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第14章 FOREVER FRIENDS

笑顔を儚い貴女へだけに

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 サチが小夜子と出会ったのは、1年ほど前のことだ。

 脂虫殲滅作戦の際にフィクサーの護衛をしていたサチは屍虫に襲われた。
 そこで2人を救ったのが小夜子だった。
 小夜子はクールでスマートで、そんな彼女にサチは憧れた。

 その後しばらくして、小夜子はサチと同じ諜報部にやってきた。
 共に業務をこなすうちに、サチは小夜子の繊細さに惹かれていった。
 だが同時に、彼女の危うさにも気づいた。
 幼馴染を失った小夜子は傷つき、亡き彼への思慕に囚われていた。
 そんな痛ましい彼女を、サチは見ていられなかった。

 サチは小夜子の心を癒そうとした。
 けど、サチの目論見は外れてばかり。

 そんな中、サチは小夜子の幼馴染が亡くなったという廃ビルを訪れた。
 そこで彼女を癒すための何かが見つかると思ったから。
 だが、またしても目論見は外れ、サチは階段から足を踏み外して落ちて……

 ……そんなサチを救ったのは小夜子だった。

 小夜子もまた、ずっとサチを見ていたのだ。
 サチの中に太陽のように明るく優しかった幼馴染の影を見ていた。
 だが、そのことを知られるのを恐れていた。
 その感情を、今は亡き幼馴染への冒涜だと考えていた。だから、

――わたしが小夜子ちゃんの太陽になるわ

 サチは小夜子にそう言った。

――その人といっしょに小夜子ちゃんを照らして、あたためてあげる。ダメかな?

 その言葉に、小夜子は笑みで答えてくれた。
 それから1年たった今、2人は並んでここにいる。

 諜報部の魔道士メイジとして、2人はKASC巣黒支部ビル襲撃作戦に参加した。
 そして蔓見雷人を討つべく先を急ぐ【掃除屋】の前に、増援としてやってきた。
 同様に足止めとして手下を引き連れてあらわれた疣豚潤子を引き受ける形で。

 そして辛くも疣豚を倒した2人の前に、

「ア……アテクシも……アテクシも、ついにこの姿になれたザマスね!」
 あらわれたのは異形。
 完全体。

 釣鐘のような、あるいは両方後ろのヘルメットのような、眼鼻も口も耳もない頭。
 銀色に輝く逞しい巨躯。
 それは筋骨隆々とした男性の身体そのものだ。

 そう、男の身体だ。
 小夜子やサチを男に媚びる売春婦と罵った疣豚潤子。
 そんな彼女自身が、屈強な男の身体へと転化した。
 下衆な中年女が男を羨み、妬み、身勝手なコンプレックスを拗らせていたからだ。

 疣豚潤子は男のことだけを考えていた。
 だから男になった。

 そんな男の身体をした下衆女を、だが小夜子は冷たく一瞥するのみ。
 ショットガンAA-12に新たな32連ドラムマガジンを装填し、跳びかかりつつ掃射する。
 先ほどは中年女の身体を紙切れのように引き裂いた散弾の嵐。

 だが金属の色に輝く至高の肉体は散弾の接射を、まるでBB弾のように弾き返す。

「!? 小夜子ちゃん!」
「……問題ないわ。想定済み」
 サチの悲鳴に背中で答え、【ジャガーの戦士オセロメー】の脚力にまかせて跳び退る。
 小夜子に向かってのばされた銀色の男の手が宙を切る。

 サチをかばうように着地しながら小夜子はショットガンAA-12を背に戻す。
 同時に素早く周囲を見渡す。

 取り巻きの優男どもは、コンクリートの槍ではやにえにしておいた。
 だが、その数も、今は半分ほどに減っている。
 脂虫状態の疣豚を倒すための追加の贄にしたからだ。
 残る贄は壁際の槍に刺さっている数匹。

