タナトスのボタン

早く4ね

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最終話

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天井。何回も見てきた景色。俺は初めて動かすかのように体を起こした。機械の数字は666。スマートフォンが示す日付は9月14日。何度目だろう。ただ昨日とは異なる点がただ1つ、今度は体が勝手に動かない。横になっている薬の瓶を取って水で流し込んだ。

「今度は俺が神の番だ」

 何故か全てを理解していた。自分が何をするべきかも。世界は確かに俺の手のひらの上に乗っかっていた。指を噛むと花のように可憐な血が産まれた。昨日と同じようにパーカーを着てズボンを履く。リュックを背負う。昨日と同じように意気揚々とドアに手をかけて開く。太陽が自分にスポットライトを当てているようだった。久しぶりの外の空気は子どもの時によく食べた飴玉のような甘い味がした。

「神のお出ましだ。神のお出ましだ」

 宣言しながら天国への改札をくぐる。周りの人間が自分に向ける目はどこか信仰する信者のように見えた。ホームに着いた瞬間待ってましたと言わんばかりに電車が駆け足でやってくる。褒めて遣わす、と叫びあげ車両へ足を合わせる。自分が足を動かす度に花が咲きそうだった。心臓が拍手をした。

「本日は神の誕生日である」
 
 乗員は変わらない。分かっている。畏怖の目を向けているのも分かっている。リュックから愛用の鉈を2本取りだし数回力を込めて握る。この神器には確かに力が宿っていた。

「昨日のお礼を行いに馳せ参じた」

 女性達は小さな悲鳴をあげて俺から距離を取ろうとする。最初に立ち上がろうとしたのは悪魔の1人だ。俺は咄嗟に走り出す。
 鉈を彼女の足に振り回し切りつける。やはり情けない悲鳴をあげて倒れ込んだ。すかさず化粧で整った気色の悪い顔を両手の鉈でめった切りにする。気づいた時には血まみれで淫らな顔になっていた。この時を待っていた。俺は神に相応しい雄叫びをあげて彼女の顔をこの世の全ての力を集めて踏みつけた。鈍い音が静寂に響き渡る。

振り向いた。その瞬間全員が叫びながら逃げようとする。一目散に他車両へ向かったのはやはり子連れの悪魔だ。悪の根源を抱き抱えて走り出す。

「制裁だ」

 がら空きの悪魔の背中を力任せに切り裂く。悪魔は倒れ込んで悪を落とした。

「助けて、だれか」

 白々しい。逃さぬように両足の膝裏辺りに深く刃を振りかざす。発狂しながら寝転がってる姿は昨日とは打って変わって弱々しく、口付けを交わしたいような愛おしさを持たせた。放心状態の悪を片手で持ち上げる。軽い。泡のように軽い。

 「しかとして目に焼き付けるがいい」

 悪の顔面を愛を込めて壁に打ち付ける。百日紅のうように艶かしい鼻血がどっと溢れ出しやかましい声で泣き出した。悪の根源とは思えない幸福をもたらす声。俺は感動の涙を流しながらズボンを下ろす。

「愛だ。愛を受け取れ」

 ああ、俺はなんて慈悲深い神なのだろう。悪に忍び寄る。心臓は壁を突き破る勢いで俺を叩く。

「制裁」

 儀式の合図をし、娘の眼球に愛の塊を優しく、強くねじ込んでいく。ブチブチッと不善が潰れる音がする。動きを止めず壁に当たるまで突っ込んだ。悪魔は笑えるほど驚愕した後、失神してしまった。悪は虚しくも泣きながら暴れる。健気で愛着が湧く。今俺はこの悪の父親となったのだ。

「幸せだろう、幸せだろう」

 一心不乱に腰を振る。この世界を丸ごと犯している。中はドロドロしていて俺を求めて吸い付いていく。熱情を抑えられず俺はそのまま愛をつぎ込んだ。抜くと血と白みがかった不善がまとわりついた。悪はもう動かず人形のようだった。周りを見渡すと老いた悪魔2人は腰を抜かして倒れ込んでいた。もう1人の若い悪魔は居なくなっている。恐らく他車両に逃げ込んでしまったのだろう。

「あ、あ」

 老いた悪魔は快楽の残穢を嗜む俺をまるで神と対面したかのような目で見る。

「俺は神だ」

 丁度電車が停止した。扉の奥には思った通り警察はいなかった。代わりに-2日目に俺を弄んだ悪魔が怯えた目でこちらを見ていた。
 ああ、自分はなんて偉大なのだろう。彼らの無力さが可哀想で涙が止まらない。ドアが開く。

「お前は醜い」
  
 それだけ言って首を切り裂いた。悪魔は一瞬何をされたのか理解出来ず滑稽な顔を数秒間した後、倒れた。首からどっと悪性が噴き出す。

「貴様は救われたのだ」

 警察が数人走り込んで来て銃を構える。

「手を上げろ」

在り来りで責務の終わりを告げる台詞に背筋がじんわりと暖かくなる。俺は手を上げずに汚らわしい血がこれでもかと付いた鉈を首へとあてがう。

「俺は神だ。この堕落した世界を救いに来たのだ」

 警察は構えを崩さない。鉈を首に押し込み、引く。まるでボタンを押すかのように呆気なかった。神聖な血が飛び散り視界は段々と光に包まれていった。




 タナトスのボタン、それは腐りきった世界を救う為に悪魔がもたらした一筋の光。
 ニュースキャスターが深刻な顔をして淡々と今日起きた事件の話をしている。大学生が電車で無差別殺人を起こした後、自殺をしたのだという。
 近頃多くの人間が殺人をした後に自殺をする事例が起きている。大抵は傷害、殺害をした後に支離滅裂なことを言いながら自殺をするらしい。今月は毎日この凄惨かつ不可解な出来事が生じていた。容疑者は総じて鬱病を患っていたり、精神的な問題を抱えていたらしい。この国は直に滅びる。

 どこかの家でインターホンが鳴り響いた。
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