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第16章 つぼみになりたい
水曜/夕暮れに集う術者たち
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舞奈と明日香がヴィランたちと思いかけず邂逅した日の翌日。
つまり結界攻略戦を控えた水曜日の、放課後。
統零町の片隅にある教会近くの路地裏で、
「クラフター似の少女が徘徊していたというのは、この近くですか?」
「猫たちの話ではね」
周囲を見渡す楓の問いに紅葉が答える。
日も暮れかけているというのに2人とも制服姿のままだ。
ヴィランより先に女の脂虫に絡まれそうではある。
そんな2人の側には、
「……なんでわたしたちまで」
「まあまあ。怪人が他の人に迷惑をかけないようにしないといけないのは本当だわ」
「それはそうだけど……」
同じく制服姿の小夜子とサチ。
「具体的な場所はわかるの?」
「ごめん。このあたりとしか……」
「まあ、猫だものね」
小夜子は紅葉の答えに苦笑する。
そんな小夜子をサチがなだめる。
ウアブ呪術師である紅葉は猫のネットワークを利用することができる。
街中の猫を介した情報網に、クラフターに似た白人の少女が引っかかったのだ。
なので紅葉は姉を連れ、ヴィラン探しにやってきた。
前回の戦闘では大量の脂虫を操って一行を翻弄したクラフター。
だが猫たちの情報では、異国の少女は街中の脂虫を操って誘拐しているらしい。
消費した手駒を補充している最中なのだろう。
つまり今は、脂虫の軍団はいないと考えるのが自然だ。
加えて、ここは旧市街地だ。
新開発区の奥地にある結界に短距離転移で結界に逃げこむことは不可能。
つまり今なら勝機はある。
ここでヴィランのひとりを討ち取れば、週末の結界攻略は容易になる。
小夜子とサチは、姉の楓にやや強引に引っ張って来てもらった。
死霊使いクラフターを相手に、さすがに単身で挑むのは無謀だと思ったからだ。
単純な戦力の問題もあるが、何というか……現実の彼女の言動は映画と同じくらいアレだったから、その方面で対抗できそうなアレが必要だと思った。なので、
「残念。クラフターはいないでござるか」
「仕方ないよ。紅葉ちゃんも気を落とさないで」
「クラフターは神出鬼没ですからね。あんがい探していると見つからないものですよ」
謎の圧迫感を持つ諜報部のチー……高校生たちにも来てもらった。
側には婦警コスのKAGE――シャドウ・ザ・シャークの中の人。
作戦決行までの間、KAGEはヤニ狩りを手伝うことにしたらしい。
「お2人の煙立つ鏡や神使に反応は?」
「……ないわね」
楓の問いに、小夜子は無常に首を振る。サチのほうも答えは同じ。
小夜子の煙立つ鏡もサチの神使も、役立つのは戦闘や危険回避に限られる。
諜報部の術者として如何なものかと楓は少し思ったが、あえて口には出さなかった。
かくいう楓のウアブ魔術での情報収集の手段は【魔神の創造】技術を応用した占術。
だが楓も占術はさほど得意ではない。
紅葉のウアブ呪術でも猫との対話以外の諜報手段は大規模な占星術くらいだ。
ウアブ呪術が操る魔力が、術者をとりまく森羅万象からではなく空の彼方の星々から与えられるものだからだ。KAGEにも今の状況で役立つ手札はない。なので、
「……ごめん、みんな。足で探そう」
「それしかないわね」
「じゃあ某どもは亜葉露町の繁華街のほうを見回ってくるでござる」
少しばかり意気消沈した紅葉に挨拶し、諜報部の高校生たちは去って行った。
婦警コスも彼らに続く。足取りがどことなくみゃー子ちゃんに似ている気がする。
そんな一行の背中を紅葉はじっと見送る。
出かけ際にKAGEは「私服警官が同行すれば彼らも安心ですね」とか言っていた。
もちろん婦警のコスプレをして。
そんな言動から、紅葉は彼女のアレな人となりを、少しづつ理解し始めていた……
……同じ頃。
亜葉露町の学校近くにある商店街の、スーパーマーケットの一角で、
「ネコポチのチーかまを買ってくるね!」
「母ちゃんから頼まれたものも、ちゃんと買ってくるんだぞ」
「安心して。わたしがついていくわ」
チャビーが明日香を連れて元気に走って行く。
平和な水曜の放課後、舞奈は園香やチャビーの買い物に付き合っていた。
園香は夕食の材料の買い出しだ。
チャビーも珍しく親御さんから買い出しを頼まれたらしい。
お駄賃で子猫のおやつを買うと言ったら明日香もついてきた。
舞奈もどうせなら徳用のモヤシを買って帰ろうと思った。
「ったく、本当に大丈夫なのか?」
2人の背中を見やりながら舞奈は苦笑する。
能天気に走るチャビーとスーパーで買い物なんてしたことなさそうな明日香。
不安しかないのだが……。
「ふふ、明日香ちゃんがついててくれるなら大丈夫だよ」
隣の園香は特に心配もない様子で微笑む。そして、