山の心臓テペヨロトルよ……!」
 小夜子は【蠢く土トララオリニ】で建材を操り、それらすべてを無理やりに引き寄せる。
 コンクリートの槍が蠢き、突き刺した優男どもを術者の元に運ぶ。
 脂虫どもは唇に煙草を癒着させながら激痛と恐怖に泣き叫ぶ。
 小夜子は【霊の鉤爪パパロイツティトル】による光のカギ爪で贄どもの心臓を引きずり出し、

「我が身に宿れ、煙立つ鏡テスカトリポカ!」
 神の名を叫ぶ。
 ヤニ色の心臓のひとつが黒い靄と化し、小夜子に吸いこまれる。
 同時に小夜子の身体が一瞬だけ黒く輝く。

 即ち【嘲笑う鏡テスカトリウェツカ】。
 身体を硬い黒曜石へと変える大魔法インヴォケーションによる防護。次いで、

「我が手に宿れ! 左のハチドリウィツィロポチトリ!」
 叫ぶと同時に残りの心臓が一斉に弾ける。
 そして次の瞬間、かざした小夜子の掌から太陽の如く光束がのびた。

 即ち【太陽の嘴トナメヤカトル】。
 小夜子が幼馴染の犠牲を糧に会得した、レーザー照射の大魔法インヴォケーション
 本来ならば贄すら使わずに万物を焼き切る。
 そこに目減りしたとはいえ相当量の贄をあげて威力を増した必殺の一撃。

 小夜子は光束で完全体の胴を薙ぐ。
 避ける間もなく銀色の巨躯をまばゆい光が打ち据え――

「――ハハハハ! アタクシの新しい肉体の前には、そんなもの無意味ザマス!」
 金属のような銀色をした身体は一閃されたレーザーにすら耐えた。
 完全体は目も鼻もない顔で笑う。

「効かない!?」
「……小夜子ちゃん!!」
 驚愕しつつも、サチの悲鳴と同時に跳び退る。
 その残像を、完全体が生み出した水の剣が薙ぐ。
 切っ先が障壁をかすめる感触。

 敵の施術を見やって小夜子は舌打ちする。
 技術としては何の変哲もない【水行・作水シュイシン・ゾシュイ】。水作成の妖術だ。
 だが銀色の身体を循環する過剰な魔力によって符も嘯もなく瞬時に発動した。

 レーザー光すら防いだ、銀色の身体の耐久力も同じ理屈だ。
 圧倒的な魔力による防御と修復。
 それらに打ち勝たない限り、小夜子は完全体を倒せない。

 対策はしたつもりだった。
 先の戦闘でレーザー光線による斬撃を蔓見雷人の完全体に防がれた。
 だから今回は、数多の贄で過剰なまでに強化して叩きつけた。
 それすら防がれた小夜子に、

『術ノ強サハ心ノ強サ。其ハ大魔法インヴォケーションデアッテモ変ワラヌ』
 ショットガンAA-12の側面に映った影が示唆する。
 小夜子は【ジャガーの戦士オセロメー】による脚力で跳び退って距離をとりつつ、考える。

 心の強さとはなんなのか?

 小夜子は脂虫が嫌いだ。
 脂虫を殺すのが心の底から楽しい。
 あの臭く醜く忌まわしい、人に似て人でない怪異は小夜子から幼馴染を奪ったから。
 喪失を乗り越え、小夜子は脂虫への憎悪を殺戮という道楽へと昇華させたから。

 それだけでは駄目なのだろうか?
 思慮に沈む小夜子めがけて、

『避ケヨ!』
『避けてください!』
「小夜子ちゃん、避けて!」
 襲いかかってきた刃を、声に後押しされつつ横に跳ぶ。
 縦回転する巨大な水のギロチン刃が、避けた小夜子の障壁をかすめて飛んでいく。
 そしてサチの横を通り過ぎ、はるか後ろの結界の霧にまぎれた壁を砕いて消える。

