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第7章 私はただ自由に空が飛びたいだけなのに

30 最善の手段

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 私はずっと南部辺境伯は私のことを「ジュリアーナの付属品オマケ」であり、「ジュリアーナを幸せにするための道具」程度の認識しかしていないと思っていた。

 私と養子縁組してくれたのもジュリアーナのためであって私のためではないと思い込んでいた。

 でも、私の「ルリエラ」という名前の由来を南部辺境伯から直接教えてもらい、南部辺境伯の照れ隠しのような姿を見て、名付け親である南部辺境伯が少しは私にも情を持ってくれていたことが分かった。

 子の名前に自分の名前の一部を与えるだけで情の有無があるかどうかが判別できるものではない。
 でも、その名前を呼ぶ声でその名前にどんな想いが込められているかは感じられる。特にその名前の由来を話している時にその名前の人物に対する想いが流れ込んでくる。

 だからこそ「マルグリット・リース」の名前からは何も感じられなかった。
 その名前の由来を嬉しげに語るブリジットからはその子への愛情や母性は響いて来なかった。
 ブリジットからはマルグリットという名前はまるで自分の所有物であることの印であり、マルグリットという名前を呼ぶことで自分の所有権を主張しているだけのように聞こえた。
 
 リース男爵夫妻にとって、子の名付けは子への祈りや願いを込めるものではなかった。
 単なる自分たちのものだと顕示するためのものでしかなかったようだ。

 だから、マルグリットの代わりに迎えた養女にも同じマルグリットという名前を付けたのだろう。

 名前に関して南部辺境伯とリース男爵夫妻を比較することでそんなことに思い至ってしまった。

 私がそんなことを考えている間に南部辺境伯は気持ちが落ち着いたのか、気付けば私へとしっかり向き直っていて、声を掛けてきた。

 「ルリエラ、こちらからも一つ尋ねたいことがあるのだが、良いだろうか?」

 改まって南部辺境伯にそう聞かれる。
 南部辺境伯の様子がどこか切迫さと真剣さを孕んでいて、私のような興味本位の質問ではなく、とても真面目で重要な質問をしようとしていることが察せられる。

 私は平静を装いながら「ど、どうぞ……」と返答した。

 しかし、南部辺境伯はすぐには質問を口にしなかった。
 何を質問しようか悩んでいるのではなく、尋ね方について試行錯誤しているようだ。

 その間、私は必死に南部辺境伯の質問内容について考えたが、南部辺境伯が言い方に悩むような質問内容に心当たりが無い。
 私は戦々恐々としながら南部辺境伯が口を開くのを待った。

 幸いにも南部辺境伯はすぐに質問を口にしてくれた。

 「……ルリエラは、儂のことをどう思っているのだ?」

 「………どう、とは何でしょうか?」

 南部辺境伯のあまりにも漠然とした尋ね方に質問の意図が分かりかねた。
 
 私が全く意味が分かっていない様子を見て、南部辺境伯は慎重に言葉を選びながら答えてくれる。

 「……ルリエラは先日、儂のことを『恨んではいない』と言っていたな。しかし、ジュリアーナは儂のことを恨んでいる。憎んでいるし、嫌っている。儂のやったことを許していない。その姿をルリエラも見ただろう?それでもルリエラは儂のことを恨まないのか?憎まないのか?嫌わないのか?ルリエラは儂のことを許すのか?」

 まるで懺悔するかのように南部辺境伯は私へと問い掛けた。

 南部辺境伯の質問の意図がまだ掴めてはいない。
 なぜこのような質問を南部辺境伯が私にするのかが分からない。
 それでも南部辺境伯の切実さと真剣さだけはしっかり伝わってきた。

 だから私も真摯に嘘偽り無く南部辺境伯に応える。

 「──は南部辺境伯を恨んではいません。憎んでも嫌ってもいません。寧ろ感謝しています。今回の養子縁組の件も、孤児院へ私を預けたこともには感謝しかありません。ありがとうございました。
 今考えてもあの時は私とジュリアーナを引き離すのが最善の手段だったと思います。……私が言うべきことではありませんが、ジュリアーナを守ってくださりありがとうございました」

