264 / 540
第14章 FOREVER FRIENDS
嵐の前の
しおりを挟む
「やれやれ酷い目にあった」
舞奈はぶつぶつ愚痴りつ、統零町の大通りを歩く。
小夜子の退院を確かめ、帰りに紅葉の友人につき合って赴いたピアノ教室で講師を襲っていた疣豚潤子を追い払った後のこと。
駆けつけた【音楽芸術保証協会】の職員に後を任せ、舞奈は早々においとました。
……というか逃げてきた。
職員のひとりが【協会】関係者らしく、やたら舞奈を称賛してくるのだ。
サチや紅葉への態度は普通なので、他所で余計な噂でも聞いたのだろう。
舞奈は怪異との戦闘では紛うことなき最強Sランク。
だが表の世界では普通の女子小学生だ。
大の大人に恐れ敬われても、正直なところ反応に困る。
なので光や小百合が目を丸くする中、万歳三唱で見送る職員から逃げるようにピアノ教室を後にした。やれやれ本当は目立ちたくないんだがなあ。
そんな訳で、舞奈はひと息つきつつ灰色の通りを歩く。
キナ臭い施設を警備するガードマンが手を振ってきたので、手を振り返して笑う。
ここらは新開発区に近いせいか、近くの施設が怪異に襲われたことがある。
もちろん舞奈も加勢した。
なので警備の人間にも知った顔が何人かいる。
まあ仕事でガードマンしてる彼らは、女子小学生を大仰に称えたりはしないが。
そういえば委員長の家もこの近くだし、舞奈と背格好の近い彼女に何かあった場合に近くのガードマンがフォローしてあげられたら良いのだが。
そんなことを、ふと考えた。そのとき、
「待ってください~」
聞き覚えのある情けない声。
同時に前から何かが走ってきた。
薄汚い身なりの男だ。
脇には不似合いな学生鞄を抱えている。
訝しむ舞奈の側を、男はニヤニヤと笑みを浮かべながら通り過ぎる。
悪臭に思わず顔をしかめる。
どうやら奴は脂虫らしい。
次いで、
「ああっ舞奈さ~ん! いいところに~!」
野暮ったいセミロングの髪を揺らせ、眼鏡の女子高生が走ってきた。
奈良坂だ。
「わたしの鞄! か~ば~んが~~!」
「鞄? ……さっきの奴か?」
「はひ……」
盗られたらしい。
「やれやれ」
肩をすくめつつ、男を追う。
男の逃げ足は結構早いが、舞奈ほどじゃない。
だから舞奈は瞬く間に男に追いついて横に並び、そのまま足を払って転倒させる。
臭い男は驚いた表情のまま、アスファルトの地面を無様に転がる。
「こっこのガキ! 何しやがる!」
「そりゃこっちの台詞だ! 盗った鞄、返してもらうぞ」
盗人猛々しいとはこのことだ。
くわえ煙草を唇に癒着させながら喚く脂虫のわき腹を蹴り、
「ぐぇ!」
悲鳴で力が緩んだ隙に奈良坂の鞄を奪い返す。
「ありがとうございます舞奈さん~」
「ったく、ここらも物騒になったものだ」
「そうなんですよ。この前【機関】のミーティングで、最近、怪異の活動が活発になってるから気をつけろって言われた次の日にこれですよ」
「……いや、そこは気をつけててくれよ。せっかく最近、お手柄続きだったのに」
「いやあ、それほどでも」
「何故この文脈で、そうまで相好崩して喜べるんだ?」
苦笑しつつも鞄を渡す。
相変わらずの奈良坂である。
それでも、まあ、いつぞやは桜の家で長屋博吐を捕まえ、先日は死塚不幸三の暴走自動車から園児たちを救ったりと、活躍続きだったのは事実だ。
「それより身体は大丈夫か?」
「大丈夫です! お医者さんも丈夫だって褒めてくれました!」
「そりゃ良かった」
労うように声をかけ、緊張感のない奈良坂の笑顔を見やっていると、
「Hi! Pixion! ちょっとした手助けが必要だろう?」
顔見知りのガードマンが覆面姿の女性を連れてやってきた。
「彼女はパレスチナで回術を学んでるんだ。Zombieの加工は任せてくれ!」
「おっ、気が利くなあ」
「当然さ! Pixionには親切にしなきゃね!」
