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第14章 FOREVER FRIENDS

祭の後1

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 ウィアードテールの予告状に端を発したKASC巣黒支部ビル攻略戦から数日後。
 舞奈的には蔓見雷人との決戦の、余韻が少しばかり薄れかけた頃。

 時刻は下校時間の少し前。
 初等部校舎の一角にある音楽室の前で、

「おばけ探し……ってより、これじゃ討伐隊だな」
「まあ、以前より時間も早いからのぉ」
 舞奈と鷹乃は顔を見合わせて苦笑する。

 2人の背後から音楽室のドアを見やっているのはチャビーに園香、ついでに桜。
 6年生の梓と美穂。
 加えて3年のえり子と彼女が抱いた子猫のルージュ。
 人数的には、ちょっとした遠足だ。

 実は最近、また音楽室でおばけが出るとの噂が流れだした。
 チャビーは一も二もなく噂の真相を究明したいと言い出した。

 幸い、今回のおばけがあらわれるのは下校時間の間際の夕方らしい。
 そのせいか以前と同じように情報集めをしようとしたら梓と美穂もついてきた。
 すると鷹乃も自動的につき合うことになった。

 何時の間にか、えり子も捜索側に加わっていた。
 前回のおばけの正体は、音楽室でこっそりルージュを匿っていた彼女だった。

 そうやって皆でわいわい夕方の音楽室を訪れて、今に至る。

「ねえマイ、中に誰かいるみたい」
 チャビーが言って、ごくりと唾を飲みこむ。
 側の園香も緊張した面持ちで、廊下と音楽室を隔てるドアを見つめている。

「ああ、そうらしいな」
 なるほど、たしかに締め切られたドアの向こうから何やら物音がする。
 この何とも形容しがたい不気味な音は、魔物の唸り声にも聞こえる。

「みんなは下がって、ドアの前からずれててくれ。えり子ちゃんはルージュを頼む」
「うん、わかった」
「なのー」
 荒事慣れした(しかも先日は事件の首謀者を倒したばかりの)舞奈の指示に一同は緊張の面持ちで後退る。珍しく桜も大人しく従う。
 えり子にかかえられたルージュが「なぁ~?」と呑気に鳴く。

「鷹乃ちゃんも下がってようね」
「うわっ何をする梓! わらわは……」
「……いや、あんたも直接戦闘に強い訳じゃないだろう」
 子猫のルージュと同じように抱っこされてもがく鷹乃に苦笑する。
 陰陽師である彼女の式神は怪鳥の群を一掃できるが、中の人はちっちゃい小6だ。
 入れ替わりに側でモップを構えた美穂のほうがまだ頼りになる。

 そういえば普段は側にいる明日香が今日はいないなあと思いつつ、

「行くぞ!」
 ガラリとドアを開ける。
 前回と違ってつっかえ棒もなく開け放たれたドアの向こうで、

「でた! おばけだ!」
 チャビーが目を丸くして指さす先に、バケツをかぶったワンピースがいた。
 地獄の底から響くような恐ろしい音を発していたバケツ怪人の側には、

「あっ委員長なのー」
「おや、みなさんお揃いでどうしたのですか?」
 眼鏡に三つ編みおさげの委員長がいた。

「そうか、おまえは……」
 舞奈はふと気づき、バケツ怪人をじっと見やる。

 前回のおばけ騒動では夜の学校を訪れるためのキーマンとなった彼女。
 あずさを暴徒の長屋氏から守るべく、おばけの幻影を創った彼女。
 先日は舞奈とともに、一連の事件の首謀者である蔓見雷人と戦った彼女。
 そんな彼女が……

