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第18章 黄金色の聖槍
戦闘1-6 ~カバラ&超能力vsファット・ザ・ブシドー
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新開発区の一角を、乾いた風が吹き抜ける。
見渡す限りに廃屋や廃ビルが立ち並ぶ廃墟の通りを歩きながら、
「【能力感知】に反応はないよ。こっちのルートに敵は来ないんじゃないか?」
言ってエミルがニヤリと笑う。
スレンダーな身体を覆うシャツと半ズボンが風にはためく。
だが長いツインテールの髪も同じ風にゆられて美しい金色にきらめく。
ベリアルに率いられたヴィランたちもまた、他のチームとは別ルートで新開発区の中心部へ向かって移動していた。
リンカー姉妹の妹の方ことエミル・リンカーもそのひとり。
彼女はかつて、弟のエミールと名乗っていた。
だが先日の戦闘で明日香と戦闘を繰り広げた末、自分を偽ることをやめた。
「志門舞奈たちのチームから連絡があったわ」
「あいつらとディフェンダーズの隊か」
「ええ。ファイヤーボールとイエティと交戦。両方とも撃破したそうよ」
側を歩くクラリスが、胸元の通信機から顔を上げつつ告げる。
妹の面白くなさそうな相槌とは逆に、彼女の口元に浮かぶのは安堵の笑み。
妹と同じ色のウェーブのかかった長髪と、ワンピースが風にひるがえる。
姉妹そろった華奢で色の白い頬が、姉の方だけほんのり朱に染まる。
クラリス・リンカー。
彼女もまた、舞奈との邂逅で自分自身を見つめ直すことができた少女のひとりだ。
サイキック暗殺者リンカー姉弟、あるいはリンカー姉妹。
ヴィランとして彼女らはそう呼ばれている。
姉妹ともが【精神読解】を始めとする多種の超能力を修めた超能力者だ。
同じ【魔力と精神の支配】技術に根差す【能力感知】もお手の物だ。
つまり一行の周囲、かなり広い範囲には異能力者も怪異もいない。だから、
「両者とも、ということはイエティも倒したのか。撤退ではなく」
後ろに続くサーシャが静かな口調で問いかける。
鍛え抜かれた長躯と、銀色の短髪が印象的な白人女。
実直な問いも、歓談に参加するというより事実確認の雰囲気が強い。
彼女もまた超能力によってレディ・アレクサンドラに変身するヴィランだ。
そんな同僚の言葉に構わず、
「メリルの奴、大口を叩いてたクセに捕まったのか」
「でも、ディフェンダーズの人たちも驚いたでしょうね」
エミルとクラリスが顔を見合わせて苦笑する。
メリルとは氷の巨人イエティの中から出てきた少女の名だ。
これまでディフェンダーズとの戦闘では巧みに撤退して隙を見せなかったイエティ。
だが明日香の協力によって初めて倒すことができた。
氷の巨人の正体は、なんと幼い少女だった。
「知人なのか?」
一行の先頭を歩くベリアルが問う。
小柄な身体を覆う黒いローブが砂塵にはためく。
顔全体を覆う仮面で表情は見えず、術者だから【精神読解】で心も読めない。
だが今の彼女の言葉に知的好奇心以外の疑惑や猜疑心がないと皆が知っている。
懲戒担当官ベリアル。
異能で人に仇成した怪人やヴィランを配下とし懲戒とする特殊な術者だ。
配下の役目は、もちろん別の怪人やヴィランとの戦闘。
リンカー姉妹もサーシャも、かつて戦闘に敗れ彼女の配下となった身である。
行動の自由も額のサークレットによって制限されている。
だがカバラ魔術師でもあるベリアルと相応の時間を過ごした彼女らは、自身の主が暴君ではないことを知っている。
術者――魔術師らしい知識欲にあふれ、配下を労わる心を持った高潔な人物だ。
特に強い超能力を持つが未熟なリンカー姉妹には教えを授けたりもした。
ベリアルはコーチングの才もちょっとしたものだ。
だからという訳でもないだろうが、
「まあヴィラン同士だからな。メリルは【冷却能力】の超天才なんだ」
「なるほどな」
得意げなエミルの言葉に、ベリアルはふむとうなずいてみせる。
「まさか、メリルたちも手下にするつもりか?」
「そなたは発言する前に吟味せよ。何故、我らが奴を捕らえる?」
「えっ? だってヘルバッハの手下になったんだろ?」
「だが【組合】のルールには抵触しておらぬ」
「ちぇっ……」
続く問いににべもない答えを返す。
むくれるエミルが言い返さないのはベリアルの言葉が正しいと理解しているからだ。
この界隈で有力な魔術結社【組合】の理念は市民への魔法の隠匿。術者の保護。
そしてリンカー姉妹はクイーン・ネメシスと共に、サーシャも騎士団たちの用心棒として、魔法とも異能とも関わりのなかったプリンセス――西園寺麗華を誘拐した。
それは一般市民への魔法の暴露に相当する禁忌だ。
「だがイエティはスピナーヘッドと共謀してプリンセスの誘拐を試みたそうだが」
「えっ? じゃああいつも僕らと同じじゃないか」
「あれはな……。ディフェンダーズに阻止されて未遂に終わったであろう? 西園寺麗華はいささか性格に問題があってな、彼女への情報の漏洩は数に入らん」
「どういうことだ? 特例か?」
問うたサーシャがベリアルから返ってきた答えに首を傾げ、
「端的に言うと信用がないの。誇大妄想と虚言癖があるらしいわ」
「ええ……」
クラリスの言葉に絶句する。
