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第18章 黄金色の聖槍

後始末 ~あるいは語られざるもうひとつの戦い

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 ロシア黒海沿岸の一角。
 とある施設の前に突如あらわれた黄緑色のローブの女と3人の女子高生。
 対する完全武装の衛兵たちは手にしたアサルトライフルAK74を一斉に構え――

「――ちょっと!?」
「撃ってきたわ!」
 セーラー服を着こんだ女子高生――小夜子が、サチが驚く。
 響く銃声。
 容赦のない銃火の嵐。
 だが無数の小口径ライフル弾5.45×39ミリ弾は、見えざる何かに阻まれ地に落ちる。

「この施設に近づく者を生かして返すなと命じられているようですね」
 何食わぬ表情で消音ライフルヴィントレスを構え、応戦しながらソォナムが語る。
 チベットからの留学生である彼女は近隣の大国であるロシアの言葉も堪能だ。

「でも、いくら重要施設だからって、この反応は不自然なんじゃ……?」
 おびえるサチをかばうように、小夜子が問う。

「よくお気づきになられましたね」
 黄緑色の全身タイツ風ローブを着こんだ妙齢の女性が答える。
 4人を【智慧の大門マス・アーケインゲート】により一瞬にして日本からロシアに転移したのは彼女だ。
 即ちメンター・オメガ。
 ケルト魔術を極めた魔術師ウィザードにして、ディフェンダーズの影の首領。

「皆さまが相対しているような邪悪な喫煙者たちは残念ながら世界の至る所に蔓延っています。そして世界を悪い方向に変化させようと常に暗躍を続けているのです」
 小夜子の問いに答えつつ、メンター・オメガは黄緑色の両腕を大きく広げる。
 ラッパ状に広がったローブの袖が、茂る葉枝のようにさざめく。
 呪文もなく、だが確かに発動された高レベルのケルト魔術。

 ラッパ状の袖の中から無数のセミが放たれる。
 セミたちはけたたましく鳴きながら、くわえ煙草の兵士たちめがけて飛ぶ。
 混乱してばらまかれる小口径ライフル弾5.45×39ミリ弾をものともせず、ロシア軍の制服を着こんだ大柄な喫煙者どもの顔に張りつく。
 そして一斉に爆発。
 生命を創造する【生物召喚サモン・クリーチャー】と爆発する火の玉【召喚火球コンジャード・ファイアボール】の合わせ技だ。

 ヤニで歪んだ男の顔も、黄ばんだ飛沫になって飛散する。
 見慣れた日本人男性とは比べ物にならない巨漢の白人も、脂虫となって発破され飛び散る破片の色だけは国産の害畜と同じヤニ色。
 そんな様子を小夜子は消音ライフルハニーバジャーを構えながら見やる。

 安倍邸の地下でお楽しみ中だった小夜子の元に届いたクラフター姉からの依頼。
 小夜子が支部に出向いてみると、同じように呼ばれたサチとソォナム、そして依頼主であるメンター・オメガが待っていた。
 聞けば世界の行く末に関わる重要な特殊任務を手伝って欲しいとのこと。
 諜報部の占術士ディビナーが3人そろって参加と言うリスクの高い任務だが、メンター・オメガ本人が同行するということでフィクサーからも許可が出た。

 そしてオメガが長距離転移の魔術【智慧の大門マス・アーケインゲート】で跳んだ先。
 そこはロシア黒海沿岸の一角に位置する、とある施設だった。

 施設を警備する脂虫の兵士たちは問答無用で撃ってきた。
 だが雨あられと降り注ぐ小口径ライフル弾5.45×39ミリ弾は虚空で受け止められて地に落ちる。
 4人の腕に巻かれた注連縄が微かに揺れる。
 一行はサチによる不可視の障壁【護身神法ごしんしんぽう】で守られていた。
 あらかじめメンター・オメガに警告されていたのだ。

 そして反撃と共に語られた先ほどの言葉。
 小夜子もその言葉の意味に気づいた。
 この施設に詰めていたロシア兵たちは不自然なまでに全員が喫煙者だ。
 小夜子たちが過去に陥落させた国内の様々な施設と同じように、この国を蝕む害畜どもが集められているのだ。