 その刃の威力に、小夜子の頬を冷や汗が伝う。
 道術としては一般的な【水行・刀刃シュイシン・ダオレン】による水刃。
 だが礎となる強大な魔力により、大きさも重さも数倍に強化されていた。
 まともに食らったら【護身神法ごしんしんぽう】による障壁ですら耐えられなかっただろう。

 だが、それより違和感。

 先ほど煙立つ鏡テスカトリポカでもサチでもない、第3の声を聴いた気がする。
 馴染み深い影と同様に心の中に直接響く、だがサチに似た穏やかな声。

(サチの神使しんし……?)
 そんな考えが脳裏をよぎる。
 だが、すぐに思いつきを否定する。

 小夜子たち呪術師ウォーロックは世界の一部と意思疎通しているだけだ。
 神使しんし煙立つ鏡テスカトリポカも術者の心の在り方によって世界がその姿を変えている。
 いわば術者好みのインターフェースにすぎない。
 だから両者は同じもので、小夜子はそれを後者として認識しているに過ぎない。
 そのはずだった。

「アテクシの攻撃を! なぜ避けるザマスか!?」
 完全体は目鼻も口もない顔で激怒しながら横薙ぎに水刃を投げる。
 それを身体強化による跳躍で避けながら、小夜子は思考を切り替える。
 今、考えなくてはいけないのは神使しんしについてではない。
 完全体についてだ。

「メスガキのネトウヨの売春婦が! ちょこまかと!!」
 完全体は怒りに叫ぶ。

「けどアテクシは無敵ザマス! 最強ザマス!! この至高の肉体と魔力でこの世界の美しいものすべてを破壊するザマス! 若い女も! 歌も! すべて!!」
 吠えた途端、銀色の身体から無数の光の玉が飛び出す。
 それぞれの光球は符を形作り、符は鋭く巨大な水刃と化す。
 避ける隙間もない量の水刃を一度に放って片をつける算段だ。

 小夜子は舌打ちする。
 だが躊躇は一瞬。

「壁となれ、山の心臓テペヨロトル!」
 かばうようにサチの前に立ちながら叫ぶ。
 応じて小夜子の目前でコンクリートの床が、アスベストの天井が隆起して壁と化す。
 岩石の壁【挺身する土トララチマリア】による、今度は本来の用途である防御のための遮蔽。だが、

『此ノ岩壁デハ敵ノ攻撃魔法エヴォケーションヲ防ゲヌ!』
 隙間だらけのコンクリート壁の内側に映った煙立つ鏡テスカトリポカからの警告。
 それでも小夜子は、笑う。

 そんなことは百も承知だ。
 贄は先ほど使い切ってしまった。
 おまけに素材は術とは相性の悪い加工材。
 そんな状態の施術では、疣豚を閉じこめたような強固な壁は作れない。
 水刃の掃射はコンクリートの壁を易々と砕き、その後ろに居る者を引き裂くだろう。

 だが、そこに【護身神法ごしんしんぽう】による障壁を2つ重ねれば話は別だ。
 小夜子はサチの盾になる位置にいる。
 だから小夜子の障壁が破られ、【嘲笑う鏡テスカトリウェツカ】で防護された身体が砕かれ引き裂かれても、それで勢いの減衰した刃ならサチは自身の障壁で防御することができるはず。
 そう考えた。

 小夜子はサチを守りたかった。
 かつて幼馴染を失った喪失感、あの心がなくなるような思いをもうしたくないから。
 だからサチを守るために手段を選ばない。
 この身を犠牲にしても構わない。

「死になさい! 男に媚びたネトウヨ女ども!!」
 無数の刃が放たれる。

「だめ! 小夜子ちゃん!!」
 サチの悲鳴。

 その後に来るものに備えて身をこわばらせる。
 いつか暴走自動車からサチや小学生たちをかばったときのような――

「――え?」
 唐突に、巨刃の雨の軌道がぶれた。
 いくつかの刃がねじれ歪んで盾と化し、他の刃を受け止めて消える。
 別のいくつかは狙いを大きく逸れて床に、天井に、壁に激突して砕けた。