「それよりマイちゃん。そこにすっごく怖いものがあるんだよ」
「お前がそういうこと言うの珍しいなあ」
「だって、これだよ。見てマイちゃん」
駄菓子売り場の片隅に並ぶ袋の山を指差した。
チャビーは菓子に見向きもせずに子猫のおやつを買いに走ったんだなあと笑いつつ、
『たっぷりラードの揚げポテチ バターマヨネーズ味』
『一口で一週間分のカロリー』
「……なるほど、こりゃ恐ろしい」
見やった舞奈も苦笑する。
如何にも太りそうな踊り文句が気にいらないらしい。
袋のサイズも他の菓子より数周りも大きく、明らかに女子供の食い物ではない。
対する園香は体重を気にする年頃の女の子だ。
それは日々命がけの戦いをしている舞奈からすれば取るに足らない悩みとも言える。
だが舞奈たちが戦うのは、そんな些細な悩みや幸せを守るためだ。
だから口元に穏やかな笑みを浮かべながら、
「心配ないさ。その程度のカロリー、今度泊まった時にでも一晩で消費させてやるぜ」
「ひゃんっ。もう、マイちゃんったら」
園香の尻をなでる。もちろん他の客や監視カメラに見られぬようさりげなく。
だが次の瞬間――
「――公共の往来で、卑猥なことを言ったらダメなのです」
「あっ委員長」
あわてて手を引っこめながら振り向くと、三つ編みおさげに眼鏡の委員長がいた。
「委員長がこういうところに来るの、珍しいなあ」
右手の挙動を誤魔化しがてら何食わぬ表情で問いかけると、
「桜さんの家の夕食の買い出しを手伝っているのです」
「おまえが桜ん家の?」
「はい。桜さんのお母さんから頼まれたのです」
そんな答えが返ってきた。
桜は家族の夕食代を無条件に任せられるほど親御さんからの信用はないらしい。
そこでお目付け役を頼まれるのが流石は委員長と言うべきか。
週末の作戦に必要なコンサートへの参加の是非を、委員長からは聞いていない。
後のスケジュールの都合で、返事の期限は明日いっぱいだ。
だが、それは舞奈が急かすべきものではないとも思う。
桜の親御さんに追従する訳ではないが、委員長はすべきことを正しく判断できる。
だから今も表情には出さぬように、その可否について熟考しているはずだ。
それに対して外野がとやかく言うのはフェアじゃない。
それに委員長は【機関】関係者でもヒーローでもない。
そもそも歌は本来そういう目的のためのものじゃない。
彼女が歌わないと決めたなら、舞奈たちは歌なしで結界に対処するべきだ。
なので舞奈も何食わぬ表情で、
「そっか。御守りお疲れさん」
「マイちゃん! お買い物に妹たちのお守りまでする桜に感心してるのね!」
「……おまえの御守りを労ったんだ」
言った途端に桜があらわれた。
未就学児の2人の妹も一緒だ。
そんな桜が手にしたカゴを委員長が覗きこみ、
「お菓子の値段がお駄賃の分より多いのです。あとピーマンも買わなきゃダメです」
「えーでもピーマンは苦いからいらないのー」
「……ったく、チャビーと同レベルのこと言いやがって」
早速、お目付け役の任を果たす。
桜は口をとがらせる。
「桜さん。言われたものをちゃんと買ってこないと、次からお使いを頼まれなくなったり、お駄賃が減ったりするのです」
「ええー! それは嫌なのー」
桜はあわてて売り場に戻る。
2人の妹も続く。
その背を苦笑しながら見送る舞奈の側で、
「委員長はしっかりしてるね」
「そんなことはないのです」
園香が委員長を労う。
対する委員長は礼儀正しく謙遜する。
その様子に、普段より少し元気がないと感じるのは気のせいだろうか?
「委員長! ピーマンも入れてきたのー」
「あ、桜さん。お帰りなのです」
桜が戻ってきた。
委員長に見せるように差し出したカゴに詰まった商品の上にはピーマンの袋。
それを今度は園香が見やり、
「桜ちゃん、小さいのを選んで来たでしょ?」
「えーだーってー」
母親が子供を諭すように問いかける。
「この材料だと、桜ちゃんのお母さんはピーマンの肉詰めを作ってくれるんじゃないかな? ピーマンが大きいと、お肉がたくさん食べられるよ」
「マミ、おにくたくさんがいいな」
「マコもおにくたべたい」
「でもピーマンは苦いのー」
「肉詰めのピーマンは切り方が違うから苦くないよ。それに、ここのお店は苦くない種類のピーマンも売ってるんだよ」
「えっ苦くないピーマン!?」
「案内するね」
問答の末に納得した桜と妹たちを連れ、再び野菜の売り場へ戻った。
まったく誰が誰の母ちゃんなんだか。
そんな4人の背中を見やりながら、
「……真神さんのほうが凄いのです。お料理のことを何でも知っているのです」
「おまえも大概だぜ。桜が母ちゃんからもらったリストを頭に叩きこんだんだろ?」
「書いてあることを覚えただけなのです」
委員長は少し寂しそうに、ひとりごちるようにこぼす。
「わたしは真神さんや志門さんみたいに、やったことのないことをアドリブでこなすのは苦手なのです。失敗して、皆に迷惑をかけてしまうのです」
