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第19章 ティーチャーズ&クリーチャーズ
戦闘1 ~銃技&魔術&呪術&超能力vs巨大蜘蛛
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「キャロル!」
「気をつけて! 強い――」
――魔力が近づいてきている。
強力な【能力感知】により異変を察したメリルが叫ぶ。
同じく明日香も【魔術感知・弐式】で何者かの急接近に気づいた。
だが2人の警告が形になるより早く――
「――伏せろ!」
「!?」
「わっ!」
舞奈は側のチャビーと園香を抱えて地面を転がる。
空気の流れを読み取る鋭敏な感覚が、間近に迫った危機を告げたのだ。
一泊だけ遅れてキャロルもメリルを抱えて跳ぶ。
梢もレインを抱き寄せながら何らかの術を発動。
明日香も察知した魔力の感触を頼りに【戦術的移動】で回避する。
それほどまでに唐突だった。
まるでミサイルによる強襲だ。
だから次の瞬間、大人が登れそうなほど太くて立派な巨木を真っ二つに割いて吹き飛ばしながら、巨大な何かが着地した。
「……やれやれ、そっちから出向いてくれるなんて思わなかったぜ」
舞奈は抱えた園香とチャビーを気遣いながら身を起こす。
「大きいんなら大きいって最初から言ってよ!」
「あたしが前に見たときは、このサイズじゃなかったんだよ!」
キャロルもメリルを抱きかかえたまま一挙動で跳び起きながら叫ぶ、
舞奈も負けじと怒鳴り返す。
先ほどまで立っていた巨木の代わりに一行の前に鎮座しているのは巨大な蜘蛛だ。
極彩色の巨大な蜘蛛。
見た目は舞奈たちが探していた毒蜘蛛のブラボーちゃん。
だが、サイズは歩行屍俑に匹敵するほど。
校舎の2階か3階かという高さから、巨大な蜘蛛の、窓ガラスほど大きな8つの目が舞奈やキャロル、一行を見下ろす。
湯がいたら食えそうどころか、こちらがペロリと捕食されそうなサイズ差だ。
舞奈は蜘蛛を見上げながら舌打ちする。
数日前は大きいとはいえバケツに入るサイズだったブラボーちゃんが、こんなにビッグになった理由はわからない。
舞奈は生物教師じゃないからだ。
それでも奴が何処かから飛んできて、巨木をなぎ倒しながら着地したのはわかる。
遠くから蜘蛛の跳躍力をそのままビッグにした凄いジャンプ力で跳んできたのだ。
歩行屍俑どころか装脚艇にすらできない無茶苦茶な機動。
しかも何らかの探知手段を使って舞奈たちのいる場所を一直線に目指して。
舞奈には奴の目的もわからない。
だが戦う気なのは十分すぎるくらいわかる。
一見すると無機質に見える蜘蛛の目に、今まで戦ってきた怪異どもと、あるいは怪人やヴィランたちと同じ光を感じたから。
だから気合で先手を取られぬよう、蜘蛛を睨み返す舞奈の側に――
「――あのっ舞奈さん、チャビーちゃんを預ります」
「園香ちゃんはわたしが」
気づくとレインと梢がいた。
舞奈は思わず口元をゆるめる。
彼女たちも蜘蛛の奇襲から自分たちの身を守れたようで何より。
2人の言葉に、ふと手元を見やると園香とチャビーは眠っていた。
気絶している……というより梢が術で眠らせたのだろう。
たしかセイズには【安穏たる睡魔】と言う他者を眠りに誘う術がある。だから、
「……そういうことか」
舞奈は気づいた。
梢とレインは預言の真相を確かめるためにここに来た。
舞奈が巨大な何かと戦うという謎めいた預言の。
それに対して何らかの対策を用意していたと考えるべきだ。
……たとえレインや梢が何の考えもなく探検に来る気でいても、誰かしら支部の大人が何か考えて策を託しているはずだ。流石に。
その対策と言うのが今のこれなのだろう。
有事の際には一般人である園香とチャビーを眠らせ、自分たちで守るのだ。
レインは近接攻撃を反転させる【戦士殺し】で身を守れる。
そういった大能力や異能力は自身のそれに等しい質量の他者や物品を、装備品として能力の対象に含めることができる。
女子高生のレインなら、お子様チャビーを余裕で自分と一緒に守れる。
そして梢はセイズ呪術師だ。
園香を抱えたまま身を守ることも、なんなら舞奈たちの援護も可能だろう。
そうして舞奈は問題への対処に専念できる。だから、
「恩に着るぜ」
ニヤリと笑いながら、穏やかな寝息をたてる園香とチャビーを2人にまかせる。
幼い友人を、2人が大事に抱きかかえるのを確認する。
そして背後で断続的に聞こえる戦場の音を振り返ると、
「終わったなら! そっちも手伝いなさいよ!」
「へいへい」
罵声と同時に空気を切り裂く音。
舞奈が園香とチャビーをレインたちに託す僅かな間。
動き出した巨大な蜘蛛を明日香が牽制してくれていたのだ。
明日香は続けて真言を唱え、魔術語を唱えて複数の氷の塊を創造する。
防御の魔術【氷盾】に似て異なり鉄杭の如く鋭く尖った鋭利な氷塊。
即ち【氷砲】。
明日香の次の合図によって、巨大な魔術の氷杭が一斉に放たれる。
