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Story-3 きえた令嬢(1)

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 シーラは部屋で落ち着きなく時計や窓の外を見ている。
 ケインとベンジーは思わぬ同窓の再会に、話題が絶えない。
 そしてようやくモリスがホテルに着いたのは夜も更けたころだった。
 ケインはにこやかに後輩を迎えた。

「やあ、モリス。久しぶりだ」
「ケインさん、まさかあなたがいるとは思いませんでした」

 シーラは心配そうな顔でモリスを見た。
 その視線を正面から受けると、モリスはしばらくシーラを見つめた。
 シーラは洗濯の澄んだブラウスとスカートに着替えていた。
 モリスは椅子にかけると、話を整理しましょうと切り出した。

「すると、シーラはマリ―ブラン家でともに暮らしたサラ嬢を偶然あの病院で発見し、そして、あの二人組の正体を追おうとしていたんだな」
「そうよ。それで、なにかわかったの?」

 シーラはじりじりといった。

「結論から言うと、あの二人は町のごろつきだ。
 もちろん兄弟でもない。名前も本名かどうか怪しいものだ。
 ただ、ジュリアンという男のほうは弁護士で間違いないようだ。
 しかし、過去にいろいろやらかしたらしく、まっとうといえる弁護活動をしていないようだな。
 それで、シーラが病院で見たのが本当にサラ嬢だとしたら、やつらが善意で保護しているとはとうてい考えられないな」
「お嬢様に間違いないわ。五年以上離れていたって、間違うはずがない。
 今からもう一度病院に行きましょう、そうすればはっきりするわ」
「落ち着け、シーラ。病院はもうしまっている。
 それに、やつらが彼女に危害を加えるとは考えにくいし、多分無事だろう。
 それより、やつらの目的は何だ。
 そして、もしシーラの言うとおり、その娘がサラ嬢だとしても、それを証明する必要がある。
 彼女自身は、記憶を失っているそうだな」
「洗濯係のミッシュアという子が言うにはそうみたい。
 でも、詳しいことはよく知らないらしいし、わたしもそこまで調べる時間がなかったの」
「それは明日病院にいって調べるとしよう。
 でも記憶を失っているとすれば厄介だな。
 いくらシーラがサラ嬢に違いないといっても、それだけでは弱い」

 シーラは憤慨した。

「どうして? 私が間違えるはずない。絶対にないわ」
「どうしてか? お前は、五年もの間屋敷を離れていたんだろう。
 それだけ時間がたてば、顔や姿は変わるし、記憶も薄れる。
 お前の証言より、ゼルビアからだれかサラ嬢の顔を知る者を呼んだほうが確かだ」

 シーラは傷ついたような顔をして口をつぐんだ。
 ベンジーは一拍おいて、それぞれの顔を見た。

「ともかく、明日ということですね。
 今日はゆっくり休みましょう」

 ケインは思い出したようにシーラを見た。

「しかし、僕は明日マリ―ブラン家を訪ねる約束だ。
 モリス、ベンジー、シーラを頼むよ」

 モリスとベンジーは顔を見合わせ、うなづいた。

「ただし」

 モリスが腕を組んだ。

「シーラはもう二度と逃げまわらないこと。
 もう追い回すのはごめんだからな」
「別に逃げていたわけじゃないわ。
 私ははじめからサラ様のもとへ帰るのが目的だっただけよ」

 ベンジーが同情するようにな顔でシーラにいった。

「それはわかっているよ。
 僕らは君が五年前ゼルビアの屋敷を出てからの足跡を遡って調べてきたんだ。
 君の境遇や苦労を理解しているつもりだよ」

 すると、しばらく黙り込んだシーラは、目を潤ませた。

「もっと早く帰るべきだったんだわ。
 その機会は何度かあったのに……。
 そうしたら、こんなことにはならなかった……」

 ケインはシーラの腕に触れた。

「それは違うよ、シーラ。もし今よりも前にゼルビアに戻っていたら、君も火事で死んでいたかもしれない。
 君の物語はこれからだろう? 僕らがついているよ、シーラ。
 こういう時、マハリクマリックのおじさんなら何て歌う?」

