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第19章 ティーチャーズ&クリーチャーズ
戦闘2 ~銃技&魔術&呪術&超能力vs巨大蜘蛛
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うららかな休日の午後。
街はずれの静かなの林に、巨獣が何かを砕く音、逃げ去る野鳥の声が響く。
林の奥地で毒蜘蛛のブラボーちゃんを探していた舞奈たち。
その前に突如として飛来したのは、探していた蜘蛛と瓜二つの巨大な蜘蛛。
極彩色の巨大な蜘蛛は、巨体に似合わぬ素早い動きで銃弾を避け、見た目通りの強固なボディで魔法攻撃を防御する強敵だった。
舞奈たちは思いがけず攻めあぐねる。
メリルは園香とチャビーと一緒にイエティに変身して2人を守る。
その間、蜘蛛は明日香が召喚した禍々しいダミー氷像を一心に攻撃していたが……
「……流石に長くは持たんか」
油断なく改造拳銃を構えながら、舞奈は口元を歪める。
魔術によって創造されたダミーの耐久性も流石にここらが限界らしい。
蜘蛛が振り下ろした前脚が、おぞましい造形の氷像を砕く。
甲高い破壊の音と、氷の欠片と霜と冷気が木々の合間に小さな吹雪を演出する。
そんな身も冷えるような粉吹雪の中、そびえ立つ砦の如く巨大な蜘蛛が向き直る。
6つの大きな蜘蛛の目が、次の獲物を見定めるように一行を見やる。
木陰に身を潜めたレインと梢が息を飲む。
その刹那――
「――とりあえず奴の気を引かないとね!」
別の木陰から躍り出たのは火のように赤いレオタード姿のヴィラン。
ファイヤーボールだ。
灼熱のハイスピード・ヴィランは巨大な蜘蛛の周囲を走り回りながら、
「よろしくメリル!」
「……イイダロウ」
ちらりと後ろを見やって叫ぶ。
途端、ファイヤーボールの頭の上の空間が歪んで何かが出現する。
空中に放り出されたそれを、深紅のヴィランは危なげなくキャッチする。
用いられた技術は後方に控えたイエティ――メリルの【誘引能力】。
空間を捻じ曲げて遠く離れた別の場所から物品を取り寄せる超能力だ。
蜘蛛と同じサイズの氷の巨人は、今は戦闘の余波が及ばぬ場所に退いている。
胴体の中にかくまった園香とチャビーを守るためだ
それでも超能力を使ってサポートできるのはメリルが強力な超能力者だからだ。
しかも自身から相応に離れた場所に、割と正確にそれを送り届けた。
そんな技術で輸送されたのは減音器つきの短機関銃だ。
ファイヤーボールは短機関銃を、ややおぼつかないフォームながら片手で構える。
彼女の十八番、高速化の超能力【加速能力】を活用して蜘蛛の周囲を走り回りながら掃射して牽制する。
普段の戦闘時と変わらぬ超高速なのに、普段と違って発火まではしていない。
自身を摩擦熱から守るための【耐熱防御】で熱そのものを抑制しているか。
枯れ木に着火させない配慮ができるあたりが彼女が戦闘に手馴れている証拠だ。
深紅のヴィランは高速移動しながら巨大な蜘蛛めがけて鉛の雨をばらまく。
無数の大口径弾が蜘蛛の脚に、腹に突き刺さる。
もちろん強固な蜘蛛の表皮にダメージはない。
それでも蜘蛛は地面を凄いスピードで駆け回る赤いカトンボに気を取られる。
仕留めようと前脚を振るうが、彼女のスピードには追いつけない。
さらに舞奈も同じように蜘蛛の前に踊り出す。
「あんた、銃なんて使い始めたんだな」
「別に前から使ってたわよ! キャラに合わないから映画じゃ使ってないだけ」
軽口を叩き合いながら、
「そうかい」
舞奈も改造拳銃を片手で撃つ。
割と近距離から放たれた大口径弾が、他の目標に気を取られた蜘蛛の脚を穿つ。
しかも銃口から弾頭と一緒に着弾地点にのびた、舞い散る粉雪。
先ほど梢がかけた【凍りつく魔杖】の効果が残っていたか。
だが付与された氷の呪術は先ほどと同様に蜘蛛の脚に霜を張らせるのみ。
「おおっと!」
(野郎、こっちの手札が効かないのを見抜いてドヤってるんじゃねぇだろうな?)
反撃とばかりに振るわれたギロチンのような前脚を回避しながら口元を歪める。
先の攻防でこちらの銃撃が効かないのを理解して意図的に避けなかった?
代わりに、撃った後の隙を狙って的確に反撃した?
つまり、奴は戦いながらこちらの手札を学習している?
嫌な予想を誤魔化すように、
「……どうでもいいが、この状況で減音器つけてくる意味あったか?」
「うっさいなーもうっ!」
叩いた軽口にファイヤーボールが叫ぶ。
大きな声に反応したか、蜘蛛が再び鎌のような前脚を振り上げた途端――
「――!?」
明後日の方向から飛来した何かが蜘蛛の背面に突き刺さった。
銃弾?
おそらく小口径弾だ。
撃ったのは梢か。
彼女の軽機関銃は相棒であるレインの小型拳銃と違ってフルオートで連射できる。
だが小口径弾は蜘蛛の背に傷もつけられない。
まあ当然だ。
付与魔法された大口径弾すら防ぐ強固な表皮だ。
それでも新たな攻撃に気づいた蜘蛛は振り向きながら前脚で薙ぐ。
銃弾が当たった位置から射点を読んでいる?
そんなことより巨大な前脚に切り裂かれ、巨木が紙切れのように両断される。
後ろに誰かがいたら問答無用だ!
