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#47、 ロカマディオール修道院
しおりを挟むそれから一カ月半。
ロカマディオール修道院から、ライスが到着したとの知らせがスモークグラムで届いた。
その知らせを受けて、ブランシュと奈々江はさっそく出立をすることにした。
マイラに相談した結果、ライス持っていくもののリストは膨大に量になってしまっていた。
さすがに、荷馬車四台分というのはまずいだろうと言う事になり、人足三人が背負える量に留めた。
それでも多いと修道院で咎められた時、最悪一人分でもなんとかひと冬は越せるだろうというように小分けに荷造りさせた。
これはマイラがほぼ丸々一カ月半かけて、練りに練ってこだわった荷造り方法だった。
そのマイラがそわそわとブランシュの手を握る。
「あの子のことを頼むわね、ブランシュ。
もし病気や怪我をしていたらいくらでも追加で薬を送るから、スモークグラムですぐ知らせてちょうだい」
「はい……。ある程度の薬なら向こうにもあるでしょうし、ナナエの魔法陣もあるから心配はないと思います。
母上が心配していたと伝えます」
「ええ、そうね、お願いね……。あと、それから……」
「母上、あまりもたもたしていると、父上に悟られます」
「そ、そうね。気を付けて」
本当ならマイラも同行したかったに違いない。
だが、夫の許しがない以上、マイラにその自由はないのだ。
今回においては、ブランシュでさえナナエのお供という位置づけなのだ。
なぜなら、公にライスに会うことを許されているのは奈々江ただひとりだからだ。
ブランシュは女人禁制のロカマディオール修道院でのお目付け役という立場を得て、同行を許されているという建前になっている。
それでさえ、ファスタンと神官長、さらには国内貴族たちからは良く思われてはいない。
まして、修道院送りにされたライスに差し入れを届けるなどということは、ばれたら目玉ものだろう。
ブランシュが金色の羽根を取り出した。
「風待たず 逢わんとぞ行く ファルコンか 我も命惜しむことあらんや」
一行は声をそろえていつもの呪文を唱える。
カッとまばゆい光に包まれる。
次に目を開いたとき、そこは荒涼とした高山連なる厳しい景色だった。
くるりと見渡すと、岩肌の荒々しい大地の先に石造りの堅牢な聖礼拝堂建物がそびえていた。
いかにも古めかしく、重々しい歴史の産物といった風情で、やや曇った空と相まってなんとも重苦しい雰囲気が漂っていた。
「お兄様、あれがロカマディオール修道院ですか?」
「そうだ。空気が少し薄いが、大丈夫か?」
「いわれてみれば……。少し息がしずらい気がしますけど、だ」
大丈夫と言いかけたところで、ビュオッと強風が奈々江の頬を殴った。
あまりの風の強さに息が詰まる。
「す、すごい風、ですね……」
「ああ、ロカマ山の風は変わりやすい。天気が崩れないうちに行こう」
「はい」
強風にあおられながら、修道院に向かって進む。
入り口の前で奈々江は待たされ、出迎えのフェリペという修道士と共にブランシュが中に入っていった。
女人禁制の建物である修道院の中には、奈々江は入れないのだ。
同行していたラリッサとメローナが憤慨する。
「ナナエ姫様を立たせて待たせるなんて!
