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第15章 舞奈の長い日曜日
前日談3 ~ 銃技vs戦闘魔術
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2年前の、あるうららかな朝の3年生の教室。
舞奈と明日香は大喧嘩を繰り広げた。
小3の限度を超えた身体能力と斥力場による超常バトル。
そんな2人のはた迷惑な私闘を止めたのは、意外にも園香だった。
その後は一見して何事もなく平和に1日が過ぎた。
もちろんホームルームではしつこいくらい注意された。
加えて授業中/放課中を問わずクラスの皆や担任の視線が少しばかり痛かった。
だが舞奈と明日香がそれ以上の騒動を起こすことはなかった。
……表面上は。
そして放課後。
空が赤みを増した頃。
クラスメートはもちろん、中等部や高等部の生徒も残らず下校した後、
「あたりまえだけど、隙だらけだな」
校門の外から警備員室の様子を窺いながら、舞奈は笑う。
白黒セットの警備員の、真面目そうな金髪美女の気配はない。
おそらく校内の見回り中だろう。そして、
「……ありゃ。明日香様、帰ってないんすか? 学校からは出て行ったんすけどねー」
浅黒い肌の長身な彼女は電話中のようだ。
しかも仕事中にもかかわらず、ささみスティックを食いながら。
だから出入口を見張っている者はいない。
まあ普通なら不審者が侵入しようとしても開け放たれた窓越しに気づく。
だが舞奈はちっちゃな小学3年生だ。
その上で尋常ならざる身体能力を持っている。
だから身をかがめ、音もなく窓の下を走り抜ける。
だが、そんな舞奈の頭の上の窓の奥。
浅黒い警備員は鼻をクンクン言わせて窓の外の匂いを嗅ぎつつ、
「まー子供には子供の事情があるんじゃないすか? 用が済んだら帰るっすよ」
電話口に雑な主観を述べつつ電話を切る。
そして窓の外を見やり、それはそれは楽しそうに笑った。
一方、舞奈と明日香が待ち合わせた体育館。
人気のない夕方の、校舎とは独立した大きな建物の一角で、
「あ、あれ? 開かないぞ……」
舞奈はドアをこじ開けようとガチャガチャ動かしていた。
重い両開きの鉄のドアが、押しても引いても開かないのだ。
当然と言えば当然だが、授業も部活も終わったら体育館は施錠される。
そんな舞奈の側で、
「当たり前でしょ。施錠してあるんだから」
声がした。
鈴の音のような涼やかな声。
見やると先ほどまで何もなかった空間から、滲み出るように誰かがあらわれた。
姫カットの長い黒髪のクラスメート――明日香だ。
「……おどろかないのね」
「別にいいだろ」
不満そうな明日香に、ぶっきらぼうに答える。
見えない何かが近づいてきたのには気づいていた。
舞奈の感覚はピクシオン時代から鋭敏だ。
この頃から【偏光隠蔽】を普通に看破できたし、類似する術の存在も知っていた。
だから明日香が、そんな隠形術を行使して鍵を拝借してきたのだと気づいた。
舞奈は魔法を使えない。
だから彼女を素直に凄いと思ったが、認めるのは癪だからそっぽを向いた。
明日香が素早く鍵を開け、舞奈が重いドアを開く。
無意識に互いの長所を生かした共同作業。
その後に2人とも律義に隠し持っていた上履きに履き替え、足音もなく侵入する。
そして、どちらともなく体育館の中央に立って向かい合う。
窓から差しこむ赤い夕日が、コロセウムの観客の熱い視線のように2人を照らす。
2人の距離がやや遠いのは、どちらも殴り合うより銃と魔法に慣れているから。
あまり開始の距離が近いと茶番くさく感じるのだ。
「かくごはいいか?」
不敵に笑いつつ、舞奈は油断なく身構える。
今の舞奈に銃はないが、異能の力を操る彼女を叩きのめすには十分だと思った。
それに『楽しい』バトルには、そんなのあってもなくても同じだとも。
「そっちこそ」
明日香も構える。
相変わらず隙の無い、訓練教本をコピーしたような完璧な構え。
下フレームの眼鏡の奥の表情は陰気で険しい。
だが横向きの光のせいか、口元が笑っているように見えた。
そんな2人はしばし睨み合う。
照明のついていない体育館の赤い暗闇に沈黙が流れる。
そして次の瞬間、動いた。
舞奈は明日香めがけて走る。
対する明日香は印を組みつつ真言を唱える。
昼間と同じだ。
違うのは邪魔な机や椅子、ギャラリーがいないこと。
そして明日香が唱える真言の中身。
帝釈天ってなんだっけ?
