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第14章 FOREVER FRIENDS

もうひとつの悪

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 連休最終日の日曜日。

「例の2人のこと、何かわかった?」
 小奇麗な木製のベンチに腰掛けて、紅葉はひとり問いを発する。
 昼飯前の公園の噴水広場には、紅葉の他に人影はない。

――あんたの言う通りだ。弟人間の方は、たまに『見えなく』なっていた。

「【偏光隠蔽ニンジャステルス】か……」
 何処からともなく返された答えに、紅葉はひとりごちる。
 街中にネットワークを張り巡らせた彼らとの交渉と情報取集は紅葉の役目だ。

――あんたたちの呼び方は知らんさ。

 声は言葉を返し、

――ただ、奴らは猫に親切だった。たまに自分たちの餌を持ってきて配ってた。
――それに兄人間は……弟の世話をよくしていた。奴らは良い兄弟だった。

「そっか」
 紅葉はひとりごちる。
 そんな彼女の心境など構わず、

――こっちの情報は終わりだ。次はそっちの番だ。

「ああ、わかってる」
 声の要求に答え、紅葉は懐から何かを取り出す。
 念には念を入れて周囲を警戒しつつ、ベンチの後にさり気なく放る。
 それを近くの木陰から飛び出た何かが素早くひったくった。

――へへっ、こいつは上質だ。

 だが紅葉はもはや声には反応せず、代わりに携帯を取り出す。

「姉さん? ああ、ビンゴだ――」
 そして電話の相手に、聞き出した情報を伝えた。

 所変わって市民病院。
 舞奈は明日香とサチ、友人たちを連れて小夜子の病室を訪れていた。

 小夜子は先日、【命の譲渡ヨリリツリマカ】による復活を遂げた。
 だが、それは病院にとっては医学では説明のつかない容態の急変だ。
 なので大事をとって、翌日まで経過観察をすることになった。
 まあ、その間に【機関】から事情説明なり何なりがあったはずだ。

 そんな小夜子を見舞う小学生たちの表情は硬い。
 彼女らは皆、病院に搬送される小夜子の痛ましい姿を見ているからだ。
 心優しい園香や生真面目な委員長はもとより、普段は無邪気なチャビーや、あろうことか桜までもが静かに押し黙ったまま、病室のドアの前に立つ。

 舞奈は病室のドアを静かにノックし、無造作に開ける。

 すると、そこには何食わぬ顔でラジオ体操をしている小夜子がいた。
 ちなみに無言、かつ無音。
 何故ラジオ体操!? と明日香が困惑する。
 まあ自身の術により完治したとはいえ、ネガティブ思考が高じて過度に慎重な彼女は身体が思い通りに動く確証が欲しかったのだろう。

 小夜子と目が合った皆は一瞬、あっけにとられる。

 だが次の瞬間、堰を切ったように歓喜した。
 チャビーは思わず小夜子に抱き着く。小夜子は難なく幼女を抱き上げる。
 園香と委員長は口々に祝福し、自分たちを守ってくれた礼を言う。
 事情を知ってる明日香とサチは、その様子をにこやかに見守る。
 桜は予想通りに歌いだして、看護婦につまみ出されそうになった。

 そしてしばらく皆で歓談した後、病室を後にした。
 その帰り道、

「やれやれ。これでひと安心だな」
「ええ、小夜子ちゃんが治ってよかった」
 舞奈はサチと2人、ぶらぶらと公園を歩く。

 サチは小夜子に着いていたがったのだが、小夜子にも病院にも都合がある。
 今日中に残りの検査を済ませて、夕方に退院する予定だ。

 明日香は皆やチャビーを家に送って行った。
 一難は去ったとはいえ、ここのところ物騒なのは変わらない。
 それにチャビーが数学の宿題に困ってることにも変わりはない……。
 なので午後はチャビーにつき合う予定らしい。