気の良いノリの良い金髪の守衛は得意げに笑う。
その側で女性は脂虫の喉を潰し、回術で熱した偃月刀で手足を切り落とす。
なかなかに手際が良い。
脂虫――臭くて邪悪な喫煙者は人ならぬ怪異だ。
その事実を、だが【機関】関係者以外が知っているのは意外だった。
それでも比較的に怪異や荒事に縁のある彼ら彼女らは、独自の情報網から知識を得ることができるのかも知れない。あるいは彼らが憧れるPixionの力になるために。
舞奈がそんなことを考える間に出来上がった脂袋を、
「こいつは頑張ってる奈良坂さんへのお土産だ。たしか執行部は、こいつを支部に持ってけばボーナスが出るだろ? それで美味いものでも食ってくれ」
「いやあ、すいませんねぇ」
にへらと笑う奈良坂に手渡す。
そして舞奈は帰路を急いだ。
幸運にも、その後は特にトラブルも(泥人間の襲撃以外は)なく帰宅できた。
そんな出来事があった数刻後。
舞奈が通った統零町の一角にある梨崎邸の、大広間。
委員長は父親と普段通りに夕食をとっていた。
「……そうか。皆にその……命にかかわるような怪我がなくてよかった」
思わず食事の手を止め、父は重々しい声色で答える。
話題の中心は、先日の暴走事故だ。
父は精一杯に穏やかな反応を心がけたが、表情が強張るのは止められない。
なにせ娘は、それに巻きこまれたのだ。
一歩間違えば、犠牲者のひとりになっていたかもしれない。
……否、実際になりかけていた。
暴走自動車は娘たちをも襲ったのだから。
娘とその友人たちが無事なのは、付き添ってくれていた女子高生の友人が、身を挺して守ってくれたからだ。
だが代わりに車に衝突した彼女は……
「後日、その友達のところに見舞いに行こうと思う。おまえの命の恩人だからな」
「ありがとうなのです」
極力、感情を表に出さないように気をつけながら、申し出る。
こんなことになって、むしろショックを受けているのは娘のほうだ。
自分をかばって、誰かが犠牲になった。
そこに自分の落ち度がなくとも、気に病むのは自然なことだ。
現に自分も、娘の危機に駆けつけられなかった自分を未だに悔いている。
娘が事故に巻きこまれたと知ったとき。
あるいは先日、ツチノコ探しに行った娘が不審者に襲われたと知ったとき。
それに、あの時も……
防衛上の観点から抜けられない打ち合わせの最中だったとはいえ、それが不義理の言い訳になるとは思えない。
何も失うもののない人生なんてないと知っているのと、それに納得できるかは別だ。
だから、せめて精一杯の誠意を示そうと申し出る。だが、
「入院しているのは市民病院でいいだろうか?」
「そうだったのですけど、今日、退院したのです」
「そ、そうなのか?」(半身不随と聞いたはずだが……)
「そうなのです。昨日お見舞いに行ったときには体操をしていたのです」
「そうか。……そうか、大事なくてなによりだ」(どういう子なんだ? その子は)
呆気にとられながらも、父の口元には笑みが浮かぶ。
娘のために犠牲になった女子高生なんていなかった。
自分の勘違いだったのだろう。
そんな驚きの事実を、今は素直に信じられる気がした。
誰も不幸にならない世界。
かつては自分の前にも、そんな優しい世界があったから……
……そう。
10年前の、満ち足りた日々の一幕が脳裏に浮かぶ。
ラストコンサートは盛況のうちに幕を閉じた。
グループの活動を締めくくるナンバーは『GOOD BY FRIENDS』。
曲の最後にアレンジを加え、フォーカード時代のパフォーマンスで締めた。
皆で演奏した後に、魔法のようにギターを仕舞うのだ。
5人で揃いのギターはスミスの手による特製で、一瞬で折り畳むことができる。
スミスがいた頃には締めだけでなく曲の前にも『虚空からギターを取り出して』ギャラリーを沸かせてみせた。
だが5人になってからはやらなくなった。