「週末の話か……」
ひとりごちるように問いつつ、思わず口元を歪める。
委員長はうなずく。
「結局、安倍さんの歌も無害化することはできなかったのです」
「……おい」
酷い歌が障害になってるじゃねえか。
明日香の背中を見送った売り場の一角を睨む。
それはさておき、やはり委員長は気に病んでいたのだ。
今週末にやってほしいと依頼された、タイトなスケジュールのライブについて。
何故なら彼女は際立ったロックの才と同じくらい、生真面目で責任感が強いから。
「すまん、おまえが無理だと思ったなら断わっても――」
「――それはダメなのです。オーナーはすごく大事な舞台だと言っていたのです」
「そっか……」
委員長の言葉に舞奈は思わず押し黙る。
生真面目で事前の準備を怠らない彼女は、出たとこ勝負のアドリブは苦手らしい。
そういうところは昔の明日香と少し似ている。
加えて責任感も強いから、無下に断って迷惑をかけることもできない。
いかにも委員長らしい袋小路へのはまり方だと思う。
だから、それ以上は……舞奈にはどうしようもない。
今の委員長の迷いを払しょくできる者がいるとすれば、それは彼女と同じくらいロックに造詣が深く、それでいて彼女にはない強さを持った誰かだ。
それは門外漢の舞奈ではない。
そんな想いを巡らせながら口元を歪めたところに、
「ただいまー!」
「あ。チャビーさんに安倍さん」
カゴを手にしたニコニコなチャビーと、ドヤ顔の明日香が帰って来た。
「そっちは、ちゃんと買い物できたのか?」
「当然でしょ」
「ほう、どれどれ……」
舞奈は園香を真似てカゴを覗きこみ、
「チャビーおまえ、チーかまを箱で買えるようなお駄賃をもらってたのか」
「ううん……。でもニンジンを買わなかったらピッタリ足りるんだよ! 安倍さんが計算してくれたから間違いない!」
「いやダメだろう、それは」
「褒められたことじゃないけど、ネコポチちゃんが喜ぶっていうし」
「いやチャビーの母ちゃんの都合はどうなるよ?」
「なによ変なところで意固地になって。人生にはアドリブが必要よ?」
「いや、おまえはアドリブ入れすぎだ。委員長もなんか言ってやってくれ……」
舞奈は疲れた顔でツッコミを入れた。
そして結局、生真面目な委員長と場慣れした園香の指揮の元、皆は正確かつ親御さんからの指示通りに各々のお使いを果たした。
チーかまの箱は明日香がポケットマネー|(カード)で購入してチャビーに持たせた。
そんな一幕があった頃。
統零町の表通り。軍人街の一角で、
「ちーっす。お届け物の双葉あずさのCDです」
通学自転車の側で、長いツインテールの女子中学生が深々と頭を下げる。
以前に委員長と音楽勝負を繰り広げたアーティストの彼女である。
無事にバイトの申請が受理された彼女は、ギターを購入すべくフリーの配送サービスに登録してバリバリ働きまくっていた。
「Thank you,Pixion.お店が開いている時間はずっと仕事なので、自分で買いに行けないんですよ。これはチップです」
「ありがとうございます!」
(うおっスゲー! 外人って本当にチップとかくれるんだ!)
(Oh.Japanese OJIGI)
相対する赤毛の女性ガードマンと互いにカルチャーギャップを堪能した後、
「またのご利用を!」
「See you~!」
愛用の自転車に颯爽とまたがり、厳つい施設の事務所を後にする。
「Bye Pixion」
「あっどうも!」(……ピクシオンってなに?)
正門に2人並んだ金髪のガードマンに挨拶を返しながら次の配送先へと急ぐ。
自転車を走らせながら、ふと思う。
彼らが携えた銃は本物だろうか?
いやまあ警備の最中にモデルガンで遊ぶことはないだろうから……本物!?
というか、付近の施設も似たような身なりのガードマンたちが警備している。
その大半が様々な髪や肌をした外国人だ!
以前から統零町はヤバイ街だと聞いてはいたが、訪れてみると想像以上。
この調子だと、通りの先には閉鎖された廃墟があって、付近の住人がたびたび行方不明になるという荒唐無稽な噂も真実味を帯びてくる。
怖い?
いやロックだ!
彼女の目指す音楽の原点。つまらない常識の殻を破った先にある、刺激的な真実の言葉とリズム。それが、この驚嘆すべき街には溢れている。
ギターを買う金が目当てで始めたバイトだが、これは思わぬ収獲だ。
この気持ちを、感動を歌にして、一刻も早く買ったギターで歌いたい!
口元に笑みを浮かべ、ペダルを漕ぐ脚に力をこめる。
そして、ふと近道をしようと細い路地に入りこんだ途端、
「……!?」
数台のロードバイクに道を塞がれた。
同業者?
訝しむ少女の前で、ロードバイクから歪な体形の団塊男たちが降車した。
悪臭に思わず顔をしかめる。
不気味で不細工な男たちの口元には、火のついた煙草。
「えっ? 何……?」
思わず後ずさる少女の背に何かがぶつかる。
臭いっ!?