「ここは平和だね……」
 サチは噴水広場を眺めながら、ぽつりとこぼす。
 プランターで飾られた小奇麗な広場では、老人や親子連れがのどかに散策している。

「ああ、まったくだ」
 舞奈は答える。

 サチと2人でこうしているのには、もうひとつ理由がある。
 彼女から相談を持ちかけられたのだ。

 内容はもちろん小夜子のこと。
 サチが守れぬまま、癒せぬまま、小夜子は傷つき自力で回復した。
 だからサチは自分が不甲斐ないと感じているのだ。

 舞奈としては、それは少し卑屈すぎる考え方だと思う。
 同じ呪術師ウォーロックなのに、小夜子とサチは得意分野が違いすぎる。正反対と言っていい。
 だから小夜子が得意なことは、サチが不得手なことだ。
 小夜子が苦手なことは、サチが得意とすることだ。
 互いが互いを補え合えばいい。
 少しばかり照れくさい考え方だが、舞奈と明日香のように。

 だが最強な以外は小5に過ぎない舞奈は、他人を諭すことに慣れていない。
 内心を上手く伝える手段がわからない。
 それこそ舞奈の苦手分野で、明日香の得意分野だと思う。

 だから当面の答えから逃避するように、舞奈の思考は横道へとそれる。

 泥人間の道士は五行でチームを作る習性があるという。
 そして人間の顔を持ち、完全体へと転化する個体は人の世に災いをもたらす。

 そして数日前に舞奈が倒した土行の道士。
 小夜子やサチが相対した、悪魔術師にして道士。おそらく木行。
 先日に異郷で出くわした屑田灰介は、スタジオに『火』をつけようとした。
 死塚不幸三は、自動車――『金』で人々を轢きまくった。

 残る水行が揃えば巨悪の五行が集結する=この街に致命的な災厄が起きる。
 その思惑が正しくても、杞憂であっても不愉快なことには変わりない。

 そんなことを考えていた舞奈とサチは、

「紅葉さんじゃないか、こんなところで珍しいなあ」
 ベンチにひとり腰掛けた紅葉に気づいた。

「何してるんだ?」
「いやね……」
 スポーツマンの中学生は珍しく何かを誤魔化すように沈黙してから、

「舞奈ちゃんたちと最初に会ったのって、この公園だったな……って」
 広場の噴水を眺めながら、ぽつりと言った。

「あれはスマンかったなあ……」
 舞奈はやれやれと苦笑する。

 紅葉と楓が脂虫連続殺害犯【メメント・モリ】だった頃。
 舞奈と明日香、小夜子は姿なき犯人をおびきだすべく、ふざけた屋台で挑発した。
 挑発に乗った2人は屋台を襲撃した。
 ウアブ呪術【秘せられしヴェールヘペス・ハプ】で透明化した紅葉を、舞奈は追った。

 そのとき紅葉は初めて『透明化を普通に看破する好敵手』と邂逅した。
 舞奈は『逃亡中に呪術で子供を救う善人』と会った。
 だから2人は後に対決し、そして和解した。
 紅葉たちを凶行に走らせていた真の黒幕は、サチと小夜子が始末した。

 ずいぶん以前の話である。
 今では紅葉も楓も【機関】の仲間だ。
 あの広場にも、幸いなことにあの時の屋台はもうない。
 ……いやホント、あの雑で奇抜な水素水の屋台について考えると未だに気が滅入る。
 変な歌まで流していたし。

 気づくとサチも、紅葉も同じように物思いにふけっていた。
 それはそうだろう。
 あの日から舞奈が過ごしたのと同じだけの時間を、サチも紅葉も過ごしたのだから。
 そんなことを考えていると、

「……?」
 ふとベンチの側で、何かが奇抜な動きをしているのに気づいた。

 見やると正気を失った野良猫が、木切れを抱えてうにゃうにゃイッている。
 マタタビか何かだろうか?
 大きな図体の茶トラの猫は、公園を仕切っているボス猫だと聞いたことがある。
 模様だけはネコポチと似てるが、縁もゆかりもないのは一目瞭然だ。

