上 下
306 / 524
第15章 舞奈の長い日曜日

前日談1

しおりを挟む
 蔓見雷人とKASCを巡る騒動で大人たちが過去と折り合い、子供たちが未来につながる何かを手にし、そして一連の事件がすっかり収束して、はや幾日。
 事件解決の立役者である舞奈と明日香もまた、久しぶりの平穏を謳歌していた。
 今日も今日とて音楽の授業で明日香が酷い歌を披露した。

 そんな平和な金曜日の、放課後。
 初等部校舎の裏にある、ススで汚れたレンガ造りの焼却炉の前。
 掃除当番だった明日香がひとりゴミ箱のゴミを炉に入れようとしていると、

「ちょっと、安倍さん!」
 後ろから声をかけられた。
 ゴミ箱を手にしたまま振り向くと、3人の女子が並んで明日香を見やっていた。

「あら、西園寺さん」
「お話がありますわ!」
 中央でふんぞり返った縦ロールのお嬢様が、鼻息も荒く言い放つ。
 仕立ての良いツーピースの子供服は、桜と違って本物の高級ブランドだ。

 同じクラスの西園寺麗華。
 狂犬の二つ名を欲しいままにする、いわばクラスの女王様キャラだ。
 左右には、いつも一緒の取り巻き2人が控えている。

「ゴミ捨ての当番、おつかれさまです」
 浅黒い肌と愛嬌のある丸顔という、ネグロイドそのままの特徴を持つ長身の少女。
 だが面白キャラの警備員ベティとは真逆に、礼儀正しく一礼する。

 彼女はデニス。
 南アフリカの出身だという彼女は、国内で少しばかりカラテを学んでいる。
 加えて、聞いたところでは少年兵の経験もあるらしい。
 他校の中学生を数人まとめて叩きのめしたと噂がたったこともある。

「すまンですが、麗華様につき合ってもらうンすよ」
 アメリカ系の白人少女が、少し訛りのある口調で言いつつニヤニヤ笑う。
 背が低くてぽっちゃりした体形に、マスコット的な愛嬌があると思えなくもない。
 赤毛とソバカスと、斜に構えた表情のせいで少しやんちゃにも見える。

 こちらはジャネット。
 彼女もまた荒事に慣れた素振りをまれに見せる。
 特に刃物の扱いに手馴れているらしい。
 以前に図工の授業中にハサミでジャグリングして先生に叱られていた。

 そんな3人は明日香の退路をふさぐ形に並び、仕草で明日香を威圧する。
 実のところ、明日香は麗華にあまり好かれていないようだ。
 これまでも度々こういうことがあった。

「今日の音楽の時間! よくもわたくしに恥をかかせてくれましたわね!」
 麗華は怒り心頭な様子で言い募る。
 だが明日香は普段通りのすまし顔で、

「先生の御意向とはいえ、わたしの歌で迷惑をかけたことについては心からお詫びするわ。まさか気絶した拍子にお――」
「――そのことじゃないですわ!! それはいいんですの!」
「いいんですか。なら良かったわ」
 乾いたようだし。
 スカートを見やりながら微笑する明日香に、

「良くないですわ!」
 麗華はキーッ! と威嚇しながら喚き散らす。

「その前の! 先生が質問したときに答えようとしたわたくしを差し置いて! 手を挙げたでしょう! 冴子先生に格好良いところを見せるチャンスを!」
「格好良いところって、エーデルワイスの作者をベートーヴェンだと答えること?」
 誤:ベートーヴェン
 正:ロジャース&ハマースタイン
 麗華様は授業中に挙手する前に、口パクを3回繰り返す癖がある。
 それを横で見やった明日香が先んじて挙手して答えたのだ。
 直後の歌で酷い目に合わせる予定の彼女に、恥までかかせるのも忍びないからだ。
 だが彼女的には余計なお世話だったらしい。

「!? うっ……うるさいですわ!」
 身もふたもなく言い負かされた麗華は真っ赤になって、

「あなたたち!! この生意気な安倍明日香に痛い目を見せてやりなさい!」
「まあ、麗華様がそう言うんでしたら……」
「へいへい。じゃあ覚悟するンすよー」
 デニスとジャネットをけしかける。
 明日香は白黒セットの取り巻きを見やり、その背後で高笑いする麗華を見やる。
 当の麗華は取り巻きに仕事をまかせて気が緩んだか、側の壁に背を預け――

