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第20章 恐怖する騎士団

合わせ鏡の怪物 ~イレブンナイツvsウアブ魔術&呪術

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――何してるんだよアッシュ! 早くしないと置いてくよ!

 幼い頃のドゥーの声が脳裏をよぎる。
 無邪気な年下の少年は、堅実だが尻込みしがちなアッシュを牽引してくれた。

 アッシュとドゥーは血のつながらない兄弟だった。
 互いの親に捨てられ、貧民区で出会って2人で勝手にそう決めた。
 ゴミの山の陰に、ボロ布のようにうち捨てられたドゥーを見かねたアッシュが手を差しのべたのが馴れ初めだ。

 だからアッシュの一番の望みはドゥーが元気でいてくれる事だった。
 生意気な少年に育ったドゥーの、少しばかりのやんちゃは笑って見過ごした。
 周囲の人間にも力づくでそうさせた。

 何故なら2人は捨てられた子供だ。
 被害者だ。
 2人には社会や他人に借りを返してもらう権利がある。

 そういう気概で過ごすうちに2人は貧民区の中でも孤立していた。
 アッシュとドゥーは2人ぼっちだった。
 あの時まで……『ママ』が2人を迎えに来た時までは。

 騎士になり、イレブンナイツになってもドゥーは生意気盛りな子供だった。
 そんな彼をアッシュだけが守っていた。
 ドゥーが引き起こす様々な諍いを、アッシュが力づくで握りつぶしてきた。
 アッシュにとって、いわばドゥーは半身だった。だから――

「――ドゥー! しっかりしろ!」
 アッシュは叫ぶ。

 巨漢の斧使いアッシュ。
 短剣使いの少年騎士ドゥー。
 支部ビルの上層階を守る2人のイレブンナイツは、桂木姉妹と遭遇した。
 攻撃魔法エヴォケーションを操る魔術師ウィザード・桂木楓。
 呪術と体術を高いレベル両立させた桂木紅葉。
 一筋縄ではいかない相手にアッシュとドゥーは苦戦する。
 それでもドゥーの機転によって、アッシュの戦斧が桂木楓を捉えた。

 だがアッシュが両断したのは桂木楓ではなかった。

 桂木楓のダミーに2人の騎士が戸惑う一瞬の隙に、桂木紅葉が何かを投げた。
 手にしていたかつおぶしだ。
 かつおぶしは避けようもないドゥーの足に命中した。

 そう。たしかにそれは鎧を貫き、ドゥーを穿ったはずだ。

 だがドゥーの身体に傷はなかった。
 代わりに……

「……ぐあぁ!」
 ドゥーの太ももがいびつに歪む。
 まるで身体の内側から、何者かに攻撃されているように。

「ドゥー!? 大丈夫か!」
「くうっ!」
 少年騎士は身をよじる。
 苦痛に目を見開き、アッシュの声に答える余裕すらない。
 鎧を内側から破ろうとするような激しい歪みはドゥーの腹を通って喉に達し、

「アッシュ……たすけ……」
「ドゥー! しっかりしろ! ドゥー!」
 少年は激しく吐血する。

 アッシュは屈強な戦士ではあるが医者ではない。術者でもない。
 そういう技術が必要な時には必要な技術をもった人間を脅して対処させた。
 何故なら奪われ続けた自分たちには、他者から無制限に奪う権利がある。
 そう考えながら生きてきた。

 だが今、ここにはドゥーを救える者はいない。
 アッシュには成す術もない。

 だから自分にできる唯一の事を……叫び励ますうちに少年の身体は痙攣し……

「……その品のない声と顔は先ほどの騎士ですか」
 笑った。
 ドゥーの声で。
 ドゥーの顔で。
 だが……何処か違和感を伴う口調で。

「ドゥー? どうしたんだ? もう痛みはないのか?」
 問いかけるアッシュの手を――

「――!?」
「無事か否かという二択の問いであれば『彼』は無事ですよ。身体も意識も大きな障害もなく稼働しています」
 払いのけながら少年騎士は立ち上がる。
 ドゥーの急激な変化に、抵抗もなく押しのけられつつアッシュは戸惑う。

