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第17章 GAMING GIRL

GOOD NIGHT

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 禍川支部奪還作戦、そして殴山一子との決戦から数日後。
 舞奈と明日香は何事もなく学業に復帰していた。
 まあ、いつもの仕事の後と同じだ。

 件の作戦の参加メンバーのうち過半数が帰らぬ人となったと後に聞いた。
 その事実を、2人は自然に納得することができた。
 なにせ最強Sランクを含む舞奈たちのチームですら、当のSランクとそのパートナーを除いて全滅なのだ。

 舞奈と明日香だから生き残れた。
 そして殴山一子を倒し、四国の一角を解放することができた。
 他のチームがどうなったかなんて聞きたくもない。

 だが別に自宅で休養したからと言って、心の傷が癒えたりふっきれたりはしない。
 なので月曜日は家庭の事情で休みということになり、翌日から普通に登校だ。
 小学生ならではなタフさではある。

 それに禍川支部奪還作戦そのものは多大な犠牲を出しつつも成功裏に終わった。
 だが舞奈はあと少しだけ旅の続きをしなくちゃいけない。
 ゲーム好きな仲間から託された、最後のミッションを。

 だから午後の授業が終わった後の教室。
 帰り支度を済ませたクラスメートたちが去って行く様子を静かに見やる。

 そして自席にひとり残っていたテックの側に、無言で立つ。
 特に何をするでもなく私物のタブレットを見ていたテックが立ち上がる。
 すっきりボブカットの髪が揺れる様子と、色白で表情の薄い横顔を何となく見やる。

 彼女が揃えてくれた情報に、舞奈と明日香は今回もまた救われた。
 彼女のおかげで2人は過酷な戦場を生きのびることができた。
 元凶を討つことができたのも彼女のおかげだ。
 そんな彼女だから、帰還した舞奈がすべきことに気づいていたのだろう。

 舞奈は無言のまま、ジャケットのポケットから硬い感触を取り出す。
 手にしたメダルを一瞥する。
 彼に受け取った状態のままの、血汚れにまみれたゲームのメダル。
 なのに楽しげなゲームの図案が描かれたメダルを見やって乾いた笑みを浮かべる。

 ピアースが、ゲームのフレンドと一緒に手に入れたと言っていたメダル。
 ゲームのイベントで手に入れるとリアルで同じものが送られて来るらしい。
 それを彼は、メダルの装飾と同じくらい楽しそうな表情で話していた。
 そのフレンドというのがテックだった。

 本来なら洗って渡すべきなのだろう。
 だが、そうすることで彼の遺したものの一部がなくなってしまうのが嫌だった。

 だから、それをそのまま目前のクラスメートに手渡す。
 受け取ったテックの表情は、一見すると普段と同じ無表情。
 だが一瞬だけ息を飲んだのが舞奈にはわかる。
 もちろん血汚れが気味悪いからという理由じゃない。だから……

「……作戦で一緒だった奴がゲーマーだったんだ。そいつの形見だ。ゲームでフレンドだった……テックって奴のプレイヤーに渡してくれって言われた」
 努めて淡々と、事実だけを告げる。

 その言葉と、メダルの状態と……舞奈の表情で察したらしい。
 テックはしばらく無言のままメダルを見やる。
 大事な何かを思い出すように。
 避けようのない何かを受け入れようとするかのように。
 舞奈があの街でそうしていたように。

 だから彼女の、白い横顔を舞奈は無言で見やる。

 人気のない放課後の教室の片隅で、2人とも黙りこくったまま立ち尽くす。
 しばらくそうしていた後……

「……どんな人だった?」
 テックは普段と同じように、努めて平坦な声色で問いかける。
 その問いに、舞奈はとっさには答えられなかった。

 舞奈の脳裏を、ピアースの様々な表情がよぎる。

 フードコートで最初に出会った、あからさまに頼りなさげな彼。

 軽乗用車の中で、ふと見せた優しい表情。

 ホームセンターでの見張りの最中に思い悩んでいた彼。

 下水路で、スーパーマーケットの駐車場で必死に戦う彼。

 自室で決意を固めた彼。

 そして目的地である禍川支部ビルを目前にして、最期に見せた笑顔。

 だが細面で優しげな彼の笑顔は光の中に消える。
 何故なら舞奈は彼を守れなかった。
 だから、せめて彼の優しさを、強さを、人となりを話そうとして――

「――おまえの知ってる通りの奴だよ」
 出て来た言葉はそれだけだった。
 たったの3日、側にいただけの舞奈より、テックの方が彼のことを知っている。
 彼を想って、目前のテックを見やって、そう舞奈は気づいた。

