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第16章 つぼみになりたい

対策

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 合同偵察部隊による新開発区への威力偵察の翌日。
 舞奈たちは普通に登校し、放課後には【機関】支部を訪れた。

 そして打ち放しコンクリートが物々しい会議室。
 その中央に四角く並べた会議机についている面子は前回と同じ。
 そんな皆々の前で、

「先日の偵察はご苦労様なのだよ」
「よくもまあ……」
 いけしゃあしゃあとのたまわったニュットに楓が厳しい視線を返す。

 一行は威力偵察の際に脂虫の集団に遭遇し、せん滅した。
 だが、その後に姿をあらわしたヴィランに良いように翻弄された。
 さらには敵の拠点を発見したものの、強力な結界を破れず撤退した。

 加えて以前にも楓はニュットと同じ部隊で共に撤退戦に参加した。
 マンティコアとの初戦だ。
 その際にニュットは楓の亡き弟を象った式神を召喚し、囮にした。
 当時のことを楓は未だに根に持っているのだ。

「で、でもまあ、偵察という本来の目的からすれば上々の成果なのだよ……」
 楓の視線から逃れようとする逃げ腰が情けないニュットの反論。
 だが、その言葉自体を否定することはできないのは事実だ。

 事前の情報通り、敵は新開発区の奥地に拠点を建設していた。
 拠点は強固な戦術結界に防護され、2人のヴィランに守られていた。
 ひとりは【念砦ネスト】による結界の主であるクイーン・ネメシス。
 もうひとりは大量の脂虫を操る死霊使いクラフター。

 その事実を確認しに行ったのだから、交戦の後に被害もなく帰還できて御の字だ。
 加えて施設を発見し、詳細な位置まで確認できたのだから十分以上の戦果だ。

 だが、その先に大きな障害が待ち受けているのも事実。

 合同部隊をひとりで翻弄したクラフター。
 部隊の総力をもってしても破れなかった結界を維持するクイーン・ネメシス。
 次の作戦で、舞奈たちは彼女ら2人を倒さなければならない。

 ……否。

「確認したいんだが、ケルト呪術に小口径ライフル弾5.56×45ミリ弾を防げる手札はあるか? 何かを壁にするんでなしに空中で止めた」
「【旋風の守護者ガード・オブ・ウィンド】ではないのかね?」
「……風で防御する呪術か。いや空気は動いてなかった」
 この中で最も詳しそうなニュットに尋ねる。

 本当はケルト魔術と呪術を共に極めたもうひとりのSランクがいればよかった。
 本来、そのあまりの強力さのあまり存在そのものを秘匿されているという彼女が会議の場に姿をあらわすことはないのだが……

「……ナァ~」
 机の下で猫が鳴いた。
 ニュットはふむと下を見やる。
 今回は彼女の膝の上に猫がいるのだ。
 この近所を縄張りにしている短足猫のマンチカンだ。

 普段はいない小動物の鳴き声に、まっ先に紅葉と明日香が反応する。
 紅葉はウアブ呪術で猫と会話可能な、猫の友人だ。
 明日香は単に猫好きだからだ。
 いつもみたいに猫を怖がらせてやるなよと念押しするように明日香を見やる。
 すると明日香は睨んできた。
 ……それはともかく、

「【精霊の守護者ガード・オブ・スピリット】という術はあるにはあるが……」
「強いのか?」
「いんや。普通は【旋風の守護者ガード・オブ・ウィンド】【大地の守護者ガード・オブ・アース】といった元素の盾の下地にするための術なのだ。強度が微妙過ぎて単体で使い物にはならないのだよ」
「【念動盾テレキネシス・シールド】みたいにはいかないってことか……」
 ニュットの答えに舞奈は少し考える。

 どうやら今日の糸目は膝上の猫を通じて何処かから情報を得ているようだ。
 おそらく相手は件のSランクだろう。
 そんなアンチョコによると、先日のクラフターの防御能力は通常のケルト呪術師のそれではない。ならば、と次の疑問を口にする。