要するに麗華様は発言に信用がないから、見られただけならノーカンということだ。
なので拉致に失敗して物理的に証拠が残らなかったイエティは無罪放免。
そんな愉快な麗華様を、サーシャもリンカー姉妹も必死になって確保したのだ。
まったく良い面の皮である。
「あいつの周りにはロクな奴がいないな……」
エミルが苦虫を噛み潰したような表情をする。
あいつというのは、もちろん志門舞奈のことだ。
だが地味にサーシャも同じ表情な理由は、共に思い浮かべた顔が明日香だからだ。
こちらも以前に麗華を誘拐した際、明日香の歌で酷い目に遭った。
「けど、この調子なら僕たちがヘルバッハとやらのところに一番乗りだな!」
気を取りなおして調子に乗ったエミルを、
「調子に乗るでない」
「ちぇっ」
ベリアルがたしなめる。
側のクラリスとサーシャが苦笑する。
だがベリアルも、それ以上は追求しない。
エミルが先を急いでいるのは、この先に彼女らのMumがいると思っているからだ。
クラリスも態度にこそあらわさないものの、気持ちは同じだ。
それをベリアルは理解していた。
もちろん読心の手札など必要ない。
彼女らのMum――親代わりだったミリアム氏ことクイーン・ネメシスは、エミルとクラリスを残して姿を消した。
仲間だったクラフターと一緒に。
だが彼女らの性格からして子供たちを捨てて逃げた訳ではないだろう。
何らかの目的を完遂すべく、この国の何処かに潜伏しているはずだ。
あの屈強で不屈のヴィランはそういう人間だ。
その目的がヘルバッハや他のヴィランと関連しているであろうことも予想がつく。
だが今はそれより――
「――警戒せよ。我らが出迎えるべき客人のお出ましだ」
言いつつ空を見上げる。
リンカー姉妹も釣られて見やる。
サーシャは一瞬だけエミルを睨む。
幼い超能力者が会話に夢中になって【能力感知】による警戒を怠っていたからだ。
だが、すぐに皆の視線を追って空を見やる。
遠くの空から何かが飛んできていた。
何かの塊……?
いびつな人の形をした塊は凄いスピードで飛来し、たちまち一行の上空に達する。
その正体は、信じられないくらい肥え太った男だ。
縦の長さはサーシャほど、横にはリンカー姉妹を半ダース並べたほどある。
常識を超えた肉塊の如く肥満体が身に着けているのはTバックに似たまわし一丁。
手には日本刀。
顔には歌舞伎のような奇怪なペイントをしている。
「ファット・ザ・ブシドーか」
「そのようだな」
ベリアルは冷徹な声色でひとりごちる。
サーシャの相槌を背中で聞きつつ、仮面を上空の奇天烈な男に向ける。
「その通り! オデ様は魔法殺しのファット・ザ・ブシドー――」
「――知っておる」
何らかの魔術によるものであろう、高高度からの距離を無視した大声に苛立たしげに答えながら、カバラ魔術師は何食わぬ仕草でローブの右腕を天に掲げる。
脳内だけで一瞬で聖句をそらんじ、造物魔王を幻視する。
カバラ魔術はウアブ魔術から派生した魔神創造の流派である。
そして祓魔術の源となる造物魔王を創造した魔術でもある。
いわば魔神の中のSランクともいえる魔王を創造せしめた大いなる御業もまた3つの技術に大別される。
ウアブ魔術のそれと同じく強力な魔法的存在を生みだす【魔神の創造】。
創造した魔力を物品に焼きつけ、あるいは消去する【聖別と祓魔】。
そして魔力を光に転化する【光のエレメントの創造】。
それは呪術の中でも強力な光の攻撃魔法を誇る祓魔術の源流たる技術でもある。
故にその使い手が生み出すは、敵対者すべてを思うままに断罪する圧倒的な光。
次の瞬間、カバラ魔術師の掌からまばゆいレーザー光が放たれる。
カバラ魔術のひとつ【硫黄の火】。
警告もなければ容赦もない。
慣れた術ゆえ詠唱もない。
予兆もなく放たれた神罰の光に、相応の力を持つ配下たちすら畏怖する。だが――
「――ゴワスっ!?」
ファット・ザ・ブシドーはレーザー光線をギリギリで避ける。
「ちぃ、避けおるか」
(何らかの手段で攻撃を予知しておるか? ……まあ良い)
ベリアルは何食わぬ口調でひとりごち、
「戦闘に備えよ」
後ろに控えたヴィランたちに告げる。
「わたしなら僅かな間、空を飛べる。叩き落としてやることもできるが?」
「不要だ。じきに奴は地に落ちる。そこを仕留めよ」
サーシャの申し入れを毅然と断る。
長身の彼女は、自身の配下だから敵に対して交戦的なのではない。
常に正々堂々と戦いたいのだ。
それをベリアルも知っている。
だが今回だけは、彼女より先に自分自身の手でしたいことがある。
「我が攻撃魔法、神の裁きを心して見るが良い」
「よかろう。お手並み拝見といこう」
試すようなサーシャの言葉を背に更なる砲撃。
今度は矢継ぎ早に放たれる粒子ビーム【雷鳴の雹】。
カバラ魔術は祓魔術の魔力の源たる造物魔王を創造せしめた魔術でもある。
故に神とその威光を幻視し、魔力と化すことによる攻撃魔法は強力無比。
レーザーと比べて威力に劣るとされる粒子ビームすら凄まじい輝きを放つ。
祓魔師の同等の呪術とは比べ物にならないビームの砲撃だ。
防護なく人体に当たれば、少しばかり大柄だろうが一瞬で蒸発する。
そんなものをベリアルは、熟達した術者の技量をもって連射するのだ。
上空のファット・ザ・ブシドーは逃げ惑うことしかできない。