 なぜなら、あの心優しい青年に誰かを欺く技量はない。
 舞奈と明日香が束の間、触れたものは、彼に関わったすべての人が得ていたものだ。
 そして、あの日……失われたものだ。

 だから改めて舞奈が言えることは、彼が裏表のない奴だったということだけだ。
 彼の優しさも、強さも、脆さも、テックは何日も、あるいは何年もかけて見ていた。
 ゲームの中のテックは髭面の大男だと聞いたが、彼自身がどんな姿形だったのは知らない。それでもテックとゲームのフレンドだった彼は……間違いなく彼そのものだ。

 だからテックはそれ以上を尋ねぬまま、舞奈は語らぬまま無言で窓の外を見やる。
 舞奈は空の何処かに虹を探す。
 テックは血汚れにまみれたメダルを手にしながら。
 宗教的、組織的な作法を持たない少女たちが、それでも誰かを悼もうとするように。

 そうやって再び2人で立ち尽くしていると……

「……なんだよ園香」
 不意にやわらかく、あたたかな何かに包まれた。

 背後から、園香が2人を抱きしめていた。
 いつの間にか教室に戻って来ていたらしい。

 まあ実のところ、彼女が静かに入ってくることには気づいていた。
 だが特に何もしなかった。
 こういう時に、園香がしようとすることに間違いはないと思ったから。

 園香は他者の心の痛みを敏感に察することができる。
 何の事情も知らされていなくとも、聞かされていなくとも。
 だから気づいていたのだろう。
 登校してきたホームルーム前から。
 授業中、放課や給食の間も。
 舞奈と明日香、そしてテックの様子が普段と違っていたことに。

 そして園香は他者の痛みを和らげたいと、癒したいと自然に思うことができる。
 だから彼女の抱擁は、母親のようにやさしい。
 いちおうは現実に人の親だったはずの殴山一子とは真逆に。
 だから……

「……いつもすまん」
 そう言ってテックと2人、やわらかな抱擁に身をまかせた。

 同じ頃。
 明日香は普段通りに帰り支度を終えて靴を履き替え、校舎を出る。
 途端、背後から――

「――わたくしに背を見せたのが身の不運ですわね! 安倍明日香!」
 周囲をはばからぬ無駄によく通る大声。
 言わずと知れた麗華様だ。
 相変わらず元気で悩みもなさそうで、いっそ羨ましいと明日香は思った。

 だがまあ、無理に相手する気分でもないので無視して帰路を急ぐ。
 そんな明日香が逃げたと判断したか、

「貴女が気づかぬうちに奇襲ドロップキックで息の根を――」
 麗華様の大声が走ってきた。

(気づかぬうち……!?)
 明日香は内心、ビックリ仰天。
 なにせ大声で奇襲って言いながら走ってくるのだ。
 殴山一子もビックリな訳のわからなさだ。
 まさか明日香が本気で気づいてなくて、奇襲が成立すると思っているのだろうか?
 そう考えると、自分は何だと思われているんだろうと少し気がかりにはなる。

 だが、まあ、もちろん明日香に大人しく蹴られる義理はない。
 なので避けつつ振り返り――

「――?」
 麗華はいなかった。
 これには明日香も再びビックリ。
 確かに聞き間違えようのない麗華様の大声が走ってきたはずだ。

 明日香は無駄なことが嫌いだが、訳のわからないことはもっと嫌いだ。
 なのでドロップキックを探して周囲を見渡す。
 すると麗華様の代わりに、

「明日香様ー! お手数をおかけしますー!」
「いつもすまないンすー!」
 明後日の方向から別の2人が走ってきた。
 色黒で長身なデニス。
 ぽっちゃり色白なジャネット。
 いつも麗華様といっしょの取り巻き2人だ。

 2人は明日香に挨拶しつつ、しきりに足元を気にしている様子。
 そんな彼女らの視線を追って見てみると……

「……ああ」
 地面に大の字にへばりついた麗華様の、後頭部と背中が見えた。

 どうやらけつまずいたか何かして、明日香の足元に顔面ダイブしたらしい。
 麗華様は全力で叫びながら走りながら跳び蹴りできるほど器用じゃない。
 それで気絶するほど脆弱ではないはずだが、ショックですぐに起きられないようだ。
 そんな仕草は、つぶれたカエルにちょっと見える。