 シーラはくすりと笑い、その涙を拭いた。

「そうね……。今はまだうまい言葉が見つからないわ。
 だけど、今から考えておく。とびっきり幸せな結末を」

 ・・・・・



 次の日、ケインはマリ―ブラン家に向かい、シーラ、モリス、ベンジーは病院に向かった。
 馬車の中で、シーラは言った。

「いいそびれちゃった分、今言わせてもらってもいい?
 モリスさん、ベンジーさん。ありがとう。
 昨日の分と、それからリベルでお屋敷に閉じ込められていたのを助けてくれたこと。
 あのときはわたしも混乱していたし、そちらも誤解があったようだから、遅くなったけど、感謝してるわ。ありがとう」

 ベンジーはモリスをちらりと見た。
 モリスは月夜の君がシーラだと分かってから、態度は再びもとにもどっていた。
 そのモリスは返事をする気がないようなのでベンジーが答えた。

「いえいえ。そういえば、結局銀の鏡はどうしましたか?
 売ってしまったんでしょうね、あれは素晴らしい品物でした」
「あら、話してなかったかしら。
 あれはケインさんの汽車の切符と交換したのよ」
「えっ?」
「それで、ケインさんがもらいすぎだからって、わたしに付き合てくれたのよ」

 ベンジーはちょっとした衝撃を受けながらも、今は納得する気持ちのほうが強かった。
 昨日ベンジーはケインから、シーラがマハリクマリックの歌を頼りに旅をしてきたということを聞かされていた。

「それで……、もしかすると、昨日いってたマハリクマリックというところの……」
「銀の鏡と引き換えに、わたしはケインさんという旅の友を手にしたというわけね」

 ・・・・・・



「そうだわ」

 シーラは思い出したようにベンジーを見た。

「ベンジーさんはなぜ、フレンの八番を持っているの?」
「ああそれは……」

 ベンジーがそのわけを説明すると、シーラは居住まいをただした。

「ねえ、ベンジーさん。フレンの八番を私に譲ってもらえない?
 あれがあったら、お父様のことを思い出すかもしれない」
「お父様?」

 シーラは、はたとして、言い方を変えた。

「サラ様のお父様。ファースラン・マリーブラン様のことよ」
「ああ、サラ嬢にかがせようというのですね。
 でも、残念ながら、国において来てしまったんですよ。すみません」

「そう……」

 シーラは残念そうに下を向いた。

「でも、あれはあなたにお譲りしましょう。
 もとはといえば、ファースラン殿が注文して作らせたものですし。
 もとの場所に戻ったと思えば」
「ありがとう!」

 シーラははれやかに笑った。

「かわりに、私が何かあなたにあげられるものがあればいいんだけど。
 マハリクマリックでは、そうやって物々交換するのよ。
 なにかある、ベンジーさん?
 といっても、貴族のあなたにしたら、私の持ち物も、わたしにできることも、たいしたものはないでしょうけど」

 ベンジーはなにを思ったのか、にわかにポッと顔を赤らめた。

「か、考えておきます……」

 その様子をモリスは苦々しげに見ていた。

 ・・・・・・



 病院に入ると、ミッシュアがシーラを見つけて駆け寄ってきた。

「シノラ様! 知らせに行きたかったけど、ごめんなさい!
 オリビアは退院してしまったんです!」

 とたんシーラの顔は真っ蒼になった。
 困惑するシーラに代わって、モリスとベンジーが病院の関係者に話を聞いて回った。

「支払いはすんでいるそうだ。
 ただし、転院というわけではなく、自宅療養という話だ」
「つまり、雲隠れしたんですね。これでますます怪しいということです」

 シーラはブラウスの胸のあたりをつかんで、小刻みに震えた。

「容態が悪くなったりしたら、ああ……。
 サラ様はどうなってしまうの」
「シーラ、医者の話では記憶が戻らないというほかは、健康そのものだったそうだよ。
 そうでなかったら、退院させるはずがないということだ。
 病院を出て、いろんなものを見聞きしたほうが、記憶を取り戻すきっかけになることもあるんだそうだよ」

 シーラはその言葉で少し落ち着きを取り戻したが、心配は果て無い。

「記憶は戻っても戻らなくてももいい。
 とにかく無事を確かめたいの。
 そばにいられたら、それだけでいいの……」

 だが、サラの行方は病院ではわからなかった。
 三人はとりあえず、ホテルに戻って作戦を立て直すことにした。
 ホテルに戻ると、こちらもただならぬ表情のケインが待っていた。

「急展開だ。マリ―ブラン家に、身代金の要求書が届いた」
「なんだって?」
「じゃあ、病院から連れ去られたのは、やはりサラ嬢!」

 ケインはマリ―ブラン家でのことを話した。

「要求は金貨1000枚。
 明日の真夜中の十二時までに受け取れなかった場合、サラ嬢の死体が運河に浮かぶことになる。
 そういう手紙が今朝ドアに挟まっていたらしい」
「受け渡しの方法は?憲兵にはしらせたんですか?」