そんな無粋な詮索はほどほどに明日香に駆け寄りつつ、舞奈の口元には不敵な笑み。
昼間は熱くなってて考えなかったが、相手も女の子だ。
鼻面をぶん殴ってノックアウトするというのは何か違う気がする。
ならどうすればいいかと考えると、自分の力を見せつけてやることだ。
だから超スピードで回りこんで腕をねじ上げてやろうと接敵する。だが、
「……防御!」
「うわっ!」
ただならぬ気配に跳び退る。
次の瞬間、閃光。
ピリピリする静電気とオゾン臭。
鼻先が少し痺れた。
まるでエンペラーの手下の【雷霊武器】を際どく避けた時のように。
見やると舞奈に向けられた左の掌に、放電する半円形のドームが展開されていた。
即ち【雷盾】。
帝釈天は雷電を司る仏の名だ。
「隠すつもりもねぇな!」
続けざまに3度ほど跳んで距離をとりつつ舞奈は笑う。
昼間の私闘では、あれでも余人に魔法を悟られぬよう考慮したのだろう。
光も音もない斥力場による怪現象は、トリックか見間違いだと強く頑なに主張すれば受け入れざるを得ない程度の常識的な奇跡だ。
だが舞奈だけが見ている今、もはや奇跡の正体を隠すつもりもないらしい。
その事実が嬉しくないと言えば嘘になる。
「ちっ」
不意打ちを避けられた明日香は舌打ちしつつ、だが、こちらも口元には笑み。
明日香も実のところ、舞奈とは別の意味で加減していた。
生身の人間相手にプラズマの砲弾なんて撃てるわけない。
ならどうすればいいかと考えると、自分の力を見せつけてやることだ。
だから、あえて接敵を許して【雷盾】で殴ろうとした。
本来は電磁バリアで打撃を受け止める防御魔法。
それでも無理やりに殴れば電気の拳になる。
放電する盾に触れたが最後、どれほど素早く強くても痺れて動けなくなる。
だが舞奈は鋭敏な感覚で察して避けた。
勝負はまだ、ついていない。
だから2人とも躊躇は一瞬。
決断の素早さも互角。
舞奈は油断なく身構える。
だが次の瞬間、大きく横に跳ぶ。
目で追う明日香を翻弄するように、不規則に左右に跳びながら走り寄る。
そんな動きを見やり、次なる真言を唱えながら明日香の口元が歪む。
楽しいのか、不愉快なのか、正直なところ自分でもわからない。
なぜなら今のは、投射する攻撃魔法を開所で避けるためのセオリー通りの動作。
その上で術者に近づき倒すための。
かつて怪異や怪人を相手に、明日香が信じた仲間がしていたのと同じ動き。
そんな舞奈は跳ねるボールかバネの如く捉えようのない挙動と、かつての明日香の仲間を凌駕する凄まじい加速で距離を詰める。
そのまま明日香の右に回りこむ。
何故なら、そこが左手に構えたプラズマの盾の死角。
明日香がかざした稲妻の盾に、触れたら終わりなことは舞奈も承知済み。
だが雷盾が左の掌にあわせて動く以上、本体の反応速度を超えては動かせない。
そして左手に構えた盾を、とっさに右に突き出すのは困難だ。
異能を操る相手が陥りがちな思考の隙をついた、だが理にかなった対処。
それは美佳や一樹と違って自前の魔法を持たなかった舞奈が、異能力を当然のように駆使して襲いかかってくるエンペラーの手下たちとの戦闘で会得した技術だ。
だから舞奈は笑う。
普通の人間の反応速度で舞奈の動きを追うことはできない。
真言を唱え終えつつ明日香が振り向く。
だが遅い。
そのまま押し倒して組みかかろうと跳びかかり――
「――放射!」
かざした右の掌から何かが放たれた。
冷たい!
広範囲に広がる身も凍るようなそれは、みぞれ混じりの突風だった。
限定範囲に吹雪を放つ【冷気放射】。
(読まれてた!?)
舞奈は驚く。
どんなに身体が強くとも、雷の盾に素手で対処できないのは双方とも承知済み。
舞奈がその事実を知っていることにも当然ながら明日香は気づいていた。
だから盾の死角を突くはずだと、大自在天の咒を唱えながら待ち構えていた。
当時の明日香は吹雪の術に安定して魔力を供給するための杖など持っていない。
だが顔面めがけて広範囲に吹きつければ強烈な目くらましになる。
別の術で組み伏せるのも容易い。
その判断は的確だと舞奈は思った。
だが、それは相手が舞奈じゃなかった場合の話だ。
回避不能な距離からの吹雪を、だが舞奈はギリギリで跳び退いて避ける。
(読まれてた? ……いえ違うわ!)
