Sword Survive

和泉茉樹

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第9章

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     九

 武道場の隅に上着を脱いで畳み、その上に眼鏡を置く天城さんを僕はただ見ていた。
 もう何が何やら。とりあえず、今、僕の背後にあるドアはどこへでも移動できる、特殊なドアだ。空間を転移する魔法はその存在こそ推測されているものの、実際にコントロールできたというは話は聞かない。
 つまり、このドアは世間に知られていない、超高等魔法なのではないか?
「ほら、こっちに来なさい」
 天城さんが手招きするので、僕は月読と一緒に進んだ。
 武道場の真ん中で、天城さんは軽くストレッチをした。畳の上で靴を履いているのが、何か変な感じだ。
 いやいや、そんなことは重要じゃない。
「それじゃあ、かかって来なさい」
「え? 天城さん、魔器は?」
 僕の声が終わるのと同時に、いや、終わる寸前に、彼女の姿は消えていた。
 直後、背後からの衝撃に僕は畳の上に転がっていた。激しい痛みに呻きつつ、駆け寄ってきた月読を制して、相手を見る。
 拳を繰り出した姿勢の天城さんが、こちらを見ていた。
 不敵というよりは、ふざけている視線だ。
「このまま一方的にサンドバッグにされるのがお好みかな?」
 月読が僕の手を握ってきた。月読の考えが頭の中で直接に理解された。
「まったく、こういうのは僕の柄じゃない」
 立ち上がった僕の手元で光が瞬き、消えたときには僕の手には青い刀身の剣が現れている。
「それでいい」天城さんが身構える。「行くよ」
 天城さんの姿が消える。
 しかし、視界にその姿が現れ、スロウモーションでこちらへ進んでくる。
 ただ、僕の体もゆっくりとしか動かない。
 月読による魔法だ。詳細は不明、今はそれを考える暇はない。
 天城さんが繰り出してくる拳をどうにか避ける。あまりにお互いの動きが遅すぎて、タイミングが計りづらいほどだ。
 拳を避けたが、天城さんの視線は僕の方を見ている。
 拳がゆっくりとほどけて、僕の服の襟を掴みに来る。
 それを認識する前に、僕の手が天城さんの手を払おうと動き出していた。僕の意図した動きではない、月読の意思によるものだ。
 天城さんの手と僕の手が衝突。
 しかし、これは読まれていた。
 天城さんの手が僕の手を掴んだ。心の中で、月読が驚く気配。
 手を掴まれた瞬間、背筋に激痛が走り、視界の速度が通常に戻った、と気づいたときには僕は手をひねられて、両足が畳を離れていた。
 背中から叩きつけられ、息が止まる。
「悪くない動きをする」
 天城さんが僕の手を解放し、間合いを取って、こちらを見下ろした。
「剣を使え。手加減するのはそちらじゃなく、こちらだよ。わからないのか?」
 僕は握ったままだった剣を見た。
(本気で、やります)
 頭の中で月読の声が響く。
(私に、任せて)
 言われなくても、そうするしかない。何せ、僕には格闘技の経験もなければ、魔法を使った経験もないのだ。
 僕はゆっくりと立ち上がり、月読に全てを任せた。
 全身に何かが行き渡り、体が軽くなる。
 ただ、僕は天城さんの体から発散された妙な気配にも気づいていた。それは静電気のようにも思えて、かすかな燐光にも見えた。
 そのことを月読に伝えたかったけど、間に合わなかった。
 視界が再び、緩慢になる。
 ただし、僕の体はほとんどいつもと同じように動いている。天城さんは動かない。
 それもまた不審だった。
 どうして天城さんは動かない?
 このこともまた、月読には警告できなかった。
 月読が発散しているものに、圧倒されてもいた。月読が発散しているのは、怒りや憎しみに近い何かだった。言葉を探せば、攻撃性、とでも言えばいいのか。
 彼女はただ、天城さんを倒すためだけに、僕の体を操っているのだ。
 剣が天城さんに突き出された。
 刹那だ。
 天城さんが半歩、体を開いた。
 それだけで剣は空を切り、僕の体がわずかに重心を崩す。
 未来を予知していたように、天城さんの手が再び僕の手を掴み、一捻りで投げ飛ばす。自分の身に起こっていることなのに、笑えるほど、鮮やかに、見事に僕は投げられた。
 背中から、再び畳に落ちた。
「やはり動きは悪くない。ただ、無謀だな」
 天城さんが足を持ち上げ、こちらを踏みつけに来る。
 さすがにこれは僕が身を捻って避けた。畳を転がって、起き上がる。呼吸が乱れている。月読も混乱しているようだった。
「月読、落ち着いて」
 自分自身を落ち着かせるためにも声をかける。
「きみが魔法で知覚と運動を加速させているのはわかってきた。でも、天城さんも同等のそれを使っているんだ。勝てる見込みはないよ」