ビーム射出の異音が響き、閃光がまたたく廃墟の空を見上げながらエミルはごくりと唾をのむ。明日香との攻防を思い出したのだ。
否、仮面のカバラ魔術師の猛攻は、あの黒髪の彼女のそれすら上回る。
そして冷酷なまでに嗜虐的だ。
普段の彼女とは少し違って――
何故ならベリアルもまた数多の光を放ちながら、空ではない何処かを見ていた。
――彼女が最初にトルソと出会ったのは禍川支部に在籍するより昔のことだ。
その頃、ベリアルは他県の支部に席を置いていた。
そこで討伐すべき怪人として、若かりし彼と出会った。
当時の彼は、どうしようもなく増長したチンピラだった。
もとより腕が立ち、その上で堅牢な【装甲硬化】に目覚めたのだ
いい気になるのも無理はない。
そんな彼の鼻っ柱を、ベリアルはタイマン勝負でへし折った。
無敵のはずの彼の防護を、威力を最小限に抑えた【雷鳴の雹】で破壊したのだ。
力の差を思い知らされた彼はベリアルの配下となった。
丁度、今のヴィランたちと同じ状況だ。
ベリアルの配下となっても彼の我の強さは健在。
流石の彼女も手を焼いた。
だが、それが彼の不屈の闘志と異能力を支えていることも理解できた。
要するに彼には見こみがあった。
だからベリアルは彼を使う側、自身の知る魔法戦闘のノウハウを叩きこんだ。
見こみ通りに彼はベリアルの教えをみるみる身に着け、そして彼女を師と慕うようになっていた。
何の面子だか渋っていた銃を使うと申し出た際、彼に自身と同じ銃を与えた。
Cz75。
魔道具を設置できるレールが付いたSP-01に変える前の愛銃だ。
それを彼は笑顔で受け取った。
年季の入った拳銃を、彼はつい先日まで使っていたらしい。
そう志門舞奈から聞いた。
昔と違って思慮深い大人になっていたという彼と、だが再会は叶わなかった。
禍川支部とWウィルスをめぐる例の作戦で彼は帰らぬ人となった。
目前を飛び回るヴィランどもを率いるヘルバッハによって。
奴らが大陸から持ち出し四国の一角に散布したWウィルスによって。
「ゴワス!? ゴワス!? だがオデ様には当たらないでゴワスよ!」
小癪にもファット・ザ・ブシドーは光線を避け続ける。
挑発するように飛び回る肉塊を苛立たしげに見上げつつ、それでも集中する。
むしろ憤怒を神の怒りになぞらえイメージを補強する。そして――
「――我が前で楽しげに笑うな。不遜である」
解き放つ。
魔力はベリアルの周囲で数多の光の球となってあらわれる。
激しく輝きながら蓄えられた魔力は次の瞬間、放たれる。
光のエネルギーを収束させた莫大な魔力が無数の粒子ビームと化して撃ち上がる。
即ち【雷鳴と雹の雨】。
それでもファット・ザ・ブシドーは対空砲火を際どく避ける。
「ええい、ちょこまかと……」
仮面の下で、ベリアルは口元を歪める。
ビームの軌道を読んでいるだけではない。
奴は強力な飛行の魔道具をも所持しているのだろう。
ケルト魔術を操るヘルバッハが創造し、貸し与えたものだ。
戦闘予知の魔術【戦闘予知】は一瞬後に起きる戦闘行動の結果を示唆する。
飛行の魔術【飛翔】は慣性を無視して機動するため予測射撃も当てづらい。
対空砲火で仕留めるのは無駄が多い。
そう考えて、ふと我に返る。
思い通りにならぬ時ほど冷静になれと、くどいほどトルソに言い聞かせた。
そして背後に控える新たな配下たちにも。
だから――
「――【神破】で奴を墜とす。リンカー姉妹よ、ゲシュタルトで援護せよ」
意識して平坦な声色で告げる。
今のベリアルには新たな配下がいる。
だから今は彼女らの模範とならねばならぬ。
若く見こみのある彼女らを導くために。
この作戦が終わり、ヘルバッハが倒されれば彼女らの任期も終わる。
そして自身の手を離れた後にも勝ち残り、生きのびることができるように。
もう二度と、大事な何かを失わないために。
「そなたら2人の超能力のバランス、対象たる我が魔力とのバランスを熟考し、効率的に施術せよ」
「ええ」
「わかってるよ。何度も言われたんだから」
クラリスと、軽口を叩きながらもエミルは集中する。
ゲシュタルトとは【能力増幅】を利用して超能力を倍増させる技術だ。
超能力を高める超能力を相互に行使し、その効果を何倍にも増幅させる。
行使者同士の超能力の波長が合わないと十分な効果を発揮しない繊細な技術だ。
その技術を、姉妹は直感と絆によって会得した。
そしてベリアルの指導によって効率化した。
互いの心を、超能力をただぶつけ合うだけでなくバランスを取りながら循環させることにより魔力強化の技術は数倍の威力を発揮する。
だからベリアルのローブが吹き抜ける風より激しくはためく。
魔力と物理現象の中間的性質を持つ超能力が身体に流れこんでいるのだ。
そしてベリアル自身が紡ぐ聖句。
姉妹の絆で高められた強大な超能力を自身のイメージと重ね合わせ、カバラ魔術師は更なる強力な魔力を創造し、放出する。
そして次の瞬間――
「――ゴワス!?」
空飛ぶ肉塊が不意に浮力を失い、高度を下げる。
即ち魔法消去の魔術【神破】。
カバラ魔術が得手とする【聖別と祓魔】技術のひとつ。
それにより【飛翔】を維持していた魔道具が抵抗もなく破壊されたのだ。
みるみるうちに墜ちてきたファット・ザ・ブシドーが地面に激突する。
その様は新約聖書において、使徒ペトロが祈りによって空を飛ぶ政敵を墜落させた逸話に似ていた。だが、
