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十五歳の夏の旅

サシャの城⑤

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 僕は一瞬自分でもなにが起こったのかわからなかった。
 まさか本当に当たるとは思っていなかったような気がした。
 魔法で妨害されるか、サシャが飛び退くかと思い込んでいて、ばったりとあの化物が倒れたことに現実味がなかった。

「……へっ、うへへへ」

 笑い声が僕の口から漏れる。
 そして僕はよっしゃと拳を握りしめる。

(こ、これでなんとか逃げ切れるかも……)と肩で息をしながら思う。

 僕は振り返ってバルコニーから屋敷に入ろうとする。
 しかし――

 くくっと不気味な笑い声が背後でする。
 首を冷たい手に掴まれ、僕は地面にたたきつけられる。
 あっ、と叫び、上を見ると、ナイフを額に刺したままのサシャがニヤついている。

「……ど、どうして」

 サシャは額に刺さったナイフを簡単に抜いてしまう。
 まるで刃が引っ込む舞台の小道具であるかのように。
 額の傷はしゅっーと音を立てて跡を残さずみるみると塞がっていく。

「これで私を殺せると思ったのか?」サシャは口を隠してくすくすと笑う。とても耳障りな嫌な笑い声だ。「吸血鬼の始祖ヴァンピア・アーデルは嘘はつけぬが、そう容易には殺せぬと東から来たレイも知っているだろう?」

「……ば、化物」僕は口走る。

「だから言っているではないか。私は吸血鬼ヴァンピアだと」あきれているかのようにサシャは僕の顔を覗き込む。「私は悲しいぞ。レイに私の本性を信じてもらえてなくて」

「う、嘘だっ! おまえは死んだはず……」

 サシャはニヤリと顔を歪ませる。
 口が裂けてしまうほどに。

「なにをとぼけたことを。私は嘘をつけぬと幾度も説明しただろ? しかしまあ、残念だ。貴様は見かけによらず愚かで、私の持て成しを快く思っていないらしい。故にレイの血を飲むのは明日にする。クラウスが朽ち果ててからにしたかったが、レイに餓死されても困るからな」

「い、嫌だっ」と僕は叫ぶ。

 サシャは僕の胸元を掴み、体格に似合わない怪力で僕を地下牢へ引きずって行く。
 僕はサシャを殴り、蹴りつけ、なんとか逃れようとしたが、彼女の腕はびくともしない。
 サシャは牢屋を開け、軽いゴミ袋を放るかのように僕を中に投げ込む。

「さて、貴様が明日どう命乞いをするのか楽しみだ」サシャは鉄格子の向こうから言う。「精々いい夢を見るんだな」

 少し首を倒して、サシャはにっこりする。「おやすみ」

 サシャが地下牢から出ていく足音が消え去った後も僕の震えは収まらなかった。

 明日死ぬ。

 いや、死ぬばかりか拷問されてゆっくりと殺される。
 そう思うと気が気ではなかった。
 いっそう頭を鉄格子に思いっきりぶつけて自殺しようかと思ったが、サシャがどこからか僕のことを見ているのではないかと思い、身体を動かせなかった。

 僕は時間を数えた。
 一、二、三、というように秒数を。
 そうすれば時間が遅くなると聞いたことがあったから。
 しかし、いくら一秒ごと数えようとしても、いつも凄まじいスピードで打つ心臓の鼓動と同じリズムになってしまう。
 それに数えれば数えるほど死に近づいていくようで、僕はカウントするのをやめた。

「――おぬし」ふと斜向かいの牢屋の老人が僕に話しかける。「おぬしのドイツ語にはアクセントがあるが、まさかおぬしはアジアの人間ではないか?」

 身体の震えが止まらなくて、上手く答えられない。
 それに答えたとしてもどうしようもない。
 逆に、ペチャクチャと喋ることで時間を潰せば、より早くサシャに身体を拷問機械で潰される時間が来るのではないか、と怖くなる。

「一つおぬしが置かれた状況には似合わない質問をするが、悪く思わないでくれ」老人はそう前置きをする。「

 ガバッと僕は上半身を起こし、目をくり抜かれ、手を削ぎ落とされた老人を見る。

「……はっ、はあ? な、なんだよその質問っ? こ、こんな時に学校の成績のことなんて訊くやつがいるかっ!」

「すまない。しかし重要なんだ。もしかしたらおぬしは奇跡的に数学の神童ではないか?」

 僕は歯ぎしりをする。恐怖で口の中がカラカラに干上がっている。

ヤーはいなのかナインいいえなのか、どっちなんだ?」

「し、知るかっ! そもそも自分から神童って言うことじゃないだろっ?」

 そう老人を怒鳴りつけるが、彼は引かず、目は見えないはずなのに、静かにこっちの方を向いている。

 僕は諦めて、息を吐き出す。「数学オリンピックで国内二位になったことがある」

「それならおぬし、我々が助かる見込みはあるぞ」老人は嬉しそうに手を引きちぎられ、焦げ茶色に変色した布を巻いた腕を合わせる。

 僕は気が狂ってしまったとしか思えない老人を見返す。「数学が同い年の子よりできるからどうしたって?」

「ふふふ、おぬしはアジアから来たから知らないのだな」と老人は踊り始めるのではないかと思うほどうきうきとした口調で言う。「

 僕は目をしばたく。「はあ? 嘘だろ……」

 また『実は~』のくだりを食らった僕は座り込んでこめかみを押さえた。
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