「どういう……意味だ……?」
「気づきませんか?」
 問いかけるアッシュを見上げながら少年は笑う。
 ひねくれた悪意に満ちた表情で。
 生意気で遠慮もないが純粋なドゥーが、決して浮かべる事のない表情で。

「要は彼……貴方の御友人は身体の自由を奪われて操られているのですよ」
「何を言ってるんだ!? 何故おまえが操られなきゃいけない!?」
「おやおや。つい先ほど貴方が戦っていた相手が【高度な生命操作】技術を内包するウアブ魔術の使い手だったことを御存知なかったですか?」
「な……んだと!?」
 ドゥーの口から語られる言葉にアッシュは動揺する。

 言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
 理解しても脳が理解を拒んだ。
 悪い冗談だと思いたかった。だが……

「……くくっ、先ほどぶりです。わたしですよ。桂木楓です」
 少年騎士は、決してドゥーのものではない邪悪な表情で笑う。

「桂木……楓……!? おまえが……!」
 アッシュは目を見開いたまま、成す術もなく立ち尽くす。

「ご安心を。足から頭まで通り抜ける際に破った腸や血管はちゃんと塞ぎましたので」
「破っ……!?」
「ですが喫煙は控えたほうが良いですね。肺の内が真っ黒にベタついていましたよ」
 軽い口調で、呪いの経文のように恐ろしい言葉を語るドゥーに、

「ドゥーの……中にいるのか?」
 アッシュは怯えながら尋ねる。

「先ほどからそう申し上げて……いえ、騎士にしては察しが良いのでしょうね」
 少年騎士は事もなげに答える。

「今は蜘蛛に変じて頭蓋の内側に潜み、触肢をのばして神経と筋肉を直に操作し身体を動かしております。精神を操っている訳ではないので、この通り……」
 そう言って少年を操っている何者か……桂木楓は言葉を切り、

「アッシュ……たす……けて……」
「ドゥー!?」
 ドゥーの表情が一転する。
 見覚えのある少年の苦しそうな表情。

 流石のアッシュも理解できた。
 そうせざるを得なかった。
 桂木楓は姿を変えてドゥーの中に潜りこんだ。
 そしてドゥーを操っている。
 桂木紅葉が投げたかつおぶしがそうだったのだろう。
 その程度の事は自分のダミーを用意できる奴なら造作もないのだろう。

 ……そして桂木楓はドゥーを内側から喰らいながらアッシュに語りかけている。

 目の前が真っ暗になった。
 吐き気がする。
 それでも最愛の少年を守ろうと気力を振り絞り、

「外道め! ドゥーの中から出ていけ!」
「おや、これは恐ろしい」
 身構えながら恫喝する。
 だがドゥーの身体を乗っ取った桂木楓は、ドゥーの顔でおどけて笑う。
 決してドゥーのものではない邪悪な表情で。

「貴方に外道と呼ばれる事の是非はともかく、断ったらどうするおつもりで?」
「叩き斬る! 俺の斧は魔法を砕く【魔力破壊マナイーター】だと言ったはずだな!?」
 貴様を術すら使わせず元の姿に戻すのは容易い!
 そう威圧するアッシュに、

「それは存じ上げておりますとも。その斧で身体に触れられて、我が魔術を消去されやしないかと戦々慄々しておりますよ」
 ドゥーは冗談めかした口調で語る。
 その持って回った言葉遣いが、素直なドゥーとは真逆で不快だった。

「元の身体は彼の頭よりは大きいですし、やわらかい脳みそより頑健ではあるのですが頭蓋骨を中から破って出られるかどうかは分が悪い賭けですからね」
「な……」
 続く言葉に、アッシュは戦斧を思わずドゥーから遠ざける。
 そんな様子を見やってドゥーは笑う。

 桂木楓は支配したドゥーの身体を人質にしている。
 奴がドゥーの中にいる以上、戦斧で両断する事はできない。
 頭の……頭蓋骨の中にいるのなら奴だけを斬り伏せるのは不可能だ。
 鍛えあげた肉体も戦闘技術も、チップによる身体強化も無意味。
 加えてアッシュのもうひとつの特技【魔力破壊マナイーター】で対処する事すら許されない。
 そうすれば奴はドゥーの頭を突き破って出てくると言う。
 その言葉が真実かどうか、ドゥーの命を担保に試す事などできるはずもない。