 私の言葉に南部辺境伯は一瞬だけ驚愕の表情を浮かべた後、大きな溜め息を吐いて落ち込んでしまった。

 「ふう、最善の手段か……。皮肉なものだ。なぜ守りたかった相手ではなく、その原因ともいうべき相手には理解されているのだろうな。
 守りたかった相手からは恨まれて、その原因からは感謝される。……なんとも不思議なことだ」

 南部辺境伯から本音が溢れ出た。

 やはり南部辺境伯は平気そうに見えてもジュリアーナの態度に傷付いていたようだ。そして、やはり原因の私に対して含む気持ちは0ではないようだ。

 でも、ちょっと的外れなことを言われたので、私は反射的に素で言い返してしまった。

 「別に不思議でも何でもありませんよ。当然のことです」

 「──何だと!」

 南部辺境伯は私を睨みつけたが、私は臆すること無く言葉を続ける。

 「私はその時のことを何も覚えていないので誰も恨みようがありませんが、ジュリアーナは違います。
 ジュリアーナは愛する者と無理矢理に引き離されて、嘆き悲しみ、苦しんで傷つきました。自分から大切なものを奪った相手、自分を悲しませ、傷つけ、苦しめた相手を恨み、憎み、嫌うのは当然のことです」

 あの当時、私とジュリアーナを引き離すことがジュリアーナを守る最善の手段だったことは理解している。「ジュリアーナの心情や私の生活環境などを無視すれば」という但し書きを付ければ。
 私は当時のことは覚えてはいないし、自分に与えられた生活環境に満足して不満を抱かなかったから誰も恨まずに済んだ。南部辺境伯は私に満足できるだけの生活環境を与えてくれた。
 でも、ジュリアーナには奪った後に何も与えていない。説明すら満足にしていない。
 せめて南部辺境伯のジュリアーナを心配する気持ち、守りたいという想いだけでも正直に伝えていればジュリアーナも南部辺境伯を恨まずに済んだかもしれない。
 でも、南部辺境伯はそんなアフターケアをせずに放置していた。
 それなら恨まれて当然だろう。

 南部辺境伯は私の言葉を聞くとすぐに怒りを鎮めて考え込んだ。

 「当然、か……。それは最善の手段だとしてもか?」

 「ジュリアーナにとっては最善かどうかは関係ありません。最善であろうとなかろうとジュリアーナが傷つき、哀しみ、苦しんだ事実は変わりません。
 手段が最善だったとしても、それでジュリアーナの心の痛みや苦しみが和らぐことも、傷が癒えることもありません。
 手段が最善かどうかはジュリアーナの心の傷には何の関係もありません。最善の手段だったからと言って傷を付けた相手を許すことができるものではありません」

 「……そうか。儂がジュリアーナに恨まれ、憎まれ、嫌われて、許されないのは当然のことか……」

 南部辺境伯は全てを諦めたかのような声でそう呟いた。
 
 私は南部辺境伯に言い過ぎたことに気付き、慌てて南部辺境伯のフォローをしようと口を開いた。

 「あ、あの!でも、それも覚悟の上だったのですよね?
 ジュリアーナに恨まれても、憎まれても、嫌われても、ジュリアーナを守りたかったから最善の手段を南部辺境伯は採られたのですよね?
 だから、私は貴方に感謝しています。自分の保身よりもジュリアーナの安全を最優先されたから──」

 私の必死のフォローの言葉に南部辺境伯は苦笑いを浮かべた。

 「そうだな。儂の自業自得だ。ジュリアーナが傷つかない手段ではなく、最も最速で最も確実な手段を採った儂のな。だから、ジュリアーナに恨まれて憎まれて嫌われても仕方が無いな」

 南部辺境伯はどこか達観したようになげやりにそう言った。

 私は自分のフォローが失敗に終わったことを悟った。
 
 


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