 だから小夜子も消音ライフルハニーバジャーを構え、いつもの調子でぶっ放す。
 ソォナムは消音ライフルヴィントレスで脂虫どもを葬る。
 小夜子の亜音速弾300BLKが、ソォナムの亜音速弾9×39ミリ SP5が音もなく敵兵を射抜く。

 対して一行はサチの【護身神法ごしんしんぽう】で守られている。
 脂虫どもの小口径ライフル弾5.45×39ミリ弾は黄緑色のローブにもセーラー服にも届かない。

 そしてメンター・オメガの次なる魔術で大地が揺れる。
 爆音と衝撃と共に、舗装された路地を突き破って数匹のモンゴリアン・デス・ワームが出現し、脂虫のロシア兵どもを食い散らす。

「あれがテックちゃんが言ってた……」
 サチが納得する前で、脂虫どもは巨大なワームに目標を変えて掃射する。
 だが小口径ライフル弾5.45×39ミリ弾は魔術で召喚されたワームに傷すらつけられない。

 その隙にオメガは新たにセミを召喚する。
 セミの群は施設の壁一面に張りつく。
 そして一斉に爆発。

 成す術もなく大穴が開いた施設に、オメガは躊躇なく侵入。
 小夜子たちを招き寄せる。

 途端、通路の奥からあらわれた兵士たちが撃ってきた。
 だが先ほどと同じようにサチが【護身神法ごしんしんぽう】で防ぎ、小夜子とサチが応戦する。

「流石は極東の黄金の国の、新開発区に隣する怪異との最前線の諜報部が誇る精鋭たちです。これではこの館の主とどちらが主人なのかわからなくなってしまいますよ」
 メンター・オメガはにこやかに女子高生たちを褒め称える。
 対して小夜子は消音ライフルハニーバジャーを構えつつ、

「これなら執行部の面子で殴りこむのと同じなんじゃ……」
「諜報部の作戦は隠密行動が基本ですからね」
 兵士たちをあらわれる順番に蹴散らしながら、ソォナムと並んで苦笑する。

 表の兵士たちの排除も、施設の発破もメンター・オメガがひとりでやった。
 小夜子たちは軽く応戦しつつ、彼女の火力を間近で見物しただけだ。
 今も周囲には、何時の間にやら1ダースほどのカブトガニが這い回っている。
 オメガが召喚した歩哨だ。
 凶暴な殺人カブトガニは、駆けつけた兵士たちを片っ端から食い殺している。
 なので女子高生たちは最初にちょっと撃っただけであまり働いていない。

 だいたい裏方仕事が多いせいで普段から得物が消音ライフルヴィントレスなソォナムはともかく、小夜子は不慣れな消音ライフルハニーバジャーを持ち出してきたのだ。
 諜報部を名指しにした特殊任務だと言われたから。
 なのに正面突破。
 圧倒的な才能の前で、自分たちの努力が軽んじられてる気がして腑に落ちない。

 たぶんオメガは100%の善意で御膳立てをしているつもりなのだろう。
 彼女の周囲にいる人々の大半が彼女より格下なのは事実だ。
 それでも母親にいつまでもおしめを替えられるのが嫌な人も相応にいる。
 そう言う意味で彼女は無自覚に敵を作るタイプの人間だ。
 ネガティブ思考が高じて他者の視線と反感を買いにくい振る舞い方を強く意識している小夜子だから、それがわかる。

 あるいは小夜子の友でもある志門舞奈が、魔法や異能を持たない故に本気で物事に立ち向かわざるを得ず、そんな生き方が皆の好感や賛同を得ているのと真逆だ。

 だからオメガはスカイフォールの宮廷魔術師長を降りた。
 構成員全員が前提として正義を重んずる平和維持組織のリーダーになった。
 露出はミスター・イアソンやヒーローたちにまかせ、自身は裏方に徹している。
 おそらく失敗から自身の限界を学んで。
 そんなオメガは、

「ご指摘はごもっともなのですが、これから会う人物もこの国のVIPなんです。ノックくらいはしてあげませんと」
 小夜子とソォナムの疑問ににこやかに返す。
 良い面の皮だ。
 一見すると、小夜子の思惑にも気づいていないように思える満面の笑顔。

