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#32、 静かなる思惑

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 ところが、ブランシュの取った行動は奈々江の予想とは違った。

「ホレイシオ、貴様! ナナエの手を離せ!」

 駆け寄ってきたと同時に、ホレイシオの手を奈々江から引き離した。

「お、お兄様……!」
「ブランシュ殿下、どうか落ち着いてください。
 僕とナナエ様はこれから結婚を前提にお付き合いさせていただくことになったのです」
「そうですわ、ブランシュさん。私も母親として、ホレイシオ様とのご縁に賛成しておりますのよ」
「ばかげている! だったらなぜ、ナナエがこんなに不安そうな顔をしているのだ!」

 ブランシュの一喝に、その場が一瞬で凍り付いた。
 そして、各人が確かめるように、奈々江の顔を見た。

(わ、わたし、そんな酷い顔してる……?)

 触ったところでわかるはずもないのに、思わず奈々江は自分の顔を手で触った。

「クレア様、ナナエのことを案じる気持ちはよくわかります。
 ホレイシオがいい青年だということも俺はよく知っています。
 だが、ナナエの気持ちを考えてやることが一番大事ではありませんか?」

 ブランシュの言葉に、クレアが心を見抜かれたというように顔を伏せた。

「ホレイシオ、お前の積年の想いに免じて、今日のところは目零してやる。
 だが、これ以上ナナエに無理強いをすることは俺が許さない。
 お前だとて、無理を通して婚約できたとしても、その相手に自殺などされたくないだろう」
「は……はい、その通りです……」

 ホレイシオがさっきまでの態度と打って変って、すまなそうに奈々江を見つめた。

「ホレイシオ、今日のところは帰れ」
「はっ……」

 ホレイシオが深々と頭を下げた。
 部屋の出入り口で、ライスとすれ違いながら、ホレイシオは出て行った。
 奈々江もクレアもそのときまで、ライスがいることに気がつかなかった。

「ま、まあ、ライスさん……。気がつかず、失礼しましたわ」
「……ご無沙汰しております、クレア様」
「とんだところをお見せしてしまいましたわね……」
「いえ……」

 ライスが軽く頭を下げた。
 ブランシュがクレアに向かっていった。

「すみませんが、しばし我ら兄弟だけにしていただけますか?」
「……え、ええ、構いませんわ」

 クレアとメイドたちが部屋を出て行った。

「お兄様……」

 奈々江はブランシュを見つめた。

「大丈夫か、ナナエ」
「……お兄様」
「どうした」
「お兄様……」

 奈々江は何度もそう口に出した。
 口にするたびに、安堵するこの気持ちはなんだろう。
 ゲームの中の借り物とはいえ、兄というものがこれほど力強く親身になってくれるものなのかと、改めて奈々江は実感を深めていた。

「お兄様」
「どうしたのだ、ナナエ」
「わたしにお兄様がいてくれて、今本当にうれしいんです……」

 するとブランシュがふっと顔を緩めた。
 大きな温かい手が奈々江の頭をぽんぽんとなでた。

「当り前ではないか。
 むしろ、俺はお前の世話が焼けてうれしいぞ」
「え?」
「お前はユーディリア様の四姉妹たちと違って、ちっともわがままをいわなかっただろう。
 お前は知らないだろうが、あの四姉妹がいたころの兄弟会は、みんなそれぞれにばらばらな意見をいうから、まとめるのに苦労したものだ。
 それに、クレア様が控えめだからだろうが、お前が父上になにかをねだったりお願い事をしている姿も見たことがない。
 上の三姉妹の結婚をまとめるのを、父上と俺がどれほど苦労したか、想像できるか? 
 本人たちはそんなことはどこ吹く風だったがな。
 それに引き換え、お前はクレア様と一緒に景牧の離宮に咲く野花などを籠に活けて、それを父上と母上のもとに届けに来てくれたな。
 城ですれ違う度に、お前はいつも俺に籠から一輪の花をくれた。
 その花が俺を慰めてくれたことが何度もあった」
(……あ、また、わたしの記憶が影響してる……?)