今度は明日香が驚愕に目を見開く。
直観と卓越した反射神経。
いっそ何らかの種類の異能力と見紛うほどに。
そうした一連の攻防で、双方とも気づいた。
正確には、これまで感づいていたことに確証を持てた。
「やっぱり魔道士か! ……て、そりゃそうか」
身構えながら舞奈は笑う。
昼間の斥力場はまあ、実はただの怪力だと言われれば納得せざるを得ない範囲だ。
無論、そう思わせるために選択した術なのだろうが。
それを踏まえれば稲妻の盾が異能力である可能性もギリギリなくはない。
舞奈は魔法や異能に疎く、故に女の異能力者が絶対いないと決めつける材料もない。
だから何かの偶然によて彼女が異能に目覚めていたと言われれば信じるしかない。
それでも、今しがたの吹雪は擁護不可能だ。
異能力はひとりにひとつだけ。
複数の超常現象を操れるのは、研鑽によって魔力の操作法を会得した魔道士だけだ。
だが言った直後に気づいた。
問いただすまでもない。
少なくとも彼女がそうした技芸と無関係ではないと、当の昔にヒントは得ていた。
なぜなら明日香は新開発区を踏破してきた。
護衛がいるとはいえ、一介の異能力者は少数で新開発区に踏みこもうとは考えない。
それに明日香の超然さは、魔法使いだった美佳と一樹に少し似ている。
正直、その事実が嬉しかった。
1年前は美佳と一樹と自分だけの秘密だった。
2人の仲間がいなくなった今では舞奈と限られた大人しか知らない秘密。
それを共有できる相手が、目の前にいる。
「その身のこなし!? ……それもそうね」
明日香も放電する盾を維持しながら訝しみ、だが腑に落ちる。
舞奈は新開発区の住人だ。
廃墟の通りを彼女は単身で踏破している。
あまつさえ通学路にしている。
怪異が跋扈する、明日香が2人の傭兵を連れて通ったあの道を。
その秘訣は驚異的な身体能力と反射神経、そして直感。
直感とは極限まで凝縮された判断力だと明日香は理解している。
だから舞奈の直感が、異能力や魔法を使う敵との度重なる戦闘の中で鍛えられ、研ぎ澄まされてきたものなのだと悟った。
それは、かつて明日香が信じていた……信じようとしていた仲間たちと同じ――
――否、彼女は異能力すら持っていない。
故に彼女の強さは、その人間本来の資質を極限まで高めた戦闘技術そのものだ。
魔法との戦いを知る舞奈。
魔法を操る明日香。
表向きには決して存在しないはずの、裏の世界の技術に精通した2人。
再び距離をとった2人は、そのまま構えて睨み合う。
互いの口元には楽しげな笑みが浮かぶ。
もはや2人の目的は相手を倒すことではなかった。
自尊心を満たすことでもなかった。
明日香と、舞奈と、ただ戦っていたかった。
相手の意図に想いを巡らせ、心に触れ合っていたかった。
魔法を操る、魔法に対処できる目前の相手と心を通わせていたかった。
そうすることで、喪失により自身の心に開いた大きな穴を埋められる気がした。
だから三度、激突しようとした、そのとき――
「――そこまでにしておきましょうかね、お2人さん」
声がした。
同時に体育館の天井一面に照明が灯る。
薄暗がりでの戦闘に目が慣れた舞奈も明日香も思わず怯む。
そして視力が回復すると、目前には2人の警備員がいた。
いいものを見られたとばかりに満面の笑みを浮かべる浅黒い長身。
その側で苦笑する金髪美女。
さすがに周囲の状況も考えずに魔法を使いまくれば、こうなるだろう。
「あーあ。真冬でもないのに床が凍りつくって、どう説明するんすか?」
長身のベティがしゃがみこんで床をつつく。
その口調と口元は、新しいおもちゃを手に入れたみたいに楽しげだ。
「それはこいつの仕業だぞ」
舞奈は言って明日香を睨み、
「……必要にかられたのよ」
明日香は面白くなさそうにそっぽを向く。
「志門舞奈さん、でしたっけ?」
一見すると礼儀正しいクレアが舞奈を見やる。
舞奈は「何だよ?」みたいな表情で金髪美女に振り返る。
「体育館で運動するにしては、少々踏みこみが強すぎますね。ほら、舞奈さんが走り出した跡、ヤスリがけしたみたいになってますよ」
「おおっ本当っす。一体、どんなバケモノみたいな足してるんすか」
2人そろって舞奈を見やる。
咎めるような口調でなく、むしろ目を輝かせている様子に勢いを削がれた。だから、
「べつに……ふつうだよ」
舞奈も明日香とは逆の方向にそっぽを向く。
昼間の派手な攻防でも、今しがたの異能バトルでも2人はかすり傷すら負ってない。
だが気づかぬうちに息があがっていた。
正直なところ、明日香が魔法で創り出した吹雪の余韻が肌に心地よい。
そんな2人の様子をクレアは微笑ましそうに見やっていた。
ベティはワクワクした表情で見ていた。
……その後も警備員たちは、舞奈の恐るべき身体能力を何度も思い知ることになる。
じきに防犯上の問題を解決するべく協力を乞うようになる。
そうこうするうちに、いつしか2人は舞奈のことを舞奈様と呼ぶようになっていた。
まあ、それはともかく。
そんな様々な悶着があった大変な日の、翌日。
一見する先日と変わらずうららかなホームルーム前の教室で、
「おはようー」
先日の騒動など何処吹く風で、舞奈は何食わぬ顔で教室に入る。
「あ、マイちゃんおはよう」
「マイだ! おはよー」
「志門さんおはよー」「はよー」
