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第14章 FOREVER FRIENDS

父と娘1

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 小学生は平日の昼間は学校で勉強する。
 たとえ伝説のロックバンドの新曲を巡るライブ対決を控えていても同じだ。

 そんな金曜日の授業がようやく終わった、放課後。

 校門前の近くで、ライブを控えた委員長が舞奈たちを待っていた。
 普段と同じ三つ編みおさげに眼鏡をかけた、普段と同じいでたち。

 何故なら彼女は、学校で音楽活動のことを吹聴しているわけではない。
 今日のライブの主役が自分であることも、知っているのは舞奈たちだけだ。
 ステージ衣装は『Joker』で借りることになっている。
 だから自分は愛用のギターを手に念のために舞奈たちを伴い、現地に向かえばいい。
 そのはずだった。だが、

「にゃー」
 みゃー子が何かをくわえて目の前を走り抜けた。

「あっ待つのです! 下校時にヘンなものをくわえて走ったらダメなのです!」
 委員長はロッカーであるのと同じくらい、生真面目なクラス委員長でもある。
 だからふわふわ頭のクラスメートを追って、再び校門に駆けこんだ。
 そして、しばらくして、

「ふふ、みゃー子さんは相変わらず愉快で……なのです」
 再び校門から出てきた。
 その直後、

「梨崎紗羅さんですね?」
「……何か?」
 話しかけてきた警官に、

「……!?」
 いきなり車に連れこまれた。
 抵抗する間も、声をあげる間もなかった。

 そして数刻後。
 統零とうれ町の一角にある梨崎邸で、

「……?」
 梨崎蔵人は一通の手紙を受け取った。
 慣れた手つきでレターナイフを走らせ封を開き、手紙を読む。途端、

「……すまんが出かけてくる」
「こんな時間からですか?」
「ああ。わたしが0時までに戻らなければ、この手紙を持って警察に行きなさい」
「旦那様……?」
 怪訝そうな執事にそう言い残して家を出た。

 数刻後。
 蔵人は大通りを駆けていた。

 手紙には、娘の身柄を預かったと書かれていた。
 指定の場所にひとりで来いとも。
 そして警察に知らせたら娘の安全は保障しかねるとも。

 血のような色の夕焼けに照らされた民家の影が、顎のように行く手に迫る。

 無茶な全力疾走に、現役時代とは比べ物にならぬほど鈍った身体が悲鳴をあげる。
 だが蔵人は止まらないし、止まれない。
 スーツ姿のまま、衰えた身体に鞭打って走る。

 手紙に指定された場所は、倉庫街の貸倉庫のひとつ。

 そして娘の身柄と引き換えに、あるものを渡すよう要求されていた。
 世間には『ファイブカードの幻の曲の楽譜』として知られている、一通の封書だ。

「なんだって今更、あんなものを……っ」
 蔵人は息を切らせながら走る。

 慎重で堅実な彼が、何の策もなく単身で犯人の要求に従う理由。
 彼にとって、娘を誘拐されたという事実はそれほどまでに重大だった。

 こんなことなら娘に警護をつけておけばよかった。
 走りながら何度も悔やんだが、もう遅い。

 アニメや漫画の中のような惨事は自身の周囲では起こらないと思っていた。
 ニュースの向こうの厄介事も、この国でまっとうに生きているのなら回避できると思いこんでいた。何とかなると思っていた。
 だから対処できなかった。

 そう。あの時のように。

 ……8年前。
 蔵人は妻の梓依香との間に一子を授かった。

 だが梓依香は体が弱かった。
 そのことを本人も自覚していたらしい。
 バンドのメンバーには知られないよう振る舞っていた。
 だから蔵人自身も、彼女と結婚を前提につき合うようになるまで気づかなかった。

 正直なところ彼女の技術的な至らなさが改善しなかったのは、他のメンバーほど練習時間を取れなかったからでもあるのだろう。
 最後まで、彼女のギターのファの音は半音ずれていた。