何時の間にか、同じのが後ろにも回りこんでいたらしい。
逃れる間もなく口を塞がれ、両手をつかまれる。
彼らが何者なのか、何が起きたのかわからない。
それでも必死でもがいて逃げようとする。
だが焦げた糞尿のように臭くて汚い男たちの手を振り払うことはできない。
「へへっこいつは上玉だ」
「おい、楽しんだ後はどうする?」
「殺して捨てとけば、勝手の近くの米兵どもの仕業になるだろ」
(えっ? それって……)
救いの手を求めて周囲を見渡す。
だが人気のない細い路地には自身と男たちのほかには誰もいない。
煙草を癒着させた唇をいやらしく開けた別の男が、ゆっくりと手をのばす。
ヤニで醜く捻じ曲がった男の双眸が嗜虐的に歪む。
少女の瞳が恐怖に見開かれ――
「――ああ、こんなところにいたのか。わたしの愛しい『友人』たち」
芝居がかった声ともに、路地の奥からひとりの少女があらわれた。
背の高い色白の少女だ。
スレンダーな身体を、漆黒のイカしたコートで覆っている。
街にいたような外国人――白人の、しかもとびきりの美人だ。
ディフェンダーズの映画に出てくるクラフターに少し似ている。
……もちろん彼女は知る由もないが、脂虫を調達中のクラフター本人だ。
「なんだ、てめぇ」
「おっこいつも女じゃねぇか!」
男は少女を縛める手を緩め、新たな少女へ向き直る。
「さあ行こう。君たちを相応しい舞台に連れて行ってあげよう」
言いつつクラフターも誘うように手をかざし――
「――あ、本当にいたわ。良かったわね紅葉ちゃん」
「ああ。流石は小夜子さんだ」
「脂虫のいるところに彼女もいるという名推理が的中しましたね」
「そりゃまあ……」
路地の反対側からも4人の少女があらわれた。
こちらはクラフターを追っていたサチと桂木姉妹、小夜子である。
「やあ、見つけたよ」
「こんなところで君たちに会うなんて、これも運命のいたずらかな?」
普段の凛々しさを少し取り戻した紅葉の言葉に、クラフターは妖艶な笑みを返す。
一行とひとりは、男たちに拘束された少女を挟んで睨み合い――
「――まずはこっちから片付ける!」
「それは良い考えだ」
「了解した!」
周囲の脂虫どもに跳びかかる。
最初に動いたのは小夜子だ。
詠唱もなく【コヨーテの戦士】を施術して数メートルの距離を一気に詰める。
男のひとりが振り向く間もなく蹴り飛ばす。
小夜子の力量をもってすれば、スピードに特化した【コヨーテの戦士】の副次的な筋力強化でもその程度は可能。
飛んだ男の背からはナイフで斬られたようにほとばしる汚物色の体液。
蹴り抜いた小夜子の戦闘ローファーのつま先からのびる光の刃。
身体から溢れ出た強化の魔力が凝固した【霊の鉤爪】だ。
僅差の2番手はクラフター。
幽玄の如く素早く静かに駆け寄り、少女の口を押えていた男のみぞおちを殴る。
こちらは【英雄化】による身体強化だ。
無辜の少女が見ている前で【妖精の舞踏】は使わない。その必要もない。
代わりに、さほど勢いもない拳を食らった瞬間、男は硬直して崩れ落ちる。
その様子は電撃殺虫器にかかった蛾や羽虫に似ている。
インパクトの瞬間に【痺れる手】を行使したのだ。
似ているというより殺虫器そのものだ。
もちろん卓越した魔法技術で操られた電撃は少女に一切の悪影響を及ぼさない。
瞬時に叩きのめされた2人に他の男たちが怯んだ隙に、
「こっちよ!」
「あっ! このアマ!」
サチが少女の手を引き男の元から逃す。
気づいた男のひとりが殴りかかる。
だがヤニで黄ばんだ汚い拳は不自然な挙動で宙を切る。
ドーム状に展開された次元断層の障壁【護身神法】の効果である。
体勢を崩した男の前に、サチと少女をかばうように紅葉が立ちふさがる。
スマートな身体に満ちる【屈強なる身体】。
それを多種のスポーツで鍛えた体幹によって最大限に活用した渾身のアッパーで男を打ちのめし、蹴りで向かいの壁に叩きつける。
「なっ、何だよおめぇら!? 畜生……!」
残るひとりは雄叫びをあげつつ、ナイフを抜いて跳びかかる。
振り上げられた鈍い刃が狙うのは、出遅れてぼんやりしていた楓。
卑怯卑劣な脂虫は、戦闘に際しても常に弱く組み伏せ易い相手を狙う。
「姉さん!?」
紅葉が姉を振り返る。
今の体勢から間に合う距離じゃない。
サチにかばわれた少女が流血の気配に目を見開く。
だが狂刃が楓に達する寸前、楓は雑にパンチした。
他の3人と違って勢いのない、お遊戯みたいな拳が明後日の方向に繰り出される。
男は笑う。だが次の瞬間……
「……!?」
何の脈略もなく男は上向きに吹っ飛んだ。
少女はあんぐりと口を開ける。
男の挙動だけを見れば先ほどの紅葉を超える猛烈なアッパーだ。
即ち【魔神の裁き】。
魔神を一瞬だけ創造して敵を打ち据える魔術を、拳の形で顕現させたのだ。
次いで楓は男を追うように宙に浮かびながらクルクル回り、
「えい」
足を引っかける嫌がらせみたいな適当な動作でちょっとだけ足を突き出す。
途端、男はギャグマンガみたいな凄い勢いで側のブロック塀に叩きつけられる。
そしてぐにゃりと崩れ落ちて果てる。
そのようにして薄汚い脂虫たちは一瞬で叩き伏せられた。
力なく崩れ落ちる脂虫を、紅葉はあんぐりと口を開けたまま見やっていた。
まあ、いちおう姉も皆と同様に、見知らぬ少女に魔法の存在を悟られぬよう施術を凄い武術か何かに見せかけたかったらしい。だが、何というか……