 確かな実力に根差した彼女の笑顔、彼女の余裕を面白く思わない人はいる。
 その感情が高じて嫉妬になり、身を崩してしまう者もいるだろう。

 小夜子は人が脂虫になり、屍虫になり、泥人間に顔と名前を奪われるプロセスを聞かされてはいない。だが過去に遭遇した事件から推測することはできる。
 人間の心は怪異と地続きだ。
 だから怪異どもは人に化けて人間社会に潜んでいられる。
 そして奴らとは本質的に相反する者――プラスの感情そのものを力の源としている小夜子たち魔道士メイジは常に奴らと敵対し、力なき民を守る砦となっている。

「そんな偉い人に、わたしたちが会いに行って大丈夫なのかしら?」
「もちろんですよサチさん。この先にいる方も日本の女子高生は大好きですから」
「……その言い方だと大丈夫に聞こえないんですが」
「ご、ご安心を! そういう意味ではありませんよ! 殿方は皆、頑張って生きている若い女の子が好きなんです」
「いや、ですから……」
 軽口を交わしつつ歩きながらもオメガはカブトガニを操って兵士をさばく。

 メンター・オメガに涼しい顔をしていられるだけの実力があるのは本当だ。
 自身の実力に驕る様な素振りも見せない。
 逆に自分のところのもうひとりのSランクのように極端に卑下することもない。
 精神的にも安定した大人なのだ。
 彼女がディフェンダーズの首領に相応しい偉大な魔術師ウィザードなのも疑う余地なき事実だ。
 特殊任務の先導者という短期的視点で見れば、これほど有り難い存在は他にない。

 だから小夜子は【捕食する火トレトルクゥア】を行使して兵士どもを焼き払う。
 魔法の気化爆発は射程が長く、カブトガニが反応するより速く敵兵を排除できる。
 それによりカブトガニのリソースが確保され、射程外からの予期せぬ狙撃や待ち伏せを防ぐことが容易になる。

 ソォナムも不意打ちを仕掛けてくる兵士を消音ライフルヴィントレスで音もなく排除する。
 結果的にサチの障壁への負担が減る。

 その様にして一行は負傷どころか消耗すらなく、ヤニ色に染まった通路を進む。
 そのような妙な安心感だけは、志門舞奈と組んでいる時と変わらない。

 そんな風に4人が進む先。
 施設の最深部に位置する秘密の執務室。
 何処か【機関】の施設に似たコンクリート造りの物々しい部屋の一角で――

――大統領、今こそ決断すべきだ

 くわえ煙草の外交官が、屈強なロシア人の男に言い募る。
 堅牢な造りの執務机にのしかかるように詰め寄る臭い下品な脂虫に、大統領と呼ばれた精悍な白人の男は冷たい視線を向けるのみ。

――米国の平和維持組織、各国の魔術結社の目は極東に向いている
――ウィルスによる世界恐慌を控えた今が好機だ
――この国は肥沃なウクライナを、我々は台湾を手にする
――互いに何の損がある?

 脂虫の外交官は、いやらしい笑みを浮かべながら言い募る。
 その様子を大統領は冷めた視線で見やり――

 ――目前で外交官の頭が爆ぜた。

 破裂した飛沫のひとつが大統領の顔を汚す。
 その色は赤くはなくヤニ色だった。

「――今日は客が多い日だな」
 屈強で長身な白人の男は、動じることなく射点を――こちらを見やる。
 一瞬前まで会話していた男を音もなく仕留めた暗殺者を恐れる素振りも見せない。
 無残に屠られた目前の下男に目をやることもない。
 腰を浮かせる様子もない。
 動けないのではもちろんなく、動く必要がないと理解している。
 ただ氷のように冷徹な視線を射手に向ける。

「我が国のヴィントレスか。使い勝手はどうかね?」
 落ち着いた声色で、流暢な日本語で問いかける。
 まるで目を向ける前からこちらの正体に気づいていたかのように。
 対して――

