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第5章 私はただ青い色が好きなだけなのに!

15 勘違い

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 船頭は櫂を漕げないほど浅瀬に舟が着いた地点から舟を降りて私たちが乗ったままの舟を背後から押して砂浜まで揚げてくれた。おかげで私たちは足を濡らすことなく上陸できた。
 乗るときは先頭が波打ち際ぎりぎりに舟を運び、そこに私たちが波が引いた瞬間を見計らって舟に近づいて波に足が濡れないうちに急いで乗り込んでいた。客が舟に乗った後、船頭は足が着かなくなる場所まで手で引っ張り、そこから乗り込んで櫂で舟を漕いでくれていた。

 そうした心遣いのおかげで靴を濡らすことなく砂浜から上陸した私たちは海沿いに歩いて行き、倉庫のような建物が連なっている通りまできた。
 簡素な造りだが丈夫そうな倉庫は煙突が屋根から飛び出ていて、正面は開け放たれており奥に燃え盛っている炉や見たこともない道具や怒号が飛び交っている間で様々な作業をしている職人たちが見える。

 私たちはアジュール商会の人たちに案内されるままにその倉庫のような工房群の前を通りすぎる。
 熱気が通りまで漏れてきていて、熱さに耐えながらその賑やかな通りを歩き終えて少し一息ついたところに、木造の家々が見えてきた。
 私はその中の家の一軒へ案内された。

 家の中で見るからに気難しそうな職人気質の髭を生やしているがっしりとした身体つきの男性と、気弱そうな細くて頼りなさげな若い男性が立って迎えてくれた。

 その二人をジュリアーナが紹介してくれた。

 髭面の強面の職人の男性がガラス工房の工房長のマッシモで、髭のない細い男性がその息子であり弟子のモーリス。

 二人に向かって私の紹介もジュリアーナがしてくれた。

 アジュール商会が事前に話を通してくれているおかげで、小難しくて遠回しなやり取りや腹の探り合いなどをせずに私はすぐに本題に入って希望の品について話をするだけでいいから気が楽だ。

 マッシモとモーリスと私が目を合わせて互いに自分の名前を言って「よろしくお願いします」と言うだけの簡単な自己紹介が終わり、大きな長方形の木のテーブルの周りに置かれている木の椅子に着席した。

 私の向かいにマッシモとモーリスが座り、私の隣にジュリアーナが座っている。

 マッシモは着席後に私に視線を向けて開口一番に

 「それで、お嬢様はどのような品をお望みでしょうか?」

 と大変丁寧な口調で私に問いかけてきた。

 「……え?」

 あまりにも予想外の事態に私は呆気に取られてしまった。
 これはとても判断と対応に困る。

 「お嬢様」と呼びかけられたことはどういう意味なのだろうか?
 貶されているのか、見下されているのか、馬鹿にされているのか、それとも何かを勘違いしているのだろうか?

 私は生まれて初めて「お嬢様」と呼ばれたことに戸惑ってしまった。

 ここで正しい呼び方は「ルリエラ理術師」か「ルリエラ外部委託顧問」か、または「ルリエラ様」になる。

 一見すると丁寧な対応に思えるが、この工房の支援者であるアジュール商会の外部委託顧問であり、学園都市でそれなりの地位のある者と認められている理術師に対する呼び方ではない。

 「お嬢様」という呼び方は私を子供扱いして対等な相手と見なしていないと捉えることができる。
 簡単に言うと、私を女子供だと思って舐めていると受け取れる。

 しかし、単純に私のような10代半ばの小娘の相手をすることを不満に思ってそのような呼び方をしていると受け取るには相手の顔にはそういった不満や悪意が全く見えない。

 武骨な職人気質の人間に見えるマッシモがそういう感情を隠してそんな遠回しな嫌味を言っているとは考え難い。

 マッシモの態度をどう判断して、どのような対応を取るべきか悩んでいると、私の隣から突然冷たい空気を感じた。

 「…マッシモ、わたくしの説明を聞いていなかったのですか?此方の方は学園都市で学園長に次ぐ地位にある認定理術師であり、我が商談の外部委託顧問であり、これから始める事業の共同経営者です。ルリエラはわたくしの仲間であり、対等なビジネスパートナーです。その方にあなたは何と言いましたか?」
 
 ジュリアーナからとても静かな怒りを感じる。
 声は一切荒げてはいないし大きくもない。とても静かで透き通るような美声なのに、それを恐ろしいと感じてしまう。

 隣に座っているだけの私ですら恐ろしいと感じるほどのジュリアーナに真正面から言葉をぶつけられているマッシモは真っ青になって息をしているのか分からないほどに固まっている。その隣にいるモーリスも同じくらいに真っ青になって震えながらマッシモとジュリアーナの間を視線を忙しなく行き来させている。

 マッシモはジュリアーナの言葉の意味と怒りの理由が理解できないでいるのか、何も言えずに完全に固まってしまった。

 ジュリアーナの冷たくて静かな怒気だけが部屋に満ちている。
 この空気と沈黙を破ったのはモーリスだった。
 
 「アジュール商会長!!大変申し訳ありませんでした!父が大変な無礼を働いてしまいましたこと代わりに謝罪します。でも、父には悪気は無かったんです!」

 「悪気が無かったとはどういうことかしら?」 

 ジュリアーナが怒りを解かないまま不思議そうに微笑みながらモーリスへ問い掛ける。

 モーリスはジュリアーナの意識が自分に向いたことに怯えながらも、必死に弁明を始めた。

 「そ、そちらのお嬢、いえ、理術師の方をアジュール商会長の娘様だと勘違いしてしまいまして…、アジュール商会長のお身内の方だと思って『お嬢様』などと呼んでしまったのです。そ、そうだよな、父さん!」