園香とチャビー、クラスメートの皆が出迎える。
ちょうど先日のこのくらいの時間に始まった、割とシャレにならない大喧嘩の後。
皆の反応が変わらなかったのは園香のおかげだったりする。
騒動の後、彼女は「マイちゃんも明日香ちゃんも、本当は良い子だよ」と言った。
そんな園香は、小3の能力を超えた超常バトルを終わらせた張本人だ。
だから、その言葉はクラスメートたちの中での真実となった。
そんな園香たちに普段通りの笑顔で挨拶を返した途端、
「……おはよう」
「明日香ちゃんもおはよう」
「安倍さんおはよー」
「おはようございます」「ございますー」
明日香も登校してきた。
舞奈と明日香。
例の2人の邂逅に、クラスの中に緊張が走る。
だが2人とも、あえて互いを無視して自分の席に鞄を降ろした。
先日の朝の大喧嘩の翌日に、友達面して挨拶するのも何か違う気がした。
そして夕方の大喧嘩の翌日に、改めて敵意を交わし合うのも馬鹿馬鹿しい気がした。
だから舞奈は友人候補の麗華を探す。
先日の騒動の後、麗華は舞奈を明日香にけしかけたことなんて素知らぬ様子で教室の隅でガタガタ震えていた。あんな大事になるなんて思ってもいなかったのだろう。
だから舞奈も明日香も、麗華のことを先生に告げ口したりはしなかった。
それでも、まあ、麗華は舞奈のお友達だ。
互いにどんな思惑があったにしろ。だが、
「……あれ? 麗華様は休みなのか?」
言いつつ無人の机を見やり、教室を見渡し、時計を見やる。
もうすぐホームルームが始まる時間だ。
優等生を気取るつもりの彼女が教室にいないなんて珍しい。
舞奈が訝しんでいると、
「志門さん。あの、これ……」
無表情なクラスメートが話しかけてきた。
テックである。
手にした携帯を見せてくる。
「ん? なんだ?」
思わず覗きこむ。
「……って、なんだこりゃ!?」
画面の中で、麗華が車に押しこまれていた。
犯人は背広を着こんだ数人の男。
実のところ麗華の我儘勝手な振舞いを、テックはあまり好きではなかった。
自分が勇気を出して接触しようとしていた舞奈を、麗華は横からかっさらった。
だから弱みのひとつも握ってやろうと彼女の家の付近の防犯カメラを監視していた。
テックも当時は少しやんちゃだった。
その上で、ハッキングの技術は健在だった。
けれどカメラに写っていたのは、麗華が誘拐される様子だった。
テックも別に、クラスメートが本気でどうこうなるのを望んでいた訳じゃない。
だがハッキングで知った誘拐事件のことを、親や先生や警察に話すのは躊躇われた。
違法行為を咎められるというより、信じてくれないと思った。
……自身の両親がそうだから、大人は皆そうだと思っていた。
だから代わりに舞奈に話した。
彼女の小3とは思えぬ……いっそ人間離れした強さは昨日の件でよく知っている。
ある意味、麗華の我儘のせいで。
それに喧嘩の後の先生への対応で、舞奈は友人思いなのだと見抜いた。
自分では気づいてないかもしれないが、彼女は自分の中の正義に正直だ。
だから麗華を救える者がいるとするなら、それは舞奈に他ならない。
彼女をピクシオンかもしれないと思ったからじゃない。
志門舞奈というひとりの友人に、テックは自身の知りえたすべてを託した。
そんな舞奈は、
(泥人間……?)
画面の中の男の挙動に、ひと目で気づいた。
奴らを知る者にはわかる、生来の人間のものではない不自然な動き。
人ならぬ怪異が人間になりすまし、人間の子供をさらったのだ。
「あと、これ」
「あっ」
テックが画面を操作すると、切り替わって地図になった。
「西園寺さんの携帯のGPSを……」
「調べたのか?」
「う、うん……」
「すごいな、おまえ! まるで魔法だ!」
そんな美佳の『狂気による洞察』じみた行為が可能な者がいるとは思わなかった。
しかも、それが同じクラスの目立たない女子だなんて!
舞奈は血色の悪い彼女を褒めたたえ、思わず抱きしめる。
それが舞奈とテックの馴れ初めだった。
「先生に休みだって行っといてくれ!」
そう言って、止める間もなく教室を飛び出す。
廊下をノミで削るような凄まじい脚力で駆け抜ける。
舞奈はピクシオンだ。
もう変身はできないけれど。
側には美佳も一樹もいないけれど。
もう魔法の国とも魔法とも無縁だけれど、心だけは皆を守る正義の魔法少女だ。
そうしていれば寂しい夢から醒めた後、胸を張って仲間に再会できる。
そう思った。
そうすることが一番正しいのだと、心の中の何かが叫んだ。
だから舞奈は猛スピードで廊下を駆け、階段を跳び降りる。
途中で教師が呼び止める。
だが舞奈のスピードについて来られる訳もない。
下駄箱でスニーカーに履き替えて走る。
「おや舞奈ちゃん。忘れ物すか?」
「クラスの女の子がさらわれたんだ! 行き先はたぶん、あたしん家のちかくだ!」
「さらわれ……って、えっ!?」
驚くベティとクレアを尻目に校門を飛び出し、走る。
走る。走る。走る。
学校や商店街のある亜葉露町を駆け抜け、灰色の統零町を駆け抜ける。
かつてピクシオンとしての戦いの中で鍛えられ、その後も個人的な鍛錬によって鍛え続けた超人的な脚力を駆使して、全速力で走る。
目的地は新開発区。
目的は新たな敵との戦い。
そして誘拐された少女の奪還だ!