「姉さん……」
「き、君は東洋の不思議な武術を使うんだね……」
サチにかばわれたまま唖然とする少女を見やり、楓を見やってクラフターが言った。
先日は豊富な手札と技量、狂人じみたパフォーマンスで一行を翻弄したヴィラン。
それが今は微妙に目をそらしながら、楓の奇行をフォローしていた。
そんな妖艶で色白な彼女を、紅葉は真正面から見やる。
彼女はクラフターだ。
ヒーローたちと敵対するヴィランだ。
今、4人がかりで彼女を倒せば週末の結界攻略戦は大いに有利になる。
そう理解したうえで……
「……その、ありがとう。君」
「いや、こちらこそ礼を言うよ」
彼女と何食わぬ表情で笑みを向け合った。
何故なら今の状況でクラフターと相対する際に引き起こされるのは魔法戦だ。
そんなものに無関係な少女を巻きこむ訳にはいかない。
そして、もうひとつ。
クラフターは今、無垢な彼女を救った。
それがヴィランとしての目的のために脂虫を集めるついでだったとしても。
そんな今の彼女を害することが、脂虫と同じところまで自身を貶めることになるような気がした。今ここで彼女に戦闘を挑むのはフェアじゃない。
彼女との決着は戦場でつけるべきだ。
その想いは高校生たちも同じなようだ。
「あなた、大丈夫?」
サチはクラフターとの対立などなかったように少女を気遣う。
「あ、はい。でも荷物が……」
「……荷物なら、そこに」
クラフターが指さした先には壁に立てかけられた通学自転車。
側には少女が担いでいたリュック。
先ほど派手に飛び散ったはずの荷物もきちんと並べられている。
ケルト呪術には【妖精の召使】という自動的な物品操作の術があると聞く。
「良かった」
少女はほっとした様子で自転車に駆け寄る。
荷物を確認しながらリュックに詰め、
「ああっシスターから頼まれた切り売り肉が……」
「シスターって教会の? なら、わたしたちも行って事情を説明するわ」
困る少女にサチが申し出る。
「なら、わたしは『友人』たちをしかるべき場所に案内するよ」
クラフターが指を鳴らすと、倒れていた脂虫どもがゆらりと立ち上がる。
脂虫の肉体を操作する【屍操作】によるものだろう。
彼女の言うしかるべき場所とは、もちろん交番や警察署ではない。
脂虫どもは新たな戦場――ヴィランの拠点を守るための捨て駒になるのだ。
だが、望むところだ。
今週末の戦闘で、脂虫どもも彼女自身も真正面から打ち倒す。だから、
「それじゃあ、また」
「ああ。近いうちに」
紅葉とクラフターは一見すると穏やかな笑みを向け合う。
そして4人は少女を、異国の少女は脂虫どもを連れ、逆方向に歩き出した。
つまり結界攻略戦を控えた水曜日の、放課後。
統零町の片隅にある教会近くの路地裏で、
「クラフター似の少女が徘徊していたというのは、この近くですか?」
「猫たちの話ではね」
周囲を見渡す楓の問いに紅葉が答える。
日も暮れかけているというのに2人とも制服姿のままだ。
ヴィランより先に女の脂虫に絡まれそうではある。
そんな2人の側には、
「……なんでわたしたちまで」
「まあまあ。怪人が他の人に迷惑をかけないようにしないといけないのは本当だわ」
「それはそうだけど……」
同じく制服姿の小夜子とサチ。
「具体的な場所はわかるの?」
「ごめん。このあたりとしか……」
「まあ、猫だものね」
小夜子は紅葉の答えに苦笑する。
そんな小夜子をサチがなだめる。
ウアブ呪術師である紅葉は猫のネットワークを利用することができる。
街中の猫を介した情報網に、クラフターに似た白人の少女が引っかかったのだ。
なので紅葉は姉を連れ、ヴィラン探しにやってきた。
前回の戦闘では大量の脂虫を操って一行を翻弄したクラフター。
だが猫たちの情報では、異国の少女は街中の脂虫を操って誘拐しているらしい。
消費した手駒を補充している最中なのだろう。
つまり今は、脂虫の軍団はいないと考えるのが自然だ。
加えて、ここは旧市街地だ。
新開発区の奥地にある結界に短距離転移で結界に逃げこむことは不可能。
つまり今なら勝機はある。
ここでヴィランのひとりを討ち取れば、週末の結界攻略は容易になる。
小夜子とサチは、姉の楓にやや強引に引っ張って来てもらった。
死霊使いクラフターを相手に、さすがに単身で挑むのは無謀だと思ったからだ。
単純な戦力の問題もあるが、何というか……現実の彼女の言動は映画と同じくらいアレだったから、その方面で対抗できそうなアレが必要だと思った。なので、
「残念。クラフターはいないでござるか」
「仕方ないよ。紅葉ちゃんも気を落とさないで」
「クラフターは神出鬼没ですからね。あんがい探していると見つからないものですよ」
謎の圧迫感を持つ諜報部のチー……高校生たちにも来てもらった。
側には婦警コスのKAGE――シャドウ・ザ・シャークの中の人。
作戦決行までの間、KAGEはヤニ狩りを手伝うことにしたらしい。
「お2人の煙立つ鏡や神使に反応は?」
「……ないわね」
楓の問いに、小夜子は無常に首を振る。サチのほうも答えは同じ。
小夜子の煙立つ鏡もサチの神使も、役立つのは戦闘や危険回避に限られる。
諜報部の術者として如何なものかと楓は少し思ったが、あえて口には出さなかった。
かくいう楓のウアブ魔術での情報収集の手段は【魔神の創造】技術を応用した占術。
だが楓も占術はさほど得意ではない。