 それでも彼女は、捉えどころのない愛嬌で皆を魅了した。
 だから彼女はファイブカードの歌姫たり得た。

 だが彼女の透明すぎる屈託のなさは、将来への展望のなさの裏返しでもあった。
 自分が大人になることはないと彼女は考えていた。

 だから蔵人は、残りの人生を最高のものにしてやると彼女にプロポーズした。

 そう。
 すべて納得したうえで、自分は彼女と添い遂げた。
 そのはずだった。

 順調な社長業と、可愛い娘。そして美しい妻。
 絵に描いたような成功の裏側で、だが梓依香はとうとう病床に伏した。
 出産による負担が影響したのだろうと医者は言っていた。

 それでも梓依香は笑っていた。
 子供なんて産めるはずないと思っていた自分への、天からの贈り物だと。
 だから蔵人も娘を可愛がり、彼女に尽くした。
 彼女といつか交わした約束を果たすために。
 残りの人生を最高のものにしてやる、と。

 その甲斐あって、娘の紗羅はすくすく育った。

 だが紗羅が3歳になった頃。
 ついに梓依香は旅立った。
 急に体調を崩して病院に搬送された、その翌日のことだった。

 容態の急変を知らされたあの時、せめて最後に彼女のそばにいたいと思った。
 そして伝えたかった。
 いつまでも愛してる、と。

 だが、その願いは叶わなかった。
 何故なら、そのとき自分は国防に関する重要な会議の最中だった。

 だから、すべてが終わった後に知った。
 不幸中の幸いにも、彼女の最期をクイーンが看取ってくれていた。
 自分の知らぬところで旧交を温めていてくれたらしい。

 梓依香は最後に笑っていたと、彼女は言った。
 だが、そんなものは慰めにはならなかった。

 彼女を失った。
 最後に彼女と話すことすらできなかった。

 思えば社長になんてなったのも、彼女に見栄をはりたかったからだ。
 未来から目をそらしている彼女に何かを伝えたかった。
 なのに自分で選んだ道に縛られ、最愛の彼女を看取ることすらできなかった。

 その事実に耐えられなくて、蔵人は過去を捨てた。
 自分にも、娘にも歌を禁じた。
 ブルーマジシャン――自身のギターも宝物庫の奥深くに封印した。
 2人で幸せになれる未来なんて、もうないのだから。

 クイーンの手から、一通の封書を受け取った。
 そこに梓依香の本当の気持ちが書かれていると託されて。
 だが蔵人はその封書すら、ギターといっしょに封印した。
 これ以上、彼女が遺したものと向き合うのが怖かったから。

 いつしか元ジョーカーが遺した封書の噂だけが、ファンの間を独り歩きし始めた。
 そして『ファイブカードの幻の曲の楽譜』などと呼ばれるようになった。

 だがロックなんて始めなければ、こんな思いをせずに済んだかもしれない。
 蔵人はそう思うようになっていた。
 何も得ることがなければ、何も失うものはなかったのだと。
 だが人生に『if』はない。自分には進むしかない。

 だから蔵人は娘を完璧に育てた。
 何かから逃げるように。
 紗羅は梓依香がこの世界に残した唯一のものだから。
 考えうる最高の環境と愛情を与え、持ちうるすべての知識を与えた。
 歌以外のものはすべて。

 それで良いと思った。
 自分はもうファイブカードのエースじゃない。
 一子を持つただの運輸会社の社長だ。
 それなのに――

 ――走り続けるうちに、指定の場所にやってきた。

 夕闇を背に立つ、人気のない倉庫の前には数人の人影。
 警察のようだ。
 見やると倉庫の片隅には、白い乗用車を囲むように数台のパトカー。
 警察が先んじて犯人を捕まえたのだろうか?