 小夜子は驚き、困惑する。
 今の現象、技術としては【水繰りみづくり】――古神術における水操作の基礎の基礎。

 だが妖術で創られた水を他の術で操るのは至難。
 相手の魔力を自身の魔力が圧倒的に上回っていなければならないからだ。
 その相手が無限に等しい魔力とそれによる強度を誇る完全体なら、なおのこと。
 人間の術者には実質的に不可能。
 ……そのはずだ。小夜子が知っている魔法の理によれば。

「防いだザマスか!? ええい! 生意気ザマス!!」
 銀色の巨躯から、またしても魔力で形作られた光の玉があふれ出す。

「ネトウヨ女のメスガキめ! 今度こそ死ぬザマス!」
 完全体は叫ぶ。
 同時に無数の光球が、先ほどと同じように無数の刃と化して2人めがけて降り注ぐ。
 そんな致死の豪雨が小夜子とサチに達する直前、

「小夜子ちゃん! 2人で! かけまくもかしこき大山津見神おおやまつみのかみ――」
「!? わかったわ! 壁となれ、山の心臓テペヨロトル!」
 促されるまま施術。

 先に小夜子が作った壁を補強するように、コンクリートの床が2人の前で隆起する。
 ナワリによる大地の壁【挺身する土トララチマリア】。
 古神術【地守法つちのまもりのほう】。
 2人が同時に行使した防御魔法アブジュレーションが、今度は強固な壁になって刃の雨を防ぎきった。

 小夜子とサチは一瞬だけ笑みを交わす。
 2人で生き残れる手段を、サチが見つけてくれたことが嬉しかった。

「生意気ザマス! ネトウヨがぁ! メスガキがぁ!!」
「……攻撃が単調なのが救いね」
「ええ」
 狂ったように降り注ぐ豪雨を、壁に魔力を注ぎこみ維持して防ぐ。

 サチと共同で形成している壁の維持は何だか楽しい。
 普段より術が長持ちしている気すらする。

 だがネガティブな小夜子は、予想を超える石壁の強度を訝しむ。
 なにせ相手は完全体だ。
 壁で刃の勢いを削ぎつつ【護身神法ごしんしんぽう】【嘲笑う鏡テスカトリウェツカ】で凌げれば御の字と思った。
 なのに2人で創った呪術の壁は、降りそそぐ刃の雨を完全に防いだ。
 あまつさえ続く猛撃にすら耐えている。

 敵が完全体としての魔力を使いこなせていないのだろうか?
 あるいは……

「……ねえ、サチ」
 小夜子は側に問いかける。

「さっき奴の攻撃魔法エヴォケーションを防いだでしょ?」
「ええ」
「そのとき、何を考えたの?」
「えっ?」
 唐突な質問に、サチは思わず首をかしげる。
 それはそうだと自身の口下手を少し恨みつつ、彼女の横顔が可愛いと思う。だから、

「たぶん、それが奴を倒す唯一の方法だと思うから」
 意識して抑えた声で補足する。

 呪術師ウォーロックは自身で生み出した魔力を呼び水にして天地に宿る魔力を操る。
 中でも【エレメントの変成】技術においては魔力が宿る天地そのものを操る。
 強い魔力をもって願えば、より強い万象が答えてくれる。
 そして魔力の源は心だ。

 だから小夜子は自身に足りない何らかの心的要素を、サチが持っていると予想した。
 何故ならサチは明るく誰にでも好かれ、自分に欠けているすべてを持っている。
 それが一連の強力な施術に影響している。
 だから、その要素を補強することができれば2人は完全体に打ち勝てると。