「何のために! こんな惨い事をする!?」
 せめてもの抵抗にアッシュは叫ぶ。
 今までに殺してきた無力な偽善者たち……敵たちと同じように。

「では貴方は何故『Kobold』の先兵となり人々を苦しめていたのですか?」
「その権利があるからだ! 俺は! ドゥーは! 搾取する者とその協力者を打ち滅ぼすために刃を振るう!」
「奇遇ですね。わたしも同じです」
 言いつつドゥーは、ドゥーのものではない悪意ある笑みを浮かべる。

 ……否。

「わたしはわたしの大切なものを壊した忌むべき怪異――脂虫と呼ばれる人間の成れ果てと、その協力者を苦しめ滅するためにここにいます」
「貴様の理由は理不尽だ! 俺たちは略奪者から奪っているだけだ!」
「それは貴方の抗議も同じでは? わたしは怪異ではありません」
 ドゥーの顔を笑みの形に組み替える。
 望まぬ本人の意思を残したまま。
 ドゥーが考えてもいない詭弁を無理やりに口にさせながら。

 だがアッシュにはどうすることもできない。
 だから奴は笑う。
 情に訴えても無駄だ。

「何が望みだ……?」
「まずは……そうですね、このビルの管理室へご案内いただきましょうか?」
「何だと!?」
「この建物には館内の設備を一括管理する場所があると聞いております。そこに案内していただきます」
「それは知っている! 何のために!?」
「無論そこを占拠し設備を利用して他のイレブンナイツを妨害するためです。確か館内のカメラによる戦況の把握と指示もそこでしているのでしたか」
「させると思うか?」
 一方的な要求を突きつける。
 あまりに傍若無人な要求に激昂するアッシュを、ドゥーは笑顔で見上げたまま、

「貴方は協力してくれますとも」
 表情だけは笑みの形に歪めたまま、

「!?」
 ドゥーの側頭を突き破って何かが突き出た。
 細くて毛むくじゃらの、蜘蛛の脚に似た何か。

 桂木楓の本体だろうか?

 そう考えて戦斧を握る手に力を入れた途端、

「――ァ!」
 それはドゥーの耳たぶをつかみ、引き千切る。

「――――――!!」
 ドゥーの表情が激痛に歪む。
 表情の支配を一時的に解除したのだ。
 悲鳴をあげられぬよう声帯の制御だけは残したまま。

 この惨たらしい行為を奴は楽しんでいる。
 そうアッシュは理解した。
 ドゥーの苦痛。
 アッシュの絶望。
 それらを当然の権利として享受しようとしている。

 その傲慢さが許せなかった。
 搾取する側のはずの奴に、復讐する権利までも奪われた。
 アッシュは憤った。

 だが今の奴に対し、力自慢の騎士にできることはない。だから……

「……わ……かった。こっちだ」
 言ってアッシュは歩き出す。
 ドゥーも……彼の身体を乗っ取っている桂木楓も続く。

 連れ立って歩くうち、桂木楓が先ほど言っていた言葉が本当だと改めて実感する。
 巨漢のアッシュの後に続くドゥーの足音が明らかに今までと違う。
 動きからして別人だ。

 今までの思い切りよく駆けるような足取りとは違う。
 まるで慣れない身体の操作に戸惑っているような。
 あるいは一次的に寄生しているだけの身体を深く理解する必要はないと雑に動かされているような。

 ドゥーは……どうなってしまうのだろうか?
 アッシュの怯えを見透かしたように、

「くくっご安心を。この身体をすぐにお釈迦にしたりはしませんよ」
 ドゥーの声帯だけを利用して、桂木楓が嫌らしく口を開く。

「わたしたち姉妹にも弟がいたのですよ」
「だから情けを……かけると言うのか?」
「解釈はご自由に」
 そのように意味もない会話をしながら2人は廊下を歩く。

 緊急事態なので廊下には誰もいない。
 誰にも見咎められないのを幸いにエレベーターでさらに上層階へ移動する。

 敵を手引きしている事に罪悪感が無いと言えば嘘になる。
 何故なら『Kobold』はアッシュとドゥーに豊かな暮らしをくれた。

 だがドゥーがいなければ贅沢も意味がない。
 ドゥーのためならばアッシュは躊躇なく組織を裏切る。
 そもそも『ママ』に拾われる以前はそうやって他者から奪いながら生きていた。