「――動かないで!」
 鋭い叫び。

 ゴミ箱が倒れ、ススで汚れたコンクリートの床に紙くずをぶちまける。

 次の瞬間、明日香は麗華の目前にいた。
 壁際の麗華まで数メートルの距離を一瞬で詰めたのだ。
 取り巻きが反応する暇もない。

 そんな明日香は麗華を壁に追い詰める格好で、腕を突き出している。
 しかも驚いて少し身をかがめた麗華を少し見下ろす格好で。
 いわゆる壁ドン(誤用)である。

「な……何の真似……?」
 吐息がかかるほど間近で、目を見開いたまま麗華は身じろぐ。
 上目遣いに明日香を見やる麗華の頬が、少し赤らんでいるのは気のせいだろうか?

「せ、先生に……言いつけるわよ……」
「そのほうがいいでしょうね」
 事務的に言いつつ引いた手に握られていたのは細身のナイフ。
 抜く手も見せぬ早業を、色白のジャネットが思わず「ヒューッ」と囃す。
 だが、それより麗華は……

「……!?」
 細い刃の先に刺さったものを見やって絶句した。

「ソサ!?」
 虫だ。
 テカテカと毒々しい色に輝く8本脚のそれは1対の大振りなハサミを持っている。
 緩やかにカーブした尻尾の先は鋭く尖った針状になっている。

「ソササソサソサソサササソササ……」
 麗華は動揺のあまり、どもった謎の言葉を口走る。
 顔面は信号機みたいに真っ青だ。

 正:サソリ

 何のことはない。麗華がもたれかかろうとした壁にサソリが這っていたのだ。
 それを見やるや否や、明日香は躊躇なく距離を詰めて仕留めた。
 その程度は、形式上の執事から短剣術を学んだ明日香にとっては造作ない。
 むしろ舞奈と比べたら遅いくらいだ。

「お手数をおかけします。わたしもまだまだ注意力が足りませんね……」
「いえ、これは予期できないのが普通よ」
 礼儀正しく礼を言うデニスに答え、

「直談判するなら高等部の黒崎先生かしら」
「高校の……生物部のムクロザキ(骸裂き)ンすか」
「そう呼ぶ人もいるわね」
「許可したンすか?」
「毒はない種類だと言っていたのよ」
 苦笑するジャネットに答える。途端、

「脅かさないでよ!」
 麗華が復活していきり立ち、

「……同じ口で、絶対にケースから出さないとも言っていたけど」
 サソリの尾の先からガソリンみたいな色の何かがビュピュッと出て、

「ひっ!?」
「あっ麗華様」
 麗華は今度は腰を抜かしてへたりこむ。
 それをデニスが慌てて支える。
 そんな愉快な麗華様と取り巻きたちを見やり、明日香はやれやれと苦笑する。

 実のところ、こういうことは以前から何度もあった。
 麗華は取り巻きを連れて喧嘩をふっかけてきては自爆するのだ。
 懲りずに何度も。

 そもそも明日香は正式な戦闘訓練を受けている。
 非正規の戦闘部隊で何度か人を撃った程度の練度ではない。
 中学生を叩きのめすどころか、群れ成して襲いかかってくる成人男性や怪物を殲滅したり、舞奈と共に異能力や魔法の使い手と交戦して討ち取ることもよくある。
 刃物の扱いに習熟するどころか、銃砲火器を日常的に扱う。
 まあ刃物は刃物で、最近は尋問の練習で脂虫を斬り刻む手つきが堂に入るようになったと執事が褒めてくるようになったが別に嬉しくはない。

 おまけに明日香は校内の警備に対して限定的ながら責任と権限を持つ。
 警備会社の社長令嬢だからという理由ではなく、踏んできた場数と実力によって。
 明日香が防犯上の障害だと断ずれば、教師も生徒も早急に『いなくなる』。

 実のところ、麗華の狂犬という二つ名も明日香のせいでついたものだったりする。
 曰く、仲間を連れ、安倍明日香という極寒の荒海に身を投ずるレミングの女王。
 ブレーキがぶっ壊れた、自殺衝動のあるチワワ。
 それが第三者から見た麗華の人となりだ。