紅葉のウアブ呪術でも猫との対話以外の諜報手段は大規模な占星術くらいだ。
ウアブ呪術が操る魔力が、術者をとりまく森羅万象からではなく空の彼方の星々から与えられるものだからだ。KAGEにも今の状況で役立つ手札はない。なので、
「……ごめん、みんな。足で探そう」
「それしかないわね」
「じゃあ某どもは亜葉露町の繁華街のほうを見回ってくるでござる」
少しばかり意気消沈した紅葉に挨拶し、諜報部の高校生たちは去って行った。
婦警コスも彼らに続く。足取りがどことなくみゃー子ちゃんに似ている気がする。
そんな一行の背中を紅葉はじっと見送る。
出かけ際にKAGEは「私服警官が同行すれば彼らも安心ですね」とか言っていた。
もちろん婦警のコスプレをして。
そんな言動から、紅葉は彼女のアレな人となりを、少しづつ理解し始めていた……
……同じ頃。
亜葉露町の学校近くにある商店街の、スーパーマーケットの一角で、
「ネコポチのチーかまを買ってくるね!」
「母ちゃんから頼まれたものも、ちゃんと買ってくるんだぞ」
「安心して。わたしがついていくわ」
チャビーが明日香を連れて元気に走って行く。
平和な水曜の放課後、舞奈は園香やチャビーの買い物に付き合っていた。
園香は夕食の材料の買い出しだ。
チャビーも珍しく親御さんから買い出しを頼まれたらしい。
お駄賃で子猫のおやつを買うと言ったら明日香もついてきた。
舞奈もどうせなら徳用のモヤシを買って帰ろうと思った。
「ったく、本当に大丈夫なのか?」
2人の背中を見やりながら舞奈は苦笑する。
能天気に走るチャビーとスーパーで買い物なんてしたことなさそうな明日香。
不安しかないのだが……。
「ふふ、明日香ちゃんがついててくれるなら大丈夫だよ」
隣の園香は特に心配もない様子で微笑む。そして、
「それよりマイちゃん。そこにすっごく怖いものがあるんだよ」
「お前がそういうこと言うの珍しいなあ」
「だって、これだよ。見てマイちゃん」
駄菓子売り場の片隅に並ぶ袋の山を指差した。
チャビーは菓子に見向きもせずに子猫のおやつを買いに走ったんだなあと笑いつつ、
『たっぷりラードの揚げポテチ バターマヨネーズ味』
『一口で一週間分のカロリー』
「……なるほど、こりゃ恐ろしい」
見やった舞奈も苦笑する。
如何にも太りそうな踊り文句が気にいらないらしい。
袋のサイズも他の菓子より数周りも大きく、明らかに女子供の食い物ではない。
対する園香は体重を気にする年頃の女の子だ。
それは日々命がけの戦いをしている舞奈からすれば取るに足らない悩みとも言える。
だが舞奈たちが戦うのは、そんな些細な悩みや幸せを守るためだ。
だから口元に穏やかな笑みを浮かべながら、
「心配ないさ。その程度のカロリー、今度泊まった時にでも一晩で消費させてやるぜ」
「ひゃんっ。もう、マイちゃんったら」
園香の尻をなでる。もちろん他の客や監視カメラに見られぬようさりげなく。
だが次の瞬間――
「――公共の往来で、卑猥なことを言ったらダメなのです」
「あっ委員長」
あわてて手を引っこめながら振り向くと、三つ編みおさげに眼鏡の委員長がいた。
「委員長がこういうところに来るの、珍しいなあ」
右手の挙動を誤魔化しがてら何食わぬ表情で問いかけると、
「桜さんの家の夕食の買い出しを手伝っているのです」
「おまえが桜ん家の?」
「はい。桜さんのお母さんから頼まれたのです」
そんな答えが返ってきた。
桜は家族の夕食代を無条件に任せられるほど親御さんからの信用はないらしい。
そこでお目付け役を頼まれるのが流石は委員長と言うべきか。
週末の作戦に必要なコンサートへの参加の是非を、委員長からは聞いていない。
後のスケジュールの都合で、返事の期限は明日いっぱいだ。
だが、それは舞奈が急かすべきものではないとも思う。
桜の親御さんに追従する訳ではないが、委員長はすべきことを正しく判断できる。
だから今も表情には出さぬように、その可否について熟考しているはずだ。
それに対して外野がとやかく言うのはフェアじゃない。
それに委員長は【機関】関係者でもヒーローでもない。
そもそも歌は本来そういう目的のためのものじゃない。
彼女が歌わないと決めたなら、舞奈たちは歌なしで結界に対処するべきだ。
なので舞奈も何食わぬ表情で、
「そっか。御守りお疲れさん」
「マイちゃん! お買い物に妹たちのお守りまでする桜に感心してるのね!」
「……おまえの御守りを労ったんだ」
言った途端に桜があらわれた。
未就学児の2人の妹も一緒だ。
そんな桜が手にしたカゴを委員長が覗きこみ、
「お菓子の値段がお駄賃の分より多いのです。あとピーマンも買わなきゃダメです」
「えーでもピーマンは苦いからいらないのー」
「……ったく、チャビーと同レベルのこと言いやがって」
早速、お目付け役の任を果たす。
桜は口をとがらせる。
「桜さん。言われたものをちゃんと買ってこないと、次からお使いを頼まれなくなったり、お駄賃が減ったりするのです」
「ええー! それは嫌なのー」
桜はあわてて売り場に戻る。
2人の妹も続く。
その背を苦笑しながら見送る舞奈の側で、
「委員長はしっかりしてるね」
「そんなことはないのです」
園香が委員長を労う。
対する委員長は礼儀正しく謙遜する。
その様子に、普段より少し元気がないと感じるのは気のせいだろうか?