 息子に肩を掴まれて必死に呼び掛けられたマッシモは固まっていた状態からやっと復活して、

 「…あ、ああ、そうだ。娘さんだと勘違いしたんだ」
 
 とモーリスの言葉に同意した。

 この言葉に今度はジュリアーナが呆気に取られたようで、ジュリアーナから感じられていた怒気が消え去った。
 
 本当にジュリアーナの娘に対してなら、「お嬢様」という呼び方は付き合いの長いアジュール商会に対する気安さや親密さの表れでしかないのだから、失礼とまでは言えないのかもしれない。
 役職名で呼ぶ方が他人行儀的で失礼であると感じたのかもしれないし、名前で呼ぶのは畏れ多くて失礼と感じたのかもしれない。

 思えば、ジュリアーナと並んで外部の人間に会うということは今回が初めてだ。
 これまではアジュール商会の建物や学園の中で互いの身内だけでしか会うことはなかった。
 
 私のこともジュリアーナのこともよく知っている人間ばかりで、私が孤児で田舎出身であることも知っていて、ジュリアーナが現在独身で子供がいないことも知っている。
 知っていればそんな失礼な勘違いは誰もしないし、万が一勘違いしてもどちらかの事情を知っていれば口には出さない。

 でも、私がジュリアーナの娘であるならジュリアーナはそう説明するはずなのに、そのような説明が無かったのに私をジュリアーナの娘だと思い込むなんて不思議だ。
 ジュリアーナの年齢的に私くらいの娘がいてもおかしくはないが、私とジュリアーナの年齢だけでそのように勘違いしてしまうなんて随分と思い込みの激しい人たちなんだな。

 でも、マッシモとモーリスは私と初対面の挨拶をしてから二人で話をしたわけでもないのに、なぜモーリスはマッシモも自分と同じように私をジュリアーナの娘と勘違いしているのだと分かったのだろうか?
 血が繋がっている父と息子だと言葉にしなくても互いの心の中が読み取れるということだろうか?

 ちょっと気にはなるが、今はそんなことを深追いしても意味が無い。この場を収めて仕事の話をするのが最優先だ。
 
 「まあ!ジュリアーナの娘と勘違いされるなんてとても光栄です。でも、私とジュリアーナは対等なビジネスパートナーですよ。あなた方とも仕事の話をしにここまで来ました」
 
 私はにっこりと笑顔で前半を殊更明るく嬉しそうに、でもちょっと恥ずかしそうに言い、後半を少し声の調子を落として二人の目を見ながら真剣に伝えた。

 マッシモとモーリスの二人の視界は先程までは狭まり過ぎてジュリアーナしか映っていなかったようだが、やっと私も映るように戻ったようで、私の方へ顔を向けてくれた。

 二人は私の存在を無視していたことを思い出し、私の立場をやっと正しく認識して、再び真っ青になりながら私へ向かって謝罪してきた。

 「も、申し訳ございませんでした」
 「た、大変申し訳ありませんでした、理術師様!」

 『理術師様』と呼ばれるのも初めての経験だ。

 そもそも『理術師』というのは一種の役職名であり敬称の意味がすでに込められている。それに『様』をつけると二重敬語となり間違った言葉の使い方なので相手へ失礼を働いていることになる。
 相手の名前を間違えて呼び掛けているようなものだから、不愉快に感じる人もいるかもしれない。

 必死に丁寧に話そうという努力をしているだけだと分かるけれど、自分の無知と教養の無さを相手に暴露している。

 そんなことで目くじらを立てることもないと思うが、知識と教養があるということはその知識と教養が身に付いていることが当たり前という集団や階級社会の一般常識を持っている人間であることを証明してくれる。

 常識が通用しない人間とは対等なやり取りはできないし、してもらえない。
 人は自分の常識が通じない相手を見下したり、相手と距離を取ったり、相手との間に壁を作ったり、自分とは違うと線を引いて、相手を自分とは対等に扱わない。

 文字が読めない書けない相手に手紙を送っても意味が無いように、互いに同じだけの知識を持っている人間同士でないと手紙のやり取りができないように対等な付き合いをするのは難しい。

 常識が違うことで、相手に不愉快な思いをさせないために、対等な相手として扱ってもらうために知識と教養と礼儀は必要だ。



 でも、ここでマッシモにその間違いを指摘するのは場の空気を悪くするだけだ。
 この島の外で『理術師様』と呼ばれると間違った呼び方に私が気付いていないと勘違いされて私が知識と教養が無い礼儀知らずの人間と周囲の人間に思われるのは困るが、私自身はその呼び方に不愉快は感じないし、失礼だとも思わない。
 
 「私はマッシモ工房長と呼ばせていただきますね。それでは本題に入らせていただきます」
 
 今は目を瞑って流しておくことに決めて私は用件を済ませることを優先させることにした。

 間違った呼び方については後日「ルリエラ」と呼ぶようにお願いしてみよう。
 そうすれば「ルリエラ様」か「ルリエラ理術師」と呼ぶように誘導できる。
 





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