 いわば明日香にとっての麗華は、下品な柄のドアマット程度の存在だ。
 踏みつけるのに呵責も抵抗もなく、品の無さも忙しければ気にならない。
 ありていに言うと、どうでもいい相手だ。
 なので、立て続けに魔獣や怪異と戦っていた最近は特に意識もしていなかった。

 けれど今は差し迫った問題が解決したばかりで余裕がある。
 下品な模様を、今なら柄を気にする余裕があるという理由で愛でることもできる。
 家主が家財の綻びを繕う程度の感覚で、チワワを気遣う余裕がある。

 だから明日香は、泡を吹く麗華様と慌てふためく取り巻きを見やる。
 次いで先ほどサソリが這っていた壁を見やる。
 じっと見やる。
 そうしながら微笑む。
 それは普段の彼女があまりしない、懐かしむような柔らかな笑み。

 何故なら、柄にもなく昔のことを思い出した。
 忘れもしない2年前の出来事だ。

 だから明日香の心は無意識に反すうする。
 あの幼い日におきた、今となっては少し気恥ずかしいささやかな事件を……

――――――――――――――――――――

 3年前。巣黒すぐろ市周辺で頻発したエンペラーとその配下による破壊活動。
 それに対抗するピクシオン。
 両者の抗争に介入しようと試みた【機関】巣黒すぐろ支部。
 そして1年に渡る裏の世界の騒乱は、謎めいた理由で収拾した。

 それから少し後、幼い明日香は執行人エージェントを辞めた。
 当時の彼女は【機関】に正義があると思っていなかった。
 状況としては10年前に離反したチャムエルと似ているだろうか。

 かつて無邪気に信じていた正義に裏切られた彼女は、逆に憎むようになった。
 自身が守ろうとした正義を、絆を、それらを内包する世界を。
 そして【機関】もまた、当時の彼女に任務の遂行能力があるとは考えていなかった。
 故に初等部3年への進級に伴い、学業に専念するよう明日香に求めた。

 ……だから変哲のない初等部の教室。
 その一角で、明日香は居並ぶクラスメートを見渡し、

「安倍明日香です。よろしく」
 低い無機質な声色で自己紹介する。
 そんな幼い明日香を、他の生徒たちは物珍しそうに見やる。
 姫カットに切りそろえられた長い黒髪は、一見すると良家の女子のそれに見える。

 実のところ、昨年までは【機関】の任務であまり学校には来ていなかった。
 もちろん幼少より優秀な明日香は独学で授業の遅れをカバーする程度はしてのけた。
 むしろ学力は他の小2より高いくらいだった。
 だが友人もいないし、ほとんど転校してきたようなものだ。

 そして全てを失った当時は【機関】だけでなく、世界のすべてを憎んでいた。
 だから新たな環境で連れ合いを見つけたいとも思っていなかった。
 そんな明日香の目の前に、

「志門舞奈だ。みんな、よろしく!」
 彼女があらわれた。
 癖っ毛をリボンで小さなポニーテールに結った、無邪気な少女。

 2年の頃の明日香は上記の理由に加え舞奈と別のクラスだったし、接点もなかった。
 作戦でも明日香たちのチームはピクシオンと相対することはなかった。
 だから直に会うのは初めてだ。

 昨年は美佳と一樹と共にピクシオンをしていた舞奈。
 だが今は使命を果たし、魔法も仲間も失っていた。ある意味で明日香と同じように。

 それでも明日香と舞奈の振舞いは真逆だった。
 心の支えだったすべてを失くし、それでも舞奈は求め続けた。
 笑顔を浮かべ、皆を守り。
 そうしていたら、いつか失くしたものが戻ってくると夢を見ながら。
 あるいは自分がいる今は幻で、いつか仲間のいない寂しい夢から醒めるのだと。

 それが明日香は気に入らなかった。
 だから、そのいけ好かない少女を睨みつけた。

「……なんだよ?」
「別に」
 明日香の視線に目ざとく気づき、舞奈も睨み返してきた。
 戦場を知る2人の少女の交錯する視線に、クラスメートたちは一瞬、怯む。

 そんな最悪の出会いが、明日香と舞奈の馴れ初めだった。

 ちなみに2人が園香やチャビーと知り合ったのも、この頃だ。

「よろしくね。えっと……明日香ちゃんって呼んでいい?」
「……ええ」
 ゾマこと真神園香は当時から優しく、今より少し気弱だった。
 そんな彼女の優しさを、周囲を味方で固めようとする処世術だと明日香は思った。
 そのせいかは知らないが、園香は病気がちな友人を気遣っていた。