「委員長! ピーマンも入れてきたのー」
「あ、桜さん。お帰りなのです」
桜が戻ってきた。
委員長に見せるように差し出したカゴに詰まった商品の上にはピーマンの袋。
それを今度は園香が見やり、
「桜ちゃん、小さいのを選んで来たでしょ?」
「えーだーってー」
母親が子供を諭すように問いかける。
「この材料だと、桜ちゃんのお母さんはピーマンの肉詰めを作ってくれるんじゃないかな? ピーマンが大きいと、お肉がたくさん食べられるよ」
「マミ、おにくたくさんがいいな」
「マコもおにくたべたい」
「でもピーマンは苦いのー」
「肉詰めのピーマンは切り方が違うから苦くないよ。それに、ここのお店は苦くない種類のピーマンも売ってるんだよ」
「えっ苦くないピーマン!?」
「案内するね」
問答の末に納得した桜と妹たちを連れ、再び野菜の売り場へ戻った。
まったく誰が誰の母ちゃんなんだか。
そんな4人の背中を見やりながら、
「……真神さんのほうが凄いのです。お料理のことを何でも知っているのです」
「おまえも大概だぜ。桜が母ちゃんからもらったリストを頭に叩きこんだんだろ?」
「書いてあることを覚えただけなのです」
委員長は少し寂しそうに、ひとりごちるようにこぼす。
「わたしは真神さんや志門さんみたいに、やったことのないことをアドリブでこなすのは苦手なのです。失敗して、皆に迷惑をかけてしまうのです」
「週末の話か……」
ひとりごちるように問いつつ、思わず口元を歪める。
委員長はうなずく。
「結局、安倍さんの歌も無害化することはできなかったのです」
「……おい」
酷い歌が障害になってるじゃねえか。
明日香の背中を見送った売り場の一角を睨む。
それはさておき、やはり委員長は気に病んでいたのだ。
今週末にやってほしいと依頼された、タイトなスケジュールのライブについて。
何故なら彼女は際立ったロックの才と同じくらい、生真面目で責任感が強いから。
「すまん、おまえが無理だと思ったなら断わっても――」
「――それはダメなのです。オーナーはすごく大事な舞台だと言っていたのです」
「そっか……」
委員長の言葉に舞奈は思わず押し黙る。
生真面目で事前の準備を怠らない彼女は、出たとこ勝負のアドリブは苦手らしい。
そういうところは昔の明日香と少し似ている。
加えて責任感も強いから、無下に断って迷惑をかけることもできない。
いかにも委員長らしい袋小路へのはまり方だと思う。
だから、それ以上は……舞奈にはどうしようもない。
今の委員長の迷いを払しょくできる者がいるとすれば、それは彼女と同じくらいロックに造詣が深く、それでいて彼女にはない強さを持った誰かだ。
それは門外漢の舞奈ではない。
そんな想いを巡らせながら口元を歪めたところに、
「ただいまー!」
「あ。チャビーさんに安倍さん」
カゴを手にしたニコニコなチャビーと、ドヤ顔の明日香が帰って来た。
「そっちは、ちゃんと買い物できたのか?」
「当然でしょ」
「ほう、どれどれ……」
舞奈は園香を真似てカゴを覗きこみ、
「チャビーおまえ、チーかまを箱で買えるようなお駄賃をもらってたのか」
「ううん……。でもニンジンを買わなかったらピッタリ足りるんだよ! 安倍さんが計算してくれたから間違いない!」
「いやダメだろう、それは」
「褒められたことじゃないけど、ネコポチちゃんが喜ぶっていうし」
「いやチャビーの母ちゃんの都合はどうなるよ?」
「なによ変なところで意固地になって。人生にはアドリブが必要よ?」
「いや、おまえはアドリブ入れすぎだ。委員長もなんか言ってやってくれ……」
舞奈は疲れた顔でツッコミを入れた。
そして結局、生真面目な委員長と場慣れした園香の指揮の元、皆は正確かつ親御さんからの指示通りに各々のお使いを果たした。
チーかまの箱は明日香がポケットマネー|(カード)で購入してチャビーに持たせた。
そんな一幕があった頃。
統零町の表通り。軍人街の一角で、
「ちーっす。お届け物の双葉あずさのCDです」
通学自転車の側で、長いツインテールの女子中学生が深々と頭を下げる。
以前に委員長と音楽勝負を繰り広げたアーティストの彼女である。
無事にバイトの申請が受理された彼女は、ギターを購入すべくフリーの配送サービスに登録してバリバリ働きまくっていた。
「Thank you,Pixion.お店が開いている時間はずっと仕事なので、自分で買いに行けないんですよ。これはチップです」
「ありがとうございます!」
(うおっスゲー! 外人って本当にチップとかくれるんだ!)
(Oh.Japanese OJIGI)
相対する赤毛の女性ガードマンと互いにカルチャーギャップを堪能した後、
「またのご利用を!」
「See you~!」
愛用の自転車に颯爽とまたがり、厳つい施設の事務所を後にする。
「Bye Pixion」
「あっどうも!」(……ピクシオンってなに?)
正門に2人並んだ金髪のガードマンに挨拶を返しながら次の配送先へと急ぐ。
自転車を走らせながら、ふと思う。
彼らが携えた銃は本物だろうか?
いやまあ警備の最中にモデルガンで遊ぶことはないだろうから……本物!?
というか、付近の施設も似たような身なりのガードマンたちが警備している。
その大半が様々な髪や肌をした外国人だ!
以前から統零町はヤバイ街だと聞いてはいたが、訪れてみると想像以上。
この調子だと、通りの先には閉鎖された廃墟があって、付近の住人がたびたび行方不明になるという荒唐無稽な噂も真実味を帯びてくる。
怖い?
いやロックだ!
彼女の目指す音楽の原点。つまらない常識の殻を破った先にある、刺激的な真実の言葉とリズム。それが、この驚嘆すべき街には溢れている。
ギターを買う金が目当てで始めたバイトだが、これは思わぬ収獲だ。
この気持ちを、感動を歌にして、一刻も早く買ったギターで歌いたい!
口元に笑みを浮かべ、ペダルを漕ぐ脚に力をこめる。
そして、ふと近道をしようと細い路地に入りこんだ途端、
「……!?」
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同業者?
