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29 初・売り子ちゃん体験
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杏花梨は筧ぽんたがすべき仕事がある。
大地は完全に読み取り式レジスターになっている。
慧はスナイパーの扱う製本機と化した。
負傷した鈴は販売に回るしかない。
鈴が迷っている時間は1秒たりともなく、あれよあれよと机の裏側に身を置いた。
見えてる範囲は机の上だけ。置いてある本と、買い手さんの手元しか見ることができない。杏花梨の視野の広さを求めたが、鈴には無理だ。
スッと狭い視野角に入り込む本を受け取り、本と見本誌についている値段を照らし合わせ、暗算を試みる。
「新刊300円……が、3冊。さざんがきゅー。それに、500円の本が、2冊で、1,000円」
1,000円のありがたみは尋常ではない。もう1000という数字に恋しそうになる。
「今ので1,900円」
「あとこれもお願いします」
そう追加で3冊載せられる。もうダメだ。
イベント会場の算数は名門大学の入試でもいいくらい難しい。もうAIがやれと思った瞬間、鈴の脳内に『奴』が浮かび上がる。
「つくもぉぉお!! 助けてええ!!」
思わずそう叫んでしまった後、ポケットに入れたスマホが振動した。それを勢いよく取り出すと、相変わらずアイコンに邪魔されて顔の半分以上見えないつくも神が表示された。
「金額を教えて下さい!」
「1,900円に、700円と、400円2冊、追加で500円2冊と、200円で、合計は!?」
慧が背後で青くなっていたが、周囲の人達はキョトンとしたまま鈴を見ている。
「4,600円です」
即座に答えた正解に、周囲から何人かの『おおー』という声が上がった。
スマホから出るつくも神の声は、第三者にも聞こえているではないか。鈴と慧の背中に冷や汗が伝うも、夏の暑さで流れたものかは区別ができない。
買い手は特別気にする様子もなく、5,000円札を渡してきた。
「おつり400円……」
銀貨4枚を渡し、その後に購入した本をまとめて渡す。
「あ、ありがとうございましたっ」
半ばパニックに陥っている鈴に、次の買い手さんが微笑みながら話かけてくる。
「すごい便利ですね、そのアプリ」
緊張しすぎて人の顔が分からない。すでに誰が買っていったのかも分からない。もう何を言っていいかすら分からず、変な笑いをして返す。
「フ……フヒヒ……」
つくも神の処理能力はパーソナルコンピューターに依存している上、言葉のやりとりで計算ができる分、販売のスピードが格段に上がっていた。おかげで机の上から新刊が消えそうになるが、かろうじて背後から1冊ずつ送られてくるのを必死で繋ぐ。
いつの間にか、読者さんとのやりとりをしながら、杏花梨が後ろで製本をしている。慧もコツを掴んできたようで、引退したスナイパーが職人に転職したような表情で紙を畳み、ホチキスをバシバシ撃ち込んでいた。
本当に秒も無駄にできないのをひしひしと体で感じているわけだが、何とか回している。何とかなっている。それがじわじわ脳に認識されてくると、もう『すげえ』しか言葉が出ない。
この人だかりの向こうはどうなってるのだろう。さっき杏花梨が列を作っていた。いつまで続くんだろう、この列は。
それから時間の感覚が完全になくなった頃、コピー本が完売した。
「新刊完売ですー」
杏花梨のおしらせで、並んでいた数名から悲鳴が漏れる。それを合図に人の波が引いてくると、やっと机の前に隙間が見え、大地が疲れ果てた声で溜め息を逃した。
「うああー……」
「お疲れ大ちゃんー」
杏花梨が弟を労うが、元凶はこのオタク姉だ。
「あとはコミケの既刊が一番新しいから、関東売りはそんな混まないと思う。2人も本当にありがとうー! 本ッ当……ゴメン!」
製本も終わり、椅子が使えるようになったので、大地はそこに身体を投げ出した。
「ふざけるな……毎度毎度お前は……!」
「毎度じゃないじゃんー! たまにじゃん……」
「突発本とやらを出すなとは言わん! だが予定を立ててやれ! 近くにいる人間を巻き込むんじゃない!」
「それは公式に言ってくれ……」
それに鈴と慧が涙する。