 ブランシュの思い出話を聞いて奈々江が思い出したのは、小学校六年生のときの母の日のことだ。
 奈々江はそのころ初潮を迎え、初めて生理用品をおこずかいで買った。
 最低限必要なものを揃えると、月のおこずかいだけでは足らず、それまでの貯金分も持ち出すことになった。
 しかも、その月には母の日があった。
 毎年プレゼントにはカーネーションの花束を買うことにしていた。
 しかし、今回手持ちのお金ではそれが難しい。
 考えた挙句、奈々江は籠だけを買うことにしたのだ。
 母の日の当日、奈々江は籠いっぱいに野花を摘んでかざった。
 その帰り道に、奈々江は和左と右今に鉢会った。
 右今が無邪気にきれいだねというので、奈々江はふたりに一本ずつ花を手渡したのだ。
 和左は花なんてもらったの初めてだといっていた。
 ところが結局その二輪の花は、母の日という協調圧力によって須山日夏のもとに送られたのだった。
 そうとは知らない須山日夏が、ふたりの甥っ子からの花のプレゼントを大いに喜んだのはいうまでもない。

 そのことを思い出して、奈々江は小さく笑った。
 ブランシュがほっとしたように声を和らげる。

「よし、大丈夫そうだな。これからも周りからいろいろいわれるだろうが、気にするな。
 それと、俺や父上に心配をかけまいとするな。わかったな?」
「え……?」
「お前は他の妹たちと違って、いつも大丈夫だといっていたな。まわりに心配をかけまいとして。
 お前の言葉を信じて、皇太子妃候補として送り出したが、お前はグランティア王国にいったその晩に自殺未遂をした。
 父上も俺も、お前の話をもっとよく聞いてやるべきだったと反省しているのだ。
 とにかく、自ら死を選ぶほど悩んでいたのなら、その前に俺達に悩みを打ち明けるべきだ。
 もっとも、これまではお前にとって信頼に足る兄弟だとは思えなかったかもしれんが、これからは俺やライスを頼りにしろ。
 俺達は兄妹なんだから」

 自殺未遂の理由はゲームを終わらすための試みであって、ブランシュの懸念した理由とは違ってはいたが、ブランシュの言葉と温かいまなざしは、奈々江の心を温めた。

「お兄様……、ありがとう……存じます。
 ライスお兄様も……」

 そういってライスを見ると、ナイフのような鋭いまなざしが返ってきた。

(えっ……)
「ライス、どうしたのだ」
「……いえ、兄上が気におかけになるだけの価値ある努力が見られるかどうか見張っているのです」
「そうか……、まあ、長い目で見てやってくれ、ライス」
「兄上がそうおっしゃるなら」
(……同じ兄弟でも、ライスの信頼を得るには時間がかかりそう……。
 このくだり、これからも何度も見ることになるんだろうな……)

 奈々江は居住まいを正して、言葉遣いを正しくするように思い改めた。
 それはそうと、とブランシュが仕切り直した。

「イルマラの要求がわかったのだ」
「贈り物の資金を出してくださるという代わりの要求ですか?」
「ああ。イルマラはナナエの代わりにグレナンデス皇太子の妃候補になることを希望している」
(えっ……!)

 奈々江は思わず息をつめた。
 それが本当になったら、奈々江にとってのグレナンデスルートは完璧に断たれたということになる。
 いいようのない衝撃のようなものが奈々江を揺らした。
 それは奈々江にとって初めて体験する地震のようだった。
 その一方で、冷静な思考が、両国にとってはそれが一番いい落としどころなのではあるまいかとささやく。
 ナナエに起こった数々の不手際を貸しとするならば、グランティア王国はエレンデュラ王国から差し出された次なる候補をもはや断る理由がない。

