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精霊進化(後編)
しおりを挟む数分で魔物が集まってきた。
『ォオオオオオオォオオ……』
「あっぶね!」
寄ってきた骸骨の魔物の攻撃をどうにか避けて駆け出す。
シグをこんな状況に追い込んだ三人組はとっくに消えている。今頃はもう安全な上層に戻っていることだろう。
(くそ、体が重てえ……)
体には麻痺が残っていて思うように動かない。
さんざん蹴られたせいであちこちが痛い。
だが、今逃げるのをやめれば死ぬ。魔物寄せの成分を至近距離で浴びたせいで、箱から離れても魔物が追いかけてくるのだ。
普段なら強行突破一択だが、素手ではどうしようもなかった。
『――ォオオオオオオッ!!』
「……ッ、冗談だろ、おい」
背後から巨大な斧が飛んできた。逃げ回るシグに業を煮やした魔物の一体が武器を投擲してきたのだ。
投げられた斧は回転しながらシグの真横を通過していく。直後、ドゴンッ! という破砕音とともにシグの前方の壁を破壊する。その威力にシグの背中が凍り付く。
このままではとても逃げきれない。
ならもう打てる手は一つだ。
シグは急ブレーキとともに方向転換し、その先にある行き止まりの小部屋に飛び込んだ。
『グォオオオオオオオッ! グルォオオオオッ!!』
そこは入り口が狭く、魔物たちは入ってくることができない。魔物たちは入り口に固まって苛立ったように吠えまくる。
「どうにか逃げ込めたか……」
魔物が入ってこられない以上いちおうの安全は確保された、と言っていいだろう。
しかし根本的な解決にはなっていない。
ガンッ、ドゴッ! と魔物たちが入り口のあたりを攻撃し始める。
そのうち壁が破壊され、やがては魔物たちがシグのいる小部屋になだれ込んでくるはずだ。
そうなればシグが生き残る見込みはない。
「それまでに済ませねえとな。……【石板】」
シグは唯一使える精霊術を行使した。
半透明の石板が眼前に現れる。
これは『スキルボード』と呼ばれるもので、契約精霊の性能を確認するためのものだ。
契約者であるシグにしか見えず、またシグであっても触れることはできない。
そして、石板の上には同じく半透明の白蛇が乗っていた。
『――――』
真っ白な鱗、空色の目が特徴的な白蛇は、シグを見るなり心配するようにすり寄ってくる。
その瞳の色から、シグはこの蛇型の精霊に『クゥ』という名前をつけていた。
「悪いなクゥ。わかってると思うが、緊急事態だ。そこどいてくれ」
『――――』
言うと、白蛇は翼もないのにふわりと浮いてシグの頭あたりを漂う。
シグは石板に視線を走らせた。
〇クゥ
・『属性』:風
・『階位』:疑似精霊
・『錬度』:49
・『保有精霊術』:――
『属性』はその精霊が扱えるマナの種類を、『階位』は精霊としての格を、『錬度』は成長度を、『保有精霊術』はそのまま使える精霊術を示す。
これによればクゥは疑似風精霊――つまり最下級の風精霊。
使用可能な精霊術は皆無。
無能精霊などと呼ばれてしまう原因はここにある。
クゥはマナへの干渉力が弱すぎて、精霊術や身体強化といった基本的なマナ操作がいっさいできないのだ。
『――――……』
「気にすんな。お前が悪いわけじゃねえよ」
落ち込んだように首を下げるクゥに、シグは苦笑した。
そう、クゥは悪くない。精霊としての格など生まれ持った髪や肌の色程度の価値しかない。
シグにとって重要なのは『錬度』の項目だ。
「足りりゃあいいんだが……」
と、手首のブレスレットを石板にかざす。
するとブレスレットにつけられた精霊石が反応し、溜めこんでいた経験値が石板に吸い込まれ始めた。
経験値を一定以上与えれば精霊の錬度が上がる。
錬度が上がれば、『進化』が起こることもある。
精霊の階位が上がり、姿が変わり、能力が大きく強化される現象。
(クゥが進化すりゃあ、突破口が開けるかもしれねえ)
成功する見込みはある。
進化が起こる練度は精霊によって違うが、練度50はそれが起こりやすいと言われている。さらにシグの感覚からいえばクゥの練度上昇はそろそろだ。
少なくとも、素手で魔物の群れに特攻するよりよほどマシな賭けだろう。
……数秒後。
ブレスレットの精霊石が経験値を吐き出し終えたのと同時、石板が強く光った。
「は、ははっ! 本当に来やがった!」
目を見開き、シグは笑った。
石板に続いてクゥも発光を始める。
シグも遠目に見たことがあるので、この現象が何なのかはすぐにわかった。
進化が始まるのだ。
(まあ……『疑似精霊』が『下級精霊』になったところで大逆転ってほどでもねえが)
それでもさっきまでとは雲泥の差だ。
クゥは一回り大きくなり、精霊としての格をひとつ上昇させる。おそらく精霊術も低威力だろうが、使えるようになるだろう。精霊進化とはそういうものだ。
そういうものの――はず、なのだが。
何かおかしい。
「あ……? おい、待て、何だこれ」
発光するクゥの体がどんどん大きくなっていく。一回りどころではない。しかも何やら、手足のようなものが生え始めた。あまりに眩しいため詳細はわからないが、明らかに蛇という基礎が崩れている。
これではまるで、人のような……
瞬間。
シグの体を、おぞましい激痛が貫いた。
「がっ、あ、ぁあああぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
視界が真っ赤に染まる。殴られたとか、斬られたとか、そんな次元ではなかった。内臓がすべて数倍に肥大化したような、内側からの強烈な圧迫感。
気付けばシグは地面に倒れていた。
シグの全身をひび割れのような紋様が覆っているが、シグはそれに気づく余裕すらない。
シグが意識を保っていられたのはわずか数秒。
魔物がどうとか、そんなことすら考えている暇はなかった。
『ああ、やっと、やっと――願いが叶う。きみの力になることができる……』
気絶する寸前、そんな誰かの声が聞こえた気がした。
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