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第15章 舞奈の長い日曜日

早朝の訪問者

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 舞奈と明日香が平和な午後に、ふと追憶に耽った金曜日の、翌々日。
 全国的に晴れ間が広がる日曜の朝。
 とある空港へと向かう旅客機の客室で、

「Wow! 向こうにTokyo towerが見えるわ! パパ!」
「もうすぐJapanに着くのね! パパ!」
 2人の可愛い金髪幼女が、並んで窓に張りついてはしゃぐ。

「そうだよ娘たち! 本場のスシが食べれられる国さ!」
 同じ髪色をした中年男が楽しげに答える。

「ステキだわパパ! わたしは機動戦士カンガルのプラモデルが欲しい!」
「わたしは神話怪盗ウィアードテールのドール人形が欲しいわ!」
「娘たちよ! 子供のうちからそんなことを言ってると、将来はギークになるぞ」
「hahaha!」
「hahaha!」
「おおっと娘たちよ! そろそろ席に戻ってシートベルトをつけるんだ」
 そんなふうにアメリカ人の家族が騒ぐ。

「ちなみパパはミスター・イアソンのソフビを買うぞ。この国の模型は精巧なんだ」
「Wow! パパもギークになるの?」
「それにパパ! ミスター・イアソンはアメリカのヒーローよ!」
「hahaha!」
「hahaha!」
「……」
 前の席で寝ていたドイツ人男性が、鬱陶しそうな表情で一瞬だけ後を見やる。
 だがアイマスクの位置を直して残り僅かな惰眠を貪る。

 後ろの席で仕事をしていた台湾人の女は微笑ましそうに親子を見やる。

 そんな、ほのぼのとした旅客機の客席。
 そこに不意にアナウンスが流れた。

 曰く、問題が発生したため少しばかり着陸が遅れると。

「Oops! スシは食べられないの?」
「No problem! スシは逃げたりしないよ! 回るだけさ!」
「Wow! それは誰の格言なの?」
「パパのさ!」
「hahaha!」
「hahaha!」
「……」
 ようやく長距離のフライトから解放されるとほっとしていた矢先にこれだ。
 ドイツ人は一瞬だけ嫌な顔をするが、睡眠時間が増えて幸いと再び惰眠を貪る。

 台湾人の技術者は訝しむ。
 トラブルの原因は知る由もない。
 だが、この便の運航スケジュールから逆算すると、燃料は残り少ないはずだ。
 あまり悠長に飛んでいられる余裕はないはずなのだが……。

 そんな風に乗客たちが騒然とする中。
 前方座席の更に前で、

「すまない。機長と話をさせてもらえないだろうか?」
 ひとりの男が操縦室コックピットのドアの前に立った。
 逞しい身体に仕立ての良いスーツをまとった、彫りの深い顔立ちのアメリカ人だ。
 生え際がダイナミックに後退した、くすんだ金髪が目に眩しい。
 側頭の部分の髪を、角のように固めて伸ばしたヘアスタイルが印象的だ。

「お客様。申し訳ございませんが今は……」
 制止する日本人のCAに、男は笑顔のままカードを取り出し、

「これで構わないだろうか?」
 流暢な日本語で問いかけながら提示する。

「これは……!?」
 見やったCAは目を見開き、慌ててドアを開け、

「仕事中にすまない」
「誰だね? 君は」
 ドアの向こうの操縦席で壮年の機長と、女性の副操縦士が振り返る。
 白髪の機長の表情に、緊急事態に強引にあらわれた不審者への軽い苛立ちが浮かぶ。
 だが金髪マッチョは気にも留めずに笑いかけ、

「こういう者だ」
「な……!? 君は!?」
 提示されたカードに担保された彼の身分。
 それを見やり、熟練の機長は一瞬で冷静さを取り戻す。

「驚くのは後にしてくれ。今は時間が惜しいはずだ」
「あ、ああ。その通りだな。機器のトラブルで前方の着陸脚ランディングギアが下りないんだ。このままでは胴体着陸せざるを得ないが……」
 言い淀みながら、機長は閉まったドアを見やる。
 その向こうにいる客席を案ずるように。

 今回のフライトの乗客は294人。
 機長である彼の采配に、他の搭乗員と乗客たちの命がかかっている。

 緊急時の胴体着陸は機体を……乗客を危険に晒す最終手段だ。
 だが燃料も残り少ない。悠長に問題を先送りしている時間もない。
 そんな彼を見やり、

「ひとつ提案がある。私が着陸脚ランディングギアの問題を解決するというのはどうだろうか?」
 屈強なアメリカ人は言って不敵に笑う。

「君がかね!? しかし、どうやって……?」
「その前に、我が国との機密保持契約を遵守することを約束していただきたい」
「ああ、もちろんだとも」
「迅速な回答に感謝する」
 機長の答えに笑みを返した次の瞬間、

「サイオン・アップ!」
 金髪マッチョは高らかに叫ぶ。

 途端、男の姿が『変わった』。
 屈強な肉体を覆っていたスーツは、鮮やかなデザインの全身タイツに。
 肩にはマント。
 そして生え際が後退した金髪は、口元だけを覗かせたマスクに。

「何だと!? まさか君は……」
「ミスター・イアソン……」
 驚愕する2人。その目前で、

「それでは機体の操作を頼む」
「あ、ああ。了解した。健闘を祈る」
「hahaha。お互いに!」
 口元に笑みを浮かべた全身タイツの男――ミスター・イアソンの姿が『消えた』。
 見えなくなったわけではない。
 彼はその場所から一瞬にしていなくなった――転移したのだ。

「……間違いない。彼はミスター・イアソンだ」
「はい」
「平和維持組織【ディフェンダーズ】のリーダーにして屈強な超能力者」
「ええ。アメリカンムービーの登場人物だとばかり。まさか実在するなんて……」
 機長と副操縦士は目を見開いて虚空を見やりながら、ひとりごちる。
 次の瞬間、かすかな衝撃を感じる。

 なぜなら機外で、稼働しないはずの着陸脚ランディングギアが引き出された。
 油圧ポンプを力まかせに押し上げているのはマントをなびかせた全身タイツ。
 そう。ミスター・イアソンだ。

『私が着陸脚ランディングギアを保持しよう! 君たちは着陸の準備を』
 機内の通信機がミスター・イアソンの声で語る。
 イアソンは着陸脚ランディングギアを支えながら、電気を操って通信機器に介入しているのだ。
 そんな彼の声に対して、

「だ、だが、それでは……君の身体が!?」
『心配する必要はない。私は超能力サイオンによって不可視状態になれる。それに……』
 機長には見えない機外で、ヒーローは不敵に笑う。
 全身で油圧ポンプを支えながら、それでもなお。

『……ミスター・イアソンの身体は鉄骨よりも硬い。君たちも知っているはずだ』
「まさか、あの映画『ディフェンダーズ/ラグナロク・ウォー』は……!?」
『ああ、その通り。タイトルとエンディングクレジット以外はフェイクなしだ』
 副操縦士の驚愕の問いに、機器からの声は不敵に答える。
 まるでスクリーン越しに観客たちに勇気を与えるヒーローのように。
 だから、その後の2人の対応は素早かった。

「管制室に連絡を!」
「はい!」
 着陸の許可を確認するや否や、客席に着陸する旨のアナウンスを流す。
 そして手順通りの着陸のシーケンスを淀みなく実行する。
 293人の乗客を乗せた旅客機は、普段と変わらぬスムーズな挙動で高度を下げる。

 僅かな衝撃と共に、前後の着陸脚ランディングギアが滑走路を踏みしめる。

 機長と副操縦士の表情が一瞬、引き締められる。
 だがミスター・イアソンが支えている前方の着陸脚ランディングギアは、正常に駆動している後方左右のそれに劣らずしっかりと機体を支え続けた。

