つくも神と腐れオタク

荒雲ニンザ

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67 締め切り直前に突入するゾーン現象

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 12月第4週、月曜日。
 締め切りまで今日を含めて2日となった。
 バイト帰りにダッシュを買いに行ったコンビニは、赤と緑が光り輝いている。町ゆく人々の表情も心なし穏やかで、ホリデーシーズンの独特な雰囲気がそこかしこに充満していた。

「すっかりクリスマスムードだな……」
「心の中にデスが巣喰ってる……」

 余裕のない者に電光は鋭い刃。画面を凝視しまくって四六時中目の裏に四角い残像が見える2人にとって、イルミネーションはまさにとどめのホーリーライト。

「明るしゅぎるぅ……」
「暗黒面が照らされるぅ……」
「ごめんよ印刷所メン……」
「極悪なんだ俺たちはァ……」

 息を吸えばもうコミケの匂いがしてきそうで震えるが、世の中はクリスマスになろうとしているそのギャップで脳が混乱する。

「鈴ちゃ終わりそう……?」
「ちょっと前から全体的に手を入れ始めたから、本は出せる。トーンとか細部の修正がやばいところはチラホラ残ってるけど、出そうと思えば出せる。慧は?
「本文は終わってる。今はダークマターから誤字脱字が無限に生まれてくるのを叩き潰しているとこ……」
「本は出せる状態か」
「ああ。ただ、機械で文章校正がかけられないから、うんこループみたいなことになってるがな……」
「ああ……ゲシュタルト崩壊ね……」
「何度も読んでると、本当にこれで文法あってるのか分からなくなってくるよぉ……」

 イヴイヴに黒いオーラが充満しているが、あと2日の辛抱だ。今日明日はほぼ眠れない。


 12月第4週、火曜日。イヴ。
 25日の朝9時までに入稿していないとアウト。現在の時刻は午後9時。
 きっと今頃世の中のSNSでは、爆発しろ派と煌びやかな世界を満喫している派が同じ世界線にいる。どちらも楽しそうで何よりなのだが、オタクにも2種類の人々がいる。よい子ちゃん入稿をしたオタクと、極悪入稿真っ最中のオタクだ。
 このところ4時間睡眠の鈴を目の前に、つくも神は板挟みでいた。成長段階の子供を早く寝かせたい親心に似た心境と、創作者として物を描ききる……やり遂げる大切さというものを学んで欲しいという師匠じみた思い。その中央をひたすらうろうろする毎日。それもこれも今日で終わる。

 ドアがノックされて集中力が途切れた。

「鈴、お父さん帰ってきたから、一緒にケーキ食べない?」

 鈴母だ。

「んんー……」

 そんなことをやっている時間がないのは分かっているが、なんとなくクリスマスということもあり断るのが悪い気持ちになった。日本人には関係ない海外のお祭りみたいなものだが、愛する人々と一緒にいるという意味合いは何となく理解できる。それを察したつくも神が言ってやった。

「少し休憩してきては? 甘いものを食べると脳に糖分がいって、効率が上がるかもしれませんよ」
「うん……じゃあ、ケーキ食べてくるわ」

 15分程度経ってから鈴が部屋に戻ってきた。その手には牛乳とクッキーが見える。

「つくもも気分だけクリスマスしよ?」

 こういう小さな面を共有したがるあたり、鈴も可愛いところがある。つくも神はこの子の思いやりに胸を温かくし、小さく微笑んだ。
 24時を回ると、スマホにメッセージが入った。隣に住む慧からだ。

『メリクリ~』

 たくさんの装飾がついた一文は、暗黒に落ちそうになっている鈴の気持ちを救ってくれる。こちらも同じく返事をしたが、おそらく慧も同じ気持ちになっているだろう。
 去年は2人で部屋の中にテントを作り、そこでお泊まり会をした。動画を見たりゲームをしたり、楽しかったなあ……という思い出が脳裏を過る。しかし今は、そんなことをやっている暇も考えている暇もない。再び ペンを持ってモニターを凝視し始めた。

 4時間睡眠として、深夜2時30分に寝る。現在真夜中の2時あたり。目の下を真っ黒にしながら黙々とペンを走らせる鈴であったが、ケーキを食べたのが幸いしたのか、集中力に凄まじいものが見え始めた。
 気がつけばバイト中ずっと持っていた焦燥感がどこかに消えており、鈴は自分の心が平らになっているのに気が付く。自分を中心にマトリョーシカのような層が幾重にも重なり、空気から部屋、部屋から外、空から大気圏、その先の宇宙を感じる。睡眠不足とバイトで疲れ切っているはずなのに心は穏やかで、目で見ているものと自分を取り巻く全ての環境が密接に繋がっているのを感じていた。

「できる……入稿できる……」

 間に合いそうにない状況を前に、何故そんな気持ちになっているのか鈴には理解できなかったが、怪士のつくも神には鈴から立ち上る輝かしいオーラが見えており、思わず感嘆の声を漏らす。

「おお……」

 鈴は悟りの境地に近い場所に達していた。彼女は今『ゾーン』と呼ばれる特殊な状態に入り込み、自分だけの感覚が研ぎ澄まされた精神世界に身を置いている。これは入ろうと思っても入れるものではなく、特定の条件が並列した時のみに起きるものだ。極限まで高められた集中力が、脳に快楽物質を流し込むことで最高のパフォーマンスを引き起こす。大人でもこの状態に自分を持っていくことは難しく、鍛え抜いているアスリートさえそう何度もできるわけではない。

 鈴を邪魔することはできない。若年でありながらこの領域に達することができた鈴を恐ろしく思い、つくもは呟いた。

「オタクすごい……」

 まるで鈴が山の如く大きく見える。
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