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第十一話 はめられ浪人
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両国はいつも通り。毎日夢の中にいるような空間が広がっていた。賑やかな通りは人でいっぱい。派手な客引きが道行く人を呼び込み、様々な声が入り混じる。
寿三郎が長次と共に天道一座の掛け小屋に到着した頃は、もうすでに昼を過ぎていた。一座の者は誰も外に出ておらず、周辺に人通りはあるものの昨日のような賑わいはない。
寿三郎は長次に追いついた後、とりあえず落ち着けと促し、一緒に一座までやってきてしまった。あのままの勢いで天道の元に行ってしまえば逆に迷惑をかけてしまうとの判断だったが、果たして落ち着いたところで長次を連れて行っていいものかと悩みに悩んでいた。
長次は十二で働きに出てもいい年頃。ただ身体が並より小さく、親と同じ仕事をするにはまだ頼りない。一座は結構な重労働に見えたが、この体格であの仕事を満足にできるとも思えず……。かと言って、同じ歳くらいのおなごのてんとうが見事に一座の縁の下を持っていた。せめてもうあと一、二年あれば何とかなりそうなものを、時の運というものは悪い時に重なる。
寿三郎がぐるぐる考え事をしている間、長次は掛け小屋に歩み寄り、戸の前から中に声をかけた。
「こんにちはー。昨日お世話になった長次です。どなたかいらっしゃいませんか」
「おんでー」
すっと戸が開くと、そこには天道がにこやかな様子で立っていた。
「なんや、また遊びに来てくれたんか」
「いえ、遊びに来たわけではありません。働かせてもらえないかとやってきました……」
「お? 昨日の話、考えてくれたんや?」
寿三郎は憤った様子で間に入る。
「それなんだが……中に入っていいか」
「ん。ええで。お福ちゃーん、昨日の二人が来たでー!」
その呼びかけで、奥にかけられた幕の隙間からお福が顔を出す。
「あらあらあらあらあらあらなになになに? どないしたん? そんな辛気臭い顔して」
相変わらず忙しない女ではあるが、嫌味はない。こちらを窺いながら客席に来て天道の隣に腰掛ける。
「うちで仕事したいんやって!」
「えっ、ほんま!?」
堺の口が走り出す前に寿三郎は話を止めた。
「ちょっと事情があってだな……。実は長次の父親が具合を悪くして、稼ぎが止まってるんだ」
「あらら……そら心配やな」
「ここで少しでも日銭を稼がせてもらえるならとやってきたが、この通り長次は身体が小さい。歳は十二で働きに出てもいい頃だが、どの程度働けるか分からん。父の仕事を手伝ってはいたが、あくまでも手伝いの内だ。それをあんた達に任せてしまっていいものかと悩んでしまってな……」
そこまで聞いて、天道は『ふぅん』と納得した。
「さよか。寿三郎さんの心配も分かるけどな、てんとういるやろ、あいつも十二や。おなごやが男顔負けでよく働く子や。同じ歳の長次がやってできひんことはないと思うで? それにこの子は働き者の顔しとる。堺の商人は、こないな子を丁稚で拾えたら喜ぶもんや。やらせてみたらでやろう?」
お福もそれに頷いて。
「まあ寿三郎さんもいてくれるんやし、気にかけててもらえるんならなにも問題ないと思うで?」
「んっ!?」
そこで寿三郎の顔色が変わった。
「待て、ここで働きたいのは長次だけだ。俺は違う」
「えっ!? 寿三郎さんも一緒とちゃうん!?」
天道とお福の驚いた顔を間近で目にし、寿三郎は硬直する。
この掛け小屋で働く? 昨日の客数を思い出すだけで身が縮み上がると言うのに、ここで働けと? あの慌ただしい中で、器用ではない自分が大勢の客相手に何をすればいいというのだ? 想像ができず、空を虚ろに睨みつける。
「寿三郎さん口添え人やねんから、責任持って一緒に来てくれへんと困るよ!」
「せやせや!」
まあこのあたりは、一緒に巻き込んで働いてもらおうという魂胆で言っているだけだろう。この二人は人手が欲しい、それだけだ。