「その……どうすれば、サチみたいに想いを強くできるの?」
 小夜子は表現を変えて、再びサチに問いかける。
 サチは少し考えて、

「……じゃあ、手を繋いでくれる」
「えっ?」
 返された答えに小夜子は戸惑う。
 その側で不意に岩壁が砕けた。流石の強固な壁も無限には持たない。だが、

『左ヘ跳ベ!』
『右へ避けて!』
 それぞれの声に反応して小夜子は左に、サチは右へと跳ぶ。

 2人の間を裂くように通り過ぎたのは巨大な水の刃。
 追加の魔力をこれでもかと注ぎこんで超強化された【水行・刀刃シュイシン・ダオレン】。
 それが2人がかりの強固な石壁をすら一撃で裂いたのだ。

 だが小夜子の脳裏をよぎるのは別のこと。

 今度は間違いない。
 今、確かに小夜子は自身の煙立つ鏡テスカトリポカだけでなく、サチの神使しんしの声を聴いた。
 その事実が何を意味するのかはわからなかったが、悪い気分ではなかった。
 そんな感覚に後押しされて、

「試したいことがあるの! フォローをお願い!」
「わかったわ!」
 サチの返事を背に、小夜子は完全体の前に躍り出る。

「生意気なメスガキども! ズタズタのレイプ死体にしてやるザマス!」
 完全体は新たな妖術を行使しようと小夜子に向かって掌をかざす。
 その先に先ほどと同じ巨大な水刃が形成され、

「小夜子ちゃんを! 傷つけないで!!」
 サチの叫びとともに、その形状が歪む。
 水の刃は幾つもの水のロープへと姿を変え、逆に完全体に絡みつく。

「な、何ザマス!?」
「!?」
 完全体と同時に小夜子も驚く。

 道術としては【水行・縛鎖シュイシン・フーソ】に相当する現象だ。
 だが術を行使したのが完全体ではないのは一目瞭然。

 おそらくは古神術【水鎖法みづのとざしのほう】。
 またしてもサチは敵が生み出した妖術の水を、無理やりに操ったのだ。
 強い魔力……強い心の力で。

 その秘密が知りたいと思った。
 だが目先の戦闘に勝つためだけではない。
 サチの強い心の秘密を、サチのことをもっと知りたかった。
 そんなサチへの想いそのものすら魔力へと変換し、

「捕らえよ、山の心臓テペヨロトル!」
 小夜子も砕けたコンクリートの欠片を操り【捕縛する土トララクィア】で拘束する。
 魔力で操られたモルタルと水が混ざり合い、より強固な枷となり完全体を拘束する。
 まるで桂木姉妹が同じ系統の魔術と呪術を同時に行使するように。
 あるいは、共同作業のように。そして、

「我が手に宿れ! 左のハチドリウィツィロポチトリ!」
 小夜子は叫ぶ。
 指先からまばゆい光束がのびて完全体の胴を射る。
 先ほどは防がれた【太陽の嘴トナメヤカトル】。
 だが贄による強化はない。

 それでも小夜子はレーザーで薙ぐのではなく、完全体の胴に照射した。
 先ほどサチに言った試したいことというのはそれだ。
 のばしたレーザーを振り回して中央部分だけを当てるより、真正面から照射したほうがロスなく破壊の熱とエネルギーを伝えることができると気づいたのだ。

 これまでの小夜子は、圧倒的な火力で敵を殲滅してきた。
 だから多少のロスなど気にせずに力を振るっていた。
 だが破壊の術の効果は、少し使い方を変えるだけで贄すら使わず高められる。
 このまま照射を続ければ、やがて熱量が敵の耐久力を上回るはずだ。

「ひっ……」
 拘束され、熱光に一点を炙られた完全体の胴がひび割れる。
 回復しない……あるいは、できない。
 目鼻のない銀色が恐怖に怯む。

 だが、あと少し何かが足りない。
 あと少し、何か強い――

「――小夜子ちゃん」
「!?」
 小夜子の空いた手の指に、細くすべやかで、あたたかな感触。
 サチが半ば強引に、小夜子の手を取ったのだ。
 そして健康的な肌色の指を、小夜子の白い指に絡ませたまま、