(それは……)
 天城さんが構えらしい構えを取った。考える時間も与えないつもりか。
「どうしたらもっと速く動ける?」
(同調が、高まれば)
 同調という言葉と同時に、僕の頭の中に月読が浮かべたイメージが滑り込んでくる。
 要は、二人の呼吸が合えばいい、ということか。
 了解したことを伝える時間はなかった。天城さんの姿が搔き消える。月読が反射的に知覚を加速。
 横手に天城さんが突然に現れ、こちらへ近づいてくる。歩いてくるような速度。
 知覚の速度の同調は僕には理解不能。しかし、運動ならできそうだ。
 頭の中でめまぐるしく、月読の思考が瞬いた。彼女が天城さんの動きを無数に想定しているのがわかる。
 ただ、僕にはすぐに察した。
 天城さんの動きはそのどれでもない動きでくる。
 正確には、天城さんであろうと、他の誰であろうと、一流の使い手は相手に動きを読ませないものだ。
 天城さんがすぐ目の前に立った時、僕はそれを月読にやっと伝えていた。
 ほとんど同時に月読が僕に権利を移す。
 僕を優先し、それに月読の魔法が乗ってくる。
 突然に体が自由になる感覚、それと同時に周囲の空気がやたら重く感じられた。
 体を捻り、天城さんの拳打を回避。
 次に来る動きを月読は予想しているけど、僕は自分の直感を信じた。
 それが的中し、後ろ回し蹴りへと繋げてくる天城さんが目の前にいる。
 動作の途中。まさに勝機だった。
 でも僕は攻撃をためらった。
 だって、こっちが持っているのは、剣なんだ。
 無傷で済む武器ではない。
「阿呆め」
 その声を聞いた時には、足は畳を離れて壁に叩きつけられた後で、崩れるように床にしゃがみこんでいた。
「なぜ躊躇った?」
 回し蹴りで僕を吹っ飛ばした天城さんが目の前にいる。目元を険しくして、こちらを見下ろす。
「悪くない動きだった。的確で、最善とも言えるものだ。勝てたはずだ。私に」
 さすがに二度の畳への衝突と、さらに壁への衝突もあって、僕は動けなかった。
 その僕の体がギクシャクと動いたのは、僕の意思ではなく、月読の意思。
 彼女はまだ戦おうとしている。
 それは僕を無視する行為であり、同時に僕のための行為でもあった。
「お前は黙っていろ」
 僕の手首を天城さんのつま先が強烈に蹴りつけ、手から剣が離れて転がっていく。僕の体は糸を切られた操り人形のように力を失った。
 苦しい呼吸が意識できた。他にも体のそこここが痛む。
「睦月、お前の筋は、悪くない。ただそこの小娘はまだなっていないな。いいだろう、私も納得しないわけにはいかない。認めることにしよう」
 そう言って、天城さんは僕から離れていった。
 納得? 認める? なんのことだろう。
 とにかく、今は休みたかった。
 視界の隅で光が起こり、転がるように人間の姿の月読がこちらにやってきた。僕の体を触って、怪我の様子を確認している。
「こちらを見ろ、二人とも」
 どうにか顔を上げると、武道場の中心辺りで、天城さんが立っていた。その手には十字架があり、見ている目の前で、それが例の拳銃と剣を融合させた彼女の魔器に変化する。
「これが一流の魔法使いの技だ」
 撃鉄を起こし、引き金を引く。
 突如の、強烈な耳鳴りと、視界が激しく波打つ。
 何が起こったのか、すぐには分からなかった。
 視界の一点で何かが捻れたと思った。
 思った時には、捻れが全てを巻き込み、その中に僕も月読も飲み込まれた。
 浮遊感と同時に、目の前の光景に言葉を失った。
 まさに僕は宙に浮いている。隣に月読もいたし、少し離れて天城さんもいた。
 でも目の前にある光景は、どう説明したらいいのだろう。
 まるで宇宙を漂っているようだった。
 真っ暗闇の中、無数の光が瞬き、所々で渦を巻いている。遠近感が完全に狂う。
「反世界の一つだ」
 天城さんの声が不思議な反響をした。空気を伝わっているのではない、と遅れて理解できた。直接に僕に響いてくる。隣を漂った月読が、どうにか僕の手に捕まった。
「反世界?」
 聞いたことはあった。でも、見たことはない。
 ほとんど伝説だ。
「高位の行使者のみが扱える、純粋な魔力だけで成立している、私たちの存在する世界、正世界の裏側にある世界だ」
 天城さんが手を振ると、周囲の光景がぐるぐると回り出した。
「睦月、私はお前が気に入った。そしてそこの小娘もお前のことが気に入っている。それなら、私が小娘をどう思っていうようと、それは関係ない。その小娘はお前がどうにかしろ」
 周囲の世界が縮まってきた。自然と天城さんと僕と月読の位置が近くなる。
 三人が衝突する、というまさにその時、世界が弾けた。
 周囲は元の武道場に戻っていた。僕は座り込んでいて、隣には月読がいた。