いくら神に使える修道院だからって、礼を欠いていますわ」
「こんなことなら、椅子とティーセットを持ってくるんでしたわ」
「まあまあ」
奈々江が二人をなだめる立場になった。
「こんなところでお茶をしようなんて、考えもつかないわ。注ぐ先からお茶が風で飛んで行ってしまいそう」
「あら、全くでございますね」
「でしたら次回はテントを持ってくるべきですわね。今にも雨が降り出しそうですし」
「まあ、なんだかピクニックみたいね」
奈々江がそういって笑うと、ラリッサとメローナに柔らかさが戻った。
太陽のエレスチャル効果が最大にきいているせいで、ラリッサとメローナは奈々江のこととなると途端にナーバスになったり大げさになったりしてしまうようだ。
(城にいるときには全然気にならなかったけれど、状況が変わるとふたりも少し変わるのね。
それだけわたしを守ろうとしてくれているんだわ)
しばらくすると、出迎えの修道士が戻ってきた。
「ナナエ皇女殿下、聖礼拝堂へどうぞ」
「入ってもいいのですか?」
「はい、人払いをさせましたので」
修道士の後に続き、聖礼拝堂に入った。
荒々しい吹きさらされた岩の外観からは想像もできないほど、行き届いた空間が広がっていた。
昼間とはいえ、堅牢な岩を組んで作られた聖礼拝堂。
灯りは蝋燭しかなく、緻密な文様の装飾や、年代物の大きな燭台や調度品が浮かび上がる。
色はエレンデュラ王国の青を基調にしているらしいが、目に見えて青だということもはっきりしない。
それでも外はあれほど強い風が吹き荒れていたのに、石の聖礼拝堂に入ったとたんすき間風の音すらなくほんのりと温かい上、なんともいえない安心感もあった。
「こちらでお待ちください。
ブランシュ殿下もじきにいらっしゃいます」
「案内をありがとう、フェリペさん」
黒い修道服に包まれた若い修道士は頭を下げて聖礼拝堂を出ていった。
その姿を見届けてから、奈々江は侍女二人と共に聖礼拝堂の中を歩いた。
「ずいぶん古い礼拝堂の様ね」
「でも、よく手入れされているみたいです。こんなに薄暗かったら掃除してもしなくてもわからなそうなのに、この手摺には埃のひとつもありません」
「ここの修道院の方々は働き者なんですわ、きっと」
「わかりませんよ~、ナナエ姫様とブランシュ殿下がお見えになるからあわてて大掃除したのかもしれません」
「それでもいいのよ、ナナエ姫様のドレスが汚れさえしなければね」
せっかくの聖礼拝堂だというのに、ラリッサとメローナの話題が俗っぽいので苦笑してしまう。
しばらくすると、扉が開いてフェリペの後から見知った人影が現れた。
「ライス!」
「ナナエ皇女殿下、わざわざお越しいただきありがとうございます。
お目にかかれてうれしゅうございます」
駆け寄ると、すぐにわかった。
「ライス、痩せたわ……」
「はい、ここまでくる間にずいぶん身が軽くなりました。でも心配には及びません。体調は悪くないですから」
「ここへはいつ着いたの?」
「昨日の夜です」
「よく眠れた?」
「疲れていたのでベッドに入るなりすぐ寝付いてしまいました」
髪は三つ編みに結ばれ、敬虔な黒い服は同じだったが、一か月半前のライスとは別人のようだった。
頬はくぼみ、目の下にはくま、肌には艶がない。
(生活に慣れるまでは、ライスにとってはしばらく厳しい生活が続きそう……。
でも、さっきのフェリペさんは体は大きくなかったけれど、健康そうではあった。
きっとこの修道院で飢えて苦しんだりするようなことはないとは思うけど……)
「今日はブランシュお兄様と一緒に来たのよ」
「はい、聞きました」
「じきにここへ来るといっていたから、きっとすぐ来るわ。
それから、これ、冬支度に必要なものを持ってきたのよ。
マイラ様がいろいろ工夫して荷造りさせたのよ」
ライスが嬉しそうに笑った。
だが、そのすぐあとに申し訳なさそうな表情を見せた。
「ここでは神官長の意志が絶対です。
せっかくの贈り物ですが、私が所有すべきかどうかは神官長が決めることになるでしょう」
「そう、でも、ロカマディオール修道院の冬はとても厳しいと聞いたわ。
神官長はここの責任者として、修道士たちを風邪をこじらせて死なせたりでもしたら責任問題よ。
ブランシュお兄様がきっとうまく話して下さるわ。
あっ! そうそう、お兄様がいない間に秘密の相談事の話をしなくちゃいけなかったわ」
ライスがおやというように眉を挙げた。
