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第17章 GAMING GIRL
再会 ~銃技vs道術
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トルソ、切丸、スプラ、バーン。
屍虫どもの襲撃により仲間を立て続けに失った舞奈たち。
だが切丸から連絡があった。
下水路に生き埋めになった彼とトルソは、辛くも逃げのびることに成功した。
そして今は、とある貸倉庫に身を潜めているという。
だから舞奈たちは、スーパーマーケット近くの貸倉庫にやって来た。
幸いにも道中に脂虫とは出くわさなかった。
地元民のピアースのおかげで倉庫もすぐに見つかった。だが、
「気をつけろピアース」
「あ、ああ!」
舞奈は背後に声をかけつつ、半開きの大きな扉をこじ開ける。
明日香も続く。
微かなヤニの臭いがする。
その事実に、ピアースは気づいているやらいないやら。
扉をくぐると、中は見た目通りのトタン張り。
いつか麗華を救出した廃工場に似てるか。
本来は相応に広いのだろうが、壁際に木箱が積まれているので手狭な感じだ。
周囲に満ちる、焦げた糞尿のような悪臭に口元を歪める。
そんな中、中央の開けた場所。
高い窓から差しこむ光の向こうに、
「切丸くん……!」
ピアースが喜びのあまり叫ぶ。
そこに黒づくめの中学生がいたからだ。
だが舞奈は無言のまま、彼と明日香を背にして前に出る。
「えっ? 舞奈ちゃん……?」
「……格好良い服だな切丸。着替えたのか?」
「あの人が、このほうが僕に似合うって言ったんだ」
「あの人、ね」
差しこむ光で目元の見えない切丸の、口元だけが笑みの形に歪む。
対する舞奈の口元にも乾いた笑みが浮かぶ。
目前の切丸は今朝までと同じ黒づくめ。
だが今の彼が着こんでいるのはノースリーブのシャツと半ズボン。
黒い衣服の端から覗く白い手足はロッカーハゲの萩山光ほどひょろっと貧相ではないものの、鍛え方が十分だとは思い難い細さだ。
時期外れだし、少し寒そうに見える。
そんな恰好を『彼に似合う』と言った『あの人』とやらは何者だろうか。
まあ舞奈だって、薄着の女の子は嫌いじゃない。
布地の少なさは少女のやわらかな身体のラインをあらわにする。
まぎれのない真実の『美』を見る者にもたらし、心を豊かな安らかなものにする。
あるいは鼓舞し、湧き立たせる。
少女の身体は『美』だ。疑う余地もない。
だが男は別だ。
骨格の造りや筋肉の付きかたが少女とは違う。
だから彼らの身体そのものに『美』はない。
もちろんミスター・イアソンのように極限まで鍛え抜かれているなら銃や戦車に似た機能美を感じることもできる。料理人が肥えているのも飯が美味そうで良い。
だが少年の身体では少女のような美しいラインは再現できない。
にもかかわらず、その何者かは貧相な切丸に季節外れの薄着をさせて送り出した。
それは『美』の対極にある『醜』を、これ見よがしに見せつける嫌がらせだ。
あるいは『生命』の逆相たる『衰弱』を奉ずる忌むべき行為だ。
言うなれば食卓の皿に汚物や煙草の吸殻を盛って、食事の物まねをするように。
美術館の台座からアートを蹴落とし、代わりにゴミを載せて悦に入るように。
あるいは、そんな蛮行に心を痛める人々を、悪意をもって嘲笑うように。
それ以上に……
「……そいつも『あの人』とやらに勧められたのか?」
舞奈は低い冷たい声色で問う。
肩紐で提げた短機関銃を意識する。
それよりコートの裏の拳銃を。
「そうさ。けど安心してよ。選んだのは僕だ」
対して切丸は涼しい声色で答える。
そうしながら右手で弄んでいた煙草を口につける。
煙を吐いて、少し顔をしかめる。
喫煙者――皆がこれまで狩り滅ぼしてきた、脂虫という名のゾンビ人間のように。
だが、舞奈が見やるのは忌まわしい煙草ですらない。
そんなことなど問題ないほどに……
「……ならさ、そいつを『選んだ』のもおまえなのか? 切丸」
鋭く睨んだ視線の先。
窓から差しこむ光に覆われてよく見えなかった何か。
だらりと垂れ下がった彼の左手には、
「そんな……」
背後でピアースが声を震わせる。
血の気が引いたかよろめいて、側の明日香が支える。
だが明日香自身も思わず息を飲む。
何故なら切丸の左手に引きずられていたのはトルソだった。
物言わぬ青年の胴より下はない。
作業着の彼の引き千切られた上半身は、壊れた木偶人形のように垂れ下がっている。
見慣れたはずの精悍な顔は、目を見開いたままピクリとも動かない。
「……そうだよ。おまえたちに生き埋めにされた後、僕たち2人は逃げた先で敵に囲まれた。けど、あの人は僕たちに生き残るチャンスをくれた」
「チャンスだと?」
「僕たち2人のうち片方だけを仲間にしてくれるってさ」
切丸は陰気な声色で語る。
どうやら、あの爆発を舞奈たちのせいだと思っているらしい。
あるいは『あの人』とやらに、そう吹きこまれたか。
「なるほどな。それで、てめぇが生き残ったって訳か」
「トルソさんが! そうしろって言ったんだ! 僕だけでも生き残れって!」
「だから奴らの言いなりになったってのか!? ヤニを吸って! 仲間を生贄にして!」
「ああ! そうさ! 何が悪い!?」
切丸は激昂して叫ぶ。
煙草をくわえたまま左手のトルソを放る。
胸像のように上半身だけの青年が木箱に激突して、床を転がる。