「グフ!」
少し離れた場所に墜ちたファット・ザ・ブシドーは轟音と悲鳴を上げつつも、
「お……おのれ……」
埋まりこんだ瓦礫の中から平然とした表情で這い出る。
肉体そのものも何らかの別の魔道具で強化されているらしい。
そんな様子を見やって、
「ほう、丈夫だな」
サーシャが笑う。
ベリアルも……笑う。
「サーシャよ、後はまかせる。存分に打ち据えよ」
「了解した」
答えた次の瞬間、サーシャの長身がまばゆい光に包まれる。
目もくらむような魔法の光が止んだ後。
そこには銀色と青で配色されたメカニカルな騎士がいた。
長身の白人美女は超能力によって姿を変えたのだ。
即ち【機械の体】。
そして変身した彼女の名は、レディ・アレクサンドラ。
銀色の騎士は高速化の超能力【速度の力】によって地を駆ける。
「返り討ちにしてやるでゴワス!」
ファット・ザ・ブシドーは日本刀を構える。
歌舞伎のようなペイントを施された奇抜な顔の、両目が光る。
だが奴の【能力消去】程度で熟達した超能力者の超能力は消せない。
魔法殺しを名乗るなど笑止千万。だから、
「何故ならオデ様は魔法殺しの――」
「――そうか」
機械の拳が、肉塊が手にした日本刀を叩き落とす。
機械の蹴りが、たるんだ腹の肉を激しく打ち据える。
続けて打撃のラッシュ。だが……
「ゴワス! ゴワスゥッ!!」
「……効いてないのか?」
レディ・アレクサンドラは跳び退り、身構えながら口元をへの字に曲げる。
ファット・ザ・ブシドーのぜい肉まみれのボディは、蹴りや拳の威力を吸収する。
しかも、やはり何らかの手段で肉体を強化されている。
なまじ敵の技術が素人同然なだけに、身体の頑健さが異様に感じる。
(まさか志門舞奈からは、わたしがこのように見えていたのか?)
そう考えて、金属質なマスクの下の口元を不快げに歪める。
あの日、超能力で強化し、変身までした自身の攻撃を志門舞奈はすべて避けた。
半面、避ける間もなく放たれた銃弾は自身を傷つけることすらできなかった。
あの幼い最強の前で、自分は硬くて大きい木偶人形だった。
ちょうど目前の、魔道具で強化された痴れ者のように。
「手を貸したほうが良いか?」
「不要だ」
背後からかけられたベリアルの言葉をつっぱねる。
口元には不敵な笑み。
あの日、術も異能も使えぬ志門舞奈は自身と互角に戦った。
否、それ以上に。
あの動きに、魂に相対したサーシャだからこそ思う。
いつか彼女に勝ちたいと。
サーシャは何時までも木偶の立ち位置に甘んじるつもりはない。
強くなりたい。
自分自身の技を、心を鍛えて。
その為の習練もベリアルの下で積んできたつもりだ。
彼女は魔術だけでなく戦闘技術もひとかどだ。
その結果を今、見せねばならない。
だからレディ・アレクサンドラの機械の背中に光がまたたく。
肩甲骨のあたりと、肩、脚。
背で複数の【紫電の拳】を爆発させて猛スピードで敵に肉薄する。
「何度やっても同じでゴワス!」
肉塊は歌舞伎のような顔面を歪めて笑う。
虚空から新たな日本刀を取り出して構える。
「何故ならオデ様は魔法殺しの――――!!」
「――その台詞はさっき聞いた」
奴が刀を振り上げた直後、土手っ腹に拳が埋まる。
加速を威力に変えた必殺の一撃……それだけじゃない。
「Gyaaaaaaaaaaaaa!!」
肉塊は目を見開いて絶叫する。
日本刀を取り落としたのも気にしない。
その原因はレディ・アレクサンドラの拳に宿った超能力。
力場ともエネルギーとも異なる、だが激しく放出され空気を押しのける何か。
波動そのものが意思と感情を放つ、なりかけの魔法のような現象。
それを拳や得物に宿らせ、打撃と同時に叩きつける超能力。
即ち【思念の打撃】。
この術は範囲や物理/精神へのダメージを、ある程度コントロールできる。
だから物理的ダメージを切り捨て、精神力の拳として叩きつけた。
即ち物理的にのみ強靭な相手へ最も効果的な、意志力の鉄拳。
米国の超心理学とは異なり【魔力と精神の支配】技術を持たない超精神工学による精神攻撃の手札。
もちろん範囲も最小。外すつもりも毛頭なかったからだ。
志門舞奈はこの精神への打撃に耐えた。
だが肉塊には無理だった。
しかもレディ・アレクサンドラの攻勢は終わらない。
拳を引いて身構えた機械の騎士の拳に、新たな超能力が宿る。
まばゆく激しい稲妻は必殺の【紫電の打撃】。
それを肉塊は避けることも、魔道具で防ぐこともできなかった。
先ほどと同じ土手っ腹に、落雷のような拳が埋まる。
高圧電流に焼かれ、神経をズタズタにされた肉塊がその場に崩れ落ちる。
それっきりファット・ザ・ブシドーは動かなかった。
「そういう戦い方なら、僕らにまかせてくれればいいじゃないか」
背後でエミルが口を尖らせる。
その側でクラリスが苦笑する。
「こ奴の始末を命じられたのはおまえたちじゃない。わたしだ」
言いつつレディ・アレクサンドラの口元に清々しい笑みが浮かぶ。
やり遂げた人間の表情が、そこにはあった。
……だがベリアルは笑わない。
「まだ終わってはおらんようだ」
「何だと?」
「えっ?」
「どういうこと……?」
レディ・アレクサンドラは、エミルは、クラリスは釣られて仮面の視線を追い……
「……冗談……だよな?」
エミルが呆然とひとりごちる。
廃ビルが立ち並ぶ廃墟のさらに上。