 明日香は舞奈みたいに空気の流れを読んで周囲の状況を把握出来たりはしない。
 なのでドロップキックと言いながら地を這われると、とっさには気づけない。
 加えて自他ともに理性的で合理的だと認める明日香からしてみれば、麗華様もみゃー子と同じくらい意味不明だ。
 なので彼女に、どんな言葉をかけて良いやら見当もつかない。
 だから無言のまま麗華の後頭部を見下ろしていると――

「――大丈夫ですか? 明日香様」
 デニスが声をかけてきた。
 麗華ではなく明日香に。
 見やると側のジャネットも無言ながら、気遣うような視線を向けてくる。

 一見すると、無事を確認する必要があるのは足元のカエルだ。
 麗華様は白黒2人の彼女らの姉妹でもある。

 だが2人にとって、それ以上に明日香の表情が深刻そうに見えたのだろう。
 デニスは幼少期を少年兵として過ごした。
 ジャネットはロサンゼルスの貧民街で、暴力を友として生きてきた。
 明日香と舞奈の、あの3日間のように。
 同じように多くを失いながら育った彼女らだから、それがわかる。だから――

「――問題ないわ」
 明日香は意識して凛とした声で答える。

 正直なところ、彼女らに弱みを見せたくないと思ったのも少しある。
 何故なら明日香は民間警備会社PMSC【安倍総合警備保障】の社長令嬢。
 秘められた強大な力を操る魔術師ウィザードであり、【機関】の仕事人トラブルシューターでもある。
 いわば彼女らのような被害者を暴力から守り、新たな被害を防ぐ立場だ。
 彼女らに見せて良いのは頼れる背中だ。憐れみや不安を誘う表情ではない。
 そう割り切ることで、明日香は自身の中の痛みを握りつぶす。

 それでも彼女らの存在そのものが、友人がいることが慰めになったのは事実だ。
 だから不要な心配をかけぬ意味もこめて、口元に笑みを浮かべてみせる。
 いつもの自分と同じように。

 そうすると2人も釣られて笑う。
 そんな様子が嬉しいと、何故だか今は自然に思える。

「……!」
 ふと足元の麗華がうめく。

「あ、動いたンす」
「麗華様、そんなところで寝ていると踏まれますよ」
「わかってますわ。……おのれ安倍明日香」
 デニスとジャネットが手を貸そうと駆け寄る。

 明日香も手伝おうと一瞬、思った。
 だが2人で両腕を支えて立ち上がらせようとしている最中に、さらに手を貸そうとすると服とか髪とかをつかむはめになる。
 それにライバル(?)の明日香が手を貸すと、逆に麗華は傷つくかもしれない。
 麗華様は意味不明なだけでなく繊細なのだ。

 そう考えて純粋な善意から黙って麗華を見やっていると――

「――わあっ! 麗華ちゃんスゴイ!」
 今度は素っ頓狂な歓声がした。
 見やるとツインドリルの幼女が元気に走ってくる。
 チャビーだ。

「何が……?」
 明日香は思わず首をかしげる。
 そんな明日香が、普段とは逆に説明を求めていると思ったのだろう。
 チャビーは走ってくるなり麗華を指差し、

「『きゃお』の新しいお話に出てくる王子様がする儀式のポーズなんだよ!」
 心の底から感動した声で言った。
 もちろん、お子様チャビーに裏表はない。
 口調と言葉にこもっているのは彼女が思ったままの純粋な敬意と憧れだ。
 指を差したのも悪気はない。なので、

「「あっ」」
 麗華様はデニスとジャネットの手を振りほどいて再び地面に顔を埋める。
 ちょっと当たりどころが悪かった音と共に一瞬、動きを止めてから、

「……儀式ではありませんわ。大地に感謝する証ですのよ」
 再び顔面を地面にめりこませたままもごもご言う。

「うん! それそれ! やっぱりスゴイなあ麗華ちゃん!」
 チャビーは拳を揃えて感激する。
 それが漫画の新連載に出てくる王子様とやらの台詞なのだろう。
 まあ……大丈夫そうでなによりだ。

 麗華様の生きる目的は、他者の注目と称賛を浴びることだ。
 なので無邪気な幼女に「スゴイ!」と褒められて止めるという選択肢はない。
 しないのではなく、できない。
 そんなことをしようとするロジックが頭の中にないのだ。
 たとえ服が泥だらけになろうとも、たぶん後で親御さんに叱られようとも。

 一方、山の手生まれで山の手育ちのチャビーは屋外で地面にへばりつかない。
 こちらも麗華様と同じだ。
 人様の前で服を泥だらけにして物まねをするというロジックがないのだ。
 たとえ、どんなに漫画の王子様が素敵でも。