「今はユーディリア様の入れ知恵されたイルマラがひとりで盛り上がっているだけだが、父上にとってもグランティア王国にとってもこれはうまい終着点だとみなされるだろう。
 今イルマラが行けば何番目かはわからないが妃になることは間違いない。どうする、ナナエ?」
「どう……とは……?」
「お前の気持ちを聞いているのだ」
「え……」
「ナナエ、よく考えてみろ。お前はどうして帰りの馬車の中で泣いていたのだ。
 不得手なりにもグレナンデス皇太子とのことを一度は前向きに考えていたのだろう? 
 本当に、イルマラに譲ってしまってもいいのか?」
(そ、それは……)

 泣いていたこと自体はグレナンデスとは関係のないことだが、しかし、さっきイルマラが妃候補になると聞いたときの胸の動揺はなんだったのか。
 奈々江自身、自分の中の激しい動揺に驚いていたところだ。

「急かしたことはいいたくはないが、あまり時間がない。
 お前の中でグレナンデス皇太子のことはもう済んだことだというのならそれで構わない。
 きっとこれからいくらでも、お前と気の合う者との縁があるだろう」
(今ならグレナンデスルートに復帰できる。
 でも、こんな急だなんて……。
 太陽のエレスチャルもまだ取り外せていないのに……)

 奈々江は顔を上げた。

「でも、お兄様、わたしはまだ例のものを取り外せていません」
「うむ……、問題はそれか」

 ブランシュも眉をひそめて考え込んでしまった。
 すると、今まで黙っていたライスが口を開いた。

「そもそも、太陽のエレスチャルほどのアイテムをどうやってナナエは手に入れることができたのだ?」
(えっ、なぜライスが太陽のエレスチャルのことを……?)

 奈々江が驚いたようにライスを見つめると、ブランシュが説明した。

「いうのが遅れたが、ライスにもお前のことを話した。
 心配するな。ライスは信用できる。
 ……まあ、イルマラにはいわないほうが良いと判断しているがな」
「そうだったのですね。お兄様がそう判断なさったのなら、わたしは従います。
 太陽のエレスチャルをどうやって手に入れたかですが、わたしもによくわからないのです。
 気がついたら持っていたというしか……」
(アプリの話だったら開発者用の裏ルートから入手したんだと思うけれど……)

 ライスがじっと奈々江を見つめる。

「お前のようななんの見どころもない皇女になぜ……。解せぬ」
(……ライスって、なんかわたしに厳しすぎない……?
 太陽のエレスチャル、ライスにも効いてないんじゃないの?)
「ともかく、太陽のエレスチャルを外すことが急務だな。
 今日のところはホレイシオを呼ぶわけにもいかないが、ライスが手を貸してくれる。
 ライス、やれるか」
「はい、兄上の頼みとあらば」

 ライスは胸元から銀の鎖で吊るされたペンデュラムを取り出した。
 雫型に多面研磨した水晶のペンダントのようなものだ。

「ナナエ、そのまま静かにしていろ」

 ライスが奈々江の前に立った。
 ペンデュラムを前に垂らすと、その水晶の動きに目を凝らした。
 そのまま、ライスはナナエの輪郭をゆるりとペンデュラムでなぞる。
 ナナエの左側のこめかみのあたりで、ペンデュラムが大きく振れ始めた。

「ここですね。太陽のエレスチャルはナナエの左側頭部にあります」
「やはり頭か。状態はわかるか?」
「やってみます。
 ナナエ、私の魔力を太陽のエレスチャルに向けて流してみる。
 少し痺れたり熱くなったりするかもしれないが、できるだけ動かないように」
「は、はい」

 さっと、ライスの手がさっとナナエの頭の横にかざされた。
 それだけで奈々江はびくっと震えた。

「まだ流してない」
(……だ、だって、ライスなんか怖いんだもん……)
「ライス、ナナエが怖がっている。もう少し穏やかにできないか」
「はい、兄上の頼みとあらば」

 とたんにライスの動きがゆっくりと穏やかになった。

(……んん? ライス、もしかしてわざと……?)

