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第十五話 初仕事

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 その日の上演は昨日と同じ演目であったが、評判が広まってきた頃で人の入りは上昇。ここで助っ人を導入したのは正解で、初仕事で不慣れだとしても人手があるとないとでは大違い。

 てんとうはまず、長次に入り口で銭を集めるように指示を出す。

「ええか、銭受け取るまでこの線を越えさせたらあかん」
「わ……分かった」

 掛け小屋の外でお福の呼び込みが始まると、周囲に人混みが集まり始めた。

「江戸のみなさまこんにちはー! 旅回りで道頓堀からやって参りました天道一座と申しますー! お初の方は以後お見知り置きをー! 二度目三度目、お得意様は本日もようこそおいで下さいましたー! さあさあ今日の演目は……」

 口上につられて賑やかになってくると、頃合いを見計らって吉祥が顔を出す。今日も今日とて女子衆から黄色い声が沸き起こり、男衆のため息が深く漏れ出した。寿三郎は天道から戸の入り口でそれを見てるだけでよいと言われ、いつもの仏頂面で客に色目を使う吉祥を見て眉間に皺を寄せている。

 口には出さぬが、あいつの性悪な性格をここにいる全員に教えてやりたいものだと悶々とし、そのもやもやが顔に現れているおかげで用心棒としてはいい仕事をしているようだ。先刻吉祥を襲っていた三人組がどこかから見ているかもしれないが、これならば安泰だろう。

 そうこうしているうちに人が入り始め、吉祥が中に引っ込むと寿三郎はてんとうに袖を引かれる。

「はい、これ持って。かんとだきよそってな。どんどん注文入るから、お盆に乗せてここの台に置いといて。食べ終わった食器持ってきたら、そこの桶の水つこぉて拭いて。もたもたするとどっちも滞るからさっさとやる。くれぐれもお茶碗割らへんように!」
「う……うむ。善処する」

 それだけ言うとてんとうは、お盆にかんとだきの入った器を乗せて客席へ持って颯爽と出て行く。

「お茶にー、お団子ー! お出汁が命ー堺のかんとだきー!」

 低価格に設定してある地方名物は物珍しさでよく売れる。てんとうは入り口で人を入れ終わった長次にお盆を渡し、客席で手を上げる者に商売上手な笑顔を向けた。

「はいはーい! 今行くでー!」

 それをよろよろ運んでいく長次にその場は任せ、裏手の幕に身を隠す。
 手にするものを手に入れ、好きな席に着き、程よく客が落ち着いてきたあたりで、お福は弾いている三味線の曲を変えた。

「さあさあ、こっちこっち! 芝居が始まるで! 西の山から降りてきた天女は、港で柄の悪い兄ちゃんに絡まれた! そこからや!」

 ちきちんちんちん、ちゃんちきちきちき、ちりとてちん、べべん!

 てんとうが幕を開けた。演目は昨日と同じなので、この後袖から吉祥が白い衣を纏って登場する。

「ええい、まだ追ってくるか」

 そして天道が登場して人の目がそちらに向くと、てんとうは板の隙間から覗こうとしている客に声をかけるという、しっかりした流れ。

「立ち見で良いなら安く入れるで」

 それからもたもたしている長次に空いた器を引き上げるように言った後、裏に滑り込んで大量の皿を拭いている寿三郎に言った。

「お茶が足りなくなってきよった! 水買ぉてきて! 大急ぎや!」
「なにぃ!? 皿はどうする!?」
「長次、寿三郎さんと交代や。はよはよ!」

 前掛けをしたまま寿三郎は手桶を持って裏口から飛び出していき、船着場の方角へ一目散に走って行く。すでに長次は自分が何をしているか分からなくなっており、次から次へとやることが増えて移り変わって行く様に目を回していた。

 しばらくすると寿三郎が水を持って戻ってきたが、大慌てであった彼は掛け小屋正面の戸をうっかり盛大に開けてしまう。勢いよく開けた戸がスパンと大きな音を立て、客の目が一斉に入り口の寿三郎に注がれた。
 まずい! と血の気が引いた寿三郎であったが、咄嗟に機転を効かせた天童が舞台から走り寄り、刀の切っ先を向けて言う。

「本日のいじられ役はワレか!」
「な、なにぃ!?」

 当然寿三郎は芝居などできない。間に受けて返すと、そのちぐはぐなやり取りに客がどっと喜んだ。先程から慣れない手つきでうろちょろしながら一座で仕事をしている男だと客達も分かっていたので、うっかり客席に飛び込んでしまったのだろうと皆が承知している。寿三郎は堅苦しい浪人に見えるが故、それを旅芸人風情の天道がからかっているのが庶民目線でたまらなく面白いのだろう。

 そうこうしているうち天道が寿三郎に斬りかかるふりをしてきたので、剣の心得のある寿三郎はすっと後ろに身を退いた。続けて天道が三歩刃を切り付けると、寿三郎は肩を落として上半身のみでそれを避ける。その流れが見事で、思わず観客から感嘆の声が漏れた。

「おいやめろ、水がこぼれる!」
「やめろと言われるとやりとうなる!」

 寿三郎が身を引くと、手桶の中に汲まれた水が右へ左へ大暴れ。これは堪らんと舞台から下りようとしたところで、吉祥が扇を回してその退路に立ち塞がった。

「客に茶を沸かさないとならんのだ、お前らと遊んでる場合じゃない!」
「ほほほ、私らも遊んでいるわけではありませんよ」

 まあ彼らにとってこれが仕事である。役者二人はそういった人間の扱いも慣れているのか、しくじった寿三郎をいじって遊びだす。見て分かる程そんな余裕はない浪人を茶化すものだから、客はそれで大笑い。一座の者は何でも笑いに昇華しようとする意気込みが凄まじく、取り残し一つ許さない。

 一通り弄ばれた後に舞台から逃げ出すと、客から拍手が巻き起こる。
 てんとうが舞台の袖で声を張り上げた。

「長次! 長次お茶や! 客席に持って行って!」
「えええ!? 今!? こ、この雰囲気の中に出ていくの!?」
「今だから行くんや! はよ!」

 緊張でがちがちに固まる長次がお盆を持って登場すれば、すかさず天道がそれを拾う。

「からくり人形がお茶を持って参りました」

 客は大笑い。笑って喉が渇いてきた客はそこで茶の注文に手を上げ始める。

 舞台は二人の素人を迎えててんやわんやの大騒ぎ。だがいっぱいいっぱいの二人としては、怒られるよりか笑われている方に救いがあった。次から次へとこれ以上どうしろという場面しか訪れないので、もう精一杯やっているのだ。客もそれを理解しているので、彼らがしでかしても笑って済ませてくれる。

 場の空気はとても良いものであったが、歌舞伎でもなく、能でもなく、狂言ともまた違う独特の文化の中に自らがいるのが不思議でならず、寿三郎は内心でいたく感心していた。

「これはなんだ……?」

 天照大神あまてらすおおみかみを岩戸から引っ張り出した天鈿女命あまのうずめのみことから始まり、まだ日本で『喜劇』というものが明確に位置づけられていない時代、寿三郎は鳥肌すら立たせて舞台の空気の中に身を置いていた。
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