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迷宮離脱(第一層)⑥
しおりを挟む「ふふふはははははははは」
「機嫌良さそうだね、シグ」
迷宮の出口に向かって歩く途中、シグはこらえきれない、とばかりに笑みを浮かべていた。
出口は近い。すれ違う冒険者たちに不信そうな視線を向けられているが、シグは特に気にしていない。
「そりゃ気分いいだろ。こっちをさんざん馬鹿にしてきた連中にきちんと仕返しできたうえ、金だの魔核だのも回収できたんだからな」
というか、金目のものはだいたい奪っていた。
最初にシグが取られたぶんはもちろん、旅行帽の男たちがもともともっていたぶんも根こそぎいただいている。彼らが持っていた回復薬もだ。
連中のしでかしたことからすれば当然の報いといえよう。
「む、出口だね」
クゥの視線の先には、迷宮の出口があった。
(……まさか本当に帰ってこられるとは)
シグはそう思う。
麻痺にされた挙句大量の魔物に追い回されたときにはどうなるかと思ったが、こうして無事に迷宮の出口までたどり着くことができた。
そうできたのは――、
「どうしたのさシグ、ぼくの顔に何かついてる?」
シグの隣で首を傾げる、この少女がいたからだ。
「……お前、クゥなんだよな。俺の契約精霊の」
「またその話かい? そんなに信じられないなら最終手段、認めてくれるまでシグの恥ずかしい秘密暴露大会をするしか……」
「おいやめろ。で、クゥなんだな」
「そうだよ。……何でそんなに重ねて聞くんだい?」
どこか不安そうに見上げてくる白髪の少女。
その頭に、ぽん、とシグは手を置いた。肩をこわばらせるクゥに構わず、そのまま乱暴な手つきで二度三度と撫でる。
「今日は助かった」
「……え、あ」
クゥから視線を逸らすように正面を向きながら、
「死なずに済んだし剣だって戻ってきた。お前のおかげだ」
「……」
「正直お前がクゥだってのにまだ違和感はあるが……まあ、礼は言っとくぞ。ありがとよ」
「…………、」
無言。
クゥは、何も言わずその場に立ちつくしている。
何を言われたのか理解できていないように。
数秒間何の反応も示さなかったクゥだったが――じわ、とその目に涙が浮かぶ。
シグがその意味を考えようとしたところで、クゥの瞳から涙があふれた。
「わあああああん」
大泣きである。ぎょっとしたように周囲の冒険者がシグたちを見た。
だが一番唖然としたのは当のシグだ。
なんだ。なぜ泣く。そんなに頭を撫でられるのが嫌だったのか。
「お、おい。落ち着け」
言うが、クゥが泣き止む気配はまったくない。
後から後から涙のしずくが零れ落ちていく。
「……どうしたってんだ……」
どうしていいかわからず呻くシグに、嗚咽まじりの小さな声が返ってきた。
「だって、だってぇ……ぼく、ずっとなにもできない役立たずで、シグを傷つけてばっかりでっ……ずっとずっとそれが悔しくて、悲しくて……」
「――」
「でも、シグはぼくを責めないから、それもつらくて……」
クゥはぼろぼろと涙を流したまま、
「そんなふうに言ってもらえるなんて、思ったこと、なかったからぁ」
喉を裂くように、そう言った。
「……お前……」
シグは呆然とクゥを見つめることしかできない。
それは負い目だ。
クゥが十五年にわたって抱え続けた傷だった。
最下級の精霊だったクゥはまさしく無能だった。精霊術を使えず身体強化も行えない。護衛をつけて『練度上げ』をしても下級精霊にすらならない。
そしてそれに対する非難は、クゥではなくシグに向いた。
王家という、『強い精霊を宿して当たり前』の環境に生まれたこともそれを後押しした。王宮でも、貴族学院でも、シグは当然のように見下された。
マナを扱えないなら牛や豚と同類だ、と嗤われたことさえある。
シグは努力していた。
勉学。剣。体術。社交。あらゆることを、毎日毎日磨き続けた。
そのすべてを無能な自分が台無しにしてきたのだ。
この世界では精霊の強さがすべてだから。
クゥはそのことが何よりもつらかった。
「……気にしてんじゃねえよ、そんなこと」
「気にするよっ、無理言わないでよ……」
コートの袖を当てて何度も目元をぬぐうクゥだったが、まったく涙が治まる気配はない。
……率直な感想を言えば。
気にし過ぎだ、とシグは思う。
確かに実の父親から『王家にお前のような愚図はいらない』と言われて追放されたり、貴族学院で色々あったりもしたが、それは決してクゥのせいではない。精霊の強さでしかものごとを判断できない周りの人間がどうかしているのだ。
シグはクゥが悪いと思ったことなど一度もない。
だが、それを伝えたところで意味はないだろう。クゥを責めているのはクゥ自身だからだ。
そして、シグからすると、そういう気持ちは少しわかってしまう。
(……あー)
自分が傷つけてしまった相手に、『あなたのせいじゃない』と笑いかけられる。
そういう経験のあるシグにとっては、気安く慰めるのも躊躇われた。
シグは視線を逸らし、呟くように言った。
「なら、これから返済していけよ」
「……え?」
「罪悪感が消えるまで、俺の役に立て。……お前はもう、無能なんかじゃねえんだろ」
結局、それしかない。クゥを責めているのがクゥ自身なら、クゥを許せるのもクゥ自身だ。
「…………、」
クゥは涙の溜まった瞳をわずかに見開いて、こくん、と頷いた。
「……うん。そうだね。シグの言う通りだ」
「わかりゃいい。納得したなら、さっさと泣き止め」
「うあ」
シグはクゥの目元を指で荒っぽく拭い、無理やり涙を止めてしまう。クゥは母猫に世話を焼かれる子猫のように大人しくそれを受け入れた。
ぐす、と鼻を鳴らしながら、クゥはきまり悪そうに言った。
「……その、ごめん。取り乱しちゃった」
「まったくだ。次にこの話を蒸し返したら殺す」
「わ、わかった。もう言わない」
低い声で釘を刺すシグにクゥはこくこくと頷いた。
それを確認してから、シグは迷宮の出口に視線を向ける。
「もう行くぞ。無駄に目立っちまった」
「あ、待って待って。シグ、ひとつだけ」
「あん?」
シグが振り返ると、なぜかクゥはわずかに緊張した顔をしていた。それを誤魔化すように咳ばらいをして、クゥは口を開いた。
「改めて――ぼくはクゥだ。きみと契約した半身にして、空をつかさどる大精霊」
「……」
「きみの役に立てるよう、頑張るよ。これからよろしくね」
胸に手を当てて自信ありげな顔をするクゥに、シグは呆れたように言う。
「……今更かよ」
「い、いいじゃないか別に。そういう気分だったんだよ」
「あっそ。……まあ、よろしく」
「うん。よろしく」
そんなやり取りを最後に、二人は迷宮を離脱した。
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