「て……めぇ!」
舞奈も応ずるように吠える。
次の瞬間、木箱の陰から数人の男たちがあらわれる。
いずれも薄汚い野球のユニフォームを着こみ、煙草をくわえた喫煙者。
脂虫どもだ。
一見すると丸腰のようだが、拳銃を隠し持っているはずだ。
「……おまえたちは手を出すな!」
切丸の号令で、懐から何かを抜こうとしていた脂虫どもは動きを止める。
どうやら奴らは切丸の手下ということなのだろう。
そして切丸は、その何者かの手下として、脂虫を操れる立場になったらしい。
「志門舞奈! もう一度、おまえと勝負をしてやるよ!」
「今朝のリターンマッチって訳か。いいぜ」
笑う切丸に、舞奈も口元にサメのような笑みを浮かべてみせる。
「生贄って!? どういう……こと?」
「……そういう怪異の技術があるんですよ。奴らは異能力者を忌まわしい儀式の生贄にして、脂虫に力を与えることができます」
訳がわからず動揺するピアースに明日香が答える。
その口調に宿る憎悪。
かつて滓田妖一と息子たちに力を与えた儀式。
KASCとそれに関わる悪党どもが用いた儀式。
彼らすべてを舞奈と明日香は討ち滅ぼした。
だが奴らの忌まわしい技術そのものが潰えた訳じゃない。
「じゃあ【狼牙気功】と【装甲硬化】を両方使えるってこと!?」
「そうじゃない」
背後のピアースに舞奈が答える。
同時に切丸が符を投げつつ吠える。嘯と呼ばれる道士の詠唱だ。
途端、符は巨大な金属の刃と化して飛来して、
「……魔法を使ってくるんだ」
跳んだ舞奈の下の虚空を斬り裂く。
「えっ……!?」
「道術って種類の、怪異が使う妖術だ」
着地しながら背後の気配を確認する。
背後の2人をも狙った巨刃は、明日香の氷盾に弾かれ床に突き刺さった。
目標を打ち損じた巨刃は符に戻って燃え尽きる。
符を金属の刃と化す【金行・鉄刃】だ。
舞奈の口元が乾いた笑みの形に歪める。
視界の端に打ち捨てられたトルソが映る。
五行それぞれに存在する巨刃の術。
そいつは標準的な道士が大人の胴を両断できる唯一の手札だ。
相手が【装甲硬化】なら尚更のこと。
だが彼に直接に手を下したのは敵の道士だ。
切丸ではない。
それでも彼は敵がトルソの亡骸を使って儀式をするのを黙って見ていた。
そうでなければ彼は道士の力を得られなかった。
彼は言われるがまま煙草を吸い、かつての仲間の力を敵の手から受け取った。
「……こいつを持って下がってろ!」
背後のピアースに短機関銃を投げ渡しながら叫ぶ。
「明日香、ピアースを頼む。手ぇ出すなよ?」
「はいはい」
「でも舞奈ちゃん!?」
苦笑する明日香の声と、あわてるピアースの声を背中で聞きつつ身構える。
舞奈は今から奴を倒す。
かつての奴と舞奈の関係が何であろうが関係ない。
そもそも人間である舞奈に、脂虫なんかを生かしておく理由はない。
脂虫――悪臭と犯罪と裏切りをまき散らす喫煙者は、人に仇成す害畜だ。
舞奈が滅ぼすべき怪異だ。
だが短機関銃の僅かな残弾を、こんな奴に使ってやるつもりは毛頭ない。
それに……奴を撃つのに相応しい弾丸は別にある。
「安心しろ。こいつじゃあたしに勝てん」
低い声で言いつつ身構える。途端、
「いつまでも僕を馬鹿にするなよ! 僕の方が! おまえなんかより強いんだ!」
叫びながら切丸は突撃。
屍虫どもとの戦闘で、あるいは朝方に下水道で見せたのと同じ。
だが砲弾のような突進力は生前以上。
即ち高速化の妖術【狼気功】。
もはや彼は異能力者ではない。
それでも舞奈は、
「本当にそうか?」
「な……っ!?」
クロスさせた2本の刀を、朝方と同じように左手で抜いたナイフで止める。
かつて【虎爪気功】の拳をも受け止めた舞奈の腕力。握力。
鍛え抜かれた舞奈の前に、彼程度の身体強化は無意味。
たとえ儀式で得たばかりの力によって、術に昇華していようとも。
接近戦闘に臨む彼の初打がいつも同じなことは、過去の戦闘で確認済み。
儀式で道術という手札が増えたからと言って接近戦の技量が増すわけじゃない。
半日前に彼自身が求めていた種類の強さを、彼は手に入れられなかった。
それでも切丸は、
「舐めるな! 僕だって!」
叫ぶと同時に2本の刀にかかる力が増す。
身体強化を【虎気功】に切り替えたか。
こちらは前者と異なり筋力と瞬発力を高める付与魔法。
それによって両者の力は拮抗する。
だが舞奈は脚をふんばって渾身の力で押し返す。
急に力を入れられ敵は態勢を崩す。
とっさに舞奈は跳び退る。
態勢を立て直した切丸は、舞奈を追おうと身を浮かす。
途端に銃声。切丸は怯む。
跳び退った瞬間に、舞奈が右手で抜いた拳銃で撃ったのだ。
だが切丸は無傷。
シャツの左胸に埋まった大口径弾が、硬い音をたてて床を転がる。
「【装甲硬化】!?」
「いえ、【金行・硬衣】です」
激戦の脇でたじろぐピアースに明日香が答える。
そんな2人を横目で見やって舞奈は舌打ちする。
前者はトルソのものだった、武具を強化する異能力。
後者は同等の効果を持つ道術の名だ。
舞奈がナイフを収めて引いたのはそれが原因だ。
この術は防具だけでなく武器をも強化する。
あのまま鍔迫り合いを続けていたらナイフを折られていた。
だが切丸が次のアクションを起こす前に舞奈はさらに撃つ。撃つ。
戦闘中に隙を作らない集中力は圧倒的に舞奈に分がある。
思わず構えた両手の刀が大口径弾に砕かれる。