「――この銃は、わたしの多くの友を救ってくれました」
 ソォナムは消音ライフルヴィントレスを降ろしながら答える。
 巣黒支部の諜報部の『目』である3人の占術士ディビナーの中でも際立った穏健派である彼女の実戦経験は小夜子や、サチと比べても少ない。
 だが弛まない鍛錬と高度な探知魔法ディビネーションを駆使した暗殺の技術は本物だ。
 一国の主の御前で披露するにも遜色はない。
 そんな彼女に先ほどの外交官を見やっていたのと同じ視線を向け、

「友……か。それは結構」
 大統領は平然と答える。
 目前の、チベット人の女子高生を何食わぬ表情で見やる。
 彼女が同じ大陸の隣国の出身者であることにも動じない。
 側で別の消音ライフルハニーバジャーを携えた小夜子にも。
 あるいは2人の制服が海を挟んだ隣国のセーラー筆ある事実にも。

「だが貴様が撃ったのは外交官だ。他国の客を出会い頭に撃つのが貴国の礼儀かね?」
「では逆にお聞きしますが、貴方の国では泥を指して客と呼ぶのですか?」
 ソォナムの側にメンター・オメガが立つ。
 言いつつ黄緑色のラッパ状のローブからのびた指で、撃たれた外交官を指差す。

 頭を失い床を這う外交官の身体は汚泥と化していた。
 今やそこには形式だけは整った衣装が泥にまみれて散らばっているのみ。
 人の顔と立場を簒奪した泥人間が、ここにもいた。

「ヤニと悪徳を餌にする彼ら怪異は周囲を悪臭で害すだけでなく、人々を悪意と浅慮で害します。そして彼らに欺かれ操られた人たちもまた泥になってしまうのです」
「説教はまたにしてくれ、やはり引率は貴様だったか」
「お久しぶりですピロシキ。少しばかりお話をしにまいりました」
 知っている風の男に、メンター・オメガは笑顔で答える。
 大国の大統領を呼び捨てる様子に、小夜子とサチが少し驚く。
 だがオメガも、ピロシキと呼ばれた屈強な男も互いに動じない。
 旧知の仲なのだろう。

「この国は私の国だ。他国の魔術師ウィザードにとやかく言われる筋合いはない」
「少しばかり誤解があるようですね、閣下。私はもうスカイフォールの宮廷魔術師長ではありませんよ。世界平和にその身を挺したひとりの術者です」
「平和維持組織の影の首領か。人の世を裏から操る神にでもなったつもりか?」
 男はオメガに冷徹な視線を向ける。
 オメガもにこやかな笑みを返す。
 互いに自分のスタイルを崩すことなく、だが相手の出方を伺う大人の交渉術。

「ふふ、如何なる神も裏から世を操る事はできませんよ、ピロシキ大統領――偉大なる鋼鉄の男よ」
「何が言いたい?」
「貴方に世界を手中にする方法をお伝えするために、私はここに来ました」
「貴様の言う人ならぬ泥も、私に同じことを言ったが?」
「残念ながら彼が語った方法では世界は手に入りませんよ。如何に強力な力で屈服させようとも、被支配者は内なる他人であって貴方のものではないのです」
「貴殿は違う与太を語ろうというのか?」
「はい。そのためにこれをお持ちしました」
 言ってオメガは何かを取り出す。
 小さな薬瓶だ。

 それを全身タイツ風ローブの豊満な胸の谷間から取り出す様に、男は一瞬だけ(今そういうのいいから)みたいな冷徹とは違った意味で冷ややかな視線を向ける。
 これだけは明確に失敗だと小夜子は思った。
 だがオメガは気にせず、

「世界を危機に陥れる予定のWウィルスの対抗薬、即ちスカイフォールの預言にあるプリンセスの血肉の成れ果てです。ウィルスに対する耐性も確認済みですよ」
 にこやかな笑顔のまま薬瓶を男に差し出す。

 それが先日に行われた入浴の儀式の残り湯であると気づいた小夜子は意図的に真面目な表情を取り繕う。
 スカイフォールの預言書に記された、プリンセスの血肉の成れ果て。
 即ち蒸らした3人のプリンセスの汗の他、麗華のアレが入った特別製の聖水。
 だが語られた効用は本当だ。
 小夜子たちはその湯につかり、Wウィルスに対する耐性を得た。
 そしてウィルスが充満する新開発区に赴きヘルバッハとの戦いに勝利した。