「……とうとう、お前自身がおばけになっちまったんだなあ」
「うるさいわね」
 怪人がひょいとバケツを持ち上げる。

「わっ、明日香ちゃんだ」
「おばけの中から安倍さんが出てきた!」
 中からジト目の明日香があらわれた。
 園香が、チャビーが目を丸くする。

 だが今回は机が空を飛んだりせずに穏便におばけと対面できたのは良いことだ。
 なので舞奈はおばけではなく、委員長に事情を聞いてみることにした。

 話によると、彼女は夜な夜な明日香の歌の特訓をしていたらしい。
 割とボイストレーニングの定番な、バケツをかぶって自分の声を聞くという代物だ。
 今回のおばけ騒ぎの正体は、明日香のバケツから漏れ聞こえた声だ。
 まったく傍迷惑な話である。

 そんな委員長を梓が見やってニッコリ微笑み、委員長も笑みを返す。
 あの日、会場にいた梓は、伝説に匹敵するライブの主が委員長だと知っていた。
 委員長も、同じステージで歌ったらしい双葉あずさが梓だと気づいていた。
 桜は気づいていないようだが。

「なかなか上手くいかないのです」
 委員長は生真面目にひとりごちる。
 そんな彼女を見やった舞奈の口元にも笑みが浮かぶ。

 あの日、委員長はKASCのアーティストとの音楽勝負に勝利した。
 そして母親の歌――ファイブカードの幻の新曲の著作権を守り抜いた。
 その上で、彼女は権利を放棄して普通の小学生でいることを選んだ。

 業界入りの話まで舞いこんできたが、それも断った。
 今は母との思い出なだけの自分の歌が、皆のための歌になるまで待って欲しい。
 普段通りに生真面目に、委員長はそう言った。
 加えて歌対決を繰り広げた相手の技術そのものは委員長より上だった……らしい。
 だからデビューは更なる研鑽を積んだ後にという思惑もあるようだ。

 そんな委員長の決意をオーナーは尊重し、後始末を引き受けてくれた。
 その上で、準備ができたらいつでも受け入れると言ってくれた。
 時間はまだたくさんある。
 伝説のロックバンドが一世を風靡したとき、彼ら、彼女らは大学生だったと。
 ……そんな彼女の言葉から、舞奈は意識して現在の年齢を逆算しないようにした。

 それはさておき。
 今回のコーチングも、そのための努力の一環らしい。

 なるほど。
 委員長は優れた音楽のセンスを持ちながら、理性で状況を判断できる。
 加えて4年のときから明日香の歌を聞いているので耐性もある。
 そして音楽の時間を実質的に人間の耐久試験場にしている明日香の歌を改善することができるなら、その経験と偉業は皆のための歌うアーティストに相応しい。

 ……できるなら。

 明日香は再びバケツをかぶる。
 そして声色だけは鈴の音のように澄んだ歌が聞こえた途端、

「な、何じゃこれは!?」
「ううっ頭が……」
「えっ、何これ……?」
「!? たすけてママ……!!」
 耐性のない6年生や3年生が苦しみだした。
 子猫は毛を逆立てて「フー!!」と虚空を威嚇する。
 特訓はまったくの無駄だったらしい。

「……やめろよ明日香。梓さんやルージュがいるんだぞ」
 舞奈はやれやれと肩をすくめる。
 現役アイドルの梓はもとより、小動物にもこれを聞かせたら危険な気がした。

「にゃんにゃん♪ ごろごろ♪ ごろにゃんご~♪」
 いつの間に来たのやら、部屋の隅っこでみゃー子が転がっていた。
 最後『こ』な、と内心でツッコみつつ、だが今はどうでもいいので放っておく。

 ……当面の脅威が去った舞奈の周囲は、すっかり平穏を取り戻していた。

 同じ頃。
 繁華街の、看板に3人の天女と『太賢飯店』の店名が描かれた店の中。
 人気のないカウンターの一角で、

「これで本当に帰ってしまうアルね」
「ああ、この街ですべきことは終えたのでな」
 名残惜しみつつ料理を準備する張に、猫島朱音が清々しい笑顔で答えた。
 その隣ではフランシーヌとKAGEも料理を待ち侘びている。

 コートと行者と、コスプレ風の婦警。
 首都圏からやってきた公安の一行も、今では張の店の大事なお得意様だ。
 彼女らのボスである福神警部は今日は野暮用で来ていないが。

「ええ、【TUKUYOMI】から一連の騒動の終息が正式に預言されたそうです」
「フランシーヌ、ここでそれは……」
「ああ、ここの御主人なら大丈夫ですよ」
 自然に口を滑らせるフランシーヌに、慌てる朱音。
 何食わぬ顔のKAGE。

「しかしな……」
 朱音は(そりゃまあ部外者が名前だけ聞いてもわからんだろうが)と渋い顔をする。
 そういった部分で彼女は意外にも真面目だ。
 対して婦警コスは(ああ彼になら知られても問題ないです)と何処吹く風だ。

 公安は【機関】や関連する魔術結社と協力関係にある。
 だが双方とも公僕への占術士ディビナーの派遣を頑なに拒んでいる。
 実際は属人性の高い情報源を派遣することにより警察の意思決定に影響を与えるという実質的な公権力への介入を避けているだけなのだが。

 ……ともかく、その埋め合わせのために警視庁が独自に開発した占術用AI。
 それが【TUKUYOMI】だ。
 公安の面々が一連の事件を予知できた所以でもある。

「その後【TUKUYOMI】は『例の状態』に移行したそうですよ」
「そうか……」
「今回は双葉あずさの『こねこのいちにち』を一部改変してエンドレスで歌ってると」
「改変とな?」
「はい。『ごろにゃんこー』と歌うところを『ごろにゃんごー』と」
「……いやだから、詳細に言わんでいい」
 口をはさんできたKAGEに馬鹿正直に答えるフランシーヌに朱音は渋面で諭し、

「オペレーターがスタンドアローンで運用したほうがいいんじゃないかとこぼしてました。ネット経由で外部から妙な影響を受けてるんじゃないかと」
「……彼女には面倒をかけるが、そのままでいいんじゃないかな」
 何食わぬ調子で答える。

「即答されるんですね」
「ああ、預言の成立に貴賤を問わず外部からの情報を必要としている可能性がある」
「貴賤を問わず……ですか」
 にこやかに問いかける同僚に、

「訳のわからないことをしたって良いだろう。それが【TUKUYOMI】にとっての『美』ならば、我々はそれを容認すべきだと思う」
 語る朱音の口元にも、やわらかな笑み。

 そもそも今回、様々な立場の術者が一丸となってKASCに立ち向かった理由。
 それは悪党どもの手から『美』を守ることだ。
 何故なら『美』は人々が生きるための糧だから。
 そして遍く魔法の源でもあるから。

 そんな魔法を操る術者を模してプログラミングされたAIが、仕事の合間にしたいことがあるなら、やらせてやろうじゃないかと朱音は思う。
 そんな思惑が伝わったのか、

「それもそうですね」
 フランシーヌも満面の笑みを浮かべた。
 朱音の物言いが子供を扱うようで可愛らしかったという理由も少しある。
 まあ稼働年数的には間違ってもいないのだろうが。

 そんな2人の側で、婦警コスが両手に箸とレンゲを持って料理を待ち侘びている。
 氷水の入ったコップを手持無沙汰に小突きながら。
 残念ながらこちらは大人げないだけで別に可愛らしくはない。

 だが給する側としては、料理を楽しみにしてくれるのは素直に嬉しい。
 大人げない客の相手には慣れてるし。
 だから手早く作業を進めながら、張も饅頭顔に笑みを浮かべる。そして、