舞奈と明日香は大喧嘩を繰り広げた。
小3の限度を超えた身体能力と斥力場による超常バトル。
そんな2人のはた迷惑な私闘を止めたのは、意外にも園香だった。
その後は一見して何事もなく平和に1日が過ぎた。
もちろんホームルームではしつこいくらい注意された。
加えて授業中/放課中を問わずクラスの皆や担任の視線が少しばかり痛かった。
だが舞奈と明日香がそれ以上の騒動を起こすことはなかった。
……表面上は。
そして放課後。
空が赤みを増した頃。
クラスメートはもちろん、中等部や高等部の生徒も残らず下校した後、
「あたりまえだけど、隙だらけだな」
校門の外から警備員室の様子を窺いながら、舞奈は笑う。
白黒セットの警備員の、真面目そうな金髪美女の気配はない。
おそらく校内の見回り中だろう。そして、
「……ありゃ。明日香様、帰ってないんすか? 学校からは出て行ったんすけどねー」
浅黒い肌の長身な彼女は電話中のようだ。
しかも仕事中にもかかわらず、ささみスティックを食いながら。
だから出入口を見張っている者はいない。
まあ普通なら不審者が侵入しようとしても開け放たれた窓越しに気づく。
だが舞奈はちっちゃな小学3年生だ。
その上で尋常ならざる身体能力を持っている。
だから身をかがめ、音もなく窓の下を走り抜ける。
だが、そんな舞奈の頭の上の窓の奥。
浅黒い警備員は鼻をクンクン言わせて窓の外の匂いを嗅ぎつつ、
「まー子供には子供の事情があるんじゃないすか? 用が済んだら帰るっすよ」
電話口に雑な主観を述べつつ電話を切る。
そして窓の外を見やり、それはそれは楽しそうに笑った。
一方、舞奈と明日香が待ち合わせた体育館。
人気のない夕方の、校舎とは独立した大きな建物の一角で、
「あ、あれ? 開かないぞ……」
舞奈はドアをこじ開けようとガチャガチャ動かしていた。
重い両開きの鉄のドアが、押しても引いても開かないのだ。
当然と言えば当然だが、授業も部活も終わったら体育館は施錠される。
そんな舞奈の側で、
「当たり前でしょ。施錠してあるんだから」
声がした。
鈴の音のような涼やかな声。
見やると先ほどまで何もなかった空間から、滲み出るように誰かがあらわれた。
姫カットの長い黒髪のクラスメート――明日香だ。
「……おどろかないのね」
「別にいいだろ」
不満そうな明日香に、ぶっきらぼうに答える。
見えない何かが近づいてきたのには気づいていた。
舞奈の感覚はピクシオン時代から鋭敏だ。
この頃から【偏光隠蔽】を普通に看破できたし、類似する術の存在も知っていた。
だから明日香が、そんな隠形術を行使して鍵を拝借してきたのだと気づいた。
舞奈は魔法を使えない。
だから彼女を素直に凄いと思ったが、認めるのは癪だからそっぽを向いた。
明日香が素早く鍵を開け、舞奈が重いドアを開く。
無意識に互いの長所を生かした共同作業。
その後に2人とも律義に隠し持っていた上履きに履き替え、足音もなく侵入する。
そして、どちらともなく体育館の中央に立って向かい合う。
窓から差しこむ赤い夕日が、コロセウムの観客の熱い視線のように2人を照らす。
2人の距離がやや遠いのは、どちらも殴り合うより銃と魔法に慣れているから。
あまり開始の距離が近いと茶番くさく感じるのだ。
「かくごはいいか?」
不敵に笑いつつ、舞奈は油断なく身構える。
今の舞奈に銃はないが、異能の力を操る彼女を叩きのめすには十分だと思った。
それに『楽しい』バトルには、そんなのあってもなくても同じだとも。
「そっちこそ」
明日香も構える。
相変わらず隙の無い、訓練教本をコピーしたような完璧な構え。
下フレームの眼鏡の奥の表情は陰気で険しい。
だが横向きの光のせいか、口元が笑っているように見えた。
そんな2人はしばし睨み合う。
照明のついていない体育館の赤い暗闇に沈黙が流れる。
そして次の瞬間、動いた。
舞奈は明日香めがけて走る。
対する明日香は印を組みつつ真言を唱える。
昼間と同じだ。
違うのは邪魔な机や椅子、ギャラリーがいないこと。
そして明日香が唱える真言の中身。
帝釈天ってなんだっけ?
そんな無粋な詮索はほどほどに明日香に駆け寄りつつ、舞奈の口元には不敵な笑み。
昼間は熱くなってて考えなかったが、相手も女の子だ。
鼻面をぶん殴ってノックアウトするというのは何か違う気がする。
ならどうすればいいかと考えると、自分の力を見せつけてやることだ。
だから超スピードで回りこんで腕をねじ上げてやろうと接敵する。だが、
「……防御!」
「うわっ!」
ただならぬ気配に跳び退る。
次の瞬間、閃光。
ピリピリする静電気とオゾン臭。
鼻先が少し痺れた。
まるでエンペラーの手下の【雷霊武器】を際どく避けた時のように。
見やると舞奈に向けられた左の掌に、放電する半円形のドームが展開されていた。
即ち【雷盾】。
帝釈天は雷電を司る仏の名だ。
「隠すつもりもねぇな!」
続けざまに3度ほど跳んで距離をとりつつ舞奈は笑う。
昼間の私闘では、あれでも余人に魔法を悟られぬよう考慮したのだろう。
光も音もない斥力場による怪現象は、トリックか見間違いだと強く頑なに主張すれば受け入れざるを得ない程度の常識的な奇跡だ。
だが舞奈だけが見ている今、もはや奇跡の正体を隠すつもりもないらしい。
その事実が嬉しくないと言えば嘘になる。
「ちっ」
不意打ちを避けられた明日香は舌打ちしつつ、だが、こちらも口元には笑み。
明日香も実のところ、舞奈とは別の意味で加減していた。
生身の人間相手にプラズマの砲弾なんて撃てるわけない。
ならどうすればいいかと考えると、自分の力を見せつけてやることだ。
だから、あえて接敵を許して【雷盾】で殴ろうとした。
本来は電磁バリアで打撃を受け止める防御魔法。
それでも無理やりに殴れば電気の拳になる。
放電する盾に触れたが最後、どれほど素早く強くても痺れて動けなくなる。
だが舞奈は鋭敏な感覚で察して避けた。
勝負はまだ、ついていない。
だから2人とも躊躇は一瞬。
決断の素早さも互角。
舞奈は油断なく身構える。
だが次の瞬間、大きく横に跳ぶ。
目で追う明日香を翻弄するように、不規則に左右に跳びながら走り寄る。
そんな動きを見やり、次なる真言を唱えながら明日香の口元が歪む。
楽しいのか、不愉快なのか、正直なところ自分でもわからない。
なぜなら今のは、投射する攻撃魔法を開所で避けるためのセオリー通りの動作。
その上で術者に近づき倒すための。
かつて怪異や怪人を相手に、明日香が信じた仲間がしていたのと同じ動き。
そんな舞奈は跳ねるボールかバネの如く捉えようのない挙動と、かつての明日香の仲間を凌駕する凄まじい加速で距離を詰める。
そのまま明日香の右に回りこむ。
何故なら、そこが左手に構えたプラズマの盾の死角。
明日香がかざした稲妻の盾に、触れたら終わりなことは舞奈も承知済み。
だが雷盾が左の掌にあわせて動く以上、本体の反応速度を超えては動かせない。
そして左手に構えた盾を、とっさに右に突き出すのは困難だ。
異能を操る相手が陥りがちな思考の隙をついた、だが理にかなった対処。
それは美佳や一樹と違って自前の魔法を持たなかった舞奈が、異能力を当然のように駆使して襲いかかってくるエンペラーの手下たちとの戦闘で会得した技術だ。
だから舞奈は笑う。
普通の人間の反応速度で舞奈の動きを追うことはできない。
真言を唱え終えつつ明日香が振り向く。
だが遅い。
そのまま押し倒して組みかかろうと跳びかかり――
「――放射!」
かざした右の掌から何かが放たれた。
冷たい!
広範囲に広がる身も凍るようなそれは、みぞれ混じりの突風だった。
限定範囲に吹雪を放つ【冷気放射】。
(読まれてた!?)
舞奈は驚く。
どんなに身体が強くとも、雷の盾に素手で対処できないのは双方とも承知済み。
舞奈がその事実を知っていることにも当然ながら明日香は気づいていた。
だから盾の死角を突くはずだと、大自在天の咒を唱えながら待ち構えていた。
当時の明日香は吹雪の術に安定して魔力を供給するための杖など持っていない。
だが顔面めがけて広範囲に吹きつければ強烈な目くらましになる。
別の術で組み伏せるのも容易い。
その判断は的確だと舞奈は思った。
だが、それは相手が舞奈じゃなかった場合の話だ。
回避不能な距離からの吹雪を、だが舞奈はギリギリで跳び退いて避ける。
(読まれてた? ……いえ違うわ!)