「じゃあ戦闘予知か……それか読心の手札は?」
「どういうことだ?」
「あんた、たぶん奴に動きを読まれてたぞ」
「何っ!?」
 舞奈の指摘にアーガス氏は驚く。

 前回の戦いで、クラフターは彼の【転移能力テレポーテーション】による奇襲を回避した。
 その前の打撃も先読みしたように避けた。
 挙動からして見てから反応したのでは無い気がする。
 非魔法の感覚や分析で察した訳でもない。
 そんなことができるなら、舞奈に対してももう少し的確に対応できたはずだ。

 もちろん、それらは舞奈の感覚による憶測だ。
 だが人外レベルに鋭敏な感覚を誇る舞奈の勘は、よく当たる。
 特に戦闘に際し、敵が厄介な手札を持っている場合に。
 その面白くない事実を付き合いの長い面々は知っている。
 だから釈然としない様子のアーガス氏を他所に術者たちは各々の記憶を探り、

「ケルト魔術【思考精査プローブ・ソウツ】で可能だが、呪術には……いや魔道具アーティファクトを使えば……」
「いや、たぶん指輪は使ってない」
「待ってくれ。流石に精神遮蔽を突破されて思考を読まれれば自分でわかる」
 まずはニュットの言葉にアーガス氏が慌てる。

「……まあ、それもそうか」
 彼の思考が筒抜けだったとは考え難いのも事実だ。
 ならば予知かと呪術師ウォーロックたちを見やると、

「確かにケルト呪術師は聖なる妖精シーリー・コートを通じて周囲の情報は得られるけど……」
「【孔雀経法マハーマーユーリナ・ラクシャ】や【戦闘予知コンバット・センス】の代わりにはならないわよ」
 言いつつ小夜子とサチは顔を見合わせる。
 聖なる妖精シーリー・コートとは、察するに煙立つ鏡テスカトリポカ神使しんしのような魔法的な諜報手段か。
 だが、こちらも本来は前回のような的確な知覚を可能とするものではないらしい。
 というか、できるなら小夜子やサチがやっているだろう。
 つまり……

「……なら例の2人の他に、魔法を付与なり強化できる仲間がいるってことか」
「うむ」
「そう考えるのが妥当なのだな」
 舞奈の言葉にアーガス氏とニュットが頷く。
 明日香に楓、他の皆も、やはりという表情で頷く。
 彼女らも先の戦闘での敵の魔法の強度に不自然さを感じていたのだろう。

 確かにクラフターは手ごわい相手だが、術者としての腕前は普通の手練れだ。
 過去に戦った大魔道士アークメイジや……エンペラーのように、魔法の理を大きく超えられるほどの存在ではない。現に攻撃魔法エヴォケーションの腕前は良くも悪くも普通だった。
 なのに特定の術だけが強力だという事実から、導き出せる唯一の答えはそれだ。

「十中八九、彼女らをサポートしているのはリンカー姉弟だろう」
 アーガス氏の言葉に、

「リンカーって、サイキック暗殺者のリンカー姉弟?」
「ああ、その通りだ」
 映画の知識を披露する紅葉。
 アーガス氏も頷く。
 2人の表情、そして物騒な二つ名からして、こちらも相応に厄介な相手のようだ。

「姉弟は【精神読解マインド・リード】で心を読み、【転移能力テレポーテーション】による奇襲で犠牲者を暗殺する」
攻撃魔法エヴォケーション防御魔法アブジュレーションの傾向は?」
「いや彼女ら自身が使うのは通常の38口径とナイフだ」
「9ミリパラベラムですか? それほどの脅威には成り得ないと思うのですが」
「まあクイーン・ネメシスやクラフターと比較して、そう思うのも無理はないだろう」
 小夜子の問い、楓の疑問にアーガス氏は何食わぬ口調で答える。

