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第16章 つぼみになりたい
戦闘1-2 ~合同攻撃部隊vs巨大ゾンビ
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仲間と分断されたシャドウ・ザ・シャークはひとりクラフターと相対する。
直接戦闘に適性のない彼女は、それでもサメ術を駆使してゾンビの群れに対抗する。
だがクラフターの呪術によって、ゾンビどもはシャドウ・ザ・シャーク――KAGEがすべてを失った10年前のトラウマを掘り起こした。
恐怖で魔法を維持できなくなったKAGEを、珍走団を模したゾンビが取り囲み――
「――その前に、おまえたちがわたしを楽しませるんだ」
「What!?」
「間に合ったようだね」
KAGEの危機を紅葉が救った。
続いてゾンビの残骸でできた腐肉の門からあらわれたのは楓に小夜子にサチ。
4人の若き術者たちだ。
KAGEのピンチに颯爽とあらわれた仲間たちは、幼児体形の大人を取り囲む珍走団どもを見やるや否や襲いかかる。
小夜子は指からのびる光のカギ爪【霊の鉤爪】を振るってゾンビどもを斬り刻む。
楓は拳銃で学ランを蜂の巣にする。
その側で、紅葉は【水の斬撃】で水の刃を操りゾンビの四肢を次々に切断する。
珍走団の集団は、そのようにして瞬時に壊滅した。
学ランどもは屠られると同時に【幻影】が解けて元の姿に戻るが、薄汚いゾンビの格好など誰も気にしない。
「これでもう大丈夫ですよ」
「お手数をおかけします」
サチの施術によって、KAGEの注連縄にこめられた【護身神法】が力を取り戻す。
そして皆は、残るゾンビとクラフターからKAGEを守るように身構える。
皆をこの場所に導いた小夜子の口元にはサメのような笑みが浮かぶ。
死霊使いクラフターがゾンビを操る以上、小夜子からは逃れられない。
小夜子が得手とする【供物の門】はゾンビ――屍虫や脂虫を門にして転移する。
クラフターが斥候代わりに広範囲に配置していたゾンビの1匹を門の入り口に、ゾンビが密集していたこの場所にいるうち1匹を出口にしたのだ。
そして小夜子は脂虫の殺戮者だ。
クラフターの手駒であるゾンビとそれらへの暴虐は、蜜の如く小夜子を引き寄せる。
「それにしても、紅葉ちゃんがこういうのを楽しいと言ってくれて安心しました」
蜂の巣にされ、斬り刻まれたヤニ色の残骸を背に、新たに迫り来るゾンビの集団に向き直りつつ一見すると緊張感のない楓の言葉に、
「別にわたしは脂虫への怒りを忘れた訳じゃないよ。姉さんたちが普段してるみたいに無抵抗な状態でいたぶったり痛めつけるのが性に合わないだけで」
水の刃【水の斬撃】を杖の形にして構えながら紅葉は苦笑する。
「えっそんなことしてるの!? 小夜子ちゃん?」
「いやその。……ちょっと紅葉ちゃん」
四馬鹿の漫才じみたトークの流れでサチに詰め寄られた小夜子が紅葉を睨む。
だが当の紅葉は小夜子には構わず、
「やあ、また会えたね」
「君たちとの再会に乾杯」
ゾンビの集団の奥に立つ、クラフターと凄みのある笑みを交わす。
水曜日の夕方に、彼女ら4人とクラフターは偶然にも邂逅した。
だが勝負はつかなかった。
いわば今回は、そのリターンマッチだ。
だから紅葉は矢継ぎ早に呪文を唱える。
奉ずるは風と大気を操るシュウ神、大地を統べるゲブ神。
天地を操る神の聖名により行使したのは【爆風走】【爆地走】。
前者は風を、後者は大地を操り加速する呪術だ。
二重の加護で我がものとした超加速を多種のスポーツで鍛えた身体感覚で操り、若きウアブ呪術師はゾンビの群れをかき分けて走る。
目指すはゾンビの群れを操るクラフター。
すれ違うゾンビの何匹かが鋭いカギ爪で襲いかかる。
だが肉体の凶器は見えざる障壁【護身神法】に阻まれて紅葉には届かない。
左腕に巻いた注連縄が微かにゆれるのみ。
さらに妹の援護とばかりに楓が動く。
何の溜めもなくなく突き出された左手の、5本の指の先から光線が放たれる。
青緑色の光線それぞれが紅葉に接敵した5匹のゾンビを照射する。
途端、ゾンビどもは歪に膨らんで爆ぜる。
即ち【沸騰する悪血】。
ニコチンが混じったゾンビの体液を沸騰させて破壊する魔術だ。
次いで楓の周囲に4体のメジェド神が出現する。
メジェドたちは双眸からレーザー光線を放ってゾンビを焼く。
さらに続くは小夜子。
飛散する飛沫を【護身神法】の不可視の障壁で凌ぎつつ、脂虫の群へと踊りこむ。
高速化の呪術【コヨーテの戦士】の赴くまま手近な1匹の腹を強打。
くの字に折れ曲がったヤニ臭い頭をわしづかみにする。
小夜子は拘束された脂虫を痛めつけるのももちろん好きだが、暴れる脂虫や屍虫を更なる圧倒的な力でねじ伏せるのはもっと好きだ! だから、
「罪深き骸を我が槌と化せ! 煙立つ鏡!」
吠えた途端、苦痛と恐怖に叫ぶ屍虫の全身が角張った黒曜石へと変わる。
透き通った黒い石の表皮に無数の陰が嘲笑うようにゆれる。
そして砕けた。
遺されたのは小夜子の手の中の黒ずんだ頭蓋骨のみ。
小夜子が新たに会得したナワリ呪術【頭蓋を加工する掌】。
高等魔術における疑似呪術【髑髏手榴弾】と同様にアンデッド爆弾を作る。