 だから2人は再び人気のない廊下を進み――

「――おや、思いのほか正直に案内してくれましたね」
「わかるのか」
「ええ。この壁の向こうは今までにない大部屋のようですので。……ああ、そうそう。入りづらいのでしたら壁をぶち破る事もできますが?」
「ドアはある」
 桂木楓の余計な気遣いを切って捨て、長い通路の先にあるドアを開ける。
 表札はかかっていないが管理室だ。

 広い部屋の壁を覆うモニター。
 ズラリと並んだデスクと通信用のコンソール。
 そこに詰めた騎士たちを見やり……

「甲冑を着こんでオペレート……ですか」
 ドゥー……桂木楓が呆れたようにひとりごちる。
 そんなドゥーを伴うアッシュを見やり、

「選抜騎士アッシュ! ドゥー! ここは貴様らの持ち場じゃない!」
 オペレーターの騎士が誰何する。
 当然だ。
 アッシュとドゥーは上層階への侵入者を排除する任務を帯びている。
 それが、こんなところで油を売りに来て不審がられない訳はない。

 だが当の侵入者が扮したドゥーは、気にする様子もなくモニターを見やり、

「おや、あそこに映っている3人はイレブンナイツの騎士ではありませんか?」
「スパーダたち……逃げているのか?」
「追っているのは……クーゲルパンツァーですか。明日香さんですね」
 見やったアッシュは思わず驚く。
 桂木楓は満足げに笑う。

 スパーダ、ランツェ、アルコの3人も、アッシュたちに劣らぬ実力を持つ。
 加えて彼らのチームは上面を取り繕おうとする傾向がある。
 拠点防衛の最中に、敵を前に逃げるなんて意外だ。

 あるいは、それほど敵が手強かったのだろうか?
 それとも敵の策にしてやられたのだろうか?

 ……今のアッシュたちのように。

「ここは悪の組織らしく、逃げる味方を粛正するのも一興でしょう。防火シャッターを閉めるボタンはこれですか?」
「あっ何を!?」
 ドゥーは勝手にコンソールのボタンを押す。
 そんなところだけは本来のドゥーと同じだ。

 呆れるアッシュが見やったモニターの中で、シャッターが閉まり始める。
 シャッターを見やりながらアッシュとランツェが口論する。

「勝手な事をしないでくれ!」
「うるさいですよ」
 オペレーターがあわててドゥーを押しやる。
 ドゥーはされるがままにコンソールから離れてアッシュを見上げ、

「アッシュさん、彼らを壊してしまって構いませんかね?」
「何だと!? たわけた事を!」
「なるほど。貴方がやってくれると言うのですか。それは楽でいい」
「な……」
「いえ別に自分でできないと言っている訳じゃないですよ? ほら、このように」
 軽い口調で言いながら、

「――ッ!」
 かざした右手が千切れ飛ぶ。

 千切れた手首はじゅるりと溶けて槍になり、先ほどの騎士めがけて飛翔する。
 腐肉の槍は騎士を穿つ。
 そういう魔術があると聞いたことがある。
 奴らの言う怪異……喫煙者の肉体を歪ませ破滅させる魔術。

 忌まわしい魔術の槍に貫かれた騎士は腹に穴をあけて崩れ落ちる。

「選抜騎士ドゥー! 何を!?」
「乱心したか!?」
 他の騎士たちが剣を抜き、

「見てくださいアッシュさん。おこですよ。ですが手首はもうひとつあります」
「ま、待て! やめろ!」
 向き直るドゥーの前に立ちふさがりながらアッシュは叫ぶ。

「痛……ボクの……手……」
 ドゥーの苦痛に歪んだ表情が、無理やりに笑みの形に置き換えられていく。
 千切れた右手の付け根が発火して傷口を焼く。
 その激痛すら桂木楓は表情筋を無理やりに操って消し去る。

 桂木楓はドゥーの身体を使って騎士たちを皆殺しにするつもりだ。
 ドゥーの身体を……使い潰して!