 機体は徐々に減速し、やがて停止する。
 急きょ手配されたクレーン車が機体前部を支える。

 そして側面にタラップ車が配置され、乗客たちが降りてきた。
 2人の金髪幼女ははしゃぎながら、父親の手を引っ張って。
 ドイツ人のビジネスマンは眠そうに。
 台湾人の女は淑やかに。
 彼女ら、彼らの誰もが安堵した表情で。

 そんな様子を操縦室コックピットの窓から眺めながら、機長と副操縦士は胸をなでおろす。
 その側に、派手な全身タイツのミスター・イアソンが転移してきた。
 超常現象に、もはや2人は驚かない。代わりに、

「ミスター・イアソン。君の協力に心から感謝する」
「貴方はわたしたちの……いえ、乗客たちの恩人です」
 ヒーローに笑いかける。
 イアソンもマスクから覗く口元に笑みを浮かべ、

「礼など不要。私は自分自身の使命……そして守るべきものを守っただけだ」
 一瞬にして、元のスーツ姿に戻る。
 そして機長と同じ場所を見ながら笑う。

「事後報告は大使館経由で『ディフェンダーズ』本部へ頼む」
「ああ、承知した」
「では私も失礼する。他の使命が……この国でしなければならない仕事があるのでな」
 言って見事な日本式に一礼する。
 そして他の乗客と同じようにタラップを降りて行った。

 その大きな背中が見えなくなるまで、機長と副操縦士は見送っていた。
 己が正体を隠し、人知れず善を成すヒーローの後姿を……

 ……と、まあ、そんなことがあった日曜の朝。
 所変わって新開発区の一角で、

「ピンポーン! ピンポンピンポンピンポン! ピィンポォーン!!」
「……何だ?」
 志門舞奈は野太い男の声で目覚めた。
 寝起きのもしゃもしゃの髪のまま、ベッドの上で半身を起こす。

 飾り気のない大人用のパイプベッドは、小学生がひとりで使うには大きめだ。
 だがスペースの大半がぬいぐるみに占領されているので体感的にはちょうど良い。
 それだけではない。
 ぬいぐるみは寝室のあらゆる場所に溢れかえっている。
 タンスの上や勉強机の上、部屋の片隅等々で、種類も大きさも様々なぬいぐるみが思い思いの格好で転がっている。
 意外にも女子小学生らしい舞奈の部屋の寝室である。

「ピンポンピンポンピンポンピンポン!」
「うるっせぇ!! 用があるなら呼び鈴ならせ!」
 叫んだ瞬間、声が止む。
 代わりに小さなカチカチという音。
 この部屋のチャイムは壊れているのだ。
 やれやれこれでゆっくり眠れると舞奈は再び布団をかぶる。

 一昨日の金曜日は昔を懐かしみながらも何事もなく平和に過ぎた。
 先日の土曜日は、近くに出没したらしいフンババを狩るべくアパートの管理人と2人で一日中、新開発区を走り回った。
 なので日曜の今日はゆっくり休むつもりだったのだ。
 それを朝から邪魔されたくない。
 そう思った途端、

「ピィンポォーン!!」
「ったく、朝っぱらから!!」
 悪態をつきつつベッドから降りる。
 寝巻き代わりの大人用Tシャツ一丁というだらしない格好のまま、大あくびする。
 ついでに枕元の拳銃ジェリコ941を手に取り、歩きながらほとんど手癖で残弾をチェックしてからシャツの下のキュロットに挟む。
 そのままフラフラと台所を兼ねたリビングを通って玄関へ向かう。

 ガチャリ

 年季の入った鉄製のドアを開けると、

「シモン・マイナ君だね?」
 見知らぬマッチョがいた。

 威圧感のある大柄な身体を包んでいるのは、仕立ての良いスーツ。
 ドアの隙間から覗く顔は、彫りの深い顔立ちの外国人。
 生え際がダイナミックに後退した金髪と、そのせいで広く見えるデコが目に眩しい。
 代わりのつもりか側頭の部分の髪を、角のように固めて伸ばしている。
 
