上 下
21 / 42

第二十一話 てんとう絵師

しおりを挟む
 そこで奥からてんとうが顔に墨をつけてやってきて、本所から戻った吉祥たちがいるのに気がつく。

「でけたでー。あ、みんなおはよーさーん」
「うむ」
「お……おはようございます、てんとうさん……」
「おはよーさーん」

 何やら長次の様子がおかしいのに、寿三郎の他二人は気がついた様子。頬をほんのり染めて上目遣いでてんとうを眺める長次は、どう見ても若い世代にありがちのあれだ。初々しい恋だと知った悪い大人二人は、いやらしくにやけた顔で長次を見下ろしている。この手の話に疎すぎる寿三郎と、渦中の本人であるてんとうは、全く気づく様子もなく話を進めてきた。

「見て見て! 似てるやろ!」

 そう言って半紙を長次の目の前に広げて見せる。そこには少々薄めの黒い隅で刀を構える侍と、寄り添う男女二人の絵が描かれてあった。

「……あっ! これは、寿三郎様では?」
「なに?」

 寿三郎が覗き込み、眉間に皺を寄せる。

「どっちが俺だ」
「人相の悪い方や」
「おい」
「うまいものですね、これはてんとうさんが描いたのですか?」
「せやで」

 笑う天道が寿三郎の肩に腕を回し、話に入り込む。

「昨日、寿三郎さんが間違えて客席に飛び込んで来た時、めちゃくちゃお客さんにウケたやろ? せやからあれを手習に新しい演目を考えてみてん」
「な、なに……!?」
「ほらー、今までうっとこは役者が足りなんだやろ? ここで舞台映えする兄さんが一人加わったことにより、噺の幅が広がったっちゅうこっちゃ」
「待て、なんの話だ。俺は役者になんかならんぞ」
「むつかしい役やないから平気や。いつもの通り、おとろしい顔してわしらを追いかけ回してくれればそれでええ」
「いや待て、人の話を聞け! なんでそういう話になる!?」
「今説明したやんー。お客さんの相手はする必要ないから安心しぃ。寿三郎さんはただおとろしい顔で、筋書き通り動いてくれればええから」
「俺は侍だ! 役者などできるか!」
「侍の役やで。しかも悪・徳・侍や」
「余計たちが悪いわ! 断る。他に仕事がないなら俺は辞めるぞ」
「ほな長次も首やな」
「ええっ!?」

 慌てる長次を前に、寿三郎はまた歯を食いしばる。

「くっ……汚い奴め!! 一度ならず二度までも……!!」

 後ろで笑うてんとうと吉祥が小憎らしい。思い出したように吉祥が言う。

「そうだ寿三郎、輝き天道の歌を覚えへんとな。長次、ジブンもやで」
「輝き天道?」
「芝居が終わった後に歌っとった、あ元気元気元気元気ってやつや。一度聞いたら忘れられへんやろ?」
「ああ、あの明るくて愉快な歌!」

 吉祥の言葉に長次は笑うが、寿三郎は青ざめている。ただでさえ耳につく歌なのに、練習なんぞすればどうなることか。てんとうが節をつけて踊り出す。

「天道笑えばー、朝日が昇るー、沈む笑顔は朝日で昇る、あ元気あ元気あ元気元気元気元気、笑えば元気ー、天道一座は輝きまっせー!」

 恋する長次はそれをうっとり眺めて手を叩く。勘弁してくれと寿三郎は天を仰いだ。

「ほんで座長、どういう噺やねん?」

 そこで外から大荷物を抱えたお福が戻ってきた。かんとだきの材料を買い出しに行っていたのだろう。

「はーっ、重っ! 手伝ぉてー!」
「お、お福ちゃん、おかえり。お疲れさんやでー」
「あらあらあらあら、みんなおはようさん。こんなはよ来てもらえるなら、もうちょっと待ってから行ったら良かった。明日は寿三郎さん連れて行こ」

 お福の背中の荷を下ろしてやり、それを裏に持っていってやる。

「さー、下ごしらえせぇへんとね。長次、料理はできるん?」
「はい。小さな頃から母がいませんでしたから、食事の支度は自分でやっていました。一通りはできるかと思います」
「んまっ……! そうやったの……。ほんで長次はそんなしっかりした子になったんやね。ほなかんとだき覚えて帰り。おとんに作って食べさせたるとええ。温まるし、体にええよ」
「はい! ありがとうございます。父に食べさせてあげたいと思ってたから、嬉しいです!」
「あらあらあらあらあらあら……なんやもう、人の生きる場所に小噺ありやわ」