「いやっ……俺は……無理だ! 口下手すぎて客商売はできそうにない!」
特にもこの賑やかな一座では無理としか思えぬ。そんな寿三郎に天道もお福も半ば呆れている。
「十二の長次ができることを、歳食ったあんたがでけへんのはおかしいやろ!」
「二人一緒じゃなきゃ雇いまへん」
「それや! そうしよ。二人一緒じゃなきゃ雇いまへん」
「あっ!? 汚いぞ!」
「寿三郎さん、長次のおとんのところで働いてたんやろ? やったらあんたも働き口探して困ってたはずや。別に二人一緒でも都合が悪いわけやないやろ?」
「そっ……それはそうだが、それとこれとは話が別で」
「やったらええやん」
「やややや……!」
首が横にちぎれそうな程寿三郎が拒否しているので、お福は腕を組んでから唸って言った。
「ほなこないなのはどう? 接客はせぇへん。接客は長次に任せる。寿三郎さんは役をやる」
役? 突然何を言い出したかついていけていない寿三郎に対し、天道が大口を開けて喜んだ。
「あー! ええな! うちの一座は役者が二人しかおらへんから、ここに一人加わってもろたら噺が華やかになる!」
「持ち回りで色んな役ができるんちゃう? 長次もいれば子役も出せる!」
「えっ、おいらも舞台に出るの……?」
盛り上がる二人の話に大人しく聞いていた長次が驚いて目を丸くしていたが、寿三郎は折れんばかりに首を横に振りまくる。
「待て! 勝手に話を進めるな! 長次はともかく、俺は芝居なんてできないからな!」
「役者の給料はええよ?」
そう、堺の二人が指で輪っかを作り、寿三郎の目の前にちらつかせる。
「いくら銭を積まれても無理なものは無理だ」
効かない男、それが寿三郎。天道は口を尖らせて最終手段に出た。
「ほー。分かりました。ほな、長次を雇うのもなしっちゅうことで」
「えっ!?」
「あっ! きっ……たねえ!」
「銭で動かないお人には、情で訴えかけるしかないからな」
「脅しじゃねえか!」
「人聞き悪いこと言わんとってー。『お願い』やろ」
「そないに嫌なら無理せんとええのよ?」
「くっ……!」
大人三人のやり取りはどうしようもない。長次は両隣を交互に見ながら狼狽えている。
「あの……おいら……やっぱり、他で働き口を探します……」
ついにはそう言い出してしまった子供を前に、天道とお福は大きくため息を漏らす。
「あー言わせてしもた。寿三郎さんのせいや」
「おのれら……」
飢えても銭では動かぬ寿三郎だが、情では戸より簡単に動いてしまう。天道の言う通りになってしまった結果にがっくりと肩を落としはしたが、致し方なく観念した。
「……分かった。呑もう」
「やったあ!」
「その代わり! 俺は演技などやったこともないからな!? 大根も大根、芝居になどならんぞ!」
「平気平気、寿三郎さんはそのままでええ」
「むしろそのままでお願いしたいわ」
天道とお福は不敵な微笑みをたたえながら、大喜びで手を叩き合う。心配した長次が寿三郎を窺った。
「寿三郎さん……いいのですか……」
「いいか悪いかと言われれば、よくないのだが……こうなった以上やる他あるまい」
働き手が増えてご機嫌な天道が客席を立ち上がる。
「ほなまあ、早速仕事にかかってもらいまひょか」
「よ……よろしくお願いします……」
長次にとって、言わばこれが人生初めての仕事だ。父親の手伝いではない、自分の仕事となる。その緊張を解すようにお福が言った。
「長次はてんとうが先生やな。今てんとうと吉祥、浅草の方に客を呼びに行ってるんよ。お寺の辺り探してもろたらいると思うさかいに、訳を話してやること聞いてちょうだい」
「寿三郎さんは、吉祥に客の引き方習って来て」
「俺は接客などできぬと言っただろうが……」
「客引きは吉祥に任せておけばええ。引札くらい配れるやろ」
文字の書いてある半紙を配るだけの簡単な仕事だ、流石にできぬとは言えない。この仏頂面で本当にいいのか疑問だが、天道もお福もそれを問題としていない様子。
「ほらほら、うちで働くからにはしっかりやってもらいまっせ! 働かざる者食うべからず! きびきびやっておくんなさい!」