切丸の双眸が驚愕に見開かれる。
素早い射撃に怯んだ彼に、【虎気功】と【金行・硬衣】を同時に維持し続けられる集中力はないと踏んだ。
前者が弱まれば刀を弾き飛ばすことができる。
彼は少しばかり鍔迫り合いの経験ならあるが、銃弾の勢いで得物を弾かれて強化なしで保持できるほどタフじゃない。
だが結局は後者、普通の日本刀並みの硬度に戻った得物のほうが砕けた。
それでも舞奈は容赦しない。
さらに銃声。銃声。
切丸の両のももに孔が開く。
流石に【虎気功】で強化されているので弾け飛ぶようなことはない。
だが大口径弾を防ぎきることもできない。それが可能なのは……
「半ズボンは失敗だったな。トルソがあんな格好してた理由を考えなかったのか?」
軽口を叩きながら、舞奈の口元が歪む。
どれほど身体を強化しても生身で銃弾は受け止められない。
それができるのは身に着けた武具を強化する【装甲硬化】。
だからトルソは長袖の作業着で隙なく身体を覆っていた。
彼から全てを奪っ切丸が、彼の技術と知恵を継いでいないのが気に入らない。
それに切丸の両脚の孔から流れ出るのは薄汚いヤニ色の体液。
彼が喫煙によって人間を辞め、脂虫と呼ばれる怪異になり下がった証拠だ。
「卑怯だぞ!」
「どっちが卑怯だよ!? 大概にしろよヤニカス野郎!」
叫びながら舞奈は撃つ。
だが同時に符をかざした切丸の施術が完成する。
大口径弾が切丸の目前に出現した金属塊に阻まれて床を転がる。
こちらは符を金属を盾にする【金行・鉄盾】。
その場しのぎの盾が消える僅かな暇に、切丸は新たな符をももに当てて嘯。
途端、少年のももの孔が塞がる。
自然治癒力を利用して傷を癒す【気功癒】だ。
さらに切丸は両手に符を握りしめて新たな嘯。
こちらは金属を変形させる【金行・作鉄】。
道術により符は2本の刀になる。
同時に金属の盾が腑に戻って燃え尽きる。
舞奈は再び左手のナイフを構え、切丸と距離を詰める。
切丸は術で創った2本の刀で斬りかかる。
舞奈は体裁きだけで避けつつ右に回りこむ。
追ってくる刃が宙を斬る。
あわてて体勢が崩れた状態の斬撃など避けるまでもない。
がら空きの顔面に拳銃を向ける。
「ああっ!」
切丸は避けようとしてバランスを崩して転ぶ。
そのみぞおちを、舞奈は渾身の力で蹴り飛ばす。
「…………!!」
少年は声も出せぬまま倉庫の床をゴロゴロと転がる。
舞奈の人並外れた脚力で、後先を考えずに蹴られるとそうなる。
相手が道士であっても同じだ。
辛うじて口から内臓がはみ出なかったのは【虎気功】のおかげだ。
切丸の手から離れた2本の刀が符に戻って燃え尽きる。
「どうしたよ切丸!? 手も足も出ないな!」
思わず叫ぶ。
そのまま仁王立ちになって、うめく切丸を見下ろす。
「力の差って奴を思い知ったか?」
「糞っ! 糞っ! おまえ本当に【虎爪気功】じゃあ……」
「違うよ」
「それに、おまえの得物は銃じゃあ……」
「あたしに苦手な距離はないって、トルソに言ったのを聞いてなかったのか?」
答える舞奈の口元が歪む。
今朝方、彼と、トルソとした会話を思い出してしまったから。
少年の脳天にピタリと銃口を定める。
ナイフを仕舞い、片手で拳銃を構えながら、
「もう一回だけチャンスをやるよ」
低い声色で告げる。
背後で明日香が肩をすくめる。
ピアースが固唾を飲んで2人を見守る。
「……あたしが驚くような、何か面白いことをしてみろ」
言い放つ。
今の自分が、はた目からはかつての一樹のように見えているだろうと思いながら。
そんな風に舞奈がなるのは嫌だなと、かつて心を通わせた超能力者クラリスが感じていたことを思い出しながら。
「糞っ……!」
切丸は苦々しげに口元を歪めながら立ち上がり、
「これなら……っ!」
符の束を取り出し周囲にまき散らす。
次いで嘯。
途端、無数の符が、無数の小さな金属の刃と化して襲いかかる。
即ち【金行・多鉄矢】。
雑に放たれた矢の雨を、舞奈は床を転がって避ける。
だが鋭く尖った数多の金属の矢が狙ったのは舞奈ではない。
後ろの明日香とピアースだ。
だが2人を狙った刃の雨は、明日香がとっさに、ピアースが無意識に発動した斥力場障壁に弾かれて床に突き刺さる。
即ち【力盾】【重力武器】。
鉄矢が次々に符に戻って燃え尽きる様を見ながら舞奈は口元に笑みを浮かべ――
「――それがおまえの弱点だよ! 志門舞奈!」
間近に迫る切丸。
どうやら背後への攻撃はフェイントだったらしい。
本人ではなく別の仲間を危機に陥らせれば舞奈の気を逸らせると思ったか。
それは舞奈と一樹の違いだ。
小癪にも、それに切丸は気づいていた。
流石は脂虫。悪知恵だけは働くと思った。
いつの間にやら手にしていた新たな刃が目前に迫る。
舞奈は拳銃の背で受け止める。
だが先ほどとは逆に無理な態勢でぶつけられた得物が手を離れて床を転がる。
「ははっ! やったぞ!」
切丸は逆の手の刀を振り上げながら笑う。
舞奈は無言で跳び退る。
懐から風。
「おまえたちを片付ければ! 僕もあの人たちの正式な仲間に――!!」
「――そうかい」
笑う。
同時に銃声。
「……え?」
切丸の胸には孔。
舞奈の手には音もなく抜かれた改造拳銃。
先ほど感じた風は、予備の改造拳銃にかかった明日香の【力弾】だ。
自身に攻撃が及んだことで、手出しOKと勝手に判断したのだろう。
数発で大屍虫を破壊し、完全体をも撃ち抜く、得物にかける付与魔法。