 お福はそれだけの話に涙をそそられている。芝居をやるだけあって感情移入をしやすいのだろう。だと思うなら、今自分の立たされている現状を憐んでくれと寿三郎は思っていた。
 客席の方から吉祥が呼んでいる。

「寿三郎ー、外出んでー」
「くっ……!!」

 裏にもお福がいるので逃げられない。あとの出口は客が出入りする一つのみ。寿三郎が憤っている様子を側で見ている長次が眉を下げた。

「……なんか……すみません、おいらのせいで……」
「いやっ……! 長次の責任ではない……。全部この一座の奴らのせいだ!」
「人聞き悪いこと言わんとってー」

 大根をざく切りにしながら言うお福に恨みがましい視線を投げつけ、寿三郎が大股で客席に戻っていくと、てんとうと吉祥が戸の前に並んでこちらを見ていた。

「客引きか」
「ちゃうよ。損料屋で新しい衣装借りに行くん」
「新しい……」
「せやで。新作用のや。ひひっ」

 吉祥も行くので、自分もついていかねばなるまいと渋々後に続くと、背後から呑気な座長の見送る声が聞こえてきたので、苛立ち混じりに振り返らず戸を閉めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

居候同心

紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。 本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。 実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。 この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。 ※完結しました。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

【受賞作】小売り酒屋鬼八 人情お品書き帖

筑前助広
歴史・時代
幸せとちょっぴりの切なさを感じるお品書き帖です―― 野州夜須藩の城下・蔵前町に、昼は小売り酒屋、夜は居酒屋を営む鬼八という店がある。父娘二人で切り盛りするその店に、六蔵という料理人が現れ――。 アルファポリス歴史時代小説大賞特別賞「狼の裔」、同最終候補「天暗の星」ともリンクする、「夜須藩もの」人情ストーリー。

聲は琵琶の音の如く〜川路利良仄聞手記〜

歴史・時代
日本警察の父・川路利良が描き夢見た黎明とは。 下級武士から身を立てた川路利良の半生を、側で見つめた親友が残した手記をなぞり描く、時代小説(フィクションです)。 薩摩の志士達、そして現代に受け継がれる〝生魂(いっだましい)〟に触れてみられませんか?

あの日、自遊長屋にて

灰色テッポ
歴史・時代
 幕末の江戸の片隅で、好まざる仕事をしながら暮らす相楽遼之進。彼は今日も酒臭いため息を吐いて、独り言の様に愚痴を云う。  かつては天才剣士として誇りある武士であったこの男が、生活に疲れたつまらない浪人者に成り果てたのは何時からだったか。  わたしが妻を死なせてしまった様なものだ────  貧しく苦労の絶えない浪人生活の中で、病弱だった妻を逝かせてしまった。その悔恨が相楽の胸を締め付ける。  だがせめて忘れ形見の幼い娘の前では笑顔でありたい……自遊長屋にて暮らす父と娘、二人は貧しい住人たちと共に今日も助け合いながら生きていた。  世話焼きな町娘のお花、一本気な錺り職人の夜吉、明けっ広げな棒手振の八助。他にも沢山の住人たち。  迷い苦しむときの方が多くとも、大切なものからは目を逸らしてはならないと──ただ愚直なまでの彼らに相楽は心を寄せ、彼らもまた相楽を思い遣る。  ある日、相楽の幸せを願った住人は相楽に寺子屋の師匠になってもらおうと計画するのだが……  そんな誰もが一生懸命に生きる日々のなか、相楽に思いもよらない凶事が降りかかるのであった──── ◆全24話

【完結】絵師の嫁取り

かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ二作目。 第八回歴史・時代小説大賞で奨励賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 小鉢料理の店の看板娘、おふくは、背は低めで少しふくふくとした体格の十六歳。元気で明るい人気者。 ある日、昼も夜もご飯を食べに来ていた常連の客が、三日も姿を見せないことを心配して住んでいると聞いた長屋に様子を見に行ってみれば……?

処理中です...