そう天道とお福に囃し立てられ、掛け小屋を追い出された寿三郎と長次は、両国を浅草の方へ歩き始めるのであった。
寿三郎が長次と共に天道一座の掛け小屋に到着した頃は、もうすでに昼を過ぎていた。一座の者は誰も外に出ておらず、周辺に人通りはあるものの昨日のような賑わいはない。
寿三郎は長次に追いついた後、とりあえず落ち着けと促し、一緒に一座までやってきてしまった。あのままの勢いで天道の元に行ってしまえば逆に迷惑をかけてしまうとの判断だったが、果たして落ち着いたところで長次を連れて行っていいものかと悩みに悩んでいた。
長次は十二で働きに出てもいい年頃。ただ身体が並より小さく、親と同じ仕事をするにはまだ頼りない。一座は結構な重労働に見えたが、この体格であの仕事を満足にできるとも思えず……。かと言って、同じ歳くらいのおなごのてんとうが見事に一座の縁の下を持っていた。せめてもうあと一、二年あれば何とかなりそうなものを、時の運というものは悪い時に重なる。
寿三郎がぐるぐる考え事をしている間、長次は掛け小屋に歩み寄り、戸の前から中に声をかけた。
「こんにちはー。昨日お世話になった長次です。どなたかいらっしゃいませんか」
「おんでー」
すっと戸が開くと、そこには天道がにこやかな様子で立っていた。
「なんや、また遊びに来てくれたんか」
「いえ、遊びに来たわけではありません。働かせてもらえないかとやってきました……」
「お? 昨日の話、考えてくれたんや?」
寿三郎は憤った様子で間に入る。
「それなんだが……中に入っていいか」
「ん。ええで。お福ちゃーん、昨日の二人が来たでー!」
その呼びかけで、奥にかけられた幕の隙間からお福が顔を出す。
「あらあらあらあらあらあらなになになに? どないしたん? そんな辛気臭い顔して」
相変わらず忙しない女ではあるが、嫌味はない。こちらを窺いながら客席に来て天道の隣に腰掛ける。
「うちで仕事したいんやって!」
「えっ、ほんま!?」
堺の口が走り出す前に寿三郎は話を止めた。
「ちょっと事情があってだな……。実は長次の父親が具合を悪くして、稼ぎが止まってるんだ」
「あらら……そら心配やな」
「ここで少しでも日銭を稼がせてもらえるならとやってきたが、この通り長次は身体が小さい。歳は十二で働きに出てもいい頃だが、どの程度働けるか分からん。父の仕事を手伝ってはいたが、あくまでも手伝いの内だ。それをあんた達に任せてしまっていいものかと悩んでしまってな……」
そこまで聞いて、天道は『ふぅん』と納得した。
「さよか。寿三郎さんの心配も分かるけどな、てんとういるやろ、あいつも十二や。おなごやが男顔負けでよく働く子や。同じ歳の長次がやってできひんことはないと思うで? それにこの子は働き者の顔しとる。堺の商人は、こないな子を丁稚で拾えたら喜ぶもんや。やらせてみたらでやろう?」
お福もそれに頷いて。
「まあ寿三郎さんもいてくれるんやし、気にかけててもらえるんならなにも問題ないと思うで?」
「んっ!?」
そこで寿三郎の顔色が変わった。
「待て、ここで働きたいのは長次だけだ。俺は違う」
「えっ!? 寿三郎さんも一緒とちゃうん!?」
天道とお福の驚いた顔を間近で目にし、寿三郎は硬直する。
この掛け小屋で働く? 昨日の客数を思い出すだけで身が縮み上がると言うのに、ここで働けと? あの慌ただしい中で、器用ではない自分が大勢の客相手に何をすればいいというのだ? 想像ができず、空を虚ろに睨みつける。
「寿三郎さん口添え人やねんから、責任持って一緒に来てくれへんと困るよ!」
「せやせや!」
まあこのあたりは、一緒に巻き込んで働いてもらおうという魂胆で言っているだけだろう。この二人は人手が欲しい、それだけだ。
「いやっ……俺は……無理だ! 口下手すぎて客商売はできそうにない!」
特にもこの賑やかな一座では無理としか思えぬ。そんな寿三郎に天道もお福も半ば呆れている。
「十二の長次ができることを、歳食ったあんたがでけへんのはおかしいやろ!」