「髪がさらさらー! お姫様みたい! いいなー」
「……」
 チャビーこと日比野千佳は病弱で、たまにしか学校に来なかった。
 けれど無邪気で誰とでも仲良くなれた。
 無論、その屈託のなさは学校を休みがちな寂しさの裏返しだった。
 だが明日香や舞奈がその事実を知るのは少し後になる。

 山の手の出で気立てもいい2人は、明日香にもいろいろと話しかけてきてくれた。
 もちろん当時の明日香は人との関わりを拒絶しようとしていた。
 だが園香は、そんな明日香とも友達になろうとしてくれた。
 ……当時の明日香の様子から、家庭か心身に問題があると思われたらしい。そして、

「真神はデカイな! やーい! デカ女!」
「……やめろよ、そういうこと言うと小さくて弱くみえるぞ?」
「げっ!? し、志門……志門さん指の骨バキバキ鳴るんすね……」
「おっ急に姿勢がよくなったな! れいぎただしい男子はモテるぞ」
 舞奈は目端が利いて頼りがいがあり、当時はチャビーと似た感じに無邪気だった。
 それはピクシオンの表の顔としての舞奈の処世術だった。
 ピクシオンじゃなくなった後も、その生き方を愚直に続けていた。
 だから彼女も皆と仲良くなれた。

「あ、あの。マイちゃん、ありがとう」
「なあに、いいってことよ!」
「……」
 そんな舞奈を、明日香は目障りだと感じた。
 自分が否定したすべてに、彼女は無邪気に迎合しているように思えた。
 自分の心の中のわだかまりを、無配慮に嘲笑っているように見えた。
 自分に対する当てつけのように思えた。

 そして、そんな2人を特別な感情をもって見やる視線が、これまた2つ。

「……」
 ひとりは、すっきりボブカットをした色白な少女。
 工藤照――テックである。

 この頃から卓越したハッキングの技術を有していた彼女。
 彼女はネットで得た知識により自身の技術を隠すことでトラブルを避けていた。
 そんな彼女は、昨年から舞奈がピクシオンではないかと疑っていた。
 だが確証は持てなかったし、無暗に正体を探るのは危険だと感づいてもいた。

 そうするうちに、ピクシオンは裏の世界からも世界を消した。
 舞奈同様にピクシオンではないかと疑っていた上級生が失踪した。
 それでも変わらずクラスメートとして目の前に居続ける無邪気な少女。
 そんな彼女が気にならない理由はない。

「まったく、ムカつくったらありませんわ! 安倍明日香め!」
 もうひとりは高級ブランドの洋服に身を包んだ、縦ロールのお嬢様。
 麗華様こと西園寺麗華だ。
 当時はまだ取り巻きはいなかった。

 そんな彼女はクラスの女王様になりたかった。
 それなりに裕福な家庭の彼女なら、それは容易いことのように思えた。

 だが麗華の前に、安倍明日香があらわれた。
 明日香は学校の警備を担う警備会社の社長令嬢だという。
 少しばかり裕福なだけの自分とは格が違う。

 明日香は自分のいちばん欲しいものを、労することもなく持っている。
 そう麗華には見えた。
 なのに周囲のすべてに無頓着な彼女の態度が、自分への当てつけに思えた。
 だから許せなかった。

 そんな風に各々が思惑を抱える中、

「今日は志門さんはお休み……だそうです」
 舞奈は学校を休んだ。
 家の事情らしい。
 だが担任も詳細は聞かされていないようだ。少し困惑していた。
 だからホームルームが終わった後、

「先生。志門さんの宿題のプリント、不都合がなければわたしが届けますが」
 明日香は面白くもなさそうに、そう担任に申し出た。

「安倍さんはお友達想いの優しい子なのね」
「……いえ別に」
「けど志門さんの家は……」
「問題ありません。家の人間をつれていきますので」
「ああ、そうね。安倍さんの家も……」
 舞奈のアパートは新開発区にある。
 そして明日香の実家は民間警備会社PMSC【安倍総合警備保障】だ。