 ライスがゆったりとした所作で、手に力をまとわせる。
 ライスの体から揺らめきが浮かび、その動きが奈々江の側頭部に掲げられた手に集まっていく。
 次第にじんわりとこめかみのあたりが温かくなってきた。

(これが、魔力……)
「どうやら肉体とも溶けあっていますね。外科的に取り出すのは不可能です」
「それは想定内だ。ライス、分離はできそうか?」
「試してみましょう」
(分離……?)

 ライスが手を一度ぐっと握り、再び開いた。
 とたん、さっきまで感じていた温かさが冷たさに変った。

(つ、冷たい……。これも魔力なの?)

 再びライスが拳を作った。
 次に手が開いたとき、奈々江の頭にこめかみで刺されるような痛みが走った。

「あうっ!」
「大丈夫か、ナナエ!」
「デュイオ波は分離効果がありそうですね」
「ライス、もう少し力を弱められないか? ナナエがひどく痛がっているぞ……!」
「これでも最弱の放出にしているのですが……。ナナエ、耐えられそうにないか?」
(……た、耐えるって……、耐えろといわれれば耐えるけど……)

 奈々江は苦悶しながら、頑張りますと答えた。
 ライスが拳を固め、再び手を開く。
 どうやら、あの所作が魔力の性質を変えるきっかけになっているらしい。
 今度は酸のようなピリピリとした感覚がする。

「グレダ波はそれほどでもありません」

 ライスはそのあとも何度かぐっぱと拳を握っては開き、奈々江のこめかみにある太陽のエレスチャルに魔力を流し続けた。

「……僕にできるのはここまでです。
 バルス波とニーム波には分離効果が望めそうです。
 デュイオ波が最も顕著でしたが、ナナエの様子からすると効果が強すぎるようなので、慎重に扱ったほうがいいですね」

 ライスがかざした手を下げると、奈々江はほっとしたのと同時に、一気にぐったりとしてしまった。

(や、やっと終わった……。
 ……なになにって波ってチャンネルっていうか、電波の周波数みたいなもの……? 
 それともエックス線とかガンマ線とか超音波とか……?
 とにかく、魔法にもそういう種類があるってことがわかったのはいいけど……。
 肉体と溶けあってしまった太陽のエレスチャルを分離させるのに、あんなに痛みが伴うなんて……。
 うう……、あの日のわたしは、なんで確認もせずに飲み込んじゃったんだろう……)

 ソファに寄り掛かるようにしていると、ライスからビリッと刺すような視線を感じた。
 奈々江はぎくっと身を縮め、姿勢を改めた。
 打って変ってブランシュは心配してくれる。

「慣れない魔力をあてられて疲れただろう。
 だが、分離に役立ちそうな魔力がわかったことは前進だぞ、ナナエ」
「兄上、ホレイシオとともに分離魔法について詳細に試してみることにしましょう。
 ナナエもそれなりに耐えられるようでしたし、明日から始めてはいかがでしょう」
(あ、明日から……って、まさかこの痛いのを明日から毎日やるってこと……?)

 奈々江の顔が引きつったのを見て、ブランシュが隣にやってきた。

「ナナエ、体を楽にして、ここに頭を乗せてみろ」

 ブランシュが奈々江の左側に手のひらを広げて見せた。
 ここ、とはどうやら手のひらの上のことのようだ。
 少しためらいながらも、奈々江はいわれたとおりに、ブランシュの手の上に左側頭部を下に頭を乗せた。
 すると、じんわりとしたぬくもりとともに、疲労が軽くなっていく気がした。

「お兄様、これは……」
「回復魔法だ。
 分離魔法の痛みも軽減できるようにできる限り手を尽くす。
 辛いだろうが、頑張れよ」
「お兄様……、ありがとう存じます」

 しばし目を閉じて、ブランシュの回復魔法に身を預けた。

(そっか……、当然あるよね、回復魔法。
 すごい、さっきまでの疲れが嘘みたいに消えていく……)