「梢さん!?」
慌てる舞奈に、
「――いやあ、肝が冷えるね」
「あれ、こっちに向かってされてたら……」
答えた声は舞奈の背後の少し離れた木陰から。
顔を出したのは梢とレイン。
梢は軽機関銃、レインは青い顔をしながら小型拳銃を両手で構えている。
どちらも撃った直後のようだ。
何かの手段で転移でもしたのだろうか?
否。舞奈は2人の周囲の風の流れが少しおかしいことに気づく。
大気を操る【穏やかなる風】か。
梢は【潜在魔力との同調】より【エレメントの変成】を得意とするのだろう。
そういえば彼女はルーシア王女と違って【勇猛たる戦士】のような身体強化の術を何ひとつ使っていない。
同じセイズ呪術の使い手でも、戦い方には個人の流儀がある。
そんな彼女は十八番の元素操作、中でも風を操る技術によって2人がかりでばら撒いた銃弾を誘導し、林の木々を廻りこませて蜘蛛のケツに当てたらしい。
先ほどの跳弾といい、奇をてらった戦い方に妙に手馴れているなと感じた。
こちらも相棒であるレインと違い、条件さえ揃えば戦闘への適性は高いのだろう。
だが、皆で牽制しているだけでは埒が明かないのも事実だ。
早急に奴を倒す……あるいは排除する必要がある。
それが如何に困難だとしても、やりたくなくても。
そのためには素早く賢い蜘蛛に確実に当て、蜘蛛の強固な表皮を貫く手札が必要だ。
そう考えて背後を盗み見る舞奈に、見やった巨木の陰から――
「――確かめたいことがあるわ! 手伝って!」
「そりゃ構わんが」
明日香の声。
何食わぬ声色で答えながら舞奈はニヤリと笑う。
今の攻防の間、明日香も隠れて遊んでいた訳じゃない。
彼女も状況を打開できる威力の攻撃魔法を撃てるのは自分だけだと自覚している。
だから巨大な蜘蛛を確実に倒すべく何らかの策を準備していたのだろう。
明日香はそういう人間だ。
だから巨大な蜘蛛の足元に前触れもなく氷塊が出現する。
歪なヒトデに似た形の氷のオブジェは次の瞬間、爆発。
おそらく【氷砲】の応用か。
技量を生かした遠距離からの施術に加え、地雷のように成形して爆発させたのだ。
巨大な8本の脚で支えらえた蜘蛛の下側は戦車のそれに似た防護のない腹だ。
他の部位に比べて脆弱な場所を責められ、蜘蛛は悲鳴をあげて跳び退る。
巨大な蜘蛛がぶつかった巨木がまとめてへし折れる。
そんな蜘蛛の隙を逃さず梢が歌う。
蜘蛛の腹に残る凍結地雷の残滓。
霜の如く張りついたそれが無数の氷片と化して腹に、脚の内側に再び突き刺さる。
こちらは冷気を操り攻撃するセイズ呪術【凍りつく呪弾】。
ないし複数の氷の魔弾と化して叩きつける【こだまする氷弾】か。
腹の下で幾度も爆ぜた冷たいものに蜘蛛は怯み、困惑する。
だが、それは牽制。
舞奈が手にした改造拳銃の内側から風。
今度は斥力場の弾丸【力弾】か。
条件さえ満たせば完全体すら一撃で粉砕する必殺の魔術だ。
「おおい、いちおう奴は目当てのブラボーちゃんなんだが」
「安心して。わたしの予想が確かなら、核でも使わない限り一撃でどうこうなるようなダメージは入れられないわ」
「そう願いたいぜ」
体勢を立て直した蜘蛛の前脚を避けながら、明日香の言葉に軽口を返す。
だが口元には笑み。
こういう状況での明日香の判断は信頼できる。
彼女は他人の命も自分の命も平気で駒に見立てて無茶をする。
だが冷静すぎるギリギリの計算によって、駒の安全は冷徹に保証される。
明日香はそういう女だ。
だから今の彼女が大丈夫だと言えば大丈夫だ。
そう思った矢先、頭上の空を不可視の何かがゆらす。
数発の斥力場の砲弾【力砲】だ。
目に見えない力場で形成された数多の砲弾が、次なる指図で一斉に放たれる。
異音をあげて宙を切る何かに蜘蛛も異変と危険を察する。
だが初見ですぐには対処できない。
さらに砲弾の雨にまぎれて舞奈も撃つ。
本命はこちらだ。
氷の罠で怯ませた直後に、ダミーの砲撃にまぎれた一撃。
相手が動物だろうが手加減無用の搦め手に、それが先ほどまでの銃弾とは違う致命的な殺傷力を持つ砲弾だと気づいても避けられない。
だから斥力場をまとった銃弾が蜘蛛の腹に突き刺さる。
「やった?」
キャロルが身構えながら様子をうかがう。
だが次の瞬間――
「――ちょっ!? インチキじゃんそれ!」
穿たれた蜘蛛の腹の孔が一瞬で消えた。
まるでノートに描かれた傷の絵を消しゴムで消すようにあっさりと。
最初から命中打などなかったように。
「糞ったれ! 野郎、式神だ!」
「……予想通りよ」
明日香の冷淡な声を背に、反撃とばかりに振り下ろされた右前脚を跳んで避ける。
横薙ぎの左前脚を身をかがめて避ける。
巻きこまれそうになったファイヤーボールもあわてて避ける。
そういえば見上げる角度でしか見れないので今まで気づかなかったが、梢への攻撃を反転された額の傷も何時の間にかなくなっていた気がする。
今のと同じように『消えた』のだろう。
奴の巨体の正体は式神――本来は魔術によって形作られる上位の魔法的存在だ。
つまり因果律を歪めて『そこにある』ことにされている存在。
どれほど傷つこうが『無傷である』という状態を上書きすることで、術の源である魔力が続く限り無限に再生して存在し続ける。
そして使い手が望む奇跡を実現せしめる。
奴のとんでもない身体能力と耐久力の謎が解けた。
だが明日香はさらに言葉を続ける。
「式神っていうより構造上は魔獣みたい。魔力が集中してる場所があるわ」
「えっ!?」
「魔獣って!?」
冷徹な明日香の答えに皆が驚く。
相応に距離のある木陰から見やるレインや梢の顔が蒼白になっているのがわかる。
蜘蛛の前脚を避けて隣に跳んできたファイヤーボールも同じ感じだ。
「あんたは知ってると思ったんだがな」
「そりゃ、そういう奴が存在するってことは知ってわよ! けど! 生きてる間にお目にかかるなんて思わないっしょ普通!」
「そりゃ結構! 動物園よりスリリングだろう?」
ヤケクソ気味なファイヤーボールと一緒にラッシュを避けつつ軽口を返し、
「どういう国なのよ!? ここは!」
「いえ、お国柄じゃないです!」
さらに返された言葉にレインが思わずツッコむ。
そうする最中にも逆上した蜘蛛の荒れ狂うような猛打を2人して避ける。
明日香がさらりと言った魔獣という言葉。
魔獣とは魔力を持つ巨大な獣の総称である。
いわば怪異の上位に相当する存在だ。
だが異能力によって人に仇成す存在を怪異、術者や異能力者を怪人と呼ぶのに対して奴らが怪獣と呼ばれないのは魔獣の魔力が桁違いに強大だからだ。
魔獣は魔術師が生成できるそれの何倍もの魔力をその身に宿す。
それによって常識外の巨体を維持している。
その強大な魔力を妖術師のように操って強力無比な異能をも体現せしめる。
裏の世界でその恐ろしい存在を知っている者は多い。
だが実際に見た者は少ない。
異能や怪異と関わる稀有な人々にとってすら魔獣とは一生に一度、出会うかどうか。
大半の術者や異能力者は波乱に満ちた人生を送りながらも魔獣と相対するような惨事にまでは見舞われることなく一生を終える。
そうでなく不運にして魔獣と出くわした者の多くは、その場で一生を終える。
そんな事情は広い米国でも同じらしい。
かくいう舞奈や明日香も、魔獣とは亜種を含めて数回しか戦ったことはない。
「いえ、もちろん過去に遭遇した魔獣ほどのパワーは感じませんが」
ドン引きさせた皆へのフォローのつもりか明日香はあくまで冷静に言葉を続ける。
「ったく! あたしの回りはこんなんばっかりだな!」
ヤケクソ気味に叫びながら舞奈は横に跳ぶ。
ピンク色のジャケットの残像を巨大な蜘蛛の脚が斬り裂く。
そんな様子を木陰に隠れたレインや梢が「ギャー!」みたいな目で見やる。
彼女らは魔獣と言う言葉がもたらす畏怖に飲まれていた。
「バッカリ……」
「そりゃイエティやあたしじゃ勝てないよね……」
後方でイエティが、側で蜘蛛の猛攻を避けながらファイヤーボールが苦笑する。
前回の決戦では辛くも明日香とディフェンダーズに敗れたイエティ。
だが氷の巨人は決して弱い訳ではない。
そもそも明日香と組むまでディフェンダーズはイエティを倒したことはなかった。
なるほど魔獣なんて出鱈目な存在を除外すれば巨大なイエティはほぼ無敵だし、ディフェンダーロボで対抗するのが精いっぱいだっただろう。
舞奈や明日香が普段から戦っている敵が無茶過ぎるのだ。
「……で、なんでブラボーちゃんが魔獣なんかになってるんだよ?」
「知らないわよ! また性質の悪い魔道具の欠片でも食べたんでしょ?」
「んなもんがゴロゴロそこらに転がっててたまるか!」
再びヤケクソに叫びながら蜘蛛の前脚ラッシュを避ける。
別に奴が魔獣だと判明したからと言って、それ以前と一撃のヤバさが変わった訳じゃない。まともに喰らえば御陀仏なのは同じだ。
そして以前に戦った魔獣マンティコアが出現した理由は、3年前にピクシオン・グッドマイトが遺した魔法の盾の欠片だ。
そんなレベルの代物が、ホイホイ落ちているとは思いたくない。
だが大きいとは言えバケツに入るサイズだった蜘蛛のブラボーちゃんは、現に目の前で魔獣になって舞奈たちに襲いかかってきている。
「新開発区! 怖っ!」
「新開発区のせいでもねぇよ!」
梢の言葉にツッコミを返す。
「まったく……」
ひとりごちつつギロチンの如く前脚を避ける舞奈の口元には、だが笑み。
少なくとも梢は、ボケをかませる程度にはショックから立ち直りつつある。
ボケ……だよな?