「だが姉弟は共に、幼いが熟達した超能力者サイキックだ。読心の能力を活用して巧みに犠牲者の隙を誘い、短距離転移をも使って急所を狙う」
「なるほどな」
 氏の答えに口元を歪める。
 小口径弾9ミリパラベラムでもナイフでも、的確に急所を突けば容易く命を奪うことができる。
 術の使えぬ舞奈は、そうやって数々の人型怪異を屠ってきた。
 逆に舞奈自身も同じ危険と常に隣り合わせだなのだと理解している。

超能力サイオンを併用した小さな武器は強力だ。しかも殺害者が術者である証拠も残らない」
「だから『暗殺』って訳か」
「その通りだ。……我々も何人もの要人の命を守りきれずに奪われた」
 アーガス氏は苦渋の味を思い出すように口元を歪める。
 その表情から舞奈はそっと目をそらす。
 小夜子も楓も押し黙る。

 現実の世界での喪失は、映画の中の喪失よりずっと重くて苦しい。
 舞奈はそれを理解している。
 もちろん、この場にいる全員も。

「だが、それより」
 アーガス氏の声で我に返る。

「今回の件で警戒すべきなのは暗殺ではない。姉弟は超能力サイオンを共鳴させることにより他者の超能力サイオン……魔力と魔法のパワーを引き上げることができる」
「なるほど高等魔術の【魔法増強エンハンス・マジック】相当の能力という訳なのだな」
「その能力を使って結界やクラフターの魔法を強化していると?」
「ああ、我々はそう睨んでいる」
 ニュットと明日香の総括に、アーガス氏は頷く。
 隣でKAGEも頷いているところを見ると、姉弟を仲間に加えたヴィランが多用する手なのだろう。つまり今回もそうである可能性は高い。

「あの子たちに、そんな力が……」
 紅葉は驚いている。
 映画には出てこない能力らしい。
 なるほど、映像にして映える能力ではないのでオミットされたのだろう。
 そういう意味では敵の実情を知っている本物のヒーローたちが味方なのは心強い。
 だが舞奈たちにとっては、それより重大な懸念がある。

「その能力は、建物の中から使えるのですか?」
「ああ。結界外から彼女たちだけを無力化するのは不可能だと考えるべきだ」
「そりゃそうだろうな……」
 楓に対するアーガス氏の答えに、舞奈は思わず口元を歪める。

 次の作戦で、一行はあの強固な結界を正攻法で破る必要がある。
 まあ、それは最初から懸念されていたことではある。

 正直なところ、彼女らが他者のサポートを受けているなら弱体化できると思った。
 事前にサポート要員を無力化するという手段で。
 だが映画と違って本物のヴィランはこちらに都合よくは動いてくれない。
 だから正攻法による結界の攻略手段を模索しようと考えこむ一行の前で、

「そこで彼女の出番だ」
「彼女?」
 アーガス氏がニヤリと笑った。
 途端、皆が訝しげに見やる前で、立て付けの悪いドアが開く。そして、

「Hi みなさん初めましてデス!」
 気さくに返事をしつつ、あらわれたのは小さな奇妙な人影。
 ……マントを着こんだペストマスクだった。

「えぇ……」
「女の子なんだ……?」
 困惑する皆の前で、彼女は鳥のくちばしのようなマスクを外す。
 その下からあらわれたのは、

「……!?」
 輝くような金髪だった。
 黒マントの怪人の中身は中学生ほどの金髪少女だった。

「シモンはお久しぶりデス」
「その被り物はどうにかならならんのか? ここ表向きは保健所なんだが」
「ドクターらしく威厳ある格好をと思いマシテ」
「そのうち怒られるぞ医者に……」
 舞奈はやれやれと肩をすくめる。

 彼女はイリア。
 以前に駅前で萩山とデーモンバトルを繰り広げた傍迷惑な従妹だ。
 つまりディフェンダーズのメンバーのひとり、14歳で博士号をとった天才科学者ことドクター・プリヤ。毒劇物の扱いに精通した悪魔術師だ。

