タナトスのボタン

早く4ね

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1話

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ニュースキャスターが深刻な顔をして淡々と今日起きた事件の話をしている。
 またか。近頃多くの人間が殺人をした後に自殺をする事例が起きている。大抵は傷害、殺害をした後に支離滅裂なことを言いながら自殺をするらしい。今月は毎日この凄惨かつ不可解な出来事が生じていた。容疑者は総じて鬱病を患っていたり、精神的な問題を抱えていたらしい。警察は忙しそうだ。
 世間では自分がそれに巻き込まれるのではないかと怯えている様子だ。しかし自分は非常に興味深く感じていた。理由としては一種のフィクションのようで面白いという悪趣味なものだが、もう1つ大きな理由がある。
 それは自分も容疑者達のような環境に置かれていて、シンパシーじみたものを感じているからである。人生に希望が微塵も無く、大学も通わずに自堕落な生活を送っており、死んでしまいたいと常々思っている。この世はストレスと絶望ばかりで終わっている。ネットは誹謗中傷で溢れかえり、朝の電車では死んだ目をしたサラリーマンがアリのように仕事場へ向かう。いっそ戦争が起きていた時代の方がマシなのではないかと本気で疑う。この国は直に滅びる。
 当の自分は勉強もできず、これといった特技もない。働きたくもないしそろそろこの地獄に終止符を打とうと考案中である。部屋は大量の風邪薬の空き瓶とカップラーメンのゴミで埋め尽くされている。親に愛想をつかれて仕送りも止まり、金は底をつく直前。もう何もかもにうんざりしていた。とは言ったものの狂った容疑者共のように自殺をする思い切りもなく。

  インターホンが鳴る。が、まるでベッドに接着剤を塗られているようで体を起こせない。インターネットで何かを注文した記憶もないしどうせしょうもない勧誘かなにかだ。居留守をしよう。
 と思ったが、音は鳴り止まず1分ほど催促をしてくる。やかましくて不快だ。音に敏感なため頭痛がしてくる。数分無視し続けても訪問者は諦めない。いよいよこちらの限界が来たので殺す勢いで玄関へ向かう。

「うるせえな」

 薄汚いドアを蹴飛ばしてから勢いよく開けた。眩しい光が射して目が眩む。そこには誰もいない。いたずらでやったのか。怒りが余計に込み上げて気が狂いそうになる。薬を足そうと部屋へ戻ろうとした時、何かが置いてあることに気がついた。
 子猫がなんとか入りそうなサイズのダンボールである。全体がシックな黒色で一般的な配達物とは違った印象で少し奇妙だ。身を乗り出して外を軽く確認したがやはり誰もいなかった。少し眺めてから手に持ってみる。軽いが何かが入ってることが分かった。宛先すら書いておらず隣の住民の物かとも思ったが、明らかに自分の部屋の前に置かれていたのでその可能性は低い気もする。中身が気になったのでとりあえずそれを持って部屋に戻った。開けて他の住民の物と分かったら渡せばいいだけの話であるし、開けてしまおう。
 もしものことも考えて丁寧にそれを開くと中には丁寧に4つ折りされた紙が1枚と、まんまるなボタンと液晶が付いた片手くらいの大きさの機械が入っていた。スマートフォンやゲーム機とはまた違った姿であり、やはり奇妙な雰囲気。しかしアニメに出てくる爆破ボタンのようで少年心をくすぐられた。
 紙を開くと文が少々綴られていた。1番上には「原田俊之様へ」と。一瞬心臓がひんやりとした。自分の名前だ。つまりこの奇妙な品は自分宛のものであったのだ。食い入るようにその後の文を読む。

「厳選なる審査の結果貴方は選ばれました。これは『タナトスのボタン』です。ボタンを押すとその日から3日間、貴方は何をしても次の日には全てが元通りになり、同じ日の朝を迎えます。つまり何をしてもゲームのように何かをする前にロードができるのです。3日が経ったら効果は切れます。使うかは貴方次第ですが、これは貴方にとって大きな経験になると思われます。騙されたつもりになって体験していただけると幸いです」

 なんだこれは、馬鹿にしてるのか。怪しさをまるで隠せていない。面倒なイタズラに会ったと頭を抱える。機械と紙を箱にしまい外に戻しておこうとしたその時、手が止まった。

 何をしても元通りになる、か。

 1度は考えたことのある惹かれる設定ではある。もしも何をしても許される日があったなら。真っ先に思い浮かんだのは殺人だった。まるで現実世界のような空間で好き勝手できるゲームをプレイしたことがあるが、その時にまずしたのは民間人を殴り殺したことだ。欲望の赴くままに暴力を無害な人間に与える。その行為は普段ではとてもできなく卑劣であり、心地よい快感を自分に与えた。それが現実でできたなら、それは今まで得たことの無い快楽をもたらすことは容易に想像できる。
 当たり前だがそんな非現実的なことが起きるわけが無い。だがなんとなく、一応、押した時のことも知りたいがためにボタンを押してみた。すると昔のゲームのような電子音がピッと流れ、液晶には3の数字が表示された。3日間のカウントダウンということだろうか。下手な仕掛けな割には凝っている。そこは評価してあげよう。
 そのまま少し待ったがやはり何も起きない。結局ただの気色の悪い仕掛けに無駄な時間を使っただけだった。これを持ってきた人間が騙される自分をほくそ笑んでいると思うと段々と腹が立ってくる。乱雑に機械を投げて新品の風邪薬を開ける。今日もコデインで腐りきった世界を生きようと水で1瓶全てを飲み干した。
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