「あ、ま、て、ら、す、お、ほ、み、か、み。――」
 祝詞を紡いだ。
 普段のそれと比べて短く単調で、ただ神の名を奉唱する。何度も。
 むしろ小夜子の施術に似た。
 だが愛らしいサチの唇から漏れる音色を、小夜子は綺麗だと思った。

 そんな清らかで美しい祝詞に答え、サチがのばした逆の腕の掌から――

「――!?」
 レーザーが照射された。
 まるで陽光のように激しく、そして温かく。
 小夜子の掌から放出されるそれと同じくらい激しく。

 神術において魔力を喚起するためのイメージの中核である三貴子。
 その1柱である天照大神《あまてらす》は、単体では陽光を司るイメージとして機能する。
 その御名を借りた術の最高峰が【十言神咒とことのかじり】。
 ナワリの【太陽の嘴トナメヤカトル】と同等の、レーザー照射の大魔法インヴォケーションだ。

 手と手を取り合った2人。
 2人がかざした逆の掌からそれぞれレーザーがのびて完全体の胴を焼く。
 銀色をした男の屈強な胸板を、陽光が炙って溶かす。
 だが完全体は水とコンクリートで拘束されて逃れられない。

「ヒギャアァァ!! 女同士でイチャイチャイチャイチャ! ウザイのよあんたたち!」
 男の姿をした完全体は、苦痛にうめきながら叫ぶ。
 新たに施術しようとする意志を、再び操られるのではないかという恐怖がくじく。
 だから恐怖と苦痛、癇癪がないまぜになった激情を攻撃者にぶつける。

 だが小夜子はようやく気づいた。
 ある意味、下卑た完全体のその言葉で気づいた。

 醜く卑しい疣豚潤子だった完全体が嫌う、美しいもの。尊いもの。
 怪異とは真逆の存在であるプラスの魔力の源。
 かつて煙立つ鏡テスカトリポカが示唆した強い心の正体を。

 だから小夜子はサチの手を放す。
 一瞬だけサチの瞳孔が開く。

 だが直後、大きく可愛らしいサチの瞳がさらに大きく見開かれた。
 なぜなら離した手で、腕で、小夜子はサチを抱き寄せていたから。

 今まで、そんなことを小夜子の側からしたことはなかった。
 気恥ずかしかった、という理由もある。
 それより憎悪と脂虫の体液にまみれた自分の手で彼女を汚したくなかった。

 だが、今、そんな心の鎖は何処かに千切れ飛んでいた。
 小夜子の手でサチを汚したかった。自分の色に染めたかった。
 サチの身体はやわらかくて、あたたかくて、心安らぐ良い匂いがした。

 ひとつになった2人の背後で、見守るように何かがゆらめく。
 人ならぬ不気味な影と、少女の姿を象った幻。

 黒い影の如く煙立つ鏡テスカトリポカは他者を恐れる小夜子の心の象徴だ。
 小夜子は、そんな自分の弱さを見られるのが怖かった。

 狐の面をつけた少女の姿をした神使しんしは、人の和に恵まれたサチの心の顕現だ。
 だがサチは、そんな平凡な自分を見られるのが少し嫌だった。

 けれど小夜子はサチを守りたいと強く、強く願った。
 愛するサチのことを、もっと知りたいと思った。
 すべてを知って、肯定したかった。

 サチも同じだった。
 小夜子になら汚されてもいいと思った。

――汝ガ側ニ居ル者ニ目ヲ向ケヨ
――其ハ汝ノ力ナリ。汝ハ其ノ力ナリ

 かつて煙立つ鏡テスカトリポカが――世界が小夜子に示唆した真実。

――術ノ強サハ心ノ強サ。其ハ大魔法インヴォケーションデアッテモ変ワラヌ

 その根源はすべからく同じ。

 小夜子がサチを好きだということだ。
 そしてサチも小夜子を愛してくれている。

 思えば最初に疣豚がサチを狙った2つの水刃を、そらしたのは小夜子だった。
 何故なら小夜子はサチを守りたかったから。
 強い願いは強い魔力の源だから。
 自分しか愛せない疣豚などとは比べ物にならぬほど、小夜子はサチが好きだから。