「実は、ライスが旅立った後、イルマラさんにつかまってしまって。
秘密の相談事って何なのかって問い詰められてしまったの。
ライスと会うための口実のつもりだったから、なにも考えていなかったけど、真剣になにか両陛下へのお祝いを考えなくちゃいけないの。
しかも、お金がかからない方法で。
イルマラさんからせめてブランシュお兄様より先に教えてくれるようにと約束させられちゃったのよ」
「そうでしたか」
ライスがにわかに笑った。
「それで、なにか一つくらい案があるのですか?」
「そ、それが、まだ……。
でも、わたしには魔法陣を書くことや立体魔法陣を組むことくらいしかできないから、なにか役に立つ装置みたいなものが出来ないかとは思うんだけど……」
「両陛下に喜んでもらえそうな、装置ですか……」
「た、例えばなんだけどね、両陛下の座る椅子があるでしょう?」
「謁見の間の?」
「そう。そこに心がリラックスして元気になれるような魔法陣を書くとかはどうかしら。
名づけて、マジカルマッサージチェア……とか。
肩こりや腰の痛みにもきく魔力波が出るのよ。あと、顔の横には左右にスピーカーがあって、美しい音楽まで鳴るの」
「それは……、まあ、謁見の間の椅子でなくてもいいですね。あそこはもそもそリラックスすることが重要とされる場所ではありませんし」
「そ、それじゃあ、個室の椅子に……」
「それなら、椅子にやらせるのではなく魔導士か医者にやらせた方がよさそうですね。そのほうが痛いところに手が届くでしょうし」
「う……、そ、そう、だよね……」
「ナナエ殿下、ご自分の力を低く見積すぎではありませんか?
あなたの魔力はもっと素晴らしい使い道があるはずですよ」
「そういわれても……」
奈々江にはまったく思いつかないのだ。
ライスがうなだれている奈々江を見て、ゆっくり口を開いた。
「あなたのような平和主義者にはきっと一生かかっても思いつかないでしょうが、両陛下がもろ手を挙げて喜んでくださるものがありますよ」
「えっ!? それはなに?」
「でも、これは絶対にあなたが作るべきものではありません。だから私は絶対にいいません」
「えっ……、えっ、じゃあ、なんでいうの? えーっ、なんなの? そこまでいったのなら教えてよ!」
「いえ、いいません」
奈々江はおもっいきり顔をゆがめてライスをねめつけた。
睨んでみたものの、ライスの口を割るのは難しそうだ。
ぶすっと口をとがらせて見せた。
「いじわるは治らないのね」
「いじわるでいっているのではありません。でも、それ以外のアドバイスならできます」
「初めからそれをゆってよ! なんで焦らすの!」
思わず前のめりで突っ込んでしまった。
ライスがおかしそうにくすくすと笑い声を立てた。
「マッサージという機能は無用の長物でしたが、音楽というのはいい考えだと思いますよ。
なにより、両陛下は音楽がお好きですし、音楽は万民にも愛されています」
「え、あ、そっか……!」
奈々江の頭にようやくひらめきが下りてきた。
どうにも体を癒すという効果から離れ切れなったが、音楽装置なら奈々江の力を生かせるに違いなかった。
いろんな楽器を自動でならせるようなものや、録音した音楽を鳴らせるレコードプレーヤーのようなものなら、複雑で正確な魔法陣を組むことで、恐らく壮大なハーモニーを奏でられる。
「うんっ、わかったわ! わたし、考えてみる!」
奈々江はさっそく帰ったら、ツイファー教授とセレンディアスに相談しようと心に決めた。
そのあと、ファスタンとマイラの音楽の好みを聞いていると、この世界における音楽の在り方が少しずつわかってきた。
ライスによると、音楽は富の象徴であり、貴族の基礎的な礼儀礼節でもあるそうだ。
「え、そんな重要なことだったんだ。わたし鼻歌くらいしか歌えないや……。昔習っていたピアノももうほとんど忘れちゃったし」
「殿下はピアノの経験が?」
(あっ、現実の話だった)
「あの、えと、少しね! 譜面を読むとかほんとに初歩の初歩くらいしか」
「ハナ歌というのは?」
「えっ!? いや、鼻歌は鼻歌だよ?」
「ですから、そのハナ歌というのはどのような歌なのですか?」
「え……、だから、ライスだって気分のいいときとか鼻で歌ったりするでしょう?」
「わかりません。私は初めて知りました。どのような歌なのか歌っていただけませんか?」
(えー……)
まさか本当にライスは鼻歌を歌ったことがないのだろうか?