そんなものを不慣れな【金行・硬衣】ごときで防げる訳がない。
その事実に切丸は気づくことができなかった。
執行人として経験を積む前に分不相応な怪異の力を手にし、道を踏み外したから。
だから切丸は、胸からヤニ色の体液を垂れ流しながらへたりこむ。
呆然と目を見開いたまま。
術者が気を失ったり瀕死になったりすると、魔法は消える。
身体強化の付与魔法も消える。
もちろん新たな術も使えない。
「相手に絶対に敵わないって、わかった途端に大人しくなったな」
舞奈は表情なく切丸を見下ろす。
目だけを動かし、少し離れた場所に転がるトルソを見やる。
動かない男の上半身を少し見やり、視線を戻す。
そして少年の顔めがけて銃口を突きつけながら、
「さっきまでみたいに元気にペラペラ喋らないのか? トルソを……仲間をどういう風に殺したかってな」
押し殺した声色で、静かに問う。
「だってさ! 仕方なかっただろ!? こうでもしなきゃ2人とも殺されてたんだ!」
「じゃあ、おまえに仲間を殺せって命令した奴の名前と居場所を教えるんだ。そうすれば最後だけは人として死なせてやる」
「わ、わかったよ……。元県議会議長……殴山一子。居場所は……死酷人糞舎だ」
「……」
殴山一子。
死酷人糞舎。
口にも表情にも出さぬよう、だが確かな感情と共に2つの単語を脳裏に刻む。
「なあ、もういいだろう!? おまえの欲しい情報は言ったんだ! だから――」
切丸は叫ぶ。
少し離れた場所で、尻餅をついたままピアースが息を飲む。
側の明日香は冷徹に見やったまま、ピアースの視線を塞ぐように前に出て――
――銃声。
「もしおまえに次の命があるなら、脂虫なんかにならずに剣を極めてみろよ、切丸」
吐き捨てるように言って、口元を歪める。
少年の双眸は見開かれ、口からは薄汚い色の何かがまき散らされていた。
彼がたばこを吸っていてラッキーだと思った。
撃つのに何ら……何ら呵責を感じなかったから。
そう思おうと、
「半日足らずで、こんなになるんだな」
軽薄な他人事のようにひとりごちつつ、口元を歪める。
切丸の死骸は仰向けに倒れたまま、特に消えたりせずに残った。
彼は大屍虫に進行していた訳じゃない。
ただ大屍虫の力、贄にした他の異能力者の力、自分のものではない力を振るっていただけだ。何かになった訳じゃない。
それでも胸からも、額からも、彼から流れる体液に赤い部分は残っていない。
もう手遅れだった。
彼はもう人間ではなくなっていた。
忌まわしい喫煙によって心のみならず、身体も完全に脂虫になっていた。
舞奈は人殺しにはならなかったが、嘘つきになってしまった。
舞奈たちを囲むように待機していた脂虫どもが動く。
切丸がいなくなったから待機の命令が無効になったのだろう。
一斉に密造拳銃を抜く。
ピアースが驚愕する。
だが次の瞬間、喫煙者どもは稲妻の鎖に繋がれて消し炭と化す。
待ち構えていた明日香の【鎖雷】だ。
そんな様子を一瞥しつつ、舞奈は改造拳銃から弾倉を取り出す。
そしてトルソの側にひざまずき、
「もうちょっと相手を警戒すればよかったんだ。子供が誰も、昔のあんたみたいに根の良い奴ばかりって訳じゃない」
言いつつトルソの側に弾倉を置く。
昨晩、トルソから借りたCz75の弾倉だ。
舞奈はどうしても、この弾丸を使って切丸を倒したかった。
だからメインの得物を叩き落とさせて相手の隙まで作った。
そんなことをしたってトルソが喜ばないことなんて、百も承知だ。
それでも舞奈がそうしたかった。
それが自分自身にとってのケリのつけ方だと思った。
そもそもトルソは別に油断したからこんなになった訳じゃないのかもしれない。
だが、それはあえて考えないことにした。
切丸は脂虫になってしまった。
脂虫は誰かの期待に応えたりはしない。奴らは人間の敵だ。
だから物言わぬトルソの顔にそっと手をやり、まぶたを閉じる。
作業着姿の青年の顔面は少し脂ぎっていた。
冷たくて、微妙だにしなかった。
目を閉じた上半身だけの遺体は目を見開いた上半身だけの遺体より多少はマシに見えるかもしれないと思ったが、そんなに変わらなかった。
今朝方に下水道を歩きながら彼と話した言葉がぐるぐる頭の中を駆け回る。
昨晩のホームセンターの。
あるいは可愛らしい軽乗用車の中の。
だから感情に押し流されないように、立ち上がる。
そして彼に背を向け、
「任務は果たす。……ピアースと3人だけになっちゃったけどな」
ひとりごちるように語る。
もし彼が切丸に何かを託していたのだとしたら、そうすることだけが彼が残したかった何かに報いることになると思うから。
口元を乾いた笑みの形に歪めた途端、
「ま、舞奈ちゃん!?」
ピアースの悲鳴に思わず見やる。
見やると、開け放たれた扉の向こうに無数の人影。
どうやら屍虫の群れのようだ。
切丸が仕損じた舞奈たちを始末しに来たのだろう。
念の入ったことだ。
やはり脂虫、屍虫どもは何者か――殴山一子に指揮されている。
だが明日香が短い号令を発した途端、側に巨大な何かがあらわれる。
無限軌道と1対のタイヤを装備した巨大なトラック。
彼女が召喚し、影の中に隠していた半装軌車だ。
「ええっ!?」
「乗って!」
ピアースが驚愕する。
明日香と舞奈は荷台に跳び乗る。
よじ登ろうとするピアースを2人で引き上げる。
直後、扉から屍虫どもが殺到してきた。