「おまちどうさまアルよ」
 できたばかりの料理を給した。

 さらに同じ頃。
 統零とうれ町の一角に広がる梨崎邸の玄関で、

「やはり業務中のBGMは許可できない。君たちの仕事は警備と警戒だ」
 梨崎蔵人は定時報告に来たガードマンに意向を告げる。

 運輸会社の社長として公平な彼の部下は、管理職クラスにも女性が多い。
 制服姿が凛々しい彼女も、素顔は鮮やかな赤毛がチャーミングな欧米人女性だ。

 そして蔵人は、堅実かつ慎重な事業主でもある。
 扱っているのも実質的、政治的にデリケートかつ危険な代物だ。
 だから警備の現場からは直接に報告を聞くようにしている。
 そんな現場から、業務中に気晴らしのBGMが欲しいと相談されていたのだ。

 相談を持ちかけられた当初は一蹴した。
 その頃、自分にも自分の周りにも音楽は不要だと考えていた。
 何故なら自分は音楽を捨てたのだから。

 だが、娘のコンサートを発端とする一連の事件により考えが変わった。
 身の回りに音楽があることを、認めようと考え始めた。
 その上で相談を再検討した結果……

 ……やはり却下すべきと結論づけた。
 耳元でシャカシャカしながら警備に集中できるとは思えない。

「だが、代わりと言っては何だが『Joker』に社員割引を適用できるよう取り計らう予定だ。音楽はオフの時に楽しんでくれ」
「Oh! Joker!!」
 言ったとたん、ガードマンは歓声をあげる。

 思った以上の好評ぶりに、少し面食らいながらも悪い気分はしない。
 なにせ先方のオーナーには伝手がある。元同じバンドのメンバーなのだ。
 そんな蔵人の思惑を他所に、

「PixionsがあらわれたLive music clubですね!」
「ピクシオン? いや、それは君たちの間の噂であって……」
 そんな人たちは実在しない。
 歓声をあげる赤毛に蔵人はツッコもうとして、だが口ごもる。

 先日の、桂木姉妹と死塚不幸三との一幕を思い出したからだ。
 想像を絶するような、あの神秘的で恐ろしく、なのに心躍らされた攻防。
 あれは紛れもない現実だったのか?
 あるいは超巧妙なトリックであったのか?
 蔵人がこれまでに構築してきた情報網をもってしても何もわからなかった。

 そして程なく、ニュースで死塚不幸三の死去が報じられた。
 KASC巣黒支部は数々の違法行為が発覚し、現在は活動休止状態だ。
 支部長も行方不明らしい。

 事の詳細も、背後関係も、蔵人には何もわからぬまま。
 それらに桂木姉妹や、あるいは目前の彼女の言うピクシオンとやらが本当に関わっているにしろ、いないにしろ、その真偽を確かめる手段を蔵人は持っていない。

 それでも、彼にはやるべきことがある。
 愛する娘を……亡き妻が残した愛の結晶を守り抜くことだ。
 その為の社会を維持するべく、己が職務を全うする。

 そうした一見ありふれた日常こそが、妻が望んでいたものの様な気がして、

「Owner。最近は機嫌がいいですね。何かhappyでもあったんですか?」
「そういう訳では……いや、そうかもしれんな」
 目前の日常と顔を見合わせて、笑った。

 そして同じ頃。
 ちょうど噂の『Joker』のステージで、

――♪

 ひょろりとした鋲付きコートのロッカーが熱唱していた。
 萩山光だ。
 稲妻を象ったギターをかき鳴らし、ファイブカードの有名ナンバーを弾きこなす。
 ジャックのフォロワーなのかなと側の紅葉が漏らしていた。

 彼は日々ギターの練習に余念がないのだろう。
 高い技術に裏打ちされたギターはそれなりに巧みで、聴衆もそれなりに聞き惚れる。
 見た目の貧相さとは裏腹な激しいロックに、会場はそれなりに盛りあがる。

 そんなステージがそれなりにひと段落したところで、不意に楓は立ち上がる。

 皆様に魔法という神秘的な技術の存在を伝えましょう。
 唐突に、だが高らかに宣言し、困惑する観客の前で楓は初歩の術を行使――

「――信じられないことをするなあ」
 しようとしたところで側に気配。

 見やると片眼鏡をかけた妙齢の女性がいた。
 周囲の様子から察するに認識阻害で身を隠している。
 側の紅葉すら気づいていない。相当の使い手だ。
 聞いていた話からすると【組合C∴S∴C∴】の高等魔術師、山崎ハニエルだろう。

 楓は席を立ったままにこやかに微笑みかける。
 預言を逆手に取り、楓は魔術結社のメンバーと接触しようとした。
 聞きたいことがあったからだ。
 そして目論見は成功した。

 余人に魔法の存在が明るみになる未来を【組合C∴S∴C∴】は阻止しようとする。
 バラそうとしているキ印に構成員が会えば未来が変わるというなら、なおさらだ。

 もちろん並の術者がそんなことをしようとしても、預言で得られるのは『誰かが魔法の秘密をバラそうとしたがやっぱりやめる』という地味なトピックのみ。
 そんなものに対して【組合C∴S∴C∴】が行動を起こすことはないだろう。

 だが、楓はすると決めたことをやり遂げる人間だ。
 弟を奪った脂虫が気に入らないからその同類を殺しまくり、仕事人トラブルシューターになった。
 死塚不幸三も殺したかったから殺した。
 だから魔法の秘密をバラしたいと思えばバラす。
 その先鋭化した行動力と熱意は並の人間のそれではない。そんなキ印は、

「……10年前、貴女たちは蔓見雷人を止められたのではありませんか?」
 何食わぬ顔で問いかける。

 伝説のロックバンドのメンバーにして悪魔術師。
 そんな彼が怪異に取りこまれてKASCの一員となり、世に仇成す。
 預言をよくする【組合C∴S∴C∴】の術者たちがその未来を見抜けなかったとは思えない。
 だが側のハニエルは、

「他の術者に対して、過度な干渉はしないというのが魔術結社の不文律さ。その律が破られれば、いずれ術者同士が意思を強制し合うという最悪の事態に発展する」
 口元を歪めて答える。
 その言葉には納得できる。
 なにせ彼らは意思の力で世の理すら変えられるのだ。

「そして蔓見雷人の行動はたしかに賢明ではなかった。だが余人からの魔法の隠匿という最大のルールを破ろうとすることはなかった」
「だから発覚が遅れたと?」
「その通りだ」
 君と違ってね、とハニエルは言外に非難する。
 楓は笑みでいなす。
 そんなキ印を見やってハニエルは少し、笑う。

 クールでキザなジャックにして、悪辣なKASCの一員と化した蔓見雷人。
 そんな彼の実の姿は、楓と違って良識ある気弱な青年だった。
 だから誰にも気づかれずに心の隙をつかれ、悪へと引きずりこまれてしまった。
 その答えを紅葉に話して納得するかはわからないが、

「では、もうひとつ」
「まだあるのかい……」
 嫌そうにしながらも、予想はしていたのだろう。
 無言で先をうながすハニエルに、

「ファイブカードのジョーカー……梨崎梓依香は持病で亡くなったと聞いています」
 楓は2つめの問いを投げかける。

「貴女たちなら、それを食い止めることができたのでは?」
「まず前提として、魔道士メイジ以外への回復魔法ネクロロジーの行使は慎むべき行為だというのが我々共通の認識だ。そういった行為は容易に魔法の露見へと繋がる」
 その言葉にも楓は頷く。
 君も気をつけてくれたまえと、ハニエルは念押しのように睨んできた。
 楓ははいはいと笑みを返す。そして、

「それに、病気を治す魔術は困難だ」
 続く言葉に、再び頷く。
 生命を操るウアブ魔術師として、医学を学ぶ者として、その言葉も本当だとわかる。
 その上で、だが今度は楓が視線で先をうながす。