まさかこれまで一度も思わず鼻歌が出てしまうほどに気分的にリラックスしたり浮かれたことが一度もないのであれば、それは悲しすぎる。
これまで孤独に自らを追い込んできたライスならあり得ない話でもないのかもしれない。
奈々江はしばらく考えた後、昔ピアノで習ったヘンデルの水上の音楽を鼻歌で歌った。
有名な第二組曲、アラ・ホーンパイプだ。
「……フーン、フーンーフ、フッフッフッフーン、フフフッフッフッフーン……。と、まあ、これが鼻歌」
ライスを見ると目を丸くしていた。
「ナナエ殿下……」
「え、なにその顔……。鼻歌なんて珍しくもなんともなかったでしょ?」
「あなたは、音楽の才能まで隠していたのですか!」
「えっ?」
「なんと素晴らしいメロディ。軽やかで、上品で美しく、それでいて力強い!」
「え、な……」
「両陛下には、ぜひそのハナ歌をお贈りになったらよろしいと思います!」
「はぁ!? 鼻歌だよ!?」
「ですから、今ハミングで歌ってくださったハナ歌を、オーケストラにしたらいかがでしょう?」
(はっ、あっ!)
ようやく奈々江にも理解できた。
奈々江にとっての鼻歌は、ライスにとってのハミングであり、今ライスは水上の音楽をハナ歌だと勘違いをしている。
この世界には現実の音楽が恐らく存在していないということの表れでもあった。
「いや、それは……」
「殿下、ハナ歌の続きはあるのですか?」
「ちょ、ちょっと待って」
すると、後ろに控えていたラリッサとメローナが一斉に声を上げた。
「ナナエ姫様、ライスのいうとおりでございますわ!」
「ハナ歌、すばらしい曲でございます。わたくしも続きが聞きたいですわ!」
「いや、だから、これはハナ歌じゃなくて、水上の音楽っていう……」
今度はライスが興奮したように立ち上がった。
「いまのメロディが花歌、そして組曲のタイトルが水上の音楽なのですね?
湖の周りに咲き誇る満開の花々の生命力!
舞い散る花びらと芳しい香りが満ち満ちています!
なんと風雅なセンスをお持ちなのですか。
ナナエ殿下、どうしていままで隠していたのですか?」
(あ、あ~……。ち、違う、違うよライス……。なんで、こんなことに……)
「殿下、私が楽譜を起こしましょう。
この曲なら、両陛下もきっと喜んでくださること間違いありませんよ!」
(そりゃあ、何百年も前から奏で続けられている名曲だよ、喜ばれるに決まってるよ……)
まるで水を得た魚のように生き生きとするライスに、奈々江はもはや苦笑いをするしかなかった。
結局、奈々江のエアリアルポケットから紙と筆記具を出して、ライスが譜面を取ることになった。
始めにライスが組曲といい出したせいで、請われるがままに四曲ものクラッシックを鼻歌で歌う羽目になった。
最終的にエレンデュラ国における組曲水上の音楽は、花歌、鳥の戯れ、風の調べ、月の瞬きとなり、で四構成となった。
ちなみに、鳥の戯れはパッヘルベルのカノン、風の調べはシューマンのトロイメライ子供の情景、月の瞬きはショパンのノクターンだ。
ライスや侍女たちがありがたがって喜んでくれるのはいいが、曲名や構成をめちゃくちゃにして冒涜してしまった気分の奈々江はひとり心苦しかった。
(偉大なる音楽家の皆様、どうか許してください……)
そんなこととは知らないライスや侍女たち、さらにはその場にいた者たちが奈々江を称賛してくれる。
「とっても素晴らしい組曲ですわ、ナナエ姫様!」
「ナナエ姫様にこんな素晴らしい才能があったなんて、どうして今までわたくしたちは気がつかなかったのでしょう!」
「う、うん……」
「しかし、鳥の戯れ、風の調べ、月の瞬きの三曲はだいぶ落ち着いた曲調なのですね。
両陛下のお祝いに披露するはこの花歌のみのほうがふさわしいのではと思いますね」
「そ、そう……」
(だからピアノは初級でリタイアしたんだってば……。難しい曲はほとんど弾いたことはないんだよ……。
いっそ、カエルの歌とかねこふんじゃったにしとけばよかったかなぁ……)
奈々江は小首をかしげる。
「いずれしても、オーケストラだなんてどうしたらいいんだろう。編曲が必要だし、いきなり大金がかかりそうな話だし、ブランシュお兄様に相談してみないと……」
あれ、と気がついて顔を上げた。
「あれ、いくらなんでも、ブランシュお兄様、遅くない?」
ライスがふっと視線を落とした。
「やはり、私に会いたくないのでしょう……」