「いいところに来てくれた。娘が……」
 だが警官に助けを求める蔵人の前に、何者かが歩み出た。
 仕立ての良い背広を着こんだ、くわえ煙草の老人だ。

「……約束のものは持ってきたのかね? 梨崎社長」
 老人は高圧的な口調で言った。
 ニュースで見たことがある。
 死塚不幸三――先日の自動車暴走事故の犯人だ。

 彼の両脇には、彼を守るように警官が控えている。
 そのうちひとりが、紗羅を拘束していた。

「紗羅!」
「……」
 ひとまず無事な姿を見やって安心する。

 だが訝しむ。
 どうして誘拐されたはずの娘が、警官に捕まっている?
 それに紗羅は駆けつけた父を見やったまま何も喋らない。

 ……いや、そんなことはどうでもいい。

「約束のものは持ってきた。これで娘を開放してくれ」
 蔵人は手にした封書を掲げる。
 それを横から警官がひったくった。
 見やると警官たちは自分を包囲していた。

「殊勝な心掛けで何よりだよ」
 警官から封書を受け取り、死塚不幸三はニヤニヤと笑う。

「君の娘が、伝説のロックバンド・ファイブカードの新曲を自分のものとして公開しようとしていることはご存じかな?」
「ファイブカードの……? 今夜『Joker』で発表されるという?」
「ああ、そうだとも」
 死塚の不穏な笑みの意味を図りかねたまま、蔵人は視線で先を促す。

 そもそもファイブカードに新曲なんてないはずだ。
 グループはとうの昔に解散した。
 手持ちの曲はすべて歌ったし、作りかけの曲があるなんて聞いてない。

「かの曲は我々KASCが管理すべきもの。勝手をされては困るのですよ」
 死塚は言いつつ表情を歪ませる。

 娘の行為が彼に不利益をもたらしたと言いたいのだろうか?
 それにしても、この状況は異常すぎる。

 老人に追従するかのように、警官たちまで煙草を吸い始める。
 紗羅が不快げに眉をひそめる。

 そのすべてに感じる、言いようもない違和感。
 まるで悪い夢の中のように。

「ですが、それもこれで円満解決ですよ」
 死塚は封筒の隅を雑に破り捨てる。

 梓依香が遺したものの扱いに一瞬、眉をひそめる。
 だが自分にそれをとがめる資格はないと気づいて口をつぐむ。
 そんな蔵人を見やって死塚は笑う。

「これこそが、あの不完全な曲のすべてが記された幻の――」
 これ見よがしに手紙を見やる。

 そもそも今はそんなことはどうでもいい。
 梓依香はもういない。
 だが紗羅は目の前にいる。
 今の蔵人にとって、紗羅だけが梓依香が遺した生き甲斐だ。

 あの封書の中身は本当に楽譜だったのだろうか?
 彼女は最後に会えなかった蔵人への想いを、歌にのせて遺したのか?

 だが彼は歌を捨てたのだ。
 新曲があったとしても、どうでもいい。

 だが老人はすぐに顔を上げ、蔵人に険しい視線を向ける。

「……随分と、舐めた真似をしてくれたものですな」
 声を震わせる死塚の手から、手紙が零れ落ちた。
 風に乗って蔵人の足元に落ちる。

――いつまでも愛してる

 懐かしい彼女の筆跡で、ただ、それだけが書かれていた。
 他には何もなかった。

 遅ればせながら蔵人は気づいた。
 梓依香に楽譜は書けない。
 そもそも読むほうだってかなり微妙だったのだ。
 そのせいでメンバーはいつも苦労していた。

 在りし日の彼女を思い出して、蔵人の口元に乾いた笑みが浮かぶ。
 死塚は顔を怒りに染める。

「どうせ最後は殺されると知って、最後っ屁のつもりかね!?」
 激昂する。

 多分、自分たちに先はない。
 この老人は初めからそのつもりだったのだろう。
 そう理解してしまったのに、何故か心は穏やかだった。
 少し遅れてしまったものの梓依香と同じ場所に行けるからかもしれない。

 余裕しゃくしゃくだった老人が怒鳴る様に、少しすっとした。
 まるでロックを歌っていたときのように。

「奴らを始末しなさい!!」
「はい、死塚様」
 警官のひとりが紗羅を突き飛ばす。
 蔵人の目前に放り出された彼女めがけて、周囲の警官たちが槍を振り上げる。

 くすんだ色の頭蓋骨と、不吉な色の長い毛で装飾された不気味な長槍。
 それが方天画戟と呼ばれるものだと、蔵人は知らない。
 それでも警官の得物としては、あまりに不自然だ。

 だが、そんなことは関係ない!
 蔵人の判断は一瞬だった。
 否、考えるより先に身体が動いていた。

「糞ったれ! ロックが俺から何もかも――!!」
 そんな言葉を吐いたのは10年ぶりか。
 最後くらいは自分の心のままに動きたかった。
 都合ではなく心のまま動きたかった。無垢な梓依香のように。

「何もかも――」
 娘を守るように、覆いかぶさる。
 かつての自分がアーティストじゃなかったら、こんな結末にはならなかったか?
 最初からただの社長として梓依香と出会っていたら?

 そんな想いが脳裏を駆ける。

 警官たちは一斉に槍を振り下ろす。
 数多の何かが背を打つ感触。だが……

「……な……んだと?」
 驚愕の声。
 それは死塚のものだろうか? 警官のひとりのものだろうか?

 どちらにせよ、確かなのは蔵人の背に痛みがなかったということだ。
 無数の刃に突かれたにもかかわらず。

 ……即ち【無敵化ケペル・メス・ベムト】。
 彼が知る由もない、ウアブと呼ばれる魔術のひとつ。
 以前に桂木楓が安倍明日香との戦闘で用いた【敵を石にケペル・ケルイ・アネル】の応用だ。
 自身や仲間を硬い石へと変えて防護する技術。

 両者の差異は、後者が防御魔法アブジュレーションだということだ。
 攻撃用の【敵を石にケペル・ケルイ・アネル】は対象の強度を下げ、打撃を受けると破片へと変える。
 だが【無敵化ケペル・メス・ベムト】は強度=術者が生み出す魔力が高ければ傷つくことはない。
 術が続く限り硬い石であり続け、あらゆる攻撃を跳ね除ける。

 魔術において、魔力は意思から生成される。
 むしろ意思こそが魔術の源だ。

 それを踏まえて、高い魔力とは。
 それは例えば特定の術者が、身を挺して娘をかばう父の姿を見た場合に生成される。
 そう。即ち――

「――ロックは貴方から何も奪いませんよ」
 無敵の石になった蔵人を押しのけ、ゆっくりと紗羅が立ち上がる――

 ――否。

「何故なら、わたしが奪わせないからです」
 声とともに、紗羅の姿が『歪んだ』。

 三つ編み眼鏡の女子小学生の身体が輝く。
 全身にまかれた包帯がほどけるように、その身体が解体される。
 ほどけた紗羅の内側から、ひとりの女子高生があらわれる。

 高等部指定のセーラー服。
 ウェーブがかかった長い髪。
 そして鼻の高い端正な顔立ちを見やり、群れ成す警官たちが恐怖に震える。

 もちろん蔵人は、最近の彼女が学校では髪を結い眼鏡をかけていることを知らない。
 恐ろしい復讐と殺戮の際にだけ、髪をほどき眼鏡をコンタクトに代えることも。

「その後、お変わりありませんか? 死塚不幸三元院長。わたしです」
 慇懃に一礼しつつ満面の、そして酷薄な笑みを浮かべる。

 そう。
 それは元脂虫連続殺害犯。
 死塚不幸三の天敵。
 梨崎蔵人が与り知らぬ【変身術ケペル・ジェス・ケトゥ】により娘の紗羅に変じていた、桂木楓。

「もう一度、わたしは貴方を殺すためにやって来ました」
 楓は口元を人食い鮫のように歪める。
 その表情を見やり、死塚は恐怖に青ざめた。
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