スミスがいないとギミック部分のメンテナンスができないからだ。
だから、こいつは、いわばスミスへの置き土産だ。
彼は結局、グループの解散までに留学先から帰国することはなかった。
だから彼がいつ戻ってきても、風の噂で自分たちの足跡に気づいてもらえるように。
……そんな余韻を残しながら、楽屋に戻った途端、
「おつかれー」
可憐な歌姫のジョーカーが皆に笑いかけた。
皆も興奮の冷めぬまま笑みを返す。
自分たちは、やり遂げた。
ロックで一世を風靡し、去り際すら人々を魅了した。
きっと自分たちの音楽は伝説になるだろう。
会場の熱狂と鳴りやまぬ歓声から、皆がそれを確信していた。
例えようもない充実感。
そして一抹の寂しさ。
これから自分たちは、ロッカーではなく普通の大人になる。
今の面子で毎日のように集うことは、もうないだろう。
そんな皆の気持ちを察したのだろうか、
「ねえ、みんなはこれからどうするの?」
屈託なくジョーカーが尋ねた。
「わたしは、この業界で何かしたいと思ってる」
ギターをつま弾きながら、クイーンが答える。
「正直なところ、歌う以外にやりたいことが思いつかなくてね」
「ま、ある意味おまえらしいな」
思わずそう返していた。
誰よりクールで有能な彼女は、逆に誰よりも情に厚いセンチメンタリストだった。
だからこそ皆を支えるグループの屋台骨たりえた。
彼女の有能さは、いわば繊細な善き心の赴くまま突っ走った彼女の生き様だ。
「わたしは教師を目指そうと思っております」
「「「えっ!?」」」
満面の笑みで言ったキングに、皆は驚く。
「また、えらい方向転換もあったもんだな」
コンサートは終わったのに髪型を整えていたジャックが声をあげる。
驚きのあまりトレードマークのサングラスまで少しずれている。
三枚目の面目如実だ。
だが皆も反応は似たり寄ったりだ。
そんな様子にキングは構わぬ様子で、
「隠しておりましたが、実はファンの子とお付き合いさせていただいておりましてな」
「「「「ええっ!?」」」」
爆弾発言に皆はまたしても驚く。
まあ女子にモテることを目的に音楽を始める男は多いと聞く。
実際に見目良いメンバーには女子の人気が集中する。
そもそも自分たち全員、ファンから手紙やプレゼントをもらったことは度々ある。
だがキングが、よりによって最も色恋沙汰から縁遠そうなキングが……。
呆然とする皆を尻目に、キングは少し照れた様子で、
「結婚を前提につき合うなら、安定した職をと思いましてな」
「それにしたって、いきなり先生になんてできるのか?」
「ほっほっほ、実は昔、少しばかり勉強したことがありましてな」
キングは朗らかに笑う。
そんなこんなで驚きが冷めた後、
「おめでとう、キング」
「ああ、おめでとう。案外おまえなら、いい先生になれるかもしれんな」
皆でキングを祝福した。
キングもでっぷり太った図体を揺らしながら満面の笑みを浮かべる。
そんな彼に勇気をもらい、
「俺は会社を興そうと思っている」
自身の夢を口にする。
「わっ! すごーい! 社長さんだ」
「さすがは撃墜王。志の大きさが違いますなあ」
「まだわからんさ」
はしゃぐジョーカーとキングに苦笑しながら、
「版権料の取り分を元手にして、事業を始めたいんだ。普通のサラリーマンになるのも何か違うと思うし、手堅い仕事が他に思い浮かばなかったからな」
語る。
それは生真面目だが不器用な自分が、それでも考えに考え抜いた将来の展望だった。
「そっか。おまえなら……できるかもしれないな」
「ふふ、そうだね。あんたは堅物だけど、そのぶん堅実だからね」
ジャックとクイーンの言葉に「ああ」と答える。
クイーンの台詞は褒めてるのか? という気がしたが、代わりに、
「おまえはどうするつもりなんだ?」
ジャックに尋ねる。だが、
「……わかんねぇんだ」
伊達男は少し表情を歪ませ、そう答えた。
