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第7章 私はただ自由に空が飛びたいだけなのに

75 不毛

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 リース男爵家の皆は周囲に他人がいることも忘れて過激な口論を繰り広げた。

 「マルグリット!この阿婆擦れの淫売女!!あんたがあたしの息子に色目を使ってその体で言いなりにしたのは分かっているのよ!?あんたは成長期になったら胸ばかり大きくていやらしい体つきになっていって、あんたの産みの親は娼婦に決まっている!なんて穢らわしい子なの!!」

 ブリジットはマルグリットの身体的特徴に言い掛かりをつけて侮辱し始めた。
 ブリジットは自分の幼児体型にコンプレックスを抱いていたのかもしれない。
 同じ黒髪黒目で小柄な女性でありながら、成長していくマルグリットは自分が憧れても手に入らなかった体を手に入れていくことに嫉妬していたらしい。

 しかし、豊満な胸と女性らしい体つきというだけで母親は娼婦だと決めつけるのは何の根拠もない不当な言いがかりだ。
 その証拠に由緒正しい貴族の血を継いでるジュリアーナは女性として素晴らしい完璧なプロポーションをしている。

 「……わ、わたしは、色目なんて、お兄様に使ってなんかいません……」

 「母上!ゲスの勘繰りは辞めてください。僕たちはまだ清い関係です!それに、僕はマルグリットの内面の美しさと強さに惹かれたのです。マルグリットの体は関係ありません!!」

 ジルコニアスはブリジットのマルグリットへの劣等感や嫉妬心に気付いていないようで、馬鹿正直に真っ正面から反論している。

 「ジルコニアス!女一人のために自分の人生を棒に振るつもりか!?これまでお前のために僕がどれだけ苦労してきたのか分かっているのか?!全てはお前にイスラ侯爵家を継がせるためだったんだぞ!妹と一緒にさせるために今までお前のためにお金も時間も掛けてきたわけじゃない!!親を捨ててその女と行くというなら、その前に僕たち親がこれまでお前達にかけてきたものを全て返してからにしろ!!」

 マルコシアスは怒りを露にして一方的にジルコニアスへ怒鳴りつけて理不尽な命令をする。

 私はブリジット一人のために婚約者を捨てて自分の人生を棒に振ったマルコシアスがどの面下げてそんなことを自分の息子に言うのかと呆れてしまう。
 マルコシアスは婚約破棄せずにそのままジュリアーナと結婚して辺境伯の配偶者になっていれば、このような犯罪者にまで堕ちることはなかっただろう。
 正に自分の人生を棒に振った男の末路が目の前にある。
 しかし、そのことに発言した本人が気付いていないことがあまりにも愚かで滑稽だ。
 幸い、ジルコニアスは自分の父親のそんな道化ぶりには気付いていない。
 
 「父上、僕はこれまで一度もイスラ侯爵家を継ぎたいと望んだことはありません。父上が勝手に僕に父上の望みを押し付けてきていただけです。これまで父上がやっていたことは『僕のため』ではなく『自分のため』です。だから、僕が父上に返すものは何もありません」

 ジルコニアスは真面目に自分の父親に言い返した。

 しかし、マルコシアスは完全に冷静さを欠いているようで、ジルコニアスの反論に逆上した。

 「子どものくせに親に口答えするな!そもそもお前が妹と結婚するとか馬鹿なことを言うのが悪いんだ!?親がやめろと言っているのにそれに子どもが逆らうな!!親に逆らうお前が全面的に悪い!」

 その後もジルコニアスとマルグリットが何を言ってもリース男爵夫妻は筋が全く通らない自己主張を振り回して押し付けるだけだ。

 反論に対する答えを返すことなく、一方的な理屈で相手を責め立てるだけで、親であるということを盾にとって子を無理矢理従わせようとしている。

 そんなリース男爵夫妻の言葉をジルコニアスとマルグリットは真正面から正直に真剣に取り合っている。

 ジルコニアス達は親に理解を求めている。
 自分たちの非を認めて、反省して、謝罪することを望んでいる。
 そのために必死に言葉を尽くして理解させようと頑張っている。

 しかし、ジルコニアス達がやっていることは無駄でしかない。決して報われることはない。

 どれだけ必死に親に自分たちの非道な行いを訴えて悔い改めて謝罪することを望んでもそれは叶わない。

 なぜなら、リース男爵夫妻は自分たちがやっていることが悪いことだと思っていない。
 だから、ジルコニアス達にどれだけ酷いと訴えられても理解できない。理解できないから相手の訴えを受け入れることはない。

 完全なる一方通行。
 ジルコニアス達はキャッチボールを求めているのに、親はそれに応えてくれない。
 リース男爵夫妻は的当てをしているだけだから応える気が無い。
 暴言ボールを相手にぶつけることができたらそれで成功になる。

 リース男爵家のやり取りは一見すると会話が成立しているようで、何も成立していない。

 ジルコニアスは相互理解、歩み寄りを求めているのに、リース男爵夫妻はそんなことは全く望んでいない。

 ジルコニアスは親に対して厳しいことを言って怒らせてでも、どうしてそんなことをこちらが言うのか考えてほしいと思っている。
 でも、それはリース男爵夫妻には通じていない。

 リース男爵夫妻は単純に言われたことに対してただ怒っているだけ。
 怒りの感情のままに相手に暴言をぶつけるだけ。
 怒って、相手を傷つけて、怒りを発散して、スッキリして終わり。

 リース男爵夫妻は我が子のことを理解する気が無い。
 自分達のことを理解してほしいとも望んでいない。
 子は親の言うことに絶対的に服従して、反抗も抵抗もしてはいけない、全て受け入れるべきだと信じ込んでいるから。
 自分たちは親だから子に対して絶対正義であり、絶対正しく、親が子に対してやることに何も間違いはないと思い込んでいる。
 それを一切疑っていない。

 傍から見ているとそれがよく分かる。

 ジルコニアスはリース男爵夫妻に親なのに子に対してどうしてそんなことをするのかと問い詰めている。
 リース男爵夫妻は自分たちは親だから子にそうする権利と資格があると答えている。
 ジルコニアスは両親の言い分に納得できず、ずっと「親なのにどうして」と問い続けている。
 リース男爵夫妻はジルコニアスが問うことが理解できず、ずっと「親だから」と答え続けている。

 不毛な問答の堂々巡りだ。

 子は親への甘えがあり、親は子への傲慢さがある。
 子は親なら分かってくれるはずだという甘え。
 親は子なら何をしても許される、受け入れる、という傲慢さ。

 ジルコニアスは親に期待している。
 子を理解してくれるはずだという期待が捨てきれない。
 親子として愛し愛されるという甘い夢からまだ醒めていない。

 一方でリース男爵夫妻は相手に何も期待していない。望んでいない。
 一方的に我が子を蹂躙して、虐げて、苦しめて自分達のストレスが発散できればそれでいい。

 子は親の所有物という歪んだ考え方で、子は親よりも立場も力も何もかもが弱い弱者だから強者である親は弱者に対して何をしても許されると勘違いしている。

 そんな考えの人間は自分の行いを反省しない。後悔しない。謝罪しない。
 自分たちは間違っていない、正しいと信じている。
 自分たちのためなら他人をどれだけ犠牲にして踏みにじっても許されると思っている。
 自分たちが幸せなら他人などどうなっても構わない、いや、他人のことなど一切考えていない。
 他人の思いも、考えも、苦しみも、痛みも、自分たちとは無関係で無関心。
 自分たちのことだけしか考えられない。

 だから、ジルコニアスはリース男爵夫妻に自分達の間違いを認めさせて謝罪させるという目的を達成するためには、彼等のその価値観、固定観念を変えることから始めないといけない。
 それをしないことには何を言っても届かない。どれだけ言葉を尽くしても伝わらない。
 だから、今やっていることは無駄なことでしかない。

 でも、それは当事者であるジルコニアスには分からない。
 なぜ自分の親が子である自分の言葉を理解してくれないのかが理解できない。
 だから、的外れなことをするし、明後日な方向へ努力する。
 自分の言葉や想いが足りないせいだと勘違いして、無駄な努力を重ねる。

 しかし、リース男爵夫妻は自分たちの価値観を否定されることに腹を立てるだけ。
 信じていることを間違っていると指摘されても素直に受け入れない。子は親に無条件で従うものだと信じているから。
 リース男爵夫妻は子に否定されれば否定されるほどに腹を立ててしまう。
 前提となる固定観念はそのままだから何をしても無意味だ。

 リース男爵夫妻は自分たちが間違っているなんて夢にも思っていない。親を否定する子が悪いに決まっていると信じ込んでいる。

 だから、決して子の言葉は親には届かない。
 子の望みは叶わない。期待に応えてはもらえない。

 しかし、ジルコニアスは冷静さを欠いて、客観的に判断できないせいで、決して期待を捨てられない。諦めきれない。
 一縷の望みをかけて必死に訴え続ける。

 でも、それは明後日の方向の努力でしかない。

 本当に自分の両親に自分の言葉を理解して受け入れてもらいたいなら、相手の固定観念を壊して取っ払わなければならない。価値観を変えさせなければならない。

 まずは、相手に自分が間違っているのかもしれないという疑念を抱かせないといけない。
 最初から相手を否定しても、相手は自分が正しいと信じているから決して意見を聞き入れてはくれない。

 それには莫大な時間と労力がかかる。一朝一夕には終わらない。
 根気強く辛抱強く忍耐強く相手と関わり続けなければならない。
 いつかきっと分かり合えると希望を捨てずに、相手に期待し続けて。

 それはとても大変なことで絶対に出来るという保証も無い。
 それでもジルコニアスの望みであるリース男爵夫妻に自分達の非道を理解し、後悔して、反省して、謝罪して、2度とそのような酷いことをしないように変わってもらうにはそれだけの対価を払う必要がある。

 そんなことはせずにさっさと諦めたら楽になれる。
 希望を抱くことはやめて、期待は捨ててしまえばいい。

 でも、ジルコニアス達はそう簡単には諦められない。

 愛された記憶があるから。
 親子として過ごした時間があるから。
 信じている家族の繋がりがあるか。
 これまで築いてきた関係があるから。

 それは呪いのようにジルコニアス達を縛り動けなくする。
 思考も停止する。
 希望しか見えなくなる。
 期待に縋り付くことしかできなくなる。
 だから、無駄に何度も同じことを訴え続ける。
 それがどんどん加速して過激になっていく。
 リース男爵夫妻はそれに腹立ち、その腹立ちを解消するためだけにまた我が子を傷つけ苦しめる。
 ジルコニアス達はまた言い返す。

 ジルコニアス達の中に希望と期待がある限りずっとその繰り返しで堂々巡り。

 何の意味も無い、何も生み出さない、何も成し得ない、何とも不毛なやり取りだ。

 この虚しいやり取りを強制的に終わらせることは難しくない。

 リース男爵夫妻をさっさと連行して、ジルコニアス達と引き離せばそれで終わる。

 しかし、それでは後味が悪い。

 ジルコニアス達は傷つき苦しんでいる。そして、呪いまでかけられた。
 今回の傷が癒えても、その呪いはずっとジルコニアス達を苦しめ続けるだろう。心の奥底でずっとリース男爵夫妻に縛られ続けることになる。

 私は何とかジルコニアス達にかけられた呪いを少しでも束縛を緩めて、威力を弱く、効果を軽くするようにして事態の収拾ができないかとリース男爵家の不毛なやり取りを眺めながら考え続けていた。





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