「確かに。週刊誌で公式がやらかしたら、我々はどうしようもない……」
「何なんだお前たちは!」
「腐ったオタクです」
大地は完全に読み取り式レジスターになっている。
慧はスナイパーの扱う製本機と化した。
負傷した鈴は販売に回るしかない。
鈴が迷っている時間は1秒たりともなく、あれよあれよと机の裏側に身を置いた。
見えてる範囲は机の上だけ。置いてある本と、買い手さんの手元しか見ることができない。杏花梨の視野の広さを求めたが、鈴には無理だ。
スッと狭い視野角に入り込む本を受け取り、本と見本誌についている値段を照らし合わせ、暗算を試みる。
「新刊300円……が、3冊。さざんがきゅー。それに、500円の本が、2冊で、1,000円」
1,000円のありがたみは尋常ではない。もう1000という数字に恋しそうになる。
「今ので1,900円」
「あとこれもお願いします」
そう追加で3冊載せられる。もうダメだ。
イベント会場の算数は名門大学の入試でもいいくらい難しい。もうAIがやれと思った瞬間、鈴の脳内に『奴』が浮かび上がる。
「つくもぉぉお!! 助けてええ!!」
思わずそう叫んでしまった後、ポケットに入れたスマホが振動した。それを勢いよく取り出すと、相変わらずアイコンに邪魔されて顔の半分以上見えないつくも神が表示された。
「金額を教えて下さい!」
「1,900円に、700円と、400円2冊、追加で500円2冊と、200円で、合計は!?」
慧が背後で青くなっていたが、周囲の人達はキョトンとしたまま鈴を見ている。
「4,600円です」
即座に答えた正解に、周囲から何人かの『おおー』という声が上がった。
スマホから出るつくも神の声は、第三者にも聞こえているではないか。鈴と慧の背中に冷や汗が伝うも、夏の暑さで流れたものかは区別ができない。
買い手は特別気にする様子もなく、5,000円札を渡してきた。
「おつり400円……」
銀貨4枚を渡し、その後に購入した本をまとめて渡す。
「あ、ありがとうございましたっ」
半ばパニックに陥っている鈴に、次の買い手さんが微笑みながら話かけてくる。
「すごい便利ですね、そのアプリ」
緊張しすぎて人の顔が分からない。すでに誰が買っていったのかも分からない。もう何を言っていいかすら分からず、変な笑いをして返す。
「フ……フヒヒ……」
つくも神の処理能力はパーソナルコンピューターに依存している上、言葉のやりとりで計算ができる分、販売のスピードが格段に上がっていた。おかげで机の上から新刊が消えそうになるが、かろうじて背後から1冊ずつ送られてくるのを必死で繋ぐ。
いつの間にか、読者さんとのやりとりをしながら、杏花梨が後ろで製本をしている。慧もコツを掴んできたようで、引退したスナイパーが職人に転職したような表情で紙を畳み、ホチキスをバシバシ撃ち込んでいた。
本当に秒も無駄にできないのをひしひしと体で感じているわけだが、何とか回している。何とかなっている。それがじわじわ脳に認識されてくると、もう『すげえ』しか言葉が出ない。
この人だかりの向こうはどうなってるのだろう。さっき杏花梨が列を作っていた。いつまで続くんだろう、この列は。
それから時間の感覚が完全になくなった頃、コピー本が完売した。
「新刊完売ですー」
杏花梨のおしらせで、並んでいた数名から悲鳴が漏れる。それを合図に人の波が引いてくると、やっと机の前に隙間が見え、大地が疲れ果てた声で溜め息を逃した。
「うああー……」
「お疲れ大ちゃんー」
杏花梨が弟を労うが、元凶はこのオタク姉だ。
「あとはコミケの既刊が一番新しいから、関東売りはそんな混まないと思う。2人も本当にありがとうー! 本ッ当……ゴメン!」
製本も終わり、椅子が使えるようになったので、大地はそこに身体を投げ出した。
「ふざけるな……毎度毎度お前は……!」
「毎度じゃないじゃんー! たまにじゃん……」
「突発本とやらを出すなとは言わん! だが予定を立ててやれ! 近くにいる人間を巻き込むんじゃない!」
「それは公式に言ってくれ……」
それに鈴と慧が涙する。
「確かに。週刊誌で公式がやらかしたら、我々はどうしようもない……」
「何なんだお前たちは!」
「腐ったオタクです」
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