 その事実を屈強な大統領はどこまで知っているか?
 どちらにせよ、その薬が本物だと疑っていない。
 表情こそ変わらぬものの、がっしりしていて大きいが注意深く見ていなければ気づかないほど微かに震える手で小さな薬瓶を受け取る。
 少なくとも今のところ、Wウィルスは彼にとっても毒だ。

「貢物のつもりかね?」
「この薬の成分を分析し、ワクチンとして一般的な手段で摂取できるよう改良して貴国の生産力によって量産し、周辺国に供給して欲しいのです」
「それこそ今の貴様が属する平和維持組織の領分ではないかね? あるいは米国の大統領なら喜んで飛びつくだろう。面識がないとは言わせんぞ? 女狐め」
「バーガーは実業家あがりのやり手ですが、こと医薬品に関しては彼の国では利権に阻まれて迅速な供給は不可能でしょう」
「そこで我が国に頼ろうとしたか」
 大統領は合点がいったようにうなずく。
 聞いていた小夜子も同じだ。

 なるほどWウィルスによる巣黒市の危機は脱した。
 ウィルスを利用したヘルバッハの野望も潰えた。
 だがウィルスそのものがひとつ残らず消え去った訳ではない。
 日本国内は魔術結社や神社庁の術者が張り巡らせた結界により守られている。
 だが他の国ではそうではない。
 だからオメガは対抗ウィルスを普及させ、ウィルスの影響を事実的にゼロにしようとしているのだ。

 それが弟子であるバッハの尻拭いなのか否かは小夜子にはわからない。
 あるいは弟子をヘルバッハに仕立て上げた何者かへの復讐なのかどうかも。
 だが大統領はまったく別の思考により一瞬で判断をくだす。

「我が国に何のメリットがある?」
「世界が友となることです」
「貴様が言う友とは貢物を受け取った者の事か? 訳もなく施しを受けた者は次も同じ貢物を期待する。満たされなければ敵意を抱く」
「そうでない者もいます。それこそが貴国と対等の立場で互いを高め合う友です」
「我が国にギャンブルをせよと? 戦争も同じだ」
「得られるものが違います。武力で得た下僕は貴方の寝首をかこうと隙を伺うことでしょう。ですが救いを差し伸べて得た友は昼夜を問わず貴方のために動きます」
「理想論だな」
 メンター・オメガの言葉を、大統領はにべもなくつっぱねる。

 取りつく島もない。一見すると。
 だから……

「……まったくです。では我々はこれで」
 言ってオメガは一礼する。

「ええっ帰るんですか!?」
 小夜子は、サチは驚く。
 驚くほどの引き際だ。
 いっそ何かの冗談だと思いたいくらいの。

 ソォナムだけは澄ました表情でオメガを見やる。
 そんな女子高生たちに目をやり、

「……その様子では表の部隊は全滅か。平和ボケした日本の女子供とは思えぬな」
 ピロシキも笑う。
 その表情が、彼の今までの態度と比べて少しやわらかいと思った矢先、

「貴様はチベットの仏術士だったか。……これをくれてやろう」
 言って奥のキャビネットから何かを取り出す。
 薄汚いそれを、執務机の上に据え置く。

 古びた壺だ。

 ソォナムは一礼すると、机に歩み寄って壺の蓋を開ける。
 途端にヤニの臭いが溢れ出て部屋に充満する。
 小夜子とサチはむせ返る。
 オメガと男は少しだけ顔をしかめる。

 そしてソォナムは無言のまま、壺の中に躊躇なく手を突っこむ。
 壺の中から何かが叫ぶようなくぐもった声。

 ソォナムは真言を唱える。
 途端、壺が爆ぜる。

 確か【不動散華法アチャラナーテナ・マラナ】と呼ばれる武器を爆破させる仏術だ。
 それを彼女は自分自身の掌で行使したのだろう。
 何らかの強い感情によって。

「ほう。豪胆だな」
「ありがとうございます」
 少し意外そうに、だが満足げに笑う大統領に、ソォナムは再び一礼する。

「だが私が持っていたのはこれだけだ。テロドスや他のヴィランたちを『保管』しているのは別の者だ」
「いえ、彼女に真の引導を渡せただけでも感謝しています」
「気が済んだのなら結構」
 一礼するソォナムと大統領の会話を聞いて、小夜子は察した。