 ぼんやりしながら薄く目を開くと、真正面に鬼のような顔があった。
 奈々江を睨むライスだった。

(うっ! こ、怖っ……)
「兄上、そのような些末なことは私にお任せください」
「そうだな、お前の魔法のほうが俺より遥かに優れている。任せるぞ」
(え……、ラ、ライスよりブランシュのほうがいいよ~……)

 ブランシュと入れ替わると、ライスはまるで敵を射すくめるかのような顔で奈々江の前に立った。
 そして、なにやら手と手を上下にして、間に丸い玉でも挟んでいるかのようにして力を込め始めた。

(ちょ……、なに……? まさか、なんか撃つ気なの?)

 奈々江の顔に不安が浮かぶ。

「ナナエ、少し衝撃が加わるが、耐えられるな?」
「衝撃って……」
「口を閉じていろ」
(ひいっ、ちょっと待ってよ!)

 奈々江が口を開く前に、ライスがその手にあるエネルギー体を奈々江の前に突き出した。
 思わず顔を背けて、ぎゅっと目をつぶった。
 次の瞬間、お湯にでも浸かったかのように温かいものが奈々江の体にぶつかった。
 一瞬、風船か、さもなくばパンを押し当てられたような柔らかな圧を感じた。
 しかしそれはほんのわずかな時間で、次の瞬間には、体中に温かいものが巡って、すっかり疲れが吹き飛んでいた。
 目を開けた奈々江が不思議そうにきょときょとしている。
 一連の様子を見てブランシュがライスをたしなめた。

「ライス、いちいちそうナナエを脅かすな。
 怯えさせてはかわいそうではないか」
「……王族でありながら、自ら回復魔法すら使えぬとは、呆れてものがいえません」
「ナナエは特例でたった一年で魔法学校を卒業してしまったのだ。
 当時我々もそのことを気にかけてやれなかった。しかたあるまい」
「とはいえ、この程度の回復魔法で兄上の手をいちいち煩わせるわけにはいきません。
 ナナエは魔法教育を受け直すべきではないですか?」
「それもそうだが……。
 ナナエはどうだ? 太陽のエレスチャルを取り出した後でもいいが、魔法教育を受け直すか? 
 俺としても、お前のこれまでの様子を見ているとなにかと心配だぞ」
「あの……、わたしでも回復魔法が使えるようになるのですか?」
「当然だ」
「でしたら、回復魔法だけでもすぐに学びたいです……」
(……ライスが怖いんだもん……!)
「それなら、セレンディアスと一緒にエベレストの指導を受けるといい。
 太陽のエレスチャルが外れないうちは、学校に通うのも難しいだろう」

 あれという間に、魔法を学ぶことが決まった。

(これもこの世界ではマナーのひとつみたいなものだよね。
 自分に魔力があるなんてよくわからないけど、ブランシュが当然というなら、きっとわたしでもできるよね? 
 これ以上ライスに睨まれないように、基礎的な知識の習得と回復魔法だけはなるたけはやくできるようになりたいな……。
 というか……。ライスは、太陽のエレスチャルが効いてるのかどうか、それを上回りそうなあの厳しさはなんなんだろう……。
 もしかするとわたしが嫌われているのかな……。
 だとしたら、嫌われる理由がわたしにはわからないんだけど……)

 ちらっとライスを見ると、ライスはブランシュを見つめている。
 ライスはいつもブランシュを見つめている。
 よほど兄が好きなんだろう。

(……ってことは、もしかして、そうか……。
  ライスはブランシュがわたしを構うのが気に食わないの?)

 そうかもしれない。
 奈々江の頭にまたもふたりの従兄弟のことが思い出された。
 和左と右今がやってきて間もないころ、和左よりも柔軟に須山家になじみかけていた右今。
 右今とは話をするにしても行動を共にするにも、互いに関わり合うことを難しくは感じなかった。
 けれど、和左はなににつけても非友好的で、はっきりいって取り付く島がなかった。
 しかも、右今が須山家になじんでいくたびに、和左はそれが気に食わないというそぶりを見せるようになった。
 和左にしたら、右今を取られてしまうという気持ちになったのかもしれない。

(ライスはブランシュをわたしに取られそうで、心配なの?
 実際はそんなことはないんだろうけれど、もしかするとそれでライスは面白くないのかもしれない。
 クレアはファスタンとスルタンも親友でライバルだったっていっていた。
 わたしとちがって、皇太子であるふたりには公務もあるみたいだし、そういう実務的なしわ寄せも来ているのかも。
 それに、和左君と右今君のように、わたしにはわからない男兄弟の大事な時間や絆があるのかもしれない……)

 そんなことに思い至っていると、ブランシュがいった。

「とにかく、明日お前はイルマラから要求されるだろう。
 イルマラはグレナンデス皇太子の妃候補になり、できるだけ若い番号の妃になりたいと思っているはずだ。
 グレナンデスがお前に熱を上げていたということはもうエレンデュラ貴族の間でも噂になっている。
 イルマラは恐らくお前からどんな手練手管を使ったのかを聞きたがるだろう。
 しかし、太陽のエレスチャルのことはイルマラに話すべきではない。わかるな?」
「国内においても、太陽のエレスチャルは慎重に扱うべき事柄なのですね」
「そうだ。権力欲の強いユーディリア様の耳にでも入ったら、手荒な真似をしてでも奪おうとするかもしれない」
「そ、そうなのですか……」
「王族同士で諍いを起こすなど絶対にしたくはない」
「はい……。でも、太陽のエレスチャルを無事に取り出すことさえできれば、アイテム自体は陛下の元、国のために有効に利用されるのですよね? 
 ……いえ、むしろ、悪用されないように管理にされるべきなのでしょうか?」
「それはまだわからない。
 しかし、グランティア王国のシュトラスとバニティはナナエが太陽のエレスチャルを持っていることを知っている。
 それがいつエドモンド王に知れないとも限らない。
 とすれば、奪い合いになる前に太陽のエレスチャルは破壊せねばならないかもしれない」
「そんな、アイテムひとつのために奪い合いだなんて……」
「しかし、そうなった場合、ナナエは構わないか?」
「構わないかとは、どういう意味でしょうか?」
「太陽のエレスチャルは突如としてナナエの元に現れたナナエ個人の所有物だ」
「いえ、わたしが持つには荷が勝ちすぎます。
 体から取り出すことができたら、わたしはどなたにもらっていただいても構いません。
 破壊したほうがよいというのならもちろん賛成します」
「そうか、それを聞いて安堵した。
 強力な魔法アイテムはときに持ち主やその周りの人間に強い影響や欲望を与えるからな。
 そこのところ、ナナエがしっかりとしていてくれてありがたい」
「それをいうなら、わたしにとってはお兄様がいろいろと教えて下さり、手助けしてくださるお陰で今日までなんとか無事でいられたのです。
 お兄様には心から感謝しています。
 もしもわたしが選べるのであれば、太陽のエレスチャルはお兄様に受け取ってほしいと思っているくらいです」
「いや、俺に渡されても困るぞ!」
「えっ……、あ、そ、そうですよね……。申し訳ありません。
 お兄様にはいつか感謝を形にしたいと思っているのですが、わたしには差し上げられるものが何もないので……。
 そうですよね、太陽のエレスチャルなんてもらっても困るだけですよね……」

 奈々江は小首をかしげた。

(なんだかブランシュにやっかいなものを押し付けようとしているみたいになっちゃった……。
 けど、ブランシュもこれからお妃を貰ったり、次の王様候補になるわけだし、ブランシュが持っていても損はない気がするんだけどな……。
 それに、ブランシュなら正しく使ってくれそうな気がするし……)

 そのときは気づかなかったが、ライスが奈々江を見つめていた。
 ライスの中で静かな思惑がうごめいていることを、奈々江は知る由もなかった。



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