秘密の相談事に思わぬ時間を取られてしまったせいでうっかりしていたが、ここに来た一番の目的はふたりの絆の復活だ。
奈々江はすぐさま立ち上がった。
「ちょっと見てくるわ、ライスはここで待っていて」
すると、これまで黙って立っていたフェリペが素早く立ちふさがった。
「申し訳ありません。ナナエ殿下はお一人で動き回られぬようにお願いいたします」
(そっか、人払いしているから聖礼拝堂に入れたんだった……)
「代わりに私が見てまいります」
「フェリペさん、お願いします」
フェリペが軽く会釈して聖礼拝堂の扉を出ていった。
しばらく時間がかかるだろうと思っていたが、予想に反してすぐに戻ってきた。
「ブランシュ殿下は、扉のすぐ裏におられました」
「えっ、そうだったの? なぜ入ってこないのかしら」
「ナナエ殿下を呼んでおられます」
視線をやると不安そうなライスがこちらを見た。
「わかったわ」
奈々江はすぐに扉の向こうに向かった。
「ブランシュお兄様、どうしたのですか?」
ブランシュは気まずそうに体を揺らす。
「い、いざと思ったら、入るタイミングがつかめなくてな」
「今さら何をおっしゃっているんですか、行きますよ」
「ちょっと待ってくれ」
「どうしたのですか? ライスが待っていますよ」
「ふ、ふたりだけで話したい」
ブランシュがそういうので、いったん奈々江は中に戻り、そのことを伝えた。
フェリペが口を開く。
「ナナエ殿下を聖礼拝堂の外でお待せするわけにはまいりません」
ライスがにわかに唇を引き締めて立ち上がった。
「わかりました……」
ライスが扉の外に向かっていく。
奈々江は声を出さずにその姿を見送った。
(ブランシュ、ライス、きっと元通りになれるよね)
奈々江は静かに心の中でつぶやき、祭壇を仰いだ。
そばでフェリペが扉のほうを気にするように視線を送ったのが見えた。
「……フェリペさん」
「はい、殿下」
「フェリペさんは知っているのでしょうか?
ライスがこの修道院でどのように立場にあるのか」
「はい、神官長に聞いております」
よどみないフェリペの回答に、奈々江は若いフェリペの立場が思ったよりも高いのではないかという気がした。
蝋燭の炎に照らされた目元には聡明さが宿っている。
「無知で恥ずかしいのですが、修道院の組織について、ライスの立場を交えて教えて頂けないでしょうか?」
「はい。
このロカマディオール修道院には他の修道院には存在しない神官長がそのトップに座しております。
それはこの修道院が古くより神聖な土地に建てられた聖堂であるからです。
神官長の下には実際に修道士たちを取りまとめる修道院長がおります。
院長の下には第八階を頂点とする三人の修道士がおり、階級の低い修道士たちはその三人のどなたかのもとに割り振られ修練に励むことになっております。
ライスはこの階級の一番下、第一階修道士であり、キルナー第八階修道士の下に置かれることになりました。
第一階級は主に平民出身の修道士に与えられるものです。
ライスは元王族ではありますが罪人としてこちらへ寄こされたので、貴族に対して与えられる第四階からではありません。
その分、修行も厳しいものとなりましょう」
「そうなのね……。フェリペさんもキルナーさんの下についているのですか?」
「いえ、私は……」
今まで明朗な語り口だったフェリペが言いよどむ。
「私は、神官長直属でございます。階級は第七をいただいております」
(なるほど、同じグループの先輩なのかと思ったけれど、フェリペさんは修道院のトップに目を掛けられている多分エリートみたいな感じなのね……)
「では、ライスを直接指導してくれるのはキルナーさんですか? できればわたしからも挨拶をしたいのだけれど」
「そうでございますね。あとで可能かどうか伺いを立ててみましょう」
「お願いします」
(今日のところでは、ライスの生活状況についてわかることはこれくらいだわ。
なにより、わたしは聖礼拝堂にしか出入りできない。
あとは修道院に入ったブランシュお兄様がいろいろと見聞きしてくれていればいいのだけど)
そう考えていると、バンと音を立てて聖礼拝堂の扉が激しく開いた。
驚いて目を向けると、荒ぶったライスが大股で入ってきて、その後ろからブランシュが慌てて駆け込んできた。
「ナナエ殿下、今日はこれにて失礼いたしとうございます!」
「え、えっ? ライス、ブランシュお兄様、なにがあったのですか?」
「い、いや、ちょっとした行き違いが……」
(行き違い? なんの?)