今度は明日香が驚愕に目を見開く。
直観と卓越した反射神経。
いっそ何らかの種類の異能力と見紛うほどに。
そうした一連の攻防で、双方とも気づいた。
正確には、これまで感づいていたことに確証を持てた。
「やっぱり魔道士か! ……て、そりゃそうか」
身構えながら舞奈は笑う。
昼間の斥力場はまあ、実はただの怪力だと言われれば納得せざるを得ない範囲だ。
無論、そう思わせるために選択した術なのだろうが。
それを踏まえれば稲妻の盾が異能力である可能性もギリギリなくはない。
舞奈は魔法や異能に疎く、故に女の異能力者が絶対いないと決めつける材料もない。
だから何かの偶然によて彼女が異能に目覚めていたと言われれば信じるしかない。
それでも、今しがたの吹雪は擁護不可能だ。
異能力はひとりにひとつだけ。
複数の超常現象を操れるのは、研鑽によって魔力の操作法を会得した魔道士だけだ。
だが言った直後に気づいた。
問いただすまでもない。
少なくとも彼女がそうした技芸と無関係ではないと、当の昔にヒントは得ていた。
なぜなら明日香は新開発区を踏破してきた。
護衛がいるとはいえ、一介の異能力者は少数で新開発区に踏みこもうとは考えない。
それに明日香の超然さは、魔法使いだった美佳と一樹に少し似ている。
正直、その事実が嬉しかった。
1年前は美佳と一樹と自分だけの秘密だった。
2人の仲間がいなくなった今では舞奈と限られた大人しか知らない秘密。
それを共有できる相手が、目の前にいる。
「その身のこなし!? ……それもそうね」
明日香も放電する盾を維持しながら訝しみ、だが腑に落ちる。
舞奈は新開発区の住人だ。
廃墟の通りを彼女は単身で踏破している。
あまつさえ通学路にしている。
怪異が跋扈する、明日香が2人の傭兵を連れて通ったあの道を。
その秘訣は驚異的な身体能力と反射神経、そして直感。
直感とは極限まで凝縮された判断力だと明日香は理解している。
だから舞奈の直感が、異能力や魔法を使う敵との度重なる戦闘の中で鍛えられ、研ぎ澄まされてきたものなのだと悟った。
それは、かつて明日香が信じていた……信じようとしていた仲間たちと同じ――
――否、彼女は異能力すら持っていない。
故に彼女の強さは、その人間本来の資質を極限まで高めた戦闘技術そのものだ。
魔法との戦いを知る舞奈。
魔法を操る明日香。
表向きには決して存在しないはずの、裏の世界の技術に精通した2人。
再び距離をとった2人は、そのまま構えて睨み合う。
互いの口元には楽しげな笑みが浮かぶ。
もはや2人の目的は相手を倒すことではなかった。
自尊心を満たすことでもなかった。
明日香と、舞奈と、ただ戦っていたかった。
相手の意図に想いを巡らせ、心に触れ合っていたかった。
魔法を操る、魔法に対処できる目前の相手と心を通わせていたかった。
そうすることで、喪失により自身の心に開いた大きな穴を埋められる気がした。
だから三度、激突しようとした、そのとき――
「――そこまでにしておきましょうかね、お2人さん」
声がした。
同時に体育館の天井一面に照明が灯る。
薄暗がりでの戦闘に目が慣れた舞奈も明日香も思わず怯む。
そして視力が回復すると、目前には2人の警備員がいた。
いいものを見られたとばかりに満面の笑みを浮かべる浅黒い長身。
その側で苦笑する金髪美女。
さすがに周囲の状況も考えずに魔法を使いまくれば、こうなるだろう。
「あーあ。真冬でもないのに床が凍りつくって、どう説明するんすか?」
長身のベティがしゃがみこんで床をつつく。
その口調と口元は、新しいおもちゃを手に入れたみたいに楽しげだ。
「それはこいつの仕業だぞ」
舞奈は言って明日香を睨み、
「……必要にかられたのよ」
明日香は面白くなさそうにそっぽを向く。
「志門舞奈さん、でしたっけ?」
一見すると礼儀正しいクレアが舞奈を見やる。
舞奈は「何だよ?」みたいな表情で金髪美女に振り返る。
「体育館で運動するにしては、少々踏みこみが強すぎますね。ほら、舞奈さんが走り出した跡、ヤスリがけしたみたいになってますよ」
「おおっ本当っす。一体、どんなバケモノみたいな足してるんすか」
2人そろって舞奈を見やる。
咎めるような口調でなく、むしろ目を輝かせている様子に勢いを削がれた。だから、
「べつに……ふつうだよ」
舞奈も明日香とは逆の方向にそっぽを向く。
昼間の派手な攻防でも、今しがたの異能バトルでも2人はかすり傷すら負ってない。
だが気づかぬうちに息があがっていた。
正直なところ、明日香が魔法で創り出した吹雪の余韻が肌に心地よい。
そんな2人の様子をクレアは微笑ましそうに見やっていた。
ベティはワクワクした表情で見ていた。
……その後も警備員たちは、舞奈の恐るべき身体能力を何度も思い知ることになる。
じきに防犯上の問題を解決するべく協力を乞うようになる。
そうこうするうちに、いつしか2人は舞奈のことを舞奈様と呼ぶようになっていた。
まあ、それはともかく。
そんな様々な悶着があった大変な日の、翌日。
一見する先日と変わらずうららかなホームルーム前の教室で、
「おはようー」
先日の騒動など何処吹く風で、舞奈は何食わぬ顔で教室に入る。
「あ、マイちゃんおはよう」
「マイだ! おはよー」
「志門さんおはよー」「はよー」
園香とチャビー、クラスメートの皆が出迎える。