 モリスは手短に質問をする。

「知らせればこの取引は無効だ。だが、マリ―ブラン家には私兵がいる。

 すでに家や運河付近を見張っている。
 受け渡しは、小舟に身代金のみを乗せて運河に流せということだ。
 金の確認ができたら、明後日の真夜中の十二時までに小舟に乗せてサラ嬢を返す。そういう取引のようだ」

「それで、キューセラン・マリ―ブラン公は、金を用意するつもりなんですか?」
「ああ、僕もおどろいたが、キューセラン殿は支払うつもりで既に銀行から金を引き出している。
 ファースラン殿との不仲など、まるでまったくおくびにも感じられない態度だった。
 この火事を発端とする一連の騒ぎに、おそらくキューセラン殿は暗躍していない」
「誘拐騒ぎとなった以上、そうでしょうね」
「昨日、シーラが病院を訪ねたのがきっかけに違いないだろう。
 だが、犯人はなぜそれまで誘拐しておいて身代金を請求しなかったのか」 

 ケインとモリスが同じ疑問を元に口を閉ざしたとき、ベンジーが言った。

「ジュリアン・モーリスという男は弁護士という話でしたよね。
 僕の叔父も弁護士なので、こういう話もありうるのではとおもうのですが。
 つまり、サラ嬢が記憶を失ったのをいいことに、多大な遺産の管理をその弁護士に任せようということです。
 サラ嬢にそういう書面にサインをさせた後、マリ―ブラン家から遺産をもらい受ければ、あとは遺産管理人の弁護士の思うがままです」
「そうか」

 モリスがいった。

「であれば、サラ嬢を病院でかくまっていたことも納得できる。
 やつらはシーラにサラ嬢だとばれたことを察して、先手を打ってでたんだ。これで、火事を起こした犯人も、奴らだと確定したも同然だな」

 ケインはすばやくめくばせした。

「だが、どうする?サラ嬢の行方はわからない。
 身代金を払っても、本当にサラ嬢がもどってくるとは限らない」

 その瞬間、シーラが悲鳴のような声をあげて膝から崩れた。

 ・・・・・・


「シーラ、しっかりしろ!」

 モリスがシーラを抱き起すと、シーラは唇から血を流して気を失っていた。
 頬を打つと、シーラははっとして目を覚ました。

「ごめんなさい、気が遠くなって……」

 モリスは震えるシーラを椅子に座らせた。

「気を失っている間に、サラ嬢が死んだら泣くに泣けんだろう。
 しっかり気を持て」

 シーラはこくりとうなづいた。
 ケインは少し眉を曇らせて、胸からハンカチを出すとシーラに差し出した。

「またブラウスを汚してしまったね」

 シーラははっとして、ケインのハンカチで唇を抑えた。

「また?」

 モリスがケインを見ると、ケインは自分の瞼の傷を指さした。

「ここを切ってしまってね。
 情けないが、昨日シーラのブラウスを血で汚したのはぼくだ」

 ケインはこともなげにそう言ったが、モリスとベンジーは互いに同じことを考えていた。
 今、シーラの胸元には唇から垂れた血のしずくが落ちている。
 その位置が昨日と同じだとするならば、ケインの瞼の位置から推測すると、ケインはシーラの胸に寄り掛かったことになりはしないか。
 ふたりはそのことを口に出すほどつつしみのない男たちではなかった。
 シーラはしばらく震えていたかと思うと、モリスの檄がきいたのか、はっきりとした声で話し出した。

「犯人は、きっと運河のそばにサラ様を隠しています。
 そして見張っています。身代金を積んだ小舟が流されるのを。
 多分、これまで犯人たちがねぐらとしていた場所ではありません。
 特に、ジュリアンは肩書もあって、住所や出入りする場所が特定されやすいのだから。
 マリーブラン家が運河へ身代金を流すのを監視するもの。
 身代金を受け取るもの。
 サラ様の世話をしているもの。
 犯人は少なくとも三人いると思います。
 監視するものは高いところにいる。
 身代金を受け取るものは、運河の下流に。
 サラ様は運河の上流に。
 そしてその範囲は、マリ―ブラン家の監視者からの連絡を一日以内に受け取れる距離。