上空をWウィルスの黒い雲に閉ざされた陰気な空。
その向こうに浮かんだ数多の黒い影が、猛スピードで近づいてきた……
見渡す限りに廃屋や廃ビルが立ち並ぶ廃墟の通りを歩きながら、
「【能力感知】に反応はないよ。こっちのルートに敵は来ないんじゃないか?」
言ってエミルがニヤリと笑う。
スレンダーな身体を覆うシャツと半ズボンが風にはためく。
だが長いツインテールの髪も同じ風にゆられて美しい金色にきらめく。
ベリアルに率いられたヴィランたちもまた、他のチームとは別ルートで新開発区の中心部へ向かって移動していた。
リンカー姉妹の妹の方ことエミル・リンカーもそのひとり。
彼女はかつて、弟のエミールと名乗っていた。
だが先日の戦闘で明日香と戦闘を繰り広げた末、自分を偽ることをやめた。
「志門舞奈たちのチームから連絡があったわ」
「あいつらとディフェンダーズの隊か」
「ええ。ファイヤーボールとイエティと交戦。両方とも撃破したそうよ」
側を歩くクラリスが、胸元の通信機から顔を上げつつ告げる。
妹の面白くなさそうな相槌とは逆に、彼女の口元に浮かぶのは安堵の笑み。
妹と同じ色のウェーブのかかった長髪と、ワンピースが風にひるがえる。
姉妹そろった華奢で色の白い頬が、姉の方だけほんのり朱に染まる。
クラリス・リンカー。
彼女もまた、舞奈との邂逅で自分自身を見つめ直すことができた少女のひとりだ。
サイキック暗殺者リンカー姉弟、あるいはリンカー姉妹。
ヴィランとして彼女らはそう呼ばれている。
姉妹ともが【精神読解】を始めとする多種の超能力を修めた超能力者だ。
同じ【魔力と精神の支配】技術に根差す【能力感知】もお手の物だ。
つまり一行の周囲、かなり広い範囲には異能力者も怪異もいない。だから、
「両者とも、ということはイエティも倒したのか。撤退ではなく」
後ろに続くサーシャが静かな口調で問いかける。
鍛え抜かれた長躯と、銀色の短髪が印象的な白人女。
実直な問いも、歓談に参加するというより事実確認の雰囲気が強い。
彼女もまた超能力によってレディ・アレクサンドラに変身するヴィランだ。
そんな同僚の言葉に構わず、
「メリルの奴、大口を叩いてたクセに捕まったのか」
「でも、ディフェンダーズの人たちも驚いたでしょうね」
エミルとクラリスが顔を見合わせて苦笑する。
メリルとは氷の巨人イエティの中から出てきた少女の名だ。
これまでディフェンダーズとの戦闘では巧みに撤退して隙を見せなかったイエティ。
だが明日香の協力によって初めて倒すことができた。
氷の巨人の正体は、なんと幼い少女だった。
「知人なのか?」
一行の先頭を歩くベリアルが問う。
小柄な身体を覆う黒いローブが砂塵にはためく。
顔全体を覆う仮面で表情は見えず、術者だから【精神読解】で心も読めない。
だが今の彼女の言葉に知的好奇心以外の疑惑や猜疑心がないと皆が知っている。
懲戒担当官ベリアル。
異能で人に仇成した怪人やヴィランを配下とし懲戒とする特殊な術者だ。
配下の役目は、もちろん別の怪人やヴィランとの戦闘。
リンカー姉妹もサーシャも、かつて戦闘に敗れ彼女の配下となった身である。
行動の自由も額のサークレットによって制限されている。
だがカバラ魔術師でもあるベリアルと相応の時間を過ごした彼女らは、自身の主が暴君ではないことを知っている。
術者――魔術師らしい知識欲にあふれ、配下を労わる心を持った高潔な人物だ。
特に強い超能力を持つが未熟なリンカー姉妹には教えを授けたりもした。
ベリアルはコーチングの才もちょっとしたものだ。
だからという訳でもないだろうが、
「まあヴィラン同士だからな。メリルは【冷却能力】の超天才なんだ」
「なるほどな」
得意げなエミルの言葉に、ベリアルはふむとうなずいてみせる。
「まさか、メリルたちも手下にするつもりか?」
「そなたは発言する前に吟味せよ。何故、我らが奴を捕らえる?」
「えっ? だってヘルバッハの手下になったんだろ?」
「だが【組合】のルールには抵触しておらぬ」
「ちぇっ……」
続く問いににべもない答えを返す。
むくれるエミルが言い返さないのはベリアルの言葉が正しいと理解しているからだ。
この界隈で有力な魔術結社【組合】の理念は市民への魔法の隠匿。術者の保護。
そしてリンカー姉妹はクイーン・ネメシスと共に、サーシャも騎士団たちの用心棒として、魔法とも異能とも関わりのなかったプリンセス――西園寺麗華を誘拐した。
それは一般市民への魔法の暴露に相当する禁忌だ。
「だがイエティはスピナーヘッドと共謀してプリンセスの誘拐を試みたそうだが」
「えっ? じゃああいつも僕らと同じじゃないか」
「あれはな……。ディフェンダーズに阻止されて未遂に終わったであろう? 西園寺麗華はいささか性格に問題があってな、彼女への情報の漏洩は数に入らん」
「どういうことだ? 特例か?」
問うたサーシャがベリアルから返ってきた答えに首を傾げ、
「端的に言うと信用がないの。誇大妄想と虚言癖があるらしいわ」
「ええ……」
クラリスの言葉に絶句する。
要するに麗華様は発言に信用がないから、見られただけならノーカンということだ。
なので拉致に失敗して物理的に証拠が残らなかったイエティは無罪放免。
そんな愉快な麗華様を、サーシャもリンカー姉妹も必死になって確保したのだ。