「彼女がその、リンカー姉弟と同じ魔法強化の能力を?」
「Non,Nonデース。But,もっとGreatなPowerを提供できマス!」
 楓のもっともな質問に得意満面な笑みを返し、

「もっと凄い力?」
「Yes! それは歌です!!」
 訝しむ小夜子に高らかに宣言しつつマントの陰からギターを取り出す。
 そして手にしたギターを激しくかき鳴らす。
 同時に彼女の姿が変わった。

 流れる金髪と対を成すように黒い鋲付きコート。
 目元を隠す同じ色のマスク。
 その下には割とエグイ感じのレオタードとブーツ。
 なんというか、まあヒーローと言うよりヴィランだと言われた方がしっくりくる。
 萩山と互いが悪魔術師だと気づかずにこの格好を選んだとしたら、なるほど従兄妹なんだなあと思う。

「本当だ! ドクター・プリヤだ!」
 紅葉はキラキラした瞳で見やる。
 こんなでも、ドクター・プリヤは映画の主要な登場人物だからだ。

「……ドクターの要素ないけどな」
 舞奈はやれやれと苦笑する。
 イリア――ドクター・プリヤは手にしたギターを気分よくつま弾く。
 割と多芸だなあと思ったが、よく考えれば悪魔術師でアーティストでドクターという要素だけに注視すれば萩山も同じだ(まだ医学生だけど)。

「……あと、そういう話なら今回おまえの出番はねぇ。座ってろ」
「まだ何もしてないでしょ?」
「してからじゃ遅いんだよ」
 隣の明日香をジト目で見やると、凄い形相で睨み返してきた。
 先日の廃工場で彼女が歌ったせいで敵も味方も舞奈自身も手ひどい目にあったのだ。
 その事実を忘れる訳にはいかないし、忘れられて同じことをされるなど言語道断。
 そんな舞奈と明日香を尻目に、

「歌で魔法を強化するのね。【ミューズSocietyOf探索者Muse協会Seeker】の考え方に似てるわ」
「でも動員できる術者の数が多ければ有効な手段なのは確かよ」
 サチの素直な感想を、小夜子が理論で裏づける。

 なるほど魔力の源は術者の正の感情だ。
 そして美しい歌は、芸術は、人間の感情を大きく揺さぶり賦活する。
 だから芸術活動を振興しようというのが【協会S∴O∴M∴S∴】の理念だ。
 つい先日も、その妨げとなるKASCの野望を挫くべく激戦を繰り広げたところだ。
 その際に高高度で敵の迎撃部隊と戦う術者たちを支えたのも歌だった。
 双葉あずさの歌声に魔法の力を強化され、一行は夜空を埋め尽くす怪鳥の群、そして新たに出現した大怪鳥をも打破することができた。
 戦場に集った数多の強力な術者が、歌で強化されたためだ。
 それと同じことを、件の結界を破壊するためにしようというのだろう。

 なるほど彼女は天才科学者にして悪魔術師だ。
 物理でも魔法でも的確にヒーローたちをサポートできる。
 もっとも性格はこんなだが。
 そんな彼女は、

「But,ひとつだけ必要なコトがありマス」
「必要なことだと?」
「Yes! 結界をDestroyするために必要なレベルにまで皆さんのPowerを引き上げる歌を歌えるのは、わたしの計算によるとただひとりデス!」
 したり顔で、そんなことを言い出した。

「計算って何のだ……?」
「以前に言ってた、この街のコンサートの話かね?」
 舞奈のツッコミはスルーしてアーガス氏が尋ねる。

「コンサート? 双葉あずさのか?」
「Non,Non.アズサの歌はイアソンが好きデスが! 攻撃魔法エヴォケーションの威力を高めるにはPowerが少しだけ足りないデス」
 イリアの言葉にアーガス氏が「ちょっ」みたいな表情をする。
 だが舞奈もこちらは礼儀正しくスルー。
 別に双葉あずさが好きな男なんて支部には山ほどいる(主に諜報部に)。

