真っ赤な顔をして貴腐ワインのボトルを手に持つグロスター宰相閣下の姿があった。

「唖然とする私に向かい『私達には対話が足りないようだ。腹を割って話をするために、今日はとことん飲み明かそう』と言い出しまして、本当に困りましたよ」

 その姿を想像するだけで笑いが込み上げてくる。本当にやったのかと思うだけで面白い。

「親子で話し合う事は大事だからね。仲睦まじくていい事じゃ無いか」

 クスクス笑う私を「白々しい」と睨みつけると、シャルル様は一歩私の傍に足を踏み出し、間近で顔を覗き込んできた。

「あの意固地な父が態度を変えたのも、先ほどのワインの話からも、全てカールの差し金であることは判っているのですよ。いい加減、何が目的なのか白状しなさい」

 どうしても、このグロスター家の親子は私を悪者にしたいらしい。

「差し金なんて人聞きの悪い。国王陛下がグロスター家の親子関係が悪いのは、宰相閣下がシャルルに嫌われるのを恐れて、話しかけられないと言っていたから、対話すれば良いんじゃないかと一言申し上げただけだよ」

 それでもまだ怪訝そうな顔をするシャルルに、経緯を説明すると、今度は不貞腐れたような顔をしている。

「…何故、父は私では無くカールに相談したのでしょう。私の何が足りないというのですか」
「それは違うよ。シャルルに嫌われるのを恐れて対話すら出来ないのを、直接本人に言えるぐらいならこんなに関係は拗れていないだろう?私は他人だからこそ簡単に話すことが出来たんだよ」

 身内の問題は身近な人間にこそ話し辛いものだ。だからこそ、何の柵も無い私に打ち明けることが出来ただけの話だろう。

「宰相閣下はシャルルの事を愛しているよ。ただ、接し方が判らず遠巻きにし過ぎただけだ。だからゆっくりでも良いから、お互いに判り合っていけば良いじゃないか」

 これ以上傷つけ合う必要は無いし、二人に必要なのは対話と触れ合いだけだろう。
 悔しそうに下唇を噛むシャルルに微笑むと、掴まれたままだった左腕を引っ張られた。

「うっ…わっと…」

 グイッと勢いを付けられたせいで転びそうになる私の体を、シャルルは抱き止め、そのまま彼の腕の中に閉じ込められてしまう。
 今迄、彼とは殆ど体格差は無いとばかり思っていたのに、驚くほど強い力で抱きしめられて抗えそうにない。俯いて私の肩口に顔を埋めるシャルルは、体を小刻みに震わせ、幼子が必死に縋っている様に見えた。

(…もしかして泣いているの…?まだ気持ちの整理はつかなくても、グロスター宰相閣下といつかは和解できるはずだよね。今は混乱しているみたいだけど…)

 何とか自由になる右手を伸ばして、シルバーグレーの髪を撫でると、そのしなやかな触り心地はウットリするほど心地よかった。
 赤い耳を間近に眺め、シャルルの顔が染まっているのを微笑ましく見つめると、一瞬目が合った後で、そのまま噛みつくように唇が塞がれた。

(待て待て、えっ?友人同士で口づけはしないよね?しかもシャルルは私を男だと思っているのに口づけしたって事⁈)

 パニックになりながら、顔を背けようとするのに、後頭部に添えられた左手がそれを許してくれない。声をあげようとしても、くぐもった声にしかならず、胸を叩いて抵抗しても、彼の腕の力が緩むことは無い。

 …どうやらシャルルも動揺のあまり、抱きしめているのが自分の婚約者だと勘違いしてこの強行に及んだようだ。そう察した私は、彼の理性を取り戻させるために強硬手段に出る事にした。

 そう―― 頭突きである。

 後頭部が掴まれていて後ろに逃げられないのなら、前に向かって叩きつければ良いだろうという私の目論見は無事に成功を収め、“うぐっ”というシャルルのくぐもった悲鳴と共に手が緩んで、漸く私は解放されたのだ。

「何で貴方はそう乱暴なのですか‼おかげで唇に歯が当たって血が出たでは無いですか⁈」

 文句を言いたのはこちらの方だ。そもそも、相手を勘違いするなど、婚約者に申し訳ないと思わないのか⁈

 そして、私は彼の制止も聞かず『私はシャルル様の婚約者じゃ無い‼』と言い捨てると、そのまま客間を逃げ出したのであった。
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