上 下
10 / 28

9進展

しおりを挟む
    ある日、それは起きた。
「それじゃ、今日の感情教室はここまでにするね。おやすみなさい!」
私が悪天使の牢を出ようとした時だった。
「先生!」
 引き止められて振り返ると、そこには目を細めて口角を上げている悪天使の姿があった。
「今夜ノ感情教室、アリガトウゴザイマシタ!」
 幼気な瞳で私を見つめる悪天使の羽は、神秘的に輝いていた。
 その姿はまさに、変化途中の悪天使そのものだった。
「私タチ、分カッタンデス。喜ビトハ、心ガ満タサレテ、ドンナ苦痛モ乗リ越エラレル、強イ感情ノコト。命懸ケデ私タチニ感情ヲ教エヨウトシテイル、先生ノヨウニ。ソシテ、ソノ感情ニヨッテ、笑顔ハ生マレル。先生ノ感情教室デ笑エルコトヲ知ッタ、私タチノヨウニ。デスヨネ、先生!」
 涙がこぼれた。
 悪天使は少しずつ、自分たちの置かれている状況に気づき始めている。怒りや悲しみを感じやすい状況で、彼女たちは笑うことを選んだ。
 勿論、彼女たちが完全なる天使になるには、正の感情だけでなく、そもそも感じるだけで辛いような負の感情も教えなければならない。
 それでも今は、悪天使に宿った最初の感情が「喜び」であることが嬉しくて仕方がなかった。
「そうだよ、正解だよ。よくできました、三人とも!先生は喜びで満たされています!」
 私が泣いたまま笑うと、悪天使は首をかしげた。
「先生、質問!ドウシテ、先生ハ喜ビデ満タサレテイルノニ、目カラ水ヲ流シテイルノデスカ?」
  実に難しい質問だ。実のところ、私もよくわからない。夥しい数の感情を教えるというのは、一筋縄ではいかなそうだ。
 ある程度考えた私は、答えを述べた。
「これは水じゃなくて涙。水よりももっと温かく尊いもの。喜びで満たされているときの涙はね、笑顔の応用版なの。まだあなたたちには理解しがたいことだと思うけど、いずれ分かる時が来るよ」
 多分、悪天使の頭の上には、?マークが何個も浮かんでいることだろう。
 今はそれでいい。今はただ、笑っていればいい。今まで散々、虚無の時間を過ごしてきたんだ。せめて今だけは。夜の時間だけは、感情教室の間だけは、全てを忘れて笑えばいい。
 身体にこびり付いた血生臭さも、自らの運命も、この世界の不条理も、全て全て、全て……。
 
  スベテ。

    ドタドタドタドタ

 鉄の廊下に響き渡る、こちらに向かってくる足音。
 私は頭が真っ白になった。

     バン!

 勢いよく鉄格子の扉が開く。
 入ってきたのは二人の幹部。最も恐れていたことが起きてしまった。
「リュア。こんな時間にこんなところで何をしているのかしら?」
   アリスが冷徹な声で私に問いかけた。無表情ともいえるその表情が、私を蔑む。
「え、えと、悪天使のケアをしてい…」
「嘘をつくな!」
 クーデに胸ぐらを捕まれ、そのまま鉄の壁に打ち付けられる。
 どすの利いた声が耳に滲みる。
「ぐはっ!」
 背中に走る衝撃。古い傷がズキズキと、過去の惨めな記憶を解放する。暴力を振るわれたのはいつぶりだろうか。
 そのままクーデは、私に瞳の最も奥にある憤りの色を見せるように顔を近づけてくる。鬼の形相なんてものじゃなかった。この顔を悪天使に見せて上げられたら、恐怖という感情を与えられると確信したくらいだ。
   しかし私は、彼女を押しのけて悪天使の方へ振り向かせられるほどの腕力を持っていない。その弱さは、恐怖によって与えられた痙攣も相まってできたものでもある気がする。
「悪天使の羽が天使の如く輝きを放っている!これは、お前がこいつらに感情を与えたという、何よりの証拠だろうが!」
「っ!」
 しまった。
 悪天使が喜びを宿したことが仇となってしまった。なんて初歩的なミスだろう。対策の余地なんて、いくらでもあった筈なのに。
「お前には、『悪天使に感情は一切与えるな』と口を酸っぱくして言ったはずだろ!」
 私は、頭を打ち付けられて意識が朦朧とする中、悪天使をに目をやった。恐らく、悪天使を拝めるのはこれが最後だろう。
 悪天使は、その場にへたり込んでいた。美しい天使は、この汚い状況に呆れて帰ってしまったようだ。
さっきまであんなに神秘的に輝いていた羽は、完全に漆黒の悪天使のそれに戻ってしまっていた。
「リュア。貴女には失望したわ。貴女は他の偽善者と違って利口だと思っていたのだけれど。利口なフリをしてプロデスト軍を裏切ったのね。こんな結末になることを考えずに、のうのうと悪天使に感情を与えた、愚かな世話人よ。覚悟なさい」
     アリスは、冷淡な声で私に言い放った。

