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第18章 黄金色の聖槍

2人の王女と大人たち

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 舞奈は夢を見た。
 正確には、いつかモモカの花屋で見た20年後の夢を、脳が反すうしていた。

 装脚艇ランドポッドが闊歩する文明崩壊後の未来。
 レジスタンスの一員として戦う舞奈の前に、レナは敵軍の士官としてあらわれた。

 装脚艇ランドポッドの性能は互角。 
 操縦技術は舞奈のほうが少し上。
 だがレナはルーン魔術を使うことができた。現実の彼女と同じに。

 両者は幾度となく激突した。
 だが砲火を、言葉を交わすうちに両者は和解。
 レナは敵軍を離反し、多くの同胞を失ったレジスタンスの一員となった。

 そして2人で敵の本拠地に乗りこんだ。

 舞奈と彼女以外に誰もいなくなった世界で、2人は無二のパートナーになった。
 息の合った連携で敵の幹部を倒した。

 だが彼女もまた舞奈の目の前で逝った。
 倒したと思った幹部の不意打ちから舞奈をかばい、コックピットに被弾したのだ。

 ただひとり遺された舞奈は愛機すら失いながらも敵の首領を討った。
 彼女が遺した道しるべを頼りに20年の歳月を遡る最中、舞奈は最愛のパートナーがいる世界を望んだ。叶うはずなんてないと思った。

 ……だが夢から醒めた後、園香の側に彼女がいた。

 そんな夢を見た朝も、舞奈は普段通りに登校した。
 普段通りに新開発区を踏破して検問を通り、通学路を歩き、普段通りに警備室のクレアに得物を預け、ベティと軽口を交わして初等部の校舎へ向かい、

「よう園香。今日は早いな」
 5年生のフロアで園香を見かけて声をかける。
 早朝で人気のない廊下を歩く発育の良い身体は、背中からでも見分けがつく。

「あ、マイちゃんおはよう。昨日はおつかれさま」
 園香もハーフアップにした髪を揺らせて笑顔を向け、

「ああ、おまえもな」
 言葉を返しながら笑みを交わす。

 そういえば園香とゆっくり話をしたことが最近はないことを思い出す。
 先日も陽キャのお守りのせいで、一緒に遊ぶ約束をキャンセルしたばかりだ。
 幸い途中で合流できたものの、特に良い雰囲気で話したりもなかった。だから、

「レナちゃんの調子はどうだい?」
 園香の横に並んで尻をなでつつ問いかける。
 しとやかに「もうっマイちゃんったら」と頬を赤らめる園香に笑みを返す。

 ようやく落ち着いて話せる機会に、他の女の子の話題は如何なものかと少し思う。
 だが、そのほうが直接に2人で話すより会話がはずむのも事実だ。
 何故なら舞奈は女の子が好きで、園香は誰かの世話を焼くのが好きだ。それに……

「ふふっ、レナちゃんはあの後も元気だったよ」
「だろうな」
「……でもね、少し悩んでることがあるみたい」
 園香は少し不安げな表情で語る。
 舞奈は無言で先をうながす。
 悩みの中身は察しがつくが急かさない。

 他者の内心の痛みや弱みを推し量るのは園香の十八番だ。
 だから彼女は的確に他者を労わることができる。
 けど舞奈だって、園香のことならわかる。
 彼女が皆を見ているように、舞奈も彼女を見ている。
 そんな大人しげな彼女は、

「わたしには言ってくれないんだけど、お姉さんのことだと思う」
「……だろうな」
 再び不安そうに語り始める。
 舞奈も意識して穏やかな返事を返す。
 これ以上ないくらい納得できる状況だからだ。

 レナの姉であるルーシアは、四国のとある街に留学していた。
 だが彼女が異国の友人たちと暮らしていた街はWウィルスで滅んだ。
 彼女の友人たち全員の凄惨な最期を、舞奈と明日香が確認した。
 彼らのリーダーである月輪の遺書も【組合C∴S∴C∴】経由で渡っているはずだ。