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悪臭に思わず顔をしかめる。
不気味で不細工な男たちの口元には、火のついた煙草。
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「それは良い考えだ」
「了解した!」
周囲の脂虫どもに跳びかかる。
最初に動いたのは小夜子だ。
詠唱もなく【コヨーテの戦士】を施術して数メートルの距離を一気に詰める。
男のひとりが振り向く間もなく蹴り飛ばす。
小夜子の力量をもってすれば、スピードに特化した【コヨーテの戦士】の副次的な筋力強化でもその程度は可能。
飛んだ男の背からはナイフで斬られたようにほとばしる汚物色の体液。
蹴り抜いた小夜子の戦闘ローファーのつま先からのびる光の刃。
身体から溢れ出た強化の魔力が凝固した【霊の鉤爪】だ。
僅差の2番手はクラフター。
幽玄の如く素早く静かに駆け寄り、少女の口を押えていた男のみぞおちを殴る。
こちらは【英雄化】による身体強化だ。
無辜の少女が見ている前で【妖精の舞踏】は使わない。その必要もない。
代わりに、さほど勢いもない拳を食らった瞬間、男は硬直して崩れ落ちる。
その様子は電撃殺虫器にかかった蛾や羽虫に似ている。
インパクトの瞬間に【痺れる手】を行使したのだ。
似ているというより殺虫器そのものだ。
もちろん卓越した魔法技術で操られた電撃は少女に一切の悪影響を及ぼさない。
瞬時に叩きのめされた2人に他の男たちが怯んだ隙に、
「こっちよ!」
「あっ! このアマ!」
サチが少女の手を引き男の元から逃す。
気づいた男のひとりが殴りかかる。
だがヤニで黄ばんだ汚い拳は不自然な挙動で宙を切る。
ドーム状に展開された次元断層の障壁【護身神法】の効果である。
体勢を崩した男の前に、サチと少女をかばうように紅葉が立ちふさがる。
スマートな身体に満ちる【屈強なる身体】。
それを多種のスポーツで鍛えた体幹によって最大限に活用した渾身のアッパーで男を打ちのめし、蹴りで向かいの壁に叩きつける。
「なっ、何だよおめぇら!? 畜生……!」
残るひとりは雄叫びをあげつつ、ナイフを抜いて跳びかかる。
振り上げられた鈍い刃が狙うのは、出遅れてぼんやりしていた楓。
卑怯卑劣な脂虫は、戦闘に際しても常に弱く組み伏せ易い相手を狙う。
「姉さん!?」
紅葉が姉を振り返る。
今の体勢から間に合う距離じゃない。
サチにかばわれた少女が流血の気配に目を見開く。
だが狂刃が楓に達する寸前、楓は雑にパンチした。
他の3人と違って勢いのない、お遊戯みたいな拳が明後日の方向に繰り出される。
男は笑う。だが次の瞬間……
「……!?」
何の脈略もなく男は上向きに吹っ飛んだ。
少女はあんぐりと口を開ける。
男の挙動だけを見れば先ほどの紅葉を超える猛烈なアッパーだ。
即ち【魔神の裁き】。
魔神を一瞬だけ創造して敵を打ち据える魔術を、拳の形で顕現させたのだ。
次いで楓は男を追うように宙に浮かびながらクルクル回り、
「えい」
足を引っかける嫌がらせみたいな適当な動作でちょっとだけ足を突き出す。
途端、男はギャグマンガみたいな凄い勢いで側のブロック塀に叩きつけられる。
そしてぐにゃりと崩れ落ちて果てる。
そのようにして薄汚い脂虫たちは一瞬で叩き伏せられた。
力なく崩れ落ちる脂虫を、紅葉はあんぐりと口を開けたまま見やっていた。
まあ、いちおう姉も皆と同様に、見知らぬ少女に魔法の存在を悟られぬよう施術を凄い武術か何かに見せかけたかったらしい。だが、何というか……
「姉さん……」
「き、君は東洋の不思議な武術を使うんだね……」
サチにかばわれたまま唖然とする少女を見やり、楓を見やってクラフターが言った。
先日は豊富な手札と技量、狂人じみたパフォーマンスで一行を翻弄したヴィラン。
それが今は微妙に目をそらしながら、楓の奇行をフォローしていた。
そんな妖艶で色白な彼女を、紅葉は真正面から見やる。
彼女はクラフターだ。
ヒーローたちと敵対するヴィランだ。
今、4人がかりで彼女を倒せば週末の結界攻略戦は大いに有利になる。
そう理解したうえで……
「……その、ありがとう。君」
「いや、こちらこそ礼を言うよ」
彼女と何食わぬ表情で笑みを向け合った。
何故なら今の状況でクラフターと相対する際に引き起こされるのは魔法戦だ。
そんなものに無関係な少女を巻きこむ訳にはいかない。
そして、もうひとつ。
クラフターは今、無垢な彼女を救った。
それがヴィランとしての目的のために脂虫を集めるついでだったとしても。
そんな今の彼女を害することが、脂虫と同じところまで自身を貶めることになるような気がした。今ここで彼女に戦闘を挑むのはフェアじゃない。
彼女との決着は戦場でつけるべきだ。
その想いは高校生たちも同じなようだ。
「あなた、大丈夫?」
サチはクラフターとの対立などなかったように少女を気遣う。
「あ、はい。でも荷物が……」
「……荷物なら、そこに」
クラフターが指さした先には壁に立てかけられた通学自転車。
側には少女が担いでいたリュック。
先ほど派手に飛び散ったはずの荷物もきちんと並べられている。
ケルト呪術には【妖精の召使】という自動的な物品操作の術があると聞く。
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少女はほっとした様子で自転車に駆け寄る。
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困る少女にサチが申し出る。
「なら、わたしは『友人』たちをしかるべき場所に案内するよ」
クラフターが指を鳴らすと、倒れていた脂虫どもがゆらりと立ち上がる。
脂虫の肉体を操作する【屍操作】によるものだろう。
彼女の言うしかるべき場所とは、もちろん交番や警察署ではない。
脂虫どもは新たな戦場――ヴィランの拠点を守るための捨て駒になるのだ。
だが、望むところだ。
今週末の戦闘で、脂虫どもも彼女自身も真正面から打ち倒す。だから、
「それじゃあ、また」
「ああ。近いうちに」
紅葉とクラフターは一見すると穏やかな笑みを向け合う。
そして4人は少女を、異国の少女は脂虫どもを連れ、逆方向に歩き出した。
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