普段は茶化してばかりの彼が、そんな表情をするのは意外だった。だから、
「おまえなら、何にだってなれるさ」
励ますように笑みを浮かべて答えた。
調子が良くて自由な彼に、自分にはない可能性を見出していたのは事実だ。
そして世話好きなクイーンも「そうさ」と口をはさみ、
「だいたいあんた、順当にいけば医学部を卒業できるんだろ?」
「って、医者になれるんじゃないかお前は。まったく贅沢言いやがって」
彼女の口から語られた事実に思わず苦笑する。
三枚目の彼は、意外にも成績優秀なお坊ちゃまだったらしい。
先ほどの自分の台詞は図らずも本当だった。
彼は親御さんの助力を得れば、たいていの進路を選べる立場だ。
「校長に社長に院長先生かー。みんなすごいなー」
「ほっほっほ、そうなれるよう誠心誠意、努力しませんとな」
「いや、まだ決まったわけじゃ……」
「俺は別に……」
ジョーカーの無邪気な総括に、男たちはそれぞれ笑ったり困ったりする。
だが肝心のジョーカーに、将来の夢を尋ねるのを忘れていた。
単に言い出せなかったという理由もある。
だが、なにより彼女自身がそれを望んでいない。
訳もなくそんな気がしていた。
意図して未来から目をそらしていたい、そう考えているように見えた。
いつも彼女を見ている自分だから気づいた。そう思うことはできた。
だが、それが気のせいだと言われても反論はできなかった。
だが確実なのは、誰も彼女にそれを聞かなかったこと。
そして、自分が彼女から目が離せなかったということだけだ。
……それから数年。
結局、その後、散り散りになったメンバーが一度に会する機会はなかった。
薄情な話だと言われれば否定もできない。
だが世の中なんてそんなものだと達観できる程度には人生経験を積んだ。
それでも風の噂で、キングが無事に教師になれたと知ったときには嬉しかった。
同じツテから、クイーンは業界で頑張っているらしいとも聞いた。
そういった情報が自然に集まるくらいの立場に、自分はなっていた。
興した運輸会社が軌道に乗ったのだ。
大手の警備会社の社長と同郷のよしみで懇意になり、しかも先方は学生時代の生真面目な自分の噂を聞いていたため、少しばかりキナ臭い品物の扱いを任せられた。
そして数年前の気の早い誰かさんの言葉通り、社長の立場に収まることができた。
そして当のジョーカーはというと、社長夫人になっていた。
あれから交際を続けた末、2人は結ばれたのだ。
そしてジョーカー……梓依香は、梨崎蔵人との間に一子を授かった。
母親似の可愛らしい女の子だった。
もっとも当の母親は、父親に面影が似ていると言って聞かなかったが。
……その頃もまだ、世界は輝いていた。
かけがえのない音楽と仲間が共にあったあの時と同じだった。
自分にはやりがいのある仕事があって、可愛い娘がいた。
そして、世界の誰より愛する妻がいた。
舞奈はぶつぶつ愚痴りつ、統零町の大通りを歩く。
小夜子の退院を確かめ、帰りに紅葉の友人につき合って赴いたピアノ教室で講師を襲っていた疣豚潤子を追い払った後のこと。
駆けつけた【音楽芸術保証協会】の職員に後を任せ、舞奈は早々においとました。
……というか逃げてきた。
職員のひとりが【協会】関係者らしく、やたら舞奈を称賛してくるのだ。
サチや紅葉への態度は普通なので、他所で余計な噂でも聞いたのだろう。
舞奈は怪異との戦闘では紛うことなき最強Sランク。
だが表の世界では普通の女子小学生だ。
大の大人に恐れ敬われても、正直なところ反応に困る。
なので光や小百合が目を丸くする中、万歳三唱で見送る職員から逃げるようにピアノ教室を後にした。やれやれ本当は目立ちたくないんだがなあ。
そんな訳で、舞奈はひと息つきつつ灰色の通りを歩く。
キナ臭い施設を警備するガードマンが手を振ってきたので、手を振り返して笑う。