 そんな明日香は、舞奈の現状を大したことないと思いこもうとしていた。
 大したことないから、平気で笑っていられるのだと。

 だから、そんな舞奈の特別性を担保している新開発区を踏破したいと思った。
 志門舞奈が住むという危険な新開発区も、自分なら容易く制することができる。
 志門舞奈の事情など、自身のそれと比べれば些事だ。
 そう思いこもうとした。

 だが担任はそんな底暗い思惑に気づきもせずに、

「くれぐれも怪我の無いように気をつけてね」
「わかっています」
 宿題のプリントを明日香に手渡した。

 そして放課後。

「お気をつけて」
「それでは行ってまいります」
 旧市街地と新開発区を隔てる検問は今と変わらず2人組の衛兵が警備していた。
 そんな彼らに丁重に挨拶し、

「では行きましょうか、明日香様」
「それじゃあ元気に行ってみましょうか、ボス」
「ええ。あとボスはやめてください」
 クレアとベティを伴い、明日香は廃墟の街へと赴く。
 濃紺色の制服に身を包んだベティは相変わらず長身で浅黒かった。
 金髪のクレアも着痩せこそしているが、制服の下の身体は鍛え抜かれていた。

 検問の存在も、そこを守る衛兵の存在も明日香は知っていた。
 自分がひとり通ろうとしても止められるだけであろうことも。
 だから2人の傭兵を連れて赴いた。
 学校の警備員を兼ねた2人は、当時は明日香の部下ではなかった。
 だが明日香の要請……というかお願いを、快く引き受けてくれた。

 そんな2人はそれぞれ流線型のアサルトライフルベクター CR21を、銃剣付きのアサルトライフルL85A2を油断なく構えながら、幼い明日香を守るように歩く。
 重火器こそ持ってはいないが完全武装だ。
 当時から新開発区に赴くには、それだけの装備が必要だと認識されていた。
 現に廃ビルが並ぶ大通りに、自分たち以外の通行人はいない。
 民間人の立ち入りが原則的に禁止されているからだ。

 だが新開発区の中では比較的広くて安全だというこの通りは、志門舞奈の通学路だ。
 武装した傭兵が警戒するような怪異どもと、彼女は日常的に対峙している。
 しかも、ひとりで.
 話によると1丁の拳銃だけを手に。
 その事実が、明日香は気に入らなかった。

「このあたりで何度か戦闘があったみたいですね」
 道すがら、事もなげにクレアが言った。
 言われて明日香も不穏な痕跡に気づく。
 不自然に散らばる朽ちた刀剣、ビル壁に残る弾痕。

「そうっすね。それに何か臭うっす」
 動物並みの聴覚や臭覚を誇るベティが、鼻をクンクン言わせて臭いの元を探る。
 明日香も周囲に目を配らせる。

 動くものは何も見つからない。
 だが3人とも油断はしない。
 新開発区は怪異が跋扈する危険地帯だ。
 加えて今日は思いのほか日が暮れるのが早い。
 廃墟の街に潜む怪異どもは、日が陰ると動きが活発になる。

「何かあったら対処します。明日香様は我々から離れないでください」
「……わかってます」
 クレアに答える。
 だが、その口元は少しばかり不満げに歪む。
 先にここを通ったと思しき志門舞奈の笑みが脳裏をよぎったからだ。その時、

「おおっと!」
 ベティが発砲。3点バースト。

 空気から滲み出るように、先ほどまで何もなかった空間に人影があらわれた。
 ただれた顔をして、胴を蜂の巣にされた人型の何か。
 錆の浮いた日本刀を振り上げている。

 胴を撃ち抜かれた泥人間だ。
 そいつが【偏光隠蔽ニンジャステルス】の異能を用い、不可視状態から襲いかかってきたのだ。

 その左右にも泥人間があらわれる。
 ベティはさらにアサルトライフルベクター CR21を掃射する。
 肉片と飛沫がぶちまけられて泥になって溶け落ち、錆びた得物が地を転がる。