まったく良い面の皮である。
「あいつの周りにはロクな奴がいないな……」
エミルが苦虫を噛み潰したような表情をする。
あいつというのは、もちろん志門舞奈のことだ。
だが地味にサーシャも同じ表情な理由は、共に思い浮かべた顔が明日香だからだ。
こちらも以前に麗華を誘拐した際、明日香の歌で酷い目に遭った。
「けど、この調子なら僕たちがヘルバッハとやらのところに一番乗りだな!」
気を取りなおして調子に乗ったエミルを、
「調子に乗るでない」
「ちぇっ」
ベリアルがたしなめる。
側のクラリスとサーシャが苦笑する。
だがベリアルも、それ以上は追求しない。
エミルが先を急いでいるのは、この先に彼女らのMumがいると思っているからだ。
クラリスも態度にこそあらわさないものの、気持ちは同じだ。
それをベリアルは理解していた。
もちろん読心の手札など必要ない。
彼女らのMum――親代わりだったミリアム氏ことクイーン・ネメシスは、エミルとクラリスを残して姿を消した。
仲間だったクラフターと一緒に。
だが彼女らの性格からして子供たちを捨てて逃げた訳ではないだろう。
何らかの目的を完遂すべく、この国の何処かに潜伏しているはずだ。
あの屈強で不屈のヴィランはそういう人間だ。
その目的がヘルバッハや他のヴィランと関連しているであろうことも予想がつく。
だが今はそれより――
「――警戒せよ。我らが出迎えるべき客人のお出ましだ」
言いつつ空を見上げる。
リンカー姉妹も釣られて見やる。
サーシャは一瞬だけエミルを睨む。
幼い超能力者が会話に夢中になって【能力感知】による警戒を怠っていたからだ。
だが、すぐに皆の視線を追って空を見やる。
遠くの空から何かが飛んできていた。
何かの塊……?
いびつな人の形をした塊は凄いスピードで飛来し、たちまち一行の上空に達する。
その正体は、信じられないくらい肥え太った男だ。
縦の長さはサーシャほど、横にはリンカー姉妹を半ダース並べたほどある。
常識を超えた肉塊の如く肥満体が身に着けているのはTバックに似たまわし一丁。
手には日本刀。
顔には歌舞伎のような奇怪なペイントをしている。
「ファット・ザ・ブシドーか」
「そのようだな」
ベリアルは冷徹な声色でひとりごちる。
サーシャの相槌を背中で聞きつつ、仮面を上空の奇天烈な男に向ける。
「その通り! オデ様は魔法殺しのファット・ザ・ブシドー――」
「――知っておる」
何らかの魔術によるものであろう、高高度からの距離を無視した大声に苛立たしげに答えながら、カバラ魔術師は何食わぬ仕草でローブの右腕を天に掲げる。
脳内だけで一瞬で聖句をそらんじ、造物魔王を幻視する。
カバラ魔術はウアブ魔術から派生した魔神創造の流派である。
そして祓魔術の源となる造物魔王を創造した魔術でもある。
いわば魔神の中のSランクともいえる魔王を創造せしめた大いなる御業もまた3つの技術に大別される。
ウアブ魔術のそれと同じく強力な魔法的存在を生みだす【魔神の創造】。
創造した魔力を物品に焼きつけ、あるいは消去する【聖別と祓魔】。
そして魔力を光に転化する【光のエレメントの創造】。
それは呪術の中でも強力な光の攻撃魔法を誇る祓魔術の源流たる技術でもある。
故にその使い手が生み出すは、敵対者すべてを思うままに断罪する圧倒的な光。
次の瞬間、カバラ魔術師の掌からまばゆいレーザー光が放たれる。
カバラ魔術のひとつ【硫黄の火】。
警告もなければ容赦もない。
慣れた術ゆえ詠唱もない。
予兆もなく放たれた神罰の光に、相応の力を持つ配下たちすら畏怖する。だが――
「――ゴワスっ!?」
ファット・ザ・ブシドーはレーザー光線をギリギリで避ける。
「ちぃ、避けおるか」
(何らかの手段で攻撃を予知しておるか? ……まあ良い)
ベリアルは何食わぬ口調でひとりごち、
「戦闘に備えよ」
後ろに控えたヴィランたちに告げる。
「わたしなら僅かな間、空を飛べる。叩き落としてやることもできるが?」
「不要だ。じきに奴は地に落ちる。そこを仕留めよ」
サーシャの申し入れを毅然と断る。
長身の彼女は、自身の配下だから敵に対して交戦的なのではない。
常に正々堂々と戦いたいのだ。
それをベリアルも知っている。
だが今回だけは、彼女より先に自分自身の手でしたいことがある。
「我が攻撃魔法、神の裁きを心して見るが良い」
「よかろう。お手並み拝見といこう」
試すようなサーシャの言葉を背に更なる砲撃。
今度は矢継ぎ早に放たれる粒子ビーム【雷鳴の雹】。
カバラ魔術は祓魔術の魔力の源たる造物魔王を創造せしめた魔術でもある。
故に神とその威光を幻視し、魔力と化すことによる攻撃魔法は強力無比。
レーザーと比べて威力に劣るとされる粒子ビームすら凄まじい輝きを放つ。
祓魔師の同等の呪術とは比べ物にならないビームの砲撃だ。
防護なく人体に当たれば、少しばかり大柄だろうが一瞬で蒸発する。
そんなものをベリアルは、熟達した術者の技量をもって連射するのだ。
上空のファット・ザ・ブシドーは逃げ惑うことしかできない。
ビーム射出の異音が響き、閃光がまたたく廃墟の空を見上げながらエミルはごくりと唾をのむ。明日香との攻防を思い出したのだ。
否、仮面のカバラ魔術師の猛攻は、あの黒髪の彼女のそれすら上回る。
そして冷酷なまでに嗜虐的だ。
普段の彼女とは少し違って――