「……その上で10年前、我々は……わたしは梓依香に、出自を隠して治療を持ちかけた。治せる可能性も僅かながらはあったんだ」
 ハニエルは答える。
 何食わぬ風を装った、けど10年の時を経てなお泣き出しそうな表情で。

「だが彼女は言った。『自分だけがずるして生きるのは嫌だな』ってね」
 そう言って、寂しそうに笑う。

「『それが神様の奇跡じゃなくて、誰でも買えるお薬になったらいただくわ』。それが答えだった。その後も彼女は闘病を続けた。笑顔で亡くなったと聞いている」
「そうですか……」
 楓も意識して感情を抑えた声で、言葉少なく返す。

 現代の医療の水準とはかけ離れ、なおかつ属人性が高く担い手も少ない回復魔法ネクロロジーの部外者への行使の制限は、魔法の隠匿という魔術結社共通の理念を考えれば当然だ。

 その上でハニエルは禁を破って梨崎梓依香を癒そうとした。
 だが、当の梓依香に拒絶された。

 自分だけがずるをしたくない、という梓依香の言葉にも納得できる。
 彼女も楓と同じ、自身に課したルールを曲げたくない類の人間なのだろう。
 そうでなければ一世を風靡するようなアーティストにはなれない。

 ハニエルも梓依香も、己が信念を貫いただけだ。
 だが、その結果は少なくともハニエルにとって楽しいものではなかった。だから、

「では最後の質問を。今日は服をお召しになっているのですね? ……あ」
 気づくと片眼鏡はいなかった。
 楓の疑問は解消できたと判断したらしい。

 いやまあ不躾な好奇心で嫌な思いをさせた彼女を、笑わせようとしたのは事実だが。
 それでも答えが知りたくなかった訳ではない。
 やや憮然としながらも、楓はふと考える。

――他の術者に対して、過度な干渉はしないというのが魔術結社の不文律さ

 ならば適切な干渉であれば許されるということだろうか?
 例えば志門舞奈が、安倍明日香が、復讐鬼と化した自分たちにその先の道を見せてくれたように。
 それとも何らかのタイミングで不文律に変更が加えられたのだろうか?
 あるいは特例が設けられたのだろうか?
 過去に起こった悲劇を、未来で繰り返さないために。

――自分だけがずるして生きるのは嫌だな

 ならば医療技術が十分に発達していれば、梓依香は治療を受け入れただろうか?

 楓は将来、医療に従事するレールの上を歩いている。
 両親との確執のせいで嫌いだったレールだが、今はそれほどでもないと思える。
 だから将来、自身の関わりかた如何によって、医療は大きく変わるだろう。
 もし回復魔法ネクロロジーを医学的に再現することで悲劇のいくつかを回避できるなら――

「――姉さん、いきなり立ち上がったりしてどうしたんだい?」
 紅葉が怪訝そうに声をかけてきた。
 ハニエルが去ったことにより認識阻害が消えたのだ。

「ふふ、スタンディングオベーションという奴ですよ」
 楓は何食わぬ表情で答えつつ座る。

「そっか。姉さんはああいうの好きそうだもんね」
 紅葉も特に不審に思った様子もなく答える。
 言われて見やった先で、ステージの主役は別のグループに変わっていた。

 具体的にはマッチョな猫やウサギの着ぐるみがアレな感じのバックダンスを背景に、すね毛の生えた髭の濃い妖精たちが舞い踊りながらダミ声で熱唱していた。

 それは視覚と聴覚、双方による暴虐。
 なんというか、こう、控えめに見て悪夢の産物だった。

 もちろん観客たちはドン引き。
 普段はクールなオーナーまでもが「どうしてこんなの舞台にあげちまったんだい」と頭を抱えて凹んでいる。

 楓は再び紅葉を見やる。
 紅葉も姉を一瞥し、納得したような表情で再びステージに目を戻す。
 だから仕方なく、楓も憮然とした表情でステージを見やった。

 ……ひとまず紅葉の姉に対する認識をどうしたものかと考えながら。
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