ここらは新開発区に近いせいか、近くの施設が怪異に襲われたことがある。
もちろん舞奈も加勢した。
なので警備の人間にも知った顔が何人かいる。
まあ仕事でガードマンしてる彼らは、女子小学生を大仰に称えたりはしないが。
そういえば委員長の家もこの近くだし、舞奈と背格好の近い彼女に何かあった場合に近くのガードマンがフォローしてあげられたら良いのだが。
そんなことを、ふと考えた。そのとき、
「待ってください~」
聞き覚えのある情けない声。
同時に前から何かが走ってきた。
薄汚い身なりの男だ。
脇には不似合いな学生鞄を抱えている。
訝しむ舞奈の側を、男はニヤニヤと笑みを浮かべながら通り過ぎる。
悪臭に思わず顔をしかめる。
どうやら奴は脂虫らしい。
次いで、
「ああっ舞奈さ~ん! いいところに~!」
野暮ったいセミロングの髪を揺らせ、眼鏡の女子高生が走ってきた。
奈良坂だ。
「わたしの鞄! か~ば~んが~~!」
「鞄? ……さっきの奴か?」
「はひ……」
盗られたらしい。
「やれやれ」
肩をすくめつつ、男を追う。
男の逃げ足は結構早いが、舞奈ほどじゃない。
だから舞奈は瞬く間に男に追いついて横に並び、そのまま足を払って転倒させる。
臭い男は驚いた表情のまま、アスファルトの地面を無様に転がる。
「こっこのガキ! 何しやがる!」
「そりゃこっちの台詞だ! 盗った鞄、返してもらうぞ」
盗人猛々しいとはこのことだ。
くわえ煙草を唇に癒着させながら喚く脂虫のわき腹を蹴り、
「ぐぇ!」
悲鳴で力が緩んだ隙に奈良坂の鞄を奪い返す。
「ありがとうございます舞奈さん~」
「ったく、ここらも物騒になったものだ」
「そうなんですよ。この前【機関】のミーティングで、最近、怪異の活動が活発になってるから気をつけろって言われた次の日にこれですよ」
「……いや、そこは気をつけててくれよ。せっかく最近、お手柄続きだったのに」
「いやあ、それほどでも」
「何故この文脈で、そうまで相好崩して喜べるんだ?」
苦笑しつつも鞄を渡す。
相変わらずの奈良坂である。
それでも、まあ、いつぞやは桜の家で長屋博吐を捕まえ、先日は死塚不幸三の暴走自動車から園児たちを救ったりと、活躍続きだったのは事実だ。
「それより身体は大丈夫か?」
「大丈夫です! お医者さんも丈夫だって褒めてくれました!」
「そりゃ良かった」
労うように声をかけ、緊張感のない奈良坂の笑顔を見やっていると、
「Hi! Pixion! ちょっとした手助けが必要だろう?」
顔見知りのガードマンが覆面姿の女性を連れてやってきた。
「彼女はパレスチナで回術を学んでるんだ。Zombieの加工は任せてくれ!」
「おっ、気が利くなあ」
「当然さ! Pixionには親切にしなきゃね!」
気の良いノリの良い金髪の守衛は得意げに笑う。
その側で女性は脂虫の喉を潰し、回術で熱した偃月刀で手足を切り落とす。
なかなかに手際が良い。
脂虫――臭くて邪悪な喫煙者は人ならぬ怪異だ。
その事実を、だが【機関】関係者以外が知っているのは意外だった。
それでも比較的に怪異や荒事に縁のある彼ら彼女らは、独自の情報網から知識を得ることができるのかも知れない。あるいは彼らが憧れるPixionの力になるために。
舞奈がそんなことを考える間に出来上がった脂袋を、
「こいつは頑張ってる奈良坂さんへのお土産だ。たしか執行部は、こいつを支部に持ってけばボーナスが出るだろ? それで美味いものでも食ってくれ」
「いやあ、すいませんねぇ」
にへらと笑う奈良坂に手渡す。
そして舞奈は帰路を急いだ。
幸運にも、その後は特にトラブルも(泥人間の襲撃以外は)なく帰宅できた。
そんな出来事があった数刻後。
舞奈が通った統零町の一角にある梨崎邸の、大広間。
委員長は父親と普段通りに夕食をとっていた。
「……そうか。皆にその……命にかかわるような怪我がなくてよかった」