交互に見ると、ライスはきつく拳を固めてうつむきがちな体勢で、完全にブランシュから顔を背けている。
ブランシュはなにか奥歯にものが挟まったかのようななんともいえない顔をしている。
「ねえ、ちょっと待って、落ち着いて、ライス」
「ナナエ殿下、これからはどうかお一人でいらしてください」
「ライス……」
(どうして? いったいなにがあったの? なんでこんなふうにこじれてるの?)
落ち着かせて取り持とうとしても無駄だった。
ライスはそれ以上がんとして口を開かず、同様にブランシュもいっていることが要領を得ない。
奈々江にはどうしようもなかった。
フェリペにも促され、仕方なく帰る仕度を始めた。
持ってきた荷物を引き渡し、ブランシュが代表して神官長に別れを述べた。
キルナ―と顔を合わせることはできなかったが、奈々江も神官長エレルモと軽く言葉を交わすことができた。
密かにこめかみを叩いて確認すると、高齢エレルモのゲージは黄色だった。
(神官長は独身だと聞いていたけれど、年を召しているからかしら。
ピンクゲージではないのね。
老いらくの恋に火をつけるようなことになっても困るから安心したわ)
一同外に出て、ブランシュがゴールドファルコンの羽根を取り出した。
ライスは見送りのためにそこにいることにはいたが、ブランシュのほうは一ミリも見ようとしなかった。
「ライス、また来るわ……」
「はい、お待ちしています」
(正直、この状態でライスを置いていくのは心配だけど)
奈々江は最後まで付き添ってくれたフェリペに顔を向けた。
「フェリペさん、どうかライスのことをお願いします」
フェリペは静かに会釈を見せた。
エレルモのときについでに見て分かったのだが、フェリペのゲージも黄色だった。
修道士は独身ばかりだと聞いていたが、まれに結婚生活を経験した者もいるという。
若いフェリペがこのゲージを持つということは、恐らく妻子があるのかあったのだろうと推測する。
だとすれば、それなりに人生経験は豊富そうだ。
立ち振る舞いも丁寧だし、言葉遣いも不足はない。
頭もよさそうだし、しかも貴族しかなれないという神官長のお気に入りならばおそらく貴族出身者でもあるだろう。
奈々江はそっとフェリペに小声で話しかけた。
「あなたの役目からは外れたことなのかもしれませんが、どうか、ライスの話し相手になってあげてください。
なにがあったのかわかりませんが、無理に聞き出したりせず、ただときどき世間話をするだけでもいいのです。
そう、例えば、今日みたいに音楽の話とか……。ライスはそういう話が好きみたいだし」
太陽のエレスチャルが効いている。
フェリペは少しばかり考えるそぶりを見せたが、すぐに微笑み返した。
「承知しました。幸い、私も音楽は多少嗜みがあります」
「それは幸いだわ。どうかお願いね」
「反対にナナエ殿下は人並み外れた才能がおありなのに、音楽の話があまり好きではないようでございましたね」
「えっ……」
(こ、この人、けっこう人を見てる……)
奈々江は気まずくなって表面だけの頬笑みでごまかした。
「行くぞ、ナナエ」
「はい」
ブランシュに促され、呪文を唱える。
まぶしい光の後、目の前に現れたのは、見慣れたブルーノ城だった。
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ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。
いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。
なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。
このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。
悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。
ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――
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