氷の華を溶かしたら

こむぎダック

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50話

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季節は夏。

母国ラリスなら、今頃はむしむしとした暑さに、うんざりしているころだが、ここオセニアはラリスよりも北に位置しているからか、湿気が少なく頬を撫でる風も心地良い。

魔力暴走と、母から受けた攻撃の傷がやっと癒えたキャニスは、庭の東屋で涼を取りながら一人読書を楽しんでいた。
ウィステリアの花はとうに盛りを過ぎ、柱に巻き付いたツルの所々に、豆状の種が幾つか実を結び、風に揺れる青々と茂る葉が、サヤサヤと葉擦れの音を奏でている。

テーブルの上で開いたページにふと影が差し、キャニスが目を上げると、テーブルに片手をついたシェルビーが立っていた。

「邪魔か?」

「・・・いいえ」

「隣いいか?」

「どうぞ」

ぎこちない会話を交わし、シェルビーはキャニスの隣に腰を下ろした。

「ベラ。殿下とキャピレット卿にも、お茶とお菓子をお願い」

「畏まりました」

大人しく頭を下げたベラだが、内心は複雑だった。
魔力暴走を起こしかける程、坊ちゃんを追い詰めたのはシェルビーだ。
しかしその後、碌に睡眠もとらず、献身的にキャニスに付き添い続けたのもシェルビーなのだ。
 
年若く恋愛経験のないベラは、シェルビーに対して怒っていいのか、親切にするべきなのか、分からなくなってしまった。
この屋敷の執事にその事を相談すると、彼はそんな事は簡単だと言った。

「坊ちゃんに無礼を働いたら、腕と足を折って叩き出す。そして坊ちゃんが殿下に帰れと言ったら、追い出せばいいのです。そうでなければお二人を見守って居れば良い」

何処か釈然としないベラだったが、人生経験の豊富な執事にそう言われては、頷くしかなかった。

ただ執事は、ベラにもう一つ助言を与えていた。

「これまでも坊っちゃんの周りには、有象無象が寄ってきていましたが、これからは今まで以上に警戒する様に」

「何かあったんですか?」

「私ね、これでも耳が早い方なんです」

「はあ・・・分かりました」

これまでこの執事からは、多くの事を学ばせてもらったが、この執事がどういう人なのか今一よく分からない。

 自分の事は全然話さないし。キャニス様にお仕えする前も、何をしてたのか何処のお屋敷に居たのかも分からないのよね。

 でも、本宅のセブルスさんも信頼していたし、悪い人じゃないから、気にしなくてもいっか。

単純で切り替えの早いベラは、大事な坊っちゃんは、私がお守りするんだ!と決意を新たにする事で、シェルビーや執事に対する疑念を追い払う事にしたのだった。

「体の方はどうだ?」

「お陰様で、もうすっかり元通りです」

「そうか・・・」

そこで会話が途切れ、シェルビーは黙ってキャニスの顔を見つめているだけで、口を開こうとはせず、キャニスはひたすら居心地の悪い思いをする事になった。

余りの居心地の悪さに、茶菓の支度をして下がろうとするベラを、引き留めたくなったほどだ。

「殿下」

「ん?」

「私の顔に何か付いて居ますか?」

「え?あぁ・・・すまない。つい見惚れてしまった」

「左様で」

 やっぱりこの人は、僕の見た目だけが大事なのか・・・。

「キャ・・・キャニスは、顔の造作や全体的な姿がとても美しいが、多くの苦難を乗り越えてきたからこそ、こう・・・なんとも言えない色気と言うか、心根の正しさと言うのか・・・まあ、なんだ。キャニスの内側から滲み出る色々なものが、キャニスの美しさの元なんだと思ってな」

「えっ・・・あ、はあ」

 なんだかよく分からないけど、僕の人間性を褒めようとしてくれて居るのかな?