 その凶行を防ぐ手立てはない。
 少なくとも奴が隠れ蓑にしているドゥーの身体を傷つけぬようには。
 だから……

「……俺が殺る」
 アッシュはドゥーを背にかばったまま戦斧を構える。

「援護いたしましょうか?」
「要らぬ! そこで大人しく見ていろ!」
 言いつつ騎士たちに斬りかかる。

 驚き反応すらできぬうちに数人を叩き斬る。

「選抜騎士アッシュ! 裏切ったのか!?」
「許せとは言わん! だが、こちらにも事情がある!」
 応戦する騎士も同じように両断する。

 一体多数、それも相手はダース単位。
 それでもイレブンナイツとそれ以外の騎士では実力の差は雲泥だ。
 だからアッシュは苦も無く騎士たちを斬り伏せていく。
 背後でドゥーが笑う。

「別に貴方がたの方策に嫌気がさした訳ではありませんよ。彼はただ敵に身体のコントロールを奪われたこの身体を盾に脅迫されているだけなのです」
「なっ? 選抜騎士ドゥー!? 貴様が元凶だと言うのか!?」
「口も閉じていろ!」
 ドゥーの……桂木楓の言葉に、残る騎士たちの動きが変わる。

 彼らにとってはイレブンナイツのドゥーもただ強い騎士に過ぎない。
 それが敵に操られ『Kobold』の敵に回ったとなれば容赦はない。

 だからアッシュは自分の身を守る事も忘れ、短剣を構えてすらいないドゥーを狙う騎士どもを次々に斬り伏せる。
 戦斧を振るい、かつての仲間を屠る。

 後悔が、葛藤がないといえば嘘になる。
 だがドゥーの身の安全と天秤にかけられるものじゃない。

「アッシュさん! こちらにも、ほら」
「くっ! 何だこれは!」
「忌々しい魔術め……!」
 声に見やると、アッシュの背を抜け出したドゥーの周囲で拘束された数人の騎士。

 彼らの足元は岩石の枷で縛められている。
 先の戦闘で桂木楓が使った魔術だ。
 虚空に枷を創造する魔術を使って騎士たちを拘束したのだろう。
 アッシュはそれを両断したが、彼らには無理だ。

 だが、そんな事ができるのなら攻撃魔法エヴォケーションの岩石塊や水塊も放てるはずだ。
 それをせずに、あえて拘束だけしてアッシュを呼んだのは先ほどの宣言にかこつけてアッシュに手を汚させようと言うのだろう。

 桂木楓の底知れぬ悪意に身震いする。
 奴は悪魔だ。
 人間の皮をかぶった怪物だ。
 そうアッシュは思った。

 だが今のアッシュは奴に逆らう事はできない。
 だから心を殺して同胞たちを手にかける。

 そして気づくと、周囲に他の騎士はいなかった。
 立っているのはヤニ色の飛沫にまみれたアッシュとドゥーだけだった。

「流石は選抜騎士。見事な手並みですね」
 言いつつドゥーは瀕死の騎士の頭を踏みつける。
 くわえ煙草の年若い騎士の頭が苦痛に歪む。

 アッシュは制止しようとする。
 だが今までのドゥーも、倒した敵をそうしていた事を思い出す。
 それを当然の権利だと特にたしなめる事はなかった。
 だから……

「……もう十分だろう。ドゥーを解放してくれ」
「貴方がたは、そうやって命乞いをした敵をこれまでに何人、許しましたか?」
「……」
 懇願への返答に言葉を失う。

 敵はすべて両断した。
 それが『Kobold』の、『ママ』の意思だから。
 奪われ続けた自分たちの当然の権利だから。
 そう。
 自分たちは当然の権利を行使して、すべき事をしていただけだ。

 だが桂木楓はアッシュの言葉に耳を傾けないだろう。
 アッシュにはわかる。
 何故なら今のドゥーがアッシュに向ける表情は、かつてのドゥーやアッシュが敵に向けていたそれと同じ。