 ウアブ呪術を修めた紅葉は、猫と会話することができる。
 今にして思えば、あの当時もそうやって情報収集をしていたのだろう。
 街のいたるところをうろつく野良猫たちの目を借りれば、テックに頼んで街中の防犯カメラを調べてもらう程度の情報は集まる。
 マタタビは、その報酬といったところか。
 もうひとりのSランクみたいにイワシの山じゃないところが、いかにも元脂虫連続殺害犯からガラの悪そうな野良猫のボスへの報酬らしい。

 だが、そんなツテを使って紅葉は何を調べていたのだろうか?
 そんなことを考えていると、

「わぁ~。猫だぁ~」
「あっ、先輩、こんにちは」
 別方向から黄色い声が飛んできた。

 中等部の制服を着こんだ2人組だ。
 ひとりは、ちょっととぼけた雰囲気の可愛らしいふわふわ髪。
 もうひとりは活発そうなサイドテール。

 そんな彼女らを見やってサチは「?」と首を傾げる。
 舞奈にも中学生の後輩はいない。
 紅葉の後輩だろう。
 大方サイドテールの方が、運動部の助っ人仲間といったところか。

「やあ光ちゃん、お友達とデートかい?」
「ちょ……!? なに言ってるのさ先輩」
「ははは」
 ラフな感じで軽口を楽しむ。
 いつも凛々しい紅葉の素顔を見た気がした。
 後輩は光ちゃんと言うらしい。

 ……そう言えば、以前に相対した悪魔術士の名も光だったはずだ。
 フルネームは萩山光だったか。
 彼は今も元気にしているだろうか?
 ロッカーで医大生で悪魔術士の彼とも、対決の後に和解できた……と思いたい。

「違うんですぅ~」
 ふわふわ髪は慌てた調子で言い募る。
 紅葉の軽口を真に受けたか。
 支部の受付け嬢と似た喋りだが、こっちはたぶん素だろう。

「今日は小百合のピアノ教室の日で」
 代わりに光が答える。
 ふわふわ髪の友人は小百合ちゃんと言うらしい。
 可愛らしい彼女にピッタリな良い名だ。

「ピカちゃんがつき合ってくれてるのぉ~」
「ピカちゃん……」
 小百合の言葉に、思わず舞奈はひとりごちる。
 それが光ちゃんのあだ名らしい。

 いろんな髪量の人間を知っている舞奈からすると、割と酷めな呼び名に思える。
 だが呼ばれた当人は「そうなんだ、最近は物騒だからね」と笑っている。
 頭に地毛があると、心にも余裕ができるらしい。

 ……とまあ、そんなこんなで数分後。
 舞奈とサチは、紅葉と光、小百合と5人で大通りを歩いていた。

「小百合ちゃんはピアノを習ってるのね。すてきだわ」
「うんうん、すごいよ」
「それほどでもないですぅ~」
 小百合はサチの言葉に顔をほころばせ、紅葉の言葉に頬を赤らめる。
 朗らかで礼儀正しいサチは、思いがけず友人ができたことで本調子に戻ったようだ。
 そしてスマートで礼儀正しい中3の紅葉は同年代にモテるらしい。主に女子に。

 舞奈たちは、小百合ちゃんにつき合ってピアノ教室に行くことにした。
 物騒だからというのなら人数は多い方がいい。
 それに舞奈たちも、この後に特に予定はない。

 ちなみにピアノ教室はこの近くにあるらしい。
 その手に疎い舞奈は今まで気づかなかった。
 だがまあ確かに、公園のある亜葉露あばろ町には学校や商店街といった健全な施設が多い。