思わず食事の手を止め、父は重々しい声色で答える。
話題の中心は、先日の暴走事故だ。
父は精一杯に穏やかな反応を心がけたが、表情が強張るのは止められない。
なにせ娘は、それに巻きこまれたのだ。
一歩間違えば、犠牲者のひとりになっていたかもしれない。
……否、実際になりかけていた。
暴走自動車は娘たちをも襲ったのだから。
娘とその友人たちが無事なのは、付き添ってくれていた女子高生の友人が、身を挺して守ってくれたからだ。
だが代わりに車に衝突した彼女は……
「後日、その友達のところに見舞いに行こうと思う。おまえの命の恩人だからな」
「ありがとうなのです」
極力、感情を表に出さないように気をつけながら、申し出る。
こんなことになって、むしろショックを受けているのは娘のほうだ。
自分をかばって、誰かが犠牲になった。
そこに自分の落ち度がなくとも、気に病むのは自然なことだ。
現に自分も、娘の危機に駆けつけられなかった自分を未だに悔いている。
娘が事故に巻きこまれたと知ったとき。
あるいは先日、ツチノコ探しに行った娘が不審者に襲われたと知ったとき。
それに、あの時も……
防衛上の観点から抜けられない打ち合わせの最中だったとはいえ、それが不義理の言い訳になるとは思えない。
何も失うもののない人生なんてないと知っているのと、それに納得できるかは別だ。
だから、せめて精一杯の誠意を示そうと申し出る。だが、
「入院しているのは市民病院でいいだろうか?」
「そうだったのですけど、今日、退院したのです」
「そ、そうなのか?」(半身不随と聞いたはずだが……)
「そうなのです。昨日お見舞いに行ったときには体操をしていたのです」
「そうか。……そうか、大事なくてなによりだ」(どういう子なんだ? その子は)
呆気にとられながらも、父の口元には笑みが浮かぶ。
娘のために犠牲になった女子高生なんていなかった。
自分の勘違いだったのだろう。
そんな驚きの事実を、今は素直に信じられる気がした。
誰も不幸にならない世界。
かつては自分の前にも、そんな優しい世界があったから……
……そう。
10年前の、満ち足りた日々の一幕が脳裏に浮かぶ。
ラストコンサートは盛況のうちに幕を閉じた。
グループの活動を締めくくるナンバーは『GOOD BY FRIENDS』。
曲の最後にアレンジを加え、フォーカード時代のパフォーマンスで締めた。
皆で演奏した後に、魔法のようにギターを仕舞うのだ。
5人で揃いのギターはスミスの手による特製で、一瞬で折り畳むことができる。
スミスがいた頃には締めだけでなく曲の前にも『虚空からギターを取り出して』ギャラリーを沸かせてみせた。
だが5人になってからはやらなくなった。
スミスがいないとギミック部分のメンテナンスができないからだ。
だから、こいつは、いわばスミスへの置き土産だ。
彼は結局、グループの解散までに留学先から帰国することはなかった。
だから彼がいつ戻ってきても、風の噂で自分たちの足跡に気づいてもらえるように。
……そんな余韻を残しながら、楽屋に戻った途端、
「おつかれー」
可憐な歌姫のジョーカーが皆に笑いかけた。
皆も興奮の冷めぬまま笑みを返す。
自分たちは、やり遂げた。
ロックで一世を風靡し、去り際すら人々を魅了した。
きっと自分たちの音楽は伝説になるだろう。
会場の熱狂と鳴りやまぬ歓声から、皆がそれを確信していた。
例えようもない充実感。
そして一抹の寂しさ。
これから自分たちは、ロッカーではなく普通の大人になる。
今の面子で毎日のように集うことは、もうないだろう。
そんな皆の気持ちを察したのだろうか、
「ねえ、みんなはこれからどうするの?」
屈託なくジョーカーが尋ねた。
「わたしは、この業界で何かしたいと思ってる」
ギターをつま弾きながら、クイーンが答える。