「委員長……ファイブカードの後継者とされていた彼女の歌ですか」
「正解デース!」
 明日香の言葉にイリアはギターをかき鳴らしつつ答える。

 舞奈たちがKASC支部ビルを攻略した、あの日。
 委員長はKASCが奪おうとした母親の歌を取り戻すために歌った。
 伝説のロックバンド『ファイブカード』のメンバー、ジョーカーの娘として。

 だが委員長は業界へ進出することはなかった。
 一夜限りの舞台から伝説として姿を消し、普通の女子小学生に戻った。
 アーティストとしてデビューするには時期尚早だと考えたからだ。
 そういう判断ができる程度に彼女は大人だ。

 だが、その歌声に、音楽に宿るものをパワーと見なすイリアの思惑も理解できる。
 生真面目な彼女の、それ故に強い芯を持った叫び。
 研鑽に研鑽を重ねた高い技術に裏打ちされた激しいギター。
 彼女の歌を間近で聞いた舞奈だからこそわかる。
 この場にいる他の面々も考えは同じであると表情で示していた。

「……ひょっとして以前に教会で歌っていた彼女かね?」
「そうですよ。真面目そうな眼鏡の子です」
 アーガス氏も気づき、紅葉の言葉に納得する。
 真面目そうな『おさげの』眼鏡の子な。長髪のほうに歌わせたら全滅だぞ。
 念を押すようにアーガス氏を見やると明日香が睨んできた。

「そういうことなら、次回の作戦を今週の日曜日に決行したいのだが」
 早速ニュットがアイデアを具体的な作戦の形に落としこむ。
 組織の内外にコネの多い彼女は、外部との連携を円滑にセッティングできる。

「えらく急なスケジュールだな」
「再戦の準備にあまり時間をかけると奴らの思うつぼなのだ。それに週末には双葉あずさのライブがあるのだよ。便乗すれば先方に不信感を抱かせずに済むのだ」
「だと良いがな……」
「……」
 舞奈も明日香も口元を歪めつつも、あえて非を唱えることはしなかった。

 今週末のあずさのライブには、園香たちと行く約束をしていた。
 だがヴィランの目論見を阻むという使命を放棄する訳にもいかない。

 だから、その後、ニュットが中心となって結界攻略戦の詳細を詰めた。

 ふと、ヴィランたちは何のために拠点を建設したのだろうかと思った。
 だが当日に奴らを叩きのめせば嫌でもわかると思い直し、そうこうするうちに作戦の詳細も決まってミーティングは終わった。

 そして、その晩――

 ――舞奈は夢を見た。
 3年前、舞奈がピクシオンだった頃の――美佳と一樹がいた頃の夢だ。

「うわぁ!?」
「ハハハ! その調子だ!」
 幼い舞奈は家屋の陰に倒れこむ。
 相対していた長躯の戦士が、剣と盾を振り上げて笑う。
 周囲には槍を構えた甲冑の群。

 平和なはずの日曜の午後。
 幼い舞奈と美佳の前に、エンペラー幹部のひとりが配下とともにあらわれたのだ。
 予兆は何もなかった。主から授かった【智慧の大門マス・アーケインゲート】を用いたのだろう。
 だから変身する余裕もなかった。

 幸いにも場所は人気のない新開発区だったから一般人への被害はない。
 だが一樹もいない。
 槍を携えた甲冑どもの数は多い。
 だから数多の槍の猛攻に2人は徐々に追い詰められ、囲まれて逃げ場もなくなった。