「殿下」

「なんだよサイラス。邪魔するなよ」

「殿下、違うでしょ」

「え?ああ!そうだった!」

ワタワタと席を立ったシェルビーは、テーブルを回り込み、キャニスの前に跪いた。

「殿下そういうのはやめて下さいと、言ったじゃありませんか」

「そうなんだが、今回だけは大目に見てくれ」

「殿下!」

シェルビーを立たせようと、肩に掛けられたキャニスの手を、シェルビーは両手で包み込んで捧げ持った。

「キャニス・ヴォロス・カラロウカ。俺はこの通り無調法で、朴念仁な情けない男なんだ。この前も俺の気持ちを押し付けて、君を傷つけてしまった。本当に申し訳なかった」

「・・・殿下」

「夫人から君の話しを聞いて、俺は恥ずかしかった。君の苦しみを何も理解せず、自分の気持ちばかり優先してしまって。あの時の君は・・・君のような経験をした人なら、身勝手な俺の言葉に、怒って当然だったと思う」

「私の話しを、信じるという事ですか?」

「ああ。信じる。君は嘘を吐くような人でも、妄想を抱くような人でもないだろ?俺は君の全てを信じるよ。そして君が俺の事を信じてくれるようになるまで、待ち続ける」

「・・・・何年先か分かりませんよ?」

「それでも構わない」

「ですが、それではお世継ぎが」

「心配するな。俺には二人も弟がいる。煩い事を言われたら、どっちかの弟に、座を譲れば良いだけだ」

「・・・・私は・・・5年後に死んでしまうかも知れません」

「死なない。いいや死なせない。君には俺と公爵夫人が付いて居る。何があっても、俺達が君を守ると誓うよ。公爵とトバイアスには、含むところが多いかも知れないが、今の彼等なら全力で君を守るだろう。だから5年なんて言わないで、10年後も20年後も、ずっと君の傍に居ても良いだろうか」

「殿下・・・・それは友達としてですか?」

シェルビーは痛みを堪える様に一度目を閉じたが、開いた瞳に曇りは無く、只真摯に愛を乞う男の眼だった。

「君がそう思いたいならそれでもいい。だが俺は君に片思いを続ける男として、君の傍に在りたい」

「殿下・・・私がこれまで経験してきた数々の人生は、悲惨なものばかりでした。一族の全てが濡れ衣を着せられ、処刑されたことが有ります。奴隷に落とされた事も、娼館に売り飛ばされた事も有ります。首を斬られ火あぶりになった事もです。そんな私の傍に居たら、殿下にも災いが及ぶかもしれない。あなたまで不幸になるかも知れないのですよ?」

「ならばそうならない様に、俺が君を守り、君を貶めようとする奴らを、蹴散らしてやれば良いだろ?」

「あなたは王太子です。それで国が傾いたらどうされるのですか?」

「そうなったら、君を連れて逃げ出せばいい」

「国を捨てて?殿下にこの国が捨てられますか?」

「そうだなあ・・・俺は周りが言う程、真面目な男でもないんだ。なんとなく知らない内に、そういうイメージが出来てしまっただけなんだよな。キャニスと二人で世界中を旅して廻るのは、楽しいと思うぞ」

「・・・・変な人」

「知らなかったのか?俺は年中このサイラスに怒られてばかりなんだぞ?」

「あっそれは知ってます」

「え・・・ハハハ。そうか知ってたか・・・ハハハ」

乾いた笑いを治めた、シェルビーは表情を引き締め直した。

「まあ、そういう事だから、余り心配はするな。っというのは無理か。だがなキャニス。いつ起きるか分からない事を心配して、今を無駄にする必要はないと思うんだ」

「・・・・」

「勿論。何かあった時の備えや心構えは必要だと思うぞ?だからと言って、今を楽しまない事も違うと思う」

「楽しむ?どうやって?」

「別に遊び回れとかそういうんじゃない。キャニスが心地良いと感じる事をすればいい。出来れば、そこに俺も混ぜて貰えれば嬉しいが、余り我儘を言って君を困らせたくもないから。気が向いたらで構わない」

「・・・・・・」

「どうだろうか?」

「本当に変な人」

呆れたように呟くキャニスに、シェルビーは二パッと明るい笑顔を見せたのだった。
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