 そんな事情を、もちろん園香は知らない。
 だがレナとルーシアの様子から察してはいたのだろう。

 だから先日は街の案内にかこつけて皆で遊びに行った。
 舞奈の見たところルーシアも存分に楽しんでくれていたようだ。

 だが姉妹の悩みが根本から解決された訳ではない。
 なので今度は舞奈に力を借りたいと思ったのだろう。
 レナは舞奈に当たりがキツイが、そんなことを気にする舞奈じゃない。
 あるいは明日香が仕事で絡むようなキナ臭い事情があるのなら、舞奈の方が適任だと思ったのかもしれない。
 園香は裏の世界とは無関係な平和な世界の住人だが、お花畑じゃない。
 だから舞奈はニヤリと笑う。

「じゃあ、ちょっくら今日あたり、おまえん家にお邪魔しても構わないかな? 当番を済ませたらすぐ行くよ」
「うん、ありがとうマイちゃん」
 園香の笑顔に同じ表情を返しつつ、携帯に着信がないことを確認する。
 幸い、今日は陽子たちの護衛をする必要はなさそうだ。

「こっちこそ楽しみだよ。おまえの部屋のベッドも寂しがってるはずだしな」
 口元に笑みを浮かべたまま軽口を叩く。
 ここのところ園香の家に遊びに行っていないのも本当だ。

「ふふ、それは大丈夫かな?」
「えっ!?」
「レナちゃんがいるから」
「!?」
 園香の返事に思わず目を剥き、

「あっ、そういう意味じゃないよ。レナちゃんとはそういうことはしてないの」
 園香も慌てて言い募る。
 舞奈もかなり顔に出ていた自覚はある。
 先日に会ったファイヤービッチに「ぷぷっ! あんたも大概じゃないのさ!」と言われた気がして窓の外の虚空を睨んだ。

 ……そんな訳で放課後。
 ウサギ小屋の当番を終えた舞奈が園香の家へと急いでいると、

「よっレナちゃんじゃないか」
「あ! 志門舞奈!」
 商店街の通りでレナたちと出くわした。
 護衛は金髪の生え際の後退したゴードンと太っちょイワンの2人。
 ルーシアとも別行動らしいので、他の面子はそっちを護衛しているのだろう。
 レナ自身が腕の立つルーン魔術師だから、護衛は少数でも有事には対応できる。

「今日は姉様と一緒じゃないのか。珍しくないか?」
「そんなの、こっちの勝手でしょ!」
 軽口を叩いた途端に睨んでくる。
 けど目じりが垂れているから睨まれても可愛いなと笑っていると、

「……イワン。ゴードン。ちょっと外して」
「わかったんだナ」
「了解しましたレナ様」
 レナは不意に真面目な顔で人払いする。

 正直、園香から頼まれた相談事を尋ねるのに都合がいいと思った。
 だが先方も考えは同じだったようだ。
 なるほど彼女だって馬鹿じゃない。
 姉のことを舞奈に相談しようと思ったのだろう。
 女性関係について手癖の悪さは疑われっぱなしな舞奈だが、精神的な信頼を裏切るようなことはしていないつもりだ。
 レナが園香父から舞奈のことを聞いていたのならなおさらのこと。

 だが慇懃に一礼して背を向ける2人の騎士を見やり、舞奈はふと思い出す。

(そういや、この前、ヴィランのファイヤーボールちゃんに会ってさ!)
(どうした? いきなり)
 ゴードンにだけ【精神読解マインド・リード】で聞こえるよう心に強く念じる。

 先日に出会った、美人のファイヤーボールちゃんのこと。
 彼女の言動が映画通りのファイヤービッチだったこと。
 躍動する若々しい(舞奈からすれば熟れた大人の)身体。
 幾度もの突撃を避ける際に、焦げた空気にまぎれた十台の少女の匂い。

 けれどイイ男に飢えた彼女にそれとなくゴードン氏を紹介してみたところ、にべもなく断られてしまったこと。あーあ! 残念!

(なに勝手なことをしておるか!)
(ははっすまんすまん)
 けっこうガチ目の怒りの思念を、普段の言動に似た軽薄な思考でやりすごす。
 こういうのが先日にKAGEやイリアから聞いた、精神に対する拘束への対抗策になるのかなと思いながら……

(……その言動、おまえが疎んでる陽キャと変わらんぞ)
「な……!?」
 続く【精神感応テレパシー】にこめられたゴードンの思考に思わず硬直する。
 なまじ嘘のつけない手段なので、彼の本心だということもわかる。
 振り返った彼の目つきもだいたいそんな感じだ。

 自分が……ウィアードテールこと陽子たちの同類に思われてる!?