ちょうど先日のこのくらいの時間に始まった、割とシャレにならない大喧嘩の後。
皆の反応が変わらなかったのは園香のおかげだったりする。
騒動の後、彼女は「マイちゃんも明日香ちゃんも、本当は良い子だよ」と言った。
そんな園香は、小3の能力を超えた超常バトルを終わらせた張本人だ。
だから、その言葉はクラスメートたちの中での真実となった。
そんな園香たちに普段通りの笑顔で挨拶を返した途端、
「……おはよう」
「明日香ちゃんもおはよう」
「安倍さんおはよー」
「おはようございます」「ございますー」
明日香も登校してきた。
舞奈と明日香。
例の2人の邂逅に、クラスの中に緊張が走る。
だが2人とも、あえて互いを無視して自分の席に鞄を降ろした。
先日の朝の大喧嘩の翌日に、友達面して挨拶するのも何か違う気がした。
そして夕方の大喧嘩の翌日に、改めて敵意を交わし合うのも馬鹿馬鹿しい気がした。
だから舞奈は友人候補の麗華を探す。
先日の騒動の後、麗華は舞奈を明日香にけしかけたことなんて素知らぬ様子で教室の隅でガタガタ震えていた。あんな大事になるなんて思ってもいなかったのだろう。
だから舞奈も明日香も、麗華のことを先生に告げ口したりはしなかった。
それでも、まあ、麗華は舞奈のお友達だ。
互いにどんな思惑があったにしろ。だが、
「……あれ? 麗華様は休みなのか?」
言いつつ無人の机を見やり、教室を見渡し、時計を見やる。
もうすぐホームルームが始まる時間だ。
優等生を気取るつもりの彼女が教室にいないなんて珍しい。
舞奈が訝しんでいると、
「志門さん。あの、これ……」
無表情なクラスメートが話しかけてきた。
テックである。
手にした携帯を見せてくる。
「ん? なんだ?」
思わず覗きこむ。
「……って、なんだこりゃ!?」
画面の中で、麗華が車に押しこまれていた。
犯人は背広を着こんだ数人の男。
実のところ麗華の我儘勝手な振舞いを、テックはあまり好きではなかった。
自分が勇気を出して接触しようとしていた舞奈を、麗華は横からかっさらった。
だから弱みのひとつも握ってやろうと彼女の家の付近の防犯カメラを監視していた。
テックも当時は少しやんちゃだった。
その上で、ハッキングの技術は健在だった。
けれどカメラに写っていたのは、麗華が誘拐される様子だった。
テックも別に、クラスメートが本気でどうこうなるのを望んでいた訳じゃない。
だがハッキングで知った誘拐事件のことを、親や先生や警察に話すのは躊躇われた。
違法行為を咎められるというより、信じてくれないと思った。
……自身の両親がそうだから、大人は皆そうだと思っていた。
だから代わりに舞奈に話した。
彼女の小3とは思えぬ……いっそ人間離れした強さは昨日の件でよく知っている。
ある意味、麗華の我儘のせいで。
それに喧嘩の後の先生への対応で、舞奈は友人思いなのだと見抜いた。
自分では気づいてないかもしれないが、彼女は自分の中の正義に正直だ。
だから麗華を救える者がいるとするなら、それは舞奈に他ならない。
彼女をピクシオンかもしれないと思ったからじゃない。
志門舞奈というひとりの友人に、テックは自身の知りえたすべてを託した。
そんな舞奈は、
(泥人間……?)
画面の中の男の挙動に、ひと目で気づいた。
奴らを知る者にはわかる、生来の人間のものではない不自然な動き。
人ならぬ怪異が人間になりすまし、人間の子供をさらったのだ。
「あと、これ」
「あっ」
テックが画面を操作すると、切り替わって地図になった。
「西園寺さんの携帯のGPSを……」
「調べたのか?」
「う、うん……」
「すごいな、おまえ! まるで魔法だ!」
そんな美佳の『狂気による洞察』じみた行為が可能な者がいるとは思わなかった。
しかも、それが同じクラスの目立たない女子だなんて!
舞奈は血色の悪い彼女を褒めたたえ、思わず抱きしめる。
それが舞奈とテックの馴れ初めだった。
「先生に休みだって行っといてくれ!」
そう言って、止める間もなく教室を飛び出す。
廊下をノミで削るような凄まじい脚力で駆け抜ける。
舞奈はピクシオンだ。
もう変身はできないけれど。
側には美佳も一樹もいないけれど。
もう魔法の国とも魔法とも無縁だけれど、心だけは皆を守る正義の魔法少女だ。
そうしていれば寂しい夢から醒めた後、胸を張って仲間に再会できる。
そう思った。
そうすることが一番正しいのだと、心の中の何かが叫んだ。
だから舞奈は猛スピードで廊下を駆け、階段を跳び降りる。
途中で教師が呼び止める。
だが舞奈のスピードについて来られる訳もない。
下駄箱でスニーカーに履き替えて走る。
「おや舞奈ちゃん。忘れ物すか?」
「クラスの女の子がさらわれたんだ! 行き先はたぶん、あたしん家のちかくだ!」
「さらわれ……って、えっ!?」
驚くベティとクレアを尻目に校門を飛び出し、走る。
走る。走る。走る。
学校や商店街のある亜葉露町を駆け抜け、灰色の統零町を駆け抜ける。
かつてピクシオンとしての戦いの中で鍛えられ、その後も個人的な鍛錬によって鍛え続けた超人的な脚力を駆使して、全速力で走る。
目的地は新開発区。
目的は新たな敵との戦い。
そして誘拐された少女の奪還だ!
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