風は遠き地に

香月 優希

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第四章 因縁の導き

魔の刻石 3

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 朝食が終わると、アディーヌは啼義ナギに声をかけた。
「啼義様、朝の鍛錬でお疲れかと思いますが、今少しお時間を頂いても、よろしいですか?」
「ああ、うん」
 わざわざ何だろうと思いながらも、啼義は穏やかに答えた。確かに、先ほどの朝練ではかなりの消耗をしたが、空腹が満たされたことで、もうすっかり回復している。すると、アディーヌは心なしか表情を引き締め、おもむろに口を開いた。
「右肩のことです」
 途端、啼義の顔に微かな不安の色が浮かんだ。右肩──ダリュスカインに追撃を受けた時の他の傷は、もう完治している。しかし右肩にだけ、何かするたびにそれとなく感じる、ほんの微かな鈍痛。ただ傷が深かっただけかと思っていたが──
「違和感がございませんか?」
 ないと答えた方がいいと、本能的に分かった。でもここで、嘘をついたとて仕方がない。
 
「……ある」

 アディーヌが細めた目に、鋭い光が走った。
「失礼致します」
 彼女は一歩彼に近づくと、立ったまま啼義の右肩に手をかざして目を瞑る。口は開かないが、何かを念じているようだ。二人の雰囲気を察し、皆が何事かと見守る中、やがて開いた彼女の左右色違いの瞳には、明らかな動揺が浮かんでいた。
「やはり……念の一種が、入りこんでいますね。それもおそらく、けいを成している」
 思いがけない言葉に、啼義の眉間に皺が寄る。
<念の一種? 形を成す?>
「どういうことですか?」
 代わりに聞いたのはイルギネスだ。
「ただの念より一層深い想いが、有形へと進化するのです。そう、主には恨みの感情が」アディーヌは、厳しい顔のまま答える。
<一層深い恨み──ダリュスカインの?>
 啼義の脳裏に、あの日の光景が浮かび上がった。最後に見た、底冷えのする紅い瞳。狂気めいた凄みを纏った、立ち姿。思い起こせば、今も急に闇に放り出されたような感覚に陥りそうになる、戦慄の記憶。
「これは、一刻も早く取り出す必要があります。形を成した念は、身体を内側から侵食する」
「侵食?」
「放置していると、やがてこの場所から、全身が硬直し始めるのです。石化と呼ばれる現象です。けれど、形を成すほどの念を相手に仕込むなんて、普通には出来ない……」
 言われずとも、啼義もまだ石化という症状は言葉でしか聞いたことがない。それほど珍しいことなのだ。なのにその珍しいことが、自分の身に降りかかろうとしている? 到底実感がわかない。
「今は、何ともないけど……」
 恐ろしげな現実から逃れようと弁解めいた言葉を返した啼義に、アディーヌは首を振り、言った。
「何でもないうちに、取り出さないといけません。少々手荒な方法を取らせて頂きますが、お赦しください」
 背の真ん中が、冷えたような気がした。どうやら自分の状況は、思った以上に深刻なのかも知れない。
「それを取り出せば、治るのか?」
 物騒な話に戸惑う気持ちを押し隠し、啼義は尋ねた。
「はい。今ならまだ、間に合うでしょう」アディーヌは、彼の目を見て頷く。彼女の瞳には、確信めいた思いがあるように見えた。気休めで言っているのではないのだろう。
「分かった」
 啼義は心を決めて、アディーヌに向き直った。
「それなら、アディーヌに任せる」
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