 不覚にも【精神檻マインド・ケージ】にかかったように、舞奈はその場に立ち尽くす、

「話があるって言ってるでしょ! なに呆けてるのよ真面目に聞く気あるの!?」
「あ、ああ……」
 レナにもガチギレされて我に返る。
 そんな舞奈をレナは睨みつけながらも、

「明日香と騎士団の他の面子は、ルーシアちゃんの護衛か?」
「ええ、そうよ」
「そっか。それがいい」
 何食わぬ口調で問いかける舞奈に、レナも何気に答える。
 思わぬ失態は何とか誤魔化せたようだ。
 だが彼女の口調は少しばかり沈んでいた。

 園香が言っていた通り。
 表情には出していないつもりだろうが、心配事があるのは一目瞭然だ。

 実のところ、例の指輪の絡みで【智慧の大門マス・アーケインゲート】の魔道具アーティファクトを作れるケルト魔術師に心当たりがないかどうかも尋ねてみたかった。
 だが、別の機会にしたほうが良さそうだと思った。

 近くに自販機を見つけてジュースを2本、買う。
 1本をレナに手渡す。
 明日香なら小洒落たカフェにでも誘うのだろう。
 だが舞奈にそこまでの手持ちはない。だから、

「ありがとう。……何これ?」
「缶ジュースだよ。見たの初めてか?」
「なんでこのジュースを選んだかって聞いてるのよ!」
「嫌なら飲むなよ。美味いんだぞ」
 軽口を叩き合いつつ、近くのベンチに腰かける。
 そうしながら自分のカツオジュースのプルタブを開ける。
 レナも隣に座って、仕方なくワカメジュースを開けつつ……

「……ねえ、ちょっと相談していい?」
 問いかける。

「カワイ子ちゃんからの相談なら何でも聞くよ」
「真面目な話をしてるのよ!」
「わかってるさ。ルーシアさんのことだろう?」
「ええ」
 軽口に目じりをつり上げ、それでも舞奈の何食わぬ口調に安堵したように押し黙る。
 口に出す言葉を考えてるんだなと見て取れるしばしの沈黙の後、

「……四国から戻って来てからずっと塞ぎこんでるのよ」
 深刻そうに語りかける。

「姉様、ああだから傍目にはわかりにくいけど」
「まあ、そりゃあそうだよな」
 いつもにこやかなルーシアの内心の悩みが傍目にはわかりにくいという意味でも。
 あの作戦のショックから、彼女が抜け出せていないという意味でも。
 口元を乾いた笑みの形に歪ませながら舞奈は答える。

 ルーシアの留学先でもあった四国の一角。
 Wウィルスが蔓延したそこで、舞奈と明日香は多くの仲間を失った。
 たどり着いた禍川支部はウィルスで全滅していた。
 彼らすべてが彼女の友だったというのなら、その喪失を推し量ることすらできない。

 舞奈と明日香は首謀者である殴山一子に代償を払わせた。
 そうすることで喪失の帳尻を無理やりに合わせられたと思う。
 だから今はもう、あの惨劇に必要以上に引きずられてはいないはずだ。たぶん。

 けどルーシアが討つべき相手はもういない。
 そもそも彼女が、そういうやりかたで心の傷を癒すことができるかもわからない。
 だから……

「……彼女自身の問題だ。外野にできることなんてないよ」
「冷たいのね。がっかりだわ」
「他にどんな答えを期待してたんだよ」
 答えにレナは冷ややかな視線を向ける。
 舞奈も少しむくれてみせる。

 だがレナも、態度とは裏腹に理解している様子だ。
 ルーシアが喪失を乗り越えられるか否かは、彼女自身が決めるしかない。
 たとえ妹であろうとも、彼女に意思を強制することはできない。
 おそらく【精神感応テレパシー】を使っても。

 だから本人以外には何もできないし、する必要もない。
 悩むだけ無駄だ。
 レナ自身のリソースだって無限じゃない。仕方がないことで悩んでも仕方がない。
 故に舞奈は言葉を続ける。

「それでも心配なら、そうやって心配しててやればいいさ」
 そいつが何より彼女の救いになる。
 ぶっきらぼうな口調と表情を作ろうとしながら、少し失敗する。
 何となく見えるところにゴードン氏がいないか周囲を見やる。