 連絡手段は、馬、人、子ども、音、動物……。
 ジュリアンたちは病院から徒歩で移動していました。
 馬車や馬を使うなら、どこかでかりなくてはいけません。
 人や子どもを使うなら、前もってめぼしい人物にあたりをつけておくでしょう。
 顔見知りの子どもや犯人の愛人かもしれません。
 音なら、教会や夜警の鐘。
 これなら場所も必然的に高い場所にあります。
 動物なら、鳩やネズミ。
 でも、これも事前にこのために慣らしておく必要があり、急遽予定を変えて身代金要求な踏み切ったのなら可能性としては低い。
 本人が直接知らせるのなら、少なくとも私は三人のうち二人の顔を知っています」

 三人は驚いたようにシーラを見た。
 そして、ケインはすぐさま言っていた。

「シーラ、それをマリ―ブラン家の人にも話したほうがいい」

 ・・・・・



 シーラはベンジーとともに病院に向かっていた。
 マリ―ブラン家にはケインとモリスが向かっている。
 シーラはなにかあったときのために、医師に待機してもらいたいと考え、それを請いに出掛けたのだ。
 病院の医者が何人いるのかは不明だが、一人借り得けられれば、いざというときに助かるに違いない。
 ベンジーは隣で黙りこくったままのシーラを横目にみた。
 気を失って倒れたときには、さすがにかよわい女だと思ったが、今のシーラは違った。
 いかなる境遇にも自分で奮い立ってきた娘なのであった。
 病院に着き、ベンジーとシーラがことのなりゆきをかいつまんで説明すると、病院は医師の一人を貸してくれた。
 シーラはついでにミッシュアに一言挨拶をしていこうと思い、受付の者にミッシュアのい場所を訪ねた。
 すると、受付はこうこたえた。

「それが、うちもこまっているんですよ。
 ミッシュアったら、今朝急に仕事を辞めると言い出して」
「どうして?」
「さあ、ミッシュアの母親もこの病院に入院しているから、また顔を出すときに聞いてみるつもりですけど。
 なんだか慌てていて、聞く暇もなかったんですよ」
「…………」

 シーラは礼を言ってその場を去ろうとしたが、なにかがひっかかって足を止めた。

(シーラ様! 知らせに行きたかったけど、ごめんなさい!
 オリビアは退院してしまったんです!)…………

 ミッシュアは、謝っていた。
 知らせに行きたかったが、行けなかったからだろうか。
 あのときシーラは当然そうだと思った。
 だが、文脈からそうでない場合も考えられはしないだろうか。

「あの、ミッシュアは毎日何時からの勤務だったの?」
「朝番は水木土、遅番は月火金です」
「今日は火曜なのに、どうして朝からいたの?」
「だから、やめることを言いに来たんですよ」

 シーラはもう一つ尋ねた。

「ミッシュアの家はどこにあるの?」
「運河の上流の貸し部屋ですよ」

 シーラとベンジーは馬車に乗り込むと、すぐさまマリ―ブラン家に向かった。
 シーラとベンジーの報告を聞いたマリ―ブラン家では、すぐさま隊を作ってミッシュアの部屋に向かった。
 シーラも行きたがったが、どうしても受け入れてもらえず、代わりにシーラが連れてきた医者が同行することになった。
 そして一時間もかからずに、マリ―ブラン家の私兵は、サラを連れて、マリ―ブラン家へ戻ってきた。
 サラは何が起こっていたのかよくわからない様子だったが、医者によると衰弱もなく、心身無事だということだった。

 ・・・・・・



 その数日後、シーラたちのもとには礼状が届いた。
 そして、ようやくシーラたちがマリ―ブラン家を訪ねると、ベッドには体を起こしたサラが元気そうにスープを飲んでいるのだった。
 サラ奪還の当日、シーラは自分がサラとともにゼルビアで育ったシーラだということを告白しなかった。
 それでなくとも、マリ―ブラン家は混乱を極めており、事の大きさははかりしれないものであった。
 そして、この一連の騒ぎは、大々的に新聞に乗り、ザルマータ国中に知らされることになった。
 しかし、犯人として捕まったのは、サラの世話を任されていたミッシュアの本当の兄のサッティバであった。
 サッティバは数年前からこの町に戻ってきていたが、家族の元へは帰らず、荒くれ者とつるんでいたという。
 ミッシュアは本当の兄にほだされ、サラ誘拐の協力者となってしまったが、情状酌量の余地を認められた。
 ジュリアンとスティーブは、どうやら逃げおおせたらしい。