その恐ろしい材料は脂虫だ。
黒い歪な骸骨を、小夜子は近くの別の1匹めがけて投げる。
球技は時間数の少ない体育で嗜むだけの雑な投てき。
だが醜く卑しい屍虫の頭蓋は、かつての仲間を道連れにしようとするが如く不自然な軌跡を描いて1匹の腹を貫通し、その後に続く群の真っ只中に転がりこむ。
そして爆発。
黒ずんだ骨と、破邪の魔力が形作る破片が周囲一面に飛散する。
正邪の力を併せ持った破片は、近くにいた屍虫どもをズタズタに斬り裂く。
さしずめ魔法の破片手榴弾といったところか。
小夜子は背後のシャドウ・ザ・シャーク――KAGEをちらりと盗み見て笑う。
師を見やって誇らしげに笑う。
ゾンビ――悪臭と犯罪をまき散らす喫煙者の慣れ果てを、より惨たらしく屠るための新たな呪術は彼女の教えで得られたものだ。小夜子は満足だった。
もちろん楓も負けてはいない。
膝をついて両の掌を地面に押しつける。
白い両腕はそのまま地面に埋まる。
次の瞬間、小夜子を避けて襲い来る群の先頭の1匹の足元から楓の手が出てつかむ。
魔神で敵を攻撃する【魔神の裁き】の応用だ。
足をとられた屍虫はつんのめり、カギ爪で手を払おうとする。
だが楓はさらに呪文を唱える。
すると、ゾンビの身体は何の前触れもなくひしゃげて潰れた。
そして薄汚いヤニ色をした槍となり、かつての同胞めがけて飛来して穿つ。
即ち【穢肉の巨刃】。
そのように凄惨な魔術を、呪術を次々に繰り出し屍虫を屠る皆の背後で、
「お恥ずかしいところを見せてしまいましたね」
「いえいえ」
KAGEがゆっくりと立ち上がる。
そんな彼女を、殺りくを満喫しながら楓は振り返る。
「素晴らしい技術の伝授に続き、生きのいい手頃な標的まで用意して頂けるなんて感謝の言葉もありませんよ。流石は我が師匠」
そう語る時間すら惜しむように、視線を戻して虐殺にいそしむ。
マァト神を奉ずる呪文とともに屍虫どもが次々にはじけ、ひしゃげ、腐肉の槍となって仲間の屍虫を穿つ。
そんな様子を見やりながら、KAGEの口元には笑み。
自身を窮地に追いこんだ珍走団の群も、楓や小夜子にとっては只の標的らしい。
それは自身と同じように大事なものを失った若き術者たちが、喪失と向き合い打ち勝った証だ。……楓に関しては単に性根がサイコパスなだけの疑いもあるが。
どちらにせよ、彼女らの前でいつまでも醜態を晒す気はKAGEにはない。
だから地面をしっかり踏みしめて、
「マジック・アップ!」
叫ぶとともに、幼児体形に魔法の光が包帯のように絡みつく。
光と化したKAGEの姿は膨らみ、のびて、グラマラスな女性の姿へと変わる。
そして光が止んだとき、そこにはひとりのヒーローがいた。
多彩なサメ術を使いこなすサメ女ヒーロー、シャドウ・ザ・シャークだ。
「ではわたしも、師匠として恥ずかしくない戦いをせねばなりませんね」
言いつつ映画映えする仕草で掌をかざす。
途端、迫り来るゾンビどもがまとめて破裂する。
以前に楓たちにも披露した【死鬼爆発】。体内のニコチンを爆発させる魔術。
その隙に数匹が背後から襲いかかる。
だがシャドウ・ザ・シャークは動じない。
グラマラスなタイツの背中にいきなり霊体のサメの頭があらわれ、実体化しながら襲いかかってゾンビの胴を喰い千切る。
即ち【狂獣の装甲】。
タイツを構成する【生体装甲】で攻撃を防ぎ、【獣撃】で反撃する魔術だ。
さらにサメ女ヒーローは地に掌を向け【血肉の大天使の召喚】を行使する。
大地を裂いてあらわれた巨大な2体のランドシャークは、ナイフのような鋭い歯がズラリと並んだ巨大な口を広げてゾンビどもへ襲いかかる。
だが、そんな一行の目前、迫り来るゾンビの群の中心に、サメと同じように地を裂いて、サメより巨大な何かが出現した。
薄汚いヤニ色のそれは、全身からうめき声をあげながら立ち上がる。
「ええっ!? 何よこれ……」
見やったサチが驚愕に目を見開く。
それはヤニ色の巨人だった。
正確に言い表すなら、脂虫を歪に組み合わせた巨大な人型のオブジェ。
両腕それぞれがねじられた脂虫。
両足のそれぞれが、何匹かを無理やりに接合された脂虫。
胴の上の頭部も手足を折りたたまれた脂虫。
十数匹の喫煙者を材料にして、薄汚い皮膚も衣服もないまぜに無造作に融合させ、貼り合わせ、組み立てて造られた醜悪なオブジェ。
それが両腕を揺らせながら、ゾンビの群れともに一行に襲いかかる。
手足の先に残る、唇に煙草が癒着した醜い顔からうめき声をあげながら。
クラフターが【屍操作】を駆使して作成し、周到に準備していた秘密兵器。
言うなればクラフター・ジャイアントゾンビだ。
「……下がって、サチ」
巫女服姿の恋人を庇い、小夜子が巨人の前に立ちはだかる。
戦闘セーラー服を着こんだ小夜子の頭上で揺れる猫耳カチューシャは、小夜子が修めたナワリ呪術における身体強化【ジャガーの戦士】の媒体だ。
普通の人間にとって、十数匹の喫煙者が組み合わさった醜悪な巨人は恐怖の対象だ。
だが脂虫や屍虫への暴虐と殺戮は小夜子のライフワークでもある。
小夜子は忌まわしい脂虫――喫煙者への嫌悪と憎悪を力に変えられる人間だ。
だから巨大な喫煙者オブジェを見やる小夜子の口元にはサメのような笑みが浮かぶ。
小夜子の前にあらわれた喫煙者の末路は、すべからく同じだ。
自身の邪悪さと醜悪さに似つかわしい残酷で惨たらしい最後を迎えるのだ。
例外はない。
若くても、年老いていても、猿の如く痩せこけていても、豚のように肥えていても。
もちろん繋ぎ合わされて巨人になっていても同じだ。
喫煙者は死なねばならない。
速やかに、残虐に、徹底的に殺されなければならない。
そのような絶対不変の善を体現すべく、ナワリ呪術師の両手には新たな骸骨手榴弾。
会得したばかりの【頭蓋を加工する掌】を、小夜子は早くも使いこなしていた。
――おおぉぉぉ………………
巨人の材料にされた喫煙者のうめき声が、骸骨にされた罪人のうめきと混じり合う。
どちらも生前の邪悪な意思を残しているが骸と同等の存在だ。
喫煙者はその意思と生命に価値を持たず、ただ殺されるための存在だからだ。
だから小夜子は両手の骸骨を巨人めがけて投げる。
2つの不気味な骸骨は不自然な挙動で宙を舞い、己の同類である巨人の胴と右脚に当たって破片と腐った肉片を散らす。
だが巨大なオブジェにはさほどの打撃を与えられていない。
舌打ちする小夜子の側に――
「――まあ嫌いではないですよ。あのセンスは」
楓が立つ。
今日の楓はウェーブのかかった髪をなびかせ、いつもの眼鏡もかけていない。
そのいでたちは喫煙者を惨たらしく殺すための、いわば彼女の正装だ。
そんな彼女の周囲には、金縁とヒエログリフと宝石で飾られた4枚の盾が浮かぶ。
彼女が【石の盾】の魔術で創造した岩盾だ。
楓もまた喫煙者の殺戮を心の底から楽しめる種類の人間である。
しかも彼女はアーティストだ。
喫煙者への蹂躙と暴虐そのものを喜びとする小夜子と比べ、楓は醜悪な喫煙者どもを自らの心が赴くまま解体して美しく凄惨なアートへと変えることを好む。
そんな楓は、喫煙者を歪に組み合わせたクラフターの作品をアートとして評価した。
だが喫煙者で造られたアートは、悲惨で痛ましい断末魔に彩られてこそ完成する。
だから楓は素早く呪文を唱える。
奉ずる神はもちろんマァト。
正義と裁き――つまり喫煙者の殺害を体現する神の名の元に、巨人の片腕が歪む。
脂虫を槍と化して放つ【穢肉の巨刃】で、巨人を自傷させようというのだ。
邪悪で卑しい喫煙者が唯一することができる善行、それは自死である。だが、
「く……っ」
楓の額を汗がつたう。
薄汚い色をした歪な腕は、贖罪の機会を投げ捨てるように変化を拒む。
喫煙者を巨人の形に固めているクラフターの強固な魔力が、善なるマァトの聖名を借りた楓の魔力に抵抗しているのだ。
小夜子が援護とばかりにアサルトライフルを掃射する。
小口径ライフル弾が巨人の四肢を構成する喫煙者を穿ち、ヤニ色の飛沫を散らす。
撃ち抜かれた喫煙者どもが苦痛にうめく。
だが巨人の構造そのものを崩すには至らない。
それどころか施術の隙をついてゾンビどもが楓に襲いかかる。
空を舞う4枚の岩盾が2匹を押さえつけて阻む。
だが盾の防護をかいくぐった1匹が楓のわき腹めがけてカギ爪を振るい――
「――おおっと」
目標に上下分割して避けられ宙を斬る。
楓の身体は自身が行使した【変身術】の影響下にある。
だからアートする心が赴くままに、自身の姿を変えることができる。
加えて術に習熟した今ではメジェド神のようにプログラミングを施すことで、ある程度なら自動的に変化して身を守ることができる。
妹と比べて運動能力が心ともない楓の新たな防御手段だ。
楓の下半身はゾンビを蹴り上げる。
上半身は胴の下を巨大な逆ピラミッドに変化させてゾンビの頭を強打する。
怯んだゾンビを、飛んできた水の弾丸【急流弾】が射抜く。
「僭越ながら、わたしも協力いたしましょう」
小夜子と楓の側に、さらに立ったのはサメ銃を構えた全身タイツ。
シャドウ・ザ・シャークだ。
彼女は先ほどまで2匹のホオジロザメを操り周囲のゾンビどもを屠っていたのだ。
そんなサメ女ヒーローは、楓と並んで呪文を唱える。
奉ずるは大天使ハニエル。
ウアブにおける正義の象徴マァト、美を司るハトホル、魔力そのものを統べるイシスを習合した、正に喫煙者の天敵である善と正義そのものだ。
そんな聖なる呪文に応じ、楓が変化させようとしていた巨人の片腕がひしゃげる。
即ち【屍鬼の魔槍】。
ウアブの【穢肉の巨刃】に相当する高等魔術。
2人がかりの聖なる御業の前に、下劣な喫煙者が長々と抵抗できる道理はない。
だから巨人のひしゃげた腕は自らもげ、引き伸ばされて腐肉の槍と化す。
次いでひとりでに宙を舞う。
そして、かつて自身とひとつだったヤニ色の腹に勢いよく突き刺さる。
巨人の胴体を構成する何匹もの喫煙者が苦痛にうめき、叫ぶ。
胸を貫く脂虫の槍は、再び本体に融合したりはしない。
マァト神の、大天使ハニエルの御名を用いた神聖なる魔術で捻じ曲げ引き伸ばされた喫煙者の材質そのものが別のものに創り変えられてしまったからだ。
シャドウ・ザ・シャークのマスクの口元に笑みが浮かぶ。
先ほど彼女は、クラフターが操るゾンビに水とサメで応戦した。
数が多いだけのゾンビどもを蹴散らすには、地水風火の元素をそのままぶつけるほうが手っ取り早くて効率的だからだ。
けれど巨大に組み合わされたジャイアントゾンビには破邪の力で対抗する。
聖なる御名は効果を及ぼす数こそ元素の攻撃魔法には及ばないが、邪悪で穢れた喫煙者とその眷属には特別で致命的な効果を及ぼす。
だが、それでも巨人の動きを止めるには至らない。
巨人は不格好に残った片腕を振り回し、手近なゾンビをつかんで投げる。
ゾンビは一行の後方に控えるサチめがけて飛来し、
「サチ!?」
「かけまくもかしこき大山津見神――」
祝詞とともに地面から生えた岩壁に激突して潰れる。
即ち【地守法】。
「よくもサチを!」
小夜子が怒り狂って叫ぶ。
シャドウ・ザ・シャークに代わってアサルトライフルで喫煙者ゾンビどもを蜂の巣にしつつ、掻い潜ってきた1匹の心臓をえぐり取る。
そして巨人めがけて投てきする。
指先から溢れる【霊の鉤爪】と、身体を強化する【ジャガーの戦士】をもってすれば造作ない。だから続けざまに、
「斬り刻め! 羽毛ある蛇!」
叫ぶと同時にヤニ色の心臓ははじけ、鋭い風の刃となって巨人の胸を叩き斬る。
贄によって強化された【切断する風】だ。
巨人の胴に埋めこまれた数匹の喫煙者が泣き叫ぶ。
だが巨人の巨躯にとってはさしたるダメージになっていない。
それでも巨人が怯んだ隙に、楓とシャドウ・ザ・シャークの次なる呪文が完成した。
聖なるマァトの、ハニエルの聖名により、巨人のもう片方の腕が歪む。
ニコチンが混じった体液が沸騰し、ぶくぶくと無秩序に膨らむ。
そして限界まで膨らんで、爆ぜた。
楓の【沸騰する悪血】。
シャドウ・ザ・シャークの【死鬼沸騰】。
師と弟子が同時に行使した行使した神聖なる破邪の魔術によって、悪臭漂う喫煙者でできた巨人は両腕を失い激痛と恐怖にうめく。
不潔で邪悪な喫煙者を繋げて造られた命が辿るべき末路は喫煙者そのものと同じ。
すなわち苦痛と悔恨に満ちた死。断罪だ。
――おおぉぉぉ………………
巨人を構成する不遜で邪悪な喫煙者――人が人間性を捨て去って生まれた慣れ果てどもが、与えられる罰から逃れようとするかのように醜く惨めに叫ぶ。
だがシャドウ・ザ・シャークは容赦しない。
腐肉の巨人の礎である喫煙者どもが如何に邪悪で度し難い存在か、彼女は身をもって知っている。奴らが最後の1匹になり絶滅するまで攻撃の手を止めることはない。
それは彼女が高等魔術を修めた理由でもある。
だからサメ女ヒーローは、素早く次なる魔術を行使する。
短く厳粛な呪文をともに、喫煙者を丸めて造った巨人の頭が爆発する。
体内のニコチンを爆発させる【死鬼爆発】。
神聖な魔力が変化した聖火によって汚い血肉が焼かれ、砕かれ、ばら撒かれる。
同時に巨人の歩みが止まる。
汚い案山子のように立ちすくみながら、残った部位にこびりついた頭部の煙草の癒着した口から不快な叫びとうめき声を垂れ流す。
どうやら巨人の身体全体を制御するコマンドを、頭部に集約させていたらしい。
「今です! 小夜子さん!」
「ええ! ぶちかましちゃってください」
手にした拳銃でゾンビを片づけながら楓が叫ぶ。
側でシャーク・シューターから水弾を撃ちつつシャドウ・ザ・シャークがうなずく。
周囲では2匹のサメが縦横無尽に宙を駆け、ゾンビどもを喰いちぎる。
4体のメジェドも負けじと目からレーザーを放ってゾンビどもを焼き貫く。
「了解」
小夜子は撃ち尽くしたアサルトライフルの弾倉を落として新しい弾倉と交換する。
背後を見やる。
小型のリボルバー拳銃を片手に皆の【護身神法】を維持していたサチと目が合う。
2人は一瞬だけ見つめ合い、
「――すぐに片づけるわ」
巨人に向き直る。
集中する。
次なる術の焦点は、巨人を構成している――していた喫煙者ども。
小夜子は雄叫びをあげながら、巨人めがけて突き進む。
動かない巨人めがけてアサルトライフルを掃射する。
特別製の小口径ライフル弾が巨人の下半身を、周囲にいたゾンビどもを穿つ。
次の瞬間、喫煙者の慣れ果てどもは撃たれた個所から黒曜石と化す。
黒曜石への変化はヤニで歪んだ身体を侵食する。
そして黒曜石と化した個所は崩壊し、風に溶けるように消え去る。
そのようにして喫煙者どもの肉体はゆっくりと解体される。
跡にはヤニ色の心臓だけが残される。
即ち、生贄である喫煙者を生きたまま解体する【生贄を屠る刃】の呪術。
だが小夜子の施術は終わっていない。
ゾンビどもの心臓が【蠢く風】による温い風に乗って巨人の周囲に集まる。
両腕と頭、片足を失ったそれを巨人と呼ぶならの話だが。そして、
「焼き払え! 喰らい尽くせ! トルコ石の蛇!」
小夜子は叫ぶ。
途端、爆発。
アサルトライフルの有効射程ほど離れていても肌を焼く熱風。
耳をつんざく凄まじい破壊のドラム。
爆発の衝撃が大地を揺るがす。
複数の追加の贄によって強化された大魔法【虐殺する火】。
その凄まじい威力の前に、ヤニ色の巨人は跡形もなく四散し、燃え尽きた。
小夜子の背後でサチが、楓が、シャドウ・ザ・シャークが笑う。
4人はクラフターが残したジャイアントゾンビを破壊することができたのだ。
残る僅かなゾンビどもを殲滅すれば――
「――次はクラフター本人ね」
小夜子は死霊使いが去って行ったと思しき方向を一瞥する。
今ごろは紅葉が単身で追跡しているはずだ。
早急に追いついて、死霊使いに楽しい歓迎の礼をするべきだろう。
皆の考えも同じなようだ。だから、
「急ぎましょう」
「ええ」
サチの言葉に、小夜子はすぐさま次の行動に移った。
直接戦闘に適性のない彼女は、それでもサメ術を駆使してゾンビの群れに対抗する。
だがクラフターの呪術によって、ゾンビどもはシャドウ・ザ・シャーク――KAGEがすべてを失った10年前のトラウマを掘り起こした。
恐怖で魔法を維持できなくなったKAGEを、珍走団を模したゾンビが取り囲み――
「――その前に、おまえたちがわたしを楽しませるんだ」
「What!?」
「間に合ったようだね」
KAGEの危機を紅葉が救った。
続いてゾンビの残骸でできた腐肉の門からあらわれたのは楓に小夜子にサチ。
4人の若き術者たちだ。
KAGEのピンチに颯爽とあらわれた仲間たちは、幼児体形の大人を取り囲む珍走団どもを見やるや否や襲いかかる。
小夜子は指からのびる光のカギ爪【霊の鉤爪】を振るってゾンビどもを斬り刻む。
楓は拳銃で学ランを蜂の巣にする。
その側で、紅葉は【水の斬撃】で水の刃を操りゾンビの四肢を次々に切断する。
珍走団の集団は、そのようにして瞬時に壊滅した。
学ランどもは屠られると同時に【幻影】が解けて元の姿に戻るが、薄汚いゾンビの格好など誰も気にしない。
「これでもう大丈夫ですよ」
「お手数をおかけします」
サチの施術によって、KAGEの注連縄にこめられた【護身神法】が力を取り戻す。
そして皆は、残るゾンビとクラフターからKAGEを守るように身構える。
皆をこの場所に導いた小夜子の口元にはサメのような笑みが浮かぶ。
死霊使いクラフターがゾンビを操る以上、小夜子からは逃れられない。
小夜子が得手とする【供物の門】はゾンビ――屍虫や脂虫を門にして転移する。
クラフターが斥候代わりに広範囲に配置していたゾンビの1匹を門の入り口に、ゾンビが密集していたこの場所にいるうち1匹を出口にしたのだ。
そして小夜子は脂虫の殺戮者だ。
クラフターの手駒であるゾンビとそれらへの暴虐は、蜜の如く小夜子を引き寄せる。
「それにしても、紅葉ちゃんがこういうのを楽しいと言ってくれて安心しました」
蜂の巣にされ、斬り刻まれたヤニ色の残骸を背に、新たに迫り来るゾンビの集団に向き直りつつ一見すると緊張感のない楓の言葉に、
「別にわたしは脂虫への怒りを忘れた訳じゃないよ。姉さんたちが普段してるみたいに無抵抗な状態でいたぶったり痛めつけるのが性に合わないだけで」
水の刃【水の斬撃】を杖の形にして構えながら紅葉は苦笑する。
「えっそんなことしてるの!? 小夜子ちゃん?」
「いやその。……ちょっと紅葉ちゃん」
四馬鹿の漫才じみたトークの流れでサチに詰め寄られた小夜子が紅葉を睨む。
だが当の紅葉は小夜子には構わず、
「やあ、また会えたね」
「君たちとの再会に乾杯」
ゾンビの集団の奥に立つ、クラフターと凄みのある笑みを交わす。
水曜日の夕方に、彼女ら4人とクラフターは偶然にも邂逅した。
だが勝負はつかなかった。
いわば今回は、そのリターンマッチだ。
だから紅葉は矢継ぎ早に呪文を唱える。
奉ずるは風と大気を操るシュウ神、大地を統べるゲブ神。
天地を操る神の聖名により行使したのは【爆風走】【爆地走】。
前者は風を、後者は大地を操り加速する呪術だ。
二重の加護で我がものとした超加速を多種のスポーツで鍛えた身体感覚で操り、若きウアブ呪術師はゾンビの群れをかき分けて走る。
目指すはゾンビの群れを操るクラフター。
すれ違うゾンビの何匹かが鋭いカギ爪で襲いかかる。
だが肉体の凶器は見えざる障壁【護身神法】に阻まれて紅葉には届かない。
左腕に巻いた注連縄が微かにゆれるのみ。
さらに妹の援護とばかりに楓が動く。
何の溜めもなくなく突き出された左手の、5本の指の先から光線が放たれる。
青緑色の光線それぞれが紅葉に接敵した5匹のゾンビを照射する。
途端、ゾンビどもは歪に膨らんで爆ぜる。
即ち【沸騰する悪血】。
ニコチンが混じったゾンビの体液を沸騰させて破壊する魔術だ。
次いで楓の周囲に4体のメジェド神が出現する。
メジェドたちは双眸からレーザー光線を放ってゾンビを焼く。
さらに続くは小夜子。
飛散する飛沫を【護身神法】の不可視の障壁で凌ぎつつ、脂虫の群へと踊りこむ。
高速化の呪術【コヨーテの戦士】の赴くまま手近な1匹の腹を強打。
くの字に折れ曲がったヤニ臭い頭をわしづかみにする。
小夜子は拘束された脂虫を痛めつけるのももちろん好きだが、暴れる脂虫や屍虫を更なる圧倒的な力でねじ伏せるのはもっと好きだ! だから、
「罪深き骸を我が槌と化せ! 煙立つ鏡!」
吠えた途端、苦痛と恐怖に叫ぶ屍虫の全身が角張った黒曜石へと変わる。
透き通った黒い石の表皮に無数の陰が嘲笑うようにゆれる。
そして砕けた。
遺されたのは小夜子の手の中の黒ずんだ頭蓋骨のみ。
小夜子が新たに会得したナワリ呪術【頭蓋を加工する掌】。
高等魔術における疑似呪術【髑髏手榴弾】と同様にアンデッド爆弾を作る。
その恐ろしい材料は脂虫だ。
黒い歪な骸骨を、小夜子は近くの別の1匹めがけて投げる。
球技は時間数の少ない体育で嗜むだけの雑な投てき。
だが醜く卑しい屍虫の頭蓋は、かつての仲間を道連れにしようとするが如く不自然な軌跡を描いて1匹の腹を貫通し、その後に続く群の真っ只中に転がりこむ。
そして爆発。
黒ずんだ骨と、破邪の魔力が形作る破片が周囲一面に飛散する。
正邪の力を併せ持った破片は、近くにいた屍虫どもをズタズタに斬り裂く。
さしずめ魔法の破片手榴弾といったところか。
小夜子は背後のシャドウ・ザ・シャーク――KAGEをちらりと盗み見て笑う。
師を見やって誇らしげに笑う。
ゾンビ――悪臭と犯罪をまき散らす喫煙者の慣れ果てを、より惨たらしく屠るための新たな呪術は彼女の教えで得られたものだ。小夜子は満足だった。
もちろん楓も負けてはいない。
膝をついて両の掌を地面に押しつける。
白い両腕はそのまま地面に埋まる。
次の瞬間、小夜子を避けて襲い来る群の先頭の1匹の足元から楓の手が出てつかむ。
魔神で敵を攻撃する【魔神の裁き】の応用だ。
足をとられた屍虫はつんのめり、カギ爪で手を払おうとする。
だが楓はさらに呪文を唱える。
すると、ゾンビの身体は何の前触れもなくひしゃげて潰れた。
そして薄汚いヤニ色をした槍となり、かつての同胞めがけて飛来して穿つ。
即ち【穢肉の巨刃】。
そのように凄惨な魔術を、呪術を次々に繰り出し屍虫を屠る皆の背後で、
「お恥ずかしいところを見せてしまいましたね」
「いえいえ」
KAGEがゆっくりと立ち上がる。
そんな彼女を、殺りくを満喫しながら楓は振り返る。
「素晴らしい技術の伝授に続き、生きのいい手頃な標的まで用意して頂けるなんて感謝の言葉もありませんよ。流石は我が師匠」
そう語る時間すら惜しむように、視線を戻して虐殺にいそしむ。
マァト神を奉ずる呪文とともに屍虫どもが次々にはじけ、ひしゃげ、腐肉の槍となって仲間の屍虫を穿つ。
そんな様子を見やりながら、KAGEの口元には笑み。
自身を窮地に追いこんだ珍走団の群も、楓や小夜子にとっては只の標的らしい。
それは自身と同じように大事なものを失った若き術者たちが、喪失と向き合い打ち勝った証だ。……楓に関しては単に性根がサイコパスなだけの疑いもあるが。
どちらにせよ、彼女らの前でいつまでも醜態を晒す気はKAGEにはない。
だから地面をしっかり踏みしめて、
「マジック・アップ!」
叫ぶとともに、幼児体形に魔法の光が包帯のように絡みつく。
光と化したKAGEの姿は膨らみ、のびて、グラマラスな女性の姿へと変わる。
そして光が止んだとき、そこにはひとりのヒーローがいた。
多彩なサメ術を使いこなすサメ女ヒーロー、シャドウ・ザ・シャークだ。
「ではわたしも、師匠として恥ずかしくない戦いをせねばなりませんね」
言いつつ映画映えする仕草で掌をかざす。
途端、迫り来るゾンビどもがまとめて破裂する。
以前に楓たちにも披露した【死鬼爆発】。体内のニコチンを爆発させる魔術。
その隙に数匹が背後から襲いかかる。
だがシャドウ・ザ・シャークは動じない。
グラマラスなタイツの背中にいきなり霊体のサメの頭があらわれ、実体化しながら襲いかかってゾンビの胴を喰い千切る。
即ち【狂獣の装甲】。
タイツを構成する【生体装甲】で攻撃を防ぎ、【獣撃】で反撃する魔術だ。
さらにサメ女ヒーローは地に掌を向け【血肉の大天使の召喚】を行使する。
大地を裂いてあらわれた巨大な2体のランドシャークは、ナイフのような鋭い歯がズラリと並んだ巨大な口を広げてゾンビどもへ襲いかかる。
だが、そんな一行の目前、迫り来るゾンビの群の中心に、サメと同じように地を裂いて、サメより巨大な何かが出現した。
薄汚いヤニ色のそれは、全身からうめき声をあげながら立ち上がる。
「ええっ!? 何よこれ……」
見やったサチが驚愕に目を見開く。
それはヤニ色の巨人だった。
正確に言い表すなら、脂虫を歪に組み合わせた巨大な人型のオブジェ。
両腕それぞれがねじられた脂虫。
両足のそれぞれが、何匹かを無理やりに接合された脂虫。
胴の上の頭部も手足を折りたたまれた脂虫。
十数匹の喫煙者を材料にして、薄汚い皮膚も衣服もないまぜに無造作に融合させ、貼り合わせ、組み立てて造られた醜悪なオブジェ。
それが両腕を揺らせながら、ゾンビの群れともに一行に襲いかかる。
手足の先に残る、唇に煙草が癒着した醜い顔からうめき声をあげながら。
クラフターが【屍操作】を駆使して作成し、周到に準備していた秘密兵器。
言うなればクラフター・ジャイアントゾンビだ。
「……下がって、サチ」
巫女服姿の恋人を庇い、小夜子が巨人の前に立ちはだかる。
戦闘セーラー服を着こんだ小夜子の頭上で揺れる猫耳カチューシャは、小夜子が修めたナワリ呪術における身体強化【ジャガーの戦士】の媒体だ。
普通の人間にとって、十数匹の喫煙者が組み合わさった醜悪な巨人は恐怖の対象だ。
だが脂虫や屍虫への暴虐と殺戮は小夜子のライフワークでもある。
小夜子は忌まわしい脂虫――喫煙者への嫌悪と憎悪を力に変えられる人間だ。
だから巨大な喫煙者オブジェを見やる小夜子の口元にはサメのような笑みが浮かぶ。
小夜子の前にあらわれた喫煙者の末路は、すべからく同じだ。
自身の邪悪さと醜悪さに似つかわしい残酷で惨たらしい最後を迎えるのだ。
例外はない。
若くても、年老いていても、猿の如く痩せこけていても、豚のように肥えていても。
もちろん繋ぎ合わされて巨人になっていても同じだ。
喫煙者は死なねばならない。
速やかに、残虐に、徹底的に殺されなければならない。
そのような絶対不変の善を体現すべく、ナワリ呪術師の両手には新たな骸骨手榴弾。
会得したばかりの【頭蓋を加工する掌】を、小夜子は早くも使いこなしていた。
――おおぉぉぉ………………
巨人の材料にされた喫煙者のうめき声が、骸骨にされた罪人のうめきと混じり合う。
どちらも生前の邪悪な意思を残しているが骸と同等の存在だ。
喫煙者はその意思と生命に価値を持たず、ただ殺されるための存在だからだ。
だから小夜子は両手の骸骨を巨人めがけて投げる。
2つの不気味な骸骨は不自然な挙動で宙を舞い、己の同類である巨人の胴と右脚に当たって破片と腐った肉片を散らす。
だが巨大なオブジェにはさほどの打撃を与えられていない。
舌打ちする小夜子の側に――
「――まあ嫌いではないですよ。あのセンスは」
楓が立つ。
今日の楓はウェーブのかかった髪をなびかせ、いつもの眼鏡もかけていない。
そのいでたちは喫煙者を惨たらしく殺すための、いわば彼女の正装だ。
そんな彼女の周囲には、金縁とヒエログリフと宝石で飾られた4枚の盾が浮かぶ。
彼女が【石の盾】の魔術で創造した岩盾だ。
楓もまた喫煙者の殺戮を心の底から楽しめる種類の人間である。
しかも彼女はアーティストだ。
喫煙者への蹂躙と暴虐そのものを喜びとする小夜子と比べ、楓は醜悪な喫煙者どもを自らの心が赴くまま解体して美しく凄惨なアートへと変えることを好む。
そんな楓は、喫煙者を歪に組み合わせたクラフターの作品をアートとして評価した。
だが喫煙者で造られたアートは、悲惨で痛ましい断末魔に彩られてこそ完成する。
だから楓は素早く呪文を唱える。
奉ずる神はもちろんマァト。
正義と裁き――つまり喫煙者の殺害を体現する神の名の元に、巨人の片腕が歪む。
脂虫を槍と化して放つ【穢肉の巨刃】で、巨人を自傷させようというのだ。
邪悪で卑しい喫煙者が唯一することができる善行、それは自死である。だが、
「く……っ」
楓の額を汗がつたう。
薄汚い色をした歪な腕は、贖罪の機会を投げ捨てるように変化を拒む。
喫煙者を巨人の形に固めているクラフターの強固な魔力が、善なるマァトの聖名を借りた楓の魔力に抵抗しているのだ。
小夜子が援護とばかりにアサルトライフルを掃射する。
小口径ライフル弾が巨人の四肢を構成する喫煙者を穿ち、ヤニ色の飛沫を散らす。
撃ち抜かれた喫煙者どもが苦痛にうめく。
だが巨人の構造そのものを崩すには至らない。
それどころか施術の隙をついてゾンビどもが楓に襲いかかる。
空を舞う4枚の岩盾が2匹を押さえつけて阻む。
だが盾の防護をかいくぐった1匹が楓のわき腹めがけてカギ爪を振るい――
「――おおっと」
目標に上下分割して避けられ宙を斬る。
楓の身体は自身が行使した【変身術】の影響下にある。
だからアートする心が赴くままに、自身の姿を変えることができる。
加えて術に習熟した今ではメジェド神のようにプログラミングを施すことで、ある程度なら自動的に変化して身を守ることができる。
妹と比べて運動能力が心ともない楓の新たな防御手段だ。
楓の下半身はゾンビを蹴り上げる。
上半身は胴の下を巨大な逆ピラミッドに変化させてゾンビの頭を強打する。
怯んだゾンビを、飛んできた水の弾丸【急流弾】が射抜く。
「僭越ながら、わたしも協力いたしましょう」
小夜子と楓の側に、さらに立ったのはサメ銃を構えた全身タイツ。
シャドウ・ザ・シャークだ。
彼女は先ほどまで2匹のホオジロザメを操り周囲のゾンビどもを屠っていたのだ。
そんなサメ女ヒーローは、楓と並んで呪文を唱える。
奉ずるは大天使ハニエル。
ウアブにおける正義の象徴マァト、美を司るハトホル、魔力そのものを統べるイシスを習合した、正に喫煙者の天敵である善と正義そのものだ。
そんな聖なる呪文に応じ、楓が変化させようとしていた巨人の片腕がひしゃげる。
即ち【屍鬼の魔槍】。
ウアブの【穢肉の巨刃】に相当する高等魔術。
2人がかりの聖なる御業の前に、下劣な喫煙者が長々と抵抗できる道理はない。
だから巨人のひしゃげた腕は自らもげ、引き伸ばされて腐肉の槍と化す。
次いでひとりでに宙を舞う。
そして、かつて自身とひとつだったヤニ色の腹に勢いよく突き刺さる。
巨人の胴体を構成する何匹もの喫煙者が苦痛にうめき、叫ぶ。
胸を貫く脂虫の槍は、再び本体に融合したりはしない。
マァト神の、大天使ハニエルの御名を用いた神聖なる魔術で捻じ曲げ引き伸ばされた喫煙者の材質そのものが別のものに創り変えられてしまったからだ。
シャドウ・ザ・シャークのマスクの口元に笑みが浮かぶ。
先ほど彼女は、クラフターが操るゾンビに水とサメで応戦した。
数が多いだけのゾンビどもを蹴散らすには、地水風火の元素をそのままぶつけるほうが手っ取り早くて効率的だからだ。
けれど巨大に組み合わされたジャイアントゾンビには破邪の力で対抗する。
聖なる御名は効果を及ぼす数こそ元素の攻撃魔法には及ばないが、邪悪で穢れた喫煙者とその眷属には特別で致命的な効果を及ぼす。
だが、それでも巨人の動きを止めるには至らない。
巨人は不格好に残った片腕を振り回し、手近なゾンビをつかんで投げる。