「正直なところ、歌う以外にやりたいことが思いつかなくてね」
「ま、ある意味おまえらしいな」
思わずそう返していた。
誰よりクールで有能な彼女は、逆に誰よりも情に厚いセンチメンタリストだった。
だからこそ皆を支えるグループの屋台骨たりえた。
彼女の有能さは、いわば繊細な善き心の赴くまま突っ走った彼女の生き様だ。
「わたしは教師を目指そうと思っております」
「「「えっ!?」」」
満面の笑みで言ったキングに、皆は驚く。
「また、えらい方向転換もあったもんだな」
コンサートは終わったのに髪型を整えていたジャックが声をあげる。
驚きのあまりトレードマークのサングラスまで少しずれている。
三枚目の面目如実だ。
だが皆も反応は似たり寄ったりだ。
そんな様子にキングは構わぬ様子で、
「隠しておりましたが、実はファンの子とお付き合いさせていただいておりましてな」
「「「「ええっ!?」」」」
爆弾発言に皆はまたしても驚く。
まあ女子にモテることを目的に音楽を始める男は多いと聞く。
実際に見目良いメンバーには女子の人気が集中する。
そもそも自分たち全員、ファンから手紙やプレゼントをもらったことは度々ある。
だがキングが、よりによって最も色恋沙汰から縁遠そうなキングが……。
呆然とする皆を尻目に、キングは少し照れた様子で、
「結婚を前提につき合うなら、安定した職をと思いましてな」
「それにしたって、いきなり先生になんてできるのか?」
「ほっほっほ、実は昔、少しばかり勉強したことがありましてな」
キングは朗らかに笑う。
そんなこんなで驚きが冷めた後、
「おめでとう、キング」
「ああ、おめでとう。案外おまえなら、いい先生になれるかもしれんな」
皆でキングを祝福した。
キングもでっぷり太った図体を揺らしながら満面の笑みを浮かべる。
そんな彼に勇気をもらい、
「俺は会社を興そうと思っている」
自身の夢を口にする。
「わっ! すごーい! 社長さんだ」
「さすがは撃墜王。志の大きさが違いますなあ」
「まだわからんさ」
はしゃぐジョーカーとキングに苦笑しながら、
「版権料の取り分を元手にして、事業を始めたいんだ。普通のサラリーマンになるのも何か違うと思うし、手堅い仕事が他に思い浮かばなかったからな」
語る。
それは生真面目だが不器用な自分が、それでも考えに考え抜いた将来の展望だった。
「そっか。おまえなら……できるかもしれないな」
「ふふ、そうだね。あんたは堅物だけど、そのぶん堅実だからね」
ジャックとクイーンの言葉に「ああ」と答える。
クイーンの台詞は褒めてるのか? という気がしたが、代わりに、
「おまえはどうするつもりなんだ?」
ジャックに尋ねる。だが、
「……わかんねぇんだ」
伊達男は少し表情を歪ませ、そう答えた。
普段は茶化してばかりの彼が、そんな表情をするのは意外だった。だから、
「おまえなら、何にだってなれるさ」
励ますように笑みを浮かべて答えた。
調子が良くて自由な彼に、自分にはない可能性を見出していたのは事実だ。
そして世話好きなクイーンも「そうさ」と口をはさみ、
「だいたいあんた、順当にいけば医学部を卒業できるんだろ?」
「って、医者になれるんじゃないかお前は。まったく贅沢言いやがって」
彼女の口から語られた事実に思わず苦笑する。
三枚目の彼は、意外にも成績優秀なお坊ちゃまだったらしい。
先ほどの自分の台詞は図らずも本当だった。
彼は親御さんの助力を得れば、たいていの進路を選べる立場だ。
「校長に社長に院長先生かー。みんなすごいなー」
「ほっほっほ、そうなれるよう誠心誠意、努力しませんとな」
「いや、まだ決まったわけじゃ……」
「俺は別に……」
ジョーカーの無邪気な総括に、男たちはそれぞれ笑ったり困ったりする。
だが肝心のジョーカーに、将来の夢を尋ねるのを忘れていた。
単に言い出せなかったという理由もある。