「舞奈ちゃんは初等部の子なんだぁ~。可愛い~」
 小百合は舞奈に抱き着いてくる。

 知人には精悍な猛者と知られる舞奈だが、ピンク色のジャケットに赤いキュロットにリボンで結った小さなツインテールと、格好だけは可愛らしい。
 そんな舞奈に、修羅場など知らぬ初対面の彼女がそう思うのも無理はない。

 ちなみに中学生の彼女にサチのような豊かな胸はない(どころか園香より小さい)。
 けれど鍛えられていない身体はどこもやわらかく、抱かれ心地は上々だ。だが、

「せ、先輩、これは……!?」
「ふふ、舞奈ちゃんはいつもこんなだよ」
 目を丸くする光に、紅葉は笑みを返す。
 舞奈のいやらしい手つき……のことを言っている訳ではない。

 中学生にのしかかられた女子小学生が、微妙だにせずに普通に歩いているからだ。
 それどころかバランスを崩しそうな小百合の身体を器用に支えている。
 その安定感は、屈強な大人の男にすら劣らない。

 最初は「やめなよ小百合、舞奈ちゃんが転んじゃうだろ」とか言ってた光も、今では2人の様子を目を丸くして見守っている。
 舞奈の驚異的な体幹に、筋肉に、なまじスポーツの心得のある彼女は畏怖していた。

 一方、心得のない小百合は舞奈にじゃれついていた。
 最初は遠慮がちだった彼女も、舞奈が嫌がりもせず転びもせず安定して歩いているのに気をよくしたか、じゃれ方もだんだん大胆に、楽しそうになってきている。

 そんな彼女の体重と体温を感じながら、舞奈は笑う。
 あらゆるプラスの感情の前提にあるのは安心だ。
 気を緩めても何かを奪われることはないと確信しているときにだけ、人は心のガードを解いて本当の笑みを浮かべることができる。

 だから皆の笑顔を守るために【ミューズSocietyOf探索者Muse協会Seeker】の術者たちは奔走する。
 笑顔から得られたプラスの魔力で、笑顔の源を守るために戦う。

 あるいは3年前のピクシオンも、活動の根底にはそういう思惑もあったのかもしれない。だから3人は可愛らしいドレスを着て、人々を守って戦った。
 そう考えると、舞奈も自然に笑顔になった。

 そのようにして和気あいあいと、皆でしばらく歩いた後、

「ここだよぉ~」
 立ち並ぶ民家の中の、小奇麗な屋敷の前で止まった。

「おー、こりゃピアノ教室っぽい感じだ」
 適当な感想を言ってみる。
 なるほど玄関の上には、こじんまりとした看板が取りつけられている。
 自宅の空きスペースを使って個人で音楽を教えていると言ったところか。

「それじゃあみんな、ありがとう~」
「どういたしまして」
「おう! 応援してるぜ」
 小百合は皆と挨拶を交わす。
 そして皆に見送られながら、鈴を鳴らして屋敷に入っていった。

「それじゃ、わたしたちも行くね」
「先輩も、サチさんと舞奈ちゃんもありがとうー」
 舞奈たちも光に見送られながらピアノ教室を背にし――

「――せっかく来たんだ、ちょっと聞かせてもらおうかな」
「えっ?」
「けど舞奈ちゃん、練習中よ?」
「本番じゃあ観客に聞かせるんだろ? それにうちのクラスの音楽の授業よりマシさ」
 驚く紅葉とサチを尻目にとんぼ返りして、

「ちーっす」
 雑に挨拶しながら屋敷におじゃまする。

「舞奈ちゃんったら、仕方ないわね。おじゃましまーす」
「おじゃまします」
 少しばかり面食らいながらも、紅葉とサチも後に続く。
 外見通りにおしゃれな玄関で来客用のスリッパを借りて、廊下を進む。

 たとえ練習中でも、美しい演奏は耳に心地よいと舞奈は知っている。
 双葉あずさの歌もそうだし、委員長の曲もそうだ。
 ……それに明日香が歌う音楽の授業より酷い環境なんて知らないのも本当だ。
 だが何よりも――

「――そんな!? わたしはただ、子供たちにピアノを教えるために……」
 怯えたような女の声。
 学校の音楽教師に似た気弱そうな声色は、ピアノ教室の講師だろうか。
 どうやら何らかのトラブルがあったようだ。

 優れた感覚を持つ舞奈は耳も良い。
 だから屋敷の中の、剣呑な声が聞こえていた。

「あっ、舞奈ちゃん~!? 危ないよ~」
 教室の入り口で、ふわふわ髪がおろおろしていた。
 だが幸い中には生徒が来たことは気づかれていないようだ。
 だから舞奈も唇に指をあてて小百合を制止し、

「――どんな名目だろうと音楽を流していたことは事実ザマス! ならば著作権使用料を支払うのは当然ザマス!! そう、アテクシたちKASCにね」
「(【親亜音楽著作権協会KASC】だと?)」
 聞き覚えのある単語に思わず眉をひそめる。

「で、でも、うちで使っている曲は、著作権の保護期間が切れたクラシックの他は、SOMASの委託曲だけなので……」
「(そうなのか?)」
「(うん~。ポップスはファイブカードや、あずさちゃんの曲ばっかりだよ~)」
 小百合の答えに、思わず舞奈の口元が緩む。

 双葉あずさの歌がそうなのは、以前に『Joker』のオーナーから聞いた。
 だがロックの定番曲の守護者にも【音楽芸術保証協会SOMAS】は相応しい気がした。
 音楽とそれによる感動――魔力の源を守るために手段を選ばぬ彼らこそが。だが、

「SOMAS……? あのファイブカードに、双葉あずさの!?」
 部屋の中の声が激高した。
 ヒステリックな中年女の声には聞き覚えがある気がする。

「双葉あずさ!! あんな胸の大きい! あんな幼い顔の! あんな痴女の歌を子供に聞かせるなんて破廉恥な!! 軍国主義者に迎合するネトウヨめ! 名誉男性め!!」
「(どこから軍国主義が!?)」
 思わず困惑する舞奈だが、

「貴様を矯正してやるザマス! その奇形のような大きな乳を切除するザマス!!」
「ひいっ!」
「おおっと」
 舞奈は教室内に押し入るついでに数メートルの距離を詰める。
 そして次の瞬間、

「――!?」
 中年女の手をブロックしていた。
 鬼瓦のような醜女の手を受け止めた、少女の腕の筋肉が軋む。

「え……?」
 舞奈の背で驚愕の気配。

 そこには女性が尻餅をついていた。
 声色通りの細身で巨乳な、若い女性だ。
 もちろん舞奈から見れば大人だが。
 それでもどこか幼く見える繊細な顔立ちと、大き目な丸眼鏡が可愛らしい。

 舞奈は間一髪、中年女の手から彼女を守ったのだ。

 ちらりと壁を見やると、壁には双葉あずさのポスターが貼ってあった。
 講師も彼女のファンなのだろうか?
 舞奈は可愛らしいポスターから目をそらし、ヤニの悪臭と憎悪の視線に向き直り、

「子供はおっぱいが大好きなんだ。優しくしてやってくれないか?」
 軽口を叩きながら見上げる。
 相手は大人だ。

「……って、疣豚潤子じゃねぇか」
 不本意にも見知った肉製の鬼瓦のような顔面を直視し、うぇっと顔をしかめる。
 顔も酷いが、くわえ煙草の悪臭も酷い。
 見間違えようもなく脂虫だ。

 最初に見た彼女はひしゃげた暴走自動車の側で、死塚不幸三の隣にいた。
 2度目はテックが調べた犯罪者情報の写真。
 3度目はないと願いたかったが、舞奈の望みが叶ったことなんてそんなにない。

 鬼瓦はこれ見よがしに煙草をふかす。
 そして女講師めがけて投げる。
 だが幸いにも狙いはそれて、身をすくめた講師の横に転がる。

「あっ! てめぇ」
 暴挙に声をあげる舞奈の、

「社会学者で、編集長で、KASC役員のアテクシに文句があるザマスか!?」
 頬めがけて平手をふるう。
 舞奈は苦も無く再び腕で払う。

 だが訝しむ。
 中年とはいえ女にしては、腕の力が強すぎる。
 それともヤニで脳がイカレて加減ができていないのだろうか?

 疣豚は、首をかしげる舞奈の、今度は胸倉をつかみあげる。

 舞奈の疑念は確信に変わる。
 中年女とは思えぬ腕力だ。
 筋量が多い舞奈は、小5にしてはかなり重いはずなのに。

「あっピカちゃん~、紅葉さんにサチさんも~」
「えっ?」
「舞奈ちゃん!?」
「おまえみたいな子供が、大人に盾突くんじゃないザマス!」
 背後で小百合が動揺して紅葉を呼ぶ声、部屋内の有様を見た光と紅葉とサチが驚く気配、そして目前に迫った鬼瓦の怒声を聞き流しつつ、

「服がのびるからやめてくれよ。一張羅なんだ」
 何食わぬ顔で答えつつ、抜く手も見せず首筋めがけて手を伸ばす。

 大きな醜い顔の中年女は首も太い。
 だが小5にしては大きい舞奈の手で握れないほどじゃない。

 幸いにも紅葉とサチの身体が壁になって、小百合と光からは荒事は見えないはずだ。
 相手は脂虫なのだから、首を折っても握りつぶしても、まあ問題はない。
 それに舞奈には確かめたいことがあった。

「!?」
 疣豚は舞奈を振り払って跳び退る。
 反射神経も平均以上。

 しかも部屋の入り口の紅葉とサチ、驚く光と怯える小百合に気づいたらしい。
 疣豚は、舞奈ほど屈強ではない4人の少女を値踏みするように見やり――

「――!?」
 サチが近くにあったトライアングルを手に取り、小突いて奏でた。
 修羅場には不似合いな涼やかな音色が、部屋中に響き渡る。
 その途端、疣豚は醜い顔に苦悶の表情を浮かべ、

「お、覚えてらっしゃい! 警察に訴えてやる!!」
 捨て台詞を残し、窓をぶち破って跳び出して行った。

「そりゃこっちの台詞だ……っていうか、信じられんことするなあ」
 割れた窓を見ながらひとりごちる舞奈と、へたりこんだままの女講師に、

「先生~ぇ!!」
「舞奈ちゃん!」
「大丈夫かい?」
 小百合と光、紅葉とサチが走り寄ってくる。

「早く警察に――」
「――いや、あんまり頼りにならんだろう、あいつらじゃ」
 光の言葉をやれやれと遮る。

 地元警察は脂虫に甘い。
 それに先ほどの口ぶりからすると、忖度されるツテでもあるのかもしれない。

「それよりセンセ、SOMASに著作権使用料を払ってるんだろ?」
「あ、はい……」
「なら事情を話せば、何らかの補償が下りるはずだ。契約にはなくても、奴らはそういう風にあんたと――アーティストの卵を守ってくれる」
 講師に言いつつ、だが視線は窓から離さない。

 先ほどサチが奏でたトライアングルは古神術による攻撃だった。
 即ち【鳴弦法めいげんのほう】。
 澄んだ音色で怪異を怯ませる術だ。

 それに、もうひとつ。
 疣豚潤子につかまれたブラウスの胸元に手をやる。

「舞奈ちゃん、まさか怪我を!?」
 動揺する紅葉の声を聞き流しつつ、無言で掌を見やる。
 思わず口元をへの字に歪める。
 なぜならブラウスに触れた掌に、不自然な湿度を感じたからだ。

 そう。
 疣豚潤子につかまれた襟首は濡れていた。
 おそらく何らかの魔法――十中八九、水行の道術によって。
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