 理不尽だと思った。
 奴と自分は違うのに。
 自分たちは特別な不遇を背負って生まれてきたのに。

 それでもアッシュは、ドゥーの頭の中にいる桂木楓に手出しできない。
 何故ならドゥーは自分のすべてだから。
 祈るしかない。
 何らかの奇跡が自分とドゥーを救ってくれる事を。
 自分たちにはその権利がある。
 絶望と葛藤に押しつぶされそうになりながらアッシュが見やる前で、

「そうそう。ひとつ言い忘れてました」
 ドゥーの表情が醜く歪む。
 ぞっとするような笑みだった。
 奴がドゥーの顔で作った中で最も邪悪で、吐き気がするようなな笑みだった。
 そんな表情のまま奴は……

「……弟は……瑞葉は貴方がた脂虫に騙され、殺されたのですよ」
「それは……」
 どういう意味だ?
 誰何する暇すらなかった。」
 ドゥーの脳天から……桂木楓が変じている何者かから青緑色の光線が放たれた。
 幾重も。

 光は避ける間もなくアッシュめがけて降り注ぐ。
 消去の力がこもった戦斧を迂回し、鎧を貫通してアッシュの身体に突き刺さる。
 途端、アッシュは激痛に絶叫する。

 聞いたことがある。
 血液中のニコチンを沸騰させて相手を内側から殺す魔術。

 ドゥーを見やる。
 顔面がまるごと吹き飛んだ少年騎士の腕が、脚が、歪に膨れる。
 巨大な腫瘍のように膨れあがった何かが鎧を突き破って破裂する。

 こんな手札があるのに、先の戦いで桂木楓はどうして使わなかったのだろう?
 そう考えて、気づいた。
 桂木楓は最初からこうするつもりでドゥーの身体を乗っ取ったのだ。
 あるいは先の戦闘そのものが、この残忍な仕打ちの下準備だったのだろう。

 何と果てのない悪意だろうか。
 奴は敵を意志ある存在と見なしていない。
 否、意思と感情を認めながら、それを蹂躙する事を当然の権利だと思っている。

 許さんぞ! 桂木楓! 貴様は人の皮をかぶった怪物だ!

 声にならない声で叫ぶ。
 だが憎むべき敵はドゥーの顔で言い返してきたりはしなかった。
 もはや少年騎士の頭部に顔は無かった。
 ヤニ色をした肉と骨の中で、毛むくじゃらの蜘蛛のような何かが蠢いている。

 奇遇ですね、わたしも貴方をそう思っていたところですよ。

 輝く蜘蛛の複眼が、そう語りかけてくるような気がした。
 なんとも不気味で忌々しい複眼だ。
 まるで鼻持ちならないブルジョワが搾取した富で飾り立てた宝石だ。

 だがアッシュにはどうする事もできなかった。

 自分たちにあるのは大儀だと思っていた。
 敵を突き動かしているのは傲慢な悪意だと思っていた。
 けど大義は悪意に勝てなかった。

 幼い頃、何故に自分たちにだけに苦痛と不幸が振りかかるのかと憤っていた。
 何故に自分たちが救いを求める声は誰にも届かないのかと。
 他者にだけ富と幸福が与えられるのかと。
 自分たちは、何も悪い事をしていないのに。
 理不尽だと思った。
 だがアッシュにもドゥーにも、その理由はわからなかった。

 同じ事を今も思った。
 何故に自分は敗れ、ブルジョワの桂木楓は他者を足蹴にして生きているのか。

 だが今なら少しは理由がわかる気がした。
 自分たちは『ママ』に拾われ、なのに兄弟の絆のために組織を裏切った。
 イレブンナイツとして自分たちに与えられた富を分け与えたりはしなかった。
 他者の痛みを知ろうともしなかった。
 数えきれないほどの人間を害した。

 そして、煙草を吸うことで脂虫と言う名の怪異と化した。

 だから誰も自分を救ってくれない。
 ヘマをして、力尽きたらおしまいだ。

 今はただ、自分がドゥーと同じ苦しみを味わっていると思う事だけが救いだった。
 他には何もなかった。

 ボロ布のようになったドゥーに向かって手をのばそうとする。
 幼いドゥーと初めて会った時にそうしたように。

 だが瞬間、のばした腕が根元から吹き飛んだ。

 さらに次の瞬間、顔面に激痛が走って視界がなくなった。

 痛々しいドゥーの姿を見ずに済むと思ってほっとした。
 途端、前方で大きな破裂音。
 ドゥーの身体そのものが吹き飛んだ音だ。そう理解した途端――

――何してるんだよアッシュ! 早くしないと置いてくよ!