ゾンビは一行の後方に控えるサチめがけて飛来し、
「サチ!?」
「かけまくもかしこき大山津見神――」
祝詞とともに地面から生えた岩壁に激突して潰れる。
即ち【地守法】。
「よくもサチを!」
小夜子が怒り狂って叫ぶ。
シャドウ・ザ・シャークに代わってアサルトライフルで喫煙者ゾンビどもを蜂の巣にしつつ、掻い潜ってきた1匹の心臓をえぐり取る。
そして巨人めがけて投てきする。
指先から溢れる【霊の鉤爪】と、身体を強化する【ジャガーの戦士】をもってすれば造作ない。だから続けざまに、
「斬り刻め! 羽毛ある蛇!」
叫ぶと同時にヤニ色の心臓ははじけ、鋭い風の刃となって巨人の胸を叩き斬る。
贄によって強化された【切断する風】だ。
巨人の胴に埋めこまれた数匹の喫煙者が泣き叫ぶ。
だが巨人の巨躯にとってはさしたるダメージになっていない。
それでも巨人が怯んだ隙に、楓とシャドウ・ザ・シャークの次なる呪文が完成した。
聖なるマァトの、ハニエルの聖名により、巨人のもう片方の腕が歪む。
ニコチンが混じった体液が沸騰し、ぶくぶくと無秩序に膨らむ。
そして限界まで膨らんで、爆ぜた。
楓の【沸騰する悪血】。
シャドウ・ザ・シャークの【死鬼沸騰】。
師と弟子が同時に行使した行使した神聖なる破邪の魔術によって、悪臭漂う喫煙者でできた巨人は両腕を失い激痛と恐怖にうめく。
不潔で邪悪な喫煙者を繋げて造られた命が辿るべき末路は喫煙者そのものと同じ。
すなわち苦痛と悔恨に満ちた死。断罪だ。
――おおぉぉぉ………………
巨人を構成する不遜で邪悪な喫煙者――人が人間性を捨て去って生まれた慣れ果てどもが、与えられる罰から逃れようとするかのように醜く惨めに叫ぶ。
だがシャドウ・ザ・シャークは容赦しない。
腐肉の巨人の礎である喫煙者どもが如何に邪悪で度し難い存在か、彼女は身をもって知っている。奴らが最後の1匹になり絶滅するまで攻撃の手を止めることはない。
それは彼女が高等魔術を修めた理由でもある。
だからサメ女ヒーローは、素早く次なる魔術を行使する。
短く厳粛な呪文をともに、喫煙者を丸めて造った巨人の頭が爆発する。
体内のニコチンを爆発させる【死鬼爆発】。
神聖な魔力が変化した聖火によって汚い血肉が焼かれ、砕かれ、ばら撒かれる。
同時に巨人の歩みが止まる。
汚い案山子のように立ちすくみながら、残った部位にこびりついた頭部の煙草の癒着した口から不快な叫びとうめき声を垂れ流す。
どうやら巨人の身体全体を制御するコマンドを、頭部に集約させていたらしい。
「今です! 小夜子さん!」
「ええ! ぶちかましちゃってください」
手にした拳銃でゾンビを片づけながら楓が叫ぶ。
側でシャーク・シューターから水弾を撃ちつつシャドウ・ザ・シャークがうなずく。
周囲では2匹のサメが縦横無尽に宙を駆け、ゾンビどもを喰いちぎる。
4体のメジェドも負けじと目からレーザーを放ってゾンビどもを焼き貫く。
「了解」
小夜子は撃ち尽くしたアサルトライフルの弾倉を落として新しい弾倉と交換する。
背後を見やる。
小型のリボルバー拳銃を片手に皆の【護身神法】を維持していたサチと目が合う。
2人は一瞬だけ見つめ合い、
「――すぐに片づけるわ」
巨人に向き直る。
集中する。
次なる術の焦点は、巨人を構成している――していた喫煙者ども。
小夜子は雄叫びをあげながら、巨人めがけて突き進む。
動かない巨人めがけてアサルトライフルを掃射する。
特別製の小口径ライフル弾が巨人の下半身を、周囲にいたゾンビどもを穿つ。
次の瞬間、喫煙者の慣れ果てどもは撃たれた個所から黒曜石と化す。
黒曜石への変化はヤニで歪んだ身体を侵食する。
そして黒曜石と化した個所は崩壊し、風に溶けるように消え去る。
そのようにして喫煙者どもの肉体はゆっくりと解体される。
跡にはヤニ色の心臓だけが残される。
即ち、生贄である喫煙者を生きたまま解体する【生贄を屠る刃】の呪術。
だが小夜子の施術は終わっていない。
ゾンビどもの心臓が【蠢く風】による温い風に乗って巨人の周囲に集まる。
両腕と頭、片足を失ったそれを巨人と呼ぶならの話だが。そして、
「焼き払え! 喰らい尽くせ! トルコ石の蛇!」
小夜子は叫ぶ。
途端、爆発。
アサルトライフルの有効射程ほど離れていても肌を焼く熱風。
耳をつんざく凄まじい破壊のドラム。
爆発の衝撃が大地を揺るがす。
複数の追加の贄によって強化された大魔法【虐殺する火】。
その凄まじい威力の前に、ヤニ色の巨人は跡形もなく四散し、燃え尽きた。
小夜子の背後でサチが、楓が、シャドウ・ザ・シャークが笑う。
4人はクラフターが残したジャイアントゾンビを破壊することができたのだ。
残る僅かなゾンビどもを殲滅すれば――
「――次はクラフター本人ね」
小夜子は死霊使いが去って行ったと思しき方向を一瞥する。
今ごろは紅葉が単身で追跡しているはずだ。
早急に追いついて、死霊使いに楽しい歓迎の礼をするべきだろう。
皆の考えも同じなようだ。だから、
「急ぎましょう」
「ええ」
サチの言葉に、小夜子はすぐさま次の行動に移った。
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