だが、なにより彼女自身がそれを望んでいない。
訳もなくそんな気がしていた。
意図して未来から目をそらしていたい、そう考えているように見えた。
いつも彼女を見ている自分だから気づいた。そう思うことはできた。
だが、それが気のせいだと言われても反論はできなかった。
だが確実なのは、誰も彼女にそれを聞かなかったこと。
そして、自分が彼女から目が離せなかったということだけだ。
……それから数年。
結局、その後、散り散りになったメンバーが一度に会する機会はなかった。
薄情な話だと言われれば否定もできない。
だが世の中なんてそんなものだと達観できる程度には人生経験を積んだ。
それでも風の噂で、キングが無事に教師になれたと知ったときには嬉しかった。
同じツテから、クイーンは業界で頑張っているらしいとも聞いた。
そういった情報が自然に集まるくらいの立場に、自分はなっていた。
興した運輸会社が軌道に乗ったのだ。
大手の警備会社の社長と同郷のよしみで懇意になり、しかも先方は学生時代の生真面目な自分の噂を聞いていたため、少しばかりキナ臭い品物の扱いを任せられた。
そして数年前の気の早い誰かさんの言葉通り、社長の立場に収まることができた。
そして当のジョーカーはというと、社長夫人になっていた。
あれから交際を続けた末、2人は結ばれたのだ。
そしてジョーカー……梓依香は、梨崎蔵人との間に一子を授かった。
母親似の可愛らしい女の子だった。
もっとも当の母親は、父親に面影が似ていると言って聞かなかったが。
……その頃もまだ、世界は輝いていた。
かけがえのない音楽と仲間が共にあったあの時と同じだった。
自分にはやりがいのある仕事があって、可愛い娘がいた。
そして、世界の誰より愛する妻がいた。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
百合ゲーの悪女に転生したので破滅エンドを回避していたら、なぜかヒロインとのラブコメになっている。
白藍まこと
恋愛
百合ゲー【Fleur de lis】
舞台は令嬢の集うヴェリテ女学院、そこは正しく男子禁制 乙女の花園。
まだ何者でもない主人公が、葛藤を抱く可憐なヒロイン達に寄り添っていく物語。
少女はかくあるべし、あたしの理想の世界がそこにはあった。
ただの一人を除いて。
――楪柚稀(ゆずりは ゆずき)
彼女は、主人公とヒロインの間を切り裂くために登場する“悪女”だった。
あまりに登場回数が頻回で、セリフは辛辣そのもの。
最終的にはどのルートでも学院を追放されてしまうのだが、どうしても彼女だけは好きになれなかった。
そんなあたしが目を覚ますと、楪柚稀に転生していたのである。
うん、学院追放だけはマジで無理。
これは破滅エンドを回避しつつ、百合を見守るあたしの奮闘の物語……のはず。
※他サイトでも掲載中です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
家の庭にレアドロップダンジョンが生えた~神話級のアイテムを使って普通のダンジョンで無双します~
芦屋貴緒
ファンタジー
売れないイラストレーターである里見司(さとみつかさ)の家にダンジョンが生えた。
駆除業者も呼ぶことができない金欠ぶりに「ダンジョンで手に入れたものを売ればいいのでは?」と考え潜り始める。
だがそのダンジョンで手に入るアイテムは全て他人に譲渡できないものだったのだ。
彼が財宝を鑑定すると驚愕の事実が判明する。
経験値も金にもならないこのダンジョン。
しかし手に入るものは全て高ランクのダンジョンでも入手困難なレアアイテムばかり。
――じゃあ、アイテムの力で強くなって普通のダンジョンで稼げばよくない?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる