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お前が死ねばよかった

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 初めての夕食の席にヴィクトル様は現れなかった。彼が来ることなど最初から期待してはいない。それでも心の奥ではどこかでヴィクトル様の顔を見たかった自分がいたのかも。
 私はひとり、無言で食事をかき込んだ。料理の味などまるで何もわからない。口に運んでも味覚が感じることを拒絶しているような、まるで食べ物さえ無意味に思えてくるほどだった。時間がゆっくりと流れ、私はただ心の中で迷子になったままでいた。

 食事を終えるとすぐにお風呂へと案内された。広々とした浴室で湯気が立ち上る中、私はひとり贅沢に湯に浸かった。メイドが手早く体を洗ってくれるのをぼんやりと見守りながら鏡の中に映った自分をじっと見つめる。
 成人をしているのに頼りなく、幼い子供のように感じられる。ヴィクトル様に愛想を尽かされてしまうかもしれない。
 もっと私が大人っぽかったら……例えばミーティア様お姉様みたいに胸も大きく柔らかそうだったらヴィクトル様も妥協ぐらいはしてくれたと思う。

 もし私がもっと大人っぽければ、もし私がもっと魅力的であれば、ヴィクトル様は私を少しでも違った目で見てくれるのだろうか?
 そんな思いが頭をよぎるがそれさえも無意味に感じる。虚無だけが広がり、どこにも答えを見つけられないまま、私は静かな湯に身を沈めるだけだった。

 本来ならこのまま寝ればすぐに明日がやってくるはずだけど今日はどうなんだろう?今夜からヴィクトル様と閨を共にしてお姉様の身代わりに私がヴィクトル様の相手をして純潔を捧げるのか……でも、しないのかもしれない……どっち……?

「え?あ、あの、これを着て寝るの……?」

 湯から上がり、メイドに拭われ、髪を整えてもらうと薄いピンク色のネグリジェが私に着せられた。その布は透けるように薄く、下に着ている下着が浮き出て見える。

「はい。旦那様が奥様のお部屋に行かれるのかもと思いましたので」
「そう、ですよね」

 着替えをさせたメイドも事務的に私の羞恥心などどうでもいいようで特に気にもしていない様子。私が恥ずかしく思っているだけで向こうは仕事でやってるだけ。それになんだか断るのが申し訳なくてそのまま受け入れて着てしまった。

 部屋に戻ると暖炉の温かな光に包まれ、ベッドに身を横たえた。でも心は全く安らがない。お姉様が亡くなったという事実をどう受け入れれば良いのかわからない。
 今夜、ヴィクトル様が来るのか来ないのかすらもわからない。不安で眠ることができず、ただひたすら横になったまま、時の流れを感じるだけ。

 ミーティアお姉様が亡くなってから日が浅いのにヴィクトル様はそんな気分になれるはずがない。
 確かにお姉様という婚約者がいながら女遊びをしていたとミーティアお姉様がお母様に向かって嘆いていたのをこっそりと影で聞いた時はショックだった。愛し合う婚約者がいるのにそんなことをするはいけないことなのだから。

 でもそれだけ絶倫だったのならさっさとに私を抱いて孕ませるのは難しくは無いのかもしれない。愛情が無くても子供は作れる。
 だから、いつかその日がきたら私はヴィクトル様に大人しく抱かれよう。お姉様が産むはずだった子供を産み育てなくてはならない。
 本来ならお姉様に与えられた役目を果たさなければならない。期待をされなかった末妹に与えられた最初で最後の使命だと思うから。

 しばらくしてから扉をノックする音が響いた。静かな夜の中でその音は突如として私の意識を目覚めさせた。
 驚いて半身を起こすと扉がゆっくりと開かれ、そこに立っていたのは私の夫である彼だった。白いシャツに黒いズボンという軍服ではない服装に違和感を覚えながらも私は彼に視線を向けた。

 ヴィクトル様の目は一瞬私の姿を見て驚き、その後すぐに冷静さを取り戻し、静かに歩み寄ってきた。ベッドの端に腰を下ろす私を見下ろす。

「ミーティアは死んだ」

 その言葉が私の耳に響いた。胸が震え、何も言葉が出てこなかった。ヴィクトル様とまともに会話をしたことがないから、この人とミーティアお姉様を失った悲しみをどうすれば共有できるのか私にはその方法がわからない。ただ、黙って頷くことしかできない。

「ミーティアは死んだんだ」

 再び繰り返されたその言葉に私はようやく小さく答えるしかなかった。一緒に泣けたらいいのに涙が出てこないのがもどかしい。

「はい……」

 その瞬間、ヴィクトル様の顔が歪んだ。彼の青い瞳には苦しみが浮かび、息を吐くように私に向かって告げた。


「お前が死ねばよかった」


 時が止まったような気がした。世界から音が消えて目の前の人が何を言ったのかすぐに理解できない。
 無能だとかお姉様達に劣るとか根暗だとか陰口を叩かれることはあったけど「死ねばよかった」なんて直接的に死を望まれたことは一度も無かった。

 あまりにも冷たく、あまりにも重いその言葉。それがヴィクトル様の口から発せられるとは思いもよらなかった。彼は初恋の人でも、夫ではなく、私の心を深く突き刺す存在だった。

 言葉を失った私はただ彼を見つめることしかできなかった。ヴィクトル様の目は何かを訴えかけるように苦しんでいた。
 そして、彼は「すまない」と一言だけ言い残して部屋を出て行った。

 再び静寂が部屋に広がった。扉が閉まる音が深く響く。私はその場に固まってしまって、何もかもが重く、息ができないような思いに包まれた。
 ヴィクトル様の言葉が頭の中で繰り返され、胸の中で苦しみをが広がっていく。この思いをどこにぶつけたらいいのかわからない。

 その痛みは私がこれまでに感じたことのない深いもので苦しさとともに心に大きな穴が開いていくような気がしたのに涙は出くて……

「……ああ、そっか」

 自分の愚かさを嘆いた。彼の言葉は私がミーティアお姉様の代わりとして、どこかで彼に期待されていたからこそのものじゃない。私が泣かなかったこと、それが彼にとっては軽蔑に値したんだ。お姉様が死んでも泣かない非情な妹をヴィクトル様は……

 ベッドから降りると大きなガラスの窓に近づく。そして窓を開けるとバルコニーに出て空を見上げる。雨上がりの空には三日月が淡く輝いて、下を見下ろせば二階のバルコニーの下に深い闇が広がっている。もしもそこから飛び降りたなら、きっと私は死ぬ。
 あの人の言った通りに死んでしまおうか?そう思って身を乗り出そうとしたけど体が動かなかった。

『そんな顔をしても誰も後悔はしない』

 昔の記憶が蘇る。「お前が死ねばよかったと」言った声と同じ、ヴィクトル様の声が聞こえた。
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