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21心臓を差し出す

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    私は、眼帯の人の胸に手を当てた。
 本来なら、すでに冷え切っているであろう、その亡骸。炎の海の中で、それはまだ暖かく感じた。
 私は目を閉じた。

『お前らの羽も、天使になれば眩い光に包まれる。その羽を広げたなら、こんな狭苦しい戦場せかいなんか抜け出して、大空へ飛んで行けよ?』

 私たち悪天使を助けようとしてくれた、眼帯の人。
 確か、イアンって呼ばれてた気がする。
 一回くらい、名前で呼んでみたかったな。
 今読んでも、返事はしてくれないけど。
 ねえ、イアン。私、あなたに聞きたかったことがあるの。だけどもうあなたは答えてはくれない。だからちょっとだけ……いい?
 私は、彼の右目を隠す眼帯を撫でた。ローシャさんの話を聞いて、真っ先に思い浮かんだのはイアンの眼帯のことだった。イアンは確かに、私に一度殺されてる。そして、さっきまで生きていたということは、一度は天使に心臓を差し出されたことがあるということ。
 なのにどうして、あなたの右目は眼帯に覆われたままなの?
 傷を癒す天使が心臓を差し出したのなら、右目に負ったであろう傷は、生き返った時から治っている筈。現に、プロデスト軍が保護施設に侵入した時に私が刻んだ傷は、跡形もなく治っている。
    それなのにどうして、彼が眼帯を付け続けているのかが気になった。これだけは、心臓を差し出してしまう前にはっきりさせたかった。
 そっと、眼帯を外してみる。その裏に隠されていたのは、まつ毛の長い綺麗な彼の閉じた目だった。やっぱり。左目と比べてみても、違いは分からなかった。
 恐る恐る、瞼を優しくこじ開けてみる。既に死んでいるので、瞳孔が開ききっていた。

『俺を殺してくれ』

 途端に蘇る、命令の記憶。アリス様からでも、クーデ様からでもない、彼からの命令。
 彼が血に染まる。言葉の通りに事を実行する私の身体。腕が、足が、脳が、止まらない。
 目の前の彼が死に近づいていく。血の匂いが充満する。初めての感覚だった。当時の私にとってそれは、恐ろしいほどに自然であり、当然であった。
 言われた通りに、彼を殺すことこそが正しかった。
 彼が、命令とは裏腹に執拗に逃げ回るから、早く殺すべきだと思って眼球を抉った。顔に生ぬるいものがかかった。彼の動きが鈍くなった。血の匂いがより一層強くなった。彼の顔が歪んだ。刹那、彼は俊敏さを取り戻した。彼が私の視界から姿を消した。最後に見た彼の表情は、歪んだままだった。
 
 はっと我に返る。記憶の中の彼とは違い、イアンは静かに横たわっているだけだった。だけど、確かにイアンは、あの時の彼と同一人物だった。
    あの時の彼の顔の歪みの意味が、感情教室のおかげでやっと理解できた気がした。
 後悔。それは、先生が私達を平手打ちした次の日に見せた感情だった。唇を噛んで眉尻を下げたその表情は、どこか苦しそうだった。
 そうだったんだ。この右目は、確かに私が傷つけた。そして、天使に心臓を差し出され、傷が癒えても、彼は眼帯を付け続けた。きっとそれは、後悔を忘れないようにするため。
 あの日、イアンは私の歩みを止めてくれた。一歩足を踏み入れた穢れた世界から、これ以上は進ませまいと、私を引き戻してくれた。
 あれからずっと、イアンは穢れた世界の入り口に、ずっと立っていたんだね。綺麗な方に逃げようとせず、穢れのスレスレで、ずっと耐えていたんだね。イアンの右目はどれだけ癒したって、傷ついたままだった。
 イアンがいるところから離れて私は大分穢れてしまったけど、それでも彼は眼帯を武器に、私のさらなる穢れに進もうとする足を止めてくれた。
    大空へ飛べと、本当に正しいことを教えてくれた。

 だけど、もういいんだよ。

 私は、イアンの眼帯を炎の中に投げ入れた。既に溶けかけたそれは、炎に包まれて見えなくなった。
 私はあなたに、心臓を差し出す。今度はちゃんと、右目の傷を完全に癒す。だからもう、あなたにあれは必要ない。
 もう、普通に生きていいんだよ、イアン。私に大空へ飛んでいいと言ったように、あなただって前に進んでいいんだよ。穢れた世界の淵になんて、立ってなくていい。

 ありがとう、イアン。あなたのおかげで、私は金色の背中の羽を広げて、大空へ飛び立つことができる。
 だけど、付いてこないでね。あなたにはあなたの、正しい道があるのだから。
 私はイアンに微笑みかけた。するとイアンの身体が、私の羽と同じように輝いた。
 同時に、私の意識が朦朧とし始めた。
 息ができない。
 でも、不思議と苦しくは感じなかった。だって、私の痛みが大きくなるにつれて、イアンの顔が安らかになるように見えたから。
    嗚呼、死ぬってこんな感じなんだ。イアンも甲高い声の人も、先生も、この感覚を味わったんだ。
 心臓を差し出します。
 どうか、生き延びて。






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