あるいは意図的に平常心を取り戻そうとしているのなら有り難い。
それに舞奈からすると、この状況も悪いことだけじゃない。
舞奈の経験上、魔獣は身体の何処かに魔力が凝固したコアのようなものを隠し持つ。
魔法的な身体を維持するために必要なのか都合がいいかするのだろう。
それは多くの場合、魔獣の元になった生物とは別の位置に存在する。
だからコアだけを破壊すれば、元々の蜘蛛は無事に確保できる。
その方法で、魔獣マンティコアを子猫のネコポチに戻すことができた。
3年前に魔獣ケルベロスと化した子犬は救えなかったし、自らの意思で変貌した三剣悟は救えなかったけど、魔力を暴走させた萩山光とウィアードテールは救えた。
何と言うか、こういう状況で蜘蛛の安全を気にするのも妙な話だ。
だが目的を完遂できる算段がつくとやる気が出るのも事実だ。
襲いかかってきた巨大な蜘蛛をただ粉砕するよりずっといい。
そもそも今日のハイキングの目的のひとつは、他者が大事にしている蜘蛛を見つけてあげたいと願う心優しいチャビーを喜ばせることだ。
蜘蛛が見つからないと知ってしょんぼりするチャビーを見るのは御免被りたい。
何より舞奈は昔、守れなかった人がいる。
だから今でも誰かが大切にしているものを守れないのは嫌だし、守れれば楽しい。
「で、どうするのさ? リトルウィザード!」
舞奈と並んで蜘蛛の攻撃を回避しながら、ファイヤーボールが背後に問う。
だが明日香が答える前に――
「――その前にひとつ確認したいんだが」
「何よ?」
「あんた、イエティに『乗った』ことはあるか?」
問いを返したのは舞奈だ。
隣の赤いヴィランを見やりつつ、振り下ろされた前脚を跳び退って避ける。
直後に飛んできたネバネバした何かを横に跳んで避ける。
こっちも初見の攻撃だ。
舞奈の残像を穿った白い何かは背後の巨木にベチャリと当たって周囲に広がる。
トリモチのように触るとくっつく感じだ。
「気をつけて! 敵は蜘蛛の糸を吐き出して攻撃することを覚えたみたい!」
「見りゃわかる!」
背後からの明日香の警告に怒鳴り返す。
賢いブラボーちゃんは、やはり魔獣の力を学習しつつある。
ひょっとしてこの蜘蛛、ケースの中にいるのを眺めるだけなら仕草が面白かったり興味深かったりして可愛がる気になるのかもしれないと少し思った。
だが今この状況では別だ。
勝負に時間をかけると敵はどんどん強くなり、状況は悪くなる一方だ。
そのように口元を歪める舞奈の側で、
「ちょっと待って!? あんた、何でそれを!?」
ファイヤーボールは動揺する。
その隙をついたつもりか吐き出された蜘蛛糸ボールを辛くも避ける。
彼女が驚いた理由は蜘蛛の糸ではなく、その前の舞奈の問いだ。
異能力者も超能力者も、自身が運転するヴィークルは魔法的には身体の一部。
自身の身体に作用する異能力や付与魔法を機体の能力として使用可能だ。
現にメリルは氷の巨人を『自分が操縦している人型ヴィークル』と規定することで自身の身体に宿る超能力をイエティそのものの能力のように使っている。
つまり、おそらくメリルが受け入れた相手はイエティの操縦者になれる。
そして自身の異能力や超能力を、イエティの能力として使える。
そっちの事実は海の向こうでも広く知られているのだろう。
なのでファイヤーボールもイエティと組んで、何か面白い新技でも考えていたか。
メリルもイエティの『2人乗り』の練習とかしていたのだろう。
それを見破られたと思ったのだ。
まあ、そっちの詳細も知りたくはあったが、
「できるのか。なら重畳!」
ニヤリと笑うと同時に、飛んできた蜘蛛糸ボールを2人で左右に跳んで避ける。
さらに続けざまに放たれた蜘蛛糸を、同じ数だけ飛んできた何かが受け止める。
小さな氷の塊。【氷盾】だ。
白いボールに飲みこまれた氷の盾の魔術が解除され、ネバネバは地に落ちる。
明日香が普段は多用するこの術を今回、使わなかったのは単純に殴ってくる巨大な蜘蛛を相手に使いどころはないと判断したからだろう。
だが、こういう状況でとっさに防護に使うあたりが明日香の明日香たる所以だ。
一方、難を逃れたファイヤーボールはお返しとばかりに短機関銃を掃射。
虚空からも続けざまに施術された氷の杭【氷砲】が降り注ぐ。
もちろん、どちらも牽制。
ファイヤーボールも明日香も、舞奈が何かをしようとしていると気づいたのだ。
だが今回、実は何かするのは舞奈じゃない。
「メリルちゃん! 園香とチャビーを下ろせるか? こっちを手伝ってほしい」
「セワシナイナ」
「スマン! これで最後だ!」
蜘蛛の攻撃を回避しながら背後のイエティに叫び、
「梢さん! もう1回2人を頼む! あんたも!」
「了解!」
「えっあたし?」
後ろの梢、そして側のファイヤーボールに声をかける。
改造拳銃を片手で構え、残りの大口径弾を全部ぶちこむ。
次いで弾倉を交換する。
その隙に蜘蛛が舞奈めがけてラッシュを仕掛けた隙にファイヤーボールが退く。
もちろん舞奈は苦も無くラッシュを避ける。
「時間ガ惜シイ。受ケ止メテクレ」
イエティの背中が装脚艇のハッチのように開く。
氷のコックピットから、園香とチャビーが転がり出てくる。
「おおっと」
「あっ意外にあったかい」
キャロルが園香を危なげなく受け止める。
イエティの氷のボディの中で、2人は【耐冷防御】で防護されていた。
梢も落ちてきたチャビーを危なっかしい挙動で抱きとめる。
……受け持ったのがレインだったらアウトだったかもしれない。
直後に梢が歌う。
セイズ呪術【牢固たる守護者】で大地を盛り上げて壁にする。
周囲の冷気を【冷ややかなる守護者】で操り壁を補強する。
そんな手馴れた防御陣地の構築風景を見やりながら、
「あの、わたしは何をすれば……?」
おろおろするレインに、
「可愛いレインちゃんには主役をやって欲しい。イエティに『乗って』くれ!」
「えっ!?」
「ソウイウ事カ!」
言った舞奈の意図を理解したのはレインよりメリルの方が先だった。