何故ならベリアルもまた数多の光を放ちながら、空ではない何処かを見ていた。
――彼女が最初にトルソと出会ったのは禍川支部に在籍するより昔のことだ。
その頃、ベリアルは他県の支部に席を置いていた。
そこで討伐すべき怪人として、若かりし彼と出会った。
当時の彼は、どうしようもなく増長したチンピラだった。
もとより腕が立ち、その上で堅牢な【装甲硬化】に目覚めたのだ
いい気になるのも無理はない。
そんな彼の鼻っ柱を、ベリアルはタイマン勝負でへし折った。
無敵のはずの彼の防護を、威力を最小限に抑えた【雷鳴の雹】で破壊したのだ。
力の差を思い知らされた彼はベリアルの配下となった。
丁度、今のヴィランたちと同じ状況だ。
ベリアルの配下となっても彼の我の強さは健在。
流石の彼女も手を焼いた。
だが、それが彼の不屈の闘志と異能力を支えていることも理解できた。
要するに彼には見こみがあった。
だからベリアルは彼を使う側、自身の知る魔法戦闘のノウハウを叩きこんだ。
見こみ通りに彼はベリアルの教えをみるみる身に着け、そして彼女を師と慕うようになっていた。
何の面子だか渋っていた銃を使うと申し出た際、彼に自身と同じ銃を与えた。
Cz75。
魔道具を設置できるレールが付いたSP-01に変える前の愛銃だ。
それを彼は笑顔で受け取った。
年季の入った拳銃を、彼はつい先日まで使っていたらしい。
そう志門舞奈から聞いた。
昔と違って思慮深い大人になっていたという彼と、だが再会は叶わなかった。
禍川支部とWウィルスをめぐる例の作戦で彼は帰らぬ人となった。
目前を飛び回るヴィランどもを率いるヘルバッハによって。
奴らが大陸から持ち出し四国の一角に散布したWウィルスによって。
「ゴワス!? ゴワス!? だがオデ様には当たらないでゴワスよ!」
小癪にもファット・ザ・ブシドーは光線を避け続ける。
挑発するように飛び回る肉塊を苛立たしげに見上げつつ、それでも集中する。
むしろ憤怒を神の怒りになぞらえイメージを補強する。そして――
「――我が前で楽しげに笑うな。不遜である」
解き放つ。
魔力はベリアルの周囲で数多の光の球となってあらわれる。
激しく輝きながら蓄えられた魔力は次の瞬間、放たれる。
光のエネルギーを収束させた莫大な魔力が無数の粒子ビームと化して撃ち上がる。
即ち【雷鳴と雹の雨】。
それでもファット・ザ・ブシドーは対空砲火を際どく避ける。
「ええい、ちょこまかと……」
仮面の下で、ベリアルは口元を歪める。
ビームの軌道を読んでいるだけではない。
奴は強力な飛行の魔道具をも所持しているのだろう。
ケルト魔術を操るヘルバッハが創造し、貸し与えたものだ。
戦闘予知の魔術【戦闘予知】は一瞬後に起きる戦闘行動の結果を示唆する。
飛行の魔術【飛翔】は慣性を無視して機動するため予測射撃も当てづらい。
対空砲火で仕留めるのは無駄が多い。
そう考えて、ふと我に返る。
思い通りにならぬ時ほど冷静になれと、くどいほどトルソに言い聞かせた。
そして背後に控える新たな配下たちにも。
だから――
「――【神破】で奴を墜とす。リンカー姉妹よ、ゲシュタルトで援護せよ」
意識して平坦な声色で告げる。
今のベリアルには新たな配下がいる。
だから今は彼女らの模範とならねばならぬ。
若く見こみのある彼女らを導くために。
この作戦が終わり、ヘルバッハが倒されれば彼女らの任期も終わる。
そして自身の手を離れた後にも勝ち残り、生きのびることができるように。
もう二度と、大事な何かを失わないために。
「そなたら2人の超能力のバランス、対象たる我が魔力とのバランスを熟考し、効率的に施術せよ」
「ええ」
「わかってるよ。何度も言われたんだから」
クラリスと、軽口を叩きながらもエミルは集中する。
ゲシュタルトとは【能力増幅】を利用して超能力を倍増させる技術だ。
超能力を高める超能力を相互に行使し、その効果を何倍にも増幅させる。
行使者同士の超能力の波長が合わないと十分な効果を発揮しない繊細な技術だ。
その技術を、姉妹は直感と絆によって会得した。
そしてベリアルの指導によって効率化した。
互いの心を、超能力をただぶつけ合うだけでなくバランスを取りながら循環させることにより魔力強化の技術は数倍の威力を発揮する。
だからベリアルのローブが吹き抜ける風より激しくはためく。
魔力と物理現象の中間的性質を持つ超能力が身体に流れこんでいるのだ。
そしてベリアル自身が紡ぐ聖句。
姉妹の絆で高められた強大な超能力を自身のイメージと重ね合わせ、カバラ魔術師は更なる強力な魔力を創造し、放出する。
そして次の瞬間――
「――ゴワス!?」
空飛ぶ肉塊が不意に浮力を失い、高度を下げる。
即ち魔法消去の魔術【神破】。
カバラ魔術が得手とする【聖別と祓魔】技術のひとつ。
それにより【飛翔】を維持していた魔道具が抵抗もなく破壊されたのだ。
みるみるうちに墜ちてきたファット・ザ・ブシドーが地面に激突する。
その様は新約聖書において、使徒ペトロが祈りによって空を飛ぶ政敵を墜落させた逸話に似ていた。だが、
「グフ!」
少し離れた場所に墜ちたファット・ザ・ブシドーは轟音と悲鳴を上げつつも、
「お……おのれ……」
埋まりこんだ瓦礫の中から平然とした表情で這い出る。
肉体そのものも何らかの別の魔道具で強化されているらしい。