 スミスが陽キャになって中途半端に髪が生えた、という印象の男だ。

「何の用だ?」
「君を休日のデートに誘いに来た」
「いらん」
 即座に閉める。だが、

「野郎……!!」
 小癪にもマッチョはドアの隙間に指を入れて、ドアが閉じるのを防いでいた。
 ボロ同然の安普請のドアにチェーンなどついていない。
 それでも、

「いいぜ! そっちがその気なら……!」
 舞奈は不敵に笑う。
 腰を入れ、両手でドアのノブをつかむ。
 手近なコンクリート壁に足をかけてふんばる。
 そして鍛え抜かれた全身の筋肉で万力のようにドアを引く。

「ノオォォォォ! 話を聞いてくれたまえぇぇえ!」
「さっき聞いただろ」
 あまりの暴挙にマッチョは叫ぶ。

 なにせ45口径を振り回す握力と腕力、飛刃を蹴って人の頭に跳びかかれる脚力と全身のバネを総動員して、指がはさまったドアノブを引いているのだ。
 もはや指を潰すための機械だ。
 修羅離れした舞奈は肉が潰れ骨が軋む感触にも怯んで力を緩めたりはしない。だが、

「……いや待てよ」
 力をこめつつ、ふと気づく。

 彼の指の耐久力は、人体の限界を超えていないだろうか?
 朝っぱらからドアにこびりついた肉の掃除をするよりマシだが。
 そして適度な運動のおかげで眠気も醒めて回り始めた頭で考える。

 そもそも舞奈のアパートは新開発区の片隅にある。
 しかも今は日が昇って間もない早朝だ。
 怪異の出現頻度も高い。
 ノリがいいだけの外人のおっちゃんが、冷やかしに訪問できる状況ではないはずだ。

 当然ながら彼が当の怪異ではないのも明白。
 人間の皮をかぶった泥人間にしろ、屍虫や脂虫にしろ、アパートに近づいた時点で表に咲いてる百合が反応する。
 具体的には【断罪発破ボンバーマン】の掃射。
 普通は口ピンポンよりそちらに気づく。
 それに、何より悲鳴をあげる彼の口からはヤニの悪臭がしない。なので、

「……あんた、ひょっとして異能力者か?」
 何食わぬ顔で手を緩め、ドアを開ける。

「ノオォォォ。何と酷い……」
「いや、自分の国で同じことやったら射殺されると思うんだが」
 それに比べりゃあマシだろ。
 手を押さえてうずくまる巨漢に、腰の拳銃ジェリコ941などそ知らぬふりで声をかける。

「だいたい用があるなら事前に電話くらい――」
「――おーい志門!!」
 唐突に管理人の叫び声。

「どうした、じーさん!?」
「今しがた【機関】の糸目から電話があった!! 客が行くからよろしくとな!」
「なんだと!?」
 ベランダ越しに返事する。

「外国からの! 大事な客人だそうだ! 朝っぱらから大騒ぎするのは構わんが! 出迎えの準備もしておけよ!」
「……ああ、わかった!」
 相変わらずの大声に、負けじと声を張りあげて答える。

 そして思わず口元をへの字に歪める。
 野放図な知人の、何を考えてるかわからない糸目が脳裏をよぎる。

 技術担当官マイスターニュットは組織の内外にコネが多い。
 彼もそのうちのひとりなのだろう。
 ニュットは知人の接待を、傍迷惑かつ雑な手段で舞奈に丸投げしたのだ。

 そう考えると、彼自身に落ち度はない。
 彼もニュットの被害者なのだ。
 なにか適当なことを言われて送り出されたのだろう。

 そんなことを考えながら、足元の彼をどうしたものかと見やる。
 面識のない彼が何者なのかはわからない。
 だが海外からの大事な客人とやらは、指をプレスされてのたうち回っている。

 やれやれと肩をすくめる。
 舞奈の長い日曜日は、早朝の金髪マッチョで始まった。
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