「トランスフォーム!」
叫ぶと同時にイエティの形が変わる。
巨体を構成する氷の塊が人の関節とは異なる位置で曲がる。
あるいは別の部分は細かく分割されて形を変え、あるいは単純に変形する。
全体としては氷の巨人のサイズ感はそのまま。4本の脚を持ち、しなやかに。
そうやって出来上がったのは巨大な氷の獣だ。
「多芸じゃないか。あの時に本気で来られたらもっと苦戦した気がするんだがな」
「……そうじゃなくて、あれから新技を考えてたのよ」
舞奈の軽口にキャロルが苦々しく答え、
「乗レ」
「ひゃっ!?」
イエティは器用にレインをくわえて背中に放り乗せる。そして――
「――行クゾ!」
巨大な氷の獣は、同じくらい巨大な蜘蛛めがけて踊りかかった。
街はずれの静かなの林に、巨獣が何かを砕く音、逃げ去る野鳥の声が響く。
林の奥地で毒蜘蛛のブラボーちゃんを探していた舞奈たち。
その前に突如として飛来したのは、探していた蜘蛛と瓜二つの巨大な蜘蛛。
極彩色の巨大な蜘蛛は、巨体に似合わぬ素早い動きで銃弾を避け、見た目通りの強固なボディで魔法攻撃を防御する強敵だった。
舞奈たちは思いがけず攻めあぐねる。
メリルは園香とチャビーと一緒にイエティに変身して2人を守る。
その間、蜘蛛は明日香が召喚した禍々しいダミー氷像を一心に攻撃していたが……
「……流石に長くは持たんか」
油断なく改造拳銃を構えながら、舞奈は口元を歪める。
魔術によって創造されたダミーの耐久性も流石にここらが限界らしい。
蜘蛛が振り下ろした前脚が、おぞましい造形の氷像を砕く。
甲高い破壊の音と、氷の欠片と霜と冷気が木々の合間に小さな吹雪を演出する。
そんな身も冷えるような粉吹雪の中、そびえ立つ砦の如く巨大な蜘蛛が向き直る。
6つの大きな蜘蛛の目が、次の獲物を見定めるように一行を見やる。
木陰に身を潜めたレインと梢が息を飲む。
その刹那――
「――とりあえず奴の気を引かないとね!」
別の木陰から躍り出たのは火のように赤いレオタード姿のヴィラン。
ファイヤーボールだ。
灼熱のハイスピード・ヴィランは巨大な蜘蛛の周囲を走り回りながら、
「よろしくメリル!」
「……イイダロウ」
ちらりと後ろを見やって叫ぶ。
途端、ファイヤーボールの頭の上の空間が歪んで何かが出現する。
空中に放り出されたそれを、深紅のヴィランは危なげなくキャッチする。
用いられた技術は後方に控えたイエティ――メリルの【誘引能力】。
空間を捻じ曲げて遠く離れた別の場所から物品を取り寄せる超能力だ。
蜘蛛と同じサイズの氷の巨人は、今は戦闘の余波が及ばぬ場所に退いている。
胴体の中にかくまった園香とチャビーを守るためだ
それでも超能力を使ってサポートできるのはメリルが強力な超能力者だからだ。
しかも自身から相応に離れた場所に、割と正確にそれを送り届けた。
そんな技術で輸送されたのは減音器つきの短機関銃だ。
ファイヤーボールは短機関銃を、ややおぼつかないフォームながら片手で構える。
彼女の十八番、高速化の超能力【加速能力】を活用して蜘蛛の周囲を走り回りながら掃射して牽制する。
普段の戦闘時と変わらぬ超高速なのに、普段と違って発火まではしていない。
自身を摩擦熱から守るための【耐熱防御】で熱そのものを抑制しているか。
枯れ木に着火させない配慮ができるあたりが彼女が戦闘に手馴れている証拠だ。
深紅のヴィランは高速移動しながら巨大な蜘蛛めがけて鉛の雨をばらまく。
無数の大口径弾が蜘蛛の脚に、腹に突き刺さる。
もちろん強固な蜘蛛の表皮にダメージはない。
それでも蜘蛛は地面を凄いスピードで駆け回る赤いカトンボに気を取られる。
仕留めようと前脚を振るうが、彼女のスピードには追いつけない。
さらに舞奈も同じように蜘蛛の前に踊り出す。
「あんた、銃なんて使い始めたんだな」
「別に前から使ってたわよ! キャラに合わないから映画じゃ使ってないだけ」
軽口を叩き合いながら、
「そうかい」
舞奈も改造拳銃を片手で撃つ。
割と近距離から放たれた大口径弾が、他の目標に気を取られた蜘蛛の脚を穿つ。
しかも銃口から弾頭と一緒に着弾地点にのびた、舞い散る粉雪。
先ほど梢がかけた【凍りつく魔杖】の効果が残っていたか。
だが付与された氷の呪術は先ほどと同様に蜘蛛の脚に霜を張らせるのみ。
「おおっと!」
(野郎、こっちの手札が効かないのを見抜いてドヤってるんじゃねぇだろうな?)
反撃とばかりに振るわれたギロチンのような前脚を回避しながら口元を歪める。
先の攻防でこちらの銃撃が効かないのを理解して意図的に避けなかった?
代わりに、撃った後の隙を狙って的確に反撃した?
つまり、奴は戦いながらこちらの手札を学習している?
嫌な予想を誤魔化すように、
「……どうでもいいが、この状況で減音器つけてくる意味あったか?」
「うっさいなーもうっ!」
叩いた軽口にファイヤーボールが叫ぶ。
大きな声に反応したか、蜘蛛が再び鎌のような前脚を振り上げた途端――
「――!?」
明後日の方向から飛来した何かが蜘蛛の背面に突き刺さった。
銃弾?
おそらく小口径弾だ。
撃ったのは梢か。
彼女の軽機関銃は相棒であるレインの小型拳銃と違ってフルオートで連射できる。
だが小口径弾は蜘蛛の背に傷もつけられない。
まあ当然だ。
付与魔法された大口径弾すら防ぐ強固な表皮だ。
それでも新たな攻撃に気づいた蜘蛛は振り向きながら前脚で薙ぐ。
銃弾が当たった位置から射点を読んでいる?
そんなことより巨大な前脚に切り裂かれ、巨木が紙切れのように両断される。
後ろに誰かがいたら問答無用だ!
「梢さん!?」
慌てる舞奈に、
「――いやあ、肝が冷えるね」
「あれ、こっちに向かってされてたら……」
答えた声は舞奈の背後の少し離れた木陰から。
顔を出したのは梢とレイン。
梢は軽機関銃、レインは青い顔をしながら小型拳銃を両手で構えている。
どちらも撃った直後のようだ。
何かの手段で転移でもしたのだろうか?
