上 下
276 / 491
幸福の定義は人それぞれ

フェンリル

しおりを挟む
「なかなか出て来ませんねぇ」

 白い息を吐き、手袋をつけた手をこすり合わせながらレンが呟いた。

 寒さで頬と鼻が赤くなった顔が、子供のように可愛らしくて、切迫した討伐の最中にも関わらず、思わず顔が緩んでしまう。

「そろそろじゃないか?」

「どうして分かるの?」

「シルバーウルフは群れで生きる魔物だ、群れのリーダーは、仲間からリーダーたる資格があるかを、常に試されている。このまま仲間を見殺しにすれば、フェンリルといえども、リーダーどころか、仲間の一員として認められなくなるからな」

「ふ~ん。その辺は普通の狼と変わらないのね」

「どの辺に居るか、気配でわかるか?」

「気配かどうかは分からないけど、あの茂みの向こうあたりが怪しい気はします」

「正解だ。レンは俺よりも探知が上手いな」

「えへへ」

 頭をなでて褒めてやると、番はへにゃりと嬉しそうに笑った。

 討伐の度、レンが無理をしているのを俺は知っている、優しい番は、魔の物であっても、命が刈り取られる姿を見るのが辛いのだろう。

 最初からレンが浄化を出来るのなら、その方がレンにとっては辛くないようだ、だがレンに頼りきりでは、部下は育たない。

 それを分かった上でレンは優先順位をつけ、何も言わずに堪えてくれている。
 そして討伐が終わり、息絶えた魔物たちを浄化するときに、レンは静かに涙をこぼすのだ。

 今レンは、神の代理人として、帝国の国民から信仰の対象となりつつある。
 いや、既に成っている。

 それを受け、皇宮と大神殿の立て直しに合わせ、愛し子のための離宮を建設する計画が持ち上がった。

 これを言い出したのは、アーノルドではなく、新しく大司教の座を争っている神官と一部の貴族達だ。
 
 彼らは皇宮と神殿を隣り合わせて建設し、その中間に、愛し子の離宮を建設する計画を議題に掛けたのだ。
 
 大司教に選任されたわけでもない、一介の神官が、貴族を通して勝手な要求をごり押ししてきた。

 これにアーノルドは、不快感を露わにし、ロイド様の逆鱗に触れた。

 この俺も同様だ。

 神殿の威信を取り戻すために、彼等も必死なのだろうが、やり方と前提が間違っている。

 レンは神殿に入る意思はなく、また彼等を擁護する気も無い。
 アーノルドも神官達に以前のような権限を持たせるつもりは、微塵もないのだ。

 アーノルドの考えだと、恐らく以前からある神殿の組織は解体され、ヴァラク教と同じ様に取り締まりの対象となる可能性が高い。

 それほど、神殿とヴァラク教との繋がりが強かったからだ。

 愛し子を信仰の対象とすることは、避けられないかもしれない。

 だが、アーノルドが考えているのは、アウラ神、ドラゴンのクレイオス、愛し子の三柱を祀る、創世神話に基づいた信仰の場であり、愛し子は神の代理人ではあるが、あくまでも信仰の象徴としての位置付けになる。

 そもそも愛し子は、アウラ神から神の頼みさえ聞きさえすれば、あとは好きに生きて良い、とのお墨付きを貰った存在だ。

 レンだけでなく、次代以降の愛し子も、神の意思により、神殿に縛り付けることは出来ないのだ。

 創世のドラゴンと言う最強の後ろ盾と、皇家の信頼を得たレンを、自分たちの思い通りに出来る、と妄想すること自体が間違っている。

 そこを神官や、利権に目が眩んだ貴族達は、全く理解していない。

 権力者が神への信仰を強制することは、普通なら良い事とは思えないが、腐敗しきった神殿と神官から、民を救い。
 本来の神の教えを説く場を創るという、大義名分がアーノルドにはある。

 その為なら、レンも協力すると言っているし、レンが協力するならクレイオスに否やは無い。それに正しい信仰心は、弱ったアウラが力を取り戻す助けになるのだ。

 この一件で、ヴァラクと言う敵を消し去ることは出来たが、今度は問答無用で武力で抑え込めない、皇家vs貴族と神官の、陰湿な争いが始まった、と言う訳だ。

 しかし目下の課題は、フェンリルの討伐。

 このままだと群れは全滅だ。
 群れのリーダーが救援に出て来なければ、今いる群れの生き残りが、逃げ出してもおかしくない。

 しかし、これだけ仲間がやられていても、姿を見せないとは。
 単に臆病なのか、何かを狙っているのか・・・・。

 狙いがあるとすれば、それは何か?

 年を経たフェンリルは知能も高く、人語を解すると言う。
 ここのフェンリルは、シルバーウルフから変じてまだ間がない、伝説として語り継がれるような知能は、まだ持ち合わせていないはず。

「・・・・面倒だな」
 
 フェンリルが隠れている、凡その位置は判っている。
 打ち漏らしが無いように、フェンリルが姿を現したところで、一網打尽にする予定だったが、逃げられる前に炙り出すか?