そんな様子を見やって、
「ほう、丈夫だな」
サーシャが笑う。
ベリアルも……笑う。
「サーシャよ、後はまかせる。存分に打ち据えよ」
「了解した」
答えた次の瞬間、サーシャの長身がまばゆい光に包まれる。
目もくらむような魔法の光が止んだ後。
そこには銀色と青で配色されたメカニカルな騎士がいた。
長身の白人美女は超能力によって姿を変えたのだ。
即ち【機械の体】。
そして変身した彼女の名は、レディ・アレクサンドラ。
銀色の騎士は高速化の超能力【速度の力】によって地を駆ける。
「返り討ちにしてやるでゴワス!」
ファット・ザ・ブシドーは日本刀を構える。
歌舞伎のようなペイントを施された奇抜な顔の、両目が光る。
だが奴の【能力消去】程度で熟達した超能力者の超能力は消せない。
魔法殺しを名乗るなど笑止千万。だから、
「何故ならオデ様は魔法殺しの――」
「――そうか」
機械の拳が、肉塊が手にした日本刀を叩き落とす。
機械の蹴りが、たるんだ腹の肉を激しく打ち据える。
続けて打撃のラッシュ。だが……
「ゴワス! ゴワスゥッ!!」
「……効いてないのか?」
レディ・アレクサンドラは跳び退り、身構えながら口元をへの字に曲げる。
ファット・ザ・ブシドーのぜい肉まみれのボディは、蹴りや拳の威力を吸収する。
しかも、やはり何らかの手段で肉体を強化されている。
なまじ敵の技術が素人同然なだけに、身体の頑健さが異様に感じる。
(まさか志門舞奈からは、わたしがこのように見えていたのか?)
そう考えて、金属質なマスクの下の口元を不快げに歪める。
あの日、超能力で強化し、変身までした自身の攻撃を志門舞奈はすべて避けた。
半面、避ける間もなく放たれた銃弾は自身を傷つけることすらできなかった。
あの幼い最強の前で、自分は硬くて大きい木偶人形だった。
ちょうど目前の、魔道具で強化された痴れ者のように。
「手を貸したほうが良いか?」
「不要だ」
背後からかけられたベリアルの言葉をつっぱねる。
口元には不敵な笑み。
あの日、術も異能も使えぬ志門舞奈は自身と互角に戦った。
否、それ以上に。
あの動きに、魂に相対したサーシャだからこそ思う。
いつか彼女に勝ちたいと。
サーシャは何時までも木偶の立ち位置に甘んじるつもりはない。
強くなりたい。
自分自身の技を、心を鍛えて。
その為の習練もベリアルの下で積んできたつもりだ。
彼女は魔術だけでなく戦闘技術もひとかどだ。
その結果を今、見せねばならない。
だからレディ・アレクサンドラの機械の背中に光がまたたく。
肩甲骨のあたりと、肩、脚。
背で複数の【紫電の拳】を爆発させて猛スピードで敵に肉薄する。
「何度やっても同じでゴワス!」
肉塊は歌舞伎のような顔面を歪めて笑う。
虚空から新たな日本刀を取り出して構える。
「何故ならオデ様は魔法殺しの――――!!」
「――その台詞はさっき聞いた」
奴が刀を振り上げた直後、土手っ腹に拳が埋まる。
加速を威力に変えた必殺の一撃……それだけじゃない。
「Gyaaaaaaaaaaaaa!!」
肉塊は目を見開いて絶叫する。
日本刀を取り落としたのも気にしない。
その原因はレディ・アレクサンドラの拳に宿った超能力。
力場ともエネルギーとも異なる、だが激しく放出され空気を押しのける何か。
波動そのものが意思と感情を放つ、なりかけの魔法のような現象。
それを拳や得物に宿らせ、打撃と同時に叩きつける超能力。
即ち【思念の打撃】。
この術は範囲や物理/精神へのダメージを、ある程度コントロールできる。
だから物理的ダメージを切り捨て、精神力の拳として叩きつけた。
即ち物理的にのみ強靭な相手へ最も効果的な、意志力の鉄拳。
米国の超心理学とは異なり【魔力と精神の支配】技術を持たない超精神工学による精神攻撃の手札。
もちろん範囲も最小。外すつもりも毛頭なかったからだ。
志門舞奈はこの精神への打撃に耐えた。
だが肉塊には無理だった。
しかもレディ・アレクサンドラの攻勢は終わらない。
拳を引いて身構えた機械の騎士の拳に、新たな超能力が宿る。
まばゆく激しい稲妻は必殺の【紫電の打撃】。
それを肉塊は避けることも、魔道具で防ぐこともできなかった。
先ほどと同じ土手っ腹に、落雷のような拳が埋まる。
高圧電流に焼かれ、神経をズタズタにされた肉塊がその場に崩れ落ちる。
それっきりファット・ザ・ブシドーは動かなかった。
「そういう戦い方なら、僕らにまかせてくれればいいじゃないか」
背後でエミルが口を尖らせる。
その側でクラリスが苦笑する。
「こ奴の始末を命じられたのはおまえたちじゃない。わたしだ」
言いつつレディ・アレクサンドラの口元に清々しい笑みが浮かぶ。
やり遂げた人間の表情が、そこにはあった。
……だがベリアルは笑わない。
「まだ終わってはおらんようだ」
「何だと?」
「えっ?」
「どういうこと……?」
レディ・アレクサンドラは、エミルは、クラリスは釣られて仮面の視線を追い……
「……冗談……だよな?」
エミルが呆然とひとりごちる。
廃ビルが立ち並ぶ廃墟のさらに上。
上空をWウィルスの黒い雲に閉ざされた陰気な空。
その向こうに浮かんだ数多の黒い影が、猛スピードで近づいてきた……
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