氷の華を溶かしたら

こむぎダック

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45話

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カラロウカ公爵夫人から呼び出された、王太子シェルビーだったが、公爵夫人からの叱責を想うと、気分も足取りも重く、愛馬を駆る姿も精彩を欠いている。

あと一つを角を曲がれば、キャニスの館が見えて来る。
昨日までは、愛しい人の住む家を見る事が、楽しみで仕方がなかったが、今はその館に向かう事が、重い荷を引く苦行の様に感じてしまう。

欝々とした気持ちで、最後の角を曲がると、館の前に見慣れぬ馬車が停まって居るのが見えた。

「あの馬車の紋章は、医者じゃないですか?」

「確かに、あの蛇の紋章は、ドルト伯のものだ。まさかキャニスに何かあったのじゃないだろうな?」

「とにかく、確認しましょう。使用人の誰かが具合を悪くしただけかもしれませんし。私達は夫人に招かれて居るのですから、理由も言わずに追い返されたりはしないでしょう」

2人が玄関で訪いを入れると、出迎えた執事の態度は、以前よりも明らかに冷たくなっていた。

「医者が来ているようだが、病人か?」

「・・・・わたくしからは申し上げられません。奥様にお聞きになって下さい」

「ああ・・・そう」

「キャニスは、今どこに?」

「今日は奥様との、ご面会と承っておりますが?」

「え?そうだが・・・キャニスがどうしているか、聞くくらいは別にいいだろう?」

「そうお思いなのは、殿下だけかもしれませんね」

「おい。王太子殿下に向かって、無礼だぞ」

「左様ですか。ですが私どもの主はキャニス坊っちゃんですので」

キャニスの意に沿わなければ、一国の王子であろうと、敬うには値しないという事の様だ。

執事に案内されたのは、いつものテラスだったが、そこにつくまでの間、館の中は何処か慌ただしい雰囲気に包まれているのが感じられた。

そして行き交う使用人とすれ違う度、背中に冷たい視線を感じるのは、気のせいではない筈だ。

以前ベラが、カラロウカの使用人の忠誠心を自慢していたが、これ程とは思わなかった。

テラスに着くと、執事は恭しく頭を下げて出て行ったが、その後茶が運ばれるでもなく、シェルビーとサイラスは、この館の使用人から完全に敵認定をされてしまったようだ。

程なく姿を現した夫人は、空のテーブルを見て呆れていたが、特に執事を咎める事はなく、3人分の茶を用意する様にと告げただけだった。

そして夫人が席に着き、茶が配られると、人払いを済ませた夫人は、挨拶抜きでいきなり本題を切り出した。

「あなた達、わたくしの天使に何をしたの」

夫人の冷たい声に、シェルビーはぎくりと肩を震わせた。

そしてぽつりぽつりと、王宮での出来事を話し始め、夫人は口を挿むことなく、最後まで黙って話を聞いてくれたのだ。

「今の話しが本当なら、今回ばかりは、殿下に落ち度は無いようですわね」

夫人の肩からふっと力が抜けた事に、シェルビーは胸を撫で下ろしたが、キャニスが激昂した理由は分からないままだ。

「ですが、キャニスを怒らせてしまったことは事実です。私は何を間違ったのでしょうか」

「分かりませんわ・・・・お恥ずかしい話ですが、わたくし達家族は、あの子が何を考えて、恐れているのか全く分かりませんの。以前殿下が王宮で、キャニスの笑顔を見たと仰っていたでしょう?あの頃が、わたくし達があの子の笑顔を見た、最後なんですの」

「あの頃からなのですか?」

「ええ。あの子はもっと幼い頃から、天才と持て囃される様な子でしたけれど、それまでは子供らしい所も有りましたのよ。それが徐々に子供らしい闊達さが無くなって行き、ナリウス殿下との婚約が正式に発表された頃には、全く笑わない子になってしまいましたの」

「婚約が嫌だったから?」

「それもあるかも知れませんわね。けれど、あの子の口からナリウスとの婚約をいやがる言葉は聞いたことが有りませんの。それにあの子から笑顔が消え始めたのは、婚約の話しが出るより前ですわ」

「では、王宮でなにかあったから、と言う訳ではない?」

「当然ですわ。殿下も王宮がどう云う処かお判りでしょう?殿下と出逢われた日が、あの子の初参内でしたの。あれ以降、護衛を付けあの子を一人にした事は1秒たりとも有りませんわ」

「一秒も?」

 これに夫人は大きく頷いた。

「それに、わたくし達は、カラロウカ家で1室家族それぞれに各1室、王宮に部屋を用意されておりました。あの子が王宮に詰めている間は、何が起こっても直ぐに対処できるよう、誰か一人は必ず王宮で待機して居りました」

この家族の、キャニスに対する過保護さ、溺愛振りは、筋金入りなのだ。

「では、ナリウスに何かされたという事は、考えられないですか?」

「あのアホが?身の程知らずにも、あれはキャニスを疎んでおりましたのよ?あれの身の回りの品、生活の全てを、手配をしていたのはキャニスですけれど。婚約者であるあの子が、王子宮へ足を踏み入れたことは一度も御座いませんわ」

「一度もですか?」

「私はそれで良かったと思っています。アレが王子宮の中で何をしていたのかなんて、汚らわしくて想像もしたくないですわね」

「・・・・・なるほど」

「母として、何時かあの子が全てを打ち明けてくれる日が来るだろう、とずっと待っておりましたが。こうなると、そんな悠長な事を言っていては、あの子が笑える日が来るとは、思えなくなってしまいました」

「夫人」

「わたくしも腹を括って、あの子と向き合わなければなりませんわね」

「キャスと話をされるのですね。そこに私も同席する事は・・・無理でしょうね」

「そうですわね・・・・。あの子は王宮から戻って直ぐに、魔力暴走を起こしかけましたの」

「魔力暴走ッ?!キャスは!キャニスは無事ですかッ?!」

 椅子を蹴って立ち上がり、夫人に詰め寄るシェルビーだったが、夫人は煩いと言わんばかりに右手で耳を覆い、左手に持った扇子でシェルビーの胸を押し返した。

「無事だったから、こうして殿下と話が出来ておりますのよ?そうでなければ、今頃使いを出して、戦争の準備をさせておりますわ」

 恐ろしい事をさらっと、事も無げに口にする夫人に、やはりこの人はカラロウカなのだと、シェルビーの背筋がゾクッっと震え上がった。

「殿下。愛を軽蔑すると、あの子は言ったのでしょう?」

「ええ。愛なんて信じていない、軽蔑さえしていると。自分の事を何も知らないくせに、容姿だけで愛しているなんて言うのは、自分を馬鹿にしているのかと言われました」

「それは、カリストの手紙の所為で、過敏になって居たのかも知れませんわね」

「カリストから手紙?彼はまだキャニスを諦めていないのですか?」

「どうも、その様でしてよ?あの子も最初の一二通は目を通して居たようですけれど、その後は封も切らずに、暖炉で燃やしておりましたから」

「そんな話は初めて聞きました。やはり私は、キャニスから信頼されていないのですね」

 額に手を当て、肩を落とす王太子に、夫人も小さくため息を吐いた。

「それは、わたくしも同様ですわ。けれど殿下。あの子は泣いて居りました。荒れ狂う魔力の中で、確かにあの子は涙を流していたのです。これまでどんな事にも心を動かす事の無かった、あの子がですよ?」

「夫人?」

「それが殿下にとって良い事か悪い事かは、今のわたくしには判断出来兼ねますけれど、殿下があの子の心を揺さぶった事だけは、確かですわね」
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