 そして、先に隙を見せたのが舞奈だった。

「まずはピクシオン・シューターを八つ裂きにしろ!」
「舞奈ちゃん!」
 立ち上がる余裕もない幼い舞奈を守るように、美佳が覆いかぶさる。

「ミカ!」
 舞奈は叫ぶ。
 仲間であり親代わりの少女のやわらかな感触と温度を感じながら。

 美佳の肉体に阻まれた舞奈の視界の隅に、槍を構えた無数の甲冑が映る。
 舞奈の幼い瞳が見開かれる。

「無能な仲間をかばうとは馬鹿な女! 共に串刺しになるが良いわ!」
 幹部の哄笑を合図に、甲冑どもは動けぬ2人めがけて槍を構える。
 幾つもの鉄が規則正しく並ぶ、無機質で恐ろしい音。

 次の瞬間、無数の穂先が2人の少女を串刺しにする。
 抵抗も反撃も許さない一方的な処刑。
 それ以外の結末など予想だにできないほど冷たく空気が軋む。

「大丈夫よ、舞奈ちゃん」
「でもミカ!」
「ハハハ! 私がピクシオンを2人も倒すのだ! これでエンペラー様も――」
 叫びの最中――

「――!?」
 音。
 戦場で何度も聞いた、鋭い何かが風を切る音。
 肉や骨を貫く音。
 次いで何度も。

 だが衝撃はなかった。
 人間ひとりぶんの遮蔽で防げるはずもない槍の穂先が自身に突き刺さる感覚も。
 代わりに、

「な……んだ……と…………!?」
 かすれるような幹部の声。
 気道に水でも入ったかのようにくぐもった。
 そして恐怖と驚愕に見開いた双眸が見て取れるほどに苦しげな。

 さらに音。
 何かが風を切る音。
 銃弾が飛ぶ音に似ているが銃声も硝煙の匂いも伴わない何か。
 甲冑が穿たれ、得物といっしょに地を転がる音。
 抵抗する音はない。一方的な……虐殺。

「え……?」
 美佳に抱かれながら、今度は舞奈が困惑する。

 幹部の声はもうしなかった。
 気配も徐々に数を減じている。
 この頃はまだ限定された舞奈の耳と感覚が、先ほどまで舞奈と美佳を追い詰めていた甲冑たちが、今は一方的に屠られていると示していた。

 だが美佳は舞奈を抱きしめている。
 拳銃ルガーP08を抜くことも、攻撃魔法エヴォケーションを使うこともできないはずだ。

 あるいは一樹が来てくれたのだろうか?
 だが気配は減るだけで増えてはいない。

 ただ幼い舞奈を包みこむ美佳の身体が、風切り音に合わせるように震えていた。

 今、考えれば何のとこはない。
 美佳はピクシオンでありながら熟達したエイリアニストでもある。
 だから混沌魔術によって自身の身体を落とし子に変化させ、背中から無数の触手か何かを伸ばして幹部と甲冑どもを串刺しにしたのだろう。
 その程度は造作ない。

 だが当時の幼い舞奈は、その状況がたまらなく嫌だった。
 数多の甲冑に囲まれているときより怖かった。
 あたたかくやわらかな美佳の身体が、別の何かになってしまう感触が不安だった。

 だから感覚を研ぎ澄ませた。
 些細な筋肉の動きすら把握しようと集中した。
 大好きな美佳が自分の知っている美佳であることを証明するために――

「――ちゃん、もう大丈夫よ」
 やがて虐殺のリズムは終わり、美佳は立ち上がって舞奈の手を取る。
 舞奈が周囲を見渡すと、もはやそこには幹部も甲冑もいなかった。
 ただ穿たれた鎧とへし折られた槍が散乱していた。

 そこには危機はなかった。
 ただ舞奈と、大好きな美佳だけが変わらぬ姿でそこにいた。

 だが、それ以降、舞奈は他者の肉体の動きに過度に敏感になった。
 後に空気の流れすら読み取る鋭敏な感覚と組み合わせることで、接近戦では相手の動きを完全に把握し、回避できるようになるほどに。
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