――待ってくれ! すぐ行く!

 アッシュの意識も途切れた。

 そうして広い部屋には静寂だけが残された。

 さらに少しばかりの時間が経った。

 壁も床も、どこもかしこもヤニ色の飛沫がぶちまけられた管理室。
 同じ色をした骸が、所狭しと並べられたデスクの合間に幾つも転がっている。
 どの骸も騎士の甲冑を着こんでいる。
 どの骸も歪んでねじれ、顔のあるものは一様に目を見開いて果てている。

 そのひとつから、一匹の蜘蛛が這い出て来た。

 蜘蛛の身体は包帯がほどけるように解体される。
 その中から出でた光は膨らみ、人の形になる。
 そして光がやんだ後には、センスの良い私服を着こんだ女子高生がいた。
 桂木楓だ。

「おや紅葉ちゃん、お帰りなさい。監視カメラの欺瞞、いたみいります」
 楓は開け放たれたドアの外に声をかける。
 そこには姉と同じブランドの私服を着こんだ女子中学生がいた。
 妹の紅葉だ。

「中の敵は殲滅しましたので、入ってきても大丈夫ですよ?」
「いや、ここで待ってるよ」
「そうですか……」
 廊下から割と引き気味に見やってくる紅葉を見やって少し凹む。
 だが、まあ仕方は無いと納得する。
 広い部屋の床一面にヤニ色の飛沫が飛び散っている。
 だから手近な椅子の汚れを創造した大気で払ってから腰かけ、

「……瑞葉は例え相手が唾棄すべき敵だとしても、ああいう物言いはしませんよ」
「わかってるよ」
 静かに言葉を交わす。

 姉妹がかつて弟を失ったという先ほどの楓の話は本当だ。
 執行人エージェントバーストこと桂木瑞葉を罠にかけて殺したのが脂虫だったという事も。
 それ以来、桂木姉妹……特に姉の楓が脂虫の駆逐に血眼になっていた事も。

「そういえば新開発区の暮らしって裕福なのかな?」
「そりゃまあ舞奈さんはいつもお腹を空かせていますが……」
「だよね」
 ふと紅葉が問いかける。
 楓は少し考える。

 彼女たちには仲間がいる。
 貧富の差ではなく、志と多少のなれ合いで繋がった得難い友だ。
 その中で姉妹が最も尊敬する人物は、廃墟に住む食い意地の張ったエロガキだ。

「いえ待ってください。舞奈さんの働きなら【機関】から我々以上の報酬を得ているはずですよ? 普通に生活すれば数年は遊んで暮らせると思うんですが……」
「だよね……」
 その様に姉妹はそろって首を傾げ、

「姉さん、先を急ごう」
「いえ、わたしはここに残ろうと思います」
「えっ? いきなりだなあ」
「せっかく管理室を占拠したのですから、このまま他のチームのサポートをするのも悪い選択じゃないでしょう。それに……」
「それに?」
「舞奈さんたちと小夜子さんたちが、そろって上層階にカチこんだら『ママ』とやらもビビって逃げ出す公算が高いのではないでしょうか? 下で待ち受けるチームがいると保険になるかもしれません」
「……わかったよ」
 普段はあまり使わない言葉遣いの姉に、紅葉も根負けしたように肩をすくめる。
 そのまま短機関銃FN P90TRを構えて廊下を警戒する。

 紅葉が背を向けた大きな部屋。
 その中央にうつぶせに倒れ伏す大柄な騎士の骸。
 戦斧を手にした骸の側には、寄り添うように小柄な騎士の骸が横たわっていた。
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