 サチはそれを真似たに過ぎない。
 そして小夜子を攻撃目標とした妖術を操り、自身の拘束術に昇華してみせた。

 そして目前に迫った完全体。
 かつてない強敵。

 危機を前に小夜子もサチも、勝利より自身の安全より、愛する人の無事を願った。
 その強い強い想いもまた魔力となり、森羅万象の魔力を賦活して強大な力となった。
 太陽の光が遍く照らし、万物を育み勇気づけるのと同じ。
 陽光の如く愛が――愛そのものが光になって、人類の仇敵を撃ち払う。

 何らかの心的要素が術に伝わったか、サチのレーザーの形が歪む。
 具体的には、下側が少し尖った涙状に。

 気づくと小夜子のレーザーもそうなっていた。
 そして輝きも増していた。さらに、

「ねえ、小夜子ちゃん」
「……?」
 呼ばれて振り向いた途端、

「!?」
 サチの顔があった。
 漏れた吐息が届く距離に。
 高1にしてはやや小柄なサチの背丈は、スレンダーな小夜子より少し低い。

 思わず目を見開く。
 サチの澄んだ瞳の中に、驚く自分の表情が映る。
 そんな自身の瞳にもサチが宿る。
 合わせ鏡のように。

 小夜子は世界そのものと対話し操るナワリ呪術師だ。
 サチも森羅万象と心を通わせ、力を借りる古神術士だ。
 だから小夜子は己が操る世界の中心としてサチを認識した。
 サチもまた、自身を見つめる小夜子を万象の中心に据えて同調する。
 そうやって2人は心を通い合わせながら高め合う。

――わたしが小夜子ちゃんの太陽になるわ
――その人といっしょに小夜子ちゃんを照らして、あたためてあげる。ダメかな?

 いつか彼女が自分にかけてくれた言葉が脳裏をよぎる。

 呪術師ウォーロックはイメージを媒体にして己が魔力で森羅万象を操る。
 そして、かつて陽介という太陽を失った小夜子は、新たな太陽を頂いていた。

 今や小夜子にとっての太陽――左のハチドリウィツィロポチトリはサチだった。
 サチも小夜子を、彼女の中の陽介ごと天照大神《あまてらす》のイメージに重ね合わせていた。

 しっかりと互いの背に腕を回し、ひとつになった小夜子とサチ。
 2人は互いの存在を術に織りこんで魔法的にもひとつになる。
 そして互いに互いの力を無限に乗算し、大魔法インヴォケーションの威力を爆増させる。
 まるで合わせ鏡の中の自分が、無限に増えて見えるように。

 サチはそっと目を閉じる。
 小夜子も釣られて目を閉じる。

 そして口元に感触。
 小夜子はサチにキスされた。

 その拍子に掌の位置がずれて、2つのレーザーがひとつに重なった。
 涙型のレーザーが2つ繋がってハート型になった。
 そのハートの熱量は、無限。

「イ、嫌アァァ!! 死にたく――」
 ――苛烈なレーザー光が、完全体の胴を抵抗もなく貫く。
 バターに穴をあけるが如く。

 そして光が止んだ後、完全体はただ立ち尽くしていた。
 その銀色の胸にはハート型の穴が開いていた。

 ハートを中心に、至高のはずの身体がひび割れる。
 そして砕け、欠片は溶けて消えた。
 ほどなくして【天岩戸法あまのいわとのほう】による結界も消え、周囲は元の広間に戻った。

 だが、その様を小夜子もサチも見ていなかった。
 何故なら天井が床が砕かれ、壁は焼け焦げヤニ色の欠片が散らばる部屋の中。

 2人は互いを抱きしめ合ったまま、長い口づけを交わしていた。
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