 泥人間が脂虫から人の顔と立場を簒奪するプロセスを小夜子は聞かされていない。
 だが過去に遭遇した様々な事件から推測することはできる。

 ソォナムは今まさに殴山一子を完全に滅ぼしたのだ。
 そして禍川支部の仏術士であった月輪の仇を、真の意味で討った。

「では、本当にこれで失礼します」
「次はもう少し静かな来訪を頼む」
「ええ、努力します」
 屈強な男とにこやかな女は互いに底の見えない笑みを交わす。
 そして次の瞬間、メンター・オメガとその一行は消えた。
 再び詠唱も魔道具アーティファクトもなく行使された【智慧の大門マス・アーケインゲート】だ。

 大統領はしばし虚空を凝視する。

 そして元の冷徹な表情を取り戻し、直属の諜報部員を招集する。
 たちまちあらわれた兵士たちは表の惨状と床の泥だまりに困惑した様子だ。

「騒ぐな。私は無事だ。何の問題も発生していない」
 屈強な鋼鉄の男は諜報部員に鋭い眼光を向ける。
 それを男と同じくらい無骨な制服姿の男たちは直立不動で受け止める。

「指示は3つ。役立たずどもを片付けて警備体制の見直しをせよ。もっとも、この屋敷は破棄するがな」
 指示に対する答えは無言。
 元より反論など許されないのだから、了解を示す必要もない。

「そして研究機関にこの薬品を渡し、解析し量産せよと伝えよ。すぐにだ。如何なる不正も容認しない。私の『目』が見張っているとな。最後に……」
 言いつつ目前にいたひとり――くわえ煙草の顔面を鷲掴みにする。
 そして次の瞬間、爆発。

 掌で行使した【業火の打撃ウダル・アゴーニ】で直属の兵を焼き払ったのだ。
 まるで肩でも叩くように気安げに。
 あるいは先ほどのソォナムと同じように。
 だが本人も、残された諜報部員たちも動揺することはない。そして、

「モスクワからヤニ臭い人間モドキどもを駆除せよ。1匹残らずだ。征け」
 屈強な大統領は最後の指示を伝える。
 兵士たちは無言で了解の礼を返して速やかに走り去る。

 兵士たちがひとり残らずいなくなった後、ピロシキは再び笑みを浮かべる。

 執務机の片隅に積まれた資料を見やる。
 その、いちばん上に乗せられた1枚の写真。

「かの国の人間は誰もが……猛者すら赤子のように見えるな」
 ひとりごちる。

 映っていたのは、小さなツインテールをなびかせ不敵に笑うひとりの少女。
 軍も超能力サイオンも持たぬ幼子のような最強。
 だが彼女は米国の平和維持組織、各国の魔術結社の心をひとつにまとめ、魔法の国の預言で警告された国難を鎮めてしまった。

 彼の諜報部員たちは極東の島国での一件を調べ上げ、彼に報告していた。
 そして先ほど見た、同じ国の若き精鋭たちが情報の信ぴょう性を担保した。

 それは彼の認識を少しばかり変え、侵略戦争を思いとどまらせるには十分だった。
 この幼い異国の少女に、カリスマ性で負けるのは癪だと想わせる程度には。
 だから――

――彼は自国にとって、世界にとって最良の決断をしてくれますよ

――どうして、そう言い切れますか?

 魔術による長距離転移の一瞬に、あるいは支部ビルの屋上に狙い違わず着地した後の束の間のまどろみの中で、偉大なるケルト魔術師は問いに答える。

――人は施しによってのみ友となることはありません。信頼が必要です
――それも証拠を求めない母親の愛のような無条件の信頼が
――殿方は意地っ張りで、少しでも疑うとへそを曲げてしまいます

――ですが彼が貴女の信頼を裏切らないよう策を講じる必要はあったのでは?

――相手が信頼どおりに動くためのレールを敷く行為は、実は信頼ではないんです

 メンター・オメガは少しだけ遠い目をして語る。

――私はそれを、大きすぎる代償を支払って学びました
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