「この度は本当にありがとうございました」

 キューセランとアリスは夫婦そろって、四人に深々と礼を言った。
 しばらくの間互いの口から、事件のあらまし、犯人たちへの軽蔑が語られ、そして、互いの健闘とサラの無事を喜びあった。
 そして、これからについて話していくなかで、マリ―ブラン夫妻はこのような不安を漏らした。

「記憶が戻るまでには、これからも治療が必要ということでした。
 私たちは、サラをこれからも守り支えていくつもりです。
 でも、正直を申しますと、サラに会ったのはこれが八年ぶりなんです。
 ですから、面影はありますが、どこか本当にサラだろうかというような気もしてしまって」

 これをきいたシーラは激しく抗議した。

「サラ様にちがいありません!
 誰が何と言おうと、私がサラ様を見間違うはずがありませんから!」

 このシーラの剣幕に、シーラはようやく自分がゼルビアでともに育ったシーラであると告白することになったのだった。
 これによって、シーラは再びサラのそばにつくことが許された。
 今、シーラはマリ―ブラン家のシーラ付きの従者として働いている。
 シーラの願ったことは、こうして一山を越えてようやく落ち着きを見せ始めたのだった。

 ・・・・・・



 モリス、ベンジーはケインとともにホテルにいた。

「あとは殿下のお帰りを待つばかりなのだが……」

 モリスはここ一か月考え続けてきた二つのうちの一つについて思いをはせた。

「ホテルに残されていた手紙によれば、ゼルビアに出掛けた日を見れば、もう戻ってきてもおかしくない」

 ケインは茶を飲みながらモリスのため息にいった。

「おそらく、樹海で迷っているのではないか?
 僕が雇った従者と案内人は四日でゼルビアに連れて行ってくれた。
 だが、下手な案内人だと一か月も樹海をさまようこともあるそうだ」
「一か月ですか!?」

 モリスは声をあげた。
 となりのベンジーは国への手紙を送ったばかりだが、もう一通書く必要があると悟った。
 そんなとき、部屋をノックする音が響いた。

「やあ、シーラ」
「こんにちは、ベンジーさん」

 シーラはベリーブラン家のそろいの黒のメイド服に身を包み、穏やかな微笑みをたたえていた。

「やあ、きょうはどうしたんだい」
「ケインさん、もう抜糸したんですね」
「ああ、おかげさまでね」
「ケインさんがまだいてくださってよかった。
 実は、今日は皆さんをゼルビアにお誘いに来たんです」

 シーラが言うには、サラの記憶を取り戻すための治療の一環として、ゼルビアの風景をサラに見せようということだった。
 キューセランにゼルビアの土地はなんら魅力はなかったが、そうはいっても統治をマリ―ブラン家は任されている。
 いつまでも屋敷跡をそのままにしておくわけにもいかない。
 その調査も兼ねたゼルビア訪問なのである。
 ふつうなら、そんな面倒なことをだれがするかというモリスだが、ただ待っていてもいつハリーが戻るかわからない今、
 シーラの持ってきた話はちょうどよかった。

「いいだろう、私たちもともに行こう」
「よかった。移動と滞在のかかる費用はご心配なく。
 でも、まだお屋敷はありませんから、荷物を運ぶ男手が必要だったんです。
 助かりました」

 シーラはさらっとにこやかにただ働きをにおわせた。
 苦笑しながらベンジーははいった。

「サラ嬢の回復にはまだ時間がかかるのかい?」
「さあ、わたしにはわかりません。
 でも、記憶が戻っても戻らなくても、わたしはどっちでもいいんです。
 そりゃあ、戻ったほうがいいんでしょうけど、怖い思いもされたでしょうし、今のサラ様が幸せならそれが一番です。
 こうしてキューセラン様お世話になっていれば、すくなくとも、サラ様が生活には困るようなことはありません。
 思いのほか、キューセラン様がサラ様の治療に熱心なのには私も少し驚きますけど」
「へえ、そうなんだね。自分が仲たがいしてしまったせいで、兄夫婦を亡くしてしまったサラ嬢に引け目を感じているのかな」
「ファースラン様と奥様がなくなったのは、あの犯人たちのせいであって、キューセラン様のせいではありません」
「まあ、そうだね」
「ともかく、わたしは今幸せです。
 サラ様は、マハリクマリックをうたうと、笑ってくれるんです。
 きっと昔のことを少しは思い出しているんだと思います」

 ・・・・・・
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