 3年前に美香や一樹を失ったあの時、たぶんスミスや張はそうしてくれていた。
 変わり者のアパートの管理人も、他の大人たちも。
 舞奈に何かを強制しなかった。
 けれど何でもない風を装って普段通りに接しながら、幼い舞奈の感情の機微に気を配ってくれていた。おまえはひとりじゃないと態度で示してくれていた。
 だから、たぶん舞奈は喪失を受け入れられた。

 今のレナにできることも、たぶん同じだ。だから、

「にしても、姉さん思いの良い妹じゃないか。仲睦まじくて何よりだ」
「うるさいわね! 当然でしょ!」
 ニヤニヤ笑いながら軽口を叩く。
 レナも少し気持ちがほぐれた様子で少しキレてみせる。途端――

「――レナちゃん、お話は済んだ?」
「あっ園ちゃん!」
 園香がやって来た。
 イワンとゴードンも一緒だ。

 正直、少し不意をつかれて驚かされた。
 ゴードンの意匠返しだろうか?

「一緒だったんだな」
「うん。お買い物につき合ってくれたんだよ」
 何食わぬ調子で笑いかける舞奈に園香も笑顔で答え、

「……ありがとう」
「いいってことよ」
 あらためて小さく笑みを返す。
 レナは姉であるルーシアを心配して落ちこんでいて、園香がそんなレナの様子に気をもんでいて、そんな状況を好転させる手伝いができたのが嬉しかった。

「そうだ。折角だから家まで送ってくよ」
 言いつつ笑みを浮かべてみせる。

 朝方の園香との約束はもう果たした。
 だが、だからここでさよならというのも少し寂しい気がする。
 というか園香の家のベッドが恋しい。
 そんな邪な思惑を察したか、レナが睨んでくる。

「……ゴードンやイワンもいるんだけど」
「本来なら明日香の奴もついてるはずだろう? 流石のあいつもルーシアさんと一緒にこっちの護衛はできないからな。代わりだよ」
 それに幸い陽キャからのオーダーもないしな。
 苦笑しつつも、園香とレナと仲間たちを連れて歩き出した。

 そして道中は何事もなく、真神邸。

「では、我々はこれで失礼します」
「失礼するんだナ」
「貴方たちも気をつけて帰るのよ!」
 ちょっと緊張感のない挨拶を交わし、2人の護衛は一礼して帰って行く。
 実質、夜半は護衛なしだ。
 レナ本人が戦えるにしても不用心じゃないかと思ったら――

「――ニャーン」
 側の塀の上を、見知らぬ猫が通り過ぎた。
 レナの護衛のつもりだろう。
 地元の……というより挙動からして普通の猫じゃない。
 幸い楓でもないようだが。

「あれ、もうちょっと自然にした方がいいんじゃないか?」
「気づいたの!?」
 言ってみたらレナは驚く。
 察するに式神か何かによる護衛か。
 まさか気づくとは思っていなかったようだが、舞奈の感覚は誤魔化せない。

「使い魔よ。メイドのマーサが、護衛のいない時だけつけてくれてるの」
「メイドも術者なのか。さっすが魔法の国」
 説明に、なるほどと頷く。
 そんな舞奈の反応に少し気をよくしたか、

「そうよ。わたしや姉様が子供の頃から仕えてくれてるの」
 レナはマーサのことを話し始める。
 口調からすると、かなり信頼しているようだ。
 舞奈にとってのスミスや張のようなものだろうか?

「いや、あんたは今でも子供だろう」
「うるさいわね! 貴女も同い年でしょ!」
「ははっ。……にしても、世話してくれる大人の女性かぁ」
「……本当に節操がないわね。最低だわ」
「うっせぇ」
 軽口を叩いたついでに、

「そういや、マーサさんの流派って何だ? ルーン魔術……じゃなさそうだが」
「ええ、ケルト魔術師よ」
(ケルト魔術師だと!?)
 問いかけた言葉への言葉に舞奈が思わず目を見開く。
 だが次の瞬間――

「――レナちゃん、何してるの? マイちゃんも上がって」
「ああ、今行く!」
 園香に呼ばれて2人は真神邸にお邪魔した。
 舞奈も彼女のメイドとやらのことを一旦、忘れることにした。
 ケルト魔術師だからという理由で事件の関与を疑っていたらキリがない。
 そもそも巣黒のもうひとりのSランクだってケルト魔術師だ。