「二人一緒じゃなきゃ雇いまへん」
「それや! そうしよ。二人一緒じゃなきゃ雇いまへん」
「あっ!? 汚いぞ!」
「寿三郎さん、長次のおとんのところで働いてたんやろ? やったらあんたも働き口探して困ってたはずや。別に二人一緒でも都合が悪いわけやないやろ?」
「そっ……それはそうだが、それとこれとは話が別で」
「やったらええやん」
「やややや……!」
首が横にちぎれそうな程寿三郎が拒否しているので、お福は腕を組んでから唸って言った。
「ほなこないなのはどう? 接客はせぇへん。接客は長次に任せる。寿三郎さんは役をやる」
役? 突然何を言い出したかついていけていない寿三郎に対し、天道が大口を開けて喜んだ。
「あー! ええな! うちの一座は役者が二人しかおらへんから、ここに一人加わってもろたら噺が華やかになる!」
「持ち回りで色んな役ができるんちゃう? 長次もいれば子役も出せる!」
「えっ、おいらも舞台に出るの……?」
盛り上がる二人の話に大人しく聞いていた長次が驚いて目を丸くしていたが、寿三郎は折れんばかりに首を横に振りまくる。
「待て! 勝手に話を進めるな! 長次はともかく、俺は芝居なんてできないからな!」
「役者の給料はええよ?」
そう、堺の二人が指で輪っかを作り、寿三郎の目の前にちらつかせる。
「いくら銭を積まれても無理なものは無理だ」
効かない男、それが寿三郎。天道は口を尖らせて最終手段に出た。
「ほー。分かりました。ほな、長次を雇うのもなしっちゅうことで」
「えっ!?」
「あっ! きっ……たねえ!」
「銭で動かないお人には、情で訴えかけるしかないからな」
「脅しじゃねえか!」
「人聞き悪いこと言わんとってー。『お願い』やろ」
「そないに嫌なら無理せんとええのよ?」
「くっ……!」
大人三人のやり取りはどうしようもない。長次は両隣を交互に見ながら狼狽えている。
「あの……おいら……やっぱり、他で働き口を探します……」
ついにはそう言い出してしまった子供を前に、天道とお福は大きくため息を漏らす。
「あー言わせてしもた。寿三郎さんのせいや」
「おのれら……」
飢えても銭では動かぬ寿三郎だが、情では戸より簡単に動いてしまう。天道の言う通りになってしまった結果にがっくりと肩を落としはしたが、致し方なく観念した。
「……分かった。呑もう」
「やったあ!」
「その代わり! 俺は演技などやったこともないからな!? 大根も大根、芝居になどならんぞ!」
「平気平気、寿三郎さんはそのままでええ」
「むしろそのままでお願いしたいわ」
天道とお福は不敵な微笑みをたたえながら、大喜びで手を叩き合う。心配した長次が寿三郎を窺った。
「寿三郎さん……いいのですか……」
「いいか悪いかと言われれば、よくないのだが……こうなった以上やる他あるまい」
働き手が増えてご機嫌な天道が客席を立ち上がる。
「ほなまあ、早速仕事にかかってもらいまひょか」
「よ……よろしくお願いします……」
長次にとって、言わばこれが人生初めての仕事だ。父親の手伝いではない、自分の仕事となる。その緊張を解すようにお福が言った。
「長次はてんとうが先生やな。今てんとうと吉祥、浅草の方に客を呼びに行ってるんよ。お寺の辺り探してもろたらいると思うさかいに、訳を話してやること聞いてちょうだい」
「寿三郎さんは、吉祥に客の引き方習って来て」
「俺は接客などできぬと言っただろうが……」
「客引きは吉祥に任せておけばええ。引札くらい配れるやろ」
文字の書いてある半紙を配るだけの簡単な仕事だ、流石にできぬとは言えない。この仏頂面で本当にいいのか疑問だが、天道もお福もそれを問題としていない様子。
「ほらほら、うちで働くからにはしっかりやってもらいまっせ! 働かざる者食うべからず! きびきびやっておくんなさい!」
そう天道とお福に囃し立てられ、掛け小屋を追い出された寿三郎と長次は、両国を浅草の方へ歩き始めるのであった。
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