 ……本来は麗華様もそうあるべきなのだが。

 それは、あの日、あの街で自身や舞奈に、逝った仲間が遺した何かに答えるべく敵の本拠地を強襲し元凶を討つ以外の選択肢がなかったのと同じだ。
 命令無視とか、危険だとか考えなかったのと。

 あるいは怪異どもに平和的な交渉という概念が無いように。

 そして善良な御両親の元、幸福な家庭で育ったチャビーにとって、自分ができないことをできる人は尊敬すべく凄い人だ。
 凄い人を見たら、素直に凄いと褒める以外の選択肢はない。

 だから麗華がどんな奇行をしても、凄いと思ったらチャビーは褒める。
 褒められると麗華は止まらない。
 堂々巡りだ。

 ……そんな幼女と麗華様を、デニスとジャネットと並んで見やっていると、

「安倍さん、今日はヒマ?」
 不意にチャビーは屈託のない笑顔を、今度は明日香に向けて、

「ヒマだったら、わたしのお家でお勉強会をしようよ! ネコポチもいるし!」
 そう言って楽しそうに笑った。

 彼女の言うお勉強会というのは、皆で集まって遊ぶことだ。
 ほんとうに勉強をしているところを見たことがない。
 そう言えば明日香が家に遊びに来ると認識されているらしい。
 そもそも勉強に子猫のネコポチは関係ない。

 そんな誘いを、何故、今、明日香にかけてきたか。
 明日香の様子が普段と違うことに、彼女もまた気づいていたのだろう。
 見た目も言動もお子様な彼女は、当然のように他者を気遣うことができる。

 単に純真だから、という訳でもないのだと明日香は知っている。
 何故なら彼女もまた、最愛の兄を亡くしている。
 だから彼女が王子さまだの色恋沙汰に目ざとく反応するのは、失ったものの代わりを無意識に見つけようとしているのだと。

 ふと、あの街で救えなかった【重力武器ダークサムライ】の彼を思い出す。
 彼も同じように他者を気遣える、心優しい青年だった。だから――

「――まあ、構わないけど」
「やった!」
 承諾した途端に満面の笑みを浮かべるチャビーを見やる、明日香の口元にも笑み。

 2人は麗華様御一行に別れを告げる。
 そして並んで歩き始める。

 この時間なら校門前の警備員室に子猫のルージュがいるはずだ。
 少し遊んでいくのも悪くないと今は思った。
 どうせ自分は怖がられるだろうけど、側の彼女が喜んでくれる。
 そう考えて、ふと気づき……

「……で、何処がわからないの?」
「えっ?」
「いえ、勉強会の内容は……」
「えっとね、それは……」
「ええ……」
 勉強会を建前に誘うなら、その辺の設定は詰めておくべきなんじゃ……?
 口ごもる幼女を見やって明日香は口元に笑みを浮かべる。
 だが、その笑みが意図したよりやわらかいものになっていたことに気づかなかった。

 同じ頃。
 打ちっ放しコンクリートが物々しい【機関】支部の執務室。

 威厳あるローブ姿の白髭の老人が、金色の髪をした美しい少女に書状を手渡す。
 老人は【組合C∴S∴C∴】の重鎮。
 少女は禍川支部から辛くも逃げのびた呪術師ウォーロックの彼女。
 そして書状は、禍川支部の奥の間で発見された、月輪の遺言状だ。

 明日香によって発見された書状は、【組合C∴S∴C∴】を経由し相応しい人物に手渡された。
 月輪や【禍川総会】の面々が、姫と呼んでいた高貴な彼女。
 西欧の小国スカイフォールから留学中だったルーシア第一王女である。