 突然の襲撃に明日香は驚く。
 そして連れていた傭兵に倒された事実に安堵する。

 だが襲撃者は3匹だけではなかった。

 先の【偏光隠蔽ニンジャステルス】に続くかのように、廃ビルの陰から幾つもの人影が跳び出した。
 すべて泥人間だ。
 しかも得物を炎や稲妻で覆っている。【火霊武器ファイヤーサムライ】【雷霊武器サンダーサムライ】だ。

「明日香様、下がってください!」
 クレアは跳びかかってきた1匹の腹を銃剣で突き刺し、撃つ。
 泥人間は背から弾丸と肉片をまき散らしながら溶け落ちる。

 その間に、ベティは次の1匹を蜂の巣にする。
 流れで別の1匹にも発砲するが、2発の弾丸は胴をかすめるのみ。それでも、

「雷嵐のシャンゴよ、力をお貸しくださいませよ!」
 上空から雷を落としてとどめを刺す。
 ヴードゥー呪術による落雷【雷の術クー・ヘボソ】。
 当時から、ベティは未熟ながらもヴードゥー女神官マンボだった。

 次いでベティは肉薄してきた1匹をアサルトライフルベクター CR21のストックで強打する。
 怯んだところを、長い脚で容赦なく蹴る。
 鉄板が仕込まれたつま先からのびる光の刃――【鉄の術クー・ガン】が怪異の腹をえぐる。

 クレアも負けてはいない。
 明日香をかばいつつ、走り寄る新手の土手っ腹をシングルショットで撃ち抜く。
 別の1匹をアサルトライフルL85A2の銃剣で刺し貫く。
 その後に撃つ。だが、

「!?」
 2人の傭兵の死角に、滲み出るように別の1匹があらわれた。
 どうやら【偏光隠蔽ニンジャステルス】が残っていたらしい。

 魔術師ウィザードとしては未熟ながらも注意深い明日香は不自然な魔力の収束で気づいた。
 だが傭兵たちに注意を促す暇はない。

 だから迫りくる怪異を睨み、掌を向けながら真言を唱える。
 雷光を司る帝釈天インドラの姿をイメージする。
 イメージは凝固して魔力となり、エネルギーとなり、己が掌の中に集う。

 明日香も舞奈と同じように、仲間と共にかつての力を失っていた。
 そして失った力の代わりに研鑽した技術。
 新たな力。
 それこそが戦闘魔術カンプフ・マギー。戦闘に勝利するための魔術だ。

魔弾ウルズ
 真言とイメージによる稲妻の魔力の生成を、魔術語ガルドルで締める。
 同時にルーンの一文字をイメージする。

 途端、掌に宿ったエネルギーがはじけ、巨大なプラズマの塊となって放たれた。
 凄まじい稲妻の砲弾は泥人間を飲みこみ、一瞬で灰にする。
 先ほどのベティの【雷の術クー・ヘボソ】に数倍する恐るべき威力だ。
 泥人間を焼き尽くした雷撃は、そのまま向かいのコンクリート壁を焦がして消える。

 即ち【雷弾・弐式ブリッツシュラーク・ツヴァイ】。
 明日香が修めた戦闘魔術カンプフ・マギーのうち最も初歩的な、故に強力な攻撃魔法エヴォケーション

 同時にクレアとベティも各々の敵を片付けたらしい。

「どうにか片付いたっすね」
「明日香様、お手を煩わせてしまって恐縮です」
「気にしないでください。いい練習になりました」
 言いつつ少しだけ笑う。
 自分の力で怪異を屠れたのが、嬉しくなかったと言えば嘘になる。

 ……そう。
 あの生意気な彼女がしているのと同じように。

 そのようにして3人は警戒しながら進む。
 だが、その後は何事もなく、崩れかけた2階建て(3階建て?)の建物を発見した。

「家があったわ」
「たしかに、家っすね」
 明日香とベティは言いつつ見やる。側でクレアも苦笑する。

 この街に入ってから廃屋と崩れたビルしか見ていなかった。
 だから、いちおう施設として機能しているらしい建物が建っていて少し感動した。
 ここに彼女――志門舞奈は住んでいるらしい。

 階段の横に花だか草だか生えているが、畑だろうか? まあどうでもいいが。
 そんなことを考えていると、

「なんだよ、おまえ」
 生意気な声とともに、舞奈が反対方向から歩いてきた。
 側にはハンチング帽を目深にかぶり、ショットガンフランキ スパス12を背負った中年男。
 リヤカーを引いている。
 何か毛の生えた大きなものを運んでいるらしい。狩りの帰りだろうか?