「どうだ、睦月。この件から降りるか?」天城が魔器の切っ先を僕に向けた。「もちろん、それは小娘を放り出すということだが」
「それはしない、と言いました」
 どうにか僕は立ち上がった。まだ全身が痛む。
「良いですよ、天城さんの提案に乗りますよ。でも、条件があります」
「こちらに決定権があるのに、そちらが条件とは、笑わせる」
「笑いたいなら、笑えば良いんですよ」
 実際、天城さんは可笑しかったようでかすかに笑った。
「良いよ、面白いことを言った見返りとして、聞くだけ聞く」
「追っ手からしばらく、守ってください」
 ふむ? と天城さんが首を傾げる。
「追っ手というのは、民間の行使者事務所の連中と、警察の対魔のことか? それと、主体になっている水天宮魔法研究所?」
「そうです。できるでしょう?」
 呆れたように天城さんは肩を竦める。
「わかりきった条件を出す必要はないな。連中がお前と小娘を引き離すのは、私としても本意ではないし、今になっては認めるわけにはいかない。今の条件は自然とクリアされている。つまり、私は連中からお前たち二人をしばらく、隠蔽するつもりでいる」
 どうやら、僕の最低限の望みは叶いそうだ。
「逆にこちらも条件がある」
 意外な天城さんの言葉だった。
「どういう内容ですか?」
 なんとなく、警戒してしまう。天城さんは笑みを見せている。獰猛とも言える、笑み。
「私の指導には従ってもらう。お前と小娘は、知識も技術も、なさすぎる。私はかすかに、本当にかすかに、髪の毛一本ほど、可能性を感じている」
 ……ものすごくかすかだな、それは。
「その可能性をどうにかして伸ばすために、短時間で鍛えてやる。損はしないと思う。生きていくために必要になる」
 生きていく、という言葉は僕の中で、生き延びる、という意味に聞こえた。どうやら僕は月読と出会ったことで、やや剣呑な生活を送ることが確定らしい。
「私のような教師がつくことなんて、滅多にないぞ」天城さんが胸を反らす。「一等級の行使者なんて、雇いたくても雇えないしな」
 その点は感謝しないといけないな。不運なようでも、幸運もあるらしい。
「もし途中で投げ出すようなら、その時点までの講習料をもらう」
「え?」それはあんまりじゃないか。「ちなみにどれくらいですか?」
「一日につき四十万円だ」
 冗談で聞いたのに、リアルな数字が返ってきたぞ……。
 高いとも安いとも、言えないじゃないか。
「寝床と食事を用意してやるんだ、安いはずだ。もし払えなくても、ローンを組めるようにしてやる」
 高校生にローンとか背負わせないでほしい。
 天城さんが魔器を十字架に戻した。
「さあ、立て、不肖の弟子。ゆっくりしている暇はないぞ」
 どうやらもう僕は弟子になったようだ。
 月読の助けを借りて、どうにか立ち上がった。
「そこの小娘も、覚悟した方がいいぞ。人間の形をしているが、魔器みたいなものだ。ちょっとくらい壊れても困らないだろうしな」
 ……問題発言だ。
「あなたを頼るしかないですからね、僕たちは」
 どうにか姿勢を整えて、僕は頭を下げた。隣で月読も、渋々という感じで頭を下げた。
「よろしくお願いします、師匠」
「……がいします」
 よしよし、と頷いた天城さんは、少し表情を改めた。
「師匠と呼ばれるのも悪くないが、どうにも年寄りくさくて好きになれそうもない。別の呼び方で呼んでくれ」
「じゃあ……、天城さん」
「平凡だが、良しとしよう」
 上着を回収して、眼鏡を開けた天城さんがドアに向かう。
「このドアの使い方は、近いうちに教える。便利だぞ」
「え? 僕たちにも使えるんですか?」
「何を寝ぼけたことを言っているんだ、我が弟子よ? どんな道具でも、誰もが使えなかったら意味がないだろう。お前の魔器のような欠陥商品は、魔法界隈では珍しいんだ」
 隣でむすっとした顔になる月読に思わず吹き出しそうになりつつ、天城さんに集中する。
「でも、このドア、明らかに一般水準の技術を超えていますよね」
「だから、その程度の技術革新は、個人の間では当たり前なんだ。どんな道具でも、そうだろう。車を初めに作った人間は、まずは自分が乗っただろう。そういうことだ。最新の技術も、作った人間が最初に試す。忘れているようだが、さっき見せた反世界魔法だって、実はとんでもないんだ、実はな」
 どうやら天城さんは僕が知っている以上にすごい人らしい。
 もちろん、一流の、高位魔法使いだとは知っていた。
 でも、これほどとは、恐れ入るというか、一日四十万の講習料もあながち、冗談ではないかもしれない。
 払えるか払えないかは別として。
「では」
 天城さんがドアを開いた。
「お前たちがこれからやることを伝える」












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