そんな屍虫どもを轢き潰しながら、半装軌車は貸倉庫を跳び出す。
そのように怪異どもを蹴散らしながら、舞奈たちは貸倉庫を後にした。
屍虫どもの襲撃により仲間を立て続けに失った舞奈たち。
だが切丸から連絡があった。
下水路に生き埋めになった彼とトルソは、辛くも逃げのびることに成功した。
そして今は、とある貸倉庫に身を潜めているという。
だから舞奈たちは、スーパーマーケット近くの貸倉庫にやって来た。
幸いにも道中に脂虫とは出くわさなかった。
地元民のピアースのおかげで倉庫もすぐに見つかった。だが、
「気をつけろピアース」
「あ、ああ!」
舞奈は背後に声をかけつつ、半開きの大きな扉をこじ開ける。
明日香も続く。
微かなヤニの臭いがする。
その事実に、ピアースは気づいているやらいないやら。
扉をくぐると、中は見た目通りのトタン張り。
いつか麗華を救出した廃工場に似てるか。
本来は相応に広いのだろうが、壁際に木箱が積まれているので手狭な感じだ。
周囲に満ちる、焦げた糞尿のような悪臭に口元を歪める。
そんな中、中央の開けた場所。
高い窓から差しこむ光の向こうに、
「切丸くん……!」
ピアースが喜びのあまり叫ぶ。
そこに黒づくめの中学生がいたからだ。
だが舞奈は無言のまま、彼と明日香を背にして前に出る。
「えっ? 舞奈ちゃん……?」
「……格好良い服だな切丸。着替えたのか?」
「あの人が、このほうが僕に似合うって言ったんだ」
「あの人、ね」
差しこむ光で目元の見えない切丸の、口元だけが笑みの形に歪む。
対する舞奈の口元にも乾いた笑みが浮かぶ。
目前の切丸は今朝までと同じ黒づくめ。
だが今の彼が着こんでいるのはノースリーブのシャツと半ズボン。
黒い衣服の端から覗く白い手足はロッカーハゲの萩山光ほどひょろっと貧相ではないものの、鍛え方が十分だとは思い難い細さだ。
時期外れだし、少し寒そうに見える。
そんな恰好を『彼に似合う』と言った『あの人』とやらは何者だろうか。
まあ舞奈だって、薄着の女の子は嫌いじゃない。
布地の少なさは少女のやわらかな身体のラインをあらわにする。
まぎれのない真実の『美』を見る者にもたらし、心を豊かな安らかなものにする。
あるいは鼓舞し、湧き立たせる。
少女の身体は『美』だ。疑う余地もない。
だが男は別だ。
骨格の造りや筋肉の付きかたが少女とは違う。
だから彼らの身体そのものに『美』はない。
もちろんミスター・イアソンのように極限まで鍛え抜かれているなら銃や戦車に似た機能美を感じることもできる。料理人が肥えているのも飯が美味そうで良い。
だが少年の身体では少女のような美しいラインは再現できない。
にもかかわらず、その何者かは貧相な切丸に季節外れの薄着をさせて送り出した。
それは『美』の対極にある『醜』を、これ見よがしに見せつける嫌がらせだ。
あるいは『生命』の逆相たる『衰弱』を奉ずる忌むべき行為だ。
言うなれば食卓の皿に汚物や煙草の吸殻を盛って、食事の物まねをするように。
美術館の台座からアートを蹴落とし、代わりにゴミを載せて悦に入るように。
あるいは、そんな蛮行に心を痛める人々を、悪意をもって嘲笑うように。
それ以上に……
「……そいつも『あの人』とやらに勧められたのか?」
舞奈は低い冷たい声色で問う。
肩紐で提げた短機関銃を意識する。
それよりコートの裏の拳銃を。
「そうさ。けど安心してよ。選んだのは僕だ」
対して切丸は涼しい声色で答える。
そうしながら右手で弄んでいた煙草を口につける。
煙を吐いて、少し顔をしかめる。
喫煙者――皆がこれまで狩り滅ぼしてきた、脂虫という名のゾンビ人間のように。
だが、舞奈が見やるのは忌まわしい煙草ですらない。
そんなことなど問題ないほどに……
「……ならさ、そいつを『選んだ』のもおまえなのか? 切丸」
鋭く睨んだ視線の先。
窓から差しこむ光に覆われてよく見えなかった何か。
だらりと垂れ下がった彼の左手には、
「そんな……」
背後でピアースが声を震わせる。
血の気が引いたかよろめいて、側の明日香が支える。
だが明日香自身も思わず息を飲む。
何故なら切丸の左手に引きずられていたのはトルソだった。
物言わぬ青年の胴より下はない。
作業着の彼の引き千切られた上半身は、壊れた木偶人形のように垂れ下がっている。
見慣れたはずの精悍な顔は、目を見開いたままピクリとも動かない。
「……そうだよ。おまえたちに生き埋めにされた後、僕たち2人は逃げた先で敵に囲まれた。けど、あの人は僕たちに生き残るチャンスをくれた」
「チャンスだと?」
「僕たち2人のうち片方だけを仲間にしてくれるってさ」
切丸は陰気な声色で語る。
どうやら、あの爆発を舞奈たちのせいだと思っているらしい。
あるいは『あの人』とやらに、そう吹きこまれたか。
「なるほどな。それで、てめぇが生き残ったって訳か」
「トルソさんが! そうしろって言ったんだ! 僕だけでも生き残れって!」
「だから奴らの言いなりになったってのか!? ヤニを吸って! 仲間を生贄にして!」
「ああ! そうさ! 何が悪い!?」
切丸は激昂して叫ぶ。
煙草をくわえたまま左手のトルソを放る。
胸像のように上半身だけの青年が木箱に激突して、床を転がる。
「て……めぇ!」
舞奈も応ずるように吠える。
次の瞬間、木箱の陰から数人の男たちがあらわれる。
いずれも薄汚い野球のユニフォームを着こみ、煙草をくわえた喫煙者。
脂虫どもだ。
一見すると丸腰のようだが、拳銃を隠し持っているはずだ。
「……おまえたちは手を出すな!」
切丸の号令で、懐から何かを抜こうとしていた脂虫どもは動きを止める。
どうやら奴らは切丸の手下ということなのだろう。
そして切丸は、その何者かの手下として、脂虫を操れる立場になったらしい。
「志門舞奈! もう一度、おまえと勝負をしてやるよ!」
「今朝のリターンマッチって訳か。いいぜ」
笑う切丸に、舞奈も口元にサメのような笑みを浮かべてみせる。
「生贄って!? どういう……こと?」
「……そういう怪異の技術があるんですよ。奴らは異能力者を忌まわしい儀式の生贄にして、脂虫に力を与えることができます」
訳がわからず動揺するピアースに明日香が答える。
その口調に宿る憎悪。
かつて滓田妖一と息子たちに力を与えた儀式。
KASCとそれに関わる悪党どもが用いた儀式。
彼らすべてを舞奈と明日香は討ち滅ぼした。
だが奴らの忌まわしい技術そのものが潰えた訳じゃない。
「じゃあ【狼牙気功】と【装甲硬化】を両方使えるってこと!?」
「そうじゃない」
背後のピアースに舞奈が答える。
同時に切丸が符を投げつつ吠える。嘯と呼ばれる道士の詠唱だ。
途端、符は巨大な金属の刃と化して飛来して、
「……魔法を使ってくるんだ」
跳んだ舞奈の下の虚空を斬り裂く。
「えっ……!?」
「道術って種類の、怪異が使う妖術だ」
着地しながら背後の気配を確認する。
背後の2人をも狙った巨刃は、明日香の氷盾に弾かれ床に突き刺さった。
目標を打ち損じた巨刃は符に戻って燃え尽きる。
符を金属の刃と化す【金行・鉄刃】だ。
舞奈の口元が乾いた笑みの形に歪める。
視界の端に打ち捨てられたトルソが映る。
五行それぞれに存在する巨刃の術。
そいつは標準的な道士が大人の胴を両断できる唯一の手札だ。
相手が【装甲硬化】なら尚更のこと。
だが彼に直接に手を下したのは敵の道士だ。
切丸ではない。
それでも彼は敵がトルソの亡骸を使って儀式をするのを黙って見ていた。
そうでなければ彼は道士の力を得られなかった。
彼は言われるがまま煙草を吸い、かつての仲間の力を敵の手から受け取った。
「……こいつを持って下がってろ!」
背後のピアースに短機関銃を投げ渡しながら叫ぶ。
「明日香、ピアースを頼む。手ぇ出すなよ?」
「はいはい」
「でも舞奈ちゃん!?」
苦笑する明日香の声と、あわてるピアースの声を背中で聞きつつ身構える。
舞奈は今から奴を倒す。
かつての奴と舞奈の関係が何であろうが関係ない。
そもそも人間である舞奈に、脂虫なんかを生かしておく理由はない。
脂虫――悪臭と犯罪と裏切りをまき散らす喫煙者は、人に仇成す害畜だ。
舞奈が滅ぼすべき怪異だ。
だが短機関銃の僅かな残弾を、こんな奴に使ってやるつもりは毛頭ない。
それに……奴を撃つのに相応しい弾丸は別にある。
「安心しろ。こいつじゃあたしに勝てん」
低い声で言いつつ身構える。途端、
「いつまでも僕を馬鹿にするなよ! 僕の方が! おまえなんかより強いんだ!」
叫びながら切丸は突撃。
屍虫どもとの戦闘で、あるいは朝方に下水道で見せたのと同じ。
だが砲弾のような突進力は生前以上。
即ち高速化の妖術【狼気功】。
もはや彼は異能力者ではない。
それでも舞奈は、
「本当にそうか?」
「な……っ!?」
クロスさせた2本の刀を、朝方と同じように左手で抜いたナイフで止める。
かつて【虎爪気功】の拳をも受け止めた舞奈の腕力。握力。
鍛え抜かれた舞奈の前に、彼程度の身体強化は無意味。
たとえ儀式で得たばかりの力によって、術に昇華していようとも。
接近戦闘に臨む彼の初打がいつも同じなことは、過去の戦闘で確認済み。
儀式で道術という手札が増えたからと言って接近戦の技量が増すわけじゃない。
半日前に彼自身が求めていた種類の強さを、彼は手に入れられなかった。
それでも切丸は、
「舐めるな! 僕だって!」
叫ぶと同時に2本の刀にかかる力が増す。
身体強化を【虎気功】に切り替えたか。
こちらは前者と異なり筋力と瞬発力を高める付与魔法。
それによって両者の力は拮抗する。
だが舞奈は脚をふんばって渾身の力で押し返す。
急に力を入れられ敵は態勢を崩す。
とっさに舞奈は跳び退る。
態勢を立て直した切丸は、舞奈を追おうと身を浮かす。
途端に銃声。切丸は怯む。
跳び退った瞬間に、舞奈が右手で抜いた拳銃で撃ったのだ。
だが切丸は無傷。
シャツの左胸に埋まった大口径弾が、硬い音をたてて床を転がる。
「【装甲硬化】!?」
「いえ、【金行・硬衣】です」
激戦の脇でたじろぐピアースに明日香が答える。
そんな2人を横目で見やって舞奈は舌打ちする。
前者はトルソのものだった、武具を強化する異能力。
後者は同等の効果を持つ道術の名だ。
舞奈がナイフを収めて引いたのはそれが原因だ。
この術は防具だけでなく武器をも強化する。
あのまま鍔迫り合いを続けていたらナイフを折られていた。
だが切丸が次のアクションを起こす前に舞奈はさらに撃つ。撃つ。
戦闘中に隙を作らない集中力は圧倒的に舞奈に分がある。
思わず構えた両手の刀が大口径弾に砕かれる。
切丸の双眸が驚愕に見開かれる。
素早い射撃に怯んだ彼に、【虎気功】と【金行・硬衣】を同時に維持し続けられる集中力はないと踏んだ。
前者が弱まれば刀を弾き飛ばすことができる。
彼は少しばかり鍔迫り合いの経験ならあるが、銃弾の勢いで得物を弾かれて強化なしで保持できるほどタフじゃない。
だが結局は後者、普通の日本刀並みの硬度に戻った得物のほうが砕けた。
それでも舞奈は容赦しない。
さらに銃声。銃声。
切丸の両のももに孔が開く。
流石に【虎気功】で強化されているので弾け飛ぶようなことはない。
だが大口径弾を防ぎきることもできない。それが可能なのは……
「半ズボンは失敗だったな。トルソがあんな格好してた理由を考えなかったのか?」
軽口を叩きながら、舞奈の口元が歪む。
どれほど身体を強化しても生身で銃弾は受け止められない。
それができるのは身に着けた武具を強化する【装甲硬化】。
だからトルソは長袖の作業着で隙なく身体を覆っていた。
彼から全てを奪っ切丸が、彼の技術と知恵を継いでいないのが気に入らない。
それに切丸の両脚の孔から流れ出るのは薄汚いヤニ色の体液。
彼が喫煙によって人間を辞め、脂虫と呼ばれる怪異になり下がった証拠だ。
「卑怯だぞ!」
「どっちが卑怯だよ!? 大概にしろよヤニカス野郎!」
叫びながら舞奈は撃つ。
だが同時に符をかざした切丸の施術が完成する。
大口径弾が切丸の目前に出現した金属塊に阻まれて床を転がる。
こちらは符を金属を盾にする【金行・鉄盾】。
その場しのぎの盾が消える僅かな暇に、切丸は新たな符をももに当てて嘯。
途端、少年のももの孔が塞がる。
自然治癒力を利用して傷を癒す【気功癒】だ。
さらに切丸は両手に符を握りしめて新たな嘯。
こちらは金属を変形させる【金行・作鉄】。
道術により符は2本の刀になる。
同時に金属の盾が腑に戻って燃え尽きる。
舞奈は再び左手のナイフを構え、切丸と距離を詰める。
切丸は術で創った2本の刀で斬りかかる。
舞奈は体裁きだけで避けつつ右に回りこむ。
追ってくる刃が宙を斬る。
あわてて体勢が崩れた状態の斬撃など避けるまでもない。
がら空きの顔面に拳銃を向ける。
「ああっ!」
切丸は避けようとしてバランスを崩して転ぶ。
そのみぞおちを、舞奈は渾身の力で蹴り飛ばす。
「…………!!」
少年は声も出せぬまま倉庫の床をゴロゴロと転がる。
舞奈の人並外れた脚力で、後先を考えずに蹴られるとそうなる。
相手が道士であっても同じだ。
辛うじて口から内臓がはみ出なかったのは【虎気功】のおかげだ。
切丸の手から離れた2本の刀が符に戻って燃え尽きる。
「どうしたよ切丸!? 手も足も出ないな!」
思わず叫ぶ。
そのまま仁王立ちになって、うめく切丸を見下ろす。
「力の差って奴を思い知ったか?」
「糞っ! 糞っ! おまえ本当に【虎爪気功】じゃあ……」
「違うよ」
「それに、おまえの得物は銃じゃあ……」
「あたしに苦手な距離はないって、トルソに言ったのを聞いてなかったのか?」
答える舞奈の口元が歪む。
今朝方、彼と、トルソとした会話を思い出してしまったから。
少年の脳天にピタリと銃口を定める。
ナイフを仕舞い、片手で拳銃を構えながら、
「もう一回だけチャンスをやるよ」
低い声色で告げる。
背後で明日香が肩をすくめる。
ピアースが固唾を飲んで2人を見守る。
「……あたしが驚くような、何か面白いことをしてみろ」
言い放つ。
今の自分が、はた目からはかつての一樹のように見えているだろうと思いながら。
そんな風に舞奈がなるのは嫌だなと、かつて心を通わせた超能力者クラリスが感じていたことを思い出しながら。
「糞っ……!」
切丸は苦々しげに口元を歪めながら立ち上がり、
「これなら……っ!」
符の束を取り出し周囲にまき散らす。
次いで嘯。
途端、無数の符が、無数の小さな金属の刃と化して襲いかかる。
即ち【金行・多鉄矢】。
雑に放たれた矢の雨を、舞奈は床を転がって避ける。
だが鋭く尖った数多の金属の矢が狙ったのは舞奈ではない。
後ろの明日香とピアースだ。
だが2人を狙った刃の雨は、明日香がとっさに、ピアースが無意識に発動した斥力場障壁に弾かれて床に突き刺さる。
即ち【力盾】【重力武器】。
鉄矢が次々に符に戻って燃え尽きる様を見ながら舞奈は口元に笑みを浮かべ――
「――それがおまえの弱点だよ! 志門舞奈!」
間近に迫る切丸。
どうやら背後への攻撃はフェイントだったらしい。
本人ではなく別の仲間を危機に陥らせれば舞奈の気を逸らせると思ったか。
それは舞奈と一樹の違いだ。
小癪にも、それに切丸は気づいていた。
流石は脂虫。悪知恵だけは働くと思った。
いつの間にやら手にしていた新たな刃が目前に迫る。
舞奈は拳銃の背で受け止める。
だが先ほどとは逆に無理な態勢でぶつけられた得物が手を離れて床を転がる。
「ははっ! やったぞ!」
切丸は逆の手の刀を振り上げながら笑う。
舞奈は無言で跳び退る。
懐から風。
「おまえたちを片付ければ! 僕もあの人たちの正式な仲間に――!!」
「――そうかい」
笑う。
同時に銃声。
「……え?」
切丸の胸には孔。
舞奈の手には音もなく抜かれた改造拳銃。
先ほど感じた風は、予備の改造拳銃にかかった明日香の【力弾】だ。
自身に攻撃が及んだことで、手出しOKと勝手に判断したのだろう。
数発で大屍虫を破壊し、完全体をも撃ち抜く、得物にかける付与魔法。
そんなものを不慣れな【金行・硬衣】ごときで防げる訳がない。
その事実に切丸は気づくことができなかった。
執行人として経験を積む前に分不相応な怪異の力を手にし、道を踏み外したから。