否。舞奈は2人の周囲の風の流れが少しおかしいことに気づく。
大気を操る【穏やかなる風】か。
梢は【潜在魔力との同調】より【エレメントの変成】を得意とするのだろう。
そういえば彼女はルーシア王女と違って【勇猛たる戦士】のような身体強化の術を何ひとつ使っていない。
同じセイズ呪術の使い手でも、戦い方には個人の流儀がある。
そんな彼女は十八番の元素操作、中でも風を操る技術によって2人がかりでばら撒いた銃弾を誘導し、林の木々を廻りこませて蜘蛛のケツに当てたらしい。
先ほどの跳弾といい、奇をてらった戦い方に妙に手馴れているなと感じた。
こちらも相棒であるレインと違い、条件さえ揃えば戦闘への適性は高いのだろう。
だが、皆で牽制しているだけでは埒が明かないのも事実だ。
早急に奴を倒す……あるいは排除する必要がある。
それが如何に困難だとしても、やりたくなくても。
そのためには素早く賢い蜘蛛に確実に当て、蜘蛛の強固な表皮を貫く手札が必要だ。
そう考えて背後を盗み見る舞奈に、見やった巨木の陰から――
「――確かめたいことがあるわ! 手伝って!」
「そりゃ構わんが」
明日香の声。
何食わぬ声色で答えながら舞奈はニヤリと笑う。
今の攻防の間、明日香も隠れて遊んでいた訳じゃない。
彼女も状況を打開できる威力の攻撃魔法を撃てるのは自分だけだと自覚している。
だから巨大な蜘蛛を確実に倒すべく何らかの策を準備していたのだろう。
明日香はそういう人間だ。
だから巨大な蜘蛛の足元に前触れもなく氷塊が出現する。
歪なヒトデに似た形の氷のオブジェは次の瞬間、爆発。
おそらく【氷砲】の応用か。
技量を生かした遠距離からの施術に加え、地雷のように成形して爆発させたのだ。
巨大な8本の脚で支えらえた蜘蛛の下側は戦車のそれに似た防護のない腹だ。
他の部位に比べて脆弱な場所を責められ、蜘蛛は悲鳴をあげて跳び退る。
巨大な蜘蛛がぶつかった巨木がまとめてへし折れる。
そんな蜘蛛の隙を逃さず梢が歌う。
蜘蛛の腹に残る凍結地雷の残滓。
霜の如く張りついたそれが無数の氷片と化して腹に、脚の内側に再び突き刺さる。
こちらは冷気を操り攻撃するセイズ呪術【凍りつく呪弾】。
ないし複数の氷の魔弾と化して叩きつける【こだまする氷弾】か。
腹の下で幾度も爆ぜた冷たいものに蜘蛛は怯み、困惑する。
だが、それは牽制。
舞奈が手にした改造拳銃の内側から風。
今度は斥力場の弾丸【力弾】か。
条件さえ満たせば完全体すら一撃で粉砕する必殺の魔術だ。
「おおい、いちおう奴は目当てのブラボーちゃんなんだが」
「安心して。わたしの予想が確かなら、核でも使わない限り一撃でどうこうなるようなダメージは入れられないわ」
「そう願いたいぜ」
体勢を立て直した蜘蛛の前脚を避けながら、明日香の言葉に軽口を返す。
だが口元には笑み。
こういう状況での明日香の判断は信頼できる。
彼女は他人の命も自分の命も平気で駒に見立てて無茶をする。
だが冷静すぎるギリギリの計算によって、駒の安全は冷徹に保証される。
明日香はそういう女だ。
だから今の彼女が大丈夫だと言えば大丈夫だ。
そう思った矢先、頭上の空を不可視の何かがゆらす。
数発の斥力場の砲弾【力砲】だ。
目に見えない力場で形成された数多の砲弾が、次なる指図で一斉に放たれる。
異音をあげて宙を切る何かに蜘蛛も異変と危険を察する。
だが初見ですぐには対処できない。
さらに砲弾の雨にまぎれて舞奈も撃つ。
本命はこちらだ。
氷の罠で怯ませた直後に、ダミーの砲撃にまぎれた一撃。
相手が動物だろうが手加減無用の搦め手に、それが先ほどまでの銃弾とは違う致命的な殺傷力を持つ砲弾だと気づいても避けられない。
だから斥力場をまとった銃弾が蜘蛛の腹に突き刺さる。
「やった?」
キャロルが身構えながら様子をうかがう。
だが次の瞬間――
「――ちょっ!? インチキじゃんそれ!」
穿たれた蜘蛛の腹の孔が一瞬で消えた。
まるでノートに描かれた傷の絵を消しゴムで消すようにあっさりと。
最初から命中打などなかったように。
「糞ったれ! 野郎、式神だ!」
「……予想通りよ」
明日香の冷淡な声を背に、反撃とばかりに振り下ろされた右前脚を跳んで避ける。
横薙ぎの左前脚を身をかがめて避ける。
巻きこまれそうになったファイヤーボールもあわてて避ける。
そういえば見上げる角度でしか見れないので今まで気づかなかったが、梢への攻撃を反転された額の傷も何時の間にかなくなっていた気がする。
今のと同じように『消えた』のだろう。
奴の巨体の正体は式神――本来は魔術によって形作られる上位の魔法的存在だ。
つまり因果律を歪めて『そこにある』ことにされている存在。
どれほど傷つこうが『無傷である』という状態を上書きすることで、術の源である魔力が続く限り無限に再生して存在し続ける。
そして使い手が望む奇跡を実現せしめる。
奴のとんでもない身体能力と耐久力の謎が解けた。
だが明日香はさらに言葉を続ける。
「式神っていうより構造上は魔獣みたい。魔力が集中してる場所があるわ」
「えっ!?」
「魔獣って!?」
冷徹な明日香の答えに皆が驚く。
相応に距離のある木陰から見やるレインや梢の顔が蒼白になっているのがわかる。
蜘蛛の前脚を避けて隣に跳んできたファイヤーボールも同じ感じだ。
「あんたは知ってると思ったんだがな」
「そりゃ、そういう奴が存在するってことは知ってわよ! けど! 生きてる間にお目にかかるなんて思わないっしょ普通!」
「そりゃ結構! 動物園よりスリリングだろう?」
ヤケクソ気味なファイヤーボールと一緒にラッシュを避けつつ軽口を返し、
「どういう国なのよ!? ここは!」
「いえ、お国柄じゃないです!」
さらに返された言葉にレインが思わずツッコむ。
そうする最中にも逆上した蜘蛛の荒れ狂うような猛打を2人して避ける。
明日香がさらりと言った魔獣という言葉。
魔獣とは魔力を持つ巨大な獣の総称である。
いわば怪異の上位に相当する存在だ。
だが異能力によって人に仇成す存在を怪異、術者や異能力者を怪人と呼ぶのに対して奴らが怪獣と呼ばれないのは魔獣の魔力が桁違いに強大だからだ。
魔獣は魔術師が生成できるそれの何倍もの魔力をその身に宿す。
それによって常識外の巨体を維持している。
その強大な魔力を妖術師のように操って強力無比な異能をも体現せしめる。
裏の世界でその恐ろしい存在を知っている者は多い。
だが実際に見た者は少ない。
異能や怪異と関わる稀有な人々にとってすら魔獣とは一生に一度、出会うかどうか。
大半の術者や異能力者は波乱に満ちた人生を送りながらも魔獣と相対するような惨事にまでは見舞われることなく一生を終える。
そうでなく不運にして魔獣と出くわした者の多くは、その場で一生を終える。
そんな事情は広い米国でも同じらしい。
かくいう舞奈や明日香も、魔獣とは亜種を含めて数回しか戦ったことはない。
「いえ、もちろん過去に遭遇した魔獣ほどのパワーは感じませんが」
ドン引きさせた皆へのフォローのつもりか明日香はあくまで冷静に言葉を続ける。
「ったく! あたしの回りはこんなんばっかりだな!」
ヤケクソ気味に叫びながら舞奈は横に跳ぶ。
ピンク色のジャケットの残像を巨大な蜘蛛の脚が斬り裂く。
そんな様子を木陰に隠れたレインや梢が「ギャー!」みたいな目で見やる。
彼女らは魔獣と言う言葉がもたらす畏怖に飲まれていた。
「バッカリ……」
「そりゃイエティやあたしじゃ勝てないよね……」
後方でイエティが、側で蜘蛛の猛攻を避けながらファイヤーボールが苦笑する。
前回の決戦では辛くも明日香とディフェンダーズに敗れたイエティ。
だが氷の巨人は決して弱い訳ではない。
そもそも明日香と組むまでディフェンダーズはイエティを倒したことはなかった。
なるほど魔獣なんて出鱈目な存在を除外すれば巨大なイエティはほぼ無敵だし、ディフェンダーロボで対抗するのが精いっぱいだっただろう。
舞奈や明日香が普段から戦っている敵が無茶過ぎるのだ。
「……で、なんでブラボーちゃんが魔獣なんかになってるんだよ?」
「知らないわよ! また性質の悪い魔道具の欠片でも食べたんでしょ?」
「んなもんがゴロゴロそこらに転がっててたまるか!」
再びヤケクソに叫びながら蜘蛛の前脚ラッシュを避ける。
別に奴が魔獣だと判明したからと言って、それ以前と一撃のヤバさが変わった訳じゃない。まともに喰らえば御陀仏なのは同じだ。
そして以前に戦った魔獣マンティコアが出現した理由は、3年前にピクシオン・グッドマイトが遺した魔法の盾の欠片だ。
そんなレベルの代物が、ホイホイ落ちているとは思いたくない。
だが大きいとは言えバケツに入るサイズだった蜘蛛のブラボーちゃんは、現に目の前で魔獣になって舞奈たちに襲いかかってきている。
「新開発区! 怖っ!」
「新開発区のせいでもねぇよ!」
梢の言葉にツッコミを返す。
「まったく……」
ひとりごちつつギロチンの如く前脚を避ける舞奈の口元には、だが笑み。
少なくとも梢は、ボケをかませる程度にはショックから立ち直りつつある。
ボケ……だよな?
あるいは意図的に平常心を取り戻そうとしているのなら有り難い。
それに舞奈からすると、この状況も悪いことだけじゃない。
舞奈の経験上、魔獣は身体の何処かに魔力が凝固したコアのようなものを隠し持つ。
魔法的な身体を維持するために必要なのか都合がいいかするのだろう。
それは多くの場合、魔獣の元になった生物とは別の位置に存在する。
だからコアだけを破壊すれば、元々の蜘蛛は無事に確保できる。
その方法で、魔獣マンティコアを子猫のネコポチに戻すことができた。
3年前に魔獣ケルベロスと化した子犬は救えなかったし、自らの意思で変貌した三剣悟は救えなかったけど、魔力を暴走させた萩山光とウィアードテールは救えた。
何と言うか、こういう状況で蜘蛛の安全を気にするのも妙な話だ。
だが目的を完遂できる算段がつくとやる気が出るのも事実だ。
襲いかかってきた巨大な蜘蛛をただ粉砕するよりずっといい。
そもそも今日のハイキングの目的のひとつは、他者が大事にしている蜘蛛を見つけてあげたいと願う心優しいチャビーを喜ばせることだ。
蜘蛛が見つからないと知ってしょんぼりするチャビーを見るのは御免被りたい。
何より舞奈は昔、守れなかった人がいる。
だから今でも誰かが大切にしているものを守れないのは嫌だし、守れれば楽しい。
「で、どうするのさ? リトルウィザード!」
舞奈と並んで蜘蛛の攻撃を回避しながら、ファイヤーボールが背後に問う。
だが明日香が答える前に――
「――その前にひとつ確認したいんだが」
「何よ?」
「あんた、イエティに『乗った』ことはあるか?」
問いを返したのは舞奈だ。
隣の赤いヴィランを見やりつつ、振り下ろされた前脚を跳び退って避ける。
直後に飛んできたネバネバした何かを横に跳んで避ける。
こっちも初見の攻撃だ。
舞奈の残像を穿った白い何かは背後の巨木にベチャリと当たって周囲に広がる。
トリモチのように触るとくっつく感じだ。
「気をつけて! 敵は蜘蛛の糸を吐き出して攻撃することを覚えたみたい!」
「見りゃわかる!」
背後からの明日香の警告に怒鳴り返す。
賢いブラボーちゃんは、やはり魔獣の力を学習しつつある。
ひょっとしてこの蜘蛛、ケースの中にいるのを眺めるだけなら仕草が面白かったり興味深かったりして可愛がる気になるのかもしれないと少し思った。
だが今この状況では別だ。
勝負に時間をかけると敵はどんどん強くなり、状況は悪くなる一方だ。
そのように口元を歪める舞奈の側で、
「ちょっと待って!? あんた、何でそれを!?」
ファイヤーボールは動揺する。
その隙をついたつもりか吐き出された蜘蛛糸ボールを辛くも避ける。
彼女が驚いた理由は蜘蛛の糸ではなく、その前の舞奈の問いだ。
異能力者も超能力者も、自身が運転するヴィークルは魔法的には身体の一部。
自身の身体に作用する異能力や付与魔法を機体の能力として使用可能だ。
現にメリルは氷の巨人を『自分が操縦している人型ヴィークル』と規定することで自身の身体に宿る超能力をイエティそのものの能力のように使っている。
つまり、おそらくメリルが受け入れた相手はイエティの操縦者になれる。
そして自身の異能力や超能力を、イエティの能力として使える。
そっちの事実は海の向こうでも広く知られているのだろう。
なのでファイヤーボールもイエティと組んで、何か面白い新技でも考えていたか。
メリルもイエティの『2人乗り』の練習とかしていたのだろう。
それを見破られたと思ったのだ。
まあ、そっちの詳細も知りたくはあったが、
「できるのか。なら重畳!」
ニヤリと笑うと同時に、飛んできた蜘蛛糸ボールを2人で左右に跳んで避ける。
さらに続けざまに放たれた蜘蛛糸を、同じ数だけ飛んできた何かが受け止める。
小さな氷の塊。【氷盾】だ。
白いボールに飲みこまれた氷の盾の魔術が解除され、ネバネバは地に落ちる。
明日香が普段は多用するこの術を今回、使わなかったのは単純に殴ってくる巨大な蜘蛛を相手に使いどころはないと判断したからだろう。
だが、こういう状況でとっさに防護に使うあたりが明日香の明日香たる所以だ。
一方、難を逃れたファイヤーボールはお返しとばかりに短機関銃を掃射。
虚空からも続けざまに施術された氷の杭【氷砲】が降り注ぐ。
もちろん、どちらも牽制。
ファイヤーボールも明日香も、舞奈が何かをしようとしていると気づいたのだ。
だが今回、実は何かするのは舞奈じゃない。
「メリルちゃん! 園香とチャビーを下ろせるか? こっちを手伝ってほしい」
「セワシナイナ」
「スマン! これで最後だ!」
蜘蛛の攻撃を回避しながら背後のイエティに叫び、
「梢さん! もう1回2人を頼む! あんたも!」
「了解!」
「えっあたし?」
後ろの梢、そして側のファイヤーボールに声をかける。
改造拳銃を片手で構え、残りの大口径弾を全部ぶちこむ。
次いで弾倉を交換する。
その隙に蜘蛛が舞奈めがけてラッシュを仕掛けた隙にファイヤーボールが退く。
もちろん舞奈は苦も無くラッシュを避ける。
「時間ガ惜シイ。受ケ止メテクレ」
イエティの背中が装脚艇のハッチのように開く。
氷のコックピットから、園香とチャビーが転がり出てくる。
「おおっと」
「あっ意外にあったかい」
キャロルが園香を危なげなく受け止める。
イエティの氷のボディの中で、2人は【耐冷防御】で防護されていた。
梢も落ちてきたチャビーを危なっかしい挙動で抱きとめる。
……受け持ったのがレインだったらアウトだったかもしれない。
直後に梢が歌う。
セイズ呪術【牢固たる守護者】で大地を盛り上げて壁にする。
周囲の冷気を【冷ややかなる守護者】で操り壁を補強する。
そんな手馴れた防御陣地の構築風景を見やりながら、
「あの、わたしは何をすれば……?」
おろおろするレインに、
「可愛いレインちゃんには主役をやって欲しい。イエティに『乗って』くれ!」
「えっ!?」
「ソウイウ事カ!」
言った舞奈の意図を理解したのはレインよりメリルの方が先だった。
「トランスフォーム!」
叫ぶと同時にイエティの形が変わる。
巨体を構成する氷の塊が人の関節とは異なる位置で曲がる。
あるいは別の部分は細かく分割されて形を変え、あるいは単純に変形する。
全体としては氷の巨人のサイズ感はそのまま。4本の脚を持ち、しなやかに。
そうやって出来上がったのは巨大な氷の獣だ。
「多芸じゃないか。あの時に本気で来られたらもっと苦戦した気がするんだがな」
「……そうじゃなくて、あれから新技を考えてたのよ」
舞奈の軽口にキャロルが苦々しく答え、
「乗レ」
「ひゃっ!?」
イエティは器用にレインをくわえて背中に放り乗せる。そして――
「――行クゾ!」
巨大な氷の獣は、同じくらい巨大な蜘蛛めがけて踊りかかった。
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