「元気そうね。なに勝手に休んでるのよ」
「朝から近くにフンババがでたんだよ」
 声をかけると、舞奈はぶっきらぼうに答えた。

「じーさんが学校に連絡するのをわすれてたんだ……しんぱいしたのか?」
「担任の先生がね」
 明日香も意識して面白くもなさそうに答え、

「はい」
 鞄からプリントを取り出し、ぞんざいに手渡した。

「わざわざ、もってきたのか」
 舞奈もぞんざいに受け取る。
 そうして、クリアファイルに挟まれたそれを物珍げに見やる。
 実のところ自分への届け物の丁重な扱いに悪い気分はしなかった。
 だが素直に言うのも癪なので、

「明日、先生からもらうんじゃダメだったのか?」
「いつまで休むか、わからないじゃない。それに今日の宿題よ。とにかく渡したから」
 軽口に、明日香は露骨に気を悪くした様子で睨み返す。

 どちらにせよ、2人が仲良くおしゃべりする理由なんてない。
 互いにそう思っていた。

 だから明日香は舞奈から離れ、手近なコンクリート壁にもたれかかる。
 気のない風を装って、なんとなく先ほどの畑? の方向を見やる。
 魔力が不自然に集中している気がしたのだ。
 だが次の瞬間――

「――なによ」
 舞奈は明日香の目の前にいた。
 明日香を壁に追い詰める格好で腕を突き出している。
 とっさに身を低く構えた明日香を、少し見下ろす格好で。
 いわゆる壁ドン(誤用)である。

 舞奈は一瞬で、明日香との距離をゼロに詰めていた。

 吐息がかかるほど間近で、だが明日香は微妙だにせず舞奈を見やる。
 舞奈もそんな明日香の瞳を見返す。
 当時から明日香は下フレームの眼鏡をかけていて、それを舞奈は綺麗だと思った。
 ひねこびて睨むような眼をしていなければ可愛いのに。
 だが、そんなことを口に出したりするはずもなく……

「……あんまり壁にもたれかからないほうがいいぞ」
 ぶっきらぼうに言いつつ引いた手には、ナイフが握られていた。
 小3の手には不釣り合いに幅広な刃。
 その先に、大ぶりな虫が刺さっていた。
 サソリのような尻尾を生やした何だか得体のしれない虫だ。

「錆食い虫だ。鉄をとかして食うだけで毒はないけど、かまれるとカユくなる」
 何食わぬ調子で言いつつ、鋭くナイフを振って虫を払う。
 明日香がそれを見やる前で、虫は塵になって消えた。
 正確には魔力へと分解されて。
 泥人間と同様、身体が魔力によって形作られているらしい。

「ありがとう。新開発区のいきものの、貴重なサンプルが見られたわ」
「……たすけてやったことに対して、礼はないのか?」
 明日香と舞奈は互いに仏頂面で視線を逸らす。
 だが2人の動くタイミングも顔を傾ける角度も、反転したように同じだった。

 そんな2人の様子を、ベティとクレア、ハンチング帽の男が見ていた。
 大人たちは、当時から卓越した身体能力と魔術を操る小3を、真逆な生き方をしながらも何処か似通った幼い2人を、微笑ましく見守っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

女の子にされちゃう!?「……男の子やめる?」彼女は優しく撫でた。

広田こお
恋愛
少子解消のため日本は一夫多妻制に。が、若い女性が足りない……。独身男は女性化だ! 待て?僕、結婚相手いないけど、女の子にさせられてしまうの? 「安心して、いい夫なら離婚しないで、あ・げ・る。女の子になるのはイヤでしょ?」 国の決めた結婚相手となんとか結婚して女性化はなんとか免れた。どうなる僕の結婚生活。

英雄になった夫が妻子と帰還するそうです

白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。 愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。 好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。 今、目の前にいる人は誰なのだろう? ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。 珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥) ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)電子書籍発売中!
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。 了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。 テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。 それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。 やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには? 100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。 200話で完結しました。 今回はあとがきは無しです。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

処理中です...