だから切丸は、胸からヤニ色の体液を垂れ流しながらへたりこむ。
呆然と目を見開いたまま。
術者が気を失ったり瀕死になったりすると、魔法は消える。
身体強化の付与魔法も消える。
もちろん新たな術も使えない。
「相手に絶対に敵わないって、わかった途端に大人しくなったな」
舞奈は表情なく切丸を見下ろす。
目だけを動かし、少し離れた場所に転がるトルソを見やる。
動かない男の上半身を少し見やり、視線を戻す。
そして少年の顔めがけて銃口を突きつけながら、
「さっきまでみたいに元気にペラペラ喋らないのか? トルソを……仲間をどういう風に殺したかってな」
押し殺した声色で、静かに問う。
「だってさ! 仕方なかっただろ!? こうでもしなきゃ2人とも殺されてたんだ!」
「じゃあ、おまえに仲間を殺せって命令した奴の名前と居場所を教えるんだ。そうすれば最後だけは人として死なせてやる」
「わ、わかったよ……。元県議会議長……殴山一子。居場所は……死酷人糞舎だ」
「……」
殴山一子。
死酷人糞舎。
口にも表情にも出さぬよう、だが確かな感情と共に2つの単語を脳裏に刻む。
「なあ、もういいだろう!? おまえの欲しい情報は言ったんだ! だから――」
切丸は叫ぶ。
少し離れた場所で、尻餅をついたままピアースが息を飲む。
側の明日香は冷徹に見やったまま、ピアースの視線を塞ぐように前に出て――
――銃声。
「もしおまえに次の命があるなら、脂虫なんかにならずに剣を極めてみろよ、切丸」
吐き捨てるように言って、口元を歪める。
少年の双眸は見開かれ、口からは薄汚い色の何かがまき散らされていた。
彼がたばこを吸っていてラッキーだと思った。
撃つのに何ら……何ら呵責を感じなかったから。
そう思おうと、
「半日足らずで、こんなになるんだな」
軽薄な他人事のようにひとりごちつつ、口元を歪める。
切丸の死骸は仰向けに倒れたまま、特に消えたりせずに残った。
彼は大屍虫に進行していた訳じゃない。
ただ大屍虫の力、贄にした他の異能力者の力、自分のものではない力を振るっていただけだ。何かになった訳じゃない。
それでも胸からも、額からも、彼から流れる体液に赤い部分は残っていない。
もう手遅れだった。
彼はもう人間ではなくなっていた。
忌まわしい喫煙によって心のみならず、身体も完全に脂虫になっていた。
舞奈は人殺しにはならなかったが、嘘つきになってしまった。
舞奈たちを囲むように待機していた脂虫どもが動く。
切丸がいなくなったから待機の命令が無効になったのだろう。
一斉に密造拳銃を抜く。
ピアースが驚愕する。
だが次の瞬間、喫煙者どもは稲妻の鎖に繋がれて消し炭と化す。
待ち構えていた明日香の【鎖雷】だ。
そんな様子を一瞥しつつ、舞奈は改造拳銃から弾倉を取り出す。
そしてトルソの側にひざまずき、
「もうちょっと相手を警戒すればよかったんだ。子供が誰も、昔のあんたみたいに根の良い奴ばかりって訳じゃない」
言いつつトルソの側に弾倉を置く。
昨晩、トルソから借りたCz75の弾倉だ。
舞奈はどうしても、この弾丸を使って切丸を倒したかった。
だからメインの得物を叩き落とさせて相手の隙まで作った。
そんなことをしたってトルソが喜ばないことなんて、百も承知だ。
それでも舞奈がそうしたかった。
それが自分自身にとってのケリのつけ方だと思った。
そもそもトルソは別に油断したからこんなになった訳じゃないのかもしれない。
だが、それはあえて考えないことにした。
切丸は脂虫になってしまった。
脂虫は誰かの期待に応えたりはしない。奴らは人間の敵だ。
だから物言わぬトルソの顔にそっと手をやり、まぶたを閉じる。
作業着姿の青年の顔面は少し脂ぎっていた。
冷たくて、微妙だにしなかった。
目を閉じた上半身だけの遺体は目を見開いた上半身だけの遺体より多少はマシに見えるかもしれないと思ったが、そんなに変わらなかった。
今朝方に下水道を歩きながら彼と話した言葉がぐるぐる頭の中を駆け回る。
昨晩のホームセンターの。
あるいは可愛らしい軽乗用車の中の。
だから感情に押し流されないように、立ち上がる。
そして彼に背を向け、
「任務は果たす。……ピアースと3人だけになっちゃったけどな」
ひとりごちるように語る。
もし彼が切丸に何かを託していたのだとしたら、そうすることだけが彼が残したかった何かに報いることになると思うから。
口元を乾いた笑みの形に歪めた途端、
「ま、舞奈ちゃん!?」
ピアースの悲鳴に思わず見やる。
見やると、開け放たれた扉の向こうに無数の人影。
どうやら屍虫の群れのようだ。
切丸が仕損じた舞奈たちを始末しに来たのだろう。
念の入ったことだ。
やはり脂虫、屍虫どもは何者か――殴山一子に指揮されている。
だが明日香が短い号令を発した途端、側に巨大な何かがあらわれる。
無限軌道と1対のタイヤを装備した巨大なトラック。
彼女が召喚し、影の中に隠していた半装軌車だ。
「ええっ!?」
「乗って!」
ピアースが驚愕する。
明日香と舞奈は荷台に跳び乗る。
よじ登ろうとするピアースを2人で引き上げる。
直後、扉から屍虫どもが殺到してきた。
そんな屍虫どもを轢き潰しながら、半装軌車は貸倉庫を跳び出す。
そのように怪異どもを蹴散らしながら、舞奈たちは貸倉庫を後にした。
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