明日香にしては珍しい氷による攻撃は、林の木々に気を使ったか。
あるいは、ひとまず蜘蛛を傷つけないよう凍らせて動きを止める算段か。
「っていうか、おまえが瞬殺できない相手に、あたしが何できるよ?」
「思いのほか素早くて、攻撃魔法が避けられるのよ!」
「……みたいだな」
明日香をかばうように前に跳び出し身構えながら、苦笑。
数多の鋭い氷の杭を、蜘蛛は巨体に似つかぬ軽快なジャンプで跳んで避けた。
着地しながら前脚で鋭く薙ぐ。
舞奈も軽々と跳び退って避ける。
そうしながら口元を歪ませる。
風を切る音と感触でわかる。
小癪にも、この巨大な蜘蛛は下手な剣士より……良い腕をしている。
無理やりに【機関】のランクに当てはめるならAランク相当だ。
さしものの明日香の射撃が避けられるのも無理はない。
大きく素早く、腕も立つ。
厄介な相手だ。
その事実は明日香本人にもわかっているのだろう。
既に隣に明日香ははいない。
蜘蛛を相手する気になった舞奈を囮に退避済みだ。
おそらく転移の魔術【戦術的移動】によって。
まったく。
「梢さん! 銃になんかかけられるか!?」
続けざまに振るわれる蜘蛛の前脚を避けながら叫ぶ。
そうしながら腰のポウチから改造拳銃を抜く。
このサイズの蜘蛛に、普通の拳銃の大口径弾が効くとは思えない。
「付与魔法!? ちょっと待って!」
感じた気配の通りに少し離れた木陰から梢の声。
次いで周囲をセイズ呪術師の歌が満たす。
途端、手にした改造拳銃から冷たい風が吹く。
得物に氷をまとわせるセイズ呪術【凍りつく魔杖】。
銃にかければ銃弾すべてが魔弾と化すが薬室に負担をかける付与魔法。
この手のサポートを受けるための改造拳銃だ。
そして梢もまた、周囲を巨木に囲まれた林で巨大な蜘蛛と戦うための最適解は凍らせることだと判断したらしい。
なので次いで近くの木陰に明日香の気配を見つけ、
「そっちは攻撃魔法を撃ちまくってくれ! 多い方がいい!」
「オーケー!」
叫んだ途端に施術の気配。
舞奈の意図を素早く察したのだろう。
何もない中空に数発の氷の砲弾【氷砲】が出現する。
熟達した魔術師は攻撃魔法の高い威力や命中精度を少しばかり犠牲にして、術者から離れた場所を射点にして放つことができる。
それにより術者の位置を悟られずに攻撃ができる。
あるいは術者の気配を探ろうとしている敵の裏をかくこともできる。
そんな底意地の悪さが形になったような氷の杭が、蜘蛛めがけて掃射される。
巨大な蜘蛛は驚きつつも、氷の砲弾の雨を跳び退って避ける。
だが、それもフェイク。
蜘蛛が着地した一瞬の隙を狙って舞奈も撃つ。
だが……
「……外れてるんじゃないの」
「うっせぇ! あんたにだって百発百中じゃなかったろ」
キャロルの軽口に睨み返す。
蜘蛛は7本の脚で着地したのだ。
そうしながら舞奈が狙った1本の脚を振り上げ銃弾を避けていた。
厄介なことに見てから反応した。
人間離れした反射神経も、相手が蜘蛛だと思うと驚く気にすらなれない。
畜生は人間の限界を軽々と超えてくる。
一方、明日香と入れ替わりにあらわれたキャロルは変身していた。
そうしなければいけない程度の敵だと察したのだ。
炎を思わせる深紅と黒の、ピッチリしたエグイ角度のレオタード。
同じ色のブーツと手袋。
目元を隠すエッジなデザインのマスク。
今や彼女は灼熱のハイスピード・ヴィランことファイヤーボールだ。
そんなファイヤーボールと舞奈は次の瞬間、ふるわれた巨大な前脚を避ける。
舞奈は躊躇なく地を転がって。
ファイヤーボールは十八番の【加速能力】を駆使して高速の火球と化して。
何らかの手段で巨大化した蜘蛛の脚に毒があるかは不明だ。
だが当たってしまえば毒の有無など些事だろう。
このサイズの巨肢の一撃をまともに喰らえば人間の身体なんて粉微塵だ。
現に2人が残した風と熱風を裂いて振り下ろされた前脚は、背後にあった巨大な枯木を袈裟斬りに両断した。
その威力は歩行屍俑の拳に等しい。
しかも奴は巨躯によるパワーに蜘蛛の素早さを兼ね備えている。
そうなると、せっかく変身してもらったのにキャロルは手も足も出せない。
ファイヤーボールの戦術は燃え上がるほどの超スピードによる突撃。
並の人間のヒーロー相手なら反応も許さず勝てる常勝の戦術だ。
舞奈もミスター・イアソンと協力してどうにか倒すことができたほど。
だが砲弾の如く突撃も、自分と同じくらい素早く、そして巨大な相手に対しては効果が薄いどころか自殺行為だ。
ハイスピード・ヴィランの最も苦手とする相手が巨大で素早い目前の蜘蛛だ。
ギロチン刃の如く鋭く巨大な前脚ラッシュを避けつつ、舞奈は打開策を考える。
そんな一方で、
「おおぅ?」
少し離れた場所に退避していたメリルを囲むように、幾つもの氷の像が立ち並ぶ。
明日香の仕業だろう。
冷気の魔術【冷波】で大気中の水分を凍らせて創った氷像だ。
どの像もねじれた悪霊のミイラの如く酷い造形をしている。
何かの獣のつもりだろうか?
川でメリルに見せていたのもこれだろう。そりゃ幼女だって泣く。
「おおい、こんな時に何ふざけて――」
「――メリルちゃん、それを使って巨大イエティになれる?」
「おー! まかせろ!」
明日香の言葉にうなずいて、メリルが超能力を集中する。
幼女の身体が霜に覆われる。
周囲が凍りついて氷塊となる。
その冷たさは、少し離れた場所で攻防している舞奈ですら感じ取れるほど。
冷気に気づいた巨大蜘蛛が少し戸惑う気配。
だがメリルの超能力は終わらない。
氷塊はますます広がり、悪霊のミイラを飲みこんで巨大化する。
そのようにして幼女は巨大な人型をした氷のゴーレムと化す。
即ち氷の巨人、イエティ。
なるほど魔術師が召喚した魔術の氷を吸収した巨大イエティだ。
先日の決戦で、もう一組のヒーローたちを苦しめた巨大な氷のヴィラン。
そいつが今は味方としてあらわれた。
「待タセタナ! デカイ虫ケラ野郎!」
霜と冷気をまとわせた氷の巨人は地響きを立てながら蜘蛛に走り寄り、
「カチンコチンノ蜘蛛アズキバーニシテヤル!」
身を屈めて口から猛烈な吹雪を吐いた。
複数の術者が防御魔法を重ね合わせてようやく防いだ暴風と冷気の範囲攻撃。
だが自然災害の如く広範囲に広がる極寒の霜を、
「コノ野郎!? 跳ンダカ!」
蜘蛛は高くジャンプして避ける。
普通の蜘蛛サイズだった頃から教室を横断するほどの跳ジャンプ。
巨大化した脚力でそれをされると、上空への瞬間移動と変わらない。
舞奈は瞬時に直観と気配で蜘蛛の行方を察知して――
「――舞奈ちゃん! 右に撃って!」
「何だと?」
不意に梢の声。
訝しみつつも改造拳銃を片手で構え、銃口を右に向けて撃つ。
撃っただけだ。
そもそも当てる目標がない。
ターゲットである蜘蛛は上空。
周囲の空気の流れから相手の動きや弾道すら読み取る舞奈の鋭敏な感覚も、着地地点は別の方向だと告げている。
だが梢は呪術師にして県の支部の占術士だ。
舞奈の知らない何らかの情報を世界そのものから受け取っている可能性がある。
だから舞奈の判断は一瞬。
直後に蜘蛛が落ちてきた。
跳んだのと同じスピードで。
サイズに相応しい質量が、巨躯のパワーで無理やりにジャンプしたからだ。
あまりの巨体に地が揺れる。
落下地点は予想通りに撃ったのとは別の場所。だが――
「――!」
蜘蛛の脚に何かが当たった。
先ほど舞奈が撃った氷の大口径弾だろう。
それが証拠に、当たった蜘蛛の脚に霜が張る。
弾丸にこめられた呪術の冷気が、周囲の水分を取りこみながら蜘蛛の脚の一本を凍らせているのだ。
「跳弾?」
少し驚いたのは事実だ。
あてもなく撃った大口径弾は石か何かに当たって跳ね返ったのだろう。
そして偶然に蜘蛛の脚のひとつを捉えたらしい。
否、正確には『偶然』ではない。
梢が『視た』通りの結果なのだろう。
彼女は占術士だ。
あのタイミングで舞奈が撃てば跳弾すると預言によって知ったのだ。
状況分析や軌道計算ではない。
世界そのものと限定的ながら対話することにより、弾丸が跳ね返って蜘蛛に当たるという未来だけを知った。預言とはそういう技術だ。だが……
「効いてねぇじゃねぇか!」
舞奈は叫ぶ。
何故なら蜘蛛の脚は8本ある。
なので目前の巨大な蜘蛛も7本の脚で平然と舞奈に向き直る。
蜘蛛の巨大な8つの目が、自身に当てた舞奈を見やった瞬間――
「――!」
何処からともなく不可視の何かが飛来した。
明日香の斥力場の弾丸とも違う。
梢の【呪弾】。
攻撃魔法による追撃だ。
本命はこちらか?
だが小さなガンドの弾丸は大口径弾と同じく蜘蛛に傷ひとつつけられない。
蜘蛛は巨大な8つの目を舞奈からそらして梢を探し、
「しま……っ」
舞奈が反応する前に7本の脚で跳ぶ。
梢は先ほどの明日香と違い、自身の位置を悟られないような攻撃魔法の撃ち方をしていなかったのだ。
だから蜘蛛は梢が顔を出していた巨木の隣に着地。
刃のように鋭い巨大な前脚を一閃し――
――だが次の瞬間、悲痛な悲鳴をあげたのは蜘蛛だ。
「うわっ怖っ!! うわあっ怖っ!!」
正確には梢も割と恥も外見もない悲鳴をあげていた。
だが園香を抱えたまま木の側にうずくまる楓はまったくの無傷。
木も。
代わりに蜘蛛の巨大な胴体に、先ほどまではなかった横に薙がれたような傷。
「――そういうことか」
舞奈はニヤリと笑う。
梢の本当の狙いはこれだった。
蜘蛛の反撃をセイズ呪術【剣戟まつろわぬ乙女】で反転させたのだ。
レインの大能力【戦士殺し】と同様に近接攻撃を反転させる大魔法。
そいつを梢も使うことができたらしい。
現在のところ蜘蛛に当てられた唯一の打撃。
上手く使えば有効打にもなるだろう。だが、
「梢さん! すまんが補助に専念しててくれ!」
距離を離された蜘蛛めがけて走りつつ梢に叫ぶ。
レインだけでなく梢自身も【剣戟まつろわぬ乙女】で身を守ることができる。
攻防を兼ね合わせた一見すると合理的な手札だ。
だが近接攻撃を反転する大能力や大魔法がリスクのある攻撃手段なのも事実だ。
たとえば近接攻撃とはみなされない枯木を同じスピードで投げられた場合、防ぐどころかダメージを軽減することすらできない。
素早い蜘蛛との戦闘で、その判断を100%確実にするのは梢には無理だ。
しかも今の彼女は園香と運命共同体。
その事実を彼女も理解しているのだろう。だから、
「……そうします」
意外にあっさり引き下がる。
後ろでチャビーを抱きかかえたレインと合流して距離をとる。
混乱しつつも得物を逃すまいと牙を剥く蜘蛛の前にイエティが立ち塞がる。
巨大な蜘蛛と氷の巨人が睨み合う。
そんな様子を見やりながら、
「あんたの所のメリルちゃん、他人と一緒にイエティになったことってあるか?」
追いついてきていたファイヤーボールに問いかける。
「どういう……そういうことね。メリル!」
素早く理解したキャロルが呼びかけ、
「今ハ、イエティダ!」
「カメラは回ってないんだから固いこと言わないの! それより一旦、戻って」
「何ダト?」
「園香ちゃんたちと一緒に中に『入って』て。3人ならギリギリいけるっしょ? 護衛対象の安全が優先よ」
「了解シタ! フォワッ!」
イエティは煙幕代わりに特大の氷の息を吹きかける。
流石の蜘蛛もとっさに怯む。
その隙に氷の巨人は巨体に似合わぬ素早い動きで跳び退る。
次の瞬間、巨人を構成する氷が一瞬で蒸発する。
そこから膝を抱えた体勢の幼女が飛び出し、回転しながら落ちてきて、
「ただーいまっと」
着地する。
すかさずメリルは、
「バトンタッチ!」
「あっ」
イエティの時とは似ても似つかない幼い声とは裏腹に意外に強い力で、楓が抱きかかえた園香、レインが抱えたチャビーをむしり取る。
「たのーもー! さっきのを! またたのむ!」
「オーケー!」
幼女の叫びに、何処からともなく明日香の声。
園香とチャビーを抱えたメリルを囲むように、悪霊の氷像が立ち並ぶ。
悪夢のような像の造形に梢とレインが息を飲む。
まったく……。
次の瞬間、メリルと抱えた2人が白い霜に包まれた。
先ほどと同じように周囲が凍りついて氷塊となる。
氷塊は肥大化し、氷像を取りこんでさらに巨大になり、氷でできた巨人と化す。
ただし先ほどより腹が大きく手足は短い。
少しスカイフォールの騎士イワンに似た容姿だ。
ボディに中の人であるメリルの他、園香とチャビーがいるためだ。
そして今のイエティの目的は巨躯を生かした格闘戦じゃない。
強固な氷のボディで園香とチャビーを守ることだ。
代わりに身軽になった梢とレインは改めて警戒する。
レインは小ぶりな小型拳銃を両手で構える。
以前に新開発区で見た時より少しだけフォームが様になっている気がする。
側の梢の得物は拳銃サイズの軽機関銃。
友人の得物と弾倉の規格を合わせる意図でもあるのだろうか。
そんな2人を見やる舞奈の側に……
「……で、勝算はあるの?」
並んだファイヤーボールが問う。
「これから考えるところだよ。っていうか、あんたも何か考えてくれ」
「いや、そういうの柄じゃないしー」
「ったく! 惚れ惚れするくらい大人らしい態度だぜ」
舞奈は軽口を返しながら口元を歪める。
2人の前では、巨大な蜘蛛が巨大な氷の像を攻撃している。
イエティではない。
バトンタッチの隙を埋めるためにか明日香が召喚したダミーだ。
先ほどの【冷波】か、あるいは【氷壁・弐式】の応用だろうか。
悪夢の雪まつりとでも評すべき禍々しい氷像だ。
アライグマが混沌魔術か何かで変異したような冒涜的で不気味で巨大な氷のオブジェは蜘蛛のヘイトを一心に集め、ガリガリ噛まれて削られている。
破壊されるのも時間の問題だ。
そもそも明日香も、その場しのぎのつもりで出したはずだ。
そして舞奈たちが攻めあぐねているのも事実だ。
相手は常識はずれなサイズの蜘蛛。
舞奈の大口径弾が効く相手ではない。
頼みの綱の明日香の火力も巨木が乱立する林では自由に使えない。
核攻撃なんかもっての他だ。
生木はともかく枯木は可燃物なので、ファイヤーボールも燃えるほどの超スピードで走り回る訳にはいかないだろう。
そもそも蜘蛛を倒してしまっていいのかどうかすらわからない。
こんなでも元はムクロザキが飼っていた蜘蛛のブラボーちゃんだ。
逃がした本人は割と自業自得の感があるが、先生が可愛がっていた蜘蛛が捜索の甲斐なくいなくなったと知ったらチャビーが悲しむだろう。
それ以前に、手持ちのカードで本当に奴に対処できるかどうかもわからない。
奴をどうこうするには、まず奴が巨大化した理由を探る必要があるのかもしれない。
それでも蜘蛛は目前にいる。
巨大な氷像をガリガリと砕く牙は、前脚は、じきに再び舞奈たちに向けられる。
正直なところ今の僅かな攻防で被害がなかったのは幸運に味方されたからだと思う。
次の攻防でもそうだと思いこめる要素はない。
だから舞奈は油断なく身構えつつ、状況を打開する策を求めて思考を巡らせ――
「気をつけて! 強い――」
――魔力が近づいてきている。
強力な【能力感知】により異変を察したメリルが叫ぶ。
同じく明日香も【魔術感知・弐式】で何者かの急接近に気づいた。
だが2人の警告が形になるより早く――
「――伏せろ!」
「!?」
「わっ!」
舞奈は側のチャビーと園香を抱えて地面を転がる。
空気の流れを読み取る鋭敏な感覚が、間近に迫った危機を告げたのだ。
一泊だけ遅れてキャロルもメリルを抱えて跳ぶ。
梢もレインを抱き寄せながら何らかの術を発動。
明日香も察知した魔力の感触を頼りに【戦術的移動】で回避する。
それほどまでに唐突だった。
まるでミサイルによる強襲だ。
だから次の瞬間、大人が登れそうなほど太くて立派な巨木を真っ二つに割いて吹き飛ばしながら、巨大な何かが着地した。
「……やれやれ、そっちから出向いてくれるなんて思わなかったぜ」
舞奈は抱えた園香とチャビーを気遣いながら身を起こす。
「大きいんなら大きいって最初から言ってよ!」
「あたしが前に見たときは、このサイズじゃなかったんだよ!」
キャロルもメリルを抱きかかえたまま一挙動で跳び起きながら叫ぶ、
舞奈も負けじと怒鳴り返す。
先ほどまで立っていた巨木の代わりに一行の前に鎮座しているのは巨大な蜘蛛だ。
極彩色の巨大な蜘蛛。
見た目は舞奈たちが探していた毒蜘蛛のブラボーちゃん。
だが、サイズは歩行屍俑に匹敵するほど。
校舎の2階か3階かという高さから、巨大な蜘蛛の、窓ガラスほど大きな8つの目が舞奈やキャロル、一行を見下ろす。
湯がいたら食えそうどころか、こちらがペロリと捕食されそうなサイズ差だ。
舞奈は蜘蛛を見上げながら舌打ちする。
数日前は大きいとはいえバケツに入るサイズだったブラボーちゃんが、こんなにビッグになった理由はわからない。
舞奈は生物教師じゃないからだ。
それでも奴が何処かから飛んできて、巨木をなぎ倒しながら着地したのはわかる。
遠くから蜘蛛の跳躍力をそのままビッグにした凄いジャンプ力で跳んできたのだ。
歩行屍俑どころか装脚艇にすらできない無茶苦茶な機動。
しかも何らかの探知手段を使って舞奈たちのいる場所を一直線に目指して。
舞奈には奴の目的もわからない。
だが戦う気なのは十分すぎるくらいわかる。
一見すると無機質に見える蜘蛛の目に、今まで戦ってきた怪異どもと、あるいは怪人やヴィランたちと同じ光を感じたから。
だから気合で先手を取られぬよう、蜘蛛を睨み返す舞奈の側に――
「――あのっ舞奈さん、チャビーちゃんを預ります」
「園香ちゃんはわたしが」
気づくとレインと梢がいた。
舞奈は思わず口元をゆるめる。
彼女たちも蜘蛛の奇襲から自分たちの身を守れたようで何より。
2人の言葉に、ふと手元を見やると園香とチャビーは眠っていた。
気絶している……というより梢が術で眠らせたのだろう。
たしかセイズには【安穏たる睡魔】と言う他者を眠りに誘う術がある。だから、
「……そういうことか」
舞奈は気づいた。
梢とレインは預言の真相を確かめるためにここに来た。
舞奈が巨大な何かと戦うという謎めいた預言の。
それに対して何らかの対策を用意していたと考えるべきだ。
……たとえレインや梢が何の考えもなく探検に来る気でいても、誰かしら支部の大人が何か考えて策を託しているはずだ。流石に。
その対策と言うのが今のこれなのだろう。
有事の際には一般人である園香とチャビーを眠らせ、自分たちで守るのだ。
レインは近接攻撃を反転させる【戦士殺し】で身を守れる。
そういった大能力や異能力は自身のそれに等しい質量の他者や物品を、装備品として能力の対象に含めることができる。
女子高生のレインなら、お子様チャビーを余裕で自分と一緒に守れる。
そして梢はセイズ呪術師だ。
園香を抱えたまま身を守ることも、なんなら舞奈たちの援護も可能だろう。
そうして舞奈は問題への対処に専念できる。だから、
「恩に着るぜ」
ニヤリと笑いながら、穏やかな寝息をたてる園香とチャビーを2人にまかせる。
幼い友人を、2人が大事に抱きかかえるのを確認する。
そして背後で断続的に聞こえる戦場の音を振り返ると、
「終わったなら! そっちも手伝いなさいよ!」
「へいへい」
罵声と同時に空気を切り裂く音。
舞奈が園香とチャビーをレインたちに託す僅かな間。
動き出した巨大な蜘蛛を明日香が牽制してくれていたのだ。
明日香は続けて真言を唱え、魔術語を唱えて複数の氷の塊を創造する。
防御の魔術【氷盾】に似て異なり鉄杭の如く鋭く尖った鋭利な氷塊。
即ち【氷砲】。
明日香の次の合図によって、巨大な魔術の氷杭が一斉に放たれる。
明日香にしては珍しい氷による攻撃は、林の木々に気を使ったか。
あるいは、ひとまず蜘蛛を傷つけないよう凍らせて動きを止める算段か。
「っていうか、おまえが瞬殺できない相手に、あたしが何できるよ?」
「思いのほか素早くて、攻撃魔法が避けられるのよ!」
「……みたいだな」
明日香をかばうように前に跳び出し身構えながら、苦笑。
数多の鋭い氷の杭を、蜘蛛は巨体に似つかぬ軽快なジャンプで跳んで避けた。
着地しながら前脚で鋭く薙ぐ。
舞奈も軽々と跳び退って避ける。
そうしながら口元を歪ませる。
風を切る音と感触でわかる。
小癪にも、この巨大な蜘蛛は下手な剣士より……良い腕をしている。
無理やりに【機関】のランクに当てはめるならAランク相当だ。
さしものの明日香の射撃が避けられるのも無理はない。
大きく素早く、腕も立つ。
厄介な相手だ。
その事実は明日香本人にもわかっているのだろう。
既に隣に明日香ははいない。
蜘蛛を相手する気になった舞奈を囮に退避済みだ。
おそらく転移の魔術【戦術的移動】によって。
まったく。
「梢さん! 銃になんかかけられるか!?」
続けざまに振るわれる蜘蛛の前脚を避けながら叫ぶ。
そうしながら腰のポウチから改造拳銃を抜く。
このサイズの蜘蛛に、普通の拳銃の大口径弾が効くとは思えない。
「付与魔法!? ちょっと待って!」
感じた気配の通りに少し離れた木陰から梢の声。
次いで周囲をセイズ呪術師の歌が満たす。
途端、手にした改造拳銃から冷たい風が吹く。
得物に氷をまとわせるセイズ呪術【凍りつく魔杖】。
銃にかければ銃弾すべてが魔弾と化すが薬室に負担をかける付与魔法。
この手のサポートを受けるための改造拳銃だ。
そして梢もまた、周囲を巨木に囲まれた林で巨大な蜘蛛と戦うための最適解は凍らせることだと判断したらしい。
なので次いで近くの木陰に明日香の気配を見つけ、
「そっちは攻撃魔法を撃ちまくってくれ! 多い方がいい!」
「オーケー!」
叫んだ途端に施術の気配。
舞奈の意図を素早く察したのだろう。
何もない中空に数発の氷の砲弾【氷砲】が出現する。
熟達した魔術師は攻撃魔法の高い威力や命中精度を少しばかり犠牲にして、術者から離れた場所を射点にして放つことができる。
それにより術者の位置を悟られずに攻撃ができる。
あるいは術者の気配を探ろうとしている敵の裏をかくこともできる。
そんな底意地の悪さが形になったような氷の杭が、蜘蛛めがけて掃射される。
巨大な蜘蛛は驚きつつも、氷の砲弾の雨を跳び退って避ける。
だが、それもフェイク。
蜘蛛が着地した一瞬の隙を狙って舞奈も撃つ。
だが……
「……外れてるんじゃないの」
「うっせぇ! あんたにだって百発百中じゃなかったろ」
キャロルの軽口に睨み返す。
蜘蛛は7本の脚で着地したのだ。
そうしながら舞奈が狙った1本の脚を振り上げ銃弾を避けていた。
厄介なことに見てから反応した。
人間離れした反射神経も、相手が蜘蛛だと思うと驚く気にすらなれない。
畜生は人間の限界を軽々と超えてくる。
一方、明日香と入れ替わりにあらわれたキャロルは変身していた。
そうしなければいけない程度の敵だと察したのだ。
炎を思わせる深紅と黒の、ピッチリしたエグイ角度のレオタード。
同じ色のブーツと手袋。
目元を隠すエッジなデザインのマスク。
今や彼女は灼熱のハイスピード・ヴィランことファイヤーボールだ。
そんなファイヤーボールと舞奈は次の瞬間、ふるわれた巨大な前脚を避ける。
舞奈は躊躇なく地を転がって。
ファイヤーボールは十八番の【加速能力】を駆使して高速の火球と化して。
何らかの手段で巨大化した蜘蛛の脚に毒があるかは不明だ。
だが当たってしまえば毒の有無など些事だろう。
このサイズの巨肢の一撃をまともに喰らえば人間の身体なんて粉微塵だ。
現に2人が残した風と熱風を裂いて振り下ろされた前脚は、背後にあった巨大な枯木を袈裟斬りに両断した。
その威力は歩行屍俑の拳に等しい。
しかも奴は巨躯によるパワーに蜘蛛の素早さを兼ね備えている。
そうなると、せっかく変身してもらったのにキャロルは手も足も出せない。
ファイヤーボールの戦術は燃え上がるほどの超スピードによる突撃。
並の人間のヒーロー相手なら反応も許さず勝てる常勝の戦術だ。
舞奈もミスター・イアソンと協力してどうにか倒すことができたほど。
だが砲弾の如く突撃も、自分と同じくらい素早く、そして巨大な相手に対しては効果が薄いどころか自殺行為だ。
ハイスピード・ヴィランの最も苦手とする相手が巨大で素早い目前の蜘蛛だ。
ギロチン刃の如く鋭く巨大な前脚ラッシュを避けつつ、舞奈は打開策を考える。
そんな一方で、
「おおぅ?」
少し離れた場所に退避していたメリルを囲むように、幾つもの氷の像が立ち並ぶ。
明日香の仕業だろう。
冷気の魔術【冷波】で大気中の水分を凍らせて創った氷像だ。
どの像もねじれた悪霊のミイラの如く酷い造形をしている。
何かの獣のつもりだろうか?
川でメリルに見せていたのもこれだろう。そりゃ幼女だって泣く。
「おおい、こんな時に何ふざけて――」
「――メリルちゃん、それを使って巨大イエティになれる?」
「おー! まかせろ!」
明日香の言葉にうなずいて、メリルが超能力を集中する。
幼女の身体が霜に覆われる。
周囲が凍りついて氷塊となる。
その冷たさは、少し離れた場所で攻防している舞奈ですら感じ取れるほど。
冷気に気づいた巨大蜘蛛が少し戸惑う気配。
だがメリルの超能力は終わらない。
氷塊はますます広がり、悪霊のミイラを飲みこんで巨大化する。
そのようにして幼女は巨大な人型をした氷のゴーレムと化す。
即ち氷の巨人、イエティ。
なるほど魔術師が召喚した魔術の氷を吸収した巨大イエティだ。
先日の決戦で、もう一組のヒーローたちを苦しめた巨大な氷のヴィラン。
そいつが今は味方としてあらわれた。
「待タセタナ! デカイ虫ケラ野郎!」
霜と冷気をまとわせた氷の巨人は地響きを立てながら蜘蛛に走り寄り、
「カチンコチンノ蜘蛛アズキバーニシテヤル!」
身を屈めて口から猛烈な吹雪を吐いた。
複数の術者が防御魔法を重ね合わせてようやく防いだ暴風と冷気の範囲攻撃。
だが自然災害の如く広範囲に広がる極寒の霜を、
「コノ野郎!? 跳ンダカ!」
蜘蛛は高くジャンプして避ける。
普通の蜘蛛サイズだった頃から教室を横断するほどの跳ジャンプ。
巨大化した脚力でそれをされると、上空への瞬間移動と変わらない。
舞奈は瞬時に直観と気配で蜘蛛の行方を察知して――
「――舞奈ちゃん! 右に撃って!」
「何だと?」
不意に梢の声。
訝しみつつも改造拳銃を片手で構え、銃口を右に向けて撃つ。
撃っただけだ。
そもそも当てる目標がない。
ターゲットである蜘蛛は上空。
周囲の空気の流れから相手の動きや弾道すら読み取る舞奈の鋭敏な感覚も、着地地点は別の方向だと告げている。
だが梢は呪術師にして県の支部の占術士だ。
舞奈の知らない何らかの情報を世界そのものから受け取っている可能性がある。
だから舞奈の判断は一瞬。
直後に蜘蛛が落ちてきた。
跳んだのと同じスピードで。
サイズに相応しい質量が、巨躯のパワーで無理やりにジャンプしたからだ。
あまりの巨体に地が揺れる。
落下地点は予想通りに撃ったのとは別の場所。だが――
「――!」
蜘蛛の脚に何かが当たった。
先ほど舞奈が撃った氷の大口径弾だろう。
それが証拠に、当たった蜘蛛の脚に霜が張る。
弾丸にこめられた呪術の冷気が、周囲の水分を取りこみながら蜘蛛の脚の一本を凍らせているのだ。
「跳弾?」
少し驚いたのは事実だ。
あてもなく撃った大口径弾は石か何かに当たって跳ね返ったのだろう。
そして偶然に蜘蛛の脚のひとつを捉えたらしい。
否、正確には『偶然』ではない。
梢が『視た』通りの結果なのだろう。
彼女は占術士だ。
あのタイミングで舞奈が撃てば跳弾すると預言によって知ったのだ。
状況分析や軌道計算ではない。
世界そのものと限定的ながら対話することにより、弾丸が跳ね返って蜘蛛に当たるという未来だけを知った。預言とはそういう技術だ。だが……
「効いてねぇじゃねぇか!」
舞奈は叫ぶ。
何故なら蜘蛛の脚は8本ある。
なので目前の巨大な蜘蛛も7本の脚で平然と舞奈に向き直る。
蜘蛛の巨大な8つの目が、自身に当てた舞奈を見やった瞬間――
「――!」
何処からともなく不可視の何かが飛来した。
明日香の斥力場の弾丸とも違う。
梢の【呪弾】。
攻撃魔法による追撃だ。
本命はこちらか?
だが小さなガンドの弾丸は大口径弾と同じく蜘蛛に傷ひとつつけられない。
蜘蛛は巨大な8つの目を舞奈からそらして梢を探し、
「しま……っ」
舞奈が反応する前に7本の脚で跳ぶ。
梢は先ほどの明日香と違い、自身の位置を悟られないような攻撃魔法の撃ち方をしていなかったのだ。
だから蜘蛛は梢が顔を出していた巨木の隣に着地。
刃のように鋭い巨大な前脚を一閃し――
――だが次の瞬間、悲痛な悲鳴をあげたのは蜘蛛だ。
「うわっ怖っ!! うわあっ怖っ!!」
正確には梢も割と恥も外見もない悲鳴をあげていた。
だが園香を抱えたまま木の側にうずくまる楓はまったくの無傷。
木も。
代わりに蜘蛛の巨大な胴体に、先ほどまではなかった横に薙がれたような傷。
「――そういうことか」
舞奈はニヤリと笑う。
梢の本当の狙いはこれだった。
蜘蛛の反撃をセイズ呪術【剣戟まつろわぬ乙女】で反転させたのだ。
レインの大能力【戦士殺し】と同様に近接攻撃を反転させる大魔法。
そいつを梢も使うことができたらしい。
現在のところ蜘蛛に当てられた唯一の打撃。
上手く使えば有効打にもなるだろう。だが、
「梢さん! すまんが補助に専念しててくれ!」
距離を離された蜘蛛めがけて走りつつ梢に叫ぶ。
レインだけでなく梢自身も【剣戟まつろわぬ乙女】で身を守ることができる。
攻防を兼ね合わせた一見すると合理的な手札だ。
だが近接攻撃を反転する大能力や大魔法がリスクのある攻撃手段なのも事実だ。
たとえば近接攻撃とはみなされない枯木を同じスピードで投げられた場合、防ぐどころかダメージを軽減することすらできない。
素早い蜘蛛との戦闘で、その判断を100%確実にするのは梢には無理だ。
しかも今の彼女は園香と運命共同体。
その事実を彼女も理解しているのだろう。だから、
「……そうします」
意外にあっさり引き下がる。
後ろでチャビーを抱きかかえたレインと合流して距離をとる。
混乱しつつも得物を逃すまいと牙を剥く蜘蛛の前にイエティが立ち塞がる。
巨大な蜘蛛と氷の巨人が睨み合う。
そんな様子を見やりながら、
「あんたの所のメリルちゃん、他人と一緒にイエティになったことってあるか?」
追いついてきていたファイヤーボールに問いかける。
「どういう……そういうことね。メリル!」
素早く理解したキャロルが呼びかけ、
「今ハ、イエティダ!」
「カメラは回ってないんだから固いこと言わないの! それより一旦、戻って」
「何ダト?」
「園香ちゃんたちと一緒に中に『入って』て。3人ならギリギリいけるっしょ? 護衛対象の安全が優先よ」
「了解シタ! フォワッ!」
イエティは煙幕代わりに特大の氷の息を吹きかける。
流石の蜘蛛もとっさに怯む。
その隙に氷の巨人は巨体に似合わぬ素早い動きで跳び退る。
次の瞬間、巨人を構成する氷が一瞬で蒸発する。
そこから膝を抱えた体勢の幼女が飛び出し、回転しながら落ちてきて、
「ただーいまっと」
着地する。
すかさずメリルは、
「バトンタッチ!」
「あっ」
イエティの時とは似ても似つかない幼い声とは裏腹に意外に強い力で、楓が抱きかかえた園香、レインが抱えたチャビーをむしり取る。
「たのーもー! さっきのを! またたのむ!」
「オーケー!」
幼女の叫びに、何処からともなく明日香の声。
園香とチャビーを抱えたメリルを囲むように、悪霊の氷像が立ち並ぶ。
悪夢のような像の造形に梢とレインが息を飲む。
まったく……。
次の瞬間、メリルと抱えた2人が白い霜に包まれた。
先ほどと同じように周囲が凍りついて氷塊となる。
氷塊は肥大化し、氷像を取りこんでさらに巨大になり、氷でできた巨人と化す。
ただし先ほどより腹が大きく手足は短い。
少しスカイフォールの騎士イワンに似た容姿だ。
ボディに中の人であるメリルの他、園香とチャビーがいるためだ。
そして今のイエティの目的は巨躯を生かした格闘戦じゃない。
強固な氷のボディで園香とチャビーを守ることだ。
代わりに身軽になった梢とレインは改めて警戒する。
レインは小ぶりな小型拳銃を両手で構える。
以前に新開発区で見た時より少しだけフォームが様になっている気がする。
側の梢の得物は拳銃サイズの軽機関銃。
友人の得物と弾倉の規格を合わせる意図でもあるのだろうか。
そんな2人を見やる舞奈の側に……
「……で、勝算はあるの?」
並んだファイヤーボールが問う。
「これから考えるところだよ。っていうか、あんたも何か考えてくれ」
「いや、そういうの柄じゃないしー」
「ったく! 惚れ惚れするくらい大人らしい態度だぜ」
舞奈は軽口を返しながら口元を歪める。
2人の前では、巨大な蜘蛛が巨大な氷の像を攻撃している。
イエティではない。
バトンタッチの隙を埋めるためにか明日香が召喚したダミーだ。
先ほどの【冷波】か、あるいは【氷壁・弐式】の応用だろうか。
悪夢の雪まつりとでも評すべき禍々しい氷像だ。
アライグマが混沌魔術か何かで変異したような冒涜的で不気味で巨大な氷のオブジェは蜘蛛のヘイトを一心に集め、ガリガリ噛まれて削られている。
破壊されるのも時間の問題だ。
そもそも明日香も、その場しのぎのつもりで出したはずだ。
そして舞奈たちが攻めあぐねているのも事実だ。
相手は常識はずれなサイズの蜘蛛。
舞奈の大口径弾が効く相手ではない。
頼みの綱の明日香の火力も巨木が乱立する林では自由に使えない。
核攻撃なんかもっての他だ。
生木はともかく枯木は可燃物なので、ファイヤーボールも燃えるほどの超スピードで走り回る訳にはいかないだろう。
そもそも蜘蛛を倒してしまっていいのかどうかすらわからない。
こんなでも元はムクロザキが飼っていた蜘蛛のブラボーちゃんだ。
逃がした本人は割と自業自得の感があるが、先生が可愛がっていた蜘蛛が捜索の甲斐なくいなくなったと知ったらチャビーが悲しむだろう。
それ以前に、手持ちのカードで本当に奴に対処できるかどうかもわからない。
奴をどうこうするには、まず奴が巨大化した理由を探る必要があるのかもしれない。
それでも蜘蛛は目前にいる。
巨大な氷像をガリガリと砕く牙は、前脚は、じきに再び舞奈たちに向けられる。
正直なところ今の僅かな攻防で被害がなかったのは幸運に味方されたからだと思う。
次の攻防でもそうだと思いこめる要素はない。
だから舞奈は油断なく身構えつつ、状況を打開する策を求めて思考を巡らせ――
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