 美しく気弱げな王女は、達筆な書体で書かれた書状に目を通す。何度も。
 そして月輪の最後の言葉と、気の良い友人だった彼らの運命を理解し――

 ――泣き崩れた。
 魔法を極めた側の老人には、慰めの言葉をかけることしかできなかった。

 同じ頃。
 さらに他県の支部の受付前。

 調整役が、受付嬢に何かを手渡す。
 男物の狩衣を着こんだ彼女は、普段通りの仏頂面のままそれを受け取る。
 手の中の朽ちた注連縄を、じっと無言で見つめる。

 無残に千切れ、擦り切れた注連縄は、自身が創造した魔道具アーティファクトの残骸。
 軽薄だが気の置けない彼に――執行人エージェントスプラに授けたものだ。

 調整役が、簡素な言葉で彼のチームの末路を告げる。

 彼女はルーシア王女のように、泣き崩れたりはしなかった。
 それでも彼が最後に遺したものを無言のまま、じっと見ていた……。

 その晩。
 ゲームの中のファンタジー世界。
 アカウント毎に支給されるプライベートルームの一角に、ひとりの男があらわれた。

 サングラスをかけた、スキンヘッドに髭面の大男。
 テックのアバターだ。

 大男は宙に情報窓を開く。
 表示されているのはフレンドリスト。
 直近のログイン日時の順に並べられたリストの1ページ目に彼はいた。

 ピアースは、ゲームを始めた当初からのテックの知人だった。
 それまで類のなかったフルダイブ型のバーチャルRPGということで運営もプレイヤーも不慣れな中、共に試行錯誤し切磋琢磨し合った友人だ。

 そんな彼は、あの日からログインしていない。
 舞奈の言葉が本当ならば、もう二度とログインすることはない。

 テックは彼のフレンド情報を管理する新たな情報窓を表示させる。

 彼の連絡先は、削除したほうが良いのだろう。
 それが賢明な判断だ。
 フレンドリストの登録人数には上限がある。
 それにゲームにログインするたびに、もう二度と会えない彼の笑顔を見るのが楽しいばかりだとも思えない。
 だから一瞬、間をおいてから……

 ……そのまま情報窓を閉じる。
 変わらず笑う彼の顔写真をリストに載せたまま、情報窓は見えなくなる。
 そうして何もなくなった空間を見やりながら髭面の巨漢は笑う。

 登録人数に限りがあると言っても、普通に使う分には十分に足りる。
 課金で登録数を増やすことだってできる。
 ひとつくらい、昔なじみの彼のために使っておいても不都合はない。

 それに彼がログインしないのならリストの後ろのほうに追いやられて見えなくなる。
 そして……ある日、リストの一番上に躍り出る日が絶対にないとは言い切れない。
 舞奈の言葉を疑う訳ではないが、彼女は若いくせにネットやゲームについては疎い。
 彼女の言うピアースが、自分の知る彼と同名の別の人じゃないという確証はない。
 可能性は限りなく低いが……特に術者を目指していない普通の小学生が、魔法や怪異を巡る事件に関わり合う羽目になる確率と比べるとどうだろうか?

 だから柄にもなく判断を保留する。
 代わりに今日はどんな冒険をしようかと想いを巡らせる。
 いつか彼に、たくさんの土産話ができるように。
 そして別の情報窓を開こうと視線を巡らせた途端――

『――テックさん! ヘルプお願い! ヘルプ!』
 声と共に、閉じたばかりのフレンドリストが開いた。
 別のフレンドからの通信だ。
 彼の笑顔を押しのけてリストの一番上に躍り出たのはヒカルとサユリ。

 テックは彼女らとリアルでの面識はない。
 だがゲーム内ではフレンドなのだ。
 ゲームを始めてばかりでフィールドボスに絡まれていた彼女らを、通りがかった自分たちが救って以来の仲だ。
 つまり大先輩だ。
 なので妙に頼りにされて、度々ヘルプに駆り出される。
 だが今回ばかりはテックの方が……いや、それより早く返事すべきだろう。

「どうした? クエスト攻略に行き詰ったか?」
『そうじゃなくて、明日の数学のテストがピンチなんだ!』
『テックさんに勉強を教えて欲しいのぉ~~』
「……カノンやマナは高校生じゃなかったか?」
『そうなんだけど、先輩と言えど同じ学生に教えてもらうのは悔しいっていうか……』
「……わかった。今、行く」
『やった!』
『流石テックさん~~。大人だぁ~~』
(小学生だがな)
 テックは苦笑しながら、再びフレンドリストを閉じる。

 どうも彼女らは、テックの中身がアバターと同じ大男だと信じて疑わない様子だ。
 なので人生相談めいた悩み事を打ち明けられたり、今回のように学校の勉強についてアドバイスを求められることもある。あいつら中学生なのに……。

 だがテックも、流石に明日香ほどではないが学力は飛び級レベル。
 中学生に勉強を教えるくらいは実は容易い。

 それに今は、フレンドのために動くのも悪くないと思う。
 もう彼には会えないから、残されたフレンドのために何かをしたい。
 そうすることが、たぶん彼が遺した何かに繋がっていると思う。

 だから大男は新たにマップ移動用の情報窓を表示する。
 それを慣れた手つきで操作して……光と共に消えた。
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