 園香の共働きの御両親も揃って帰宅していたらしい。
 そういえばガレージには車が停まっていた。

「舞奈君、少し飲み物でも買いに行かないかね?」
「いいっすよ」
 園香父に誘われて外に出る。
 目当ては家から少し離れた場所にある自販機だ。

「レナちゃんのこと、ありがとう」
「……知ってたのか」
「娘からも相談されていたからな」
 夕暮れの通りを並んで歩きながら、何となく園香父と話す。
 さりげなく車道側を歩いているのは今日も園香父だ。

「いつも娘が君を当てにして、申し訳ないと思っている」
「気にせんでください」
「君だって、その……大変な思いをしているのに」
(……!)
 驚きを表情に出さないようにするのに苦労した。

 彼が言っているのは四国を巡る一件の事だろうか?
 あの死の街で体験した幾つもの惨事を、今は気にしていない言えば嘘になる。
 トルソのこと。バーンの、スプラの、ピアースたちのこと。
 彼らのことを引きずってはいないとは言うものの、完全に割り切って過去のことにしてしまうのは少し早いとも思っている。

 だが、あの作戦……というか【機関】の作戦について彼が知っているはずはない。
 Wウィルスのことも一般人には伏せられているはずだ。

 だが彼は園香の父親に相応しく賢明な男だ。
 あの街で舞奈の身に起きたことを、舞奈自身の言動から察することができる。
 舞奈が帰還した次の日の園香がそうだったように。
 あるいは3年前の、幼い舞奈の周囲の大人たちのように。だから……

「その……何だ、不可抗力というものは誰にでもあることだ」
「……?」
 話が繋がらずに訝しむ舞奈。

「気にしていていたのだろう。その……ほら、レナちゃんが来る少し前、君が園香の部屋に忍びこんだときに……」
「…………?」
 園香父の続く言葉に記憶を探り……。

「……ああっ!?」
 思い出した。

 たしか四国に赴く数日前、【グングニル】との共同作戦の直前だった。
 あの日、舞奈は園香との私事の最中に親父さんに踏みこまれた。
 舞奈は逃げる間際に園香の額にキスしようとした。
 だが父もさるもの。舞奈の唇をブロックしようと身を乗り出し……

「…………」
 舞奈は思わず立ち止まる。

 あの痛ましい事故のことを、舞奈はすっかり忘れていた。
 否、意図的に思い出さないようにしていた。
 ショックだったのだ。
 余裕をかまして父のまさかの行動にしてやられたという理由も少しある。
 それに、その、園香の額にキスしようとした唇で……親父さんの……髪のない……

 だが、それが図らずも四国での惨劇と同じ土俵に並んでしまうと……

「……ははっ! 気にせんでくださいよ!」
「そ、そうか。それなら良いが……」
 思わず笑う。
 園香父が呆気にとられる。

 なんというか悩みの次元が違いすぎて、どちらも真面目に考える気が失せる。
 だから素直に考えるのをやめた。
 両方。
 すると少し気持ちが楽になった。
 奇しくも先ほどレナにしたアドバイスと同じように。

 なので自販機を見つけて歩み寄ろうと思った矢先――

「――?」
 目前に見知らぬ猫が降り立った。
 先ほどレナを護衛していた猫だ。
 たしかメイドのマーサさんとやらが遣わせているのだったか。
 こっちじゃなくてレナの様子を見ててくれよと何となく見やった途端――

「――!?」
 猫は『消えた』。
 まるで魔法が消えるように。
 訝しむ舞奈の背後から、

「志門舞奈!」
 レナの声。

「どうしたよ? おまえのぶんもちゃんとジュース買って帰るよ」
 あと今度はちゃんと、おまえの好きそうな奴を選ぶよ。
 舞奈はやれやれと苦笑する。だが、

「そんなんじゃないの! マーサが……!」
「マーサさんって、レナちゃんたちの使用人の方かね?」
 息を切らした彼女の様子はただ事じゃない。
 園香父は困惑する。
 だが舞奈は気づいた。

「すんません忘れ物してたんで取って来ます! ジュース買って戻っててください!」
「あっ舞奈君! レナちゃん!」
 驚く園香父を尻目に、レナと共に走り出した。
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