「ミュラー。計画変更だ。逃げられる前にフェンリルを炙り出す。警戒と迎撃の合図を送れ」

「了解」

 ミュラーに命じると、伝令役の騎士が合図のラッパを吹き鳴らした。
 
 マークは合図に従い、陣形を立て直し、シルバーウルフと対峙しながら、フェンリルへの迎撃へ備えている。

 流石の手腕だ。

 久しぶりの現場の指揮にも関わらず、よく統率が取れている。

 レンの専属護衛は、今の所マーク以外に考えられないが、クオンとノワールがもう少し物になったら、マークにはぜひ現場復帰をお願いしたい。

 そのクオンとノワールは、命じられなければ、レンの傍を片時も離れず、この討伐にも着いて来ている。

 見た目は人の子供の姿をしているが、その本質はドラゴンだ、戦闘の渦中に放り込まれても、そこらの騎士よりは成果を上げられるかもしれない。

 しかし、そんなことをレンが許す筈も無く。
 今は俺たちの後ろに静かに控えて、戦闘の様子をじっくり観察して居ている状態だ。

 ただこのドラゴン二匹は、人の姿を取ってはいても、人語を話すことが出来ない。
 こちらの言う事は全て理解しているようなのだが、言葉を発する事は難しいらしい。

 クレイオスが言うには、ドラゴンの基本的な会話は、念話なのだそうだ。
 そして、ドラゴンの口の形状で、人語を発するのは、なかなかの高等技術だとも言っていた。

 念話でなら、今もレンや俺とも会話ができるらしいのだが、人語の発声の仕方を学ぶために、人との念話を禁じているのだそうだ。

 レンは根気よく二匹に語り掛け、言葉を教えている。
 今は、簡単な単語を、いくつか話せるようになって来た所だ。

 さて、陣形も整った。
 シルバーウルフの囲い込みも万全だ。
 そろそろ、本命のフェンリルに登場してもらおう。

 クレイオスに課された修練の成果で、あれだけ苦手だった、探知もそれなりの精度で行えるようになった。

 今の俺なら離れた位置に居る標的に、魔法を放つことなど造作もない。
 核を狙えば瞬殺できるだろうが、どうしたものか。
 レンと騎士の安全か、騎士たちの成長か・・・・。

 ふむ。相手の力量がはっきりしない以上、安全を優先させるべきだな。
 しかし、フェンリルの周りに、弱い核の反応があるな。
 魔物の中には、自分の周りに取り巻きを置きたがる個体が居るが、このフェンリルも同じだろうか。

 取り敢えず、お手並み拝見だな。

 基本的に、森の中で炎を使うのはご法度だが、この森は雪に埋もれている。

 そして魔獣は炎を本能的に恐れるものだ。

 俺は躊躇なく、フェンリルが隠れている茂みの奥に、核を目掛け劫火を打ち込んだ。

 俺の放った劫火は、降り積もった雪を溶かし、茂みを焼き払い、濛々と蒸気を煙らせた。

 この手応えは・・・・結界か?

 湧きあがった蒸気が霧氷となり、木々の枝に張り付いた後に見えたのは、結界の中で四肢を踏ん張り、牙をむき鼻にしわを寄せた、白銀の狼だった。

「やるな・・・流石フェンリルだ」

 中々に威風堂々とした姿だ。

 しかし威嚇はしているものの、こちらに襲い掛かって来るでもなく、逃げるでもない。

 魔獣にしては様子がおかしい。

「あっ!! アレクあれ見える?!」

「う~ん」

「小っちゃくてかわいい!!」

 これは困った。
 レンの前で討伐は出来んぞ。

 結界の中で、フェンリルが守っていたのは、4匹のシルバーウルフの子供だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

迷い込んだ先で獣人公爵の愛玩動物になりました(R18)

るーろ
恋愛
気がついたら知らない場所にた早川なつほ。異世界人として捕えられ愛玩動物として売られるところを公爵家のエレナ・メルストに買われた。 エレナは兄であるノアへのプレゼンとして_ 発情/甘々?/若干無理矢理/

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【R18】転生したら異酒屋でイキ放題されるなんて聞いてません!

梅乃なごみ
恋愛
限界社畜・ヒマリは焼き鳥を喉に詰まらせ窒息し、異世界へ転生した。 13代目の聖女? 運命の王太子? そんなことより生ビールが飲めず死んでしまったことのほうが重要だ。 王宮へ召喚? いいえ、飲み屋街へ直行し早速居酒屋で生ビールを……え? 即求婚&クンニってどういうことですか? えっちメイン。ふんわり設定。さくっと読めます。 🍺全5話 完結投稿予約済🍺

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

淫らなお姫様とイケメン騎士達のエロスな夜伽物語

瀬能なつ
恋愛
17才になった皇女サーシャは、国のしきたりに従い、6人の騎士たちを従えて、遥か彼方の霊峰へと旅立ちます。 長い道中、姫を警護する騎士たちの体力を回復する方法は、ズバリ、キスとH! 途中、魔物に襲われたり、姫の寵愛を競い合う騎士たちの様々な恋の駆け引きもあったりと、お姫様の旅はなかなか困難なのです?!

クソつよ性欲隠して結婚したら草食系旦那が巨根で絶倫だった

山吹花月
恋愛
『穢れを知らぬ清廉な乙女』と『王子系聖人君子』 色欲とは無縁と思われている夫婦は互いに欲望を隠していた。 ◇ムーンライトノベルズ様へも掲載しております。

処理中です...