 バケモノは、悪天使じゃない。
 ヒトの皮を被って、何の罪もない私たちを縛り利己的に使う、アンタたちだ。

 私は、舌打ちしそうになるのを唇を嚙むことで抑え、何も出来ない無力な手の甲に爪で三日月の跡を作った。

 さようなら、悪天使。
 ダメな先生で、ごめんなさい。
 
 私は、二体のバケモノに腕を捕まれ、こことは違う、朝か夜かも分からない閉塞的な牢へと連れていかれた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【完結】最愛の人 〜三年後、君が蘇るその日まで〜

雪則
恋愛
〜はじめに〜 この作品は、私が10年ほど前に「魔法のiらんど」という小説投稿サイトで執筆した作品です。 既に完結している作品ですが、アルファポリスのCMを見て、当時はあまり陽の目を見なかったこの作品にもう一度チャンスを与えたいと思い、投稿することにしました。 完結作品の掲載なので、毎日4回コンスタントにアップしていくので、出来ればアルファポリス上での更新をお持ちして頂き、ゆっくりと読んでいって頂ければと思います。 〜あらすじ〜 彼女にふりかかった悲劇。 そして命を救うために彼が悪魔と交わした契約。 残りの寿命の半分を捧げることで彼女を蘇らせる。 だが彼女がこの世に戻ってくるのは3年後。 彼は誓う。 彼女が戻ってくるその日まで、 変わらぬ自分で居続けることを。 人を想う気持ちの強さ、 そして無情なほどの儚さを描いた長編恋愛小説。 3年という途方もなく長い時のなかで、 彼の誰よりも深い愛情はどのように変化していってしまうのだろうか。 衝撃のラストを見たとき、貴方はなにを感じますか?

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

天冥聖戦 外伝 帰らぬ英雄達

くらまゆうき
ファンタジー
戦闘には必ず犠牲が出る。 誰もがかっこよく戦えるわけではない。 悩み苦しみ時に励まし合い生きていく。 これは彼らの物語。 鞍馬虎白と共に戦い帰れなかった英雄達の物語

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

第六監獄の看守長は、あんまり死なない天使らしい

白夢
ファンタジー
混乱を極める公国にて。 天界を追放され、魔界から爪弾きにされ、這這の体で辿り着いたこの場所で、不運にもマッドサイエンティストに拾われた俺は、実験体としては比較的幸運なことに、看守として楽しく過ごしている。 しかし愛すべき公国は、悲しきかな崩壊の最中。 数年前、人類の天敵としてこの国に突如ヴァンピールという存在が現れてからというもの、ただでさえ悲惨な世情はさらに悪化の一途を辿っていた。 しかし幽閉中の愛しい死刑囚594番と、可愛い部下達、ついでに育て親のイかれた官吏に、害が及ばなければそれでいい。 俺は、このままの日常に満足していた。 そんなある日、俺はマッドサイエンティストの官吏から、我が第六監獄において、とある子供を保護するように依頼された。 囚人番号427番として移送されてきた、傷だらけのその子供。 彼は史実上唯一無二の、人類に友好的な、理性を持つヴァンピールらしい。 もちろん官吏には従うが、あまり気が進まない。 なんというかぼんやりと、どうにも嫌な予感がする。 --- ※一部に残酷・暴力描写がありますので、苦手な方はご注意下さい。 お気に入りの死刑囚、官吏さんから預かったヴァンピール、育て親の官吏、友達の監獄医、様子がおかしい矯正長、可愛い部下の看守たちなど、ちょっと楽しくて、少しだけ狂った平穏な日常が終わりを告げるまでのお話です。 悲しい出来事も多いですが、きっと最後はみんな笑顔になれるはず。 楽しんでいただければ幸いです!

処理中です...